前話から時間が戻りますのでご注意ください。
【FILE:124】旅立ちの日に
水門都市プリステラでケイと別れ、ナツキ・スバル一行は一路、東へ向かって進み続ける。
目的地は世界図の東端、そこに位置するアウグリア砂丘――あらゆる存在の踏破を拒み、何百年も前から魔獣の巣窟として在り続ける曰く付きの土地だ。
方向感覚を狂わせ、探索者の心を蝕む瘴気。
人の命を弄び貪る、邪悪の先兵である魔獣の群れ。
そして世界の平穏を望み、監視塔から近付くものへと片っ端から成敗を下す『賢者』シャウラ。
「わかってるだけで、自殺しにいくみたいなラインナップだな……」
「……それにしても、不思議なもんだ」
揺れない竜車の揺れを錯覚しながら、スバルは座席の正面に座る顔ぶれにぽつりと呟く。それを聞きつけ、客室の中の全員の視線がこちらを向いた。
視線の数は、全部で四つ――この場にいるのはスバルを含めて五人なので、全員がこちらを見た形だ。
「不思議って、何かあった?」
「いや、大したことじゃないよ、エミリアたん。ただまぁ、みんなを無事に連れ帰れてホッとしてるってだけ」
エミリアの疑問に肩をすくめて、スバルはそう応じる。
そのスバルの左右、両隣を固めるのがエミリアとベアトリス、対面にはオットーとガーフィールが座っている。
せっかくの陣営団欒の時間であるが、次々と出てくる話題はスバルの本意でないところに飛んでいく。
「スバルとユリウスって、仲良しだったのね。前からあんな風に?」
「エミリアたん、そりゃ誤解だよ。俺とあいつが仲いいとかあるわけないじゃん。俺の今の顔、見た?自分で言うのもなんだけど、過去最高に目つき悪かったよ?」
「そう?そんなことないと思うけど……あ、今のは目つきの話じゃなくて、二人の仲のことね。スバルの目つきは、いつもとおんなじですごーく悪いと思うわ」
「いつもとおんなじですごーく悪い!?」
「でも私、スバルの目つき好きよ。ホントのホント」
「あ、くそ、録音しといてあとで目つきの部分だけ削ってやりたかったなぁ、今の!」
悔しげにするスバルにエミリアが苦笑する。
スバルは並走する竜車のことを考える。
そこにはアナスタシア陣営の者たちが乗っており、当人はもちろん。ユリウスとリカードも同席している。
いつもなら自身のライガーで道なき道もなんのそのと自由に行くらしいが、今回ばかりは竜車に大人しく座っているらしい。
それは先の話題にも上がったユリウスとの対話のためだ。彼についての記憶はスバルを除く全員から消えてしまっている。
『暴食』の権能によって奪われたものを少しでも埋めようと、彼らは時間を使っているのだ。
しかし、それも仮初の修復に過ぎない。なぜなら、竜車に座っているのはアナスタシアではなく、彼女の体を動かしているのはエキドナを名乗る人工精霊であるからだ。
エキドナと友誼を結ぶなんて、あり得ないことだ。危険すぎる。
狐の襟巻きに擬態していたらしいので、便宜上『襟ドナ』とスバルは呼んでいる。
ケイの計らいによってこの事実は全員が知ることになったが、その時のユリウスの動揺と言ったらなかった。
これが本当に正しいのかと、ケイに思わず語気を強めて聞いてしまったがそこから返ってくるのはいつも通りの言葉だった。
「真実で壊れるものなら、できるだけ早めに壊すべきだ。その方が修復も早い。長い道中になるんだ。ちょうどいいだろ」
いや、そうではある。あるのだが、ユリウスのあの顔を見た後にこれを言い放ってのけるケイの胆力が底知れない。
けれどやはりケイは正しいと、頭のどこかで認めてもいる。彼に言いがかりをつけるのは、未熟な自分の心が生み出す甘えなのだと気づいてもいる。
だけれどスバルは、心に従って体が動くことをそこまで嫌っていなかった。
そのせいで生まれた犠牲を思うとそれが最善とは決して言えないのだが、感覚としてはそうなのだ。
しかし、彼らと話しているのはエキドナだ。あのエキドナである、本人ではないとスバルも思うが、その名前が与える印象は忘れられるものではない。
「……スバル、いい加減にするのよ」
と、静かに考え込むスバルに、ベアトリスが声をかける。沈黙の間も、スバルに頭を撫で続けられていた少女の髪は少しだけ乱れ、可愛い顔が仏頂面だ。
「おお!?悪い、ベア子!お前の可愛い格好が台無しになって……こんなブチャイクに」
「ベティーの可愛さは髪型一つで乱れたりしないかしら!そんなことより、怖い顔になってるのよ」
スバルからお尻半個分離れて、ベアトリスが乱れた髪を必死に手で直しながら言った。その言葉にスバルが「う」と詰まると、ベアトリスは仕方なさそうな顔で、
「そんな無性に心配な顔しても意味なんてないかしら。…スバル一人で背負う必要なんてもっとないのよ。ベティーも、みんなで見張っていればいいかしら」
「……おう」
スバルの内心の不安に、ベアトリスがそう言葉を重ねる。
ベアトリスの心情を考えれば、あまりエキドナと関わらせるのは得策とは思えなかったが、それでも頼りなる。
「余計な気を回すより、スバルはスバルらしく、いつも通りに誰かれ構わず助けを求めてた方がいいのよ。でも、最初にベティーに言うかしら。あの男でもなくパートナーであるベティにかしら!」
と、返されてしまったので、それはそれだ。
最近、ケイと仲が良すぎると注意を受けている。いやまぁ、こればっかりは仕方ない。
同性の同じくらいの友達というのは本当に大事だと、スバルは今更ながらに気付かされた。
「――見えてきたわ」
ふいに、竜車に沈黙が下りたかと思えば、エミリアがそう呟いた。
竜車の窓から先を眺めるエミリア、彼女の目には遠く、目的地が見えたのだろう。スバルにも、窓の外の景色が見慣れたものになりつつあることがわかった。
「懐かしの道だ。もうすぐ、ロズワール邸だな」
そうこぼし、まずは最初のチェックポイントを目前に気持ちを引き締める。
「はッ!んじゃまぁこっからはお先に走らせてもらッうぜ大将ォ!」
自分の縄張りに帰ってきたためテンションが上がったのだろう。我慢できぬと竜車を出て行った。
水門都市の事件が終わった直後は考え込んでいて、今もたまに思案顔で何かを考えているのだがその表情は明るかった。
幾度か行った家族との交流が功を奏したのだろう。これもケイによる荒療治だ。家族のことはデリケートだからと本人たちに任せようと思ったら、その関係性を含めて全部を伝えてきたと盤面を焼き尽くすような手をすでに打たれていた後だった。
オットーは賢者探しに同行しない。トラブルメーカーたちが居ないうちに内政に集中すると意気込んでいる。
立派な内政官として自覚が芽生えるどころか大きな木に成長しているようで、何よりだ。
この一行の目的地は冒頭の通り、『賢者』シャウラとの話し合いを求めてアウグリア砂丘へ向かうことなのだが、その道行きの準備と、長旅の中継地点としての意味合いで、道中のロズワール邸へ立ち寄ることで話がまとまっていた。
都市プリステラでの出来事や、『賢者』との話し合いに際しても、屋敷にいるであろう陣営の仲間と相談したいことが山ほどある。
それに、それに――だ。
「寄り道ってだけの話じゃ、ないからな」
『賢者』へ会いにいく旅路の前に、ロズワール邸に寄ることには意味がある。
大きな目で見れば、小さな世界のささやかな意味が。だが、ナツキ・スバルという小さな人間の目で見れば、大きな可能性を持った意味が。
「――――」
遠く、まだ見えてこないロズワール邸を幻視するように目を細めるスバル。
そのスバルの姿に、竜車の中の彼以外の四者がそれぞれ目を向けている。視線の色は感情は、様々だが――そのいずれの視線にも、気付く余裕がスバルにはなかった。
スバルは長い時間をかけて、メイザース辺境伯領の邸宅へ戻ってきた。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
旅立ちの朝は、どこか特別な感じがする。
いつもの風景が少し変わって見えるというか、やけに朝日が明るく感じたり。普段なら気にしない背景と化した山々の様子にも目が届く。
水門都市の事件が遠い昔のようにすら感じる。
時間の経過をどこか他人事に感じながら、スバルは新たな旅路へと挑むために再び出立の準備を整えた。
最後にすべきことをこれからいくつかこなせば、賢者探しにようやく行ける。
『ドキドキ、賢者に質問ツアー』の参加者はこれで――スバル、エミリア、ベアトリス、ガーフィール。そしてレムを含めた自陣営。
リカードとはここで別れ、ユリウス、アナスタシアの二人。
カルステン陣営からはクルシュとフェリス、ヴィルヘルムとケイ。エルザとメィリィにゴドフリーなる元騎士も来るらしい。いや、彼もカウントしなくては。黒竜であるギャレクもだ。
以上の15名が、世界図の東端に位置するアウグリア砂丘へ臨むメンバーになる。
世界の端も端にあるアウグリア砂丘へは、真・ロズワール邸から東へ一直線――ただし、その旅路は水門都市プリステラへと向かう道筋よりも長く、片道だけで二十日近くかかることは確定している。
つまり今回の冒険は行き帰りだけで四十日、無事に監視塔へ到着し、そこに滞在する日数のことを考えれば二ヶ月以上になる可能性のある大遠征だ。
カルステン陣営の者たちとは砂漠目前の最寄り町『ミルーラ』で合流する手筈になっている。
いよいよ、すべきことをしなくては。
その二つのことは、両方とも少女と向き合うことだった。
ペトラという見習いの少女と交わした約束を後回しにすることを謝罪して、それでも出立を応援してもらった。
「ほら見て!スバル様。最近は陽魔法だって覚えたんだから!」
『ライト』
そう言って灯るのは小さく暖かな光だった。
「ほらこうやって、人についてくるんです。すごいでしょ!」
ペトラがその小さな指でスバルを示すと光はスバルの近くに移動して、滞空する。
「おいおい、ペトラすげえな!これ地味にめっちゃ便利じゃね?」
そう言ってその淡い暖色の光に手を伸ばし、後悔した。
「あっつ!いや、そりゃそうか!」
白熱電球に触れてしまったような熱が指先に伝わり、即座に引っ込める。火傷もしていないが、これは…
まずいと思った時には時すでに遅く、不注意にお冠なペトラがそこにいた。
ペトラのお説教というか心配というか、そんな時間が延長された。
予想よりもスバルのこれからの行動の不合理さを正面から見据えることができた。これは必要な準備だったと確信できる。
最後に、メイザース家本邸のとある部屋を訪れる。
今さらではあるが、エミリア陣営の本拠地であるロズワール邸は、以前の焼け落ちた屋敷とは異なり、場所をメイザース領の本邸へと移している。
とはいえ、屋敷の間取りは以前と変わらず、中央に本棟を置き、その左右を西棟と東棟で固めた馴染みのものだ。屋敷自体の広さなどもほとんど同じであるため、屋内を歩き回っても戸惑うようなことは滅多にない。
ただ、少しばかり似すぎているせいもあって、近くにアーラム村がないことを失念しがちになるのが問題だ。スバルなどは何度か、寝起きの勢いで村までラジオ体操しにいこうとして、長い街道の途中で気付いて途方に暮れたこともある。
そのたびにベアトリスがあくせく追いかけてくるので、すごく怒られるのだ。
馴染みのあるようでない室内に入ると、目的の人物が目に入る。
「――――」
この部屋に上がり込むときだけは、自然とスバルも息を詰め、足音を忍ばせる。おそらくは大声で歌いながら、タップを刻んで入室しても室内の様子は変わらない。
それでも無意識に静寂を守ろうとするのは、その部屋の寝台に横たわる少女の眠る姿が、あまりにも見るものの心に儚げな疼痛をもたらすからかもしれない。
今すぐにでも、目覚めるものなら目覚めて欲しい深い眠り。
しかし、その眠りを妨げることに、ひどく冒涜的な何かすら感じてしまう。そう思うほどに、夢幻に沈む少女の姿は尊いものに思えるのだ。
「なんてのは、さすがに俺の主観的な意見すぎるのかね……」
呆れた口調で言いながら、スバルは寝台の横に椅子を引き、腰を下ろす。
そうして一ヶ月ぶりに足を運んだ部屋の中、一年前から一向に様子の変わらないまま、今も眠り続けるレムの寝顔と再会した。
「帰ってたのに、顔出すのが遅れてごめんな。ちょっと色々と片付けてて……それで気後れしてるうちに、最後の最後になっちまった」
「――――」
当たり前だが、眠るレムからの返事はスバルにはない。
そのことがわかっていながら声をかけるスバル、しかし表情は穏やかだ。彼女の前でだけ見せる、ナツキ・スバルの表情がそこにある。
エミリアにしか見せられない、何かをなげうつような懸命な表情。
ベアトリスにしか見せられない、命を預けるような信頼の表情。
そしてレムにしか見せられない、スバルの押し隠す弱さの表情、それがある。
「やっと、届くかもしれない」
「――――」
「期待、煽るだけ煽って駄目だったって可能性ももちろんある。賢者が名前負けのがらんどうで、知識が当てになりませんでしたごめんなさいって可能性も、ある」
「――――」
「だけど」
『暴食』を倒す以外に、ようやく明確に見えた解法に迫る手段なのだ。
その答えに至るために辿った道筋が、他者に形作られたものであることは不甲斐なさの限りではあるが、それでもやっと掴めそうな光明――。
「エキドナには、ビビッて聞けなかったから」
『聖域』で、魔女の墓所で、夢の茶会へ招かれた際、『強欲の魔女』エキドナとの対面で、スバルは魔女を拒絶することで、その支配の手を逃れた。
それはナツキ・スバルという脆い魂を守ると同時に、レムを救うための手段を知る『かもしれない』相手を遠ざける選択、それと同義でもあった。
無論、過去を知る『魔女』であるエキドナが、現在で猛威を振るう大罪司教にどこまでの見識を持つかは知れなかった。だが、それでも事情を明かせば、魔女の推測を聞くことで解法を得る一助にはなったかもしれない。
断固として魔女の要求を撥ね退けた直後は、あの決断で良かったのだと自信が持てた。
しかし時間が経過し、流れる季節や関係性がレムを置き去りにするのを感じるたびに、あのときの選択が正しかったのかどうか不安になる。
救い出すと、そう心に決めていても、何ら具体的な行動を起こせない自分が。
ただやっと、その行き詰まりの閉塞感から抜け出し、彼女のために行動できる。
都市プリステラで、レムと同じ被害に苦しむ大勢の人々――彼らを救うための、プレアデス監視塔への旅路。しかし、本音だけを語るのであれば、スバルを監視塔へ進ませるのはレムの存在、それだけに他ならない。
不順で不適切、そうわかっていて、それでもスバルは――。
「俺は、お前を取り戻すよ、レム。――それは、俺の誓いだ」
あの、最も弱かった日々に、時間に、彼女がいてくれたように。
レムが最も誰かの手を必要とする今こそ、自分がそこにいてやりたいのだ。
「――痛い」
「――ッ!?」
決意を言葉にし、強く目をつむっていたスバルはその声に顔を跳ね上げる。
まさかの驚きに目を見開いてレムを見れば、しかし彼女は静かに瞼を閉じたまま、黙ってスバルに手を握られている状態だ。
ならば今の声は――、
「放しなさい、バルス。手、見ていて痛々しいわ」
「……なんだ、ラムか」
振り返ると、部屋の入口に立つラムがスバルの方を冷たい目で見つめていた。彼女の視線に安堵し、それからスバルは自分の手――レムの手を握る掌に、思った以上の力が入っていたことに気付き、慌てて手をほどく。
「白魚のようなレムの指が、バルスの情欲に蹂躙されるのは見るに堪えるわ」
「その言い方やめてくれる?なんか、俺のさっきまでの決意が一転してこう、汚らわしい感じになるから」
握っていた手をスバルが離すと、部屋に踏み入るラムがレムのその手を取る。姉は妹の白い指、そのほっそりとした手を軽く撫でてやると、スバルを横目にした。
眠る妹の顔を覗き込み、ラムは表情を変えないままにその前髪を指でくすぐる。レムの髪の毛が白い額の上をさらりと流れ、ラムは小さく吐息した。
その横顔がスバルにはひどく、優しげに見えて。
記憶がなくても、思い出が失われても、絆までもが消えるわけではない。
仮に消えたとしても、また紡げないわけでもない。そう思った。
「まぁ、そこんとこは任せておけよ。『賢者』の監視塔、バッチリ攻略して、きっとレムを起こしてきてやらぁ。そしたら、姉妹感動のご対面ってやつだ」
だから、殊更に大きい声で、スバルは馬鹿に明るくそう言ってみせた。
神妙な空気は、少なくともスバルとラムの間には似合わない。
ただ、ラムはそんなスバルの発言に、やけに不思議そうな顔で振り返る。
「何を言っているの、バルス」
「あん?」
そして、ラムは小馬鹿にするような目つきになると、スバルに向かって言った。
「今回の旅、ラムも同行するんだから、その言い方は恩着せがましすぎるでしょう。感動の対面になるなら、ラムの方で勝手にやるわ」
「初耳なんですけど!?」
目を剥くスバルの反応に、ラムがいっそう見下すような目を向けてくる。
だが、そんな目をされても知らないものは知らないし、聞いてない話は聞いていないのだから理不尽だ。
「――――」
何事なのかと問い詰めるスバルに、ラムは耳を塞いで拒絶の態度。
結局、まともな話し合いにならないままに、この準備日も過ぎていく。
――ラムとレム、姉妹揃っての同行確定。
『賢者』シャウラに会うための、プレアデス監視塔攻略ツアー。
都合、参加者は合計16名の超大所帯、そういう塩梅になりそうであった。
お次は1時間後に。
前章は、ルグニカ王国内乱『前編』でしたのでひとまず別へと視点は移ります。