約一ヶ月に及ぶ行程は道のりこそ長くはあったが、道中には特別これといったアクシデントは起こらなかった。
街道を一路、東へ向かって直進しながら、何も起きない旅路は退屈なものだ。
大型の竜車を引っ張る二頭の地竜の前を、スバルのパトラッシュとユリウスの青い騎竜が先導している。
全員が竜車の中にいては、有事の際の反応が遅れる。ということでの布陣ではあるのだが、退屈紛れの会話が示す通り、旅路は平穏そのものだ。
「ふわ……」
「スバル」
退屈が過ぎる上に、代わり映えのない景色が続けば欠伸も出る。口に手を当てて思わず眠気を膨らませるスバルに、ユリウスは咎めるような目を向けてきた。
彼は己の愛竜に体重を預けながら、『風除けの加護』に守られて揺れることのない前髪をさっとかき上げてみせる。
「緊張感が持続しない気持ちもわかるが、張っていた気が緩んだ瞬間が最も危ないとされるときだ。気を抜くなとは言わないが、誰の目からも見える形でだらけているのはいただけないな」
「欠伸一つでどんだけ言うんだよ。お前だって欠伸ぐらいすんだろ。するよな?」
「無論、そうした生理現象は私にもあるさ。ただ、騎士の自覚があれば人前に出さない程度に抑え込むことは可能だろう?君にはまだ、それが足りない」
「へいへい」
「私や君が警戒していなくて、どうして……」
「そんなにピリピリしてなくても、そうそう奴らも襲いかかってこねぇよ。あいつらが仕掛けてくるなら、こんなだだっ広いとこでやらねぇさ」
「――――」
言葉を遮り、首の骨を鳴らしてスバルはそう言った。そのスバルの言葉に意表を突かれたように、ユリウスは目を瞬かせている。
それからすぐ、美丈夫は小さく吐息をこぼした。
「焦っていると、君の目からも今の私は歴然なのかな?」
「当てずっぽ感はあるけどな。でも、気張りすぎってのは全員が思ってると思うぜ。いつも通りっていやいつも通りかもしれねぇけど……」
「そのいつもがわかるのは、今は君だけだからね」
「……そうな」
ユリウスの声の調子が落ちると、自然とスバルの方の声も低くなる。
もう少し、腹を割って話すべきことを話しておく場面だろうか。
精霊不在の精霊騎士。
同じ精霊騎士として、その深刻さはわかっているつもりだ。
その点について聞いてみればやはり、状況は変わっていないようだった。
「今の私は剣技でしか騎士の務めを果たせない。もちろん、剣が精霊術に劣るなどと思わないが、私自身の力量が不足するのは事実だ」
「ラインハルトもそうだけど、お前らって自分を過小評価する悪癖があるよな。謙遜も過ぎれば毒!これはどこででも通用する言葉だと思うぞ」
「そっくりそのままお返ししたいところだが、どうだろう。――君や私はともかく、ラインハルトのそれは謙遜とも過小評価とも異なるもののはずだよ」
「謙遜とも過小評価とも違う……?」
同時に浮かべた赤毛の英雄だが、彼に対する認識の違いに首を傾げる。
「ラインハルトの実力に関して、高く評価している点では君と私は同じだよ。というより、彼を知る全ての人間が共通の感情を抱くはずだ。彼こそが人類の到達点、あるいは超越者とされる存在なのだと」
「それが言いすぎじゃないのがすげぇよ」
「実力だけでなく、彼の在り方は自覚まで完成されている。私が彼と初めて会ったのは十に満たない頃だったが……ずっと変わらないよ」
「十歳の頃からあれって、マジか」
パトラッシュの手綱を握りながら、ユリウスの述懐にスバルは愕然となる。
ラインハルトがいったいいつ、今のラインハルトになったのか。なんとも哲学的な問答に思えるものだが、少なくとも十年近く前には完成されていたらしい。
「どんな気分なんだろうな」
「うん?」
「五歳のときから、祖母ちゃんの加護を引き継いで、おまけに伝説の英雄の血を継いでる家系なんだろ?どんな気分で過ごすんだか想像がつかねぇよ」
「さすがに、当時の彼が何を思っていたのかまでは私にもわからないな。ただ」
そこで一度、言葉を区切ったユリウスは顔を上げる。
手綱を握りしめ、正面を見つめるユリウスは、注ぐ太陽光に眩しげに目を細めた。
「――あのとき、ラインハルトを見かけたことは私の大きな転機だった」
どこか、誇らしげにさえ聞こえる言葉だった。
その後も、ユリウスの生い立ちや元々ユークリウス家で育っていなかった彼が当主になるべく見込まれて教育された話を聞いていく。
「なんでそれ、急に俺に話す気になったんだ?」
「聞いてきたのは君だったと思ったが、私の勘違いだろうか?」
「いや、そうじゃねぇけど……それは俺が悪いけど、でも、そうじゃないだろ。お前がこんな話、俺にするなんて変じゃねぇか」
「そうでもない。ラインハルトやフェリス、近衛騎士団では周知の事実だ。当然、アナスタシア様も知っている、特別な話ではないよ」
「――――」
微妙に納得がいかず、スバルは口をへの字に曲げる。
誰もが知っていることだ、とは言われても、だからといって自分から吹聴して回るような事柄でもない。やはり、不自然な言葉のように思えた。
そんなスバルの不満が、唇を曲げた表情からユリウスに伝わったのだろうか。
彼は手綱を引き、少しだけ愛竜の足を速めると、
「そう、皆が知っていた話だ。――だから今、君にも知ってもらいたかったのかも知れない。今の世で、私以外に最も私を覚えている君に」
青い地竜が尾を振りながら加速し、ユリウスの表情は見えなくなる。
「――――」
「ん、大丈夫だ。気ぃ遣ってくれてありがとよ、パトラッシュ」
走る漆黒の地竜が首をもたげ、スバルの方を窺ってくる。「前の地竜に並んであげましょうか?」といった仕草に、スバルはその淑女の首を撫でて感謝を表した。
「……らしくね」
小さく、拗ねたような言葉が口をついて出た。
「ああ、クソ。馬鹿か俺は。いや、馬鹿だ俺は……」
頭を掻き毟り、スバルは口の中だけでその苛立ちを吐き捨てた。
結局、このときのユリウスの言葉への、的確な返答は何も浮かんでこなかった。
そしてそれは、アウグリア砂丘を目前とするまで出てこない。
一行が砂丘の最寄りの町、『ミルーラ』へ到着しても、出てこなかった。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
アウグリア砂丘最寄りの町、『ミルーラ』は有体に言って寂れた宿場町だ。
町の規模はそれなりではあるが、当然、水門都市プリステラや工業都市コスツール、王都ルグニカとは比較にならないほど小さい。
王国内に張り巡らされる街道はどこも整備されており、ミルーラまでの道のりも竜車で安定した旅路ではあったが、その東端の終着点にしては寂しい限りだ。
「だけど、仕方ないのかもしれないわね。地図で見ると、ここから東には本当にアウグリア砂丘しかないし……南には王国最大の大森林でしょう? 五大都市からも離れてるし、人の行き交いが少ないのもわかる」
町を見て回りながら、スバルの隣を歩くエミリアがそんな所感を漏らす。
「東に南に発展のしようがない上に、極めつけはこの砂風か。キツイな」
エミリアを風下に立たせ、ささやかな抵抗として風上側に立つスバルも、顔に巻いていた布を引き上げ、口元を隠しながらそう呟く。舌を動かすと、歯と歯の間を擦れる砂の感触があり、なんとも気分が悪くなる。
カルステン陣営との合流までにはまだ2日ほど時間があった。
それまでに砂丘の事前調査や装備の変更などやるべきことは多々あるが、それができそうな場所はあまり多くなさそうだ。
寂れた酒場に入ってミルクをもらい、話を聞くがめぼしい情報はあまりなさそうだった。
「悪いこと言わんから死ぬ前に帰れ」
これが彼の総意であったようだ。きっと善人なのだろう。
忍耐強く聞いていくと、色々と教えてくれた。
魔獣の群生地であるというのは間違いなく、中でも『花魁熊』の群れは厄介であるということ。他の固有種も危険なものばかりであるが、それ以上に砂丘に満ちる瘴気にこそ気をつけろと警告された。
そうして最後には、警告で締められる。
「あんなところ、行かずに済むならその方がずっといい。そうしろ」
「――ミルク、ご馳走様でした。お話も、ありがとうございます」
話を締め括りにかかる店主に、エミリアはホットミルクを飲み干して礼を述べる。
途中から、店主も柔らかに話を聞き出されている自覚はあったのだろう。その上でここまで言葉を続け、スバルたちの方針を曲げさせようとした。
ただ悲しいかな。それでも、スバルたちの目指す場所は変わらないのだ。
「御代は置いておきます。スバル、いきましょう」
「ん……そだね」
取り出した銀貨をカウンターに置いて、エミリアがスバルの袖を引いた。ミルク二杯には高すぎる支払いだが、情報と気遣いの分のチップが込みだ。
立ち上がり、店主に礼を言って店を出ようとする。
「――ここ一年ぐらいの話だが、砂丘の方へ飛んでいく鳥を見かけるようになった」
「――――」
ローブを被り直し、砂風に備えるスバルたちの背中に声がかかる。振り向くと店主はこちらに背を向け、グラスを拭きながら独り言のような調子で続ける。
「見かける連中の話じゃ、その鳥は塔を目指して飛んでるなんて笑い話が広がってるぐらいだ。何の根拠もない話だが……」
そこで言葉を切り、店主はグラスを置いた。
そして、
「もしも砂丘で頼りがなくなったら、鳥を探してみろ。運が良ければ、塔まで連れていってもらえるかもしれん」
「――――」
「砂丘で頼りがなくなる時点で、運は最悪に決まってるがな」
店主の言葉に返事のないまま、スバルとエミリアは店を出た。
外へ出ると、砂風の勢いはだいぶ弱まっている。酒場に入ったときより幾分か視界が開けているのを確かめ、エミリアがスバルへ振り返った。
「いったん、宿に戻ってみんなと合流しましょう。アナスタシアさんたちも戻ってきてる頃かもしれないし」
「そうだね。向こうの収穫も気になる」
再び顔を覆ったエミリアの前に立ち、風除けになりながら歩き出す。
そうして酒場が見えなくなるまで離れたあたりで、エミリアが小さく呟く。
「さっきのお店の人、片足がなかった」
「……気付かなかったな」
「どこでしたケガかわからないけど……でも、そういうことじゃないかな」
エミリアの思わしげな言葉に、スバルも彼女の言いたいことがわかる。
見ず知らずの旅行者二人に、結構に親身になって砂丘の危険性を訴えた店主。
それが彼の経験談による忠告だったとしたら、その気遣いを振り切って砂丘へ挑む自分たちはひどい奴らだ。そんな風に感じた。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
そして数日後、予定通りにカルステン陣営が到着する。
やはりヴィルヘルムさんが一緒にいるのは心強い。しかし、続いて出てきた人物には思わずお腹と首を抑えて後退させられた。
『腸狩り』のエルザ。彼女を見るのは何度目になるかわからないが慣れてきてはいたのだ。しかし、直近の水門都市で殺され過ぎた。
彼女を前にすると体が死を感じるようになっている。この世界に来てからの同一の死因で彼女による斬殺がぶっちぎりで一位であるため仕方ない。
「嫌すぎだろ。このパブロフ。ええい。気をしっかり持ちやがれ。あれは俺のためだったろうが」
「スバル殿。ご健勝で何よりですな。お待たせしてしまったようですが、問題はございませんか?」
「ええ、大丈夫ですよ。ヴィルヘルムさん。万事問題なし!これから元気に砂漠ツアーを楽しみましょう」
おどけた様子にいつもの調子を感じ取り、ヴィルヘルムは優しく微笑んだ。
「しかし、おかしいですな。クルシュ様やケイ殿は我々よりも少し早めに着いているはず。空はそうそう問題も起こらぬとあっては、本邸の方で何かあったやもしれません」
おや、ケイが遅刻とは確かにあまりに似合わない。きっと何かがあったのだろうと思うのもわかるが、そこまで厳密にスケジュールを組んでいるのだろうか。いや、組んでいるんだろうな。非常に高い時刻を示す魔造具を陣営の者たち全員に配っているとも聞いた。
だがまぁ、彼の解決能力ならばきっとすぐに合流するだろう。
そう楽観的に構えていたが、彼は一週間が経っても音沙汰がなかった。
明らかな異常ではあるが、そんなイレギュラーすらも計画にはあったらしい。
「皆様。大変申し訳ありませんが我が陣営には何かの問題が起きたようです。事前に説明させていただいた通り、我らだけで向かうことにいたしましょう」
ケイたちの合流ができなくなる事態にはどうするべきか。そんな指示書まであって驚いた。
幾度か砂丘に挑み、そして町に戻ることを繰り返していたため砂漠を進むのには慣れ始めている。
準備は万全だが、いきなりの予定外。
不穏な雰囲気はどうしても拭えないままに、一行は監視塔を目指し始める。
お次は21時に