亜人:ゼロから始める異世界生活   作:ZAT23

133 / 236
【FILE:133】第二の試験

 

――プレアデス監視塔、二層『エレクトラ』での『試験』が始まる。

 

場所は監視塔、第二層、白亜の領域。

試験官は部屋の奥に悠然と佇む、鮫のように笑った赤毛の男。

 

「全力でいかせてもらう――!」

 

「――――」

 

一歩、前傾姿勢になるユリウスが口上と共に踏み込んだ。

その腕から、男へ向けて柔らかく投じられるのは、元々、この『エレクトラ』の床に突き立っていた選定の剣だ。縦回転する剣が放物線を描き、男に向かうがそれを難なく受け取り、相手は嗤う。

 

「なンだ、オメエ。オレに剣渡すなンざ何のつもりだ。死にてえのか」

 

「無手の相手に斬りかかるような無粋、騎士として恥ずべき行為だ」

 

「かっ!笑わせやがる。――素手じゃねえよ、よく見ろ、オメエ」

 

踏み込むユリウスへ、男が牙を剥いて凶悪に笑う。そのまま、男は手にした剣を雑に放り捨てた。

 

「――っ!その言葉、後悔しないことだ!」

 

正々堂々、その心遣いを無下にされ、頬を硬くしたユリウスが騎士剣を抜き放つ。

 

細身の剣は一直線に、真剣勝負の場を穢す無礼者への鉄槌となる。

その、雷光のような刺突が――、

 

「可愛く吠えンなよ、間抜け。綺麗な面してンだ。泣かせて興奮したら困ンだろ?」

 

快活に笑い、『棒振り』がその右手で自分の胸をぼりぼりと掻く。その素振りには直前までの様子と何ら変わりがない。

 

しかし、彼の左手は恐るべき正確さで、ユリウスの刺突を摘まんでいた。

それも――、

 

「――木の、枝?」

 

「違えよ、よく見ろ、目が悪ぃのか、オメエ。箸だ、箸。ツマミ喰うのにいンだろうが、箸。だから、持ち歩いてンだよ」

 

遠目にも歪な形をした木の棒――『棒振り』はそれを左手で器用に操り、思わず呻いたスバルの知識と同じように扱ってみせる。この世界にも箸があるのは、プリステラでの滞在で身をもって体感したが、こうも完璧に使いこなす人間は初めて見た。

 

――否、どれだけ完璧に使いこなせたとしても、箸で一級品の剣技を受け止めてみせるなどとても人間業とはいえない。

 

「笑わせンな、オメエ。一番いい角度に、一番いい速さで、一番いい感じに、一番うまく振り回せば――箸だろうと、斬れねえもンなんかねえよ」

 

「ぐ……ッ」

 

 

ユリウスは腕に力を込め、二本の箸に先端を止められた騎士剣を取り戻そうとする。だが、その細い箸にどれだけの力が入っているのか、剣は微動だにしない。

 

「力むな、力むな……笑えよ、オメエ。笑った方が美人だぜ。男じゃ意味ねえが」

 

ふいに剣の拘束が緩み、ユリウスは込めた力の矛先に刹那だけ戸惑った。その刹那の隙に身を回し、男の素足が跳ね上がる。それが凄まじい威力となって、ユリウスの細い腰の真上を蹴りつけ、弾き飛ばした。

 

「ユリウスっ!」

 

思わず叫ぶエキドナ。その声など意に介さず、誰よりも我が儘な男が自由に跳ねる。

そして、空中で姿勢を制御できずにいる彼を追い、

 

「かっ!」

 

『棒振り』の長身が、弾丸のような速度でユリウスへ追い縋る。ありえない身体能力でユリウスの真上へ追いつく『棒振り』、彼はその右手と左手にそれぞれ箸を一本ずつ構え、ユリウス目掛けて嵐のように斬撃――斬撃と言っていいものかわからないが、箸による暴力を叩きつける。

 

エキドナが衝動的にその指を敵に向けるが、それはヴィルヘルムによって止められた。

 

「っ邪魔を…!」

 

「冷静に、彼は死にません。それはあなたのもの(オド)ではない。使うことは本意ですかな」

 

横槍を止められ、阻むものがない暴威は騎士を蹂躙する。

 

おちょくるように――否、事実、盛大におちょくりながらユリウスを嬲り続ける。

そうだ。その一撃全てが命を奪える余裕があった。なのに、ユリウスには裂傷の一つもなく綺麗に転がされ続ける。

 

相手は全くと言っていいほど、殺意がなかった。

もはや無垢とすら言える子供のごとき悪戯心。悪意とも呼べないそれに騎士の誇りが汚される。

 

「彼ばっかり、ずるいわ。私とも、踊ってくださる?」

 

エルザが援護を!?スバルは驚愕するがその表情をみて見当違いを悟る。

 

獰猛な笑みを浮かべる彼女の目にはユリウスが入っていない。見ているのは敵だけだ。

 

「ハっ!エロマブ女もやんのか。いいぜ遊んでやんよ、オメエ。んで、今晩酌しろ。」

 

そうしてエルザが切り結ぶ。その全てを、箸で迎撃されるという屈辱。

かつての彼女であれば頭に血が上っていただろうが、この一年間の修練が脳裏に冷静さを打ち込んでいた。

 

あの悪魔のような男の煽りを受け続けたのだ。煽り耐性は一番に伸びた力かもしれない。

 

殺意はなし。

技量は異常。

おそらく、人間。

 

 

「考え事かオメエ。オレだけ見とけ。オレはそのデケエのだけ見てっからよ」

 

正面からエルザの剣技が押し潰される。

その目線はエルザの胸の振動を見続けているというのに。

 

全ては技量だ。その卓越した技量において勝てる気がしない。

 

なら、そこで勝負しなければいいだけなのだが。

 

いくつか仕込んでいる服飾の宝石に見せかけた魔石。胸元のそれが炸裂し、閃光が空間を塗りつぶす。

自傷も辞さない捨て身の目潰し。

 

これで怯む相手でもないだろうが、物理的に見えはしないはず。

 

そしてそのままに糸をばら撒いた。

 

アラクネの毒糸。触れるだけで麻痺毒が回る。

普通ならこれで終わりだが、きっとこの相手なら…

 

「今のはオメエ、オレ好みじゃねえか。そそるぜ、オメエ」

 

そう言って、その糸を空中で切り裂いた。

それも目を閉じたまま。

 

「素敵ね。燃えるわ」

 

そう言うと、本当に空間が燃えた。

糸が切られる前から、すでに魔造具は起動していた。

 

広範囲に広がる火を、男は再び切り裂く。

 

糸を切り、火を切る。スバルには信じ難い光景だが、エルザにとっては割と見慣れたものだ。

 

けれど全てを消すことはできない。剣士は切るものだから。消滅はさせたりしない。

 

空中で刻まれた糸に引火する。麻痺毒だけでなく引火性の油も染み込ませていた。

 

「くっせえな、オイ。人様の周りでボヤ起こすンじゃねえぞオメエ」

 

空気中に満ちるのは、気化した麻痺毒だったもの。そして気化した際に毒ガスになるよう仕込まれた薬品だった。

 

「オイ。あんまナメんなよオメエ。くっせえ空気くらい切れねーとでも思ってんのかオメエ」

 

数度はしを振りかぶる。それだけで男はそこに悠然と佇んでいる。

 

十分に吸ったはず。しかし、効いていない?いや、本当に空気中の毒を切ったのか?

 

一体どうやって?

 

次なる道具を取り出すその手を箸で摘まれる。

その速度に一切反応できなかった。

 

 

「今日のところはシメだ。寝てろやオメエ。また来ンなら次は抱いてやるよ」

 

箸による一閃。エルザが吹き飛び、器用に意識だけを奪う。通常の人間にとっての致命傷を与えられたなら即座に復帰できたろうが非殺傷の攻撃はエルザにとっても鬼門であった。

 

 

その隙に態勢を立て直したユリウスが再び迫る。

圧倒的力量差、それを理解しながらもユリウスが吠え、男へ吶喊する。あれほどの連撃を浴びながら、手放さなかった騎士剣が唸りを上げて蛇のように喰らいつく。

義憤と使命感に背を押されながらも、流麗かつ優美な剣撃――それはあるいは、騎士として修められる剣技の最高峰だったのかもしれない。

 

それを手に入れるのに、いったい、どれだけの月日が、修練が、血の滲むような努力の日々があったのか、わからないほどに。

 

なのに――、

 

「遊びか、オメエ。遊ンでンのか、オメエ。手ぇ抜いてンじゃねえぞ、オメエ」

 

「――ッ」

 

「なンだ、これ。笑わせンなよ、オメエ。本気出せや、オメエ。本気でやってンのか、オメエ。本気でやっててこれなら……とンだ、期待外れだぜ、オメエ」

 

刺突が止められ、斬撃が弾かれ、連撃が撃ち落とされ、必殺がいなされる。

ユリウスの積み重ねてきた剣技が、騎士として修めてきた全てが、『棒振り』を自称する男の退屈そうな吐息に、恐ろしく美しく凶悪に振り回される、二本の箸に。

 

たかだか、二本の棒切れに、ユリウスの『半生』が踏み躙られる――。

 

「なに、一人で戦ってンだ、オメエ。これはオメエの戦い方じゃねえな。――だから、つまンねえな、オメエ。エロマブの方がまだやってンぞオイ」

 

ユリウスの剣閃、細い騎士剣がこれまでに幾億と繰り返された銀閃をなぞった。

にも拘らずそれは、傍観する誰の目にも明らかなほどに、迷いのある剣撃で。

 

箸が、その剣閃に横合いから割り込んだ。

次の瞬間、翻る棒切れが易々と、鋼の騎士剣を半ばで断つ――ただただ軽やかな音を立てて、ユリウスの騎士剣が真っ二つに折れた。

 

驚愕に目を見開くユリウス。この時に折れたのは愛用の剣だけというわけにはいかなかった。

 

「寝ろ」

 

吐き捨てる一言と共に、恐るべき拳骨がユリウスの横っ面に突き刺さった。

 

「――――」

 

容赦のない一撃が、ユリウスの端正な横顔を歪めるほどにぶち抜く。重々しい威力が一瞬で彼の意識を刈り取り、糸が切れた人形のようにユリウスの体は慣性に従って吹き飛び、転がり、猛然と滑って――エキドナのすぐ傍らに倒れた。

 

 

「さって、次は……」

 

その時にはすでに、虎が男に襲いかかっていた。

 

「っるるるあァァああ!!!」

 

「オメエら。なンで丁寧に一人ずつ来やがる?なめてンのかオイ。いけると思ってンのかよオメエ」

 

拳撃を迎え撃つのは剣撃だ。

 

箸によって行われるそれを軽んじるものなど、もはやここにはいない。

流れるような連撃が放たれる。剣という道具を使っている以上、無手に籠手を付けただけのガーフィールの手数の方が上回る。はずだった。

 

 

「オイコラ。じゃれてンな猫。猫じゃらしどこだオメエ。それがあンならそれでやってやンのによ」

 

純粋な手数で押され、そして重さで上回られる。

人間相手に虎の獣人のハーフであるガーフィールが負けるなどあり得なかった。実際に筋肉量や単純な出力では優っているのだろう。

 

だが、それも全ては目の前の『棒振り』に意味をなさない。

 

「てめェ…!ほんッとにそうなのかよ!?」

 

だってそれは、あり得ないことだった。

『棒振り』を騙るものはごまんといる。歴史上でも我こそは『天剣』へと至ったものであると自称し無様に散ったものもいた。

 

ガーフィールはエルザと同じだ。

知識によってではなく、肌で感じ、鼻で嗅ぎ取り、何よりその体を以て事実を受け止める。

 

だからこそ、この技量と力に説き伏せられる。

 

これは、間違いなく…

 

誰よりも、タフネスには自信があった。ユリウスなら吹き飛ぶ一撃であっても耐え忍び、エルザが意識を奪われるほどの技であってもガーフィールは倒れない。

 

それでも、相手は全てを上回ってねじ伏せる。

渾身の一撃が迫る。両手で迎撃をと構えるが、腕が上がらない。

 

「なァ…!?」

 

気付かぬうちに、両肩が外されていた。箸で?戦闘中に?どうやって?

 

そんな疑問を自覚する前に、相手の名前を脳裏に描く前に、光ってさえいるように見えた剣撃がその意識を刈り取った。

 

 

 

そこに立つのは赤い男だけ。

 

「かっ!おかわりってか」

 

準備運動を終えた、とばかりに首を鳴らし、男がこちらへ振り返る。

 

「――アイスブランドアーツ、アイシクルライン」

 

「――――」

 

白い空間に光が舞った。

それは青白く煌めく光の乱舞、かろうじて目に捉えることが可能な氷の粒子――エミリアの絶対魔力が生み出した、氷雪結界『アイシクルライン』。

 

「私はエミリア、ただのエミリアです。あなた本当に強いのね」

 

男はその指摘に「オイオイ」と肩をすくめて、

 

「当たり前だろ。オメエ。俺が誰だか分かっても、分かってなくても男なら見りゃわかンだろ。わかンねえか、女だもンな。激マブだもンな。今晩付き合えよ、オメエ」

 

「ごめん、ちょっと何言ってるのかわかんない。それに、あなたはエルザを誘ったでしょう?順番は守らないとダメよ」

 

そう言ってまるで叱りつけるような物言いに男は笑い、続く言葉に笑みをさらに深めた。

 

「私はきっと、あなたと戦っても勝てないと思うの」

 

「え、エミリア……?」

 

魔力を全霊で展開し、戦闘準備を整えながらもエミリアは堂々とそう言った。その発言に『棒振り』は目を丸くし、硬直していたスバルも喉から声を絞り出す。

その呼びかけにエミリアは「ごめんね」とスバルに断って、

 

「あなたは、すごーく強い。それは、見ててわかりました。だけど、私たちは『試験』を乗り越えなきゃいけないの。だから、勝てる方法を用意してください」

 

「…………」

 

「一歩。それだけでもあなたを動かせたら、私たちの勝ち。それで勝負しましょう。……ダメ?」

 

それは何とも、どこまでも、馬鹿馬鹿しいほどに、図々しい申し出で。

その図々しい物言いに、『棒振り』はしばらく黙り込んだかと思うと――、

 

「かっ!」

 

と、歯を噛み合わせるように短く笑い、その青い目を見開いてエミリアを見た。それからじっくりと、男はエミリアの全身を舐めるように眺めると、

 

「――いいな、嫌いじゃねえぞ、オメエ。オレ相手によくぞそンだけ言った。トリーシャ以来の大馬鹿だぜ、オメエ。気に入った」

 

「じゃあ、『試験』は合格?」

 

「そこまで大盤振る舞いはしねえよ、オメエ!けど、いいぜ。いい女の前でカッコつけちまったかンな。カッコつけちまったからには最後までカッコつけねえと、死ンでも死にきれねえ。――オメエの言う通りにしてやンよ」

 

「合格……」

 

「……一歩でもオレを動かせたらオメエの勝ちだ!」

 

図々しくも食い下がるエミリアに、『棒振り』はどこか毒気を抜かれた顔で声を荒らげた。それを受けてエミリアは頷くと、スバルの方へ視線を向けて、

 

「大丈夫。向こうは殺す気はないみたいだし……私も、本気でいってみるから」

 

「エミリア様」

 

ヴィルヘルムが声をかける。

 

「真っ直ぐに、あなたの、そのままに」

 

スバルには正直意味不明なそのやり取り。

実のところかなり脳筋であるエミリアには、それで十分だったようだ。

 

エミリアが言葉に押され迷いなく一歩前に出た。そして、凛とした横顔のまま、エミリアはその両腕を『棒振り』へ向ける。

 

「激マブな面して、したたかじゃねえか、オメエ」

 

太い腕を組み、圧倒的不利の立場にありながら男はただ獰猛に笑った。

 

「やれることを精一杯やるのが、私たちのやり方なの、ヨソはヨソ!ウチはウ、チ!」

 

その男の笑みを目掛け、エミリアが声に力を込めた直後――青白い光の乱舞するフィールドに、大気のひび割れる音が連鎖し、次々に氷の武器が形成される。

 

剣があり、槍があり、斧があり、矛があり、矢があり、無数の武器がある。

 

アイスブランドアーツ、アイシクルライン――エミリアの膨大な魔力を使った、限定的な絶対破壊空間、スバルの考案した絶技が今、発動する。

 

「えい、や!!」

 

エミリアの声と同時、その鋭い先端を男へ向けていた武器が、四方八方から一斉に『棒振り』へと目掛けて飛びかかった。

 

死角からも襲いかかる同時攻撃、それは正しく、防ぎようのない全体攻撃だ。

それに対し、男は再び、己の両手に二本の箸をそれぞれ持つと、無数の剣閃ならぬ、箸による暴威が荒れ狂った。

 

氷の、美しく切断される情景が、芸術的に繰り広げられる。

 

エミリアの剣舞が、操槌が、抜刀が、投槍が、その全てが斬られていく。

 

「ふん!えい!てりゃ!」

 

エミリアの攻撃がありない動きで避けられる。膝を90度に曲げて、体を床と平行にすることで双剣の一撃を避ける。

 

「かっ!」

「わっ」

 

膝を曲げ、床に寝そべるような姿勢から、男は強靭な足首の力だけで体を支える。一方、攻撃を空振ったエミリアは勢いに負け、腕を広げたまま一歩、下がった。

 

この戦いの中で、エミリアが初めて見せた、致命的なまでの隙――男にとっては幾度も機会はあったのだろうが、これはその中でもとびきり最悪の刹那だ。

 

そこへ、男は曲げた膝を伸ばして体を跳ね上げ、姿勢を戻す。エミリアは隙だらけのまま、舞い戻った男の様子に奥歯を噛んだ。

その瞬間、男はこれまでで最も獰猛に歯を剥き、鮫の笑みのまま前傾になり、

 

「隙あり」

 

手にした箸を使って、エミリアの双丘を下からすくい上げるように撫でた。

 

「な――」

 

エミリアは普段通りの白い衣装、白く滑らかな肌が見える格好だ。その胸部分を箸で撫で付け、豊かな膨らみを淫猥に歪ませ、男の野卑な笑みが深まる。

その卑猥な行いに、男は満足げに「かっ!」と喉を鳴らすと、

 

「役得、役得。これしきのことで怒ンじゃ……」

 

「とりゃ!」

 

「ごぁっ――!?」

 

頭上で両手を組んだエミリア、『100t』と彫られた氷のハンマーが打ち落とされ、下卑た笑みを浮かべた男の頭頂部を直撃する。

一撃に氷が砕けるほどの威力、硬い衝撃音が響き渡り、その威力に男は「ぐおおおお!」と悲鳴を上げ、頭を抱えてその場にゴロゴロと転がった。

 

ちなみにスバルにこれを入れるよう言われて入れているが、その文字の意味をエミリアは知らない。

 

「痛ぇぇぇッ!な、何考えてンだ、オメエ!?普通、あンな真似されたら女は行動が鈍ンだろうが!一瞬も躊躇わなかったぞ、オメエ!?」

 

「――?体に触られただけでしょう?あなた、隙だらけだったもの」

 

「ざっけンな!どういう育ち方してンだ!親は何してやがったンだ!」

 

殴られた頭をさすりながら、地面に胡坐を掻く『棒振り』が声高に訴える。

 

「……何か、変なこと言った?」

 

「おい!この激マブ何とかしろ!外歩かせンな!雑魚!オメエ付き人だろうが!オメエ、ちゃンとしろや、しゃンとしろや、痛えな、オメエ、クソ……!」

 

スバルは、あまりの出来事に激昂する間すら奪われる。

 

「お、前に、エミリアのことであれこれ言われる筋合いはねぇよ。それより……」

 

「あぁン!?」

 

気圧されながらも、スバルは荒ぶる男の言葉に何とか言い返した。そして、エミリアに卑猥な手を伸ばした事実への怒りをいったん後回しに、男を指差す。

それから、告げた。

 

「一歩どころじゃなく、動いてる」

 

「――――」

 

「あ!ホントね!やった!私の勝ち!」

 

スバルの指摘に男が黙り込み、代わりにエミリアが両手を合わせて飛び跳ねる。

彼女の周りではその感情に呼応し、氷の魔力が次々と花となって咲き乱れ、エミリアの勝利を自分自身で祝うように花開くのがわかった。

 

男の提示した、自分を一歩でも動かしてみろという条件は達成された。

それは誰の目にも明らかで、男がごねない限りは、適用されるはずだ。

 

「お前は、どう出る?」

 

はっきり言って、力関係は歴然。相手の匙加減でどうとでもなってしまう状況だ。

相手の出方を伺うしかないが…

 

「あー、仕方ねえ。言ったことは言ったことだ。スケベ心に足すくわれるなンざ笑い話にしかなンねえが、仕方あンめえよ」

 

「み、認めるのか……!?」

 

「オメエ、オレを何だと思ってやがンだ。ここで食い下がったら、せっかくカッコつけたオレの株が下がンだろうが、オメエ。取り返しつかねえだろうが、オメエ。そンなことになって、責任取れンのか、オメエ。女寄り付かなくなンだろ、オメエ」

 

「現時点で、株なんか下がりようがないぐらい最低の負け方してるぞ……」

 

「るせえよ、雑魚が!雑魚っつーか、稚魚が!稚魚が喚くな、オメエ。とにかくその激マブの勝ちだ。通してやるよ。それが条件だ。しゃああンめえ」

 

がりがりと乱暴に頭を掻いて、『棒振り』は堂々と自らの敗北を認めた。

潔いのか潔くないのか、わけのわからぬ口上。しかし、その宣言が出た以上は、スバルもこれ以上は食い下がるつもりはない。

 

男との攻防で倒れた戦士たち。彼らはおそらくは治癒魔法や緑部屋に運び込めば十分に回復が見込める範囲だ。

 

そう。緑部屋には人を癒す機能があった。まるでこの状況を想定されているかのように。

あの部屋にいるだけで部屋そのものが精霊である植物が人を癒してくれるのだ。

 

それより、今は目の前の勝利だ。

第二の『試験』としては、あまりに手応えがないように思えるが――、

 

「――で、次は稚魚がやンのか?それとも、まさかジャリ二人のどっちかかよ」

 

「え?」

 

上の階層へ向かえる。

その理解に思考を走らせていたスバルは、続く男の言葉に目を見張った。その反応に男はゆっくりと立ち上がり、着流しの左肩――剥き出しになっていた右肩同様に、左肩を抜いて、こちらへ向き直る。

 

――空気が、焼ける臭いがした。

 

それが、男から迸る桁違いの剣気――先ほどまでのそれが遊びに思えるほどの、劇的な変化による本能の訴えであると、スバルは遅れて理解して。

 

「オメエの女がまず一人」

 

「――――」

 

「次は、誰がオレを抜いてくれンだ。――なぁ、オメエよ」

 

そうして仲間たちを見渡すと、スバルは違和感にようやく気づいた。

 

「お互いわかってンだろうが一応言っとく。その老木が来んなら、手加減なしで切り捨てンぞ。わかってンなオメエ」

 

そうだ。おかしかった。ずっとヴィルヘルムが動いていない。

そんなことにも気づかなかったスバルは自身の混乱を自覚した。彼ならば真っ先に切り掛かっているべきなのに。

 

「ンな才能ねえくせに、なンでそこまで研いでやがるオメエ。先細って折れる寸前じゃねえかオイ。なんでまだ折れてねえのかわけわかンねえなオメエ。頭おかしいんじゃねえのかオメエ。無理すンなオイ」

 

その男の、ヴィルヘルムへの評価はどこかおかしかった。まるで人に向ける言葉ではない。

 

「不自然できめえからよ。オメエが来るなら斬り殺してやンよ。それが自然ってもンだろ、なあ。オイ」

 

ヴィルヘルムは答えず、動かない。きっとこの言葉は真実なのだ。

 

 

 

大図書館プレイアデス、第二層『エレクトラ』の試験。

制限時間『条件付無制限』。挑戦回数『条件付無制限』。挑戦者『条件付無制限』。

 

――達成者、エミリア。

――未達成者、スバル、ベアトリス、ガーフィール、ラム、レム、ユリウス、エキドナ、エルザ、メィリィ、ゴドフリー、ヴィルヘルム。

 

 

――『試験』、続行。




戦争は平和なり 自由は隷従なり 無知は力なり
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。