――長い階段を駆け上がり、ようやく辿り着いたとき。
致命的に遅かったのだと理解できた。
「――――」
――白光が、ただでさえ白い空間をより強い白さで塗り潰していく。
原理は不明だ。型破りな剣士の人間性が為せる業か、斬撃は衝撃波を伴い、空間を一掃する。
その剣撃の射線上にいた人物もまた、光に呑まれ、為す術なく吹き飛ばされた。
そして、文字通り瞬く間に光は消え、白光の晴れた空間に広がっていたのは、片袖を脱いだ赤毛の男の長身と――まるで躯のように転がる、紫髪の剣士の姿だ。
「よお、稚魚じゃねえか、オメエ」
それから、打ち倒されている剣士――ユリウスを指差すと、
「遅かったな、オメエ。もう片付いちまったし、邪魔臭えからとっとと持って帰れ」
「っくっそ!ヴィルヘルムさんっ!どうして!」
そこにいたのはもう一人、ヴィルヘルムが静かに座っていた。
ユリウスが一刀の元に切り捨てられるのをただ見ていたのだ。いったいなぜ?
警戒と視線をレイドに向けたまま、スバルは体を傾けてユリウスの呼吸を確かめる。意識は喪失しているが、口元に向けた掌には呼吸の反応があった。
あの剣撃を浴びても、命は奪われていなかったらしい。そのことに安堵し、先の疑問に自答する。
ヴィルヘルムは、相手に殺意がないことをわかっていたのだ。
「次は容赦しねぇって言ってたわりに、温情があるんだな」
「そうでもねえよ。オメエ、箸に殺されるより、箸に負けて逃げ帰る方がダサいと思わねえか?オレは思うぜ。そンな情けねえ姿晒すぐらいなら死ンだ方がマシだ。だから、箸で負かして、逃げ帰らせてやンよ」
「温情があるってのは撤回するぜ、クソ野郎」
「かっ!稚魚に何言われても響きゃしねえよ。それに、今日はもう試してやるつもりもねえ。かかってくンならぶちのめすがな。オメエの足下のそいつみてえに」
右手で腹を掻きながら、レイドは左手の箸でスバルとユリウスを交互に示した。
そして現状、レイドの態度にどれだけ腹を立てようと、その無礼を撤回させてやるだけの手段はスバルの持ち合わせにない。
「――次はいい女の誰か連れてこいよ、オメエ。あの激マブでもいいぜ。いや、やっぱやりづれぇからマブエロ女寄越せやオイ」
最後まで、一度として誰かの名前を呼ぶことなく、レイドはひらひら手を振った。
そんなレイドの悪ふざけ同然の態度に、スバルは文字通り、何も言えずにただ逃げ帰る以外のことができなかった。
「スバル殿、私が支えましょう」
スバルは第二層からユリウスを連れて逃げ出した。
エミリアが試験を突破し、他の全てが蹴散らされてから。しばらく経ったのち。
怪我人を緑部屋に寝かせるが、あの部屋には定員があるようで順番ということになる。
ユリウスは一番に運ばれたが、少し後に様子を見にいくと、そこはもぬけの空だったのだ。
みんなが必死に探し回り、スバルが第二層で見つけた時には、再びレイドに吹き飛ばされ白光に飲み込まれる後ろ姿しか見えなかった。
「……はぁ、はぁ」
一歩ずつ、一段ずつ、確かめるように踏みしめながら階段を下りていく。
ヴィルヘルムの申し出をなぜか断り。スバルは一人ユリウスを抱えて階段を下っていた。
彼はずっとレイドを見張っているらしい。
いや、相手の言葉を借りるなら「私は見ています」とだけ言っていた。きっと剣士の頂点にしかわからない何かがあるのだろう。
今のユリウスを、ヴィルヘルムに運ばせるのは何かが違うと。そう魂が叫んでいた。
そして剣鬼もまたその意見に静かに従った。
「ンで、オメエはいつまでそこいンだ。工芸品の老木剣。ンなもン愛でる趣味はねンだ。枯れたジジイはいらねえ。エロい女連れてこいオメエ」
「お邪魔であれば、そろそろお暇いたしますかな」
そう言って、老剣士はその場を後にしようとする。がその背に声がかけられる。
出て行けと言いつつ質問をする。どこまでも自由な男だった。
「オメエ。なンでそこまで剣に拘る。才能なンかねえし、負けまくってるくせによ。気持ちわりいぜオメエ。人は飛べねえのが自然ってもンだ。この俺ですら空は飛べねンだからよ」
これ以外の会話は一切ない。生い立ちも剣を抜いた姿さえ見せてはいない。
それでも、その全てを見抜くのはさすがはレイド・アストレアということだろうか。
剣の頂からの疑問。それに、ヴィルヘルムは澱みなく答える。
「剣が、好きなのです。剣の美しさに魅せられた…」
そう言って階段を下っていく。
「この感動は、『剣神』であっても『天剣』であっても『剣聖』にも邪魔はできない。これは俺のものだ。俺だけのもの…」
我儘な言葉と共に、剣気と闘気が迸る。それはヴィルヘルムがずっと抑えていたものだった。
それもスッと消え去って。老剣士は退出する。
「それに、人も案外飛べるようになるようですよ。マナも加護も使わずに。そんな、不可能に挑戦するものは必ずいる」
あの空を目指す兄妹も自分もそう変わりない。人にできぬことを為そうとする理不尽に挑む仲間だと考えると、思わず笑えた。
エルザやガーフィール。そして、ユリウス。後進も育っている。
それに加えて、スバルやケイ。この老人などでは測れもしない異才たちもいる。
何より、すでに不変かと思った孫も成長している。なんと希望のあることか。
ヴィルヘルムは、レイドの姿を見てその一挙手一投足から全てを学んでいた。
あれほどまでに剣に愛されている生き物を知らない。当代『剣聖』と戦えばどうなるかはわからないが、剣だけに絞ればラインハルトよりも上の存在を初めて見た。
剣に愛されることはない。いつだって片思いのヴィルヘルムは無理やりにこちらに振り向かせることしかできていない。
だけれど、剣を愛している気持ちは自分が上だ。
彼と立ち会い勝てるとは思わない。それでも、ただ負ける気は微塵もない。
まだ、私も強くなれる。剣神から笑われようと、天剣から歪だと言われようと関係がない。
剣をもっと上手く振りたい。
以前に少し挑戦してみたからわかる。『棒振り』では嫌なのだ。剣を振りたい。
ヴィルヘルムは年甲斐もなく、歯を剥き出しに笑っていた。
「早く、連れ戻らないと……エミリアも、ベア子も心配してるな」
緑部屋でユリウスの不在に気付いたスバルたちは、全員が手分けして監視塔の中の彼を探し回ることになった。
「でも、な……」
――ただ、スバルだけは違った。スバルだけは、すぐに理解できた。
騎士剣を置いたユリウスが、どこへ、何のために向かったのか。
それはきっと、スバルだけが――、
「――揺れる、ものだな」
「――ッ!気付いたのか!」
背中から届いた声に、階下へ伸ばした足を止めた。その呼びかけに、背中に担がれるユリウスが「あぁ」と身じろぎし、
対話を重ねる。あの怪物がなんなのか。
スバルはシャウラによって知ったそれを、ユリウスは自ら当てていた。
レイド・アストレア。
剣聖の始まり。最初にそう呼ばれた男。
三英傑と共に、『嫉妬の魔女』をここに封じた張本人。
「かの伝説を打倒せよ。『嫉妬の魔女』すら出来なかったことをさせようなどと、とんだ試験があったものだ」
「しんどいのは間違いねぇな。エルザもガーフィールもボロ負けだ。ヴィルヘルムさんは…はっきりしないが事実上、挑戦禁止。けど、対策を練れば抜け道はきっとある。現に……」
レイド攻略のための糸口を探りながら、そこでスバルは言葉の先を躊躇った。
だが、それは一歩、遅かった。
「現に……なんだろうか」
「いや、その……」
「スバル」
レイドを観察して突破口が見えた、などの言い訳はすぐに見破られる。実際、今すぐレイドを突破する方法や、弱点などが見つかっていないのは確かなのだ。
「……お前が倒れたあとに、エミリアが『試験』を突破した」
「――――」
「ただ、あれだ。単純な力比べで、あいつをぶっ倒したってわけじゃない。色んな偶然が味方したのと……主にはあいつが油断したんだ。英雄様は女好きらしいな。ああ!ムカついてきた!」
単純な勝利と呼ぶには、あの結果は少し難しいところがある。
「とにかく、色々複雑な要素と、主にセクハラとシティなハンターの因果が絡み合った結果、エミリアは『試験』をクリアした。ただ、あいつはクリアした本人だけが通るのを許すって話で、俺たち全員が上にいくには全員が勝たなきゃいけないのは一緒……むしろ、悪質だ」
「――――」
誤魔化そうとすると、ユリウスには皆目わからないであろう呪文を並べることになってしまった。いまいちスバルの軽口もキレが悪い。
「だから、その、お前も再戦すれば目がないわけじゃない。つっても、あれだぞ。今回みたいなやり方じゃなくて、だ。もっときっちり、相手を見極めた上で傾向と対策を練っていく。今回ばかりは俺のスタイルに従って……」
「――――」
「……おい、聞いてるか?ユリウス、おい?」
しばらくの沈黙。そしてあまりに軽い返答が返ってきて、スバルは調子を崩される。
努めて明るく、軽やかにユリウスは「さて」と言葉を紡ぐと、
「そろそろ、下ろしてもらえるだろうか。いつまでも君に背負われたままだと悪酔いしそうだ。地竜と違って、君に『風除けの加護』はないようだからね」
「揺れと風は我慢して、ありがたく背負われておけよ。ケガ人に自分で歩かせるほど薄情者にはなれねぇ。エミリアたんに叱られる」
ユリウスの申し出に首を振り、スバルは体を揺すり、ユリウスを背負い直した。
そこからのやり取りは、あまり他の奴らには聞かせたくない。
いや、誰にも言うものか。
男には、一人で張らなきゃいけない意地がある。
でも、一人きりでいるほどに苛む孤独は、バカな男を蝕んでいく。
スバルはかつてそうなった。大切な人を傷つけて、幾度も命を無駄に捨て、スバルだけの命ならマシだがレムを巻き込んだのだから最悪だ。
だから、スバルはユリウスを一人にしなかった。言うことを聞かず、意地を無視して。
スバルがあの時誰かにやって欲しかったことを、自然とやっていた。
そのまま二人はゆっくりと、階段を下りて、四層へ戻っていった。
第二層の攻略は停滞した。
停滞といっても、これまでが異常だったのだ。
塔に辿り着き、二日ほど寝込み。起きてから第三層を即座に攻略しそのまま第二層に突撃したので、実際はそこまで不調というわけではない。
ノンストップな快進撃が止まったというだけだ。
ユリウスの治療と女性陣からの説教が施され、『最優』らしからぬ反省の態度を示すユリウス。
降りた先で、女子たちの怒涛の責めを受けるのもまた、バカな男の責務だ。
エキドナはもちろん、ラムにすらチクチクとやられていたユリウスを見て、溜飲が下がるどころか自分ごとのように気まずかった。
むしろモヤついて、どうにも眠れない始末。マナ切れで倒れてから丸一日とちょっと、ずっと寝ていたらしい。腹の底から飢えていたので食事は本当に美味かったが、睡眠は体が求めていないらしい。
一度眠ってみたのに、一時間ほどで起きたのではなかろうか。目が冴えわたっている。
深夜の散策。歩きながらの方が考えもまとまることがある。
そして歩くこと数分。
――想定外の光景を前に、スバルは唖然と瞠目するしかなかった。
奇妙なことが連続する夜だ。
意図せぬ覚醒から始まり、緑部屋からいなくなったアナスタシア=エキドナを探して奔走し、塔の中にいるはずのない鳥を見かけ、それを追いかけた。その鳥を行き止まりに見失い、手近な床と壁を探って隠し通路を見つけ――、
「――トンネルを抜けると、そこは雪国だった」
こぼれた軽口は、この奇妙な光景の説明に何ら寄与していない。
スバルが潜ったのは壁であってトンネルではなく、目の前に広がったのも雪国などではなく、冷たい風の吹く砂海の夜だ。
黒い空には煌めく星々が浮かび、監視塔のバルコニーからは黒い海のような砂丘の光景を遠くまで見渡すことができる。
何もかもが、スバルの言葉に見合わない。その代わりに――、
「ナツキ・スバル」
掠れたスバルの呟きを聞きつけ、風に髪をなびかせる人影がこちらへ振り返った。
薄紫の、ウェーブがかった髪をそっと手で押さえる少女――浅葱色の丸い瞳に、闇の中に浮かぶほど白い肌をした、可憐な容姿の持ち主だ。
「――で、この状況の言い訳は?」
「言い訳?」
「深夜、こっそりと寝室を抜け出して、誰も知らない秘密の通路を抜けて、こんなところで夜風に当たりながら鳥たちと戯れる……怪しすぎるだろ」
不思議そうな顔に、スバルは顎をしゃくって追及した。
鳥たち――そう、鳥たちだ。
この場に、こうして顔を突き合わせるのはスバルとアナスタシアの二人だが、バルコニーには二人以外にも多くの観衆が詰めかけている。
それが、微動だにせず、状況を静かに見守り続ける作り物のような鳥たちだった。
「――――」
一羽や二羽などと、そんな穏やかな数では到底ない。
バルコニーの外縁部に留まり、羽を休める鳥の数は五十を下らない。
白い鳥が、青い鳥が、黒い鳥が、斑の鳥が、大きい鳥が、小さい鳥が、痩せた鳥が、太った鳥が、種類雑多で統一感のない鳥たちが一揃いに集まっている。
音も立てず、逃げるでもなく、ただそこにいるだけ。生き物として何かが欠落している。
「まぁ状況から見てそう思うのも無理ないことだ。ただでさえ信頼はないというのに迂闊ではあったと認めよう…」
そんなスバルの疑念に対し、エキドナは肯定を返す。
「しかし、それは君も同じことではないかな?私を追ってきたのではないのかな。この秘密の通路まで見つけて?」
「それは……鳥が俺を導いたというか、あれだよ」
「それなら僕も同じさ。鳥を見つけて追いかけたらここにいた。そして後から君が来たんだ」
のらりくらりとしたエキドナの態度もそうだが、ただ遠目にこちらのやり取りを見守るだけの鳥たちの視線も居心地が悪い。
この鳥たちは、バルコニーは、エキドナは、いったい何を考えているのか。
「俺と同じで何も知らない……それを鵜呑みにしろってのは都合が良すぎるだろ」
「それこそ、何にも知らないという言い分には言いたいことが多分にあるが…」
やれやれ、と額に手をやり、エキドナは悲嘆に暮れる素振りを見せる。
二人の声が響いても、鳥たちからの反応はない。
彼らはただ静かに羽を畳み、宵闇を飛ぶのを嫌うように翼を休めている。
冷たい風に晒されながら、それでも身を寄せ合い、温もりを共有することもなく。精巧な人形のような眼差しを、スバルとアナスタシアへ向けるだけだ。
「この鳥たちはずっとこの調子さ。観察のしがいも無い」
「それを信じるのは、俺の経験則的にちょっと無理だな」
「経験則?」
「俺の経験上、迂闊にこんな場面に出くわすと、大抵は命が危ないのがお約束だ」
スバルの、迂闊行動での臨死経験はなかなか豊富だ。
その経験則にならえば、今の状況はかなり危険に思われて――、
「ならその経験を活かして迂闊な行動を避けて、命を守ることをお勧めするよ。失敗に学ぶのは重要だと思わないか?」
「――――」
「最悪の可能性は僕が何か企んでること。仲間たちをここまで誘き寄せてどうにかするというのが、警戒されている筋書きというところかな」
図星を突かれ、スバルの頬がわずかに硬くなる。
そんなスバルの様子に、アナスタシアの顔で笑った。
「そんなことは、とっくにカルステン家の参謀が警戒しているよ。当然だろう。僕は本来、アナの不在を隠して最後までやり通そうとしていたのだから。彼との約束を果たすために、『風読みの加護』の尋問を受けて、ロズワール邸で誓約までさせられたというのに、なぜそこまで警戒するんだ?逆に疑問ですらあるよ」
それは、そうだ。
確かに、事前に摘める疑いの芽はケイが全て潰し、行動にすら誓約をかけたのだから誰よりも信頼してもいい。
論理的にはこいつは白だ。スバルの魂が、それを認めていないだけで。
「我々は同じ敗北者だろう。負けを認めずにどうにか取り返そうとしている同じ目的を目指すもの同士。仲良くしようと、そう言いたいのだけれどね」
言葉を区切って、意を決してという様子でエキドナはスバルと改めて向き合う。
「さて、そちらの番は終わりだ。ボクは正直なところ、君に同じことを聞きたいと思っていた」
「俺に、同じこと?」
「『この状況の言い訳は?』ということだよ。ボクは導かれるようにここへ足を運んだ。そして今、この場所で君と対話している。……塔へ戻る入口の前に立つ、君と」
「――――」
「君は、この塔の管理者であったシャウラとも顔見知りだった。少なくとも、向こうは完全にそのつもりで君に接している。第一層の謎は知っていたから解けただけ?レイドはなぜ君を稚魚と呼ぶ?他にも不審な点は挙げればキリがない。それを加味し、こんなところで二人きりになった上で告げるのは卑怯だと思うが……」
エキドナの語る言葉に呑まれ、発言を差し挟めない。エキドナは一度言葉を切り、アナスタシアの顔のまま、問いを差し出した。
その問いは――、
「――ナツキ・スバル、君は何者なんだ?」