だからアリスはえんえんあっちにこっちに、ぜんぶドアを試したあと、とぼとぼとまんなかに歩いていってね、
どうやったらまたお外に出られるんだろうって。
『不思議の国のアリス』より
「かふっ」
口内の砂を吐き出すが、へばりついて泥のようになった砂は残り続ける。
吐き出すのを諦めて、周囲を見渡す。
どこか、ひどく暗い、冷たい空間に押し込まれているのを理解した。
「ここ、は……そうだ、俺はでかいミミズに、喰われかけて……」
全てを投げ出し、塔から逃げようとした最初の一歩を巨大なミミズに阻まれた。そうしてミミズに喰われ、死ぬはずだったところを白い光に救われてー
「砂漠の、地下……」
砂の大地が崩れ、流砂に呑まれて地下に落ちた。それがことの顛末だ。
もっとも、仮に死んでいたとしても、死に切れるかどうか怪しいのが今のスバルだ。
あの部屋に戻るのは嫌だ。
ここではないどこかへ行かないと。
砂をかき分けた先の地下空間。もしかしたら、あのミミズの化け物の通り道かもしれないが、ただひたすらに逃げる。
光が一つもない暗闇。ヨタヨタと進み続ける。
逃げ続けた先に触れられるものがあった。
正面、触れた指先に光が生まれその瞬間だけは、触れたものと周囲の全貌が見えた。
スバルがいた場所は通路のような地下空間で、触れたのは扉のようだった。
そして、光の直後にはほどけるように『扉』が掻き消える。直後、塞がれていた道の先から溢れ出すのは、鼻を突く濃密な悪臭だった。
鼻面に眉を寄せながら、しかし、スバルはその悪臭を頼りに暗闇を進む。それだけがスバルを導く道標だったから。
地下に転落し、逃げるように這い回り始めてから数時間が経過した。
暗中模索の逃避行で、スバルの心は何度も挫けかけるも悪臭を頼りに前へ進む。その度に、脳裏には澱のような不満が溜まり、胸中には不穏な考えが芽吹き続ける。
それでも、進んでいるのだ。そんなものを無視して逃げ続ける。
おぞましい臭いに身体を犯されながら、スバルは夢中でそれを追い求めた。
当てもなく、何時間も地中を彷徨い続けたスバルにとって、それだけが救いだった。それだけが、この地下で見つけた変化らしい変化。
地獄から抜け出すための、唯一の蜘蛛の糸なのだ。
さらに時間が経ち、もうすでに3枚、いや4枚か。正確にはわからないが扉を超えた。
「ーあ?」
不意に、スバルの喉が掠れた音を漏らした。
それは変化に対する反応だ。ただし、決して好意的な反応ではなかった。
ぺたぺたと、膝立ちになったスバルが目の前の『扉』に触れる。ここまで順調にスバルを素通りさせてきた『扉』、それがここへきて牙を剥いた。
押しても引いても、『扉』はびくともしない。唐突に、スバルの歩みを阻んだ。
「冗談じゃ、ねぇ……!」
突然の裏切りを受け、スバルは驚愕と、それ以上の怒りに支配される。
「ーっ」
怒りに心中を真っ赤に染められ、スバルは『扉』に頭を打ち付けた。
何度も、何度も、額をぶつけ、硬い衝撃が頭蓋骨に跳ね返るのを痛みと共に味わう。
どろりと、自分の内側からどす黒い感情が溢れ出してくる。
激情が止まらない。止めようとすら思わない。
ガツン、ガツンと骨肉と金属の打ち合う音が地下に広がり、砂に吸収されていく。
「悪いのは、俺じゃなくて……」
こんな地獄のような環境を作り上げた、スバルを取り巻く全てが悪いのだ。
それなのに、どうして、
「引き返す……冗談じゃない。ふざけるな。なんで、お前が俺を邪魔すんだよ!」
これは、スバルのための『扉』だ。それは一目見たときからわかっていた。
それなのに、どうして邪魔をするのかと。この先に行くことが、この先に待つものと出会うことが、スバルの役割なのだ。
自分でも自分の思考を理解できないほどの憤怒に駆られ、スバルは怒りを撒き散らす。
「ーな」
理屈に合わない激情を『扉』にぶつけている最中、不意の変化がスバルを襲った。
今度はスバルの体が淡く、薄闇を照らす白い光に包まれていた。
「ふざ……っ!てめえ、冗談じゃねぇぞ……!」
それを拒絶しようとしても、光の方は言うことを聞かない。
すなわちー、
「は」
一際、光が強く瞬いた直後、スバルは冷たい地下から解放されていた。
呆けた顔つきで、スバルは自分の両手を見下ろした。
砂が付着し、水分を失った手が見えていた。見える。当然だ。ここには光があった。色があった。自分の足下も、石造りの床なのが見える。
石造りの、床。
「ーッ」
理解に及んだ瞬間、スバルはその場から飛びのき、周囲を見回した。
そして、広い空間の中心に自分が立っていたことと、振り返った背後に見覚えのあるモノを発見し、この場所がどこなのか即座に思い知る。
スバルの背後にあったのは、建物の内外を隔てている巨大な扉。
プレアデス監視塔の五層に存在し、数時間前にスバルも利用した大扉だった。つまり、スバルがいるのはプレアデス監視塔の中ー、
そして鼻につくのは先ほどとは全く違う刺激臭。
悪臭が塔の中に立ち込めていた。鼻がおかしくなるほどの激臭。
それにふらつくが、スバルの脳内にあるのは一つだけ。
それはこんな臭いなどでは邪魔できない。
もういい。もう限界だ。「もう知るか」
知らず、決意が声に出ていた。
「なんで、俺が逃げなきゃならない」
沸々と、濁りに濁った感情が沸き立ち、スバルは強い激情のままに上を見上げた。
冷静に考えればなぜスバルが逃げる必要があるのだ。
スバルは悪くないのだから逃げなくていい。
シンプルに行こう。
つまり、スバルを殺そうとしている相手を殺してしまえばいいのだ。
「ひは」
凶笑が浮かび、スバルは口元を手で押さえる。
会心の案が飛び出して、スバルは自分で自分を救い上げる天恵を得た。
殺意が、体を軽々と動かす。
決めたあとの行動は早い。
竜車にあったナイフを掴み取り、階段を上がっていく。
片手にナイフを、その胸に憎悪を、瞳に狂気を漲らせ、上へと歩む。
「殺す、殺す、殺してやる。絶対に、殺してやる……っ」
軋るような囁きは、尽きることのない呪いの言葉だ。
言霊に力が宿るならば、吐き出される呪詛の数々が、スバルの行為を後押しする。
殺すと、一つ明確に言葉にするたび、ナイフに宿る力が増して思えた。
「殺す、殺す、殺す、殺す、殺す……」
殺したいのではなく、殺さなければならない。
だから、一番最初に、目の前に現れた奴を、殺してやると、そう心に決めて。
ナツキ・スバルは四層に辿り着く。
そして、それを目にした。
「――は」
息が漏れた。
甲高い音を立てて、手にしたナイフが硬い床の上に落ちる。
首と胴を切断されたシャウラが、そこに倒れ伏していた。
血液はもちろん。その臓腑もまろび出て、床一面を汚している。
人間の中にはあれほどのものが詰まっているのだと、吐きながら思った。
「うえ!おええっ、ごえっ、うぶ……」
胃が絞られる痛みと、途絶えることなく湧き上がる嘔吐感に、可能な限り喉を開いて、込み上げる灼熱感を吐き出すことに腐心するだけだ。
そこでどれだけ呆然としていたのだろうか。
「とに、かく……」
思索を中断し、スバルは傍らに転がるシャウラ、その分断された亡骸を視界に入れないよう苦心しつつ、彼女の死という事実から確信を得た。
この塔内には、やはり恐ろしい怪物がいる。
そして同時に、その内患の狙いはスバルだけではない。スバルの仲間も、いるかもしれない。
「――――」
死んだシャウラには悪いが、これは今のスバルには朗報とも言えた。
スバルを殺した人物がわからない今、容疑者全員を消さない限り、スバル自身の安息は手に入らない。だが、彼女が死んだことで、容疑者は一人消えてくれた。
候補者を皆殺しにすれば、ようやく安心できる。怪しければ殺した方がいい。
子どもであるベアトリスとメィリィは、殺しやすさでは難しく考える必要はない。
エミリアと、死んでしまったがシャウラも、スバルに対して警戒心がないという意味では、隙を衝いて殺すことは容易だったはずだ。
明らかに戦える様相の戦士たちに関しては何とも言えないが、中ではやはり、ゴドフリーが一番厄介そうだった。あの体格と斧槍は虚仮威しではないだろう。
エルザは女だし、ヴィルヘルムは老人である。きっと何とかなる。
ユリウスは安っぽいとはいえ、腰に剣を差していた騎士らしき姿だった。しかし、逆を言えば、あの剣を奪えば一方的に追い詰められる可能性もある。スバルは剣道をやっていたから、剣を奪えば優位は確実ともいえよう。
あとは――、
「上にいる、あの、クソ野郎」
試験官という名目で、塔の上階に居座っている赤毛の男――その排除に考えを巡らせ、即座にスバルは首を横に振った。
あれの排除など、不可能だ。あれは常外の理に生きる、手出し無用の超越者。
殺せない、ものもいる。
唯一、救いがあるとすれば、あれがスバルを突き飛ばした存在とは考えにくいこと。あれならば、あんなつまらない方法で殺そうとはしない、そんな負の信頼があった。
「――――」
落ちたナイフを拾い上げ、スバルはシャウラの亡骸を跨いで、奥へと向かう。
その前に、彼女の死を悼んだ。
彼女は死んだのだ。死んだものは、スバルにとってもう敵ではない。
塔内は、物音一つ聞こえないぐらいに静まり返り、静寂がかえってうるさく思える。
四層へ上がっていく途中、どす黒く煮詰めた憎悪は、今も胸中に汚れのようにこびりついて剥がれない。
今も、自身の生存のために、殺戮を実行する覚悟は萎えないままあるのだ。
最初に目についた相手を、突き刺し、抉り、命を奪う。その覚悟がある。
シャウラの惨殺死体を見た後にも揺るがぬこの殺意はきっと本物だ。
四層の奥。そこにあったナニカを見て、その安っぽい覚悟は露と消えた。
見上げるほどの大きさのそれはまるで、意志なき肉の奔流が絡み合い、捻じれ、溶け合った塊だった。
腕とも足ともつかぬ四肢が奇妙に折れ曲がり、幾重にも重なる顔の痕跡が苦悶に歪んでいる。
脈動する肉の塊が、そこにある。
脈動?生きている?
「…っひ!」
これは、生き物なのか?
見たくない。これを詳しく調べたくなんかない。
誰かを殺すならいい。やってやる。でもこれは一体なんだ?何なのだ?
知らない顔も含まれている。こんな男も、こんな女も。スバルは知らない。
殺してくれと誰もが訴えている。それはわかる。
刺すような視線が伝わってくる。
そこに、一つの顔を見た。
大好きなその顔。一目惚れをしたかもしれない顔が、肉の中に埋もれて歪められながらも、スバルを見ていた。
紫紺の目が、スバルを見ている。
口なのか、ただの裂け目なのか定かでない穴からは、意味を成さぬ呻きが漏れる。
そこには人の形の名残がありながら、人ではない。
「ぅ、ば、る…」
その音を聞いた時には、スバルはそこから駆け出していた。
混乱と、混沌がある。
不自由な意識の束縛が、ままならない現況をどうにかしろと訴えかけてくる。
安息を買わなければ、見つけなければ、そのためには、容疑者を減らさなければ。
じゃああれを調べるのか?殺すのか?解体できるのか?
この俺に?
逃げ込んだ先は、緑部屋だ。
生きている存在を見つけたのは、この塔に戻って以来、初めてだった。
トカゲの生存を目にして、スバルは渇いた笑みをこぼした。
トカゲがいるから、なんだというのか。
「ついてくんな!」
「――――」
部屋を出たスバルの後ろを、その巨躯を縮めた黒いトカゲがついてこようとした。
「俺は、お前と遊んでる暇なんかねぇんだよ!この塔で、生き残ってる奴をぶっ殺さなきゃならねぇんだ!お前が邪魔するなら……」
手にしたナイフを構え、スバルはトカゲを正面から睨みつける。
知性なき動物だからと軽んじた対象に理屈を説く無様。スバルは自分で気づかない。
しかし相手はそれを意に介さず、スバルに妙な視線を向けているだけ。
まるで、心配をするような。まるで…
「――てめぇ、ふざけるんじゃねぇ!!」
叫ぶのと同時に、スバルはナイフを振りかぶり、対峙するトカゲへ叩きつけた。
ナイフの先端が、漆黒の鱗へと突き刺さる。最初、わずかな抵抗感があったが、それは抵抗を容易に破り、ずぐりと嫌な手応えと共に、深々とトカゲの体に突き立った。
「これで……」
ナイフを突き立てられたトカゲが、微動だにせず、スバルを見ていた。
「クソ……クソ、クソクソクソ!なんなんだ、なんなんだよ!」
頭を掻き毟り、スバルは耐え切れなくなって激発する。
「お前も、お前以外の奴らも……死体も!生きてる奴も!生きてるんだか死んでるんだかわからないアレも!いったい、何考えて、どうしたいんだよ!?」
言っても無駄とわかっていながら、スバルは目の前のトカゲにぶちまける。
「お前らのことなんか、一人も知るもんかよ!お前らが何を思ってるかなんて、一つ残らず知ったことかよ!みんながみんな、自分の事情を押し付けやがって……!お前らが自分のことで手一杯なら!俺だって、俺のことで手一杯なんだよ!」
怒鳴り、喚き散らし、スバルはいつしか涙を流して、その場に膝をついていた。
「俺のことなんか、放っといてくれよ……一人ぼっちで、見捨ててくれよ……」
喉から絞り出すように、スバルの涙声が静かな通路に空しく響く。
そのまま、どのぐらいの時間が過ぎただろうか。十数秒、数十秒、数分か。身動きの取れないスバルは、床に這いつくばる姿のままふと気付く。
微かな、本当に微かな震動が、床を通じてこちらへ迫ってくることを――。
「あ」
寸前までスバルがいた通路が、おびただしい量の黒い靄によって真下から吹き飛ぶ。
床を破った何か――それが、スバルには黒い、黒い影でできた、腕のようにも見えて。
その瞬間に、トカゲはスバルを口に咥えて逃げ出した。
「影の、腕……」
それが、塔の通路を好き放題に蹂躙し、スバルと――逃げるトカゲを追ってくる。
スバルは全ての理屈を超えて確信する。
あれに、あの影に呑まれることは、死よりも恐ろしい末路を迎えることであると。
逃げる逃げる逃げる。
トカゲに噛みつかれたまま、逃げる。
いや、もうコイツを悪様にいうことはできない。邪魔なはずのスバルを咥えて、逃げてくれている。
下から湧き上がり続ける影を避けて、自然と上に上がり続けるが、逃げ切れるはずもない。だってここは塔なのだから。
一瞬、自死の可能性が頭を過った。
あの影に呑まれるぐらいなら、自ら死を選んだ方がマシではないか。戻る可能性が高いし、それがいいだろう。
合理的に考えて、自殺をするべきだ。
「あ、ひ」
自死を強く意識した途端、スバルの全身ががくがくと震え始める。
万一、自死を選んで、それで終わったらどうする。今の自分がやり直した結果であると漠然と考えているが、それが事実だという保証があるのか。
そもそも、何故、自分が死ななければならない。
何も悪いことなんてしていない。この状況で、命を支払うのが、何故自分なのだ。
「嫌だ……死にたくない!!」
恥も外聞もなく、スバルは泣き叫んだ。
あまりにも当たり前で、当然の願い。
虚しく響くその声を聞き届けたのは、漆黒のトカゲだけだった。
「――――ッ!」
牙にスバルを捉えたまま、トカゲが喉の奥で咆哮を爆発させる。
直後、トカゲは凄まじい加速を得て、背後から迫る濁流を逃れるように、一気に螺旋階段の空白へと身を躍らせた。
階段を上がり、壁を駆け上がり、段差を飛び越えて、逃げ続ける。
気づけば外気を浴びている。まさか、塔の外へと飛び出したのか。なおも、トカゲは傾いた塔の壁を駆け上り、影から逃れんと必死に、必死に――、
「――う、ぁ!?」
大きく、トカゲの細い首がたわめられ、次の瞬間、風を強く浴びる。
ぶつけられ、転がり、投げ出されて、息を吐く。目を開けた。
ちかちかと明滅する正面に、黒い夜空が垣間見えた。
「あ、え……?」
周りを見る。それは、塔と同じ材質の空間でありながら、確かに外の空間であり――バルコニーのような、塔の外壁に付随するスペースであると見て取れる。
壁の穴を抜けて、壁を駆け上がり、この空間へとスバルを投げ込んで――、
「トカゲ……っ!」
戦慄に、スバルは自分が転がってきた方角へ駆け寄り、下を覗き込む。
そして、自分をその場所へ投げ込んだトカゲ、その末路を目にした。
――落下していくトカゲが、その鱗よりなお黒い影に呑まれ、消える。
理不尽な怒りでナイフを刺され、自分自身の痛みと恐怖を顧みず、スバルをこのバルコニーまで投げ込んで、そのまま、トカゲは、影に。
死よりも恐ろしい末路が待つ、影に、呑まれた。
「なん、なんだ」
なんなんだ。なんなんだ。なんなのか。
スバルには、もう、何もかもがわからない。
「――――」
白い鳥が状況も無視してバルコニーで休んでいる。
その異常な様子にも、反応することができない。
死んだ容疑者、姿の見えない容疑者、命懸けで助けてくれるトカゲ、この状況で動かぬ白い鳥――少しずつ、少しずつ、影に呑まれ、消えていく塔。
「――――」
終わりが迫ってくる感覚を味わいながら、スバルは脱力して座り込む。
もう、力が入らなかった。
「――――」
へたり込むスバルは、ふと顔を上げた。
背後に、不意の気配があった。鳥でもなく、トカゲでもなく、影でもない。
生きた、何者かの気配が、立った。
「……お前は、なんで。誰なんだよ…」
振り返る余力もないままに、スバルは弱々しい声で問いかけた。
その声に、微かに喉を震わし、背後に立った誰かが笑った。聞いたことのない掠れた声で。それでも、はっきりと。
「――次、当ててみよ、英雄」
瞬間、スバルの体を煌々と光る光線のようなものが通過する。
輝くいくつもの一閃はなんの抵抗もなくスバルの体に穴を開け、その触れたところから滅びをもたらす。
その奥の壁までが崩壊し、スバルの体と同期するように倒れていく。
頭に大穴が開いて、スバルは無理解の中で倒れ伏す。
誰かが後ろから、スバルを撃ち抜いたことすら自覚できずに死に向かう――、
それから数時間が経っただろうか。
塔が崩壊し、跋扈する魔獣も落ち着いて。生き物の気配が消え失せた頃。
静寂が広大な荒地に戻ってきた頃合いに、白い鳥たちが舞っていた。
1日に数度、必ず砂界にあるはずの砂嵐。
それがいつまで経っても訪れず、鳥たちは自由に空を飛ぶ。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「――スバル!ねえ、スバルってば、大丈夫なの?」
「えみ、りあ……」
「ああ、スバル、よかった。目が覚めたのね。すごーく心配したんだから」
うっすらと、瞼を開けたスバルの前に少女――エミリアの安堵の表情がある。それはいい、それよりもその紫紺の瞳が先の光景を想起させ、思わず頬が引き攣った。
「――!お前……っ」
周囲を見れば、緑色の部屋の片隅に、お行儀よく座り込んでいる黒い巨躯――影に呑まれる寸前まで、スバルのために奔走してくれたトカゲが、そこに悠然と佇んでいて。
「……なんだか、釈然としないのよ。スバルを見つけたのは、ベティーとエミリアの手柄のはずかしら」
「ふふっ、拗ねないの。いいじゃない。スバルとパトラッシュ、すごーく仲良しで」
スバルは声にも反応せず目の前のトカゲの大きな体に抱き着いて、その存在がここにあることに感謝した。
――あの場所で、唯一、スバルを傷付けなかった存在に、スバルに何も求めずに与えてくれた存在に、ただただ感謝していた。