「う、ぁぁぁぁぁ――ッ!?」
まるで衝撃を受けたかのように、頭を後ろへ跳ねさせて■■■はその場に倒れ込んだ。
「ちょっ、スバル!?」
硬い衝撃に痛みを覚え、苦鳴をこぼした■■■へと銀髪の少女が駆け寄ってきた。その隣には淡い髪色の少女もいて、二人が同時にこちらの肩へ手を添える。
「う、うちは……あ、え、俺?今、今、今今今、どう、な、え?」
「落ち着くかしら!深呼吸するのよ!無理に喋ろうとしなくて…エミリア、本に触っちゃいけないのよ!」
ぐるぐると目が回り、口の端から泡を噴く■■■に少女が――いや、ベアトリスだ。必死に声をかける。
ベアトリスの必死の叫びに、本へと手を伸ばしかけた銀髪の――エミリアだ。そう、エミリアも従い、慌てて頷いた。
「スバル、思い出して。大丈夫、あなたはナツキ・スバル、私の騎士様。天下不滅の無一文、お控えなすって皆々様……それから、それから……」
エミリアが自分の記憶を手探りに、何やら素っ頓狂な言葉を並べ始める。
だが、聞き覚えもあるそれを聞きながら、■■■は、■■ルは、ス■ルは、
――スバルは、自分を思い出した。
「お、れ……あ、エミリア、ベアトリス……俺は、俺、だよな?ウチじゃなく、俺で……エキドナは、いなくて、えと……」
「大丈夫、落ち着いて。平気だから……ゆっくり、ゆっくりね?」
「棘みたいに、刺さった別の記憶をゆっくりと抜いていくのよ。それで、元のスバルにちゃんと戻れるはずかしら」
「う、く……」
その言葉に耳を傾けながら、何とか、今、見たばかりのものを。体験した一人の人生を整理する。
その一生の終わり、途絶える瞬間までの、記憶を、何とかして、整理を。
そうしているうちに、書庫へ全員が集まってきた。
スバルは周囲に気を配れない。そんな余裕などないのだ。
――自分、俺、ナツキ・スバル。自分、俺、ナツキ・スバル。
――誰、ウチ、アナスタシア・ホーシン。誰、ウチ、アナスタシア・ホーシン。
「――――」
ぐるぐるぐるぐると思考が回り、完結しない。自分が誰で。ここはどこで。今はいつで。自分はなんだ?
自分は自分で、自分でしかなく、他人は他人で、他人でしかない。
でも、それがわからなくなっている。
「スバル……」
「――――」
頭を揺らし、懸命に自分の中の『他人』という名の棘を抜く作業に溺れる。
いや、棘なんて異物としての表現は正確じゃない。
混ざった色だ。スバルという色に混ざった別の色。それを必死に分ける作業に没頭する。
不純物を選り分け、混ざり合ったものが取り除ければ、戻れるだろうか。
だがそうしなければ、このまま、溶け合い、混ざり合い、剥がせなくなる。
自分と、殺された彼女とが、すでに一緒くたに混ざって――、
「スバル殿、我々に指示を。一体何を見られたのかの共有でも構いません」
「いッくら大将でもよォ。そりゃ無茶ってもんじゃねェのか?一息入れる時間くらい…」
空いている時間の多くを緑部屋で過ごしてどうにかしているようだった。
「ええ、おっしゃる通りです。しかし、今はまさに攻撃を受けた戦時とお心得ください。また誰かが次の瞬間にも失われるやもしれない。対処と判断が、必要です」
掠れた息をこぼすだけのスバル、それを庇おうとしたガーフィールに正論が突き刺さる。
「がお…そりゃまァ。そうかもだけどよォ」
ここはすでに戦場であると、はっきりと告げる古兵の言葉に、エミリアもとっさの反論ができない。
それがわかっているから、ヴィルヘルムは批難されるのを覚悟で、心を鬼にしてスバルに質問を投げかけてきているのだ。
その鬼気迫る様子に気圧されて、スバルはどうにか言葉を紡ぐ。
「――アナスタシアの、記憶、だった」
「――――」
『死者の書』が、アナスタシアの記録をスバルに見せた。それが意味するところはシンプルだ。全員がその意味を理解して、それゆえの沈黙が生まれる。
これが何かの間違いで、アナスタシアの記録の本は手違いで用意されたものではないのか。そんな無責任な希望に縋り付ければどれほど楽だろう。
「落ち着くのよ、スバル。落ち着いて、自分を取り戻すことに集中するかしら」
「……わ、るい」
「いいのよ。こんなときぐらい、ベティーに全力で寄りかかるかしら。……これは、スバルだけのせいじゃないのよ。思い詰めたらダメかしら」
「――――」
スバルのせいではないと、ベアトリスは慈悲深くそう言ってくれた。
だが、これは誰のせいでもなく、『ナツキ・スバル』のせいでもなく。自分の犯した罪だ。それを知らず、優しく語りかけるベアトリスが、あまりにも滑稽で、悲しく思えた。
その後も、ヴィルヘルムが、スバルに話をさせよとごねるが、ベアトリスは頑としてスバルを渡しはしなかった。
ここまでやって。ようやく一つ。
やっと一つの確信が得られた。
そして、もう一つ。スバルらしい最悪の手落ちに気付かされた。
『アナスタシア・ホーシンは敵じゃない』
これだけがわかった事実だ。彼女は王選を商人なりにではあるが堂々と戦い抜くつもりだったのだ。
人に請われ。騎士に願われ、自らの欲にまっすぐに。
そうして水門都市にみんなを集めて、襲われて。そして。
そしてそこで終わりだった。
『いややわあ。こんなこともわからんかったん?エキドナと話してるんやから、ちょっと聞いて考えればわかりそうなもんやのに』
アナスタシア・ホーシンの記憶は、水門都市での『憤怒』襲撃までしかない。
悪態をつくのはアナスタシア。その幻聴だ。
記憶が混ざった影響で、先ほどから別の考えをまるで他人が話しかけてくるように脳内に声が木霊する。
『ほんで?ウチとエキドナを一石二鳥で殺して、ついでにシャウラさんまで殺しといて。わかったのはウチの昔の気持ちだけ?ほんまに効率最低やね』
人として最低、などの言い方ではなく効率をなじられる。間違いなくスバルにはない思考形態だ。
そう。スバルは失敗した。
彼女の本を読んでわかったのは彼女のことだけ。
この塔で彼女の体を動かしていた
容疑者を減らすことができていないのだ。
『無駄死にさせてもろて、えらいありがとう。次はもうちょっと頭つこうてな?』
その弁舌は鋭く、正論がスバルの心を抉る。
「っっうるっせえんだよ!くそ!!」
頭がおかしくなる。いや、もうおかしいのか?
『まぁでも。この調子なら確かめていけるんとちゃう?一人一人縊り殺して、ハズレ引いたらやり直し。ナツキ君みたいに言うならリセマラやん』
そう。そうだ。この手法の有効性が証明された。
それに、アナスタシアが狸寝入りでこちらを騙してたなんて疑いだってあったかもしれない。それも潰せた。
無駄なことなんて、ない。
何もかも、スバルの知らないアナスタシアだった。
そして、図らずも彼女の胸の奥の秘めたる想いを知って、スバルは確信する。
この、『死者の書』こそが、真に嘘偽りのない、他者の本音を知る術であると。
「――――」
知りたいと、そう願ったばかりだった。
エミリアの、ベアトリスの、塔内にいる仲間たちの思惑を、本音を、知りたいと願ったばかりだった。彼女たちが、何故、『ナツキ・スバル』を信じるのかを。
どうして、彼らは『ウチ』を殺した『ナツキ・スバル』を信じるのか。
今、必死で唾棄すべき存在である『ナツキ・スバル』を演じているスバルには、どんな思いを抱いて接してくれているのだろうか。
親愛は偽装で、憎悪こそが真実で、怒りや悲しみや喜びは仮初のもので、敵意とか害意とか悪意とか、そういったものこそが本物の彼女たちの想いなのではないか。
エミリアたちは味方なのか、敵なのか、スバルを殺した敵なのか、生かす味方なのか。
愛せるのか、愛せないのか。憎めるのか、憎めないのか。
――その答えが、彼女たちの『死者の書』を読むことで、理解できるのだ。
何よりスバルは知りたかった。
『ナツキ・スバル』とは何なのか?
それはアナスタシアの中に記憶としてあった。王都に突然現れた謎の少年。
最大のやらかし場面は共感性羞恥で死ぬかと思ったが、その上で白鯨について動く『ナツキ・スバル』はまるで英雄のようだった。
スバルにはわかる。なぜそれが可能なのかはわかる。この能力があれば可能だろう。『死に戻り』の情報を有効に使えばきっとできる。
だけれどそれは、可能というだけだ。
実際にやれるものなのか?一体どれだけ挑めばできるのだろう。
自分に問う。だって自分のことだから。
出てきた答えは明確な否定。無理だ。絶対に嫌だ。誰かのために、目的のために何度も死ねって?
頼むから一度でも死んでみてから言ってくれ。一度でも死ねばそんな馬鹿なことは言えなくなるはずだ。
つまり誰もスバルにそんなことは言えないはずで…
『書記くんと、剣聖さん。他にも死なない加護や転生なんて逸話も噂もあるけどなぁ』
黙ってろ。
思考を戻す。
そうだ。みんなの死者の書を読むことは、『ナツキ・スバル』の解明にも繋がる。
となると、次にすべきは一体誰だ?
エミリアは、後でいい。現状ではほとんど疑う要素はない。
やはり、記憶を見るにユリウスの線も薄いだろう。
カルステン陣営の者たち。特にあのエルザとかいう犯罪者は要注意だ。『腸狩り』などと異名まであり、スバルも一度切り裂かれていると記憶にあった。
なぜそんな相手と旅をしているのかが理解できないが、それも本を読めれば解決する。
『あの人ら、ほんま手強いで?特にヴィルヘルムさんと『腸狩り』は隙なんか見せんし、単独行動もとらんからどうするかやね』
すると、アナスタシアが次々に離間策を提案してくれる。
スバルでは思いつけないようなあの手この手に、驚いていると…
『だって、ウチらはもう一心同体の、いや二心同体の運命共同体やん?殺された手前、憎まれ口は叩くけど邪魔するほど理屈は捨てたりできんもん。ウチ、書記くんほどやないけど合理的、勘定上手で売ってるんやで?』
そうだ。あのケイという人物も気になる。あれは、こっちの人間なのか?なぜあんなことを思いつく?
いや、それもカルステン陣営の記憶を見ればわかることだ。
できればか弱いメィリィとかがいいかな。いや、子供が死んで悲しむエミリアの顔はできれば見たくない。
エルザを狙おう。
会議の間。次に誰を殺すべきかをスバルは考え続けていた。
彼らはアナスタシアの遺体を探すことに決め、それぞれが固まって動くことになった。
基本的には陣営ごとに固まり、残されたユリウスは誰とも行動せずに未だアナスタシアを探している。
問題は、シャウラがいない中でどうやって殺すかだが…
『ちょうどいい凶器があるやん。女子供と同じくらい非力なナツキ君でも、誰でも殺せるとっておきのが』
そうしてスバルは、その果てしないように見える上と下に目線を移す。
トラウマであった螺旋階段が、まるでスバルを受け入れるかのように包んでくれていた。
そうだ。ここで誰かしらを殺そう。トンと押せば済む。
すると、図ったかのようにエルザがこちらにくるではないか。それも一人で。
「ねえ。さっきのはどういう目線なのかしら?久しぶりにそんな目で見られて、すこし嬉しくなってしまったのだけれど」
言っている意味が、わからない。
警戒をしているならわかる。けれど嬉しくなったというのは?
「ど、どういう意味だかわかんねぇよ。何言ってんだ?お前は」
「あら、男性の目線に女は気づくものなのよ?それも、そんなに熱い眼差しだったらなおのこと」
その声色に、吐息に、色気を感じてスバルはごくりと唾を飲む。
「あなた、私のことを殺したいと思っているでしょう?最初に会った時のことを思い出すわね」
あら、高いのね。なんてエルザは階段を覗き込む。
バレていた。ふざけるなよ。なんで視線だけで?こいつは異常だ。
だが、今なら無防備に晒した背中を押せる。
本当にスバルのことを舐めているらしい。警戒にも値しないとでも?
その浅慮の代償を叩きつけてやる。
そう思って、殺意を込めて手を伸ばした。
「いきなり触れようとするなんて、ずいぶん大胆。あなたには想い人がいるんでしょう?」
クルリと、体を回転させて流れるようにスバルと体の位置を入れ替えた。
「それにしたって、単純すぎるわ。何かの罠を疑いすぎて動きが鈍りそう。普段ひねくれた人と闘いすぎた弊害かしら」
スバルは勢いのままに体の大部分を宙空に晒している。
それを繋ぎ止めるのは、かろうじて残している足とエルザの細腕だけ。
「あなたについては指示が本当に複雑なのよ。一見敵対に見える行動でも止めないこともあれば、即座に殺してしまった方が良いパターンもあるみたい。本当に、彼には何が見えているんでしょうね。頭の悪い私には、わからないわ」
「でも、このパターンならはっきりしてる。あなた、ナツキ・スバルじゃないでしょう?それに今私を殺そうとした。なら、当然本人でも殺して構わないということ。何か、見落としがあれば指摘してほしいのだけれど」
スバルは絶句する。絶句することしができない。口を開いても音が出ない。
この手を離さないでくれ。そんな恥知らずな気持ちしかない。今のスバルの心境はそれだけ。
そうやって、最後のチャンスを棒に振った。
「お腹を見れないのは、残念ね」
バイバイと。離したその手でスバルに別れを告げるエルザ。
スバルはまたしても落ちていく。
グシャリと。何度目かわからぬ、地面の衝撃にひしゃげた。
そして、緑の部屋で目が覚める。
「くそ。次だ」
エキドナとシャウラと再び言葉を交わすことの、なんと気持ちの悪いことか。
いや、シャウラとの再会は素直に嬉しかった。気まずいだけだ。
脳内にアナスタシアがいる状態でエキドナと語るのは、あまりも苦痛だった。
そんな痛みを無視すれば、そこからは試行錯誤の繰り返し。
この能力は反則だとは思う。だって、いくらでも挑戦できそうだ。最初は怖かった。次はないのではと恐ろしかった。
だからなんだ。あの黒い手に飲まれるよりはマシだ。
そう思っても、自殺だけはできなかった。本当に半端だ。全部が中途半端の出来損ない。
だから、どうにか完成に近づくためにも。記憶がいる。
エキドナを呆気なく殺せた奇襲はエルザには通用しなかった。工夫を凝らしても、人質を取ろうとしても、必ず誰かが一緒にいる。
たった一度殺すだけのそのために、幾度も死に続け、最終的にこんな芝居を打つ事になるとは思わなかった。
シャウラを暴れさせ、殺されかけて逃走。体を張って本気でメィリィを守り、エルザの信頼を得る。
そしてエルザに守ってもらいつつ、スバルがエルザを後ろから刺す。
その隙にシャウラがエルザを消し飛ばし続ける。
あの女は、一度で死なないんだから驚きだった。
そしてようやく殺せたと。そう一息をついた瞬間にそれは起きた。
スバルは死んだ。
なぜ死んだのか?その疑問を解くまでに4度の死が必要だった。
どうやらスバルは、エルザとメィリィを殺すと死ぬらしい。
体の内側から魔法の何かが起動して、そしてスバルの命を奪っていく。
意味がわからない。わからないが、そういう魔法だ。
思えば、エルザは毎度スバルが殺そうとした時に、不可解な顔をしていた。
きっと疑問だったのだろう。自分を殺せば死ぬのに、なぜ殺そうとしてくるのかと。
本当に間抜けに見えただろうな。全ては忘れたナツキ・スバルのせいだ。
間抜けついでに、結んだ誓約の内容をエミリアに確認すれば、呆気なくそれを教えてもらえた。
これで、数度の死が完全な徒労だったと確認できた。
『エルザとメィリィの死。または回復不能な傷をスバルが認識すると、スバルは死ぬ』
ふざけている。なんだこれは。意味がわからない。これを問題ないと自ら受け入れた『ナツキ・スバル』もおかしい。
そして、こんな罠を仕込んだケイとその陣営のものたちは、スバルの敵だ。
少なくとも、味方じゃない。彼女たちを生贄に発動する罠なんて、頭おかしいんじゃないのか?
さらに工夫を凝らして、シャウラ単独で殺せないかを試す。どうにか入れ知恵し後ほど報告してもらう形にしたが、その報告を聞いたときにスバルは死んだ。
きっとスバルは彼女たちの死者の書を読めない。その背表紙を見ただけで、死を確信してしまうからスバルは死ぬのだ。
「ふざけんな!!なんだこれ!?誓約だと?なんで、んな大事なこと知らねえんだよ!」
そうして幾度も挑戦した後に『誓約』という馬鹿げた魔法についてようやく知った。待っていたかのように脳内のアナスタシアが小馬鹿にするような声を出す。
『そんな責めんといてよ。ウチの記憶は水門都市で襲われたとこまでなんやから困るわ。だいたい、そないなこと言ってできるだけウチに喋らんようにって抑えてたのは自分やのに。ひどいわあ。それにしてもさすが書記くん。抜け目ない一手やね』
犯人探しと、ナツキ・スバルの調査。
それは、ケイという人物の事前の準備によって暗礁に乗り上げた。
もういい。分かった。なら別の誰かを殺すだけだ。
殺人という手段が、癖になっているだろうか。
いいや、癖どころではなかった。
殺人が目的になりつつある。その後の死者の書を読めずに終わった体験が多すぎる。
殺さないと。殺さないと。殺さないと。
敵を見つけて、とりあえず殺さないと安心できない。
運が良ければ本を読める。それでいい。
相手の疑いは晴れるか、犯人が見つかるか。いずれにせよ前進だ。
そしてやり直せばいい。
なんだ。無敵じゃないか。本を読めば良いんだ。
みんなに内側から支えてもらって、そうして。
みんなの知ってるナツキ・スバルを作り上げれば良いのだ。
これは、前進だ。それ以外にない。
俺は、間違ってない。俺は、大丈夫。
俺は、前に進んでる。
必死に自己を肯定し、スバルは足掻き続ける。諦めたりはしないのだ。
味方であると確信できるのはパトラッシュだけ。
それ以外の仲間と敵を殺すため、スバルは決して諦めない。
暗い展開が続きすぎるので一報だけ。
今章は、過去最高の派手な展開を予定しています。
ド派手にいくとだけ宣言しておきますね。