「……あ?」
現実感のない白い空間。
レイドの記憶にいるはずが、スバルは明確に自意識を保っている。これは、違う。
「――あらら?お兄さんったら、またきちゃったの?」
そこに立っていたのは、スバルの見たことのない少女だった。
色素の薄い、透き通る金糸のような美しい髪を長く、本当に長く伸ばしている。それは白い床の上に広がり、立ち尽くす少女の足下を金色の海のように埋め尽くす。
大きく丸い青の瞳と、透き通る陶磁器のような白い手足。一方、体には粗末な薄布を継ぎ合わせたような不格好な服を纏い、その美麗な印象を損なわせている。嘘くさいとそう思う。
「ここはどこで、お前はなんなんだ?」
「欲張りだなァ、お兄さん。まぁでもいいよ。あたしたちは、欲張りな人が大好きだからサ」
そう言って、少女は困惑するスバルに対して、その唇を横に裂いて嗤った。
「ここは魂の終着地点。オド・ラグナの揺り籠。――記憶の回廊」
スバルはそのまま静かに聞き入る。
そのスバルの反応に少し首を傾げながら、少女は言った。
「――あたしたちは、魔女教大罪司教『暴食』担当、ルイ・アルネブ」
「――――」
「どうせまた、短い間だけど、よろしくね、お兄さん」
そんなに多くの沈黙は流れない。思考の時間を経てスバルが会話を前に進める。
「へえ。お前が、そうか。妙なところで出くわすもんだな。オド・ラグナの揺り籠、だっけ?記憶の回廊って名称も含めて、何一つ信じられないけど一応聞くぞ」
オドラグナについて疑問がないわけではなかった。けれど、そんな世界観についての優先度は低い。だから、必要なことを問いかけた。
「――俺の、昨日までの記憶を奪ったのは、お前か?」
「そうだよ?」
下手人は呆気なく、自白する。
レイドの死者の書に潜んでいた罠があっけらかんと素直に答えた。
「――――」
問いかけをあっさりと肯定され、スバルは目をつむった。
「――昨日の俺はここにきた。そしてお前に記憶を食われた。それからこの地獄みたいな1日が始まったと、そういうことか?」
「うーん??…うん。そうサ!そうとも、本当にすごい。素敵だね。何回で、ここまでこられたの?」
その異常に少し驚いた。
彼女が『ナツキ・スバル』の記憶を奪ったのなら、その記憶を自由に閲覧できるのだとしたら、彼女が『死に戻り』を知っていることには整合性がある。本当かどうかは知らないが。
そうなるとケイの言っていたタブーを、ルイ・アルネブは侵している。それはどちらかが嘘つきであることを示して…
「――知られちゃダメってやつ?そのことなら、もう遅いよ、お兄さん。だって、あたしたちがお兄さんと会ったのって、もう昨日のことなんでしょ?」
「――――」
「知られちゃダメの『ルール』なら、とっくの昔に破ってる。でも、記憶の回廊の出来事は簡単には外に漏れない。だから、怖い怖い『魔女』が動かないの」
すっと、地面に手足をついたまま、ルイが胡坐を掻くスバルに顔を寄せる。彼女は年齢不相応な妖艶な笑みを浮かべ、ちろちろと赤い舌を覗かせながら、
「ねえ、お兄さん。何回目?」
「……30回、以上かな」
「――っ!すごい、すごいね、すごいよ、すごいわ、すごいじゃない、すごいんだってば、すごいからこそ、すごいって憧れるからこそ……暴飲ッ!暴食ッ!」
「ぐぁっ!」
「お腹がはち切れるくらい、お兄さんのことがたまらなく味わいたいわ!あたしたちの経験からすると、食欲と性欲って似てると思うの。性欲って、つまり愛でしょ?つまりあたしたちは、お兄さんのことを――」
スバルを突き飛ばし、馬乗りになったルイが興奮した顔で熱い息を吐きかけてくる。上気した頬、うっとりとした瞳で、ルイはスバルの首に舌を這わせた。
そのまま、彼女が続けようとした言葉、それが如何なるものか想像がついて――、
発情した女の色香に吐き気を思い出す。
その舌の感触に、トラウマが蘇る。
瞬間的に殺意が体に満ちてくる。
「愛して…」
それは言わせない。
その生理的な嫌悪感に従って思い切り、ルイの横っ面をぶん殴り体勢ごと紡ぐ言葉を崩させる。
「――え??」
そのままの勢いでスバルは圧し掛かる少女の襟首を掴むと、そのまま乱暴に白い床へと強引に押し付けた。体勢を入れ替え、今度はスバルが彼女に馬乗りになる。
「俺の記憶を返せるか?」
「え、なに? ああ、返せって?返さなかったらどうする?あたしたちの、か弱い女の子の首を絞めたりするの?」
少しだけ驚いた様子のルイはスバルを見つめ、先ほどの興奮がちっとも薄れない目のまま唇を緩めた。
そして、緩めた唇から、呪いのような声色で問いかけてくる。
首にはすでにスバルの手がかかっている。
「そんなこと、お兄さんにできちゃうわけ?」
「――さぁ。わからんね。なら、試すべきじゃないか?」
「それって無理してない?いいやしてるネ。だってほら、今のあたしたちって、お兄さんよりお兄さんのこと知ってるんだ。だからそんな無理せずサ」
その言葉を否定したい。けれど体はまるで、相手の言葉を肯定するように、スバルの手には力が入らない。
脳はこいつを殺せと全会一致であるのだが、体が言うことを聞かない。魂が拒絶する。
なるほど。確かに。ナツキ・スバルにはできないらしい。
それを認める。そして相手がそれを見抜いていることも認めよう。
スバル自身のその根本は変わらず、この大罪司教を名乗る人物を自らの手で殺すことはできない。
それはどうしても動かせない事実らしい。
『つまり、シャウラ絞殺の犯人はナツキ君じゃないいうことやんねぇ。これができひんのならナツキ君にできるわけあらへんもん』
そう。スバルはもはや一人じゃない。
こいつはそれを知らないんじゃないか?きっとそうだろう。
人を斬ることも職務である、最優の騎士の記憶があることを知らない。
最強を追い求め、自己鍛錬だけで英雄に伍するほどの力を得た。虎の如き若き戦士の記憶があることを知らない。
計算高く、抜け目のなく全力で物事に当たり続ける天才商人の記憶があることを知らない。
そして、ケイのあの目と言葉を。こいつは知らない。
疑え。疑え。全部疑え。確かめろ!
だからやってみる。手に力を入れようとしてみる。ガーフィールが虎になった時の記憶に自分を重ねて。
自らの獣性を極限まで高めて…
しかしそれでも…
「――腕から、力が抜けちゃったね、お兄さん」
「――――」
殺すことはできなかった。いや、それは正確じゃない。
検証の結果は正確に把握するべきだ。自分の手で絞殺はできなかった。
「ホントに抵抗するつもりはなかったんだよ?だって、ここじゃあたしたちって見たままか弱い女の子でしかないから」
えい、とルイが自分の頬をつついていた指で、首を掴んでいたスバルの右手をつつく。その弱々しい力で、スバルの掌は呆気なく彼女の首を外れ、
なかった。
「あれれ?さっきからお兄さんサ。どうしたの。なんかあった?なんか、違くない?」
「ああ、色々あってさ。決めつけたりとか、期待したりとか。そういうの、やめたんだよ」
「……ん?」
ルイはスバルの様子を測りかねている様子だった。それはそうだろう。内部に人が三人分増えているのだ。人を殺しまくったのだ。変わるなという方が無理だ。
ケイだって最初は殺そうと思ってたし、『暴食』を名乗る奴に優しくする気なんてかけらも無い。
スバルが全く自身の上から退く気配を見せないでいると、ようやくルイが焦りだす。
「お兄さん。何、する気?」
「疑問がいっぱいだからさ。試すんだよ。まずはそうだな、どうせ曖昧な俺の良心ってやつを確かめようかな」
疑い始めてから、スバルの思考は生きてきた中で最高にクリアになっていた。
疑心による思考は、氷のように鋭く冷徹な回答を即座に出せる。
そのスッキリとした頭に従い、体を動かす。
凄まじい抵抗が内側から発生するが、別の思考を使って黙らせた。
スバルは優しく手をルイの頬に添える。
そのままぷにぷにとした顔を触り、親指がルイの眼に侵入した。
突き刺さったわけではないが右目に深々と指が入り、すぐに抜く。
出血はそこまでではない。確実な失明はさせられなかったかもしれない。
いやはや、中途半端だ。
「!?っっっあああぁぁぁぁああ!!」
暴れるルイを押さえつけ、もう一度殴る。あまり力が入らなかったが、ルイは怯えたようにその身を固めて痛みに悶えるだけになった。
ではもう片目も。そう思ったが、手が震えてこれ以上はできそうにない。突き入れた指の感覚がなくなった。
面白い。きっと、自分が受けた傷を返すだけならできるのだろう。それ以上はできないなんて、なんという曖昧な良心なのだろうか。
これがナツキ・スバルの考える正当防衛?笑わせる。なら幾度もの死を味わわせないと釣り合いが取れないというのに。
震える手を見ながら、思わずスバルは失笑した。
ルイは怯えて縮こまっている。その姿を見ると途端にこれ以上の検証ができそうになくなる。
けれど、ここでこいつを殺しておくことほど安心できることはない。
どうにかできないだろうか。
「お兄さんはあたしたちが一番わかってるのに!こんなこと、できるはずないのに!」
頭は動き続ける。
目を潰しておいて損はない。声が邪魔なら喉を潰そう。
その試行錯誤の計画が目線に現れていたのか、片目を失ったルイは抵抗を諦めたようだった。
「ほ、ほんとに?殺すの?」
殺す。殺してみせる。これが、最善だ。
30回だ。30回だぞ。直近でカウントをしただけで、この数だ。
どれだけ仲間を死なせたと思ってる。これをやれなきゃ。また無意味に殺し続けることになる。
まだ最善を尽くせていない。やらなきゃ。やるべきだ。やるんだろう。やるしかない。やるからこそ…
「そうだ。そうだよ。そうサ。結局はお兄さんはあたしたちを殺せないんだ。それは合ってる。ズレてない。どうせ殺すなんてできやしない!」
スバルは、その意思とは裏腹に。その場で動けなくなってしまった。
ああ、きっとダメなのだ。
ナツキ・スバルは、人をこうやって傷つけて、ましてや殺すことはできない。
相手が自分の仇であっても。数々の絶望をもたらした元凶とわかっても、それができない。
だから、アナスタシアに心から頼る。
獣となったガーフィールに助けてもらう。
ユリウスに魂の悲鳴を抑えておいてもらう。
ナツキ・スバルを薄めて、人に渡す。
自分が自分じゃなくなれば、きっと最善を達成できるから。
「〜〜〜っっいたい。いたいよ。痛いね、痛いよ、痛いわ、痛いじゃない、痛いんだってば、痛いからこそ…暴飲ッ!暴食ッ!あたしたちは、これくらいの痛みで、やめたりしない」
スバルは自分の色を薄めて、薄めて。他の色を混ぜる。
その手を再びルイの喉にかける。そして力が入った。
「どうせ、殺せないんでしょう!やってみなよッ!それならそれでッ!」
まるで煽るように、その手を受け入れるルイ。
細い首に、無慈悲な指が絡みつく。
「――ッ……!」
力を込めると、肌の奥で軋むような感触が伝わってくる。喉がひしゃげ、空気の通り道が閉ざされる。
喉の奥でかすれた音が漏れる。苦しさのあまり地面を叩き、体をよじる。足をばたつかせているが抵抗は少ない、ちょっとでも力が加われば簡単に揺らぐだろう指の拘束を揺るがすものはない。
少女の顔が赤から青へ、そして紫へと変わっていく。大きく開かれた瞳には、あらゆる感情が入り混じる。
力を加えるたび、か細い喉が悲鳴を上げるように軋む。肺が空気を求めてひくつき、口をぱくぱくと動かす。言葉にならない懇願が、願いがその瞳の奥に宿る。
スバルは目を固く閉じた。このほうがやりやすいと思ったから。
ナツキ・スバルはいつも見逃す。目を瞑るから見逃すのだ。
今にも死にかけている少女の口が笑って歪むことに、スバルは気づけていなかった。
意思はあった。思考能力も。
疑い始めてからは、これまでの自分が本当に馬鹿みたいに思えるほど、思考がクリアになっていた。
けれど、体が言うことを聞かない。ついてこない。気持ちに体が反応しない。
それでも無理やり動かして、殺意を実行する。
理性が必死に抗っていても、魂と身体が拒絶する。
だから、そこがチグハグになって、不細工なツギハギであるスバルは今にも千切れそうになっていた。
いや、もう壊れかけていたと言ってもいい。
硬い意志とは、揺るがぬ決断とは、つまりは心を硬質化させるのだ。貫くには有用だが、柔軟性は失われる。
無理に曲げようとすれば、欠けてしまうのだ。
だが、それでもいいと思う。スバルが壊れるかどうかも試してやろう。
スバルが犠牲になっても、『暴食』を殺せるのなら。それでも。いやそれでは本末転倒で。
ああ、なんだかよくわからなくなってきた。
閉じた目のように思考の視野も閉ざされていく。
ミシミシ。パキパキと。心が悲鳴をあげていく。
実際に限界だったのだろう。走馬灯のように、時間がゆっくり流れ始める。
限界の直前に、あらゆることに気を配る余裕が少しだけ生まれた。
何か、ある。
誰かが、いる。
だから気付いた。その時、唐突に気付いたのだ。
心の中に光が灯った。そう表現するしかない。
何かの存在を確信できる。目を閉じているのに、声を聞かないようにと耳を塞いでいるのに。新たな目が、耳が、触覚が生まれたかのようにその第六感で知覚する。
そこには、誰かがいた。
スバルは確かに、声を聞いた。
それはルイの声でもない。自分の声でも、脳内の記憶の声でもない第三者。
その声を聞いた時、腕から力が抜ける。
魂と心と脳が一致して、その相手を見ていた。
誰なのか、全くわからない、人影。
徐々に輪郭がはっきりしてくるその人影が、スバルには、微笑んでいるように見えて。
頭を振り、強く瞬きをして、その微笑みを、もっとはっきりと見ようと――、
「――どうして目を閉じて、見なかったことにするんですか?」
問いかけが、投げかけられた。
聞いたことのない声で、この場にいないはずの、誰かの声で。
「――どうして疑うだけで満足して、そこで諦めようとするんですか?」
だって、そんなことを言ったって。限界なのだ。頑張った方だろ。
優先順位をつけて、論理的に考えて…
「――どうして、どちらか一つだけを選ぼうとするんですか?」
微笑んでいるところを見たことがない――青い髪の少女が、微笑んで立っていて。
その、微笑む少女は、黙り込むスバルへと、微笑んだまま――、
「――立ちなさい!!」
――開口一番。
――彼女は、この世で一番厳しい声で、ナツキ・スバルを怒鳴りつけた。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
ルイが迫真の挑発を投げて、殺意が発生してから幾らかの沈黙が流れた。
あと少しで成されるはずだった絞殺が途中で止まり、咳き込む。
ナツキ・スバルはこちらに答えず、何かを見て、何かを聞いている。
さらには、何かに向かって話し始めた。この空間で、あたしたち以外と?
多くの言葉が交わされている。ルイには独り言にしか聞こえない。
その問答のような独白は続くが、理解できない。けれど、これはわかる。
これはルイにとって良くないものだ。だって、だって、だって。あれだけ頑なだったナツキ・スバルの表情が、今はこんなに和らいで…
「ああ、正直信じられないけど、でも視界はクリアになった。これも、確かな一つに、なったよ。ありがとう」
彼女は嫌々と、それまでの表情を消して、何かに怯えているような顔つきになり、
「ここは、あたしたちの場所……邪魔は入らないはずなのに。この場所で、あたしたち以外の誰と話して……やめてよ。お兄さんはあたしたちの、あたしたちの……ッ!」
ゆっくりと、その場に立ち上がったスバルを見上げ、ルイがそう呼びかけてくる。
「どう、したのサ。ほら、あとちょっと、力を入れるだけでできるんだよ?」
「――――」
「続きを……」
ルイの言葉をスバルはすでに聞いていない。
――自分でも驚くぐらい、思考が鈍っている。スバルはそう自覚した。
強い想いが、冷徹な論理を邪魔して曇らせる。
だけど、それでもこの想いがあれば大丈夫だと。そう根拠もなく信じることができる。
スバルは、ケイのようにはなれない。
そんな当たり前の事実を、彼女に言われるまで気づけなかった。
この緩慢な思考とうるさいほどの魂の声に体を預けるという不合理が自分のあるべき姿であると、彼女に言われるまで気づけなかった。
求められる英雄の姿とは、物事の解決者とは、ケイのようであらねばならないと思い込んでいた。
あなたはあなた。私の英雄は、不格好で格好いいのだと、そう言われて驚いた。
弱いのに強い。愚かなのに賢い。
訳のわからない。説明がつかない。合理的じゃない。
そしてそんな状態こそが、スバルにとってのベストだとも確信できる。
ようやく、わかった。スバルは何かのために頑張りたいのだ。そう在りたいのだと心から思えた。
体と心が、一致していく。
脳と魂が、繋がっていく。
無理やりなツギハギがほつれて、無様な元の自分に少しだけ立ち戻る。
柔らかく、凹んでしまうようになったかもしれない。これまでの方が、敵は殺せるかもしれない。
けどスバルは、敵を殺したいんじゃない。
仲間を救いたいのだ。
何より、言われてしまった。立ちなさいと。
立って進め。全部を救えと。非情なまでの希望を、自分勝手な幻想を叩きつけられてしまった。
何より強い信じる声。その声に圧倒されたのだ。スバルは。
そう在りたいと心から願った。
だから、やる。
「もう、何も言わなくていい。説明は最初から一つも信じてない」
そのスバルの指摘に、ルイは「いやいやいや」と首を横に振って、
「……酷いなァ。あたしたちはちゃァんとお兄さんのことを思って、これから色々アドバイスしてあげようと思ってたのに……」
「もうちょっとだとでも思ったか?バカかお前は。いや、バカだお前は。俺はお前の口撃なんかとは全く別の問題で精神グラつきまくってただけ、自縄自縛に忙しすぎてお前の言葉なんかハナから聞いちゃいない。勝手に殺そうとして、死にかけただけだ」
「――――」
体と頭と魂が、ズレて剥がれて、バラバラになるところだった。
あの声が止めてくれなければ、叱咤がなければ一体どうなっていただろう。
ルイにあれ以上の暴行を加えていたら、殺していたら。どうなっていただろう。
だが、結果はシンプルだ。
叱咤してくれた、彼女の英雄になりたいと。今のスバルもそう思った。思わせてくれた。
「――――」
ナツキ・スバルには、全てを疑う才能がない。
魂の形は別にある。疑心や疑念は、人に預ける。ある程度は。
そうしないと結局壊れてしまうと、試してみてわかった。
もう変わってしまった部分は戻らない。純粋無垢に信じることはできない。
だけど、全部を疑心暗鬼にもやりきれない。
そうだ、半信半疑でいい。スバルにはきっと、これくらいの中途半端がちょうどいい。
スバルはすでに道を外れている。心の底から元には戻れない。
でも、みんなが信じるナツキ・スバルならこう言うだろうと、そう考えて宣言する。
「――ナイフとフォークは片付けろ、食い逃げ犯。お前に食わせるタンメンはねぇ」
だから、全部を疑うナツキ・スバルなら言うことを、素直に宣言する。
「お前がして欲しそうなこと、俺は一つもしてやらない。一生一人で餓死するまでおままごとしてろ」
信念も疑念も大切だ。今のスバルを構成する大切な土台は混ざり合って。今ようやく安定した。
「――――」
目を、見開いた。
ルイ・アルネブは目を見開いて、自分に指を突き付けるスバルを見つめている。
「あァ……」
俯いて、掠れた吐息が漏れる。
「あと一歩で、完全に『ナツキ・スバル』とナツキ・スバルを引き剥がせたのに……!」
「……そうだよな。お前殺されたがってたもんな。危ないとこだよ」
「――ッ」
彼女はその場に手足をついて立ち上がり、それまでと一変した表情――人間味を失った獣のような顔つきでスバルを睨む。
「そういや、何のためにそんなことをしてやがる?お前らの目的は、なんだ?」
「――幸せになることだよ」
「――――」
その反応に目もくれず、ルイは精神的に不安定そうな目つきでカチカチと歯を鳴らし、
「幸せになることだよ。他に何の目的があんの?当たり前でしょ?それとも、嫌われ者のあたしたちはそこから捻じ曲がってるとでも……ッ」
その激情は、
「長そうだし、やっぱいいわ。お前のこととか、ガチで興味ない」
疑う部分のスバルは、無駄なものに容赦がない。誰かさんに似てしまったかもしれないが、こいつらにはこれでいい。
吐き捨てるように興味を捨てて独白を遮る。もういいとばかりにルイに背を向ける。
全部に興味を向けるほど、今のスバルのキャパシティは大きくない。いらないものは疑うことすらも省かねば。
振り返ったスバルの背後、白い空間に亀裂が生じ、その向こう側が揺らめいて見える。
スバルの、書庫へ戻らなくてはならないと、その意思に感応して。
「――――」
あの一瞬だけ、ナツキ・スバルを止めて、立ち上がらせるために現れてくれた、少女。
記憶と名前を奪われ、それ故に唯一、世界の果てでスバルを呼んでくれた少女。
その存在を第六感が感じ取ってる。不思議な感覚だった。
「大丈夫。――約束は、覚えてる。もう疑ったり、無理はしない。…そんなには」
ナツキ・スバルは、きっとそれを忘れない。
だから、きっとまた、会える。
――そのときはその笑う顔をちゃんと自分の目で見たい。そう思って。
「――――」
そう意気込んで、スバルは仲間たちの下へ帰るために、亀裂へと身を躍らせた。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「あァ、あァ、あァ、チクショウ!傷物にして!勝手に変わって!聞きもしないで!振り返りもしない!なんて男だッ!」
「これで終わったと思うなよ、ナツキ・スバル……ッ!」
「お前の、人生は、あたしたちのもんだァァァ――ッ!!」
ウタガウスバルは、『半信半疑』状態になった!