一層の詳細を確認し、消し飛ばされ。また同じところから目が覚める。
「ではスバル殿、ご指示を」
目覚めてから、この状況を整えるまで大した苦労はなかった。
心から、嘘偽りなくスバルは宣言しそれが採用された。
「レイドの本を読んだよ。もう第一層に行く方法はわかってる。そこに何があるかもだいたいわかる。それがここを攻略する鍵だ。全力で取り組むにはみんながいると、むしろ不利になるんだ。ここは任せてほしい」
そして出てくる一人でそんなことはさせられないという反論をケイという鬼札で黙らせた。
すでに幾度も成功させていることだ。ベアトリスへの物理的な説得もコツがある。
そうして、
スバルは今、シャウラと二人で例のバルコニーにいた。
仲間たちは、もうすぐ出発するはずだ。また死ぬことになるが、これは命懸けでないとできないことだと確信がある。
「――お前はなんで、そんなに俺を疑わないんだ?」
「――?当たり前じゃないッスか。理由なんて聞かれても困るッスよ。それこそお前は今まで食べたパンの枚数をってやつッス」
自分の頬に指を立てて、あっけらかんと答えるシャウラにいまさら胸が痛んだ。
本当に、今更だ。
「そりゃ、使い方違うっての。いやでも、わかった。わかってた」
「お前は、死ねって言ってもそうするもんな」
「当然ッスよ。死ぬ時は言ってくれればやるッスよ!」
「わかってる。わかってる」
掠れたスバルの返事を聞いて、シャウラが頬に指をやったまま首をひねる。その首の動きに合わせ、彼女の長い三つ編み――スコーピオンテールが揺れている。
「お師様?大丈夫ッスか?顔色がよくないッスよ?あーしの膝枕とか、腕枕とか、胸枕とか抱き枕とか、そのあたりでリフレッシュするッスか?」
「……そんな余裕、ないだろ。お前もあんのかよ」
「塔がわちゃくちゃしてるのは事実ッスけど、あーし的にはお師様の方が優先順位がぐっと上なんで、それ以外のことは全部ぜーんぶ後回しッスよ。だから、お師様がどさくさに紛れてあーしとくんずほぐれつしたいってんなら大歓迎ッス。燃えるッス」
「燃えない。砂かけといてくれ」
「お師様ったらいけずッス~」
唇を尖らせ、拗ねた風な顔つきをするシャウラ。
「――――」
全員に澱みなく指示を出し、撤退のための布陣は敷いてはある。
スバルの自殺にみんなを巻き込むのは忍びない。可能な限り彼らには生きていて欲しかった。
この周回、ナツキ・スバルは――、
「お、お師様?本格的になんか変じゃないッスか?そんな目で見つめられると、四百年もお預け食らったあーしは我慢ならなくなるッスよ……?」
自分をじっと見つめるスバルの視線に、シャウラが自分の細い体を腕で抱く。それはどことなく、普段通りを装おうとしているが、そうではない。
彼女は実際、スバルの態度に不安を覚えている様子だ。らしくない――否、違う。おそらく、それは彼女の真意なのだろう。
「お前は、俺と一緒にいたいのか?」
シャウラは絶句して、そして。そして花のように笑って答える。
まるで夢を見ているかのように。
「そんなの、いっっちばんの当たり前ッス!お師様と一緒にいるのがあーしの。全身全霊をかけた願いっすよ!」
相手の願いも話も聞かずに、好き勝手にその命を使った事実に、また心がひび割れる気がした。
けれど、立ち止まりはしない。
「シャウラ、続けて質問ばっかで悪いんだが、聞きたいことがある。聞いた話だと、このプレアデス監視塔の『試験』にはいくつかルールがあるはずだな?」
「あーしが火照ってるタイミングで聞くのがそれッスか!?……そりゃあるッスよ?前にも話したッスけど……」
「一、『試験』を終えずに去ることを禁ず。二、『試験』の決まりに反することを禁ず。三、書庫への不敬を禁ず。四、塔そのものへの破壊行為を禁ず。ってとこまでは聞いた、それで…」
スバルはその目に確信を持って問う。
「それで、五つ目は?」
「……ないッス。お師様、聞いてなかったッスか?あーし、四つまでしか言ってないはずッス。お師様ったらうっかりが過ぎるッスよ…」
「シャウラ、言いたくないのは、俺と一緒にいれなくなるからだな?」
じりと、音を立ててスバルが一歩、シャウラとの距離を詰めた。
「――NGッス」
首を横に振り、シャウラが豊満な自分の胸の前で腕を交差させ、バツ印を作る。
仕草自体は子どもっぽいが、彼女の瞳は真剣どころの話ではなかった。
「――――」
じっと、危うい場所に立つスバルを見つめ、シャウラの瞳を激情が満たす。
その静かで、しかしどこまでも深い激情は、哀願と呼ぶべき、脆く儚いものだった。
「NGッス。やだ、何も話したくないッス。聞いてほしいのは一緒にいたいって方ッスよ。なんで、まだ言っていないのに。そんな目で。あーしの好きなお師様の目になってるッスか。やだ!イヤッス!」
「ごめんな。でも、止まれない。予想を話すから聞いてくれ。塔のルールには穴がある。きっとデカい穴が。ルールは破られるためにあるなんて言うもんな。これも例外じゃない」
聞き分けのない子どものように、シャウラが自分の耳を塞いで顔を背ける。そのシャウラの態度に、スバルは強い口調で言い放った。
「なん、で――だって、だってまだ、四日、ッスよ」
囁くようにこぼれた声が、スバルの思考を短く止めた。
シャウラは瞳に哀願を宿したまま、その唇を震わせ、続ける。
「まだ、お師様たちが塔にきて、たったの四日目ッス。そのうち、最初はお師様が寝込んでたから、あーしとお師様が会って、話して、くっつけたのは二日……四百年も待ったのに!たったの二日ッスよ……」
「シャウラ……」
「一瞬で、一目でいいって、思ってたッス」
目を伏せかけ、シャウラは視線を下へ落とすのをすぐにやめた。まるで、スバルを一瞬でも視界から外すことが惜しいと言わんばかりに。
「四百年、塔でずっと、お師様を待ってたッス。一目、見られたらそれで満足と思ってたッス。――でも、そんなの嘘だったッス」
「――――」
「だって、お師様はあーしの全てなんスもん。お師様の全部で、お師様を想う全部であーしができてるッス。四百年の全部使ったって、お師様に伝えきれないッス。それが、たったの二日で……そんなの、嫌ッス」
「……わかった。俺はお前と一緒にいてやる」
信じられないという顔でシャウラはスバルの顔を見た。
「引きこもりを連れ出すのは得意なんだ。『試験』もルールも何もかも全部ぶっ壊して、食わせてやるよ。俺の渾身の料理をな。あの簡易な料理で泣いてたけど、本格的なやつは比べ物になんねえぞ?自家製マヨ食ってみろ飛ぶぞ?」
だから、だからだ。
「シャウラ、五つ目のルールを聞かせてくれ」
「お師様……」
「それを聞けなきゃ、無駄になっちまう。お前を救ってみせるから、信じて話せ」
哀願するシャウラの言葉を、スバルが大きな声で遮った。その剣幕にシャウラの肩が震えた。その震えた肩を掴む。熱い。掌が焼けそうなほど、シャウラの体温はもはや炎のように高まっていた。
だが、手を離さない。今、彼女の心身を焼き焦がすモノを、手放さない。
「それを聞けたら、ひとまずここでは一緒に死んでやる。どうだよ。一世一代のヤンデレ告白だぜ」
「――――」
真っ直ぐ、スバルがそう言ったのを聞いて、シャウラが驚愕に目を見開いた。
それから彼女は「お師様」とスバルを呼んで、
「お師様の、女たらし。そこまで言うなら死ぬんじゃなくて、子作りしましょッス」
「全然無理。バキバキの童貞なめんなよ。誠に遺憾だが」
「今際の際でもいけずッス〜。じゃあ、キスで我慢するッス」
「ごめん。そっちの方がもっと無理、それなら子作りの方が億倍ハードル低いわ」
「なんかお師様の貞操観念が壊れて屈折してるッス!値引いた上に割り引いて、じゃあハグは?これくらいでもダメならもう交渉にならんッスよ!」
スバルは現在、性的な事柄、特にキスというものに異常なまでのトラウマを抱えている。実のところ、深刻だった。
「ていうかもうお前のことそういう目で見れねえよ。いや、ナイスバディは認めるけども。ちなみに、俺にはすでに心に決めた人がいる。だから…」
最悪のタイミングで最悪のカミングアウトを重ねるが、シャウラは動じない。
「わかってるッスよ。あーしが射止められるのは真心じゃなくて下心だけってことッスね。しかし、お師様がまさかの一途な純愛ッスか?…うへぇ〜似合わないッス〜」
「いや、二人いるっぽい…」
「さっすがお師様!無理心中相手に、罪悪感を抱かせないなんて凄すぎッス!!3号以下になれって口説くの最悪すぎッスね!」
大きく笑い、シャウラはそっと、自分の肩を掴むスバルの手に己の手を重ねた。
そして――、
「――五、『試験』の破壊を禁ぜず、ッス」
「そこまで、露骨だとは思わなかったな。これ、お前の攻略ゲーだったのか…」
「お師様?」
「――俺は、お前を助ける。これは絶対だ」
「――――」
シャウラを抱きしめ、そのままバルコニーの外へと向かう。
トラウマに硬直する体を無理やりに、その虚空へと捩じ込んでいく。
しっかりと抱きしめると、あう。と力なくシャウラは抱擁を返してくる。
まるで小さな少女を抱きしめているような、『色欲』とは程遠い感覚が最後の後押しになって、空中へと身を踊らせた。
時間だ。
落下しながらシャウラの発熱が無視できないほどの熱量に高まって、彼女が内側から変わっていく。
黒目が複数に分かれて、震えているが。スバルからは見えていない。
感触だけでも、十分に理解できた。
スバルはもう閉じこもらない。見るのをやめない。
死に向かって行くが、視界はクリアだ。曇りなき眼で地平を睨む。
「離さないから、安心しろよ」
まるで夢が叶ったような。子供のように胸中で顔を擦り付けてはしゃぐシャウラは、幸せそうだった。
「お師様…!お師様お師様…!」
自由落下の感覚に、慣れ始めている自分がいる。
死の間際の思考が、どんどんと早まっていく。加速していく。
これでもう迷いはない。
仲間たちは全員救う。そこで、気づいた。心の中の光が一つ多い。
ケイではないこれは…いや、今はいい。
シャウラは仲間だ。そう感じるから、そう信じる。
今、シャウラは間違いなく幸せだった。
『コル・レオニス』から伝わる感情も、深い歓喜が伝わってくる。
だが、こんなのは、認めない。
人の幸せは人それぞれ?そんな正論はクソ食らえだ。
これまでの怠惰を横に置き、スバルは自らの強欲のままに、あまりに傲慢にそう言い切る。
会いたかった人にようやく会えたと思ったら無理心中?
会いたい人とずっと会えず、ようやく邂逅してもすぐ終わり?織姫と彦星の話が美談として語られることに昔から違和感があった。
こんなものが幸せだなんてスバルは認めてやらない。
絶対に、この世界にはもっと幸せがある。
広い世界を見渡せば、美味しいものが。楽しいことが。美しいものが。
『お師様』なんぞよりも彼女にとって重要になるかもしれない人がいるかもしれないじゃないか。
この閉じ込められた子供のような少女の手を引いて、広い世界を旅させてやりたい。
また一つ。決まった。スバルの信念が増えた。
シャウラに「お師様なんて、もういらないッス」と言わせる。親離れさせておいて、お師様とやらを愕然とさせてやる。
誰を助けて、誰を助けなくて、誰を倒して、誰を守って、誰を愛するのか。
誰を疑い。誰を信じるのか。
それを確かめなくては、これ以上ナツキ・スバルは進めないと思っていたから。
信疑をもう、迷わない。
数百メートルからの着弾に、ナツキ・スバルという存在は当然耐えられない。
爆ぜ、命は散る。
しかし、命が散る寸前に、たった一言だけ――、
「――必ず、連れて行ってやる」
一人の男が、大きなサソリと地面へ吸い込まれていった。
彼らは、決して離れてはいかなかった。
愛の告白と、死の悲劇が交差していく。
スバルだけが全てを背負い、決して忘れずに持っていく。
全部の告白を、全部の悲劇を無駄にしないように、スバルは新たな世界へと旅立つのだった。