シャウラと一緒に死んでから目覚める。
散々殺した彼女も救うと、スバルは勝手に心に決めた。
このふざけた塔の決まりなど知るものか。スバルの罪もどうでもいい。
あいつをこの狭い塔でサソリの魔獣になんてしてやるものか。
ここを出て、色んなものを見せてやる。
朝食の時には、いつもその味に感動していた。大袈裟すぎるそのリアクションに当初は困惑もしていたが、話を聞けば納得しかない。
彼女は400年間。たった一人で魔獣を殺しそれを食べて生きていた。
どんな罪を犯せば、こんな地獄のような拷問を受けるに値するのだろうか?
ただひたすらに、そんな理不尽を押し付けた相手を敬い続け、それに従い続ける。
まるで、そう作られたかのようにそれを当たり前として疑問にすら思わない。
今ならわかる。この残酷さが。
疑心を奪われるという蛮行を、もう自分は許せない。
シャウラを自由にする。それくらいは当たり前だ。
また一つ。前に進むための確信を積み上げた。
それは制約なんかじゃない。スバルが動き続けるための、正しく燃料となる。
『決めたのはええけど、どないするん?』
そうだ。その疑問は正しい。それを実現するにはどうすれば良いのか?
今のスバルには足りないものが多すぎる。
力が、理解が、手数が、知識が、前提が足りない。
ナツキ・スバルならどうにかできるのか?できるのだろう。
だが、つい最近まで執着していたナツキ・スバルのパッチワークにもまた、意味はないと気付かされた。
どれだけ今のスバルに外からのスバルの印象をツギハギして取り繕ったとしても、スバル自身の体験がなければ嘘みたいな英雄の姿を見せつけられるだけになる。
『死に戻り』とは側から見るのと実際にやるのではあまりに違うものなのだ。
『大将のことァなァんにもわかってなかったんだな。俺様ァ…』
気にするなとガーフィールを宥める。そんな憧れの眼差しもまた燃料になるのだから。
それに、すでに次のすべきことは決まっている。
自分自身の『死者の書』を見つけて、ナツキ・スバルを取り戻す。
俺だけじゃあダメだ。『死に戻り』の限界も見えてきた。
「見えてきたなんて、随分と皮肉な表現じゃねーかよ。おい」
視界が見えなくなることでわかるとは。自分の表現にまさに自嘲した笑いが出る。
『すでに限界は近い。君はよくやっているが、やはり負荷は無視できないね』
ユリウスは冷静に分析する。視力が無くなることを、無視はできないなんてちょっと笑える。
『そんな風に言葉尻を捉えるのはよくないぞ。そんな意図はない。君の…』
よしよし。OK。それでいい。わかった。すまんかった。
一人で考え込むと、今でもこうやって沈み込んでしまいそうになる。
パトラッシュ、エミリア、ケイ、レム、シャウラ。
大切な人たちから受け取った火が消えないうちにどうにかしなければ。
今は行動をする時だ。
実際問題このままでは、何もできなくなる。視界があるうちに『死者の書』を読まねばならない。
その捜索方法は、スバルの中にある。
あの落下の中、加速した思考の中で、スバルはついにこの力の使い方を身につけた。
『コル・レオニス』そう呟いて、脳裏に映る光を辿る。
いくつもの仲間たちの存在を感じる。
陣営も関係なく彼らはスバルの仲間だ。そう、これがあれば『色欲』のなりすましに騙されることはない。
この力を疑うことは意味がないと本能でわかる。そういうものなのだと納得して前提にできる。
あまりに膨大な死と徒労。どれだけ対価を払っても見つからなかった本が、あまりにもあっさりと見つかった。
スバルの手には、『菜月昴』の漢字が書かれた本がある。
その出会いに血の気が引く。ここで見つかるというのは、非常に都合が良い。
良いのだが、それゆえに何かの存在を感じて、それが見ているような感じがして。
「もしくは、神じゃなくても、誰かの……」
思惑であると、スバルは確信する。
「時間を遡ってるのか、世界そのものを作り直してるのか、どっちなのかって考えたことはあったが……」
仮に、『死者の書』が『菜月・昴』の本を生成する方法を仮定した場合、最も高い可能性は後者のように思えてならない。だとしたら、このナツキ・スバルを取り巻く現象は『死に戻り』なんて可愛げのあるものではなく――、
『それ今考えることなん?まーた悪い癖が出とるよ?』
「バカか、俺は。ああ、馬鹿だ俺は。……この、臆病者が」
アナスタシアはいつも核心を突いてくれる。疑念を彼女に預けたのは正解だった。
『やるなら早めに、とっととすまそ。それが、最善や』
「――っ」
息を強く吐いて、『死者の書』を、開いた。
そして、『菜月・昴』の、どこから始まって、どこで終わるのかわからない旅路が――。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
――これは本気でヤバい。
顔面に硬い衝撃が走り、腹部には灼けつくような熱が広がる。
――これは、全部、俺の血か。
危機を知らせなければならなかった。
ここが危険だと伝えて、彼女が足を踏み入れないようにしなければならなかった。
それなのに――
澄んだ鈴のような声が、決して入ってはならない場所へと届く。
「――バル?――」
止めなくてはいけなかった。
それなのに、間に合わなかった。
「――っ!」
悲鳴が響き、鈍い衝撃音と共に誰かが床へ倒れ込む。
「……待っていろ」
すべてが終わったとわかっているのに。
この先がもう決まっているとわかっているのに。
まるでまだ終わっていないかのように、未練がましく、誓うのだ。
「俺が、必ず――」
――お前を、救ってみせる。
そして、次の瞬間。
彼、いや俺は、――ナツキ・スバルは命を落とした。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「こ、こは……」
先ほどまでの薄暗く小汚い建物の中ではなく、『タイゲタ』の書庫の中にいる。
ゆっくりと体を起こし、呆然とした頭を振って、大慌てで自分の腹を触った。
そこに、命を危うくするほどの傷がある、はずだった。
しかし――、
「な、い……ない、腹、斬られて、ない……っ」
『ナツキ・スバル。落ち着け。私たちのことを思い出すんだ。君は死んでいない。自分が死んだ記憶を体験しただけだ』
「死んだ…記憶」
鋭い刃物に腹を裂かれ、血泡と無力感に溺れながら死んでいく最期。
挙句、それで死ぬのが自分一人ならまだ許せた。だが、そうではなかった。
最悪の死の状況に歯噛みする。
「――これは、『菜月・昴』の『死者の書』だ」
でもそれだけは、それだけは絶対に、間違えようのない事実だった。
「――――」
どうしようもなく、愚かで脆弱で、救いようのない存在――『ナツキ・スバル』。
膨れ上がった自己意識に溺れ、積み重ねた親不孝に目を背け続けた。
挙句の果てに、異世界への召喚を都合よく現実逃避の手段として利用し、後ろ向きな楽観主義で自分をも、周囲をも、すべてを欺こうとする詐欺師のような男。
その愚かさの果てに生まれた結末こそが、あの盗品蔵での惨劇だった。
最期の瞬間、未練がましく言葉を紡いではいたが、あの時の『ナツキ・スバル』には、自らが死を越え、時間を遡る確信などなかったはずだ。
少なくとも、その時の自分はそうだった――そう考えたとき、ふと気づく。
自分と『ナツキ・スバル』を、冷静に切り離して捉えることができていないと。
その理由は明白だった。
「今までのどの時より、深く入り込んでいる……」
ガーフィールの『死者の書』を読んだ際の追体験も相当なものだったが、今回の没入感はそれをはるかに超えている。
「――――」
これまで読んだ他の『死者の書』では、どんなに混乱しても、自分と対象とを区別する手がかりがあった。
人種の違い、年齢の違い、価値観の違い――そうした要素が、自分と相手を切り離し、別の存在であると納得させる拠り所になっていた。
しかし、今回は違う。
向き合う相手は、他でもない自分自身。
本来ならあり得ない、自分であって自分でない存在。
その矛盾が、否応なくナツキ・スバルを自己との対決へと追い込んでいた。
「――エミリア。エミリア、信じろ。疑え。エミリア、エミリア、疑え。エミリア、エミリア、疑って、信じ続けろ!」
自分が塗り潰されるような感覚に、スバルは魔法のようにエミリアの名前を呼ぶ。
差異を連呼して、違いを確かめる。あのスバルはエミリアのことをサテラと認識していた。その違いに縋り付く。
そして、さらに自分が自分であるという何よりの証明。その疑心を挟み込むことで正気を保った。
本当に、正気なのか?
『正気なんてそんなん。わかるわけないわ。やから行動するだけ。せやろ?』
この言葉に救われている時点で、正気なんてとっくに失っているのではないか。
それでも、行動を続ける。本を見つけた。
『100回も同じの読まされるのよりはマシなんと違う?気休めにもならんけど…』
次の旅が、始まった。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
――『ナツキ・スバル』の歩みは、無様で無計画で、救いようがなかった。
準備もせず、実力もなく死地に飛び込み、そして死ぬ。ただそれだけだ。
ロム爺もフェルトも。エミリアも。
何より自分も救えずに死を重ねていく。
最期の最後まで、怯え、震え、怖がりながら、みっともなく――、
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
これまでは割と上手く切り抜けていたのに、チンピラ三人に刺されて死にかけているのが今のスバルだ。
まさしく無駄死に、犬死に、救えない。
サテラでない少女をサテラと呼んで、そのことを彼女自身に罵られ、明々白々な事情さえ察することができず、思考を放棄した先で舐めてかかった相手に殺される。
『嫌やわあ。疑わんと、考えんと、こうなるんやねえ』
次だ。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
眠ったと思えばいつの間にか死んでいる時もある。
次から次へと、命を狙われ、奪われ、砕かれ、ついには裏切られる。
何よりわからないことが増えた。
何故、自分を殺した青髪の少女を救おうとしているのか。
何故、彼女は挫け、膝を屈したスバルの背中をああも強く押したのか。
何故、彼女の言葉に力をもらい、進めるような気になったのか。
疑問がスバルを覆っていく。
でも、信じると決めた。信念に従って手を止めない。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「はぁ、はぁ……」
前後も天地もわからない。何が今で、何が過去かわからない。
次から次へと、休まず多角的に殴られ続けている気分だった。
「――これで、八冊。でも…ま、だ……」
嫌な予感がする。
「――――」
決定的な、『ナツキ・スバル』にだけ与えられる、何かがあるはずだ。
それがナツキ・スバルと、『ナツキ・スバル』とを明確に分ける鍵となる。せめて、その鍵が得られるまで、この『死者の書』を巡る旅は終わらない。
ナツキ・スバルが、『ナツキ・スバル』として羽化する、決定的な鍵。
みんなの期待を、受け止める救世主となり得る鍵。
そう思っていた。信じていたというよりも、願っていたのだ。
スバルが、『コル・レオニス』を発現させるのに成功したように、『ナツキ・スバル』だけが覚醒した、特別な『何か』が、あって、それが。鍵となって全てが上手くいくのだと。
そうであってくれと心から祈っていた。
一冊。また一冊と読むたびに、嫌な予感が確信へと近づいていく。
半信半疑のスバルは、『ナツキ・スバル』をも疑っている。
もしかすると、いやまさか。
それでもまだ確定はしていない。本を読み進めなければ。
目下、最後の死因である腹の裂傷、あったはずの傷に触れ、スバルは呟く。
記憶が、ガーフィールの『死者の書』で見たそれと重なり始めた。
聖域での戦いと、ロズワールの屋敷での戦闘が重なっていく。
「ないのか…?『何か』なんて都合の良いもん。ないのかよ…?」
認めざるを得なくなってきた。
「お前が、俺と同じで、弱くてちっぽけで、何の力もない奴だって……」
――何度も膝を屈しそうになって、そのたびに誰かに背中を叩かれて、自分に良くしてくれるみんなに報いたいから、優しくしてもらえたから、返したくて。
そして、ケイの手と知恵を借りて、愚直にもただ諦めないだけのバカしか見つからなかった。
「頼むよ、『ナツキ・スバル』。お願いだ。頼むから、やめてくれ……」
――超人であってくれた方が、ずっとよかった。
――自分とは似ても似つかない、心身ともに弱さを超越した存在であってほしかった。
――だから、自分にはできないことができたのだと、納得させてほしかった。
それなのに――。
毟るように本を抜き出して、度重なる『死』に頭を殴られて、そのたびに心を打ち砕かれながら、懸命に、懸命に、泥を啜るように、命を蝕んで。
それでも、最後の最後まで、縋り付ける可能性は捨てたくなくて――。
「――――」
掴んだ本を、開く。
疑心を松明に、暗い洞窟を進むような心地だった。
今や火は翳り、ほとんど確信に近い信じがたい事実が迫りつつある。
毎度、発狂するかと思う程の苦痛や苦悶、無力感や羞恥を覚悟する。
その方がまだ、希望を失うよりマシだから。覚悟を持って記憶の旅を続けていく。
そうして、水門都市へとやってきた記憶が始まった。
先ほどまでの覚悟なんてものが、いかに軽いものかを魂に刻みつけられる。
視界がなくなっている状態で、読み切れるのか?
俺は、ここで何も見えなくなるんじゃないか。その恐怖に体が震える。
意識が回帰するたびに目に映る色を認めて安心し、霞む視界が焦燥を生み出す。
恐怖は正しかった。
水門都市という美しい街がスバルに齎したのは、これまでの死を全て合わせた全部でも足りないほど。
圧倒的な死の物量がそこにある。
死んだ。死んだ。死に続けた。
スバルだけではない。クルシュが肉塊となって、集まったものたちは皆死んで。
ある時はプリシラによって灰にさせて、異形の人型が暴れることもあって…
戦いの最中の無能の責任を取るように、死によって負債をゼロにすべくあがき続ける。
死んで。死んだ。死に続けた。
通常であれば、耐えられるようなものではなかった。ここで終わっていたと思う。
押し寄せる死の波濤は、それほどの数だった。
だけれど、その度に、ケイはスバルの前に立つ。
その目が、頭脳が、スバルの語れぬ全てを見通して彼も合わせて同じ数だけ死んだ。
「いや、別にこれは僕が勝手にやってるだけだ。エルザへの報酬にもなる」
「首を切ることが報酬になるだなんて、酷い認識違いがあるものね。どの辺りが褒美なの?」
「殺していいと言っただけだ。首を切って苦しませるな、なんて言ってない。お前が勝手に配慮したんだよ。僕のせいにしないでくれ」
エルザの変わりように、愕然とする。彼女にはつい先ほど、盗品蔵で殺されたばかりだ。記憶に新しすぎる。
そのエルザと今のエルザは、別人だった。
ケイが救い、変えたのだ。
やっぱりこいつはすごい。ケイという友人にスバルも影響されている。
友人であると、今はそう感じる。数少ない友人だ。
彼の死をこう何度も見せつけられ続けることが、ここまで心を苛むなんて思わなかった。
やめてくれ。そんなことをしなくても俺は頑張れる。
やめてくれ。死は辛いものだって。俺は知ってる。そんな風に意味もなく死ぬなんて。
いや、意味はあった。ケイの死はスバルを打ちのめす。
「お前は全部を背負うんだろうが、僕の死だけは背負わなくていい。勝手に生き続けるからな」
死に慣れない。慣れさせてくれない。そんなことを言われたら、途中でやめられない。
死ぬたびに視界が消える感じがする。けれど、ケイのあの目を思い出し、そして目を開けると少し光が見えるのだ。
ケイの死には、意味があった。そう言うために今スバルが折れてはいけない。
友人の死に意味を作るのは、今生きているスバルの仕事だ。
そして、もう一冊と手を伸ばす。
用済みになった本は、すでに床を占領している。
自分の歴史が、そこに山のように積み上がっていた。
伸ばし、続ける。
「わかるか?わかるんだろ『ナツキ・スバル』……」
指先は手繰るようにして『死者の書』を抜き出す。
そして、あとはきっと、トドメを求めるような気持ちで――、
「――ああ、わかるよ」
「――――」
白い、白い世界だった。
気付けば、スバルは書庫ではなく、記憶と重なる形のない存在としてでもなく、見知った、ここではない場所へと移っていて。
そこで――、
「わかるよ、ナツキ・スバル」
「――――」
「だって、お前は俺なんだから、な」
白い世界に立ち尽くす、見知った三白眼が、ナツキ・スバルを待っていた。