短い黒髪、胴長短足、人でも殺していそうな三白眼。
どれを取っても、嫌になるぐらい見覚えのあるそれが、白い地べたに座り込むナツキ・スバルを見下ろしていた。
「――――」
呆然と、まじまじと、相手の顔を見る。
どこからどう見ても、知っている顔――とは言えないはずだ。スバルの右目はすでに光を失って久しい。
その眼差しは全く違うものだろう。
「やっぱ、その目、見えなくなってるのか?」
「ああ、そうだよ。馬鹿みたいに信じて。勝手に裏切られたと思って、そして疑って、みんなを死なせて、死に続けた末路だよ」
意表を突かれたような、辛い表情で自分を見つめる『ナツキ・スバル』。
「改めて、挨拶からしよう。よう、もう一人の俺」
努めていつも通りに挨拶をしているが、スバルにはわかる。緊張しているのだろう。自分のことのようにそれがわかった。
「もう一人のボクってか?ふざけんなよ『ナツキ・スバル』」
「なんかイントネーション変じゃね?まぁ区別はいるのか…余裕ある感じ、じゃあないよな」
一目見てわかることをいちいち聞いてくる。自分にイラついても仕方ないが、こちらも限界である。気を遣おうという思いはカケラも持てない。
「わかんねぇなんて戯言は言わせねぇぞ。限界一歩手前、マジで終わる五秒前だ。目の前が真っ暗になった!っていつ出るかわからねぇ。こんなふざけた事言いながら、脳内のイマジナリーフレンドに支えられて、いちいち疑って。みんなを信じてようやくだ。死に続けるのは、俺には無理だ」
最後には、軽口の調子が崩れて切実な激白へと変わっていた。
「それは、誰にだって無理だろ」
「ああ、無理だ。ケイみたいなやつ以外は。言ったろ。限界だって」
「俺たちは、あの聖域の『試練』とロズワールとの勝負でそれをしないと決めた。それは正しかったってことだよな」
「ああ、こんなの耐えられない。ケイのおかげで動けるようになったし、レムのおかげで疑う割合は減ったけど。でもそれでも多すぎるらしい。このままなら俺の視界が消えるのは、時間の問題だ。その前に、お前を見つけられて…なんていうか。感無量だよ」
そうだ。視界が消えるまでに見つけた。追いついた。この時点で大金星だろう。
「実際ブチギレられるかと思ってたぜ。自分の行動が予想と違うっていうのは、なんかちょっとどころじゃない違和感だけど」
「じゃあ、早いとこ済ましちまおう。最後まで来たんだ。教えてくれよ。『ナツキ・スバル』の秘訣ってやつを」
随分と単刀直入な物言いになったものだと、そんな風に驚く表情を『ナツキ・スバル』は浮かべている。
「俺は結局見つけられなかった。わからないんだ。一体どれのことなんだ?何を見落としてる?どうすればよかった?」
まさか…
「それも、もう全部見てきただろ?あれで、全部だよ」
その沈黙は、長くは続かなかった。
まさかの回答が、やはりきた。そう言われると思っていたが、だがやはり許せない気持ちが暴れ出す。
「……じゃあ…何か?ただ死に戻りだけで頑張ってた。それだけだってのか?本当にそれだけ?おい。ふざけんのもいい加減にしろよ?こっちは遊びじゃねーんだよ!言うに事欠いてここで根性論の感情論?ふっざけんな!!!」
そして、そんな物言いはどこまでもナツキ・スバルであって。とても偽物とは思えなかった。
「お前が、『暴食』のルイなんじゃないかってずっと疑ってた。だからきっと、ここで知りたきゃ手を取れとか。何かしてくるもんだと思ってたよ。それに唾吐いて帰るつもりだったのに。それなのに!」
「お前。本物かよ…信じ、られねぇよ」
「ああ、本物だ。その全てを疑うような苦痛を俺は、知らない。俺はどこまでも誰かを信じてここまできたから。その絶望を俺は分かってやれない。俺たちはその部分だけ別人だ」
「さらに言うなら、お前のほうがもう知ってることは多いからなんならそっちが最新のナツキ・スバルって言えるかもしれねえ」
「でもさ。見てきただろ?感じてきただろ。俺たちのこれまでを」
そう言われて、ハッとする。させられる
これまで体験した異世界生活は、間違いなく自分の体験として記憶にある。
「レムにあれだけ言われて、立ち上がれない奴がいるか?ケイに叱られて、そんで認められて初めて孤独に気づいたろ。オットーにぶん殴られて、自分が思い上がってるってわからせてくれたしな。父さんとお母さんが、あんな風に想ってくれてることぐらい、俺たちはずっと知ってたはずだ。だって、俺の父さんとお母さんなんだから!」
『ナツキ・スバル』が通り過ぎた景色を、乗り越えるために必要だった切っ掛けを、スバルが求めた『何か』ではない、ただ積み重ねただけの願いが、確かにあって。
「エミリアが好きだ。守ってあげたい。一緒にいたい。俺を騎士にしたいって、そう思ってもらえたんだ。嬉しかった。ベアトリスをようやく連れ出せた。あの子が苦しんでた時間の分だけ幸せにしてやりたい。レムに誇れる英雄でありたい。ずっと一緒に俺の姿を見ていてほしい」
「ケイのあの目を裏切れない。期待するわけでも出来ない俺を馬鹿にするわけでもなく、ただ俺を見ているあの目に何度助けられた?それでもあれに見られるとキツイよな。安心感と劣等感でおかしくなりそうになる。でもケイみたいに俺たちはなれない。なろうとも思わない。思っちゃいけない」
だから――、
「――お前が諦められないのは、お前がただ、みんなが好きなだけだ。悪いな。俺は死んでも平気な超人じゃない。天才でもない。バカで弱いガキのままだよ」
痛いほど響いた沈黙は、目線のおかしいスバルが破る。
「お前、やっぱりルイじゃないんだな」
「まだ疑ってたのか。すげぇよ。本当に、そんなに疑うなんて俺には出来ない」
「エミリアに言われたんだ。自分を、みんなを信じてくれって。ケイに言われたよ。どうせ疑うんなら全部疑えって。あの子に叱られた。苦手で下手なことやってないで立って確かめに行けって」
「レムと話せたのか。羨ましいぜ。叱ってもらえるのは俺だけだと思ってたのに…」
「それだけ言われて立ち上がって、それでも目の前が真っ暗になる寸前だった。何もできずに終わるとこだった」
「でも、ここに来ただろ。間に合ったさ。そう自分を卑下するなよ。……って言っても難しいか。お前、俺だもんな」
スバルは、『ナツキ・スバル』を見て最後の感情を吐露する。
「……『ナツキ・スバル』は弱くて、ちっぽけで、救いようのない大馬鹿だ」
「違いねぇ」
「でも」
「――?」
力なく呟くスバルに、苦笑しながら同意しようとした『スバル』が眉を上げる。
そんな『スバル』を見ながら、スバルは区切った言葉の先を口にする。
それは――、
「――お前は、すごい奴だよ、『ナツキ・スバル』」
――それは、80回以上の『死に戻り』を見てきた、掛け値なしの本音だった。
「お前はすごいよ。根性だけで、好きだって気持ちだけでここまでやれるんだ。これも才能って言っていいんじゃねぇかな。ていうか。仲間を信じるってそんなにすごいのかよ。俺も信じてたら、信じられてたら、もっと頑張れたかな」
スバルは、『ナツキ・スバル』と対峙する。
「俺は、お前を信じない。信じられる要素はない。お前がルイである可能性はまだ残ってる。俺の魂が、全身全霊が、お前を俺だと認めていても、この疑心も俺だ。今の俺はこうなんだ」
「だから、俺にお前の力を見せてくれ。『ナツキ・スバル』は諦めないんだろ?信じて前に進み続けるんだろ?じゃあ、俺のことも信じさせてみろよ。してくれ。頼むから」
それは、ナツキ・スバルから『ナツキ・スバル』への懇願であり『試験』だった。
「ああ、お前も救ってみせる。でも、俺はさっき言った通り、言われた通りだ。無知蒙昧で猪突猛進って割には踏ん切りが悪い。何より弱いし、ぶっちゃけ一人じゃ何もできん。それが俺だ」
『ナツキ・スバル』は悪びれもせずに無能を自称する。
「だから、助けてくれ。頼りにしてるぜ。お前ら」
一体、何を?
「そこまで素直に頼られるというのは些か奇妙というか、いや言葉が正確ではないな。気持ちが悪いと、そう言ってしまおうか」
皮肉げにスバルへ親愛を示す騎士がいた。
「いや、そこまではっちゃけるか?この場面で。騎士たれよお前は」
まだいる。別の存在がまた増えた。いや、最初からいたのか。
「大将が二人ッいるなんてよォ!『カッサルの身分けは親でも見紛う』ってなァ!だけど、俺様の勘は誤魔化せねえ」
豪快に、二人は同じものであるとそう断ずる弟分がいた。
「ガーフィールから見ても、俺は俺だそうだ。格言はちょっと俺にはまだわからんが、信憑性は増したぜ、ありがとなガーフィール」
彼ら二人は、『ナツキ・スバル』の隣にいる。怖くないと、そう言って手招きしてくれる。
だがしかし、これが本当にユリウスとガーフィールという訳ではない。あくまでスバルが記憶を使って再現しているだけだ。
自分にとって、都合の良い夢を投影しているだけではないのか?
ここが一番大事なんだ。どうすれば、信じられる?まだ、俺は信じきれない。
これが、『ナツキ・スバル』の限界なのか?
「いや、俺たちで知恵比べしてても意味がないだろ。どうせ自分だ。だから素直に人の話を聞いて決めようぜ。最後にダメ押しだ。アナスタシアさん。俺たちには想像できないようなこと、気づいてるって顔だよな?」
『ナツキ・スバル』はそう言ってスバルの後ろに声をかけていた。
振り返ればそこには、疑心を預けたアナスタシアが微笑んで立っている。
「嫌やわあ二人とも。今のナツキ君にそないな勧誘したって疑心が強まるだけやって。もっと頭使わな」
スバルの疑心を理解してくれる人がいた。彼女は自分よりも自分のことを分かっている。
「ナツキ君気づいてた?これが『暴食』ならむしろ良い機会や。これまでの記憶、味わわせてやればそれで勝負は終わるやん」
それは、一体どういうことだ?
スバルは二人して、その言葉の意味がわからない。
「そないな顔して、ほんまにわからんのね。やっぱり異世界って変な人しかおらんのとちゃう?」
異世界の知識も共有しているだろうに、アナスタシアは軽口をやめない。
「単純や。ナツキ君の死の体験、ウチらも理解できんそれは、間違いなく『暴食』には耐えられんよ。あんな苦痛、この世の誰も耐えられん。実際ナツキ君でも異常やね。ちゃんと耐えられるのなんて書記君くらいやない?この世ならざるものやしね」
そう言ってイタズラっぽく笑うアナスタシアの言葉に、視界が開けたような気がした。
いや、事実として両目の視界が今はある。
久々に、あまりに久々に両目で相手を捉えて、手を伸ばす。
「お前が、本物でも偽物でもどっちでも問題ない。そうだな。これは間違いない。大丈夫だ」
それくらいには自信がある。この世の誰もなんてスバルは思わないが、少なくともあの人生を舐めたクソガキに耐えられるような苦しみじゃない。
この辛さだけは、何より信じてやってもいい。
というか、心では、魂ではすでに。相手が自分であると認めていた。
これは、盛大な言い訳だ。
「大丈夫、か」
「そうだよな。大丈夫だよな」
「……ああ、でも、うん。これは、言わなきゃだ」
「――――」
「あいつに伝えろ――くらいやがれ、バカ野郎ってな」
――手と手を合わせる、ベタなやり取りが最後だった。そして始まりでもある。
最後にそれかよ?
両者が同時に思った、その言葉は『ナツキ・スバル』の口から出ていた。
余韻も冷めやらぬ中、不意に、ナツキ・スバルの無自覚な、83回の『死』がフラッシュバックした。
いずれも、塔の中で足掻きもがき、その過程で味わうこととなった『死』の数々――引き継がれるかどうか、不安視されていた部分は繋がった。
繋がりは、したが。
「お前の、体験…エグすぎだろ……勘弁してくれ。ていうか、マジでごめん」
散々、スバルを称賛する言葉を並べたもう一人の自分。その孤軍奮闘と、仲間を信じてからの悪戦苦闘ぶりを呑み込んで、スバルは理解する。
確かに、スバルが言っていた通り。――お前のことなら、尊敬できる。
そんな感慨と、異様に速い拍動を押さえ込むように深呼吸して、頷く。
それからスバルは顔を上げ、前を見つめた。
それは、変わらぬ白い空間。
イレギュラーな事態が作り出した、記憶の回廊に生じた空白地帯。
つい、数瞬前まで、スバルと手を合わせる、もう一人のスバルがいた場所。――そこでへたり込む、小柄な人影を見下ろし、スバルは黒瞳を細めた。
そして――、
「どうだ。お前が見たがってたものは見られたかよ。――ルイ・アルネブ」
『死者の書』を読み進め、この場へ辿り着いて消えたナツキ・スバル――否、ルイ・アルネブへと、スバルは静かにそう問いかけた。
「?」
唐突な呼びかけに、意識の覚醒を得たルイは目を丸くした。
「――――」
自分の顔に手を触れ、ぺたぺたと感触を確かめる。
そして四肢が震え出す。ガタガタと、どうしようもなく震えていった。
「お前の見たがってたものは見られたか?」
ゆっくりと、呆然と、自分を確かめるルイ。
その行動が一段落ついたところで、ふと、問いかけを今一度重ねられた。顔を上げ、ルイは正面、ずっと目の前に立っていた人物を見る。
見た瞬間に、ルイの精神は限界を迎えた。
「――ぁ」
これは死の具現化。理解不能の、死の常習者だ。
「ぁ、だめ…」
ルイは卒倒し、白い床に盛大に頭をぶつけた。
ゴンっ。という鈍い音が、一切受け身も取れない相手の状態を教えてくれていた。
ルイ・アルネブが現れて、そして意識を手放した。
スバルはつかつかと歩み寄り。その頬を張って目覚めさせる。
「…は、ぁ?」
ルイの瞳にスバルが映ると、その直後に彼女は逃げ出した。
ルイは生まれて初めて本気で走った。逃げて逃げて、逃げ続ける。けれど、この場所は現実のように空間が広がっている訳ではない。
心象風景というか、必要最低限というか。ともあれ二人の距離は一向に離れない。
必死に走るが、当然足はついてこない。もつれて倒れ込み顔面から床にぶつかる。
鼻から血を流し、それでも離れようとするが息が切れて動けない。
「はぁっ…はぁっ…!いや…いやあぁぁ…」
大罪司教が無様に床を這いつくばって、初めてまともな言葉を話した。
「死にたくない」
それが、それだけが。彼女の願いだった。
「もう、幸せになりたいってのはいいのか?言わんこっちゃねえ。飯に夢中で人の親切を聞き逃すからそうなるんだ」
頭を抱えて、蹲って、嫌々と必死に自分を守ろうとするルイ。
スバルが声をかけるたび、耳を塞いで声を出しどうにかその声を聞こえないように小細工している。
意味はなさそうだが。
「だから言ったろ――絶対、後悔するってな」
震えて怯え続けるルイにスバルは冷たく目線を投げた。
統合は成った。だから全てを疑うスバルも、今のスバルの一部になった。
アナスタシアと疑うスバルの声が脳内に響いて、そして結論が出る。
「お前らには、優しい部分は使わなくていいから楽でいいな。俺からお前にいうべきことは、実際ない。お前はどうせ記憶を手放さないし、どう考えても俺を諦めはしない。そして俺はお前を許さないし、救わないし、考えうる限りの不幸せになってほしいと思ってる。ていうか、そうしてやる。これは宣言だ。意味は、わかるな?」
それは死刑宣告だった。
だってルイはスバルの全部を知っている。だからわかる。その宣言は絶対に成されるのだと。
「ここにいる間は、現実と同じ時間が流れてる。前もそうだったけど、お前なんかにこれ以上、一秒だって使ってやるかよ。ほら伝言だ」
後ろを向くと、出口が生まれる。
スバルは以前に言った通りに言葉を投げる。
「くらいやがれバカ野郎。そんなに死にたいんなら勝手にどうぞだ」
唾を吐き捨てるように言い放ち、暴言も置いておく。
スバルには見えていた。
ルイの後ろに立つもう一人のルイを。
その表情は以前と同じで、食べることしか考えていない『暴食』の顔。
そして非常に見慣れた特徴として、片目が見えていないようだった。
縮こまった万全のルイとはもはや別人だ。
自業自得だ。食べたものが血肉になる。それは変化だ。
変化とは不可逆なのだ。喰らったものは自分を変える。
お前らは、自分と折り合いつけられるのか?
無理だろうなと確信をする。結果の決まった光景を見る必要はない。
スバルは、これ以上何も言わずに一目もくれずに出て行った。