衝戟に備えろ
リーファウス街道を走り、フリューゲルの大樹を目指す本隊は粛々と行軍していた。
戦力はいくつか役割ごとに分けられ、指揮系統を整理している。
主力は、三つの軸で構成されていた。
一つは魔石砲15門と魔法隊40名による遠距離攻撃。
主に最初の奇襲とトドメの一撃を任されている。
この後方火力への相手の攻撃を許さぬように前衛と中衛は立ち回る必要がある。
砲の射撃可能回数は3回だけである。魔法隊の合力による極大魔法は2回ほど。極大魔法は準備の関係で最初と後半にしか使用できないがその威力は絶大だ。
すでに先行して陣を準備をしている手筈である。
一つは戦車化した竜車と騎竜兵による中距離攻撃。
高い機動力と射程を活かして継続して矢と槍を浴びせ続ける。
小さな矢や当たりどころの悪いバリスタでは痛打を与えることはできないだろうが、それは主目的でないため問題ない。
15名とバリスタ戦車一両を一つの小隊として25の小隊を構成している。総勢375名だ。
想定よりも人数が多く、小隊長クラスの人材が不足したが現役の近衛騎士を10名ほど先日の決闘を煽った罰として街道のゴミ掃除を名目に引っ張ってきた。クルシュの演説が効いたらしい。もっと多くの志願があったが、これ以上はと止められた。
ここに追加で鉄の牙の総員50名が追加される。ライガーと呼ばれる騎乗動物は非常に俊敏であり、機動力は地竜より上だ。
この二つの集団をケイが指揮をとる。名目上は最高指揮官はクルシュだが、すでにブリーフィングを繰り返してケイの思考能力と預けられた信頼は証明している。
白鯨討伐の折、クルシュに何かあれば一時的に陣営の全権代理を任されるほどだ。
すでに計画は詳細に伝えており、簡単な合図をあげるだけではあるが重要な役割だ。
最後の一つ
ヴィルヘルムとクルシュ。他に討伐隊から3名。鉄の牙の団長が率いる副団長3名とユリウス。スバルとレムの二人もこちらだ。
白鯨に対して有効打を与えられると判断された戦力たち。
遊撃の立ち位置を自由に選択し、最適な攻撃を与えるように指揮系統からは外しているがそれぞれに役割と目的を負わせてある。
例えばクルシュの一太刀は援護のために使われる。それに集中するため、戦端を開く最初の号令以外の指揮はケイが預かった。
そのほかに物資の運搬や補給を担う輜重部隊が忙しなく動いており、戦時には救命のための部隊も出る。
討伐隊はいまや600名に近い威容をもって静かに目的地へ向かう。
他にも考えうる限りの準備をしているが、何が起こるかはわからない。
そんな高揚と不安が一緒になったような感覚が全員を包んでいる。
大樹が見える。
その木の下に砲撃のための陣が敷かれている。一日かけて土魔法による塹壕が掘られ、土手のような地形が作られており、面制圧の攻撃に対して備えを欠かしていない。機動力のない後方部隊は、せめて盾にできるようにと大樹の周辺に固めている。
さて、時間まであと3時間ほど最後の準備を仕上げる。
定刻が迫り、大樹の根元には戦前の張り詰めた緊迫感が満ち始めていた。
交代で食事と仮眠をとり、場に集った討伐隊のコンディションは万全だ。
長い行軍に付き合った地竜とライガーも十分な休息を得て、今は背に乗せる騎手の指示を今か今かと待ち構えている様子だった。
息を殺し、心を落ち着けて、全員がその時を待っている。
「定刻まで、あと数分だな」
静かにそう呟き、クルシュは横に立つフェリスが小さく頷くのをちらと見る。
クルシュの隣に長年侍り、こういった事態に慣れているはずのフェリスですらも、今は常の調子を優先するような素振りが一切ない。
張り詰めた緊張に呑まれている、のではない。彼は自分がこの討伐隊の一種の生命線であることを理解し、その役割に従事しようとしているのだ。
だというのに、この男は。
スバルとレムの乗る地竜に繋がれた竜車で横になり、居眠りをしているケイを睨む。
普段と何も変わらない。あと本当にもう少しというタイミングで何故か起き上がり、伸びをして体をほぐす。その様を見ると笑えてくる。
「そろそろですね」
唐突に、それは闇夜に沈むリーファウス街道に響き渡った。
「――――ッ!」
軽やかな音が連鎖し、重なり合うそれは自然と音楽となって鼓膜を震わせる。
音の発生源に目を向ければ、輝く魔法器を手にするスバルの姿が彼女からは見えた。その手元のミーティアから、その音楽が流れ出していることも。
つまり――、
「総員、警戒だ――」
スバルの宣言によれば、ミーティアが鳴って一分以内に白鯨が出現するとのことだ。
そう、あの偽物のミーティアである。
あれは時間を見ているだけだろうとはケイがその意図を伝えてくれた。
しかしどうしても不安は残る。加護で見抜いた上でそれを無視するなど、理性では理解していても不安は拭えない。
まるでその不安を見透かすように、頭上に暗雲がかかったようだった。月明かりが遮られ、周囲が少し暗くなる。
リーファウス街道に落ちる静けさは変わらず、周囲の景色にも変化はない。
今もまた、空を泳ぐ雲によって月明かりが遮られ、暗く大きな影が視界を覆い尽くしているが――。
「――――っ」
見上げ、クルシュはその自分の浅はかな考えを即座に呪った。
月明かりが遮られ、影が落ちている。
その光を遮断した雲霞がゆっくりと高度を下げ、目の前に迫る。
それは、あまりにも大きな魚影を空に浮かべる魔獣であった。
クルシュが息を呑んだのと同時、ほとんど全ての討伐隊の面々が同じ事実を察した。そして全員の意思が統一されると、彼らの視線がクルシュへと投げかけられる。
――先制攻撃、その命令を待っているのだ。
機先を制し、白鯨の出現の頭を押さえることには成功した。
あとは手筈通りに奇襲を打ち込み、戦線を支配するだけだ。
「――――」
息を吸い、クルシュは最初の号令を発しようと心を決める。
白鯨はいまだ、矮小なこちらの存在には気付いていない。静かに頭を巡らせて、まるで自分がどこにいるのかを確かめようとしているかのように、その動きは頼りなげで、なにより隙だらけであった。
「――全員」
総攻撃、とそれを口にしようとして、
「――ぶちかませぇッ!!」
「――アルヒューマ!!」
クルシュを乗り越えて号令が発され、同時に魔法の詠唱によりマナが展開。
すさまじい密度で練り上げられた超級の強大さを誇る氷柱が、立て続けに四本一斉に世界に具現化――射出されたそれが白鯨の胴体に撃ち込まれ、一拍遅れて白鯨の絶叫と噴出したドス黒い血が大地に降り注ぐ。
そして間髪入れずに、魔石砲による砲撃と、魔法隊の極大魔法が突き刺さる。
あまりの轟音に、白鯨の絶叫すらかき消される。
慌てて見れば、そこにはスバルとレムが駆け出している。レムの腰に抱きついているスバルがガッツポーズし、詠唱による先制攻撃を果たしたレムは自らの役割を全うしたとばかりに会心の表情だ。そして繋がれた後ろの竜車に乗り込んだケイは、指示用の強い光を発する魔石灯を用いて遠距離攻撃後の指示をおおまかに行なっている。屋根を外して機動力を上げたため、遠くからでもよく見える。
チラリとこっちを見る。
何してんだ。早くしろと。不敬な考えが透けて見える。
その二人の先走り――もとい、先陣を切る姿に討伐隊が動揺。それを見て、クルシュは自分の口が大きく歪むのを堪えられない。
怒り、ではない。笑いによってだ。
「全員――あの馬鹿共に続け!!」
クルシュの号令と同時に剣を振り抜き風の刃を白鯨へ届かせる。『百人一太刀』と呼ばれる超射程の斬撃である。
白鯨の腹に裂傷を刻むと、討伐隊の面々が反射的に応じて攻撃を開始する。
すさまじい土埃が巻き上がり、その向こうで白鯨の絶叫が再度高らかに、リーファウス街道の夜空へ木霊していく。
白鯨討伐戦が満を持して、火蓋を切った。
それも、最高といえる形で。
ケイは落ち着きながら数える。
魔法は当たり大きく高度は下がった。砲撃も10以上は当たったと思う。高度は少し下がる程度か。
クルシュの号令にバリスタが届き始める。しっかりと腹に突き刺さり大量の血を出すが、その銛のような形状の槍は決して抜けないようにしてある。
先ほどのクルシュの一太刀も十分な出血を起こしている。
ここで決める。
続けての砲撃を指示。再び15の砲門が火を吹いた。これであと撃てるのは一回だけ。
込められた魔鉱石が射出され、中空で弾けるとそれが色に呼応した破壊の力へと変換され、白鯨の胴体へ立て続けに着弾する。
炎が、氷が、土塊が刃に、槍に、槌になって叩きつけられ、最初の砲撃とレムとクルシュが作った傷口を押し広げ、悶える巨躯から血霧が噴出し、街道にどす黒い雨を降らせる。
霧雨のように視界を覆う鮮血を避けながら、地竜が機敏な動きで白鯨を大きく迂回するように背後を目指す。打ち合わせ通りの流れだ。
さらに高度の下がった白鯨をバリスタと騎乗投げ槍、弓が襲う。
「空!『夜払い』がきます!目をつむってください!!」
レムがスバルへの忠告を叫ぶ。
世界が瞬く。白光が空で爆発し、一瞬で夜の世界を白い輝きが焼き尽くす。
照明弾を使用し、視界を確保できた。
これで剣が届くだろうか。
夜の闇が切り払われて、まるで真昼のように視界を確保された世界が展開されていた。
頭上、すでに沈んだ太陽の代わりに輝くのは、白鯨への先制攻撃と同時に射出された『夜払いの結晶石』だ。砕かれることで疑似的な光源を生み出し、闇を照らす効果を持つ結晶であり、本来ならば極々わずかな輝きで薄闇を照らす程度との話だが。
「金とコネに飽かして山ほど買い込んだやつを一斉に粉砕、疑似太陽の出来上がりってわけだな」
そして照らされた白鯨を見れば、そこには無惨な光景が広がっている。
山の如き巨体に無数の傷と槍、矢を受けて剣山のような状態である。そしてその刺さったものには紐や鎖が繋がっており、それをぶら下げて白鯨は高度を下げている。
精彩を欠いたように身を捩らせて苦悶の声をあげている。
確かに多くの傷はつけたが、その巨体に対してはそこまで効くものか。
「なぁケイ!あれあんなに効くもんなのか?」
「矢尻にはあらゆる毒を適当に、大きな銛の返しには岩塩を大量に仕込んでおいた。何を嫌がっているのかはわからないが、多少は嫌がらせになってるみたいだな」
出血毒に神経毒。植物由来から動物、鉱物。さらには魔獣の毒に至るまであらゆる種類の毒を持ち込んでいる。岩塩についても立派な毒であり、血液を汚染し続ける。体内に一定以上が溜まれば高ナトリウム血症による脱水症状まで期待できる。何より安価で大量にあるためいくらでも使い込める。
「やっぱお前キャラ違くねぇ!?敬語はないほうが良いけどさ!そしてなんて悪魔じみたこと思いつくんだお前!」
スバルは改めて白鯨を眺める。
白鯨――その異名で呼ばれるだけあって、その魔獣の姿は白に覆われていた。
岩盤のようにささくれ立った肌には白い体毛が無数に生え揃い、その強靭さは生半可な攻撃では内側にダメージを通さない。遠視で見た全容はなるほど知識にある鯨に酷似しているが、その大きさが予想を二周りは追い越している。
スバルの知識にある限りでは、世界最大の鯨がシロナガスクジラ――全長は三十メートル前後であり、文字通り最大にして最重の哺乳類であるといえる。
だが目視で見た白鯨の体躯は三十メートルを軽々と越えて、五十メートルに迫ろうかという規模の大きさだ。ここまでくると、それは生き物であるというよりはひとつの山に近い。
ひとつの白い岩山が、なんの冗談か空を悠々と泳いでいる。
「王手だ」
その光景を見てケイは思わず呟いていた。
全ての猛攻を煙幕としてだけ活用しその山に取り付いた人物がいる。まだまだ高度はあるが、異次元の跳躍によって垂れ下がる綱の一つを掴んだ剣鬼が、その体を振り子のように加速して、白鯨に着地した。
脇目も振らずに駆け上がる。その足には鉤のようなスパイクがついており、まるで地面と変わらない機動を見せている。
剣鬼が目指すのは、ケイから指示された急所のみ。
この14年練り上げた剣気を、その一振りに込めて振るう。
剣鬼の執念の一太刀は、
感じる浮遊感。急降下をすることで足場を失ったが、それくらいで終わる剣鬼ではない。空中で予備を抜剣し切り掛かるが、足場をなくした斬撃では異常に硬い角を断ち切ることはできなかった。
本能的な恐怖を感じたのか、さらに高度を下げる白鯨。頭上の脅威から逃げようとすれば必然地面に近づいている。
体に取りつかれ、巨体を揺する白鯨はそのヴィルヘルムに有効打を持たない。軽やかに走る老剣士を振り落とさんと、再び颶風をまとう旋回で空を泳ぐも、
「わざわざ斬られにくるとは協力的でけっこう」
宙で白鯨の身が回転する寸前、短く跳躍するヴィルヘルムが剣を突き立てて身を浮かせる。と、その場で一回転する白鯨の身を突き立つ刃が綺麗に走り、白鯨は自ら自分の体を刃に対して献上した形になる。黒い血が降り注ぐ。
角は警戒が高い、次の目標へ。剣鬼は激情に駆られながらも、ケイの作戦をなぞる。それが最もこの獣が嫌がるだろうから。
十分に地面に近づくと、そこで待つのは槍の雨、鉄の牙の精鋭たち。
思い思いに槍を浴びせていく。
その多くはダメージにはなっていないだろう。
しかし、重りになっている。刺さるだけ毒がその血を汚染する。重ねれば必ず命に届く。
「すげえええええ!かなり効いてるだろ!このままいけんじゃねぇか?」
スバルが喝采をあげるのも仕方ない。あまりにも一方的な波状攻撃だ。
同時に剣鬼は頭頂部のあたりを探り、ケイの予言した亀裂、噴気孔と呼ばれる口を見つけて切り刻む。
V字に切り取り、腰から出した火の魔石を押し込んで下がる。
次の瞬間、音が消える。
小規模な爆発だが、籠もった空間における爆発はその威力を倍増させる。
噴気孔は明らかに使える状態ではなく、回復するのも難しいほど切り取って破壊した。
その一撃はいまだに混乱から立ち直っていなかった白鯨に、会心の衝撃となって急激に高度を落としていく。
この400年間、名だたる英雄が、膨大な大軍が。その全てが望んだ光景がそこにあった。
地面に白鯨が接触する。
「うおおおおおおおお!」
いまだ撃墜したとは言えないが、腹を不本意に地面につけて周囲を確認しようとしている。
『勝てる』
皆がそう思った。最高に高まった士気はさらに上がり、恐怖を消していく。
今しかないと、体に取り付いて攻撃し始め、より傷が増えていく。
圧倒的な展開だ。我先にと飛びかかり、ダメージを重ねる勇士たち。
歴史的な快挙。白鯨を初手で地に落とした。
理想の状態を描き、それを現実にした討伐隊。それは間違いのない偉業である。
そんな勝勢の中、冷や水を浴びせるような絶叫が響く。
「離れろおおおおおおおおお!」
焦り顔を歪めるケイの叫び声など全員が初めて聞いた。
そして次の瞬間、白鯨が回った。
体を地面に擦り付けるように、蜂に群がられた熊のように。
自分にまとわりつく虫をすり潰さんと驚きの速度で地面の上で転がった。
50メートルを超える山のような巨体が転がったのだ。
たったそれだけ。そのはずが、さっきまでそこで奮闘していた命が消え去った。
巨体を寄せて近づきすぎた者たちを弾き飛ばし、押しつぶす。次々と潰えていく。
取り付いて攻撃していたものたちは皆、あまりの優勢に忘れていた。
決して入ってはいけないと言われていた死域に入っている。
その暴れようはまさに決死といったもの。
さらに、白鯨に変化が訪れる。
――白鯨の全身から無数の口が生じ、それが一斉に歯を剥き出して開いたのだ。
「――――ッ!!」
金切り声のような咆哮が平原の大気を高く震動させ、その声の届くものの精神を直接爪で掻き毟るような不快感を与える。
その咆哮に人間はもちろん、地竜やライガーといった動物たちまでも背筋を震わせる。本能に呼びかけるそれは足をすくませ、戦士だった存在を無防備をさらす獲物へと変える。
さらに霧が噴き出して、それをしながら暴れている。ヴィルヘルムもたまらずに離れる。
「スバル!やってくれ!」
その惨状にスバルも思考を停止していたが、ケイの言葉に我に返る。
「あ、ああ。そうだよな。そうだ。俺がやらねぇと。よっしゃみんなもっと耳塞げ!!!俺はs…」
停滞が訪れ、ペナルティを課していく。時間が戻り、ぎゅっと瞑った目を開けると、目が合った。
最初の出会いを思い出す。自分より大きいあの目。その色が赤に変わっている。
その奥底に言い表せない執着を見る。
暴れていた姿が嘘のように、霧の中から白鯨の赤い目が、スバルだけを静かに見ていた。
【ケイにとっての記憶について】
白鯨の霧に消されると、あらゆる者の記憶と記録から存在が抹消される。亜人であってもどうなるかはわからない。
ケイは仮に消滅から復活するとしても記憶が失われるとすれば、それは自身の死であると定義している。
その死は、断頭されて自身の肉体に別の頭が構成されることよりも深刻であり、記憶を失うくらいなら断頭でも受け入れる覚悟を決めている。