亜人:ゼロから始める異世界生活   作:ZAT23

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【FILE:161】蓄積

 

 

 

ケイは再び『色欲』と対峙した。

 

「ベア子!扉渡りだ!それでシャウラはこっちに来る!レイドも食われて出歩けるはずだ。出くわさないように…」

 

スバルはレムとラムを抱えたまま、扉へと突っ込んだ。ベアトリスの魔法とパトラッシュも支えていたから、きっとなんとかなるだろう。

 

「ケイ!そいつは死者の書が弱点だ!あと、『佐藤』は使うな!終わったら、下を援護して…」

 

扉へ飛び込み、言葉が途中で消えた。扉を閉められた廊下の先から彼らの足音はしない。

 

今、凄まじい不吉な単語をスバルが残していったな。

 

いや、忠告はありがたい。本当に助かる。そしてどこかの世界では自分はあれを使ったらしい。

何を考えているのだろうか。どんな最悪な状況でも、佐藤を解放するような手は打つつもりはないのだが。

 

『あらら、ひどいね。あんなに雑な一言だけで、全部台無しだよ。スバル君は反則だなぁ』

 

取り繕う意味もないのだろう。勝手なことを呟いている。

 

『いいなぁ。きっとどこかの私は、楽しんだんだろうね』

 

それは悪夢に違いない。そんなことは絶対に避ける。ここに誓おう。

それきり、佐藤の残滓は黙りこくった。

 

さて、話には聞いていたが、こんなに簡単に空間跳躍を見せつけられて、やはり魔法の規格外さを思い知る。

一つ反則的な魔法を知るたびに防衛計画を見直さなければならない地獄の期間はだいぶ前に終わったが、それでも日々新しいものと出会うことになる。

 

メモにもあったが、『死者の書』かロクでもないな。本当に。けれど、利用価値は高そうだ。

 

「あー、あの『死者の書』でしたっけ?あれが一体なんなんです?なーんも関係ないですよアタクシには。この手で触っても何にも起きやしませんでしたから。好きなメス肉の記憶ごと味わいたいってんなら、止めませんがね」

 

「へえ。お前が、誰かの『死者の書』を?意外だな。探すのは誰のだ?ああ、もしかして」

 

冷徹な知性が、相手の底を見抜いていく。

 

スバルは言っていた。『暴食』を殺したと。

そしてレイドが食われたとも言った。普通に考えれば残るルイとやらがレイドを食った結果、彼が再現されたということなのだろうが、それではこいつが『死者の書』を漁る理由がない。

 

こいつはバカだが、自分では結構頭を使えていると思っている。あの色々な人間が混ざったような老人が『暴食』だったならあいつにも入れ知恵されたのだろう。

 

ならばきっと、ちゃんと意味があって有効な一手に使ったのだ。

 

「そうか。お前、ロイの本を見つけたんだな?」

 

カペラが嘘みたいな無表情を保つ。バカだな、それはいつも通りとは言えない。

 

「ほんっとうに気持ちわりいほどの察しの良さですね。理解ある彼君とか言われて調子乗んないでくださいよきっもち悪い。そういう論理を振りかざすでっかち男はバカな女に嫌われるってなもんです」

 

ん?ちょっと待て。少し前に違和感があった。

重要な何かが、今掠めた気がした。

 

だが、しかし。それよりは、まず時間稼ぎに集中しよう。

左手薬指のことを煽ってやればいつでもキレさせる自信はあったが、せっかく会話ができるならリスクは低い方が良い。

 

「ああ、そういうことか。どうしてロイがいたのかわかった」

 

カペラは理解できないものを見る目でケイを見ていた。

まぁ、これくらいでいいか。もう少し対話で引き延ばせるだろうか。

 

「お前は。『死者の書』が弱点ってわけじゃない。特定の『死者の書』が嫌なんだ。お前、やっぱり家族仲が悪いだろ?」

 

アルの踏み抜いた地雷のことを、ケイは当然忘れていない。

 

 

「それで?今の推測がぜえ〜んぶおめでたくも正解だとして、書庫までアタクシがお前を行かせるとでも?まーたあの見えない協力者ってやつですか?あいつがいようが関係ない。来るまでにお前のことを話せない肉塊にして、それでようやく愛せるってなもんですよ」

 

やけにカペラは冷静だった。やはり何かされているな。無理して『色欲』ぶる必要すらないらしい。

あの『賢者』の魔法だろう。

 

以前にはなかったアクセサリーまでつけている。あれが魔造具か?

 

 

時間稼ぎの甲斐があり、事前に出していたIBMが目的地まで到達。

しかし、ケイは絶句した。

 

当然、本体は動いていない。『色欲』と対峙したままだ。スバルに言われてから即座にIBMを書庫に走らせていたのだ。

 

そこにあるのは、あまりにも膨大な本、本、本。

 

 

おい。嘘だろ?

 

死んでいった全人類の本があるとすれば、それは悪夢のような計算が導かれる。

 

 

ルグニカおよび4大国の人口はだいたい3000〜5000万人程度。

少なく見積もって、この世界に2億人の人間がいると仮定して、過去400年間でどれだけの死者が出たのか考える。

 

まず、毎年どれくらいの人が死ぬのかを考えればいい。人口がほぼ一定と仮定すると、死者数は出生数と釣り合うはずだ。となると、平均寿命がカギになる。

 

……400年の平均寿命をざっくり50年としよう。

 

すると、世界の人口2億人が50年で全員入れ替わる計算になる。つまり、毎年 2億 ÷ 50 = 400万人 が亡くなる。

 

……じゃあ、400年分となると?

 

単純に 400万人 × 400年 = 16億人 か。

 

いや、もっと多いだろう。現在の人口は最終的な結果である。

多産多死の結果がこうだ。成人どころか3歳を迎えるまでに死んだ人間は凄まじい数に及ぶ。

 

もちろん、戦争や疫病、大災害があるため、これからかなり数は増えるだろう。400年以上前の本があればそれだけで爆発的に増えていく。嫉妬の魔女の大災害での死者数まで含めたら恐ろしいことになる。

 

つまり、何がわかったかと言えば。ここから探し物をするのは無理だということ。

 

この書庫が機能するならば、入室者に縁のあるものたちから順に置いておいてもらわないと意味がない。

設計の不備なのか。IBMが人間判定されていないのかは知らないがここからピンポイントで本を見つけるというのは、運が必要だ。

 

ケイは自分の運などというものを信じていない。

 

この世界にはどうにも天運としか言いようの無い結果の偏りを生み出す人間もいることを認めるが、それはケイではない。

ケイは確実に、この世界に嫌われている。

 

 

ルグニカという名前の本を探すか?

 

いや、そんな時間はない。こいつがルグニカ王族である保証もない。だが、決して見たくない記憶があることは確からしい。

 

 

IBMに即座に仕事をさせつつ、目の前のくだらない対話の限界を悟る。

 

「まぁーた何かしら悪巧みしてやがりますね?んなもんに付き合ってやる必要はねーんですよ。ほらほらぁ!!上の空で明後日見てないで、この艶かしい肢体でバキバキにさせてろってんですよぉ!!」

 

半身をぬめり気のあるタコのような触腕に変えて、戦闘が始まった。

 

避けて避けて、捕まる。

 

風魔法の破裂で死にながら逃れる。やはり捕縛をしてくるな。捕まってはダメだ。

 

 

手元にある道具を確認する。

 

・転移用の氷魔法発動の魔造具。

・唐突な大瀑布ダイブ防止のための風の魔造具

 

そして

・切り札である『とある薬品』。

 

IBMはいくつかの本を持ってこちらに向かってくる。これを待ってもいい。

 

 

正直言って状況は悪くない。

 

 

ベアトリスは陰魔法でこいつを拘束できるし、近くには大瀑布もある。

こいつに有効な武器が、そこら中に転がっているのだ。

 

 

まずは、誘うか。

 

 

ケイは駆け出した。正面の『色欲』へと。自ら近づく。

 

 

「この胸に飛び込みてーんですかぁ!?抱きしめて挟んでやるから、そこで大人しく死んでろクズ肉がぁ!!」

 

下品な叫びに、返すのは一言。

 

 

『 動 く な 』

 

 

カペラの動きが止まる。

 

よかった。これで止まらなければ、IBMを消してこちらで出さねばならないところだった。

カペラの横を通り過ぎ、その隙に鋭く尖ったガラスの杭を差し込んだ。

 

中で割れて、薬品が浸透する。

 

まずは一本。

 

 

ケイはそのままに廊下を駆け抜ける。後ろを見ないで熱線を撃ち込みつつ、風の刃を飛ばして妨害を怠らない。

 

「てめえ!!ぶっといもん挿しといて中で折れるってのはどんだけマナーを知らねえんですかぁ?!」

 

ちなみにだが、死にながらの全力疾走という荒技をケイは当然練習済みである。転倒を前転に変えてその間にリセットをする技を編み出した。

最小の傷で最短で死ぬのはやはり、脳を撃ち抜くのが最善だ。

 

『ローリング中にスタミナ回復するバグ技みたいだよねぇ。笛を吹いたらスタミナ回復したり、ローリングが最速移動だったりして。知らないのに思いつくあたり、やっぱり永井君は面白いなぁ』

 

 

そこで、脳内のノイズに構っていられる余裕が消えた。

 

まただ、先ほどよりはよほどマシだが誰かの負担が流れ込んでいる。脳が熱くなり、鼻血が出てきた。

まぁ。この程度であれば深刻になったらリセットすればいい。

 

『色欲』は硬直から解かれて、ガラスと薬品を排出したようだった。だが、一部は吸収されたはず。

 

あと二本はある。拘束していたということは、当然エルザに持たせていたものは投与済みだろう。

もししていなかったら説教だ。後でしつこく理由を聞く。

 

 

アルが確認していたが、やはり『色欲』は毒や薬の耐性も高い。常人ならこれ一本で100回は死ねるほどの致死量だというのに、影響がまるで…

 

 

いや、影響はあった。ようやくだ。

 

『色欲』が、これまでで一番の鋭い加速と共に、四足獣のようなバネでケイへと肉薄する。

 

 

その突然の加速に反応しきれない。限界だ。触られる。

 

「はあぁはっぁ!!これで終わりってなもおんです!いい加減歪め!!こねさせろォ!」

 

『色欲』は自身の変化に気づかない。目は震え、体はかつてない速度で動き、口から泡が出始めている。

あの薬品は、一時的に投与した相手に強化のような効果が現れる。それがネックであったが、ここまでとは。

 

 

薬指が欠けたその手が。ケイの胸に届く。

 

『色欲』は念願の光景に涎を垂らして口を大きく裂いて笑う。

 

手が、止まった。

 

 

見えない何かに触れている。人だけど、人じゃない。

変異・変貌が効かない何かが、そこにあった。

 

 

「はぁ!!??」

 

 

こいつもタブスのことは警戒していたのだろう。ずっと獣人のように獣の耳を頭につけて警戒していたのはわかっていた。遠くに聞こえる足音を捕捉して安心していたのではなかろうか。

 

けれど流石に、IBMがケイの中から前触れもなく出てくるとは思わなかったらしい。

 

自分に重なるように発生させたIBMでぶん殴り、距離をとる。

 

「ぶべっ!!」

 

顔面が陥没するほどに殴られて、バク宙というかサマーソルトを決めるようにカペラが回転して飛んでいく。

 

こちらに向かっていたIBMを解除したため、死者の書は廊下に放置されている。

可能な限りこちらに近づくように消える前に投げたが、まだ距離はある。

 

即座にそちらへとケイを背負ってIBMが走る。

 

あの速さなら一瞬で追いつかれるが、今は狙撃できる余裕がある。顔面を撃ち抜いてその度に転倒させた。

 

 

『色欲』は異常な状態になっていた。これまでが正常かと言われれば疑問が残るが、それでも今よりはマシと断言できる。

 

背中から、あらゆる生物の腕が生えている。それらが、床を壁を、天井を踏み締めて体を前に進める。

 

本体は、だらりと力を抜いたように体がくの字に折れて、その頭は床を擦っている。

 

 

「ああ、幸せ。好き。愛してる。愛してる。アタクシを愛し、て。ああああ愛して。愛してて。ぁぁ愛して。あいして」

 

愛しての言葉と合わせて床に頭を打ちつけながら迫る。何より不気味なのはその異常に本人が気づいていないこと。

 

その顔は恍惚に歪んでおり、時たま向けられる瞳は、多幸感に溶けている。

 

この世で一番幸せそうに、嘔吐した。

ビクビクと痙攣して、股から色々と落ちている。失禁と脱糞もしているようだった。

 

出せるものを全部出しながら、鋭い刃のついたカマキリの腕になった自分の指をしゃぶっている。口内を切りながら、そんなことに一切気づかない様子で。

 

 

流石のケイもゾッとした。自分で意図したとはいえ、ここまでの醜態に仕上がるとは。

 

 

ケイが行ったことは、単純だ。

 

大罪司教用の特製麻薬の投与である。

 

この世界にも麻薬に使われる植物は多くあり、ケシに似たものもある。

それよりも強力とされる魔法のかかった薬品もいくつかあった。

 

毒物はかなり効果が薄いとわかっていた。だから、奴らが本能的に好きそうな効能の薬を作る必要があった。

この世界の薬物に精通している人物に、金に糸目をつけずに好きにやらせた結果がこれだ。

 

現地の経験豊富な玄人と、ケイの化学合成知識。そして莫大な資金があれば、世界初の合成麻薬の完成だ。

安全性を重視すればとても一年などでは不可能だろうが、そこを無視していいのが大き過ぎた。人体実験の対象も十分にいたのも大きい。

 

水溶性で油にもよく溶けるように配合したそれは、即座に脳まで作用する。麻薬以外にも色々と混ぜて効果を高めてある。

 

『色欲』の権能によってだいぶ薄められているようだったが、過剰投与を繰り返してようやく効果が発揮されたようだった。

 

 

このまま壊せるんじゃないのか?そう感じるほどの惨状。

 

生物多様性を一人で体現しているこの寂しい女は、どう見ても限界が近い。

 

 

だが、念には念を入れて『死者の書』までの到達を優先した。

 

ケイが本を手にするのと、カペラのペンダントが割れるのは同時だった。

 

 

二つあった結晶の塊のようなそれが一つ砕かれると、光がカペラを包み込む。

 

もはや言葉以外の呻き声しか上げていなかった喉から、まともな言葉が絞り出される。

 

 

『冷静』

 

 

ガクンと、体が跳ね上がり。そして周囲をキョロキョロと見渡す。

まるでロードをした直後のスバルのような様子。その元から正常とは言い難い理性が、瞳に宿る。

 

 

「なに、いまの…」

 

落ち着いたからこその恐怖が今、カペラを包んでいた。

その恐怖とは多幸感であり、今なおカペラを満たす快楽そのものだ。

 

そのまま精神もハイになれればよかったが、『賢者』の残したアイテムは。文字通り、賢者の時間を生み出した。

『色欲』にとっては悪夢そのものの『冷静』な時間がやってきたのだ。

 

「そうなるよな。それは、あまりに快感が強すぎる。それこそ、性行為で得られる快楽の100倍以上なんて言われてる。性的な快楽なんてゴミみたいなものだと、そう思っただろ?」

 

 

そうだ。これは絶対だ。そう思ったに決まっている。これが最上の悦楽であると、体が脳がそう叫んでる。

リセットでもしなければ、物理的な影響からは抜け出せない。

 

この自分ですら、精神的な依存の傾向が少し出たのだ。こいつなんかに抗えるものか。

 

 

至上のはずの『色欲』とそれが生み出す快楽は、この薬に勝てない。

これこそが、もっとも強い愛であると脳は認識してしまう。逃れられない。

 

 

「あああああああああ!!!!」

 

 

激情に任せて、快感のままに、暴力的な衝動を解き放つ。

 

そして、それを見た。

 

見えてしまった。あくまでカペラは冷静だったから。

背表紙の削られた『死者の書』をカペラへと向ける。

 

瞬間的に、反射的に、カペラは自分の目を切った。

 

目が治る。治っていく。

 

「あ、だめ。だめだめだめ。もうだめ。気持ちいい。これ以上気持ち良くなったら、アタクシは…私は…」

 

 

ドス。という音と共に、快楽の奔流が胸に突き刺さる。

 

IBMによって突き刺されたそれは、体へと染み込んでいく。

 

それは至高の幸福をもたらす、源泉だ。どうしてさっきは体の外に捨てたのだろうか。

今からでも舐めに行こうかな。

 

天上の至福に包まれる。これが幸せであって、他はクソだ。

 

 

 

「どうせ、『死者の書』ではお前は死なないだろ。多分、逃げるだけだ。ならこっちで精神を壊したほうがいい。『死者の書』が囮だよ。お前がバカで本当によかった。ほらあと何本でもあるぞ」

 

 

最後の結晶が砕けて、カペラの意識が再び戻る。

 

なけなしの、最後の理性でその薬を体の外に吐き出して、必死に逃げ出した。

 

 

「もうやだっ!きもちいいのいやっ!!あたし、アタクシが消える。きえちゃう…もうやめてっ!!」

 

 

ケイはそれを追わない。十分に新しい価値観を育むことはできただろう。

まだあるというのは嘘。すでに薬品は使い果たしたし、あの薬はここからが本番だ。

 

 

麻薬とは、離脱症状。禁断症状こそが本番なのだ。

 

快感を得るために変化した脳の仕組みは、戻らない。戻ろうとしない。

 

冷静でいられるなら、やってみてほしい。

各地で被害は増えるかもしれないが、あいつはもう暗躍できない。

 

変化は基本的に不可逆なのだ。幸せのレベルは戻せない。

基本的にはだ。亜人のリセットもそうだし、『色欲』の権能ならば肉体的な依存は治せるかもしれない。

 

だけれど、心の問題は治せない。

 

変貌した価値観は、考え方という変異は決してワンタッチで変えられるものじゃない。

 

『色欲』が至上ではないと知ってしまったら一体どうなるのだろうか。

まるで興味のないそれを、無視するように塔の下の戦いへと急いで向かう。

 

 

『色欲』が脱出に使ったのだろう汚れた窓を見つけると、ケイはそこから一切の躊躇をせずに飛び降りた。

 

 

 




あなたって、本当に最低の屑だわっ!
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