「できるもんなら捕まえてみろ」の意味で、鬼ごっこの時の掛け声。
日本語における「鬼さんこちら」が近いニュアンスを持つ。
エミリアを助けるためかなり力を入れて魔法を行使したらしい。
ラムからの咄嗟の負担が突き刺さり、ケイに流せず受け止めてしまった結果スバルは容易にその意識を手放した。
一歩間違えばこうなる。ガツンと殴られたように、スバルは気絶をしてしまった。
その眠りはケイがスバルに合流するまで続く。
なぜなら仲間たちは彼のことを大切にしていて、何より大好きだからだ。
こんなに頑張ったのだから休んでほしいと願うのは当たり前でもある。
だが、その優しさがどう作用するのかわかっている者はいない。
手遅れになる。こぼれ落ちていく。何より大事なものが消えていく。
愛は人を優しく盲目に導いて、時間が過ぎていく。
その穏やかな眠りは、思いやりのかけらも無い乱暴な手によって目覚めさせられた。
「起きろ。起きてもらうぞ。お前は気絶しちゃいけない。これで本当に終わりなのか?」
いや、実のところ思いやりだけでできているようなものだった。ケイは善意100%で限界の人間を叩き起こしている。
部屋には意識のないレムとスバルだけ、ケイが他を締め出した。この後の対話を人に聞かせるつもりは全くなかったから当然だ。
ケイは周囲の反対を押し切って、スバルの意識を覚醒させる。
スバルにとっても死ぬのは最悪ではない。気絶している方が致命的である可能性がある。
だから無理矢理にでも叩き起こした。緑部屋の天井を茫然と見上げたスバルが周囲を見渡す。
「ケイ…?無事、だったのか…あ、そうだ。お前に伝えなきゃいけいないことがあるんだよ。ちょっと待てよ。聞いてくれ」
スバルの意識はまだ完全に戻っていないようだったが、決めていたように話し始める。
何を言おうとまずは情報を叩き込もうと思っていたが、そう言われれば聞かないわけにはいかない。
とんでもない。明後日の方向から爆弾を腹に突き刺されるような驚愕がケイを襲う。
そうとは知らず、神妙な顔で耳を立てる。
「お前から、伝言だよ『人生で初めて深い内省を繰り返して気付いたが、僕はこの時点ですでにクルシュに好意がある。つまりは好きだ。これは自覚の問題であって揺るぎない事実として受け止めろ。すでに決めた問題解決が優先されるのは変わらないが、自分の気持ちから、人の気持ちから逃げるな。即座にわかったつもりになって理屈をつけて内省をしないのが、僕の弱点でもある』だってさ」
夢見心地ですらすらと言葉を並べるスバルは、その言葉を澱みなく言い切った。
「は?…嘘、だろ。なんだそれ」
何を言ってる?こいつはいきなり。
スバルは混乱している、それに聞き間違いという可能性も。
「『その子供じみた反論はみっともないからやめろ。お前も100年かけて内省すれば同じ結論に至る。これを記憶喪失のスバルがでっち上げられるわけないだろバカが』いや、これ俺からの暴言じゃないからね?」
スバルとは全く異なる思考回路から放たれた言葉は間違いなく自分のものだ。
へへっと笑うスバルは殴りたくなるが、いや。これはケイのための伝言である。スバルを攻撃するのはあまりに理不尽だ。
「これ、お前が自分の死者の書を、100回以上読んだ後に言った言葉だぞ。流石に重みが違うだろ。割と可愛いとこあるじゃん」
やっぱり一回くらい殺しても良いだろうか。いや、それよりも内容に気を取られてケイは二の句を継げなかった。
『へえ、おめでとう。初恋だね!』
脳内の佐藤が拍手している。やめてくれ本当に。
ここまで最悪な初恋の自覚はそうそう無いだろう。
だって、今はそれどころじゃない。自分の重要な事実についてを後回しにしてケイはすべきことをやることにした。
「いやわかった。助かった。でもそろそろ起きろ。現状を説明するぞ」
呆けた表情のスバルの頭を気持ち強めに叩き、現状を伝える。
一層、未知の『試験』、エミリアの敢闘により突破。
二層、ユリウスとアナスタシア&エキドナによってロイ&レイド・アストレアの撃破。
三層、ラムとスバル。ケイの生贄によってライの撃破。
塔外、『色欲』に煽られ数を増した無数の魔獣のスタンピード、防衛に成功。
そして、魔獣となった星番シャウラの撃破。
「え?」
そう。事前に設定した最後の勝利条件。『シャウラを救う』の達成を待たずにスバルは意識を手放した。
ケイはその決意を知らないが、あれだけ気にかけていたシャウラが死んだ現状をスバルが許すのかどうか。気になっている。だから起こしたのだ。
「神龍が波動を放つと、監視塔を覆っていた雲が晴れた。試験が壊され、サソリは体の自由を失いもがいていた。その体は次々にボロボロと剥がれ落ちていって最後には死んだ。赤く小さいサソリを残してな。治癒魔法もエミリアの凍結も間に合わなかったらしい」
スバルは、愕然として聞いている。しっかりと脳に届いている。
その衝撃に目を覚ましたスバルは、他の可能性を確かめる。
「他、他には怪我とか、死んだり、した奴は…」
ケイは気を回してくれたようで、無事なメンバーの名前を全て読み上げた。
シャウラ以外の全員が無事だった。『暴食』に食われてもいない。
つまり、『死に戻り』をする他の理由はなかった。
その事実に、スバルは決断を迫られる。
ここに来るまでの仲間たちは全員が無事。当初の目的は達したのだ。
けれどこれは、自分で決めた結末とは違う。
「ベアトリスは言っていた。役割を終えたって。終わりまで決められていたらしい。こうなるようにってな」
スバルはその事実から逃げたくなる。
だが、本能は理解していた。これは、彼女が星番としてこのプレアデス監視塔を任され、そして、いずれ迎える今日が訪れたとき、避けられない結末だったのだと。
心のどこかで理解してしまっていた。疑いようのない感覚。本来そうあるべきという確信がどこかに…
ガン。という音が鳴る。
それはスバルが自分を殴った音だった。
「クソ喰らえだ。こんなの、認めねえ。シャウラを連れ出してやるって決めてんだ俺は」
疑い、信じて。スバルは決めた。シャウラを連れ出すと。
だから今決めた。やり直すことを。
ふざけるな。何が運命。何がそういうものだ。認めない。
スバルは決めたのだ。約束をしたなら、守るべきだろうが。
どれだけ心から理解していても、疑うことに慣れた理性はそれを否定する。
やり直す。シャウラを連れて外へ行く。
もう、決めた。
「シャウラも、救うんだな?」
「さすがだよ。ここにお前だけってのも、マジで助かる。協力、頼んでいいってことだろ?」
スバルのその覚悟を受けて、ケイはふーと。息を吐く。
そして意を決した様子で、最後の対話を始めた。
「ああ、ただその前に一つ考えを聞いてくれ。シャウラを連れ出すことができるかもしれない」
スバルの頭に疑問符が浮かぶ。一体そんなこと、どうやって?
彼女は死んだんじゃ。そう、死んだ。
…死んだ?
「気づいたか。『死者の書』は実際に死者蘇生が可能な仕組みだ。それを『色欲』は活用していた。死んだはずのロイがいただろ。あれのカラクリはこっちも活用できる」
ケイは話してくれた。死者蘇生の仕組みってやつを。『暴食』の仕掛けを。
「あいつらはロイの死者の書を見つけた。それを『色欲』が使ったんだ。ああ、そうだな。そうしても人格は混ざる。そうなると、素体になった人間に工夫がいる。精神を事前に壊しておくなり、記憶を全て失わせるなりすればいい」
その淡々と語られる陰惨な悪行に吐き気を催すが説明は止まらない。
「真っさらな廃人の体をロイにしてそれで『死者の書』を読ませた。ロイについては魔女因子の問題もあるが、そもそも『暴食』はなんで三人もいる?元々三つあるのが『暴食』なのか。分けられるのか?白鯨の分身を見るに、分けられるものなんだろう。まぁシャウラについては魔女因子については気にしなくていい。器さえあればいける」
希望が、見えた。
でも即座に問題も思いつく。スバルでもすぐに思いつく大きなやつがこの計画にはあるように思える。
「でも、シャウラの本を深く読めるやつなんて、いるのか?あいつはずっと一人だったんだぞ。そんなの、俺たちくらいしか…」
これでは実現不可能だ。そう諦める本能的な自分がいる。
それでも、疑い続ける考え続ける自分もいた。なぜそんなに諦めるのが早いんだと叱咤する声が聞こえる。
シャウラの死をどこかで認めたがっているようなそんな気持ちがして、口内を噛み切る勢いで歯を食いしばった。
こんな考えは、スバルの望みじゃない。断固として違うと言える。
「シャウラの本を読める対象を、逆算した方がいい。深く読めるのは昔から付き合いの長い相手だけ。それなら、ここにもいるだろ」
ケイの言っている意味がわからない。一体何を、誰を指しているのだ。
「ちょうどよく、試せそうなのがいるじゃないか。自我のない。虚な神龍。あれにシャウラの本を読ませられないか?」
そんなこと!そんなのは…あれ…。どうなんだ?
「あ…え?それなら、いける…のか?」
希望が、じわじわと染み出して、脳からようやく心に届いた。
これなら、シャウラを連れ出せる?いけるんじゃないか?
光が見えた気がしたら、実際に光が見えた。
切望が、スバルの内側から漏れ出たとでも言うのだろうか。
異変が、緑の部屋に現実として突如起きる。
「――っ!?」
「なんだ!?」
不意に、『緑部屋』の中心に発生した現象――光が溢れ出し、スバルたちが驚愕する。
突然のことに身を硬くし、スバルは弾かれたようにレムの下へ。ケイも警戒を露わに、その光から後ろへ遠ざかる。
「見たことは!?」
「ない!わからねぇ!とにかく、何が起きても……うお!?」
部屋の光がひと際強くなり、スバルの目を焼く。そして、腕で顔を覆いながら、スバルはおそるおそる、光の方へ目を凝らす。
今の強い発光を受け、光は徐々に弱まり、消えつつあった。そのことに安堵と警戒、どちらを抱けばわからないまま、スバルは『それ』を目の当たりにする。
「――は?」
眼前、光の消えた地点に現れた『それ』を見て、スバルは意味がわからない。
絶句し、驚愕し、改めて絶句する。
「……誰だ?こいつ」
同じものを見たケイが怪訝そうに呟いた。
横たわり眠る女の子。そうとしかいえない。
スバルも、彼と同じものを見ている。ただし、彼とスバルとでは、その『誰か』に対する知識が明確に違っている。
スバルは、その『女の子』の名前を知っていた。
何故なら、『緑部屋』の床に横たわる彼女の名前は――、
スバルは敵の名前を言おうとする。
しかしその言葉は続けられなかった。
それよりも早く――黒い終焉が、プレアデス監視塔へと襲いかかったからだ。
「――っ!?」
どん、と大きな爆発が足下で発生したように、スバルたちの体が浮かび上がる。
直後、思い切り全身を天井や壁に打ち付け、スバルは「ぐあ!」と悲鳴を上げた。そして、何が起きたのかと頭を振り、気付く。
――全身の総毛立つ、おぞましい気配の接近に。
「ま、さか……」
そんなはずがないと、感じた予感を振り払いながら立ち上がる。だが、悪寒はますます強くなり、スバルの疑念をより確かなものとして刻み込もうとした。
それは、こないはずと考えた障害――事実、この瞬間まで起こり得なかったはずで、それにも拘らず、それは膨大な破壊となってこの場へ訪れた。
「くっそ!!レム!!」
「――ッッ!」
その入口とスバルたちとを分断するように、『緑部屋』の床を突き破って黒い影が室内に流入してくる。――そう、黒い影だ。
こないと信じていたかった、五つの障害の最後の一つ――スバルに執着する、『魔女』の黒い影が、この期に及んで監視塔へと襲いかかってきていた。
ルイから兄弟への助言はなかったはず。それが起きないように立ち回ったのだから。でも、今ここにルイが現れて全てが狂った。
だが、黒い影はスバルの視界の前面を覆い尽くし、決して隙を作らない。その上、黒い影の流入は止まらず、正面だけでなく、左右も、背後も影が呑み込んでいた。
「クソ……ここまで、きたってのに……!」
迫りくる影を見ながら、脱出路を探すスバルの胸中を悔しさが支配する。
そんなことは気にもせず、黒い影がナツキ・スバルを丸ごと呑み込まんと覆ってくる。
その直前に、スバルは見た。
ケイが、あり得ない速さと機動でルイごとスバルに組みついた。
浮いていたのは、あの幽霊だろう。
そして四人は一塊になって漆黒の影に呑まれていった。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
ここまで最悪の目覚めはそうそうない。
起きた時の状況を説明するならば、簡単だった。
スバルに馬乗りになり、顔を舐めているルイ・アルネブがそこにいた。
「う、おわあああ――っ!?」
「うあんっ!」
そのありえない光景に驚愕し、スバルはとっさに目の前のルイを突き飛ばした。その動作に押され、悲鳴を上げたルイがゴロゴロと転がる。
それを見ながら、スバルは必死に後ろに尻を滑らせ、
「な、な、な、なんだ、てめぇ!?何のつもりだ!?また、俺をおちょくって……」
「うー、うー?うあー」
「うあーじゃねぇ!何が、何があった……俺は、死んで……?」
愕然と、ルイを睨みつけながら、スバルは必死に声を震わせる。
そのスバルの前で、ルイは草むらで仰向けになったまま、手足を子どものようにバタつかせて唸っている。
意図がわからない。狙いも――否、それ以前に、
草むら?なんで草むらだ?
「ここ、どこだ……?」
ルイから視線を外さず、スバルは警戒を強めながら周囲の様子を確認する。
すると、目に飛び込んでくるのは鮮やかな緑の平原――草花がちらほらと風に揺れているそれは、広い草原のような場所だった。
「――そうだ!レム!レムは……ケイもどこだ?」
目の前にルイがいるのなら、あの瞬間、同じように抱えていたレムもいるはず。ケイもだ。
「レム!ああ、よかった……ちゃんと、ちゃんと無事だ……」
近くに横たわるレムを見つけて駆け寄り、スバルはその無事を確かめ、安堵でその場にへたり込む。
「ここはどこで……塔はどこにいったんだ?エミリアとベア子たちは……」
ぐるりと周囲を見回すが、遠目にも見えるはずの監視塔の存在が確認できない。
四方どちらを見ても、それは同じことだった。
ルイが、無邪気な振りをしてそこにいる。彼女の存在は無視できない。
何を企んでいるのか、間違いなく持て余す状況下、しかし、レムを守れるのは自分しかいないと、スバルはルイに対処するべく立ち上がり――、
「――――」
――立ち上がろうとする腕を、そっと誰かに引かれた。
「――え」
片膝をついて、立とうとしていたスバルは掠れた息をこぼした。
「――――」
ガクガクと膝が震え、スバルの全身がわけのわからない汗を掻き始める。
それは、言葉にならない衝撃だった。
それは、たとえようもないほどの激情だった。
それは、この世で味わった驚愕の中でも飛び切り強い大波だった。
「――ぁ」
ゆっくりと、瞼が震えて、薄く開き始める。
その向こうに閉ざされていたのは、湖のように澄んだ薄青の瞳。
「――レム」
唇を震わせ、名前を呼んだ。
はっきりと、彼女に伝わるように言えただろうか。もしかしたら、言えたと思ったのはスバルの幻想に過ぎなくて、大切なことは伝わっていないのでは。
それが怖くて、喘ぐように呼吸しながら、スバルは何度も繰り返す。
「レム、レム……レムっ、レムぅ……れ、む……れむぅ……!」
ボロボロと、彼女の名前を一度呼ぶたびに、滂沱と涙が溢れ出した。
「――――」
パチパチと、静かに瞬きして、薄ぼんやりとしていた瞳に確かな光が宿る。
ここまでくれば、これはスバルの願望が見せたまやかしなんかではないとわかる。
間違いなく、ここに彼女が――レムが、いる。
「――ぁ」
弱々しく唇を動かし、レムが何事か口にしようとする。
その声の、掠れた一音が聞けただけで、スバルは胸がはち切れそうな思いだった。
目をつむれば、彼女がかけてくれた言葉が、名前を呼んでくれたことが、様々な場面でのことが思い出された。
でも、それは全て過去のことだ。
今を、明日を、新しい彼女の声が聞きたかった。
それが今、ようやく叶う。果たされる。
「――ぅ」
もごもごと、もどかしげに彼女は唇を動かす。
鼻が口が、空気を吸ってついに言葉を放つ用意をしている。
一言でいい。彼女がもう一度、スバルを呼んでくれたら。
その一言が聞けたら、スバルは――、
「ぅぅっおぇ…う…げほっ…」
出てきたのは、言葉でなく吐瀉物だった。
か細い嗚咽とともに、彼女の口から熱いものがこみ上げ、地面に零れ落ちる。淡い緑の草が濡れ、酸味のある匂いが風に混じった。涙目の少女は荒い息をつきながら、震える手で口元を覆う。
そして、思い出したかのように
スバルを睨んで警戒するような姿勢になった
「え……?」
そこまでを一瞬で済ませてからレムは口を開いた。
そして、その青い瞳にスバルを大きく映しながら――、
「あなたは一体だれ…いや、何ですか?」
次から新章です。
次回更新は一週間後。そこから毎日更新を予定してます!
たぶんこれからも章が変わるタイミングでちょい間隔開けて、そんで更新という形になりそう。
感想と作品評価をありがとうございます。
そして誤字報告も。本当に助かります。みんなありがとう。
この話についてでも、章についてでもなんでも感想待ってるぜ!