血潮は水で 心は鋼鉄。
幾たびの戦場を越えて連敗。
ただの一度も完勝はなく、
ただの一度も理解されない。
彼の者は常に独り あらゆる場所で危機に遭う。
なれど、生涯には意義があり。
その体は、きっと酸素・炭素・水素・窒素・カルシウムで出来ていた。
森の奥地に男が立つ。
鬱蒼とした影の中、それでも少し開けた場所を見つけ一人で彼は立っている。
森の中はひどく静かだった。
風すら止まり、木々の枝葉が微動だにしない。空を覆う鬱蒼とした梢が、夜の帳のように光を遮り、暗い影がそこらに滲む。
横には何か文字を乱雑に書いた旗を立てて。
そして周囲には数々の武器をばら撒いている。乱雑に地面に刺された剣や、木に食い込ませた斧。立てかけた槍など、奪ってきた武器がいくつも並び立てられる。
岩壁を背負い、武器に囲まれ何かを待っているのだった。
森の奥で枝が折れる音がした。
そちらに顔を向けるのは一人。男は変わらずただ、立っているだけだ。
スバルには無理だった。音の方を見ないなんていうのは、スバルの方がはるかに安全とはいえ無理だ。
彼が背負う岩壁には洞窟とも言えない窪みが存在しており、今スバルはそこに入っている。
手には盾と槍を持たされており、この状態なら流石のスバルでもすぐには死なない。
ケイは、ずっとそこで魔獣の襲撃を待っていた。
手を挙げて合図がされる。スバルは再び恐怖を押し殺してあれをやる。
「知っての通り、俺は『死に…」
それだけ言えば世界は止まり、そして警告が行われる。内臓をうっすらと愛おしそうに撫でられて、そして黙らされるのだ。
二人がやっているのは釣りだった。
スバルを岩の間に隠しその残り香で誘引するという釣りだ。
死に戻り告白未遂でさらに悪臭を撒いて、魔獣を引き寄せると言われた時にはちょっと何言ってるのかわからなかったが、説明を聞けば納得できた。
こんなこと、ルグニカでやろうものなら無限に魔獣が殺到する。
殺し切るまでどれだけかかるかわからない。アウグリア砂丘ほどではないにしろ、周辺は更地になるだろう。
地ならしでもしたい訳でもなければやめておくのが無難だ。
一方でヴォラキアにおいては、魔獣の数は非常に少ないらしい。
この森にいる魔獣が全部殺到したとしても、そこまで多くはないだろうとケイは言った。
ここで、脅威の一つである魔獣を皆殺しにする。
ケイがまず宣言したのはこれだった。
確かに、このままシュドラクの村に向かうとするとそこに魔獣を引き連れることになってしまう。
『トレインでMPKなんて、懐かしいなぁ。古き良きって感じだよね』
そんな呟きはスバルには聞こえない。
軍の陣地から奪った武器が散乱し、乱雑に地面に突き刺さった場所。
剣の丘にただ一人、永井圭が立っている。
鳥たちのざわめきは、木々の破壊音へと変わりやがて、魔獣がやってきた。
魔獣と人が出会えば当然の如く戦いが始まる。
いや、普通であれば一方的な虐殺だ。そうなるはずだった。魔獣も確信を持っていただろう。自分の方が強いと。
結果だけを語るなら、それは無双と言えるのかもしれない。
ケイは無傷で全ての魔獣を殺し尽くした。そんな風に要約もできる。
けれど、それを最初から最後まで見届けて同じことが言えるやつはいないはずだ。
スバルはケイの実力を疑っていない。
そしてその人間性もだ。だからこの程度の感想で済んでいる。
他にこの光景を見ている奴が。見せられている奴がいるとすれば、そいつは心の底からケイを恐ろしいと。そう感じるのではないだろうか。
だって、あまりにも凄惨で悲惨で、ここまで一方的でないのに。ここまで結果が一方的な戦いなど見たことがないだろう。
劣勢で。少数で。非力で。その反撃はささやかで、押され続ける。
その弱い方が最終的には無傷で生き残るという理不尽。
ラインハルトが一薙ぎにするなら話は単純だ。
ヴィルヘルムがその剣技で圧倒するなら賞賛されるだろう。
エミリアの超級の魔法だって、ユリウスの虹色の魔法だっていい。
とにかく、説明がつかない。なぜ治るのかわからない。
敵は少しずつ傷ついていく。ケイは死ぬ。そして生き返るのだ。
スバルはケイという存在に心の底から感謝している。
だって、自分より死を経験している人間なんて原理的にあり得ないと出会うまでは思っていたから。
だが改めて思う。自分を差し置いて確信する。彼は、異常だ。
『死に慣れすぎ』ている。
多分、スバルもだいぶおかしいのだろう、ルイの反応の方が普通なのだろう。
一回死ぬだけで人は発狂するのが普通なのだ。正気のまま慣れることなどできない。
最初にケイへ襲いかかったのは熊だった。
花魁熊とも違う魔獣がケイなどまるでいないかのようにスバルへと向かってくる。
そのクマにケイは取り付いて、背中に飛び乗ると鋭い動作で短剣を何度も何度も刺していた。
両手に握った短剣の片方をピッケルのようにして落ちないようしがみつき、執拗に刺す。
熊が嫌がり、身を捩る。地面に転がったり、木に体を叩きつけた。
ケイは当然、潰れるが。それでもまた立ち上がる。
熊に刺さったままの短剣をまた握る位置まで肉薄し、またもや滅多刺しを強行する。
その巨体の魔獣が死ぬまで、多分10分はかかっていたと思う。
最後の方はあまり死んでいなかった。ケイは学びながら熊に対応していた。
辺りは血で染まり、ついにケイは短剣だけで熊を削り切った。
短剣は折れて曲がり、魔獣はそこに倒れ伏し、ケイはそこでただ立っている。
4m近い、化け物のような熊を短剣でだぞ?
ちなみに、ケイには考えがあるらしく魔法は使わないと言っていた。あの幽霊もだ。
これは単純に死なない能力だけでゴリ押したのだ。
そういえばケイのそんな戦闘は初めて見た。
辺りはB級スプラッタもかくやと言える光景になっている。
普通の動物なら逃げるだろうが、魔獣はこれで勢いづくのだからわからない。
次に襲いかかるのは森の主とでも名がつけられていそうな大蛇だった。
よほど自信があるのか、奇襲からケイを丸呑みにしていく。
途中でナイフに刺されてもお構いなしに飲み込む。内側から刺されているだろうに、ナイフは貫通していない。
これは、どうなるのだろうか。
いや、正直言ってケイの心配は一切していない。
それは当たり前だろう。
だって、あの白鯨ですらケイを飲めば死んだのだ。
自分の主に。『とびきりの毒』なんて言われていた男が、そこらの森の主ごときに食われただけで負けるわけがない。
次の瞬間に蛇が爆散していても驚かないぞ。だってケイだし。
ケイのギルドカードがあったら、やべえことになってそうだな。
『キルレは低そうやけどね。ああ、ギルドカードは違うゲームなんか。やっぱり異世界の物事は難しいわあ』
すると、蛇の体表に血が溢れた。
銃で撃たれたような傷ができていた。もちろん音もしないのだが、そんな傷が不意に現れるのだ。
少しすると今度は、一気に五つも穴が開く。
スバルは気づいた。あれだ。あの塔の扉に穴を開けたあの方法。
体を切断しておいて、死んで再構成するあの裏技のような技を使っているのだろう。
遠くに投げないとね。なんて佐藤は言っていたが、指はどうしているのだろうか?
ケイはまたしても何かしら工夫をしているらしい。
穴が40を超えた頃、森の主は動かなくなった。
まるで鉄板を切り取るかのように、開けた穴が大きめの円を描いている。
そこにナイフの刃先がせり出して、穴と穴を線で繋いでいく。
まるで点と点を結ぶ星座のように。赤黒い点が赤い線で結ばれて、血だらけのケイが生まれた。
彼に間髪入れずに襲いかかるのは狼の群れ。
あまりに早い奇襲に喉に噛みつかれ、手足もその鋭い牙に砕かれている。噛みつき首を振ると、ケイの首が折れる音がする。
しかし、次の瞬間にはまるで犬のような悲鳴をあげて狼たちはケイから離れる。彼らは、牙を失っていた。あの再構成に噛みついていたまま巻き込まれたのだ。
牙を失った獣は、それでも逃げるという選択肢は取れない。魔獣なのだ普通の生き物ではないと痛感する。
拾った槍を振るうケイは、しっかりと様になっていた。きっと練習したことがあるのだろう。
槍で狼の群れを一頭ずつ殺し、最後の一頭は剣で貫いていた。
剣で貫かれる狼の旗の横に、同じ構図の実物が並ぶ。
今更ながらにスバルは気づいた。
白鯨戦の前ヴィルヘルムの前で剣の稽古をつけてもらったことがある。あの時ケイと打ち合ったこともあるのだが、あれはわざと受けてたようだ。本気でやってたら殺されてる。
それくらいは普通に強い剣士に見える。というか躊躇いや恐怖がなさすぎるのだ。物覚えも異常に早い。
息が上がったと思ったら自刃するし、これに勝てって、無理だろう。
巨大ネズミをハンマーで叩き潰す。
刃物のような歯を持つリスを剣で切る。
暴れ狂う猪を槍で突き殺す。
どれ一つとして楽な戦いはなかった。幾度も殺されつつ、それでも殺し尽くす。
ケイは、最後の最後まであの幽霊も魔法も使わなかった。
ゆうに一時間はかかったと思う。
そして最後の方には、隠れることもせず周囲を狩人たちが囲んでいた。
10人程度だろうか。その全てが女性であるという違和感に目を瞑れば、アマゾンの先住民族のようないでたちと表現するだろうか。
「それで、話をしてくれる気になったか?」
お互い様の殺戮を終えたケイが、息一つ乱さずに周囲を囲んだものたちに問いかける。
「お前、おかしい。あまりに異常ダ。なぜ死なないのカ。何が目的でそんなものを掲げていル?」
そうだ。ケイは戦いの間、いくつかの縛りというか無駄なことを制約として掲げていたし守っていた。
守っていたのはスバルのこと。最初の大物連戦の際には小物は下がっていたが、そのあとは結構スバルの方にも接近してきた。
けれど、ケイは見事に守り切ったのだった。
同時に掲げていたのは文字通り旗である。帝国兵から奪ったヴォラキアの国旗に文字を書いて地面に突き刺していた。
それを倒さないように、先ほどの死闘を演じていたというのだから驚きだ。
そこに書いてある文字は、『シュドラクの長と交渉がしたい。付近の魔獣の首を差し出す』というもの。
「最初は私が出向くつもりもなかったが、こんな戦いを見せられてしまってはナ。帝国のものは自らの旗を汚すことはしなイ。お前たちは帝国の兵ではないナ。何者ダ?」
狩人たちは問答無用で殺しにかかってくるイメージがあったから、意外だった。あまりにケイの力が印象的過ぎたのだろう。今思えばケイのことは戦闘ができないというのは間違った印象だと断言できる。
はっきり言って相当な反則の権能か、それ用の魔法がない限り無駄だと分かった。普通に強いだけではケイは絶対に止まらない。
特殊な対策か、よほど強い相手がいないとこんなのは抑えられない。
「北に向かう旅人だ。すぐにここからは離れる。ただその前に、お前たちと話す必要があった。周囲の異変は僕たちとは関係のないものもあっただろう。帝国兵なんかは特にそうだ。あとは、そうだな。顔を隠した黒髪の男もか」
代表として話す長の様相は、なんというかあれだ。
この場を囲む女性たちの雰囲気を表す、非常に的確な言葉が見つかった。――『アマゾネス』だ。
女性が多く、鍛えられた強靭な肉体を持ち、部族や少数民族のイメージに合致した体のペイント、弓を背負っているものもいるなど、まさしくといった様相。
『シュドラクの民』とは、スバルの認識するアマゾネスで相違ない。
「異変があるだろう。それについて、話をしよう。今なら協力できる。帝国はこの森ごとお前たちを焼くかもしれないぞ」
考え込むアマゾネスの親玉。その顔にはケイの言い分に心当たりがあるようだった。
「全てを信じはしないガ、よかろう。良い戦士には礼儀を持って向き合うべきダ。場所を変えるゾ。ここはあまりに血の匂いが強すぎル。他の魔獣もくるかもしれなイ」
「魔獣なら周囲のものは全部殺したと思うけど、確かに。他の獣も来るかもしれない。移動しよう。スバル。大丈夫か?」
スバルはようやく、後ろで観察する以外のことをできそうだった。
「いや、こんなところに来る獣なんているかよ。人間でも森の主でも、シシガミ様でも絶対避けるだろここは」
一応、なけなしの常識的な意見もこの場に提供しておいた。
スバルの体臭が及ぶ範囲の魔獣は殺し尽くしたという自信がある。きっと大丈夫だろう。
さて、シュドラクの集落へと移動している。
密林を移動するというのは慣れないものにとって非常に大変な作業だった。
彼女たちに先導されても、スバルはなかなか簡単には進めない。
というか折れた指が痛い。思えば塔の攻略から、ずっと動き続けていないか?
体感で最後にゆっくり休めたのっていつだっけ?
ミルーラでの小休止が最後だろうか。
実際の経過時間は、それこそ5日とかそんなものなのだろうが、主観時間で言うとえらい昔である。
と言うかこちとら一年以上の記憶旅行と、何度も繰り返す苦難に立ち向かい続けているのだ。
そして気づけば一切の休息も無しに帝国でレムと敵対スタートである。
我ながら泣きそうだ。
マナ切れの気絶。負荷を持ち過ぎた気絶。濁流に揉まれた気絶。油断してのうたた寝。
取れた休息は全部一時的な気絶ばかり。
「『調査隊は、アマゾンの奥地に向かった』を自分の体でやることになるとはな。マジできついぞ。おい」
ぜぇはぁと。いい加減に限界が近づいている。
「ずいぶんと、こっちは体力がないようだナ」
「おんぶした方が早いノー。そうするノー?」
アマゾネスたちが笑いながらからかってくる。
「これでも必死なんだ。悪いがそこまで落ちぶれるつもりはねえよ。今誰かに背負われたら二日は眠るね。断言できる」
寝不足なノー!なんてキャッキャとはしゃぐアマゾネス。
最初に弓を放ってきたのは本当に彼女たちだったのだろうか。まぁ価値観が違うのだろうきっと。
そして、たどり着いたジャングルの奥地『シュドラクの集落』。そこでスバルが目にしたものとは!
牢屋にぶち込まれた。怪しい風体の男であった。
「このような形で貴様の顔を拝むとは思わなかったぞ。――ナツキ・スバル」
そう、凝然と目を見張るスバルの名を呼んで、相手はにやりと口の端を歪めて笑った。
目元も見えない仮面姿なので、おそらく笑ったと声色でしか判断できないが、笑った。
たった一人、檻の中に閉じ込められた状態で、傲慢に男は笑ったのだった。
【MPKとトレインについて】
MPK(モンスター プレイヤー キル)はゲーム用語で、意図した誘導によりモンスターを介して他のプレイヤーを倒す行為。また、トレインは敵に絡まれたまま逃げる途中、連結する車両のようになることを指す。
悪質な行為として禁止されることもある。