『色欲』との戦いは想定通りに進んでいた。
想定通りに、膠着している。
いくつかの薬品と呪いを加味しても今のクルシュには彼女を殺しきれる手札がない。
切り札の薬品もかなりの量を投与した上で、自分でも進んで摂取しているのだからあとは激痛を与えて気力を削るくらいしかできない。
一時的に安定している様子のカペラは学習する。
クルシュが離れれば、公爵軍へと突っ込みクルシュを誘う。
離れすぎないようにとクルシュの動きを牽制していた。
それにクルシュは付き合わない。
殺すフリならいくらでもやればいい。『色欲』はあまり殺しはしない。やはり醜い怪物に変異させる方がお好みらしい。
先ほどの脅迫も効いているようだ。彼女が何より恐れているのは禁断症状なのだろう。
嫌がらせのように、こちらを無視して人を変える。変え続ける。
あまりにこちらへの対応が減ったので、その時には接近して別の薬品を突き入れた。
その接近を捕まえようと、カペラは再び変異を施していく。
カペラは軍を攻撃しクルシュを呼び寄せながら戦っている。
南方同盟軍は果敢にも、『色欲』へと攻撃を始めたようだった。士気が高いのは当たり前だ。当初から『色欲』と戦うためにここまで来ている上、ようやく見つけた怨敵なのだから。
変異させられることすら厭わずに、彼らの絶望をその源泉へとぶつけていく。
次々と、人が変えられていく。変わっていく。
人の大きさのハエに。子犬ほどの芋虫に。小さな木ほどのカマキリに。執拗に命を弄んでいく。
だが、誰もが恐怖に屈しないでカペラへと少しでも攻撃を加えようと諦めない。
「なん…なんですか。こいつら。今の姿にコンプレックスでもあるんで?アタクシはそこも愛してやりますが、あんまりにも生き急いでねーですか?」
変異・変貌が牽制にならない。人質として機能しない。
そうなると、結果として残るのはクルシュから一方的に刻まれるという結果だけだ。
その都度治す。勝手に直る。元に戻る。変化する。
千変万化の悪夢を体現しつつ、カペラは疑問を口にだす。
「ずーっと誰を助けもしねーで!何がしたいんですかぁ!?やっぱりこいつらのこと恨んでて、実は喜んじまってたりすんじゃねーです?無駄なことシコシコ繰り返して、意外と公爵様って暇なんですかね〜?」
「悪態を吐く以外やることがないようで安心しました。気にせず刻まれ続けてください」
クルシュは一切それに取り合わず、変えられたものたちも無視して最適な行動を取り続ける。
内心には少しずつ焦りを溜めながら、それでも機会を待ち続ける。
何度か薬品を刺しつつ、そして疲労が溜まった時。それに引っかかった。
見えない蜘蛛糸が、カペラの周囲に張られていた。
強度はそこまでではないが、翼の操作が少し乱れる。
それはあまりにも致命的な隙だった。幾度も交差すればいつかは失敗する。
勝ち続けるものなどいない。試行回数を増やせば平均へと落ち着いていくのだから。
「ようやっく!捕まえたぁ!!」
その歓喜の突撃に、横槍が入れられた。
「クルシュ様!体勢を!!」
カスター公爵が、『色欲』に斬りかかり、そのままに火魔法をクルシュへ放つ。
威力の弱いそれは、白鯨の毛皮を使った天翼には効かない。しかし、まとわりつく蜘蛛糸を燃やす効果はあった。
続けてクルシュの足元の土が盛り上がり、高度を確保する。
「フーラ!!」
剣と同時に風刃を見舞う。
流法を用いた近接戦闘能力も持ち合わせ、さらに三属性さえ操る彼は、まさに英雄の器である。
「あーらら。今度はそっちの女にケツ振ることにしたんですかぁ?随分尻軽な男もいたもんですねぇ。愛しい聖女様への愛はどーした!?ああ!?アバズレ野郎が!浮気して最低だと思わねーんですかぁぁあ!?」
聖女に姿を変えたカペラは、優しくカスター侯爵を抱きしめそして剣に貫かれる。
「目当ての女の目の前で別の女に突っ込むとか、サイテーでいやがりますね。ほーら立派なカブトムシさんにしてやりますよ〜」
「化け物がぁ!だが、クルシュ様は!」
そうして、アレクシス・カスターは魂ごとこねられ大きな甲虫へと変化させられた。
クルシュは、その助けもあり離脱に成功するが一定の高度まで到達した時にそれに気づいた。
何かに足を掴まれている。不可視の手が忍び寄ってきたわけではない。それなら気づける。
これは拘束が今ここで発生したのだ。
光の輪がクルシュの足を拘束していた。
森の中を風で精査すれば一心不乱に自分を見て手を擦り合わせている狂人のような何かがいる。
カペラの子どもたち。呪具とミーティア。そんな単語が脳裏をよぎるが、触手を木々に張って、まるで打ち出される矢の如く放たれたカペラは。今度こそ大きく笑った。
最大速度に加速し、相手は捕縛されている。
「愛を、よこせええええええ!!!」
今度こそと勝鬨を上げながら、多腕の化け物がクルシュに覆い被さるように飛んでいく。
正面から切り捨てるしかない。
そうしてクルシュは一か八かの戦闘態勢を整えた。絶対に殺す。生きてみせる。ケイに会うんだ。
あの時の、答えを…
5つの腕を切り飛ばしても、残った腕がクルシュへと絡む。
それでも、諦めずに魔法を発動しようとして…
カペラが、切り裂かれた。
「クルシュ!!」
聞きたかった声が、見えた。
感じたかった風が、そこにある。
その腕の血肉を爆ぜさせながら、爆風によって敵を刻む。
刃のような爪を持つ魔獣が鳴く。その上に乗ったケイがクルシュを抱き寄せた。
颯爽と現れて、絵本や絵画に描かれるような英雄の如く、乙女を抱きしめて愛を囁く。
窮地を救われた女性は顔を赤らめて…と。
そんな訳がなかった。
実際にケイがしたのは当然ながら、カペラへの追撃。乙女は乙女でも、天翼を生やした戦乙女に空中で支えはいらない。
互いの機動力を奪うことになる。最悪である。
なのでケイは最善の行動としてクルシュをぽいっと放り投げ、カペラへ追撃する。最悪である。
落下の間に複数の薬品入りの短剣を突き刺して、空へと戻ってきた。
そんな姿を見て、やはり本物だと確信する。落胆などない。
彼は自分のことを考えてくれている。だから自分すら目に入らないのだ。
ああ、やっぱり。信じていましたよ。
「おかえりなさい」
「ただいま。それで、状況は?」
そんな端的な言葉で舞い上がるのは自分くらいじゃなかろうか。
永井圭の希少な適合者として、誰からも理解されない惚気を叫びたくなる。声を大にして自慢したい衝動に襲われるが、今は必要なことをしなくては。
「青を自分で4本。最大10本。黄色を2本に赤が1本。一昨日の夜から断続的に与えています。『色欲』に襲われ、カスター公爵の軍は我々のためにその身を削ってくれています。そうだ!周囲にまだ子どもたちが…」
「付近の狙撃手と呪術師は今殺した。警戒は他へ回して、状況を把握したい。もしかしたら、ここで決められるかもしれない。休息は?」
仕事が早すぎる。でもその速度に遅れはしまいと必死で追い縋る。
「必要です。20分以上戦闘していました。もうすぐギャレクとフェリスが来るはずなので、そこで休んでから援護に回りますね」
「よく無事で、なんていうか。まぁ、その。よかった…」
言い淀みつつケイがクルシュを労った。
今、少し照れながら、労った!?
「ええ。ケイも……?って、ええ!!?どうしたのですか!?どこか悪いところでも?貴方は本当にケイですか!?」
あわあわとして、最後には構えすらしてしまったクルシュを責める事はできない。それくらいの異常事態である。
その反応を聞いて、ケイが仏頂面に戻りモードを切り替える。ああ、もったいない。でも正直こっちの方が安心する。
どんな心境の変化があったのだろう。
告白しても、どうせ変わらないと思っていたが…結構響いていたりしたのだろうか。
予想外すぎる。それなら、嬉しいが…
地に落ちたカペラは、そんなまるで恋人同士のようなやり取りを見せつけられ血管をはち切れさせながら怒り狂っている。
木々を薙ぎ倒し、そしてそれを投擲しようと巨体の猿のような体に変えた時。それが起きた。
カペラの体が、バラバラに千切れた。
上空から見ていたケイは何が起きたのかわかっていない。そして『風見の加護』の視界を有するクルシュはそれ以上に混乱していた。
またケイが何かをした?
いや、違う。
アレはなんだ?
あの、黒くて黒くて暗い風は、一体なんだ?
「何、あれ…?」
大罪司教にとってありえないことが起きている。
魔女教大罪司教『色欲』担当カペラ・エメラダ・ルグニカは、襲われている。
風が吠える。切先のような鋭さを持って、容赦なく、不定形の塊を斬り裂いていく。
曖昧で、獣とも人ともつかぬ輪郭を持った異形。肉と骨、鱗と羽、意思を持たぬ顔の集合――形を定めることを拒み続ける怪物。
だが、風はそんな曖昧さを許さなかった。
空を割って吹き下ろす突風が、形なき肉の塊に容赦なく突き刺さり、削ぎ、裂き、穿つ。
斬られては再構築され、砕かれては蠢き直すその身を、風は一方的に、冷酷に刻み続ける。
空気が引き裂かれる音と共に、体表がさざめき、無数の断面が不規則に浮かび上がる。
輪郭を持たぬはずの存在に、風は無理やり「形」を押し付けていく。斬撃の痕が、まるで風そのものの筆跡のように刻まれていく。
それはまるで――風が、何かを「描いている」ようだった。
子供のような無邪気さで、肉に轍を刻みつけ続ける。
脈絡もなしに、唐突に、こちらの都合も何も考えないその暴挙はまさに『通り魔』的な犯行で。
そしてその姿が見えた時、ケイは思わず呟くのだった。
「嘘だろ…?なんでだ?」
そこにいるのは女だった。ケイはその相貌を知っている。これまで見た中で最も造形の整った美女である。
『最も美しい死神』風を司る大精霊。四大精霊が一角。
『通り魔』ザーレスティアがそこにいた。
以前見た時と違い、黒い和服に身を包みその端正な顔を憎しみと殺意に歪めていた。
「殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す!」
言葉に合わせて、暴虐の風が吹き荒れる。
カペラは身動きも取れずに刻まれ続ける。
あまりに唐突な状況の変化に、ケイですら困惑している。
その後、声をかけても一切取り合わずひたすらに『色欲』を殺し続ける大精霊には関われないということで、一旦陣地に帰ることにした。装備や薬品も補充したい。
「イレギュラーが起こって、都合が良かったことなんて今まであったか…?」
ケイは自身の幸運を信じていない。この後絶対何かあるに決まってる。
あれはザーレスティアであるとクルシュに報告しつつ、一旦そこから離れることにする。
あの風に巻き込まれれば、クルシュは危ない。
その判断は正しかった。
やはりイレギュラーは続き、それはろくなものじゃない。
陣地は、大荒れだった。まるで竜巻でも発生したのかと思うほどの荒れ方である。
完全武装の仲間たちが、たった一人の女を囲んでいる。
「だぁ〜か〜ら〜。さっさと盗人で裏切り者の恥知らず。ケイを出せって言ってんでしょ。とっととしなさいよ。耳悪いわけ?」
「このような蛮行を働いておいて、取次などできる訳がありません。むしろすべきは命乞いでは?」
「何よこの生意気な小娘。とにかく!あたしの白結がここにあるのは間違いないの。だから嘘つきで人を騙して大事なものを奪って消えたあの男を、さっさと出せっての!!」
「わたくしが…小娘…?」ローズが白目を剥いてショックを受けている。あまり嫌そうじゃない。
そこにいたのも、ザーレスティアだった。
白い着物に、やけに人慣れした口調。殺意をばら撒いていないのが解せないが、あの大精霊がそこにいる。
なぜか誰も死んでいない。なら、殺すのはもうやめたのだろうか。
「ケイ?説明を求めます。一体彼女に何を?というか、彼女は一体なんですか?先ほどとは、違いますよね?」
「ああ!!!やっぱり!いたじゃないこの大嘘つきの裏切り者が!さっさとあたしの大事なものを返しなさい!死にたいの?」
「やった!ついにやった!ケイきゅんがやりやがった!!」
「ケイ様?リリシアへの返答を差し置いて、こんなどこの龍の骨かもわからない絶世の美女に!?」
「あなたが異性に酷いことをしたとは思いません。ただ、人としては何か致命的なことを無感情にしでかしたのでは?」
「わ、私は何も言ってませんからねぇ!」
ローズはやはり冷静でないようだ。クルシュもである。フェリスは通常営業。エリノアはやっぱりなという顔でこちらを見ている。最近調子に乗っているらしい。ツバキは保身が上手い。
この状況は監視塔の決戦よりよほど厄介そうで、先行きが見通せない。
誰か助けて欲しい。
深くため息をついてから、この
お待たせ!!
111話ぶりのティア様だよ!!