「よくもおめおめと顔出せたもんね!さっさと私に返しなさい!今すぐに!そして死ね!」
なぜ怒っているのだろう。死ぬのは構わないが、陣地を荒らすのはやめてほしい。
もらったものといえば、あのマナで着物を作るもらった道具のことだろうか。そういえばあれの名前を聞いてなかった。
「そちらから渡してきたと思ったのですが、まぁわかりました返しますよ」
「へえ?やけに素直じゃない。またそうやって騙すんでしょ。ついて行くわ。信用ならない」
「というか、貴方とほぼ同じ姿の黒い着物をきた人をさっき見たんですが、あれはどういうことですか?」
「なんですって!?それってどういう…いや、違うわどうせ嘘でしょ。ていうかそっちが質問できる立場だと思ってんの?まずは返すのが先。当たり前でしょ?」
明らかに説明が足りない。ローズは混乱する陣営を代表して問いを放った。
「お待ちなさい。一体貴方は誰なのですか?」
「ローズ。その質問は正しくありません。ここは私が、貴方は一体何なのですか?私には、風そのものに見えています。人では、ありませんね?」
クルシュがその役目を引き継ぎ、自身の印象から言葉を修正する。
「はぁ!?あったりまえじゃない。人間なんかのわけあるか!ここには失礼なメスのガキしかいないの?この私にこの態度、本当に死にたいらしいわね?」
「わたくしが…メスガキ…?」天啓を得たかのようなローズはピシリと固まった。
クルシュはそんな様子を心から心配する。
ローズには休みを出さないといけないようだ。壊れかけているかもしれない。
ところでクルシュは、実際のところ相手が誰か本当にわからなかった。
先ほどの黒い風の塊。暴風の化身のようなあの存在が『通り魔』ザーレスティアだと言われれば納得できるのだが、目の前の彼女は、なんというか…
「こちらは、ザーレスティア。以前に僕が会った大精霊です。どうやら少し、様子が違っているように見えますけど。ていうか、殺意は無くなったんですね?」
「ほんっと白々しい。盗人猛々しいなんて言うんだっけ?あんたのせいでしょ。あたしがこんな状態になってるのも全部!おかげで移動にもまぁ時間かかったわよ。ああ、もう!また腹立ってきたんですけど!」
マナを荒ぶらせて風を吹き荒らし威嚇するザーレスティアは、それでも誰も傷つけることはしなかった。
クルシュは自分の感覚に確信を得た。彼女を大精霊だと思えなかったのは単純な理由から。
弱いのだ。あまりに力が弱いと感じる。普通の強力な精霊という感覚だ。
たぶん、戦える。勝てるかはわからないが先ほどの黒い方と違ってこっちはだいぶ、まともだった。
「ちょっと話にならないので、一旦返すのを先にやりましょう。皆さんも一応離れておいてください。彼女が本気になれば守れません」
ケイは自分の荷物を取りにいって、絶句した。
「何よこれ。汚ったない住処ね。あんた結構偉いんじゃないの?いじめられてんの?」
そこにあるのは竜車だったもの。結構大きめの、移動拠点と休む拠点を一体化したキャンプカーのような竜車の残骸だった。
ケイが効率化を突き詰める際に作らせて愛用していたのだが、それが見るも無惨に破壊されている。
「ケイ。それはですね。薬を求めた『色欲』が襲来し、荒らされてしまいました。守りきれず、ごめんさい」
クルシュが謝るが、そんなものはいい。
「いや、気にしないでいい。転移が出来なかったのはこれが原因か。探せばあるでしょう。少しお待ちを」
「ていうか、ここまで近づいても気配がないんですけど?また嘘ついたの?あんた」
「ああ、ほら。ありましたよ。これ、お返しします。実際本当に助かってました」
「はぁ!?誰がこれ返せなんて言ってんのよ!あたしが返せって言ってのは『光珠』に決まってんでしょ!人にあげたものを返せなんて言うわけあるか!」
突風が発生し、ケイの頬を深く切る。
「また嘘。全部うそ。もう、信じない!!」
ザーレスティアがついにその風で、ケイを傷つけた。というか殺した。
大精霊の逆鱗。というよりは癇癪が始まったと思いきや…
それは明確に戦乙女の逆鱗でもあった。
「それ以上の攻撃は許しません。言いがかりだと言っているでしょう。謝罪を要求します。人に頼むには態度というものがありますし、あまりに横暴ですよ」
底冷えするような脅迫はすでに宣戦布告に近かった。
まぁ、普通は陣地に嵐を巻き起こしている時点で討伐対象だ。かなり優しい対応ではあるが…
「はぁ!?あんた如きがあたしに命令?バッカじゃないの。そんなこと、気にすると思う?このあたしが」
その身から風を放ち、クルシュに牽制をするがその風は見切られていた。
ザーレスティアの風は、普通の風魔法と違い発光しない。見えないのだ。
けれどクルシュは不可視のはずの風を見れる。
深く踏み込み、そして頬に剣を当てて引いた。細身のレイピアでも十分な切れ味がそれにはある。
人間にはあり得ないはずの挙動にザーレスティアは動揺し一太刀を許してしまう。
ザーレスティアの頬が少し裂け、そこから緑のマナが淡く漏れ出した。
その燐光を見て、相手が人間でないのだとようやく実感ができた。
「なぁ!?あんた!何してくれんのよ?」
「クルシュ!?何してる!やめろ!」
地団駄を踏んで悔しがるザーレスティア。
「クルシュ!ちょっと待て。ザーレスティア様も、一度落ち着いてください!光珠について話しましょう」
「大丈夫ですよ。ケイ。私には彼女が見えています。落ち着かせるためにも、一度制圧します」
そこから3分ほど、無力な男は叫ぶだけで女たちが戦った。
クルシュが切り込み、それを風の刃で迎撃するザーレスティア。
雑に拳を放つが、それをクルシュは仕込まれた近接格闘技術を用いてうまくいなす。
ならばと付近一帯ごと面制圧を行う力押しのザーレスティアに、クルシュはうまく立ち回っていた。白鯨の毛皮のおかげで広い魔法攻撃には非常に強いのだ。
地力で遥かに劣るはずのクルシュが、優勢だった。
そして、ダメ押しとばかりに近くに落ちていたケイの趣味の一品。
高級蒸留酒を風で割り、それを含む風を相手に浴びせかけたのだった。
クルシュも当然ザーレスティアに関するブリーフィングは受けている。その弱点の予測も知っている。
ああ、それ珍しい酒なのに。くっそ。
蒸留酒の
ザーレスティアはこれまでで最も大規模に風を起こしその酒気を吹き飛ばす。
しかし完全にはできなかったのだろう。少し吸い込んだようで盛大にむせた。
クルシュが、その隙に剣を突きつけてその戦いは停止した。
クルシュの組み立てが見事ではあるがこの結果はやはり、おかしい。
場が停滞したことでようやくケイの声が届いたらしい。
「光珠を取り戻します!僕は持ってない。だから、取り返してお返しします、それで、どうですか?」
その言葉に、ザーレスティアはようやく反応を返してくる。
「はぁ。はぁ。何なのよ。このメス。風を見てんの?信じらんない。あんたから言いなさい。こいつ野蛮すぎるわよ」
「どちらがですか!!寸前で止めているでしょう。見てわかりますか?私の勝ちです。ケイを傷つけるようなら、同じだけ貴方も刻むのでそのつもりで」
「何なのよ。クソっ!光珠さえあれば、殺す勢いでやれるならこんなやつ一瞬で消し飛ばせるのにぃ!!」
詰まされたことが信じられないのか、キー!と叫んで地団駄を踏んでいる。これ本当に大精霊か?
「クルシュ。いい加減にしろ。話を進めたい、僕に任せて一度下がれ、大丈夫だから」
「ご心配なく。なぜだか聞いていた話と違って、彼女には殺意が見えませんでした。命懸けの無茶はしませんよ。普通に怒りはしますけど」
凛々しかったのに、最後にふー!と威嚇する様は公爵ではなく猫である。フェリスが
「明らかに力を失っている。それが光珠を失った影響ですね?そしてそれを取り戻そうとしているということか。光珠の方に殺意まで入ってるんですか?さっき会った方は、あなたとは別個体?殺す殺すと連呼しながら、殺戮を繰り返してましたし」
そうだ。この言葉の微妙な違いにケイはたった今気づいた。あいつは『殺す』。こっちは『死ね』をよく使う。
似て非なる言葉だ。この二つは。
最初に会った時は、両方使っていたはずで…
「最初からそう言ってるでしょ!?ばっかじゃないの?」
「言ってねぇよ…まぁ、それなら光珠の場所はわかってます。それに、何が起きたのかも大体わかった。貴方の光珠を盗んだのは、別人ですよ。たぶん犯人もわかりました」
小声でぼやきつつ、交渉を進める。
「そんなの、今更信じると思ってんの?ありえないんですけど」
ケイは今のところの推測を話す。『色欲』への復讐に燃える鬼族の少女がいたこと。
そいつは、殺す殺すと連呼していて。そして今黒いザーレスティアは『色欲』を執拗に追いかけている。
つまりは光珠の力をレーゼが取り込み、そしてザーレスティアはなぜか分裂したのだろう。
目の前の白い彼女に殺意はない。共感できなかったらしい。
そこまで説明すると。ようやく聞く耳を持ってくれたようだった。だから何だと捲し立てるのを予見してケイは先手を打つ。
「ええ、信じられるとは思いません。だから、契約しましょう。それなら破れない。確かでしょう?」
「…ふーん。まぁ、いいわ。内容は?」
怪訝そうな視線で先を促す。完全に警戒されているなこれは。
「僕は貴方の光珠を取り返し返却するために全力を尽くす。貴方は僕に協力する。いかがですか?」
「それじゃああんたの負担が、代償が全然足りない。あたしのものを返すんだからそれは当たり前でしょ」
「奪ったのは僕じゃないんですが…」
「信じない。それにあんたの推測が本当なら、囮になってたんでしょ。責任取りなさいよ。それにしれっと終わりのない協力なんて要求しておいて何言ってんの?」
ああ、やはり頭は悪くないらしい。ちゃんと気づいていたようだった。
「そうねぇ。そしたらマナと少しオドを捧げなさい。マナは魔法使えなくなるくらい。『毎日』ありったけよ」
してやったりと、にっこり笑う笑顔は壮絶な美しさであった。
無制限の協力という過剰な要求を撤回させるのではなく、さらなる過剰な要求で上塗りする。負けん気の伝わる提案だった。
『ダメだ。まだ笑うなって場面だね』
そう。まだ笑ってはいけない。苦渋の決断を迷うフリをして即答は避ける。
魔法が使えなくなるほどマナを限界まで献上するというのは実のところかなり重い。死の一歩手前、行動不能まで追い込まれるのだから。
その上で魔法を使うこともできなくなる。物理的な戦士でない者にとっては、ほぼ全ての武器を奪われることに等しい。
さらにオドが削れるというのは死刑宣告に近い。
これは早く取り返さねばお前は死ぬと。そういう宣告であった。
絶大な力を持つ大精霊が人間という下等生物と契約を結ぶのならこの程度の不平等は当たり前だろう。
というより、ケイに限ってはこんな条件ならタダも同然である。
この世界に来てからというもの、リスクを踏み倒し続けてきた手前いい加減にその手の交渉はできないと思っていたが、世間知らずというのは無力だ。
後で文句は言われるだろうから。条件を追加しておかねばならない。
意を決した様子で、少し体を震わせながらせめてもの交渉をした形を整える。
「ぼ、僕は行動に支障がない範囲ならいくらでも殺してもらっていいですが、僕の仲間を傷つけたり殺すのはやめてください。これも条件に入れさせてもらいます」
「ふん。まぁいいわ。オドを捧げてまでってんなら少しはマシでしょ」
ケイは光珠を取り返し返却するために全力を尽くす。毎日一度、マナが空になるまでマナを捧げ、オドも削る。
その間、ザーレスティアはケイに協力する。ケイの仲間を傷つけない。
内容への合意が果たされ、互いが歩み寄り手を握る。
たったそれだけで契約は成った。互いの合意を以てしかこの契約は破棄できない。
クルシュが頬を膨らませて睨んでいたが、事前にザーレスティアとは契約しようと相談していたはずである。これは無視していい。
よし。当初とは全く違う形の騙し討ちという状況だが、どうにか契約にはこぎつけた。
これは快挙と言えるだろう。
「じゃあ、まずは今日の分をよこしなさい。さっきからマナを使いっぱなしで少なくなってんの」
手を伸ばし握手を求めるその顔は嗜虐的に歪んでいた。嫌がらせを返してやろうという意地悪な笑顔だ。
躊躇なくそれを掴み了承する。
「はい。いいですよ」
打って変わって余裕そうな表情に気分を害したのかはっきりと怒りをあらわにする。
いよいよ腹立たしさも限界だと、ザーレスティアは本気でマナを徴収した。
「バッカにして!いいわ。味わわせてやるわよ。オドの削れる恐怖なんてのは、肉体の苦しみとは別格なんだから、人間如きに…あっ」
あっ。ちょっと吸いすぎたかも…という顔の大精霊はそれでも謝罪などしない。
そうして、ごっそりマナを抜かれる。オドもちょっとどころではなく取られた気がする。
そういえばこの辺りは適当だったな。まぁ問題ないが。
「へ、へえ。結構あるじゃない。しかも風ってのもいいわね。混ざってるのも陽なら邪魔にならないし。光珠がないと回復が遅くて困ってたから、便利でいいわ。いい?これであんたは全力で光珠の回収を…」
マナの徴収が終わり、ケイはその場に倒れ込む。
その寸前で、クルシュのことを少し見て目で合図する。
それだけで十分だった。
「ちょっと!あんた何よ!いきなりそんなことして、意味わかんないんですけど!マナがないならさすがに死ぬんじゃないの?このメスこっわ!何考えてるわけ?」
ケイの頭部をいきなり剣で突き刺したのは、先ほどまでかすり傷でブチギレていた女だったのだから。
「ケイ。おはようございます」
「ええ、これでいいなんて破格すぎますね。素晴らしい契約ができました」
「ちょっと、あんた。なんでマナどころかオドが戻ってんの?そういえば、あんたが治るのマナを使ってないの?なにそれ。意味、わかんないわよ」
「契約できるなら、マナとオドを合わせてこの10倍以上を支払うつもりもあったんですけどね。貴方はとっても優しいらしい」
幾ばくかの沈黙。理解が脳に到達するまで少しの時を経て、『最も美しい死神』が憤慨した。
「ま、また!また騙したのね!!嘘つき!!こ、この人間!」
「人間は悪態じゃないでしょうに。嘘はついてませんよ。そしてもう一つ。この代償があればすぐに契約を破棄すると思ったのでしょうが、契約の破棄は考えてません。協力は無期限です。一日一度マナを渡しますし、殺されるのは別にまぁ、この際いいです。これから長い付き合いになると思いますが、よろしくお願いします」
完全にやり込められたと気づいたザーレスティアは荒れた。
むっきゃああああと暴れるが、彼女はケイに協力をしなくてはいけない立場になっている。
ならばケイを傷つけてやろうかと風を向けるが、クルシュがケイに抱きつくように立ちはだかり中断を余儀なくされた。
魂の契約は、決して誤魔化せない。
ケイの仲間を傷つけることはできないのだ。
四大精霊は、力比べでちょっと風が見えるだけの人のメスに負け。
最も美しき死神は、知恵比べで死なないだけの人のオスに負けた。
弱体化して目覚めてから必死で気配を追ってきてこの仕打ち。彼女はその場に思わず崩れ落ちたのだった。
クルシュとケイは、手と手を打ち合わせてその完全な勝利を祝う。
「これま〜ぁた随分と、歴史的な詐欺の現場に立ち会ってしまったようだ〜ぁね。お見事だが後が怖くはないのか〜ぁな?」
場違いな道化が拍手し、なされた契約へと祝福を送る。
西方辺境伯ロズワール・L・メイザースが、到着した。