バドハイム密林から最も近いヴォラキア帝国の都市それがグァラルである。
城郭都市グァラルの都市庁舎。小規模な城の一室で二人の男が対峙している。
他にも部屋には馴染みの者たちがいるのだが、彼らの目には一切映っていない。
ナツキ・スバルは鋭い視線をまっすぐに叩きつける。
ここが、分水嶺だと本能で分かるから。
これを許してしまうかどうかで、大きくこれからが変わっていく。
そんな分岐に立っているとスバルは確信している。
相対するのはアベル。ではなくヴィンセント・ヴォラキア元皇帝(自称)だ。
いやまぁ陽剣はあったので本物なのであろうが、スバルはアベルのことが嫌いであった。色々と認め難い。心の底から気に食わないのだった。
「あなたたち、勝手に言い合わないでください。巻き込まれる私達の意思はどうでもいいんですか!?」
レムが抗議の声を上げるが、男たちは睨み合ったままだった。
その言葉は正しいと思うし、レムの意思はできれば尊重したい。けれど、それ以上に重要なこともある。例えばレムの無事などだ。
そうだ。こいつは越えてはならない一線を越えた。スバルにはそれが許せない。
男は二人、その目線をぶつけ続ける。
交わることのない視線が、空気を削り取るように場を削っていく。気の弱いものは呼吸すら憚られるほどに重い空気が膨れ上がる。
なぜならば、今こいつはやったのだ。
この傲岸不遜な男はスバルの大事なものを
それはレムに、スバルの前で剣を向けているに等しい暴挙だ。
これだけでも、敵として認識するのに何の苦労もない。
『ずっとそうやったもんね。元皇帝さん。そないな冷たい合理主義、ナツキ君は嫌いやって。わかっててやってるやん。どういうつもりなんやろね』
そうだ。ケイの合理主義ともまた違う。冷たさと血の匂いが露骨にするのだ。アベルのやり口からは。
アナスタシアというスバルの疑心が語りかける。それに合わせてどうにか冷静さを保とうとスバルはここ最近の、目覚めてからのことを思い出した。
魔獣と戦い限界を迎え気絶した。これまでの無理が一気にきたのだろう。丸一日以上寝ていたらしい。
まぁなんというか、バドハイム密林のシュドラクの集落。そこで目覚めてからは、散々だった。
唯一の救いは何もしなくてもレムが無事に戻ってきてくれたことだろうが、それ以外は全部がうまくいっていない。
本当にケイに頼りっきりになっていたのだと、一人になって痛感させられた。
塔で一人だった時の心構えを思い出さなきゃいけなかったんだ。人をダメにする効果があの有能な男にはある。
いや、むしろ彼との関わりで自分は成長できている。落差に打ちのめされているだけだ。
これだけ自覚していても、幾度かの死を乗り越えなければいけなかった。最終的には痛みによって思い出すことになったのはやはり自分らしい。よくはないが最悪の事態だけは避けた。
そう。痛みの始まり、苦難の連続。つまりアベルとの対立は起きた直後から始まった。
最初の対立はトッドたち帝国軍の陣地への奇襲攻撃についてだ。
シュドラクの精鋭たちが、騒ぎに乗じて帝国兵を弓矢で殺しまくったらしい。
即座に撤退するも、彼らはすでに竜車を壊されていたのだとか。多分、ケイだろう。
ケイもこの奇襲に噛んでいたのか。それともケイが暴れたのを利用したのかはわからない。
置いてあった手紙には、レムにフォローを入れておくとあった。一体どんなことを言ったのかその時は不安だったが、レムはそこからなんというか……態度が変わった。
嫌悪感ではなく、少しの警戒をスバルに向けたのだ。どっちがマシかなんて、本当にどうしようもない比較だが、それでも改善はしたと思う。まともに対話をしてくれるようになったから。
そんな態度の変化も自分でやりたい気持ちはあったが、まぁクルシュさん一筋だろうケイなら許せる。小さい男の部分を自嘲しつつ、どうにか堪えてレムに向き合うことにした。
敵味方の血を流すことが当たり前のやり方に付き合えないと、そこで別れて行動しようと宣言し。実際にやった。
ほんの少しの補給と用心棒と足の確保。それだけをこなして出るつもりだったのに。
そこからだ。スバルが死にまくったのは。
帝国兵たちが付近の城郭都市グァラルに逃げ込むのは当然で、それをアベルは予見していた。
スバルも自分なりに考えて予想はしていた。
それを本当の意味でわかっていなかった。どこかに楽観があったのだと思う。
街に入って向けられたのは、想像以上に粘度が高い殺意だった。
そのまとわりつくような攻勢は徹底しており、それをしたのはトッドである。
婚約者のことを朗らかな笑顔で語ったトッドからの執拗な攻撃はすぐに始まり、街を出るまで終わらなかった。
あらゆるものを使い、あらゆる工夫を凝らしてスバルを多種多様に殺し続けたあの男は心底恐ろしい。
最終的には殺されずに脱出できたものの、『死に戻り』がなければ手も足も出なかった。
トッドは全身を包帯で巻いているような重傷者という見た目だったくせに、元気すぎだ。無理してはいたのだろう。
怪我のせいか最後の奇襲はどうにも間に合っていなかった。
スバルを襲う間もケイのことをずっと警戒していたようで、要所でケイを仄めかすブラフでどうにか切り抜けることができた。
そうして死に物狂いで密林へと戻ったスバルは再びアベルと対立した。
なぜわかってたくせにこんなことをしてくれたと怒りを叩きつけるも、アベルはどこ吹く風と言った様子であり当然という顔を崩さない。
そこでわかった。こいつはケイよりも合理的じゃない。
ケイはスバルに対応した。スバルのダメなところも含めてできる方が対応するのが当たり前だと、柔軟にやってくれていた。それは心から申し訳ないが、スバルだって好きでこうしているわけじゃない。
こっちだって全力なのだ。それ以上を求められても、ない袖はふれない。
こいつにはその柔軟性がない。能力はあるだろうに、それを向けるつもりがない。
頭はいいけど、頭の悪い奴のことを顧みない。いやはや王座を追われるのも納得だなんて自分の無能を棚に上げつつ挑発しても、こいつは本当に何も乗ってこなかった。
その後、封鎖を突破するには協力が必要であるとどうにか合意し、かろうじて団結できたのもグァラルで出会った『オコーネル兄妹』のおかげである。
朗らかでいつも笑顔な兄のフロップ・オコーネルは行商人であり都市に入る前からいくつも助言をしてくれたし、命懸けでスバルを助けてもくれた。もちろん商談ありきではあるが利害は比べるべくもない。その善性は帝国で出会った誰よりも眩しかった。
妹のミディアム・オコーネルは天真爛漫で見た目よりずっと幼い印象の女性だ。二振りの蛮刀を腰にぶら下げてそれを扱う確かな筋肉も彼女は持ち合わせており、兄の護衛として共にトッドの襲撃をいなす手伝いをしてくれたのだ。
ちなみに二人とも、えらい美男美女である。金髪の長髪と白い肌は共通していて人目を引く。
シュドラクには普通に良い男だと、狙われていた。
スバルとレムとルイ。シュドラクとアベル。オコーネル兄妹。最終的にはこの三陣営が一つにまとまって状況を打破しようとなったのだが、これは意外なところで決裂しかけた。
アベルの策を、フロップさんが完全に拒否したのである。
死が、残酷が、横暴が当たり前のこの帝国。無情な世界そのものへの復讐をするのだと夢を語るフロップは、都市への抜け道から奇襲という暴力による陥落には一切手を貸さないと言い切った。
どれだけ脅しても無駄のようで、死んでも譲らないという宣言をただただ信念だけで言い切っていた。
アベルは理解ができないのか、粘り強く条件を変えて交渉するが一向にうまくいかない。
このままでは平押しの血戦になると察知したレムに後押しされ、スバルがその二人の仲を取り持ったのだ。
無血開城してやると。秘蔵の策を提案してみると意外なことにアベルが乗った。
アベルなら絶対に否定してくると思っていた。意外にもあっさりと協力するので、どうにも肩透かしを食らったが好都合だったしそれはまぁ良い。
そこから無血開城までは非常に紆余曲折ありまくりだったし、そしてその後も大変な乱入者や唐突に現れたゲストなど語るべきことは目白押しなのだが今はそこが本題じゃない。
そう。アベルは一貫して血塗れの策を、死が当たり前の提案を続けている。
そして力で相手をコントロールしようとする。相手を逃げ出さないように状況を整えて、それで協力させるのだ。
スバルはそれが気に入らない。心の底から、気に食わなかった。
スバルは目の前の冷たい視線に意識を戻す。
彼は変わらない。だからこそ、いよいよ決裂しかけている。
今後の方針を話し合う中で、議題に上がったのはアベルが王位を取り戻す必要があるということ。
スバルはそれに反発した。そんなことに巻き込まれるのはごめんだと。『九神将』の説得などスバルの仕事ではない。自分たちは帰りたいだけなのだ。
すると、アベルはスバルとレムの旅路についての危険性について仄めかしたのだ。まるで自分が危害を加えるとでも言うような含みを持たせる言い方に、スバルの血は一瞬で昇った。
それでも、ケイの手紙の一文を思い出してどうにか冷静さを保つようにしている。
『自分の範囲を見誤るな。お前の大切なものを間違えるな。優先順位から逃げるな。何が最善か考えろ。ドラクロイ上級伯を目指せ』
一歩、踏み出せば崩れる。誰もがそう感じた。
だが、二人とも承知しつつも一歩も引かない。
「で?そんな態度で俺が協力するなんて思ってんのかよ。それに俺はうつけで凡愚なんだろ。無能で無力ならそれこそ必要ないだろ。今までありがとうでさよならしたいんだけどな」
突き放したような態度は隠せない。それほどに、スバルは激情を堪えている。
「どこまで状況の読めないフリをして自分を誤魔化すつもりだ?俺が言っているのは事実であり、脅しではない。このままお前たちが旅立ち無事にルグニカにたどり着くことなどできん。この国を誰より知る俺からの言葉を、なぜそう都合よく無視しようとするのか。それこそ理解に苦しむぞ」
「そうかよ!だけどこっちはな。お前ができねぇって言い切った無血開城までやってのけたんだ。お前がそんなこと言うのもむしろフラグにしてルグニカまで無事に楽しく行ってやろうって気になってるぜ」
これは事実だった。
きっと大変な旅路になるだろう。しかし、これから王位簒奪をしにいくよりもはるかに簡単に決まっている。ケイが先に戻っているし、スバルの力ならばそれが可能だ。
「そうか。かまわぬ。貴様が言っていた恩人とやらを置いて行くが良い。それは合理的で貴様らしくもない優先順位の付け方だ。褒めて遣わす」
少しの間が空いた。相手の言った言葉を理解して咀嚼するまで少し時間がかかる。
「っっテメェ!!何言ってやがる!フロップさんたちは関係ないだろ!」
「ああ、関係あるまいよ。しかし、帝国軍人の目撃者も逃げたという状況だ。奴らの安全が脅かされているのもまた事実。当然このままでは帝国での行商など不可能であろうよ。誰かに肩入れしたばかりに、な」
ここで、いよいよスバルはキレた。
かつての自分であればどうしていただろうか。帝国から出ることが難しくなったことを認めてこいつに協力を渋々でもしようと思ったのだろうか。
だが、それは疑うスバルとアナスタシア・ホーシンが許さない。
『相手の思惑通りなんて、笑えんわ。枠は外してこそ儲けられるもんやからね』
こいつをぶん殴ってから出ていく。そう決めて拳を握りしめる。
睨み合った二人の時間は、ようやく冒頭へと戻る。
誰も動かない。
レムの声すら、今は遠い。
ただ視線だけが刃となり、互いの意志を、覚悟を、無言のうちにぶつけ合っていた。
永井圭は猛毒を、地雷を仕込んでいた。
ケイにとっては起爆しようがしまいが、どっちでも良い。そんな罠だった。
ケイはアベルに語っていた。
ナツキ・スバルをうまく使え。それができなければ、実際のところ逆転の目は相当に低い。それくらいわかるだろと。奇跡を無理やり起こすしかない。あいつにはそれができる。何か、荒唐無稽なことを言い出したら乗ってみろ。絶対に無理だと思ったことが現実になるから。
なんてことを語ってみた。そしてそれは現実になったのだ。アベルはもうスバルを無視できないし手放せない。
そしてアベルはどうするか?彼なりの合理に従い、スバルを逃すまいと柵で囲うだろう。
つまりは利害と力による当たり前の交渉だ。
それがケイの罠とも知らず、スバルにとっての地雷を完全に踏んだ。
スバル相手に人質を取ることは、最悪の中の最悪である。
彼と協力したいのなら、力でも利害関係でもなく感情で彼の仲間にカウントされなければいけない。
スバルから敵認定されればもう終わり。絶対に逃げられるし、もしかすると突破ついでに完封されて負かされるかもしれない。
それが起きればそれでもよし。そうならなければそれでもいい。
皇帝は地雷を踏んだ。
高まる緊張。空気がきしみ、肌を刺す痛みとなって周囲に広がっていく。
地雷の上に置かれたその高貴な足が一歩を踏み出せば、すべてが弾け飛ぶ。
冗談抜きにスバルにはそうする意思がある。
なのだが、そこでケイとスバルの想像を超えた一声がかかる。
「アベルちん」というミディアム・オコーネルの一言によって、起爆の前にその地雷は不発にされた。
「アベルちんは頭いいのにバカ!こう言う時は、こうするの!」
そうしてぐいと黒髪を押さえつけ、無理やりに頭を下げさせられるアベル。
皇帝であるということはミディアムは知っているはずだった。それでもそうした。
それが正しいと信じているから、彼女はそれだけで行動できる人間だから。
不敬であるという幾度かの問答の末に、渋々といった表情でアベルは言う。
「貴様の願いのため、俺を同行することを許す」
「アベルちんのばかちん!!」
強烈な張り手をくらい、皇帝の体が少し浮く。
そこからテイク3でようやく言った。
「協力を要請する。業腹ではあるが、貴様が成した一定の功績は否定できん…この不敬者への対応をせねばならぬ今は、貴様に
先生に言われてキレながら謝る小学生かよマジで。
ははーん。さてはお前、合理属性じゃないな?
ミディアムにぶっ叩かれて頭を下げさせられる姿にスバルは毒気を抜かれ、そして彼ら兄妹への恩を思い出した。
そうだ。彼ら兄妹は一つの得もないだろうに協力し続けてくれた。彼らを見捨てるなんてできるわけがない。それこそ業腹ではあるが、事実だ。
そして彼らごと脱出というのもスバルにならできるのかもしれないが、彼らは帝国という暴力に塗れた世界と平和に戦う復讐者である。決して逃げはしないだろう。
直情的なバカの行動は、ケイが予想できない。それが、アベルを救ったのだった。
ケイによるスバルの最短帰還の方策は崩された。知略の関係ないところであっけなく。
スバルは鬱憤を溜め込んではいるが、どうにか自分を納得させた。
というか、助けて欲しいならそう言えばいいのに。頭のいいやつというのは回りくどいことをする。
ケイはスバルに合わせて言動を寄せてくれるから、本当に頭がいいのだ。
バカとだって対話できるやつこそが、本当の知恵者ということである。
『それ、自分で言ってて悲しくならんの?』
プンスカと怒りながらも、アベルとどうにか協議して今後について決定した。
アベルとスバル。ミディアムとアル。シュドラクのタリッタの5人で『九神将』の一人を説得しにいくことになった。
これを成功させれば、プリシラも協力するとのことで。一気に奪還に近づくだろう。
車輪が跳ねるたび、胸の奥で脈打つものが、知らず知らずに膨れ上がっていった。
この先に待つのもきっと戦いだ。話し合ってはい終わりだなんてルグニカでだってそうなかった。
竜車の窓から流れていく景色は、見慣れないものだった。
低い丘陵が波打つように続き、鮮やかな緑と乾いた土がまだらに広がっている。
風に乗って草の匂いが届くが、どこか湿り気を帯びていて馴染まない。
スバルは、魔都カオスフレームへと進む。グァラルにレムを残して。
グァラルで待っていれば、エミリアやケイ達と出会えたのだが、そんなことも露知らず。
ずるずると壮絶な帝国の戦いへと不本意ながら身を投じていくのだった。
どうやってグァラルを無血開城したのか、その後に何があったのかは君の目で原作を見てくれ!
これだけ巻いても帝国編は長大なのでテンポよく行きますわよ〜!