帝国最強の襲撃。と言うより蹂躙を受けて、反乱軍は一体どうなるか。
それは、熱狂であった。
止まらぬ狂奔に軍が蠢く、もはや我慢ができないと今にも帝都に突撃をかけそうな様子だった。
アベルは仕方なく酒宴の許可を出した。
なし崩しでの決戦を回避するための苦肉の策である。宴をすることでようやく、熱量を逸らすことができそうだ。
糧食の余裕はさらになくなるが、それでも最悪の状況は回避している。
一日あれば立て直せる。二日あれば万全だろう。
陽剣と最強のぶつかり合いを。
一将同士の戦いを。
そして何より。誰より早く動き、圧倒的な実力差の中でも戦い。
その命をかけて最強へと挑んだアレクシス・カスターを讃える声が止まなかった。
どん、と大きな樽が転がされ、乾いた音を立てて宴が始まった。
篝火が夜を照らし、湯気の立つ肉と麦の香りが、熱狂に満ちた空気に溶けていく。
粗雑な盃がぶつかり合い、歓声と笑い声が響き渡った。
中央に担がれたアレクは、無理やり神輿に乗せられている。
包帯を巻かれながらも、口には無理やり杯を押し当てられ、噴き出した酒でまた笑いが弾けた。
「おら、英雄様のお通りだ!」
誰かが叫び、誰もが肩を叩き、称え、叫んだ。
兵たちの顔は皆赤らみ、笑顔が絶えない。
傷だらけの男たちが肩を組み、杯を傾け、そしてまた笑い合う。
遠くから見れば、戦場帰りとは思えぬほどの無邪気な騒ぎだった。
夜空には星々が瞬き、火の粉が吹き上がる。
肉を焼く音、酒を注ぐ音、拍手と足踏みとが入り混じり、ただ純粋な賛歌がそこにはあった。
そしてその中心で、アレクの名が何度も、何度も叫ばれる。
強ければ帝国では英雄扱いに加えて、高位の神官のような扱いを受ける。
勇敢で、下剋上なんてした日には最高だ。
アベルはこれ幸いにと、アレクを祭り上げ剣狼の短剣を授与し、直々にお褒めの言葉を下賜する。
アレクに熱狂を押し付けて彼らの血の気を誘導することにしたらしい。
やんややんやの喝采に、多くの戦士たちが加わっていく。
大きな火が焚かれれば、その影もまた濃く伸びる。
とある一角、陣地の隅にひときわ静かな場所があった。
小さな焚き火を各々で囲んで、誰も言葉を発さない。
盃を手にしながらも、誰一人として杯を重ねようとしない。
焼かれた肉は冷え、硬くなっている。
それを噛みしめるでもなく、皿の上で転がすだけの手つき。
だって、先ほど戦死者を火葬にしたばかりなのだから。こうなって当たり前だろう。
遠くから響く歓声に、顔を上げる者はいなかった。
夜風が肩を撫で、火の粉が静かに舞い落ちる。
そこには、戦いに向かう者たちの昂りではなく、静かな、止めようもない恐怖だけがあった。
誰も口にはしないが、それぞれの心が、無言で問いかけていた。
本当に、これが正しいのかと。
だって、死んでいるのだ。
今自分たちは生きているが、先の襲撃では多くの人間が死んでいた。
最強が走った経路に居ただけという理由で強者たちが死んだのだ。
ルグニカ王国の我々は被害を被っていない。だからこそ理解できない。
なぜ彼らは戦いをここまで心待ちにできるのか。
なぜ彼らはここまで戦死を気にしないのか。
文化が、価値観が違う。
それはわかっていた。知っていたはずのことなのに、心が追いついていなかった。
高揚をしていないという点では同じだが、それでもルグニカ王国の中でも違いはある。
それはカルステン領へと侵攻したカスター領の者たちを中心としたルグニカ南部の精鋭たちだった。
彼らはじっとして、最低限必要な分だけ栄養を口に放り込み。
肉を噛み潰す感触を味わいながら、それでも食わねば動けなくなるから流し込む。
彼らの目は昂ってはいない。けれど、他のルグニカの民のように戦自体への恐れはないようだった。
彼らが恐れているのは、もっと別のものなのだから。
重苦しい雰囲気に耐えかねて、多くのものが早めに眠りについていく。
ここにクルシュ・カルステンも、皇弟とついに名乗った
それか、最新の英雄たるナツキ・スバルがいてくれれば雰囲気を変えてくれただろうか。
英雄と士気を欠いた状態でも、決戦はいずれやってくる。
帝国民の蛮勇さ。戦いへの信仰が少し羨ましいと感じたことを誰が責められるだろうか。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
しかしながら、祭りの如き馬鹿騒ぎを帝国民の全てができていたわけではない。
ズィクル・オスマンは実質No.2。軍司令官の役割をこなし着実な成果を上げ続けていた。
しかしそう目立つと余計な仕事も増えてくる。
「オスマン二将!ぜひわが氏族の陣まで!」
「こちらにはとびっきり強く美しい娘も用意させておりますぞ!」
「内密にお伝えしたいことが、これはまたとない機会なのです…」
皇帝の覚えがめでたい最初に彼らに協力を始めた知将。
そんな風に噂が立っているのだ。
一番最初。グァラルを無血開城させられた時などは、一族郎党にまで空前絶後の恥をかかせるほどの悪態をつかれていたのだが狼たちの掌は意外にも回るらしい。
『女好き』という蔑称が遥かにマシに思えるとは、想像を超えている。
――ヴォラキア帝国二将、ズィクル・オスマンは『女好き』で知られている。
実力を示し、将兵からの尊敬を勝ち取らなくてはならない帝国軍人にとって、これはなかなか不名誉な呼び名の羅列であろう。
しかし、ズィクル・オスマン本人はこの『女好き』の呼び名を気に入っていた。
――否、誇りに思っていたといっても過言ではない。
何故か。
それは『女好き』と呼ばれる以前、ズィクルを示す異名がたまらなく嫌だったからだ。
軍人として、そんな異名で呼ばれることは耐え難い屈辱だった。だから、将兵たちからその異名を忘れさせてくれた『女好き』の称号を、彼は誇らしく掲げている。
そもそも『女好き』といっても、ズィクルのそれはいわゆる女たらしであるとか、女性を下に見ているという類の男の悪習とは趣が異なるものだ。
オスマン家は代々帝国軍人を輩出してきた家系だが、姉が四人、妹が六人の環境で生まれ育ったズィクルは、男兄弟が一人もいない幼少期を過ごした。
大勢の女家族に揉まれて育ったズィクルは女性に優しく、同時に女性に優しくされたいという欲求を強く持っていた。故に彼は女性に尽くし、女性に尽くされることを至上の喜びと考え、実践した。
その姿勢は帝国の多くの支配的な男たちと異なり、的確な用兵と無難な戦勝を重ねる彼への嫉妬や侮蔑と折り重なって、『女好き』の名へと繋がった。
だが、冒頭に語った通り、ズィクル・オスマンはその二つ名を気に入っていた。
『女好き』、大いに結構ではないか。そもそも、女性嫌いより、女性が好きな男の方が多いのだから、多くの将兵と語らう機会も持てようというもの。
そう割り切ったズィクルの姿勢は迷いがなく、そして、そんな上官の嗜好を知る部下たちも、自然と『女好き』と仰がれる彼のことを尊敬した。
――『女好き』、大いに結構ではないか。
しかし、ここまで無礼に『女』を献上してくるようになろうとは。
女性はモノではない。ズィクルの数少ない逆鱗の上で小躍りをする愚か者どもを何度殺してやろうかと思ったが、それも決戦まではグッと堪える。
お望み通りに最も戦いの激しくなるであろう場所への配置をしてやるだけだ。
ズィクルは今後一将への昇進が内定しているだろうという噂もあるようだ。
正直自分でもそんなことがあれば良いと思ったこともあったが、グァラルでの戦闘と、先の襲撃を見てそんな甘い考えはかき消えた。
一将は人外の領域だ。自分は優秀な凡人でいい。
これを機に他の一将を蹴落とそうだとか。そんな謀り事を誘う輩もいる。
彼らのことはしっかり覚え、のちに皇帝陛下へと報告する。
帝国兵が上を目指すのは当たり前であるのだが、裏からこっそりというのは流儀が違う。
ともかく、ズィクルとアレクは過労であった。
もはや戦友と呼んで差し支えないほどの濃密な時間を過ごした王国の友人が、筋肉の塊たちに胴上げされているのを見て、ズィクルは同情する。
この調子では、彼にも謀略を誘う馬鹿が出てきそうだ。
戦場で偶然を装い合流してくることを計画している氏族もいるようだった。
それらをこちらである程度予防しておかねば、彼は近いうちに倒れるだろう。
まぁいい。決戦において自身の役割を果たし、オスマン家の威光を帝国全土へ知らしめるのだ。
武力は持たないがそれでも帝国の剣狼の一頭として、彼もまた牙を舐めていた。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「エミリア様。作戦についての約束は守れそうですか?」
ロズワールはいつになく真剣な口調で問う。
「ええ、大丈夫。私が戦わなきゃいけない相手がいるのよね。その場所がわかるまでは、この国の人たちに任せて待機。約束したもの。絶対に守るわ」
返事は素晴らしい。
しかし本当にわかっているのかと、さらにロズワールは踏み込む。
「人が死にます。目の前で。それでも我慢できますか?治癒魔法を使わずに、より強い敵に向かって攻撃をしなくてはいけない。その方が多くを救えるから。あなたにそれができるのですか?」
もはやそれは、詰問に近いほどの圧力だった。
できないだろう。お前はそうではないだろうと。ロズワールからの圧は高まる。
「諦めたりはしない。私がそうするのは、その方がみんなを助けられる可能性があるから。ちゃんとアベルにもそう言ったの。犠牲を当たり前なんかにしないって。それに、今回は私よりすごーく治すのが得意な人がいるもの。私は私にできることをするの」
迷いはまだ少しある。しかし、それで行動が変わるようなことにはならないと自信を持ってエミリアは答えた。
「それに…ううん。これはいいの。気にしないで」
エミリアのその様子に、何か予想が外れたのだろう。
ロズワールはオッドアイを大きく開いて驚いた。
「どうやら、本当に成長されているようですね。驚きだ。あなたはもうこれ以上は変わらないかと思っていました」
聖域で起きた成長は、スバルが関わっていたのだから納得できる。
しかし、彼女のこの短期間での変化はなんだ?
スバルがいないのに、こんなことが起きるとは理由が全くわからない。
「ふふ。こんな風に人を驚かすってすごーく楽しいのね。帝国に来て初めて知ったわ」
エミリアが言い淀んだのは、スバルについてだ。
スバルなら、唐突に現れて全部を勝手に救ってしまうんじゃないかなんて、そんなことを感じたのだが…
でもこれは言わない。
だからと言って、やることは変わらないし。彼に寄りかかっているようで、そんな自分が好きではなかったから。
これは自分だけの秘密。
ケイにありがとうを言いたい。
私の騎士様に、スバルに任せてと言いたい。
傷つき震える人たちに、大丈夫と言ってあげたい。
エミリアはそのために戦うのだ。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
神聖ヴォラキア帝国の中枢。
玉座の間には、息を呑むような静謐が満ちていた。
磨き抜かれた大理石の床が、灯火を鈍く映し返す。
高い天井に響くのは、衣擦れすら遠慮したかのような微かな音だけ。
中央には皇帝がいた。
玉座に腰掛け、まるで彫像のように微動だにしない。
その周囲を、格式高い衣装に身を包んだ重臣たちが取り囲んでいる。
それが普通であるのだが、今は様相が異なる。
大臣や官僚たちはおらず、ここにいるのは宰相と一将のみである。
沈黙を破るのはいつも宰相であるベルステツ・フォンダルフォンからだ。帝国では珍しく武の気配を滲ませない初老の男は、それでも一定の格を放っている。
「さて、こればかりは答えていただきますぞ。なぜ反乱軍は未だ健在なのでしょうな。かの『青き雷光』が向かったのではないのですか?」
玉座の間に差し込む光はわずか。
その一筋一筋が、まるで帝国そのものの命脈を象徴するかのように、細く、脆く、しかし消えない。
「あれには必要な指示をしてある。貴様らに手ずから細かな説明をしろと?貴様は一体いつから参謀を気取るようになった?」
「お戯を。ここまでの内乱は史上においても例がなく、帝都が全方位から10万を超える臣民に囲まれるという状況は数百年なかった異常事態です。私奴にはこれを聞く義務がございます」
それでも玉座に座する皇帝は、何も言わなかった。
目を細めることも、眉を動かすこともない。
ただ沈黙を守り続け、その存在だけで場を支配していた。
「閣下…」
冷たい視線が、誰をも見ていないようで、すべてを見下ろしている。
無言のまま、それでも絶対の命令を発しているかのようだった。
「んなこと言っても、しゃーなくね? セシの奴が言うこときかねー。閣下が全部を伝えないってのがそんなに珍しいことかよ。それで玉座をとってんじゃし、そもそもこういうもんじゃね?」
そう言ったのは、白く染まった髪と眉を長く伸ばした、皺だらけの老人だ。
話す口調にも内容にも、面倒臭がる雰囲気を丹念に練り込んだ老人。
老人は何一つ気にした様子はないが、彼の片腕は失われている。
『九神将』の参。『悪辣翁』オルバルト・ダンクルケン。
シノビの頭目である彼は、緊張感を無視して軽々と話す。
それに呼応するように
「クソ反乱なんてクソ雑な火力バカにやらせりゃいいだろうに。西を放ってここまで呼んだのは閣下に考えあってのことだろうがク…っ宰相は!黙って命令聞くべきなんじゃねぇのか?」
『九神将』の陸。『呪具師』グルービー・ガムレットは髭犬人。ハイエナの亜人である。
呪具で装備を固め、全身に仕込んでいる彼は類稀な鍛治師であり呪具の製作者でもある。
普段はヴォラキアの西の国境を守っており離れることはない。
離れる必要があれば、他の『九神将』と交代するものだが今は単純に精鋭共々、帝都へと召喚されている。
これは異常事態だった。
アラキアやセシルスがいるならどれだけの大群が相手でも強い個人が相手でも、それこそ九神将の参より下が全員で束になったとしても問題ないはずだった。
なのに現実はこうなっている。
神出鬼没なセシルスの動向。不自然な皇帝閣下の態度。それらに思惑がないはずはない。
一将として任を負ったからには、納得いかずとも玉座に座る皇帝の指示を聞くだけである。
「クソ宰相。閣下にクソ難癖つけてる場合か?何のための軍権だって話だぞ」
「私奴は軍権の指揮下にはおりません。誰もが疑問に思い口に出せないこの疑問を私奴だけは問う義務があると考えます」
互いに引かない。武力では圧倒しているが人としての力としては拮抗している。
「それで、私はどうすればいい?また襲う?」
まるで目の前の対立など眼中にないといった平坦な音が彼らを超えて皇帝へと届く。どこか呆然とした声が響き、感情の読めない平坦な視線が皇帝へと向けられる。
不敬と叱責されてもおかしくない態度だが、彼女のこれは元からだ。
――そこに立っていたのは、褐色の肌の大部分を露わにした美しい少女だった。
銀色に近い白髪、左目を覆った眼帯、臀部からは豊かな毛並みが特徴的な尻尾を生やし、手にはその辺で拾ったような枝を握っている人物。
感情の乏しく見える顔つきは幼く、女性的な起伏に富んだ肢体と比べると、ひどくアンバランスな印象を受ける。
『九神将』の弐。『精霊喰らい』アラキアは先の敗北を全く気にしていない。
セシルスが姿を現さない現状において、最高戦力である彼女はすでにグァラルで一度撃退されていた。
アラキアの奇襲で終わりかと思えば、プリシラの参戦で全てが狂ったのだ。
昔の縁が純粋な戦闘にさせず、動揺したアラキアは無力化された。
「無用な頭を回すな。貴様は願いのために余の指示に従っていれば良い」
助け出したのはトッドとジャマルという兵士であり、比較的頭が良かったのでそのまま側付きにしてアラキアの手綱を握らせている。
トッドもこの首脳の会合に参加させられており、本当に帰りたそうな表情を完璧に隠し切っていた。
(場違いもいいとこだ。あーあ。こんな化け物どもの巣窟になんでいるんだ。どれだけ考えて準備したって上手くいかないもんだ)
ため息などつかない。完璧に兵としての役割を全うしていた。
「命令はトッドに言っておいて。私は寝る」
いや、これはもはや兵としての役割ではない。
軍隊における上官と部下という関係にはとても見えない。不思議系アイドルとマネージャーといった関係とスバルなら表現しただろうか。
なおこの美しい少女は、片手間で100以上の兵を一息に灰にできるほどの実力を持っているからトッドの冷や汗は止まらない。彼は危険物に近づきたくないのだ。
宰相の指摘も尤もではあるが、状況は最悪ではない。
帝国中枢に高まっていた皇帝への不信感は、先日颯爽と現れて消えたセシルス・セグムントの大暴れであらかた治っている。
不満があるなら聞きましょう!と抜刀して陽剣を求める者たちを片端から粛清していったのだ。
大多数を殺しはしていないが、あれはトラウマものだろう。数日ならば抑え込める。
セシルスは反乱軍に大きな打撃を与えたが、内側の味方にも牙を剥いていた。
帝国は暴力さえあればどんな無茶でも通るのが常なのだ。
反乱軍は傷を抱え、帝国軍は迷いを抱えたままに決戦が近づいていく。
「ちょっとまだ早いような感じがするんですけどね〜。ぼかぁちょっと心配だなぁ〜」
そう呟く星詠みウビルクの声に反応する者はいない。
すでに限界まで引き延ばした戦いが、喜び勇んで向こうからやってくるのだから。
本作には全く関係ないですが活動報告に自分の書いた文章を載せてみます。
気になる方は見てみてね!
『大地が死んだ日曜日』
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