この戦いは、日の出とともに始まった。
それは最初から言われていたことであり、指示に従うことすら困難なほどに膨れ上がった反乱軍において唯一の取り決めだった。
星型の巨大な城壁へ、四方八方から戦士たちが殺到する。
地平線の端から端まで、黒い波のように膨れ上がる軍勢。
太陽が顔を出す前から、彼らの一部は既に走り始めていた。
夜明けの微光の中、鉄と革のきしむ音が広がっていく。
最初はただ、地面を蹴る音だけだった。
やがて、それに混じるように叫び声が上がり始める。
叫びは一人、また一人と増え、連鎖し、やがて津波のような轟音へと変わる。
燃えるような怒声が空を満たし、朝の冷たい空気を震わせる。
彼らの血潮は、既に戦いの熱で沸き立っていた。
暁の光に照らされる。
彼らの顔は、全員が幸せに満たされており恐怖に歪んだ惰弱は一人たりともいない。
祝福されているかのように、全員が光を目に映して走り続ける。
彼らの目の輝きは、その気迫からだけではない。物理的にも光を反射し輝いた。
視線の先、太陽とは別の不自然な光が二つ、帝都へと降ってくる。
一つは巨大な氷山だった。
その圧倒的な質量は空から山が降ってくるような異様な光景である。
空を裂いて降る氷山に、昇ったばかりの朝日が斜めから差し込む。
氷面に光が跳ね、七色に煌めいて、プリズムが踊る。
白銀に染まった巨塊が、大気を巻き込みながらゆっくりと回転し、虹の鱗粉のような粒子を撒き散らしていく。
それは宝石のように美しく、あまりに非現実的すぎて直下にいる者ですら危機を感じることすら忘れさせる。大きすぎる宝石が猛烈な速度で落下する。しかし誰の目にもゆっくり落ちてくるように見えている。
もう一つは、それ自体が光を放つ炎の塊だ。
小さな太陽のようなそれは、熱量を内に秘め肌を焦がす。
帝都に二つの太陽が同時に現れたのだった。一つは東から上り。一つは真上から降りてくる。
その光と炎は複雑な影を生み出した。
自らが夢の跡になることなど、決して自分のことではないと誰もが確信して栄光へとひた走る。
走る。走る。誰かが走る。
つられて駆け出す。加速していく。
空から降り注ぐ炎に向かって、兵たちはためらいなく走った。
剣を掲げ、盾を突き上げ、怒声を上げながら。
焼かれることも、潰されることも構わない。ただ、ただ前へ。
叫ぶ。叫ぶ。誰かが叫ぶ。
兵たちの瞳には、燃え盛る光が映っていた。
反射した炎が虹彩を染め、黒曜石のような輝きを宿す。
熱気に頬を焼かれながら、それでも彼らは歓喜に似た息を吐いていた。
そのままであれば、帝都は大きな損害を被っていただろう。
極大の魔法で本陣を奇襲し、そして白兵にて制圧する。そんな綺麗な筋書きが成立したはずだった。
しかし、この場には帝国の最高戦力たちが揃っている。
氷山に向かうのは、土と熱。大地からの噴火だ。火山のようなそれが帝都中心から吹き上がり、山同士が衝突する。
小さな太陽を受け止めるのは、突如立ち上がった水面。宙空へと導かれた大量の水。いや空中に溜まった湖が熱を受け止める。
それぞれが、人智を超えた出力で生み出される。
降り注ぐ二つの光は、この世界でも最高峰。人間が生み出せる限界の光だった。
しかしそれを超えるのは精霊による光である。
それは、氷山を落とした精霊使いから見ればゾッとするような。身の毛もよだつ冒涜的な力の使い方。
『精霊喰らい』の本領が帝都の上空で炸裂した。
これまで食い溜めていた精霊の力を解放し、そして不利な下方からの迎撃を成功させたのだ。
火山が氷山と激突し、水が火と交わり湯気が生まれる。
そんな神話のごとき光景にダメ押しとばかりに、もう一つ、超級の力が追加される。
雲の奥から凄まじい圧力が放たれる。聞こえてくるのは『雲龍』の唸り声。咆哮の前兆だった。
帝都ルプガナの城壁が、呻くような音とともに揺れた。次の瞬間、石組みの一部が崩れるのではなく、意思をもって動いた。
城壁そのものが、のそりと立ち上がったのだ。
知っているものだけが理解している『九神将』モグロ・ハガネが起立したのだと。
目のない顔面、太古の神像を思わせる風貌、両腕は大地。指は城壁の支柱そのものだった。人の手で刻まれた防壁が、今まさに人の形をとって帝都を守ろうとしていた。
巨兵は地を割るほどの振動とともに歩を進める。その足元に群がる異形の叛徒たちを、瓦礫の雨で払いつつ、敵意の気配へと向き直った。
次の瞬間、咆哮が天を裂いた。
――龍の息吹が巨兵へ殺到する。
大地そのものが立ち上がり。城壁そのものがそそり立って裏切り者の叫びを遮る。
風そのものが刃と化し、大気が震える。咆哮は巨兵の胸部を中心にぶつかり、瞬く間に表層の岩を砕いた。削り取られた巨体の腕が、音を立てて崩れ落ちる。
だが、息吹は止まらない。
だが、大地は崩れない。
片腕を砕かれ、肩から下が吹き飛ばされようとも、巨兵は膝をつかず、体勢を保ったまま、咆哮のすべてを受け止め続けた。
龍が咆哮を止め、煙が晴れたとき、片腕を失いながらも立ち尽くす巨兵の姿が、なおもそこにあった。亀裂の走った体に、なお余力はある。
土でできたその両腕は流す血肉が存在しない。岩が再び地中から這い上がり、欠けた腕を補おうと蠢く。ゆっくりとだが復活していく。
あの巨人の両腕が生え揃うまでに攻め切りたい。将兵ならば全員がそう思うだろう。
全てを無に帰すような超級の魔法。人ならざる大規模な破壊の応酬が終わり、次に起こるのは人と人との闘争だ。
野心に駆られたものたちしかここにはいない。中でも突出したものたちが一番槍を務めるのだ。
帝都の中心は星型の防壁を備えており、それぞれに守備が配置されている。
そこを正面突破さえできれば、反乱側の優勢は確固たるものになるのだから、当然戦功欲しさに猛者が殺到する。
帝都の頂点の一つには、紫の茨がまるで柵のように生えていた。
紫色の茨が地を裂くように地表を這い、荒れ狂いながら螺旋を描いて前進する。それは群れた蛇のように脈動し、無数の棘を震わせていた。
その異常な場所へと果敢に攻め込むのは、蹄の音を轟かせて押し寄せる半人半馬の人馬人たち。
獣のような咆哮とともに、その巨体が一斉に茨の海へと突入する。棘が肉を裂き、血が飛び散る中で、しかし彼らの足は止まらない。茨と肉体が絡み合い、衝突の瞬間に爆発的な力が生まれた。
帝都の頂点の一つには、他の帝国兵とは一線を画した装備集団がいる。
不揃いであるがゆえに強靭な精鋭の一団が待ち構える。装備は千差万別、槍もあれば斧もあり、服や鎧が妙に発光している者さえいる。
彼らと対峙するは、体の一部が刃と化した異形の刃金人たち。歪な関節から伸びる刃が風を裂き、迎え撃つ者たちは鉄と鉄がぶつかり合う轟音の中、互いに名乗りを上げる間もなく激突する。
火花が散り、咆哮が交錯する。
武具による全霊での対話。この刹那こそが、彼らにとっての誉である。
帝都の頂点の一つには、生気を感じさせない人形が大地に整列している。
大地が膨れ上がり、そこから隆起するようにして姿を現したのは、石塊の人形たち。
粘土を捏ねて職人が創り出したかのようなその姿は無言のまま拳を振り上げ、空を知らぬ翼人たちを迎え撃つ。
彼らは無理やりに背負わされたかのような羽根を背に、しかし矢のように突っ込んでくる。
石塊の拳と細身の剣が激突し、振動が地に伝わる。誰かの叫びが空を裂き、岩が砕けて飛び散る。敗北を許されぬ戦が、そこに始まっていた。
帝都の頂点の一つには、一言も発しない沈黙の集団が伏せていた。
静寂を鎧として纏い、忍び歩く異形の殺戮者たちが戦場で佇む。
足音一つ立てず、風に乗るように地を滑り、気配の無いまま標的をただ待っていた。
彼らの狙う先には、額に光を宿す光人の戦士たち。神聖さすら漂うその姿は、神々しさすら感じるだろうがそれを敬うようなものはここには一人たりともいない。
それを証明するように次の瞬間。風が切れる音と共に刃が奔り、声もなく光人たちの喉元が裂かれる。地面から突如として発生した黒装束が、前に集中していたものたちの背後を抉る。
応戦しようと構えた者たちが、光の奔流を放つ。
静寂の中に閃光と影が交錯し、まるで絵巻のように展開する死の舞踏が始まった。
帝都の頂点の一つには、英雄がいた。
――『巨眼』イズメイルは、単眼族の中でも特異な存在だった。
顔の中心に輝く大きな青い単眼は、幼少の頃から群を抜いて美しく、その名が与えられるに相応しい資質を備えていた。単眼族とは文字通り一つ目の種族であり、その視覚が損なわれれば即座に戦闘力を失う脆弱さを抱える。だが、彼らはそのリスクと引き換えに、極めて高い視力やマナの流れ、熱源の認識など、優れた視覚特性を持ち、戦場においては特異な力を発揮する。
その中でも、イズメイルの瞳は一級品であり、肉体的にも屈強だった。大振りの戦斧を軽々と振るうその姿は、ただの若き戦士を遥かに超え、帝国最強の一角となるにふさわしかった。だが、彼が成長した時代は戦のない弛緩の時代。戦場を求めても、それを得る機会が訪れなかった。
しかし、北から始まった反乱の火は、急速に広がり、いつの間にかヴォラキア全土に燃え広がっていた。
「戦う機会さえあれば――」
その言葉は、彼の誇りであり、宿命でもあった。機会さえあれば、『九神将』すらも圧倒できると信じているし、部族の誰もがそれを疑わなかった。
だからこそ、彼が皇帝討伐を掲げたとき、誰も反対しなかった。今や帝国内には『隠された皇弟の帰還』『黒髪の皇太子』の噂が蔓延し、皇弟へと合流するか。皇太子を用意することが反乱に参加する資格とすら見なされている。
機に乗じられぬ者は覇を唱える資格がない。イズメイルはその資格を得た。
帝国の掟
「我こそが、このヴォラキア帝国に覇を唱えん!!」
イズメイルは戦の中心に立ち、誇りと共に覇を求める。今こそ、彼の眼が望んだ未来が今まさに切り拓かれている。
自らの手で並んだ帝都の兵を吹き飛ばし、活路を開いていく。
高揚する気分とは別に熟達の戦士としての嗅覚が異変を感じ取る。
おかしい。抵抗があまりに少ない。
そういえば、反乱のための種火を運んできた飛竜隊が、何か注意を言っていた。
惰弱な怯えを作戦に組み込むことはできないとして突っぱねていたが、これはまさにその注意のままに状況が動いているのではないだろうか。
相手は引き込んでから一網打尽にするつもりだ。
星型の城壁はそれが目的の構造であると指摘する注意書きがあったことを思い出す。
他にも予想される『九神将』の攻撃などいくつかあったが、相手が罠を張っているならそれを打ち破ってこその英雄である。
これは罠ではないのか?そう考えるが、ならばそれを上回るだけだ。
氏族のものたちが前へ前へと進んでいく。英雄が背中以外を見せるわけにはいかない。
イズメイルの巨大な戦斧が、防塁の一部を崩し帝都への大階段が目の前に広がった。
その目はあらゆる情報を見逃さない。階段の上部にそれはいた。
炎そのものが、こちらをじっと見てその熱を燻らせている。
青い巨眼と赤い炎の眼差しが交錯し、これからが本当の戦いであると直感する。
帝都における決戦。待ちに待った血戦がついに始まった。
どんな結末になろうとも、歴史に語られることだけは確実だ。
何がどのように物語に名を残すのかは、後世の者にしかわからない。
いや、違う。未来に手を伸ばすものがここにはいた。
未来を正確に予測しているものがいる。
未来を意図的に生み出しているものがいる。
未来を元に現実をそれに合わせよと指示を受けるものがいる。
全部をひっくるめてやり直しができるものはここにはいない。
その反則を理解し、最大まで警戒している合理の男もここにはいない。
主役を欠いた決戦が始まる。
熱が高まるその戦場をフェリックス・アーガイルは、誰よりも冷めた目で見つめていた。
その目には現実的な血だらけの未来が映っている。
「ふざけんな…」
何に対しての悪態であるのか、自身ですらわからない。
フロップのいう『残酷な世界』に対しての文句だったのかもしれない。
フェリスにはフェリスにしかできない戦い方がある。
英雄不在の、どこまでも現実的な戦争が『青』を巻き込み始まった。