単眼族の少年が、戦場でただ立ち尽くしている。
彼の大きな目に映るのは、帝都を舞台にした決戦だ。
幼い頃から憧れた晴れ舞台であり、年齢を理由に一度は村に残れと言われたがこの機会は逃すことはできないと全力で抵抗をした。
父母からは年齢を理由に止められたが、それも友人同士で結託し監視を抜け出した。
どうにか帝都へと向かう英雄のイズメイルへと合流したのだった。
小さな村から出たばかりの少年たちが、槍と剣を手に列に並ぶ。
革鎧は借り物で、体格に合わず少し歪んで見えた。
だが彼らは、自分たちが『兵士』であることに誇りを感じていた。
期待に胸を膨らませ、自分も英雄になるんだと息巻いて。
故郷を後に、この帝都まで上り詰めたのだった。
「俺は皇帝陛下みたいになるんだ」
「オレは絶対にイズメイル!単眼族ならあんな風にならないといけねぇよ!」
「なあ、セシルス一将って、マジで一振りで百人斬るんだってな!」
声を弾ませた少年に、もう一人が興奮気味に頷く。
「うちの村のイヅラのおっちゃんが見たんだってよ、前の戦で。火の中を真っ直ぐ歩いてきたんだって!」
「セシルス一将はかっこいいよなぁ。でもあそこまで強くなるのは流石に無理かぁ」
「いいや!俺は絶対に最強の一将になる!」
「まずはイズメイル様を越えないとだけどな。挑戦だけでもお前にできるか?」
「いや、それは…でも、夢見るくらい、いいだろ!」
手拭いをたすき代わりに結び直しながら、もう一人の少年が呟いた。
「……俺、英雄になったら母ちゃんの墓に報告するんだ。俺、やったよって」
少ししんみりとした空気を、別の夢で上書きする。戦場に向かうというのに、暗いのは似合わない。
「帰ってきたら、俺んちの倉庫改造して酒場にしようぜ!」
「バカ、英雄が酒場の亭主なんかやるかよ!」
そう言った少年たちの目は真っ直ぐで、一点の曇りもない。
剣を腰に差し、砂塵の舞う地面を強く踏みしめる。
憧れの背中を追えるというだけで、彼らの胸は熱かった。
夢に向かっているというだけで高揚し、舞い上がるようだった。
陽の昇りきらぬ空に、帝都へと続く道が真っ直ぐに伸びる。その先にあるのは戦場であり、血と鉄の匂いが染みついた地だ。
けれど少年たちの目には、ただ光の道にしか見えていなかった。
肩を組み、笑いながら歌を歌う。
それは祝祭のような明るさで、誰一人として死の匂いを嗅ぎ取っていなかった。
彼らの未来には、勝利と栄光しか刻まれていなかったのだ。
村の祭事までには帰ってくると気軽に幼馴染と約束し、一人前になって戻ってきたら嫁になってくれなんて。今まで言えなかったことを伝えるための勇気も出るだろうか。
この光景はなんだ?
これが、自分たちの思い描いた戦場なのか?
泥の中に崩れていたのは、さっきまで隣を歩いていた少年だった。
爆発が地面の石を矢に変えたのだろう。胴体には大きな穴が空いて、内臓が地面に撒き散らされていた。
口だけが、無音の悲鳴を繰り返す。
空には陽が昇っている。
朝焼けに染まった空は、戦場の上に黄金をまぶしているが赤黒い景色を塗り替えることはできない。
少年たちの夢だった英雄への道。そう。道だと思っていたものはそうではなかった。
歩くたびに肉が潰れ、目を合わせた仲間が次の瞬間には声もなく倒れていく場所なのだ。
ここはどこにも通じていない。栄誉への通過点なんかじゃない。
だってここには戦いすら起きていない。
唐突に爆炎が包んだだけだ。有象無象に対して最強の一角が力を大雑把に振るえばこうなる。
その中でなお立っている者は少ないが、生きている瞳は、すでにどこかが壊れていた。
それでも、それでも彼らの目は彼らの英雄を追う。
自分は無理だった。けれど彼ならばと期待を託す。
巨眼のイズメイル。かの英雄は先ほどの爆炎を自ら防いでいたのだった。
――『巨眼』イズメイルは、単眼族の勇士であり、一族の希望だった。
その勇ましい顔の中央、大きく青い瞳は澄み渡り、未来を迷いなく見据えている。
強大な敵、多分あれが、アラキア一将だ。そして英雄の眼前にはおそらくこの卑劣な罠を仕掛けた帝国兵を屠るため英雄は動く。
満身創痍でもその疾走は早く、少年の目にはまるで風のように見えた。
次の瞬間、目潰しをされ眼を閉じたイズメイルの体へと魔石砲の砲弾が直撃、その『巨眼』ごと吹き飛ばしてしまっていた。
一帯は焼き払われ、仲間たちの焦げた匂いだけがそこに満ちている。
後方から、単眼族に出遅れた別の氏族が詰めてきた。
アラキアという化け物はそれに目をむけると、土の塊を無造作に打ち出した。
立ちすくんだ少年を誰もが通り過ぎながら、そして致死の石塊に迎えられていく。
肉と泥が混じった匂いは胃を握り潰すような圧迫感を持ち、自然と足は後退している。
歩くたびに何かを踏みつける。
靴の底から染み込んだ熱い液体が皮膚に触れるたび脳が理解を拒否してくれた。
肉片が潰れた音がする。
足元で誰かの歯が砕け、脛にこびりついた髪の毛が離れない。
なぜこんなことになっているのだったか。
そんなことを考えている間にも皮膚と骨が霧のように飛び散り、戦列の間に脳漿と眼球が降り注いだのだった。
少年の頬に当たったのは熱と粘度のあるもの。
叫び声が絶えない。
だが、誰が叫んでいるのかはわからない。
最初は「進め」と雄々しく叫んでいた声が、だんだんと制止に変わり、家族を最後に呼ぶ断末魔へと呻く声になった頃には、戦場の趨勢は決まったようだった。
あれほどまでに赤かった闘志がいつの間にか消えかけている。
消えていく赤を補うように血がそこらを染めていく。
傷口からは止めどなく鮮かなものが噴き出し、泥に現実的な赤い紋様を描いた。
単眼族の少年はそのまま戦場をぼうっと見続けた。
仲間たちは焼き払われて、英雄が無惨に殺され。
さらに後詰めが一掃されてしばらく経っただろうか。
あまりに綺麗な赤い炎のような女が、アラキアの前に現れた。
もう一人とても似通った狐人の女性も並ぶ。
あれが、ヨルナ一将かもしれない。
なんだか綺麗だななんて、物語を見るようなそんな夢見心地でぼうっと見ていることしかできない。
「鬱陶しい。不躾に眺めるな」
小さな火の粉が生まれ、そして自分へと真っ直ぐ飛んできた。
パンと炸裂し、悪夢をただ見ていたような心地が一気に吹き飛ばされる。
痛みはない。怪我もしていない。
「ここは戦場、戦士ではない子供は家にいるが良い。疾く消えよ」
自分に語りかけられているとわかって、ようやく体の感覚を思い出す。
「プリスカ。童にそのような仕打ちをするものではありんせん。そんな風に育てた覚えは…」
「育てられた覚えもないぞ母上よ。それよりは目の前の別の童の世話をするべきであろうに」
くいと顎を向けた先には、アラキア一将しかいない。
「姫様っ!!」
これまでの無感情が嘘のように激情を滾らせたアラキアが今度こそ本気で力を解放しようとしている。
その本気にようやく生存本能を刺激され、地獄から逃げるために駆け出した。
世界の主役たるものたちの賑やかしでしかないのだ。あれだけ特別なものだと確信していた自分の命というのはゴミみたいに蹴散らされた。
それでも、大切なものを最後にその目は捉えた。
途中、見かけた同い年の同胞を抱えるか悩んだが置いていく事はできない。
ぐったりした友達を抱えて、そして走っている。
走りながら、戦場を眺めると別の場所でも特大の破壊が巻き起こる。
機械的にそちらを見れば、反乱軍におけるまとめ役。ズィクル・オスマン二将が帝国の勇士たちを率いて突撃を敢行していた。
過去を語る口調になったのは、それが無為に消えたからだ。
しかし、その空白を見逃さずより多くの軍がさらに後詰として殺到している。
鬼面の皇帝がそこを堂々と進んでいく。
誰もが人形たちと戦い、その道を切り拓いていく。
ついに帝都へと貫通し玉座の奪還を果たすべく、本丸が中枢へと雪崩れ込んだ。
戦いとしてはきっと、反乱軍の勝ちなのだろう。
これが勝ち戦で、そして自分は生きている。
英雄すら成し遂げられなかった偉業を達成していると頭のどこかで騒ぐ意識があるが、そんなものは意味をなさない。
走りながら、体が震え始めた。
ガタガタと震えが止まらない。
恐怖が追いつき、少年は一つ大人になった。
かけがえのないものを全て失い。二度と子供には戻れない。
彼は気づけば救護所に立っていた。
息を切らしながら友人を医官に預ける。
「いや、君。これは。ダメだよ。まずはテントを出てから落ち着きなさい」
「そいつ、母ちゃんに、言わなきゃで。だから、だから帰らなきゃで…」
全身に力が入る。ダメだ。もう何もわからない。こんなのは。
どうしようもない感情が暴れ出そうとするその前に、とても軽い衝撃が頬を打つ。
淡い青の光が、彼の頭を覆ってなんだか一気に感情が落ち着いていく。
一体何を、していたんだろう。
「友達は死んだよ。あなたは生きてる。それだけ理解したなら。立ちなさい。やれることを、するの!」
背中をたたかれる。ろくに戦えない亜人との混ざり。普段ならバカにする対象のはずなのに。なぜだろうか、その一撃は彼の魂にまで響いた。
言われて気づく。友人の体が腹より下がないことを。
残った半分が黒焦げになっていることに。
なんで自慢の目には、何も見えていなかったのだろうか。
「あなた、怪我をしていませんね?まだ動けるでしょう。手伝ってください」
そう言われて、また鈍くなっていた心が少しだけ動いた。
一つしかない目をそちらに向ければ、そこには青髪の少女が血だらけになって救護にあたっていた。
何を、しているのだろうか。
こんなことしても、無駄なのに。雄々しく死ねる機会を奪うなんて、手足を失って生きるなんて、生き恥だというのに。
「早く動いてください。水を汲んできて、いやあなたのその目。単眼族は目が良いと聞きました。こちらに!」
そして少年は見た。
先ほどの混じり者。それが放つ圧倒的な青を見た。
ただただ空間を塗りつぶす純粋な青色がそこにある。
それは逃避の青ではなかった。
死を拒絶する。死を遠ざける青色だ。
青の奔流が溢れ、部屋の隅々までを埋め尽くす。これは単眼族にしか見えない光景だ。
光ではない。液体でもない。それはこの世のものでは例えられないような色で、空間そのものが染まっていた。
たちまち、呼吸を止めていた兵士が胸を大きく震わせる。口から泡を吐き、焦点の合わなかった目に確かな光が戻る。
脈を繋ぎ。再生する。
壮絶な青色の中で、命が還る音がした。
壮麗で。荘厳で。神聖な行い。
それらの言葉すべてが陳腐に思えるほど、ただ静かで、美しかった。
少年は立ち尽くしていた。
英雄の放つ赤色ばかりを信じてきた目には、あまりに眩しく、そして静謐すぎる絶景だった。
何かが少しだけ、わかった気がした。
何かがほんの少しだけ、変わった気がした。
この色は戦えない。だが、確かに救った。
これも戦いであり、強さなのだ。
何より、美しい。とそう思ってしまった。
友人の死すら忘れて、それに見入る。
単眼族の少年は、それから言われるがままに負傷者の見定めや傷の把握。負傷者の運搬などを手伝い始めるのだった。
そして彼は永遠とも思えるような地獄の手伝いをしているうち、それを見た。
そして、彼は近づいてくる二つの色を遠くに見たのだった。
一つは膨大な極彩色。赤い闘志が中心だが、それでも多くの青が混ざる。血気盛んな青というのは矛盾している。あれは一体なんだろうか?
もう一つは、これまで見た中で一番早く動く色。動いてこちらに近づく紫だった。
ここまで暗い色を彼はどこでも見たことがない。この戦場の何よりも濃い紫色の何かが凄まじい速度で帝都へと向かっている。
きっと自分たちとは違う何かが、ここに来るのだ。
その眩く遠い色から目を逸らし、彼は目前の赤い血に目を戻す。
誰かの出血を止めるために手を動かし始めた。