遠く小高い丘の上、乾いた風が軍服の裾を揺らす。視線の先、帝都は燃え立つような混沌に包まれていた。
「もう戦争どころじゃない…」
フェリスはそう呟き、ケイは内心それに同意する。
前線の救護所が屍兵の大群に囲まれようとした時に、ちょうどティアが間に合った。
彼女と戦闘になるレベルの屍兵は当然おらず、烈風によって一薙ぎにされる。
手元には屍兵が一体だけ縛られている。道中に見つけた怪我人であった人物で。フェリスが治療をする前に手遅れになったものだった。
他にも複数名が重傷にうめいている。幾人かは助からないだろう。臓器が失われすぎている。
「殺してくれ」とうめく戦士の言葉を無視して、機械的にフェリスは治療を行なっていく。
一縷の望みはあると信じて、最後まで『青』は諦めない。理性ではもう無理だとわかっていても時間があるなら救ってしまうのがフェリスだった。
治療をしつつ、『不死王の秘蹟』を分析。その上でフェリスは戦場のことが気がかりらしい。
フェリスは本当に天才なのだろう。ケイは改めて『青』の実力に敬意を覚えた。
戦場は混沌と化している。
塔の影が伸び、崩れた城壁の間を、点のような人影が這い回る。
明らかに何かから逃げている――否、誰かが誰かを殺そうとしている。
その動きは統率を欠きながらも異様に速く、逃げる者たちは命の本能でただ反射的に走っていた。
道を選べた者はまとまりを保ち、運に見放された者たちは瞬く間に飲まれてゆく。
ひと目でわかる。帝国軍も、反乱軍も、もう関係がない。
地に立つ
「キモいキモい!なによ!あれ!ここら辺ぜーんぶ!一帯丸ごと全部キモいですけど!?あんた、死んでもあんな風にならないわよね?」
ちょっと気軽に殺せなくて困るんですけど!?そう言いながらティアがグイグイとケイの服を引っ張るが、保証はできない。
空が紅に染まり、輪郭が曖昧になる。
陽が沈む寸前、世界が真っ赤に染まりゆく中で、その地獄はなお広がっていた。
地獄の状況を冷静に拾い上げて精査する。
クルシュの加護とザーレスティアの風による感知。それだけでもかなりの情報が拾えるのだ。
現状をまとめると、帝都で死んだものは屍兵として蘇るらしい。以前見たものよりもオートメーション化されているらしく、別物に仕上がっているというのはフェリスの談だ。
わかりやすく言えば、ゾンビ化するということだ。
区別のために、ここで起きている『不死王の秘蹟』による復活者をゾンビと呼称することにした。
「多分大丈夫です。フェリスがいるうちに試しましょうか。お願いします」
「はぁ!?ちょっとねぇ!私はそんなに野蛮じゃないの。なんでもいうこと聞くなんて勘違い不快なんですけど。バカにしてんの?死になさいよ!」
スパンと風刃で首を半分切られる。
誰がお前を殺してやるものか殺すぞと。一息で矛盾した大精霊は無事に殺してくれた。
「あ、これケイきゅんにも作用しようとしたね。でもできないみたい。復活が早すぎるんだと思う。うん。これなら大丈夫。ていうかもう一回見たいから、ティア様お願い!ケイきゅんぶっ殺してください!」
無垢な少女のように物騒なお願いをするフェリス。
彼はまだ戦場に気掛かりが多いだろうに、ケイへの加虐を言い訳にいつもの調子に戻すことにしたらしい。
「しょうがないわね!フェリスの頼みなら聞いてあげる。その代わりまたあれしなさいよ」
意外なことにフェリスとティアの相性は悪くなかった。マナをほぐす水魔法のマッサージがお気に召したらしく、それを対価に色々融通をきかせてくれる。
「今のは割と痛かった。もっと上手くやってください。ティア様ならできますよね?」
殺されながら、殺し方にダメ出し。ブチギレの大精霊はあ゛あ゛?やってやるわよ!とムキになる。
せっかく殺されるならと、『慈母の血衣』を発動させ久々に身に纏う。
検証のために死に、せっかくなのでその血液で鎧を纏う。
こんな異常がカルステン陣営の日常である。
ギャレクは目立たないように地に伏せているが、その惨殺の光景を見たくないようで目も伏せて鼻を地面に突っ込んでいる。
唸っている黒竜が一番の人格者であり常識人だ。彼には常識的なものの見方を任せてある。よろしく頼んだ。
その時、クルシュが舞い戻った。
フェリスの研究のため、5回くらいは殺される。いよっ!もう一声!とおかわりを要求したフェリスをクルシュが「いい加減にしなさい」と叩き、私刑兼実験は中断される。
「に゛ゃ!、クルシュ様!おかえりなさい!」
奇襲から即座に立ち直り尻尾を振るのはフェリスである。そこに悪気は一切ない。
はぁ。とため息を吐きながらクルシュは報告を優先する。
「帝都から潰走しているのは主に帝国軍です。しかしそれも徐々にまとまって来ている。反乱軍はそこそこの統率がとれた状態で、迅速に引き上げていましたよ。アレクが上手くやっていました。大まかな方向と情報共有だけはしてきましたが、彼だけでも大丈夫そうですね」
どうしますか?
そう言外に問われ、その場の注目がケイに集まる。
「『白結』はどうですか?」
その問いにティアは答える。
「あそこではしゃぎ回ってるのが一つと。後一つはあっちのバカみたいにでかい家の方ね。ちょっと前から全然動いてないわ。本人以外が触ったら消えるし、奪われても死んでもないと思うけど、すぐに死ぬんじゃない?ていうかゾンビになったら白結がどうなるかなんて知らないし、保証しないわよ」
『白結』は結んだものがその方向へと風を感じるようになっているらしく、大体の場所の特定ができるようだった。それを使ってザーレスティアはケイを追ってきたらしい。
道中色々あったらしく時間がかかったようだが、今もその機能は確かに働いていた。
「じゃあ確かめましょう。もう助からない怪我人を使って実験します」
「はぁ!?こいつに白結を結べっての?あんたね!これそういうものじゃないってーの!前にも言ったでしょ!」
そこから少し口論をして、結果的にティアはそれをやることになる。
挑発するパターンと懐柔するパターンがあるが、ここはケイが負けておいた。あとで甘味を奉納することが約束された。
「ここにいるのはもう助からない体。苦しむのが嫌なら介錯してやる。延命の治療も一応できるが、どうする?」
二人が返事を呻き声で確かによこした。
フェリスはそのやり取りに異論を挟まない。そんな時期はもう過ぎている。
自分にできることはするが、わざわざ死にたい奴を止めるほどの力も意思ももはやない。
あるのはクルシュの無事を願う気持ちだけだ。
だからこの方法は有効であると理性が認めた。吐き気を催すが、これは有効で正しい。
「あ〜ダメね。死んだら『白結』は消える。ソンビになって復活じゃあ間に合わない。だからあの動かない方のメスは生きてるわよ」
ケイは考える。
この帝国において、一貫して積極的な介入は避けてきた。
それというのも、目的に対して負えるリスクはかなり低く設定しているからだ。
せっかくだから帝国を削りに来ているが、全てをかけてやるほどのことではない。後でラインハルトを使うという次善策だってある。
しかし、重要な人物にはマークをしてある。
スバルがいずれ合流するだろうエミリアともう一人。この『白結』を渡したのは陣営外ではたった二人である。
その片割れが、帝都の中央から動いていないという。
可能ならば救出に向かいたい。しかし、それは他の全てを賭けるほどのものじゃない。
ケイは逡巡する。迷っているというほどの時間ではないが、即断をしなかった。
虚空を睨む思考は加速し続けて計算を続ける。
それをガシッと物理的に引き戻される。
「プリシラ姉様を助けに行きますよ。何を悩んでいるのです。あなたらしくもありません」
クルシュが、ケイの頬の片方をつまみ、その顔を自分に向けながら言った。
「優先順位というものがあります。プリシラは助けたいけど、一番じゃない」
クルシュは思わず頬が緩みかけて、そしてそれをギュッと引き締めた。
ついでにそのままケイの頬をつねって形を変えてやる。
「では私が向かいますので、助けてください。それなら、どうですか?」
もし優先順位の上というのが自分でなければ最高に恥ずかしい勘違いのセリフだ何てクルシュは思うが、そうではないと流石にわかっている。
塔から戻ってきた後、彼からの自分への風が色づいて見えるのだ。以前よりも強く、少し絡まるような、包むようなその風は、どこか心地よかった。
「うーん。そうですね。それなら、僕が行くのでクルシュはスバルと一緒に撤退をしてください。その方が良さそうだ。あそこにいるのは多分『魔女』です。水門都市での容姿の報告と、この魔法から想定されるのはかつて亜人戦争を激化させたスピンクスという魔女でしょう。魔女関連には関わらせたくない」
ケイの意思ははっきりとしている。しかし、クルシュも付き合いは長いのだ。
こういう時に何を言えばいいかはわかっている。
「あなたの策にも一理ある。けれど、絶対と言えるほどの状況ではありませんね?例えば、帝都からの脱出の手段は多ければ多いほど良いのではないでしょうか。ギャレクが降りれない状況や場所であっても私なら一人ずつ空に上げられます」
ケイはまたしても考える。
まぁ、それにも一理ある。何を優先するかということだろうが、クルシュを案じているケイと同じように、クルシュもケイを案じているのだ。自分のことを棚に上げてその考えを否定することはできない。
それに、スバルと離れた時の危険と。スバルと同じ場所にいても避けられなかった危険。その両方をクルシュは体験している。
どちらをすれば安全という単純なものではないとすでに知っている。
ならば、中間を取ってみるか。
どちらの戦場からも遠く、うまくいけば戦闘をせずに済むかもしれないそんなポジションを構築する。そこにクルシュを配置する。
「わかりました。しかし、建物内への突入は僕とティア。フェリスで行きます。脱出のために上空で雲に隠れていてください。対話鏡やその他の手段で意思疎通をしておきましょう」
いくつかのサインを決めておき、救出作戦の陣形が決定していく。
ギャレクを文字通りの空母として空に置き、戦闘機としてクルシュがそこを起点に行動する。
作戦が決まり、ケイはギャレクへの荷物の積み込みなどを確認する。
「クルシュ様?」
フェリスはクルシュの様子に気がついた。
整った顔立ちに影を落とすその瞳は、遠く過去の一点を見つめているようだった。
クルシュはこれまでを思い返していた。指先が無意識に膝の上をなぞる。
貴族としての戦場、各地への旅、水門都市での戦いと病床、再誕の日、月夜の風景。
どれか一つではなく、全てが連なった思い出。
一歩ごとに、戦いごとに、確かに刻まれてきた己の足跡を噛み締め、そして常に隣にいた永井圭という人物のことを思い返していた。
「以前ならヴィルヘルムがいないこの布陣は突破力に欠けると実現しなかったでしょうが、今はティア様がいますからね。ケイも純粋な意味でとても強くなったなと、そう思っていたのです」
微笑と共にどこか懐かしく、そして嬉しそうにそう言った。
「ちょーし乗ってるんですよ!皇弟だなんだって言われて担ぎ上げられて、割と満更じゃないって顔してます!今回のことで味をしめて、偉くなれば面倒ごとを踏み倒せるって気づいたら、ケイきゅんでも権力を欲しがるかも!?やっぱり今のうちに封印を…」
「はい。そこまでです。ありがとうフェリス。でも封印はダメです。それにきっと、彼なら対策していますよ。みんなで仲良く精一杯を尽くしましょう。プリシラ姉様も一緒です」
フェリスも何かを少し考え、そして意を決してまっすぐに自らの主に向けて宣言する。
「クルシュ様。フェリちゃんはクルシュ様のご意志に従います。でも、言わせてください。プリシラ・バーリエルを助けるのは私は反対です。これは私たちがやることじゃない。アルとかハインケル副団長とかのお仕事。ケイきゅんもクルシュ様も、大切な人のことになると暴走するんですから。フェリちゃんはそう思っていますよ。クルシュ様が一番大事。それだけは変わりませんから」
クルシュはフェリスを抱きしめた。
抱擁を返して、互いの存在を確かめる。純粋な主従という上下でもなく、ただ互いに大切な存在として触れ合う二人がそこにいる。
「準備ができました。日が落ちたので飛びますよ」
大地が震える。
黒竜の四肢が地を強く蹴り穿ち、瞬間、巨体が重力をねじ伏せて宙へと浮かぶ。
羽ばたきは風を裂き、大気を巻き込み、轟音と共に空へと急上昇する。
地上から見れば、それはまるで小山がそのまま空へと昇っていくかのような威容だったろう。
広げた黒翼が降りたばかりの夜の帳を押し広げ、押し返すように明るい余光を弾き飛ばす。
金属のような光沢を帯びた鱗がほのかな光を掴み、黒と銀が交錯しながら天へ舞う。その背には、戦う覚悟を携えた者たちと、ただ一人無邪気な笑みを浮かべる精霊がいた。
「すごいすごい!やっぱり飛ぶのは最高ね!ギーは良い仕事してるわ!」
上機嫌になると、ザーレスティアは他者の名前を省略した愛称で呼ぶことがある。
ケイだけはそこに含まれないが、それを気にするものはいない。
ギャレクの瞳に映るのは、燃える建物、溢れる大水。逃げ惑う人影、そして死者の群れ。
だが、恐怖はなかった。この身の働きで誰かを救える。
それが誇らしかった。選んだ未来を信じる気持ちが、巨大な翼をさらに高く舞い上がらせる。
彼らは冷たいわけじゃない。全力を尽くしているだけなのだ。こういった戦いがあることでその確信が深まっていく。
やっぱり僕の判断は間違っていなかった。
大切な家族がいてもなお、命をかけるという矛盾を抱えて竜は飛ぶ。
ここにいる誰もが最適最短だけでは生きてはいない。
ギャレクは初めてケイに親近感を抱きながら、咆哮を空に響かせたい気持ちを抑えてはるか上空へと飛んでいった。