亜人:ゼロから始める異世界生活   作:ZAT23

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【FILE:207】イカロス

イカロスは、自由に憧れた。

 

初めはただ、島を飛んで出るために作った翼。

 

光に、自由に、天上に。

それは地を這って生きる者には得られない、遠い存在に憧れた。

 

蝋で固めた翼を使い、彼は空を飛んだ。

その羽ばたきに目的を忘れ、父からの警告も忘れ、重力を忘れてただ高く舞い上がる。

 

そして、太陽の熱に蝋が溶けた。

 

羽は崩れ、飛翔は墜落に変わった。

彼は空から落ち、海に沈み、命を終えた。

 

——それが、太陽に近づこうとした者の末路。

 

この話は『高望みしすぎると破滅を招く』という警句としても引用される寓話であるが、永井圭は別の解釈をしている。

 

これは目的を忘れ、警告を忘れ、何かに夢中になったものの末路である。

 

 

翻って、その目的が太陽へと近づくこと。である場合、どんな困難が待ち受けているだろうか。

太陽を掠める探査機を作った人たちはイカロスの話が頭のどこかに掠めていただろう。

 

高望みではないのか。こんなこと無理ではないのか。意味はあるのか。

 

それらの混迷を打ち破るのもまた、熱中であり夢中なのかもしれない。

 

 

 

永井圭は、とてもゆっくりと地下を降りていった。

 

白結へはティアから導きの風が柔らかに吹くようになっている。その風向きを頼りにここまできた。

 

息を呑むほどに闇が深く、そこは牢獄であることすら一目では判別できないほどの黒に包まれていた。

 

下へ下へ。太陽を目指して下へと降りていく。

実体化したティアのやけに厚底な下駄の音が地下へと響く。

 

もはや隠れる必要すらないようだった。

 

その場所は地下にありながら、それなりに広さのある空間だった。天井は低くはないが、閉ざされた空気が肌に重くまとわりつく。

中央は丸く開けており、小さな広場のような構造をしている。

 

広場の周囲には複数の檻房が規則正しく並び、それぞれ鉄格子の扉で仕切られている。

 

壁にあるわずかな明かりが、石造りの床に斑模様の影を落とし、空気の冷たさと共に、静かに警告しているようだった。

 

石と鉄が擦れる僅かな音だけが反響し、生命の気配すら希薄なその最奥に、ひときわ鮮烈な存在を見つける。

 

地下に縛られた、自称太陽がそこにいた。

 

ようやく目的の人物を見つけることができたが安心感は一切ない。

 

 

縛り付けられたプリシラ・バーリエルは、口も塞がれ、天井から両手を縛り上げられ拘束されているというのに微塵も不安を見せてはいない。

紅玉のような双眸は、蝋燭の光をわずかに受けてなお燃え立つように輝いており、その視線は何より饒舌だった。

 

助けに来た者へと注がれるその瞳は()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()鹿()()と雄弁に語っている。

 

「ええ、そうですね。その上でとっとと帰りますよ」

 

彼女は屈していない。

肉体を縛る鎖はあれど、その魂には一片の翳りもない。むしろそれは、薄暗き牢の中で唯一、炎のように猛る意思の灯だった。

 

何よりも輝かしいその双眸にケイの認識は少しおかしくされていたのかもしれない。

 

少し近づけば、まるで蝋でできたヴェールのような理想という幻が溶けて、剥き出しの熱を放つ現実が目に飛び込んでくる。

それはいつもより赤い彼女の足元を見てそう感じてしまったのだ。

 

彼女の足は、すでに破壊され尽くされていた。

 

膝から下、脚部はひどく破壊されていた。骨が露出し、何度も骨折と接合を繰り返したような歪みが残っている。皮膚は裂け、爪は剥がされ、筋肉の繊維は切り裂かれた痕がある。明らかに戦闘による損壊ではなかった。

 

その破壊は見たものに、悪意と私怨を連想させるだろう。痛みを与えるためではなく、尊厳を砕くための執拗な暴力。

 

けれど、フェリスにはわかる。傷を見ただけで、それをつけたものの行動が想像できる。

 

固執し、飽きることなく繰り返されたその所業は、恨みを晴らすための私刑にも見えるが、どうにも試行錯誤の跡も見える。

 

実行犯は、こうすることで、一体どうなるのかを純粋に試してるかのようだった。

 

けれど、当の本人――プリシラはその脚に目もくれず、堂々とした姿勢のままそこにいる。表情ひとつ変えず、視線は鋭くまっすぐに前を見据えたままだ。

 

 

ケイはその姿を見て、かつての自分の体験を思い出した。

 

プリシラの目線が横に動く。

それに合わせてケイもその方向に声を放った。

 

「それで、あなたが魔女ですか? 大罪系じゃない。普通の魔女ならありがたいんですが」

 

「あなたの発言の真意は分かりませんが、私は魔女と呼ばれたことはあれど名乗ったことはありません。大罪を冠しない魔女など魔女ではないと考えます。そんな存在がいるのですか?要・返答です」

 

「王選候補には『氷結の魔女』がいますし、この前は別の魔女にも会いましたよ。7つの大罪を名乗る魔女とは似て非なる感じでしたけど」

 

ここのところ、『虚飾』を名乗る魔女と会ったばかりなので珍しさはそれほどない。

 

ついでに思い出した。エミリアが魔女に差別的な感情がないのはすごいことだが、魔女を名乗るのは普通にやめた方がいいと思う。今度あったらアドバイスしておくか。

 

「その口ぶり、まるで本物の魔女に会ったことがあるような口調ですね。それは事実ですか?要・返答です」

 

「僕は答えました。次はあなたの番でしょう。帝国でここまで大掛かりなことをして、何が目的ですか?もしかしたら、お互い協力できるかもしれませんよ?」

 

プリシラへの暴虐も今は置いておく。マデリンのように目的如何によっては敵対の必要がなくなることもあるのだから。

 

まぁ、マデリンのように再び敵対する危険性も残ってはいるけれど。

 

「私は私の存在理由。それを成すためにここにいます。詳しくあなたに話すつもりはありません。ただし、先ほどの返答への対価として一つだけ目的を伝えるならば、このプリシラ・バーリエルへの興味関心。それは否定できません」

 

「へぇ。それにしてはあまり仲良くは見えませんね。復讐か何かですか?それなりに恨みや妬みは買ってそうですし不思議ではないですが」

 

「好きに解釈して構いません。彼女の身柄は渡さない。これだけ言えば十分でしょう。没・交渉です」

 

「では無理やりに連れて帰ることにしますが、あなたの手札は何でしょうね」

 

ケイはわずかに膝を緩め、何かあればすぐに対応できるよう備える。交渉が決裂すれば、即座に戦闘となる可能性もある。

 

しかし、対峙する少女はまるで戦う気配を見せない。ただそこに立ち、静かにこちらを見ている。

 

「ケイ。自称ケイ・アベルクス。これは偽名と思われます。ヴォラキア皇族ではあり得ない。突如として王都に現れた黒髪黒目の少年。カルステン家と関わり白鯨討伐を成し遂げるが、それ以前から陣営には深く入り込み信頼を獲得していた。知略に長け、発想力が豊か。不可思議なほどの情報網を構築しており、その底は知れない。不可視の存在が付近では度々報告されており、水門都市ではタブスと名乗った協力者がいると判明。エミリア。プリシラ・バーリエルとも懇意にしており、救助に来る可能性としては二番目に高い可能性を有していた。強欲とも言えるほど目的達成に長けており、多くの利得を一つの行動で得るように人を動かすことが多い」

 

ケイは自身の言葉を無視され、自分の情報を浴びせられて言葉を失った。

 

こいつは一体何を言っている?

 

「特筆すべきはその異常とも言える発想力と、周到な準備に裏打ちされた対応力でありそれは王国どころか世界でも例を見ない。それこそ史上に名を連ねる魔女や英雄たちにもいなかった特殊な行動です。私は私の目的のため、あなたの『強欲』を学びました。合理性においてあなたほどの師はいなかった。水門都市でそれは確信へと変わり、今に至ります。要・感謝です」

 

ペコリと少女が腰を折った。心からの感謝が見える。

そこで初めてケイは、冷や汗をかいていることを自覚する。

 

これまで一度としてこの世界で、自分を研究された状態で敵とぶつかることはなかった。

大罪司教の連中は対策というものをしないし、魔獣は知能がない。

 

ケイをここまで調査し分析した相手とことを構えるというのは初めてだった。

 

「感謝は言葉だけですか? 何か少しでもこちらの得になるようなことをしなければ、それは自己満足というものですよ。それがしたいならそのままでいいと思いますがね」

 

「確かに。それでは伝えますが、その方法は私に通用しません。風の大精霊を確認した時には驚かされましたが、あなたがやろうとしていることは想像がついています。贈・忠告です」

 

 

互いに沈黙が過ぎる。

 

どうやら相手の言う通りらしい。ケイが仕掛けた攻撃は、対策がすでにされているようだ。

 

「ちゃんとやってるわよ!?あっちが変なのよ!何にもしてるようには見えないのに!」

 

自身の無罪を叫ぶティアに周囲の注目が集まった瞬間。ガァン!という音が続き、次策が防がれた音がした。

IBMによる後ろからの奇襲を、事前に張っていた結界が阻んだ音だった。

 

スイっと指を振れば、壁にあった松明が浮かんでスピンクスの近くまできた。

顔のあたりの高さまで、松明を下げればその燃え盛る炎はフッと掻き消える。

 

「燃焼時に発生する致死性の空気。それを操作するようなマナの動きもなかったのは解せませんが、あなたならこのようなことをすると思いました。マナを動かさずなぜここまで充満させられたのかは要・解明です。しかし、それは後でいい」

 

指摘は正しい。

地下を降りるたびに、ザーレスティアはありったけの二酸化炭素を連れてきたのだ。

それを降る前に解き放っただけであって、下へと充満するのは自然の摂理だ。

 

ケイとフェリスの胸元まで浸る程度の二酸化炭素がこの部屋には満ちていた。

魔女の身長なども事前にリサーチ済みだったが、どうやらお互い様だったようだ。

 

魔女の指が永井圭を指差した。

ケイも指を銃の形にして相手へと向けている。

 

奇しくも同じような陽魔法を使うものが同じ姿勢で対峙する。

互いに致命傷にならないとわかっていながら、引き金を引く寸前の緊張感が高まっていく。

 

スピンクスが目を向けると松明が一つ。また一つと消えていく。

 

互いが視認できないほどの暗闇になりかける。

 

そこでケイは、光を放った。

 

 

ケイは()()()()()()、致死の光線を叩き込む。

 

ティアのええ!!?という良識ある叫びが地下空間に木霊した。

 

寸分違わず、光線は微動だにしないプリシラの顔へと進み、何一つ阻まれることなく進んだと思えば、最後に何かにぶつかった。

 

ケイが攻撃を放ち、ケイがIBMの手で受け止めたのだった。

 

「驚愕です。やはりあなたはどこかがおかしい。助けに来たというのに最初にすることがそれですか。要・説明です」

 

「話すことはありませんね。僕を勉強したのなら当ててみろ」

 

ここで相手がプリシラを守るような素振りがあれば非常に楽だったのだが、どうやらそうではないらしい。

広範囲攻撃はプリシラの命を奪うだけになりかねない。

 

もしこれがブラフであったのならば大したものだが、その可能性を信じる根拠はない。

 

「ティア。4以降の作戦で行く。気をつけろ」

 

「わかってるっつーの!ていうか殺す気なのか助ける気なのかハッキリしなさいよ!怖いわね!」

 

「そしてケイという書記官の特殊性。最も目立つのは『不死』であるということ。なので、当然対策は済んでいます。要・実行です」

 

トン。という足を鳴らす音がした。

 

すると、最後に残っていた松明から光が消えて真っ暗闇に地下が引き込まれる。

 

 

光がすべて消えた牢獄の底、世界は完全な闇に沈んでいた。石壁も鉄格子も、すべてがその姿を失い、音もなく沈黙する。

 

空気は濃密で湿り気を帯びており、息を吸うたびに喉の奥に鉛のような重さが残る。

 

動く者のないその空間に、まるで時の流れまでもが止まったかのような一瞬が訪れる。音のない圧力だけが肌にまとわりつき、心拍さえも遠ざかって感じられた。

 

 

姿は見えない。ただ、確かにそこに何かがいる。ぞわりと背を撫でるような寒気が、警鐘のように鳴り響く。

 

 

フェリスが自己を強化する水魔法を使ったのだろう。淡い青色の光が、周囲をうっすらと照らす。

 

それでようやく大勢がそこにいることがわかった。

まるで周囲を取り囲むように、無数の人間の存在が現れていた。

 

音もなく集まった、いやそこに発生した気配たちは、喋ることなく、ケイたちを囲うようにしてその場に立ち尽くしている。

 

 

ケイが何か動く前に、彼らは手をかざし、宙空からそれを掴み取った。

 

 

瞬間、牢獄に差した光が空気を裂いた。

 

闇が一気に後退し、壁の汚れも、床の血も、鉄格子の錆も、細部まであらわになる。まるで太陽が地下へと降りたかのように、世界が光に支配された。

 

かつて影に沈んでいたすべてが明るみにさらされる。色彩を奪われていた景色に、突然、現実の鮮明さが戻ってくる。

 

塵の一粒にさえ影ができるほど、陽光は強く、重く、神聖にすら見えた。

 

 

太陽に照らされて姿を見せたのは、そこに並ぶ40の皇帝たち。

その装いは変われど、誰もが王者の風格を備えている。

 

それぞれが同じ、陽剣ヴォラキアを持ち顔前に掲げている。

 

 

ヴォラキアを騙り、愚かにも天へと手を伸ばす異物。星々への反逆者。

40の陽剣と皇帝が、その不敬者を焼き尽くさんとその熱を高めている。

 

それはケイがこれまでみた陽剣とは一線を画する熱量だった。

 

「これでもまだ安心はできない。要・警戒です」

 

ああ、これは。燃やされたら死ぬな。

 

プリシラとヴィンセントの陽剣を見ても確信がなかったが、これを見ればわかる。

いくつか見たことのある。亜人にとっても死そのもの。そんな絶対の確信が彼らの手にはあった。

 

偶発的ではない。組み上げられた文字通り絶対絶命の罠が、彼らを待ち受けていた。

 

場違いなほど穏やかな風。白結へと、導きのそよ風がまだ吹いている。

 

その場にそぐわぬ穏やかな風が、プリシラがまだ生きていると教えてくれる。

足がふらつく。それでも足元を確かめるように何度かタタラを踏んで、それでも立ち続ける。

 

もはや慣れ親しんだと言ってもいい、詰みの盤面を睨むのだった。

 

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