書くほどに両作品の凄さを実感する
「ここに、白鯨は沈んだ」
ぽつりと、凛とした声色が平原の夜によく響く。
未だ風は吹き、あちこちで火は燻っている。そんな音にも負けず、その澄み切った声は響き渡る。
言葉をなくしていた男たちが顔を上げた。
彼らの視線は、白い地竜に跨り、悠然と前へ進み出る少女の一身に注がれる。
長い緑髪はほつれ、装備は痛み、その顔を血で汚した上から灰や炭をかぶり、あまりにみすぼらしい格好だ。
しかしその少女の姿は、これまでのどんな瞬間より輝いて見えた。
チロチロと揺れる炎を反射する汚れた鎧は、まるで踊っているようだ。
騎士たちの視線に顔を上げ、凛々しい少女が深く息を吸う。
拳を天に突き上げ、握り固めたその手を全員に見せつけるようにして
「四百年の歳月を生き、世界を脅かしてきた霧の魔獣。ヴィルヘルム・ヴァン・アストレアが討ち取ったり!!」
「ーーーーおお!!」
「この戦い、我々の勝利だ!!!」
その宣言と同時に、ポツポツと雨が降り始める。
次第に豪雨となるそれは、戦士たちを労うように、その熱を冷ますように平原に降り注いだ。
先ほどまで雲すらなかった場所。そこに降り注ぐ勝利の慈雨。
奇跡のような光景に、誰もが天を仰ぎ象徴となった少女の姿を脳裏に焼き付けた。
この逸話は永劫語り継がれ、絵画は王城に飾られることになる。
ここに数百年の時をまたぎ、白鯨と人との戦いが終結した。
歓声が、月明かりの差し込む平原に広がっていく。
雲の切れ間から覗く月光が、白鯨の巨躯を照らしている。
その亡骸は大樹から離れた場所に横たわり、それを囲む一団を熱狂が押し包んでいる。
誰もが勝利に浮かれ、悲願を果たしたことに感涙をこぼしていた。
そんな彼らの喜びにせめて水を差さないよう、ケイは少し離れてその光景と周辺を眺めていた。
もし自分が魔女教なら、ここで襲う。すでに大きく変わった地形は事前の撤退計画のまま運用は不可能。
哨戒網は今も展開しており、警戒は続けているが安心はできない。
そもそも今の残存戦力はどの程度あるのか。すべきことはまだまだ多いのだ。
「浮かれてばかりはいられまいと思っていたが、その目はすでに次を見ているのか」
いつの間にか隣まで来ていたクルシュ。
「本当に勤勉なことだ。ほとんど変わらずにいる姿に安心すら覚える」
ほとんど?目に疑問を浮かべると応じてくれる。
「気づいていないか?ケイ。ずっと笑っているぞ。普段の仏頂面よりよほど良い」
指摘され、口角が上がっていることに気づいた。
少し居心地が悪く、顔を背けて抵抗する。
「いや、これは…まぁ、確かに」
「嬉しいですよ。ええ。認めます。何せ初めてなので」
少し早口になっているが流石にクルシュも指摘しない。可愛げがあるものだと感心している。
「何、恥じることはない。ここまでの戦い、そして勝利はいくつもの戦いや戦争を経験したヴィルヘルムであっても同じであろうよ。私も、未だ手が震えている」
「いや、なんていうか。表現が難しいですが…」
「
理解できなかった。何を言っているのだこの男は。
「ま、まとも?これがまともか?というより勝利に慣れていないとは本当か」
この能力があれば平時も戦時も多くの勝利を重ねていたのだと思っていた。
「まともというと語弊があるかもしれませんが、えーそうですね。白鯨はこちらを敵として全力で向かってきて、我々も全力でそれと最後まで戦いましたよね。お互いが真剣な闘争や生存競争であるなら純粋に勝利を喜べるものなんだなと、そんな感じです」
戦いは嫌いですけどね。と言葉は締めるがその顔はいまだに勝利を噛み締めているようだ。
肯定する。互いの全てをかけた戦いであった。
どうやらその様子ではよほど癖のある相手と戦ってきたらしい。一体どんな戦いをしていたのだと問う。
「まぁ。それはいつか話しますよ。碌でもない相手と闘いすぎて、僕は白鯨がいつ逃げるのか、意味不明なことをし始めるかと気が気じゃなかったですが。杞憂でしたね」
その後は戦後処理を粛々と行う。
怪我を含む被害はおそらく200名前後。暴食の霧による騎竜からの転落で負った怪我が多い。そして数えることができた死者は37名。消えたものは推定で19名以上だ。
後方部隊を含めて600名近いこの大人数に対して、失われた命は推定60名以下。
決して口に出さないが、誰もが思っていることがある。
これは大戦果だ。白鯨を落とした時点でどんなに被害が出たとしても偉業ではある。そしてこの損害はあらゆる予想を超えるほど軽微であったと言えてしまう。
失ったものが一人でもいる限り、それを語ることはしないがしかし、100名を超える犠牲者は当然出るものと思っていた。一度接近しすぎた時に多くの死傷者が出たが、あとは概ね作戦通りと言って良い。何より霧の被害者が少ないのはケイの作戦とスバルの囮のおかげだろう。
状況を把握し消耗しきったものや怪我人の護送、手当の人員を割り振って討伐隊を再編する。
戦闘可能なものたちから選抜し、後詰めを含めた70名ほどが魔女教討伐隊となった。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
その間にも死んだふりのレムに騙されるスバルや、カルステン陣営とスバルは交流を深めていく。
この交流は自然に発生したものだが、ケイはエミリア陣営と積極的な交流と友誼を結ぶことをカルステン陣営の方針にすべきだと思っている。
これは最優先の方針だ。
それはなぜか。すぐそこにある最大の脅威について考えているからだ。
懸念する脅威。それはこれから相対する魔女教などというものではない。
この世界で見た中で二番目に意味不明な存在。つい先ほど共に空を飛んだ仲である、ナツキ・スバルである。
クルシュ陣営の丁寧な分析を全てひっくり返して打ち立てた大戦果を挙げた英雄。
彼は異常だ。
事実を並べる。
白鯨出現の日時と場所を知っていた
何かを叫ぶと白鯨が血相を変えて標的にする(これが別の魔獣でも再現するのかは不明)
叫びの範囲にいた時に、例の女の呪いが発生した
自身の危険を度外視にした作戦を立案し続ける
それらが功を奏して白鯨討伐が成った
白鯨の引き寄せ以外は特殊な能力の使用は見られなかった
終始、悪意もなく献身的である
結論を述べる。こいつはありえないほど危険だ。
別に悪人であるとか、他陣営であるなどは関係ない。彼はきっと凡人だ。しかし王都に現れてから愚者か英雄かどちらかの実績しか残していない。先日の醜態を帳消しどころか遥かに上回る結果を残した。運がいいとかそういうレベルではない。
彼がその片鱗を見せた先日の会談。その時から懸念はあったが優先順位はそれでも白鯨であった。
最大の脅威である白鯨が消えた今、次の脅威を正確に把握して備えねばならない。
一つ擁護をするならば、彼は被害者なのだろう。
すでに聞き出したこの世界に来た時期、これは自分と同じ日であるということは調査でわかっている。王都盗品蔵での腸狩りとの戦闘。あれに関与しているがそれ以前は一切の足跡がない。そして何よりあの女の人違いという発言。きっと順番は僕が先で、スバルが後だ。間違えた後にスバルを攫いに行ったのだろう。
叫びと呪いの発動。何よりあの様を見れば一目瞭然だ。
スバルがあの女の本命であるのは間違いない。
あの女が危険なのだ。時間を止めるようなあの力。スバルや僕をここに拉致した力。
時空を無視してあの手を伸ばしてくるあの女がどうしようもない存在だとわかる。
論理でも本能でもアレとは関わりたくないと叫んでいる。
振り返ったら気づいた。魔獣が群がるのは彼の能力ではなく、あの女の影響だろうか。だとすればあれに殺された後は自分も魔獣に襲われるようになっていた可能性がある。囮の邪魔をしてしまっていたかもしれない。
あの女は時空を無視できる。となれば今知りうる限り帰還の方法に最も近いヒントである。
元の世界に戻るにはあれと関わらないといけないとなれば最悪だ。
思考を戻す。スバルの能力は一体何か?
スバル自身の肉体やマナには一切の異変はなかった。頭の中も同じ。予言の如き天才的な先読みができる知性はない。
なら外部からの影響を考える。それはあの女だろう。
時空を無視するその力の片鱗を考慮すれば、未来予知か何かだろうとあたりをつける。
そのあたりを検討すると頭が痛くなる。
魔法が絡むと想像が難しいのだ。可能性を絞れない。
「仕方ないか」
方法はある。やろうと思えばできるが、代償があるため進んでやりたくなかった。
優先順位が変わった今、やるべきだろう。
嫌々ではあるが
ケイが持つ佐藤の思い出。ではなく、佐藤という亜人の持っていた記憶をだ。
軍事や戦闘に関わる知識や経験。他にもゲームなどについての知見が豊富にある。
佐藤の記憶と思考形態に触れれば、いくつも候補は出てきた。
未来予知。正夢。実現する予言。これなら出現場所を知れるし圧倒的なアドバンテージになる。
例えば運命を都合の良いように捻じ曲げる。自分に都合よく物事が動くというのもありうるか。
荒唐無稽だが、これができると自称する人間を知っている。
『永井くん。そうじゃないでしょ。わかってるくせに。無視するのやめてよ』
はぁ。ため息が出る。佐藤の思考をトレースしすぎた。
これは自分の持病である。
以前に亜人である佐藤と
その人物は佐藤と呼ばれた亜人。本名はサミュエル・T・オーウェン。初老の中国系アメリカ人。ハンチング帽をかぶり、サスペンダーをつけた、一見はごく普通の男だ。幾度もの戦いを通じて、その能力があらゆる面で自分よりも高いことを知っている。最後は悪癖をついての不本意な賭けを余儀なくされた。
この幻聴は一般的な解離性人格障害と呼ばれる二重人格ではない。成り立ちも症状も何もかも違う。
亜人にしか出来ない方法で他者から他者へ記憶と感情を何度も上書きし合う。歴史上初の人格障害。
便宜的に
脳内に響くこの声は、自分とは違う記憶と思考から発せられている。表層的には知らない知識も話しかけてくるため幻聴と片付けることはできない。
ある意味で、佐藤は今も生きている。
平和な日々を過ごすうちに封じ込められていたと思っていたが、この刺激によってまた出始めたらしい。
『嫌だなぁ、いっぱい遊んだ仲じゃない。病気扱いなんてひどいよ』
本当に黙ってほしい。というかこの短期間で自分にしか聞こえない声がいくつも聞こえすぎてまずい。ちゃんと精神を病んだ時に区別がつかない。いや、すでにおかしいのか。
『やめてというけれど、それが役立つなら活用すべきだって言ってたじゃない』
はは。と笑う佐藤にはこれを面白いという感情がほとんどないと知っている。こいつは極限の戦闘などでしか感情を得られない破綻者だ。
『ほら、彼は僕らとおんなじ、いや僕らよりも完璧にプレイヤーキャラクターをしている。絶対『コンティニュー』だよ。マリオそのものさ』
『彼がマリオなら、僕らはオンラインFPSシューターに現れた復活チートってとこかな』
上機嫌な顔を向ける佐藤を幻視する。
ああ、そうだ。僕はゲームをしないが佐藤はゲーマーだった。
佐藤の視点を使えば確かにそう見える。未来予知では態度や目つきが変わった説明がつかない。
死域を何度も超えたものの目というヴィルヘルムの観察もこれなら説明がつく。
彼は何か失敗するたびにコンティニューしているのだろうか。そしてその残機はどれくらいあるのだろう。
くそ!残機なんて表現は僕らしくない。やはりこれは引っ張られる。
『無限とか?ここはファンタジーな世界だし。人のことは言えないからねぇ。なんでもありなのかな』
無限は確かに否定できないが亜人の復活だっていまだに限界が見つかっていないだけであるのかもしれない。自由自在なんてものではないと考える方が自然だ。
なぜなら王選候補者たちの前での失態や、エミリアとの対立なんかも任意にセーブとロードをすれば良いのだ。彼の失敗を自分が観測できているのはおかしい。何か制約もあるだろう。自由なセーブロードをできるなら必要のない醜態が多すぎた。
超長期的に見てあの醜態に意味があるということも否定できないが、その可能性は低いだろう。
白鯨の情報は、最短で提供したと言っていた。
あれが事実なら、あの日城下に買い物に出た際にセーブとロードをしたのだろう。そんなところでセーブをする意味は?
そのメリットが全く想像できない。
『オートセーブじゃない?あれはあまり好きじゃないなぁ』
なるほど…多分そうかもしれない。
セーブは任意ではないと仮定する。ロードは自由だろうか。そうなると、彼にとって致命的な失敗は絶対に起こらないことになる。
つまり敵対が敗北に直結している。プリシラの世界観やスバルのセーブ&ロード。どちらに軍配が上がるのかは知らないが、どちらも事実なら敵対するには理不尽すぎる。
この世界が並行世界なのか決定論的な世界なのかは知らないが、スバルを観察すればわかるだろうか。
いや、そんな遠回りはしなくていい。本人に聞けば良いのだ。
あの様子では口止めをされているらしいが関係ない。もし答えられなくても意思を伝える方法などいくらでも思いつく。
一息ついたスバルを呼び出し、尋ねる。
ニヤニヤと笑う佐藤を振り払い、スバルへ向き合う。
「スバル。ちょっといいか」
「ケイ!どこ行ってたんだよお前!無事でよかった…」
周囲から離れ、単刀直入に切り出す。
その視線は友好的で、隙を見せれば肩を組んできかねないほどだ。
「白鯨の情報。あれの…」
「ぁ、待って、待ってくれっ!!!」
あまりの異常に言葉を途中で失った。スバルがおかしい。
一瞬の安堵の表情。そして恐慌。
「———まさ、か…」
一瞬前とは全てが違う苦悶の表情、そして周囲を必死の形相であたりを見渡して白鯨の亡骸を見てようやく呼吸を思い出したかのように息を吸う。レム達が治療を受けるところを見やり、腰が砕けたのかその場にへたり込む。
息が整うまでに、それなりの時間が必要だった。ケイはそれを黙って見つめる。
「心臓に、悪すぎる」
呆然と呟く。
「スバル。どうした?」
「すま、ねぇ。でも、さっきのを聞くのは、やめてくれ」
その不可解な様子を見て、仮説がつながる。まさにたった今、ロードしたのか?
そしてその様子を見るにロードは多大な負荷がかかるようだ。なぜと問うても仕方ない。
「おかしいのはわかってる。けど…」
「わかった。今の質問は絶対に聞かない」
これまでスバルのあらゆる提案や流れをぶつ切りにしてきたケイが、何もせずに引き下がる。
その様子の変化に今のスバルは気付けない。それどころではないのだ。
「ごめん。助かる」
そう言ってスバルはレムの元に駆け出した。
彼に課せられたルールがわからない。話すことができないと思っていたがそれだけではないらしい。聞くのもアウトなのか。それとも別の条件か。仕方ない。この後の魔女教との戦い、それを通して彼の能力を観察しよう。
自分以外の全員がスバルを疑ってすらいない。直感的には自分もそうは思わないが、彼自身が魔女教という可能性は大いに残っていると考える。本人が記憶しているか意識しているかいないかは置いておく。
戦勝の高揚をあまりにも唐突に奪われたスバル。その身を案じるレムの声が響く。
事前の仕込みもあり、再編作業と撤退の準備が速やかに終わる。
多くは歴史的な勝利に浮かれ一部はそれに冷水を浴びせられても。
新たな戦いへ。メイザース領を目指して進む。
【白鯨戦のリザルト比較について】
ケイがいない場合でもスバルは白鯨を討伐することができた。ケイがいないことで囮が十全に機能する。致命傷は上空からスバルを追っての地面への激突と、運が良ければ大樹による胴体への打撃が決まる。
ケイが準備から参加することで大きく変わった点は、予算の増加に伴う参加者数増加と装備と戦術の変更による生存割合の向上である。
スバル単独での討伐と比べ、およそ3倍の戦費を計上し2倍以上の戦力が集まった。そして何より人数が増えたにも関わらず死者数と消滅数の減少、および消滅数の把握率向上が顕著である。集中した火力と徹底した機動運用によって一人当たりのリスクを下げつつ、火力を上げることに成功。
余剰の戦力から怪我人を回収する専門の部隊運用が機能し、フェリスの治療が最大の効率で重症者を救っていた。
怪我人も多く、王都へ戻るものが大勢だが魔女教討伐隊は事前計画の50名から70名に増加し、一人当たりの疲労も少ない。
討伐証明は切り落とした角にすべきとケイが進言し、速やかに運搬に移った。