日も落ちた夜闇の中、連環竜車の付近を飛び、その巨体と首を振り回しているのは、恐ろしく巨大な黒い龍だった。
その雄々しい巨体と広げた大きな翼には罅割れが走っていて、夜空にあっても存在を主張する金色の瞳が、その正体を如実に証明している。
『三つ首』のバルグレン。
かつて、神聖ヴォラキア帝国と王国の国境付近にある商業都市を襲い、壊滅寸前にまで追い込んだ悪名高き黒龍。実態としては『傲慢』によって操られていたとケイは知っているが周知の事実ではない。
知っているのはヴィルヘルムなどの当事者や賢人会くらいのものだろう。
その最大の特徴は『三つの首』を持つ異形の姿と、圧倒的な破壊力による広範囲攻撃にある。
バルグレンの名が広く知れ渡ったのは、亜人戦争終結から数年後のこと。
彼の襲撃によって都市が焼け野原になりかけ、多くの犠牲者を出した。その中には、ロズワール家の先々代当主――ロズワール・L・メイザースの祖母も含まれており、バルグレンの名は王国の一部に深く刻まれている。
それも、現代の世界最強の一角が鎧袖一触で処理するも。それだけで伝説は終わらない。
即座に崩れ去り今新たな存在として生まれ変わった。
いや、死に変わった。
『三つ首』と呼ばれた龍は今はその首を八つに増やしている。
スバルへと降りかかる脅威はそれだけではない。
『闘神』クルガン。
『魔弾の射手』元九神将のバルロイ・テメグリフ。
選帝の儀に負けた兄弟姉妹たち。
スバルはその名称を把握していないが、ヴィンセントは知っている。
飛竜はマデリンの率いた群れであり、そこから降りてくる巨大なハサミのような武器を持つのは、先ほど焼き切ったラミア・ゴドウィンの精鋭、剪定部隊だ。
地に伏せられていた帝国のものたちはいずれも精強さを証明し続けて、それに殉じたものたち。
死してなお心からの闘争を願う不死の剣狼の群れである。
ガークラへと撤退している軍団はゆうに5万を超えてはいるため数ではこちらは圧倒している。しかし死ねば即座に敵となる。
これは戦うだけ損を強いられる不本意な出血戦である。
進む先には地雷のように魔法陣が敷き詰められているようで、何が起こるのかは進んでみないとわからない。次々と増えるばかりの敵と脅威に嫌になる。
しかし、スバルの元には飄々とした狼人。ハリベルがいる。カララギ都市国家最強をアナスタシアが送り込んでくれたのだ。
正直彼がいないなら、最初の襲撃で詰んでいただろうと思うくらいには反則だった。
他の国におけるラインハルトポジションである。本当になぜここにいるのか。それがわからないが、
でもそんなことは重要じゃない。彼は友好的で、そして強い。べらぼうに強いのだ。
『べらぼうて、今日び聞かんね』
ああ、もうエミリア成分が足りなくなってきたらしい。
けれど心強い味方も多く、スバルはこの苦境において絶望はしていなかった。
すでに幾度もやり直し、解決の道筋は見えている。
だからと言って。楽勝などとは決していえないのではあるが。
もう幾度目だろうか。この戦いを何度やり直しているだろうか。
ヴィンセントすら剣を抜いて剪定部隊を抑えているが、九神将が一人もいない現状が痛いのだろう。
帝国の二将など強者はいるが、いまだに二将において最強のカフマはエミリアの凍結の影響が抜けていない。
遠距離戦もしっかりと訓練している王国兵は戦線の維持に大きな役割を果たし続けていた。
アレクが先頭で指揮をとり、竜車を盾にゾンビたちを凌ぎ続ける。
竜車を再び走らせることができるようにするのが急務だが、一度立ち止まったことで『風除けの加護』は切れている。
近くで爆発でもしようものなら転倒し、風に煽られ走行もままならないだろう。
地雷原をどうにかしなくては、撤退はできない。
そんな中でも、スバルは全力を尽くしていた。
「エミリアたん!龍と戦って!障害物で動きづらくしつつ、足場を増やしてハリベルさんの援護!」
飛び抜けた強者たちの戦いは拮抗している。
エミリアとハリベルは八つに増えた首を持つバルグレンでさえも優位に戦いを進めることができていた。
クルガンには再び成長したガーフィールが立ち向かい、レイド・アストレアとの戦いの成果を拳を通じて伝えている。
ヴォラキア皇族たちにはロズワールが上空から爆撃をし続けて嫌がらせを続けている。人でなしと言われても仕方ないほどの連続攻撃。範囲攻撃で剣士を圧殺しようとするが、剣舞だけで致命を避けるのはさすが剣聖だろうか。
空を翔る『魔弾の射手』は同じく空を飛べるベアトリスが相手をしている。相手に引力を発生させる陰魔法によって落ちるように追っていく。コル・レオニスによる強化でマナも膨大に扱える今のベアトリスは大兎を圧倒した時ほどとは言わないが、それに比較できるほどの手段を行使できる。
はっきり言えば、現状維持でも負けることはない。
徐々にこちらは削れるし、相手も増えるが。核を潰せば相手も復活はできなくなる。
一部のネームドには核の防御や複製が用意されているみたいだが、数多の兵たちにはそれはない。
けれど、この拮抗状態をスバルは決して良しとしない。
だって、その間に帝国兵と王国兵の犠牲者が出る。
出てしまう。どうにか上手いことをできないか。彼らを諦めない方法がないかと必死で模索しているが、全く結論が出ていない。
どうやって。どうすれば。何をすれば変わるのだと。がむしゃらに試行錯誤を繰り返す。
すでに勝ち方自体は知っている。けれど、犠牲が許容できない。贅沢に勝ち方を模索する。
強者同士で拮抗した先には、手数がものを言う。数の暴力というやつを初めてスバルは味わわされていた。
新たに体を作り変えたバルグレンの核は体内の奥深くに隠されており、場所はわかっていても手が出せない。ハリベルであっても徐々に削っていく作戦になっている。
今回もバルグレンが大地を大雑把に削る範囲攻撃をし始めた。
エミリアとハリベルにはそんな攻撃は全く通用しないが、防衛線を構築している一般の戦士たちには災害である。
戦線が崩壊し、死者が溢れ出した。死者がさらに死者を生み出し悪化は加速して広がっていく。
これは事前に防がなくてはいけない。
次だ。
『もうわかるやろ。新しい情報を取るのはもうできひん。出揃った材料をできるだけ上手く合わせられるかどうかの時期やない?』
スバルの中の疑心が、冷酷な真実を言い渡す。
『奇跡みたいな助っ人はハリベルで終わり。それだってこの世界で5本の指に入るくらいに嬉しい誤算やろ。今ある材料でどうにかしなきゃいけんわ』
助っ人としては各国最強の四人で埋まるだろうが、最後の一人はケイだ。スバルとしてはケイの合流を狙っていたのだが彼は付近にいないらしい。
頼れる人はいない。考えろ。考えろ。考えろ。
スバルがどうにかしなくては…
『ほんまに?それ本当なん?』
だって、今状況を把握しているのはスバルで、やり直せるのもスバルで、全てに責任があるのは…
『ほんまに?そないなこと、本当の本当って言えるん?』
違うとしたら、どうだろう。
もしスバルに責任がないとしたら。誰がそれを負っている?誰もがみんな何かしらを背負っているだろうが、しかし。ここには全てを俺のものだと宣言して顔色ひとつ変えない男がいた。
そうだ。ケイに頼れないなら…
「アベル!やっぱ助けろ!敵の数が多すぎてどうすりゃいいかわからねぇ!!」
いまだにアベルと呼んでしまうのはもう癖だ。どっちだっていい。
そしてアベルはスバルの指示に従ってくれている。より情報を持っているのがスバルであると納得していて、そして協力関係になったからだ。信頼と言ってもいい。
嫌いだった相手に頼るということが、どうしてこうすぐに出てこないものか。
やはり自分の権能に頼りすぎるとこうなるのかもしれない。
視野狭窄を自覚して、アベルに声をかけた。すると、数秒の間を置いてから返事が来た。
「貴様の妙な強化の魔法。それをここにいる皆にかけよ。王国兵にだけでもできれば打開はできよう」
なるほど!…なるほど?
待てよ。どうやってそんなことできるんだろうか。プレアデス戦団とは固い絆で結ばれているが、それは度重なる戦いでナツキ・シュバルツの勇姿を見せて彼らを束ねてきたからだ。
「貴様ら!聞け!この黒髪の王太子、シュバルツへと余に変わらぬ忠誠を捧げよ!帝国の未来はここにあるぞ!!」
アベルが嘘八百を並べて扇動する。そして、スバルもアベルに対する認識を改めたことを思い出す。
この国は嫌いだ。でも、ちょっとは共感できるところもあると気づいた。彼らはあまり物事を考えすぎない。目の前の出来事に素直で、皇帝の言うことを信じているらしい。
やっぱ頭いいじゃねーか!お前!
馬鹿か俺は!そうだ馬鹿だよ!
プレアデス戦団だけでこれは打ち止めだとどうして思っていたのだろう。
「お前ら!クソ親父がこう言ってんだ!!強いってんなら今見せろ!!ここを切り抜けるぞ!!」
次の瞬間。
大地が揺れるほどの絶叫が、将兵たちから兵士たちから立ち上る。
コル・レオニスが展開される。みんなと繋がっていく。
そして強化の魔法を兵士たちへと波及させていく。
これは洗練された戦士たちの調子を崩してしまう諸刃の刃だが、しかし怪我は分散させることができる。
そしてこうすれば十分だ。
「お前ら!前は盾構えて、後ろは石投げろ!!」
前衛は盾をひたすら構える。反撃はしなくていい。そこに技術はもはやいらない。
後衛は投石で相手を砕く。それをすれば圧力を軽減できるし、強化された投擲は貫通して後ろも砕いてくれる。
「ガーフィール!!石ころいっぱい掘り起こせ!」
あまりに原始的な戦いへのシフト。それは劇的に効果を上げた。
身体能力の強化によって、互いが互いを守り合う。傷を負っても分散して受け止める。
遠距離攻撃に乏しかった帝国兵たちに強力な攻撃手段が加わり、手数が増える。
耐える戦いを続けても、死者が出ない。革新的な方法だった。
人を頼ることを思いついたその周回で、これまでで一番犠牲を出さずに最も長い時間を粘ることができた。
そうしていると、それはやってくる。
七色に輝く極光が壁となり、『魔弾の射手』とその愛竜を挟んで狭める。
「っっ!これは、一体!?」
「すまないが、私は君の考えていることがわかるんだ」
あり得ないことが起きていた。
王国の騎士が、再現性は甘くはあるが帝国の飛竜に乗っている、
何よりも、相手のスキルの全てを把握して奇襲をかける。
さらには、一度勝利した戦法をもう一度、相手が忘れた状態で使用できる状況でだ。
「悪いが、以前の私とは同じではないよ。覚えていないだろうがね」
ダメ押しにと、以前の自分よりも遥かに強力になって、『最優の騎士』がやってきた。
「花咲りの彼女たち。その光を受けてみるかい」
七色の光が以前よりも鋭く、早く。全てを切り裂いていく。
『魔弾の射手』は再び、王国の騎士の極光によって討たれた。
繰り返すが。強者同士の拮抗を失えば、大きく傾いていくのがこの世界の戦場だ。
ベアトリスとユリウスという浮いた戦力は、戦場を劇的に変えていく。
形勢が傾いたと互いに認識したその瞬間。
全ての戦力が、一気に動きを見せた。
個別の戦士たちであればあり得ないその同時の変調は、一人の統率者がいることを示している。
それぞれが大きな振りを背負うことも、致命の隙を晒すことも厭わずに全部の戦力がバルグレンへと駆け出して、そしてエミリアとハリベルの妨害を全てをかけて実行していた。
陽剣の一撃をエミリアは無視することはできない。それが自分に振るわれていないとしても断固としても防ぐために動いてしまう。
『闘神』の全霊をこめた連撃は最強といえども無視はできない。相手が得意の呪いをほとんど無視する不死であるならなおさらだ。
その全ての力を使い潰して作った時間で、邪龍は飛竜が落とした樽を噛み潰した。
そこに入っていたのは、スバルにとって馴染み深いとある実だった。
リンガではない。もう一つの思い出深い品。
どこかで魔女がつぶやいた。
「要・参考です」
ボッコの実を自壊するほどの量を摂取した龍が。その内に秘めたマナを暴発させる。
スバルは以前、フェリスに暴走させられるケイの暴発を見たことがあった。
それが、存在そのものがマナと生き物の間でもある強大な龍で起こった時にどれほどの災害になるのかはわからない。
不利になれば爆発を起こして全てを無に帰すようにと仕組まれた策。
そのあまりに人間性を感じない準備と戦いに血の気が引いた。
まずい。止めなきゃ。どうすれば?
だが、何も思いつかない。咄嗟に思考は回らない。
その時に、また何かが起こった。
あまりに早く物事が展開しすぎて、スバルには一瞬の思考の時間しかなかった。
もはや勘だけで確信にまで至っている。
しかしそれでも、それが誰のせいで何をしているのかはわからないが全部を打開するくらいには凄まじい一手になることだけはわかっていた。
ケイくんさぁ!!誰もお前のスピードにはついていけねぇよ!
歓喜の思いを思わず叫ぶ。
一瞬見えたのは。まるで燃える戦闘機が突っ込んできたのかという光景だった。
衝突の寸前、ケイの内なる佐藤が『あ、スバルくんだ。スバルくーん』と和やかに手を振っていたことなど当然知らない。
邪龍よりも遥かに小さな。中型のトラックほどの何かが邪龍へと凄まじい速度で突っ込んだ。
その衝撃はまず、光景として目撃し、音が遅れてやってくる。
音の壁を超えた代償が周囲へと振り撒かれた。
スバルは転んで、そして起き上がりそれを見た。
体の大部分が破壊された邪龍に取り付く、何かが鳴き声をあげている。
おぎゃあ。おぎゃあと。赤子が泣く。
先ほどまでは目視できるほどの高まりを見せていたマナの奔流は、今はその熱量を奪われているかのように静かになっている。
その分だけ炎を上げる異形の赤子は、自身の炎だけでなく陽剣の炎すら纏っているようだった。
燃やされながら熱を奪われ凍っていく。
その両手に生まれる武器で抉られていく。
熱線が翼を落としていく。
邪龍はその熱を吸い取られて、八本の首を燃やし尽くされ蹂躙された。
そのあまりにもな光景に、誰もが血の気を引いている。
途中で投げ出された何かが赤色のシミになっていたが、むくりと起き上がりスバルへとなんでもないように近づいてくる。
「アレは一応、僕の魔獣だ。大丈夫」
何一つ大丈夫そうに見えないんだが!?でも世界一頼もしい男が来てくれた。
魔獣が一瞥すると、囲っていたゾンビたちがビームで一掃される。
「いや、巨神兵かよ…なんだよそれ…」
キングギドラと戦っていたと思っていたら、ヤマタノオロチに変身して2回戦。
そこに戦闘機が突っ込んできて巨神兵にトランスフォームして暴れているというのがスバル目線の混乱である。
実はプレアデス監視塔であれが暴れようとしていたのだと後から聞かされたスバルは盛大に肝を冷やすのだった。
それほどの異常な戦力だった。
『闘神』クルガンへと襲い掛かり、全身を刻まれながらそのまま勢いを殺さずに肉薄。
全身を赫炎で燃やされながら相手を拘束し、自前の熱と赫炎の両方でかつてのヴォラキア最強を焼いていく。
はっきり言ってドン引きどころじゃない戦い方だが、本当に味方らしい。
とはいえ最後の助っ人は。スバルが心から願った相手でもある。
なんか血でできた鎧というか装備を纏っているので流石に抱きつきはしないが。そうしたくなるくらいには嬉しい。
思わずハイタッチを求めるが、怪訝な顔で首を傾げられた。
あ、すみません。そういう文化がなかったか。
変わらぬケイと久々に触れ合ったことでちょっと自分を自覚する
プレアデス戦団との関わりで、自分もそれなりに帝国に影響を受けているのだとわからされた。戦意に当てられてテンションが上がっているらしい。
ケイは変わらず、そこにいた。
スバルは変わりつつも、ここにみんなといることができた。
苦境を超えた実感がようやく追いつき、スバルはその場に座り込む。
ようやく一息つけるのだ。
「これから、帝都に戻った方がいい。このままだと帝国が大地ごと死ぬぞ」
今、なんて?
音を超えたミサイルの如き登場を果たしたケイの爆弾発言を聞くまでの、ほんの一瞬すぎる休息だった。