ケイという警戒対象を逃し、ナツキ・スバルと皇帝への襲撃が失敗に終わった。
その結果を観測して、それでもスピンクスは落胆をしなかった。
必要なことはできたし、最も重要な確認もできたから。
それは一体何か。それは、ナツキ・スバルと二人の魔法使いを観察することだった。
ナツキ・スバルはやはり、仮説通りの能力があるらしい。
そして最も警戒していた魔法使いの二人は、共に造物主である『強欲の魔女』と縁が深い。だからどんな手段を隠し持っているのか、どんな能力なのかをずっと観察してきたがこの襲撃で確信した。
彼らでは決してこの術式に干渉できない。しようという発想もない。
仮にやろうと決意したところでもう遅い。すでにムスペルは死に向かい始め、一日もすれば崩壊へと至る。これは早まることはあっても遅れることはないのだから。
スピンクスはしっかりと防護を術式に組み込んでいる。単純だが効果的な防御機構だ。
どれほどの天才。それこそ『強欲の魔女』本人であろうともたった一人でこの術式を改変することなどできないようにできている。
もう、誰もこの『大災』の術式を止めることはできない。原理的に不可能なのだ。
魔法的なアプローチの対策は確保できた。あとは、物理的に術式の核である自分が排除されたりしなければこちらの勝ちだ。
きっと私は、その時初めて成れる。
何者かに、ようやくなれる時が来る。
スピンクスは、『強欲の魔女』による不老不死研究の失敗作だ。
『聖域』創造の核となったリューズ・メイエルの肉体を基に、精霊のようにマナ体を構成して造られた複製体。その命に既存の魂を癒着させれば、魂の複製による擬似的な不老不死が達成できると考えられた。
だが魂と器には個体差があり、計画は破綻した。
『強欲の魔女』の魂は、複製体に収まりきらなかったのだ。
その当然の結果が、この世界に多くの禍根を残す『失敗作』スピンクスの誕生である。
スピンクスと名付けられた彼女は、処分されるはずが偶然により生き延びた。そして他の人工生命と同様に、創造された目的『強欲の魔女』の完成を目指し、活動を始める。
以後、彼女は多くの災厄を生むことになる。
今でこそ『魔女』と呼ばれるスピンクスだが、誕生当初はそう名乗るに値する力はなかった。
初めて判明したが、魂と容れ物には相性があり、それが悪ければ生命維持すら困難になる。『強欲の魔女』の才能は、本来その体でなければ扱えないのだ。
リューズ・メイエルの器に不完全な魂を入れられたスピンクスは、当初から目的を果たせぬ存在だった。
結果として、『魔女』と認められる力を得るまでに百五十年を要した。
不適合な体で生きるため、歩行、呼吸、心拍すら再学習が必要だった。その努力は凡人が魔法使いになる百倍にも及ぶ。
しかも当時の世界では、彼女の行動には常に障害があった。
容姿からハーフエルフと見なされ、『嫉妬の魔女』への憎しみを向けられたこと。さらに、『強欲の魔女』の遺産と見た者による、弟子を名乗る存在からの執拗な追跡。
同じ執念で100年を超えて妨害を受け続け、敵もまた悠久の時を生きる手段を確保しているのだと理解した。
これらにより定住もままならず、探求は何度も停滞した。
ようやく初めて魔法を使えたとき、指先の火を見たスピンクスは深く落胆する。
『強欲の魔女』を継ぐ者が、こんな些細な火しか灯せないのか、と。
魔法を使えるようになっても、スピンクスの生き方は劇的には変わらなかった。
魔法発動の成功でマナの運用が安定し、『強欲の魔女』の記憶をなぞるように多くの魔法を再現できるようにはなった。だが、彼女の危うい立場に変化はなく、依然として身を潜めて暮らす日々が続いた。もっとも以前よりは、身を隠すのも逃げるのも容易になったことで、ようやく目的に着手する余裕が生まれた。
最初の百年、スピンクスは『強欲の魔女』を知ることに費やした。
同じ魂を持っているはずなのに、自分には『強欲の魔女』の像が曖昧だった。そこで各地を巡り、伝承や文献を辿ったが、魔女教の妨害などもあり、成果は乏しかった。百年を無駄にしたことで、彼女は方針を変える。
次の百年は、欠けた自分の補完に費やされた。
『強欲の魔女』の再現に失敗した自分自身を材料に、足りない魂の断片を探そうとしたのだ。足りない部分を補えば、再現に近づけるそう信じて。
だがこれも成果には至らず、当初の文献探索で見落としていた記録に、新たな問題が浮かび上がる。
見つかった記録では、『強欲の魔女』は他者と積極的に関わり、知識を分け与え、歴史に干渉していたという。一方、スピンクスのかすかな記憶には、人との接触を避け孤高を保つ姿があった。相反する『魔女像』の出現は、研究方針に混乱をもたらした。
誕生から三百年が過ぎ、研究の停滞を打破するため、スピンクスは決意する。
これまでのやり方を、根本から変える時だと。
『亜人戦争』への介入は、スピンクスにとって非常に都合がよかった。
ルグニカ国内での人間と亜人の対立は、些細なきっかけで爆発し、仮初の平和は破綻した。亜人であるだけで迫害の対象となる状況は、スピンクスが亜人連合と接触する際の違和感を払拭してくれた。ハーフエルフと名乗れば、大義名分は十分だった。
そして、彼女は連合の指導者バルガ・クロムウェルとリブレ・フエルミに出会う。
特に巨人族バルガは見た目に反して知性に富み、スピンクスの魔法と知識の価値を即座に見抜き、戦略に取り入れた。スピンクスも『強欲の魔女』の知識を提供し、協力関係が築かれた。
『不死王の秘蹟』も、亜人連合の支援あってこそ再現できた禁術である。
術式自体は把握していたが、それを使う条件と戦術の整備はバルガの助力による。スピンクスにとって連合の勝敗は重要ではなく、あくまで研究のための舞台として利用していた。ただし、リブレとは折り合いが悪く、相互不信もあった。
とはいえ、『亜人戦争』でスピンクスは多くを得た。
中でも最も注目したのが愛。造物目的を果たすため、自分に欠けていると確信したものだ。執着とも言えるその感情を、戦場で多くの人々から間近に観察できたのは大きな成果だった。
バルガにも、リブレにも、そして人間にもそれはあった。愛の存在と、自分にそれがないという自覚こそが最大の収穫だった。
だが、長く静かだった状況が動いたことで、スピンクスは油断した。
そして、忘れていた脅威『強欲の魔女』の弟子と再会する。
その人物はスピンクスの出自を知り、存在を許さぬ執念を抱く者だった。
最終的に、スピンクスはその弟子によって打ち倒されることとなる。メイザース家は数百年来の敵だった。
「貴様には使い道がある。役立ってもらうぞ、私の望みを叶えるために」
それは、その男にかけられた最初の言葉であり、関係性を最後まで象徴するものだった。
男とは数十年、共に過ごした。
だが自由はなく、地下室に幽閉され、定期的に入れ替わる世話係以外の接点は男だけだった。
ライプ・バーリエル。
親竜王国ルグニカの貴族で、かつては子爵。『亜人戦争』中の敗北の責任で男爵へ降格され、その屈辱を数十年経っても忘れぬ男だった。
「いずれ、必ず貴様には役立ってもらう。私に生かされていることを忘れるな」
人は長く共に過ごせば情が芽生えるものだが、ライプにはそれがなかった。彼の態度には常に敵意が宿っていた。
温かい言葉も、彼の過去や家族の話も聞いたことはない。
時折、現れては王国の現状を語る彼に、ただ囚われたまま耳を傾ける日々が続いた。
ただ一度だけ、違う話をしたことがある。
「亜人共と結託し、貴様は内戦を主導した。何が目的だった?」
『亜人戦争』から二十年以上も経った今さらの問いだった。
理由は尋ねなかった。余計な言葉は話題を潰すと予感したからだ。
そして、スピンクスは率直に答えた。造物目的のためだったと。
「くだらんな」
何百年も追い続けた目的を、ライプは一言で切り捨てた。
予想通りの反応に感情は動かない。彼にとって、自分の望み以外は無価値なのだ。
だが、
「自分として生まれながら、別の誰かになりたいのか。自らの名を殺し、別の名を継ぐと?」
その苛立ち混じりの視線は、これまで以上に鋭かった。
「貴様の目的など無価値だ。ならば私に利用されろ。どうせ虚しい願いなのだから、私のために使え」
「あなたは」
「造物目的などくだらん。命令がなければ生きられぬなら、私に従うべきだ」
その目に、哀れみも怒りもなかった。
ただ過去の屈辱、時代や世界への怒り、そして野心濁った激情だけがあった。
それは荒々しく、自分という存在に刃を突き立て、冷たい血を流させた。
与えられた生の意味、造物目的。
長い年月、それが自分の指針だった。
けれど、一度でもそこに情熱はあったか? 本当に成し遂げたいと望んだことは?
ない。ただ与えられたから進み続けただけだった。
だが今、ライプ・バーリエルの姿を見てしまった。
彼のように、強く何かを望むということ。それこそが本来の願いの形ではないのかと。
長い時が過ぎた。だがライプとの関係は何も変わらなかった。言葉を交わすこともほとんどなく、「利用する」と言われた自分に出番が与えられることもなく、ただ時間だけが流れた。
やがて、ついに変化が訪れた。
「ようやく、機会が巡ってきそうだ」
そう口にしたライプの目は狂気に輝いていた。年老いて痩せ細っていても、野心は衰えていなかった。彼の言葉には、長く耐えてきた末に報われた歓喜が満ちていた。
聞けば、彼はこの数十年で王家に取り入り、王国の『竜歴石』神龍の予言板の管理を任される立場にまでなっていたらしい。そして、近く王国を襲うとされる王族の病を隠蔽したうえで、次の王位継承戦に乗り込む算段を整えていた。
「誰より早く候補者を見つけ、その者を妻にし、王に就かせる。そして貴様には……役立ってもらうぞ」
骨ばった拳を握りしめ、ライプはそう言い切った。その言葉が、これまでの「利用する」という響きとは違って、現実味を帯びていた。だからスピンクスは少しだけ、期待した。
次に来たとき、ライプは候補者を連れていた。その者の心を砕き、術で支配するよう命じた。王国を意のままに操るために。その執念の深さ、現実に迫る策謀の暗さは、ひどく眩しく見えた。
どうか、それを成し遂げてほしい。
その情熱で、王国も魔女も、自分さえも踏み台にして、欲望のままに未来を掴み取ってほしい。スピンクスはそれを見て、自分に足りないものを知りたかった。
だから、待った。ずっと待った。
ライプが、傀儡とする候補者を連れて現れるのを。自分に役割を与えにくるのを。
待ち続けた。けれど、彼は来なかった。
理由を知るために、スピンクスは自ら長く続いた縛めを断ち、外の世界へと踏み出した。
スピンクスはただ当初の造物目的のままに、『強欲の魔女』になりたいだけなのだ。
それだけだと信じて動き出した。
様々な方法を検討し、そして動き出す。
魂というものを観察し、変形させられるようにならなくてはいけない。
できるだけ多くの魂を。人の変容を。それを止められずにやらなくてはいけない。
絶対的な剣聖という存在を避け、そして執念の追跡者の可能性も避けるためルグニカからはいち早く脱出した。
他国を巡る際に、知識をもとに可能性を探る。幾つもの調査をするうちにこの世界における四つの災害と呼ばれる概念に行き着いた。
必ず訪れると言われる四つの災禍。
その一つに関与することで自分の目的を達成できないかと考える。王国の『魔女』とヴォラキアの『大災』については最後まで悩んだが、スピンクスはヴォラキアを選んだ。
自らを『大災』とすることで、この世界からの追い風を受ける。
まるで何かに認められたように、これまでの停滞が嘘のように。あらゆる実験がうまく進んでいく。ルグニカやカララギでまいた種はしっかりと実を結んでいく。
世界では白鯨が打倒され。多兎までも消えたと噂が流れる。
長く活動をしていた魔女教の大罪司教。スピンクス自身、幾度も敗北を余儀なくされた相手でもある『怠惰』が滅ぼされ。時代が動いていく感じがした。
『暴食』の狂信者たちの実験動物を観察し、ヴォラキアやルグニカの英雄たちを手元に集める。
そして準備や実験がうまくいった先に、ついに異常事態が起きた。
「要・検討です」
水門都市で魔女教への協力を行い、見返りに邪竜を受け取った。
その際だ。これまで順調だったスピンクスの計画に明確に立ちはだかる存在が来たのは。
水門都市での出来事は、すべてがスピンクスの計画を外れて状況が狂っていく。
このままではいけないと、魂が震えた。
本当にあと一歩ですべてが御破算になるところだった。なぜ大罪司教が勢揃いしている中で、こちらにまで気を配る余裕があるのか理解できなかった。
そこにいた者たちから辛くも逃げおおせた後に、彼らを調査した。調査はかなり簡単だ。重要な地位に就いている王国の人間を一人殺して『不死王の秘蹟』で蘇らせればそれで済む。
すると異常がいくつも見つかった。
物事には道理で考えればそうなるという予測がある。
スピンクスの事前の予測値と全く異なる結果を出し続けている異常の中心にはこの二人がいた。
カルステン家の書記官、ケイ。
エミリア陣営の騎士ナツキ・スバル。
そして少し異常の値は下がるが、アルデバランと呼ばれる人物にも注目する。彼には因縁もあるため、さらに深く調査した。
ナツキ・スバルとアルデバランについては似た数値の形になっている。
元の能力から推測される事態と、実際に出てくる結果の乖離が大きすぎるのだ。
まるで世界自体が彼らを味方するように、都合の良いことが起こり続ける。
まさに
いくつか仮説はあるが、これを試すような事態にはなりたくないものだ。
彼らを認識した時に感じたものを、スピンクスは理解していない。けれど何かが彼女の心と呼べるものに影響を与えたのは確かだった。
ギリと奥歯を噛み、拳に力が入る。体が震えるこの感情を、理解できていない。
ライプはアルデバランと相対してしまったのかもしれず、それならば結果にも少しは…
…
……
…………
しかし、注目すべきはケイという人物だ。
この書記は非常に高い能力を示しつつ、それでも毎回期待を上回る結果を出し続ける。
それで上がった評価をさらに上回る形で、結果を上向かせ続けるのだ。
その歩みはまさにスピンクスの理想と言って良かった。
世界に忌み嫌われているかのような苦難にも、挫けずに理解可能であるが困難な発想で上回っていく。何かに身を預けることもせず、大いなるものに流されもしない。
候補者の支援を目的にしているのだろうが、その活動はあまりにも的確で全てを一度に手に入れようとする『強欲』さがあったのだ。
スピンクスはナツキ・スバルでもアルデバランでもなく、彼を学ぶことに決めそして可能な限りを知り尽くす。
彼の合理を学び、それを武器に『大災』となるのだ。
「要・最適です」
逃避を許し、襲撃の全てを理不尽に挫かれ、それでも冷静に俯瞰する『魔女』が帝都で笑った。
準備はし尽くした。当初の予定よりもはるかに多くを集め、過剰とも思えるほどに備えている。
警戒対象が揃い踏みの現状を見れば、やはり準備にやりすぎはないのだと確信できる。
永井圭は、初めて自分を研究されてから戦いを強いられる。
準備を整えた合理主義者という恐ろしい怪物と戦うことになる。
ナツキ・スバルは、初めて反則を認識された上で敵対される。
準備を整えた『魔女』という恐ろしい怪物と戦うことになる。
「運命などというものは存在しない。要・証明です」
『魔女』は戦いを経て、自身に芽生えた感情を自覚しつつある。