帝都の一角が、対空砲撃で忙しくしていた頃、龍と対峙していたのはまさかの人物だった。
彼の名はハインケル・アストレア。
誰からも期待されないはずの男がそこにいる。自分すら、いや自分が一番に期待などしていない。
現に相対しているにも拘らず、龍は先ほど空のどこかへと咆哮を放っていてハインケルにほとんど注目すらしていない。
その隙に逃げ出せばよかったと今も思っているが、それすら上手くいかない。
気づけばなぜかまたしてもマデリン・エッシャルトと正面から戦いを挑んでいる形になっていた。しかも今度は、少女の見た目でもない『龍』そのものとなったマデリンと相対している。
すでにグァラルでの邂逅で上下関係は確定したはずなのに、それでもここにいるのは決して彼の勇気の賜物というわけではない。
セシルス・セグムントとロウアン・セグムント。
アルデバランとハインケルという四人が死都となった帝都に残ったメンバーだった。
起こったことを多くは語らない。またしてもハインケル・アストレアが失敗したというだけだ。
流されて戦いに巻き込まれ、目を覆う惨状に心が折れ、逃げた先で命を拾い、また流されて戻ってきては、儚い希望に縋る。
その希望も仕掛けられた罠であり、それすら見抜けない愚かさの成れの果てが自分だった。
――狂気で方針に反した誰かとは違い、まともに役割を果たそうとした自分が最悪の貧乏くじを引く。
「クソったれ……」
選択は平凡で妥当なものでしかなかった。あまり自分で思考してもいない。
だからこそその先で彼は必然的に遭遇する。
空に気を取られた龍に仕掛けるかをずっと悩み、しかし一歩を踏み出すことに決めたのは、本当に愚かだったとハインケルは後になって後悔する。いつもそうだった。
『――我、メゾレイア。我が愛し子の声に従い、天空よりの風とならん』
咆哮を放ってから抜け殻になったような巨体の龍に近づくと、自動的に攻撃される。
圧倒的な力。格の違いを示す雑な一撃。その体は吹き飛び、帝都を汚してく。
それだけで、羽虫のような人間など消える。
……はずだった。
「……クソ、がぁ…」
誰かがたった今積み上がったばかりの瓦礫の隙間から呪うように吐いた声に、虚ろだった『雲龍』の動きが止まった。
翼をはためかせ、城壁に戻ろうとしたその動きが、許されない声によって中断される。
『――――』
意識を宿してマデリンが龍の体で振り返れば、崩れた瓦礫の中からボロボロの人影。
赤毛に青い瞳を持つ、その薄汚れた人間は、尾で崩れた通りから這い出てきた。
脅威と見なされなかった者。だが、剣を抜くでもなく、ただ立ち尽くすその姿には戦意の影はない。
「いつも、こうだ……」
粉塵で咳き込みながら、恨み節をぼそぼそと吐く。それは龍ではなく、世界全て、自分自身を呪う声だった。
「俺は、肝心のとこで、運に見放されて――」
その愚痴が癇に障り、尾を縦に叩き込む。今度は確実に狙って。弱々しく立ち上がった影へ、『雲龍』の尾が容赦なく振り下ろされる。
石ころのように吹き飛ばされた人間は、通りを何本も突き抜けていく。上空から見る、整然とした帝都の街並みに、彼一人が崩壊の爪痕を刻んでいく。
その飛び方も、壊れ方も醜く不格好で、見ていて不愉快だった。美しいものが、こんな塵芥に壊されるのは我慢ならない。
そして――
「――ぅ」
遠くから、微かに呻き声。尾撃を耐えた存在が、生きている。そんなはずはない。
龍はそれを認めない。
「……俺、は」
あってはならない。再び先の敗北が脳裏に掠めていく。
『消えてなくなれ』
静かな怒りが限界を超え、白い破滅が吐き出される。それは戦いですらない。ただ圧倒的な力に消滅させられる。
その息吹を喰らえば流石のハインケルであっても跡形もなくなるだろうもの。そしてそれが到達するという時に、彼は何を思うのか。
諦め。抵抗。悲願。絶望。謝罪。そして圧倒的な願い。
内心は荒れ狂うが、それでも剣だけを握りしめている。
「クソっ…くそったれが…」
しかし体は動かず、暴威をただ待つだけの無様を晒し続ける。
だって人は龍には勝てないのだから。
だって人は、剣にはなれないのだから。
けれど運命は、ハインケルをそう楽にはしてくれない。待ち望んだ。絶対に避けたい。ありがたい。最悪の。どうしようもない。
もうよくわからないが、銀鈴のような声が響いた。
「そこまでよ」
幾度目かもわからない。絶対であるはずの龍の息吹が、またしても氷に止められる。
『また!またお前っちゃか!ニンゲン!』
「ええ、また私!よろしくね!マデリン!もう暴れたりさせないわ!」
『氷結の魔女』が間に合った。
スバルによってマデリンの対応を任されたエミリアはやる気に満ち溢れていた。
いつも一生懸命で元気いっぱいのエミリアがふんすと気炎を巻くのには理由がある。
本当に久々に無事?なスバルと出会えたことも当然そうだし、頼りになるスバルの言葉とその表情を見れたことも大きい。
けれど一番の理由は別にある。作戦会議の際にそれは伝えられていた。
黒竜のギャレクに一同が乗って空を飛んで行く時に、ユリウスが『ネクト』で繋ぎみんなと話し合いをしていた時のことだ。
「いいかいエミリアたん。マデリンはまだ子供だ。だから大人の余裕ってやつで接してやってくれ。そう。お姉さんとして────」
これまでを振り返ってみても、エミリアは自分よりも世間知らずな人物に会ったことはなく大抵がエミリアよりも大人で落ち着いていて、そして頼りになる人たちばかりだった。
子供の頃に氷の中で眠りにつき、目覚めた時には体だけ大きくなっていたエミリアはもしかすると今のスバルと逆とも言えるかもしれない。
体は子供。頭脳は大人!とスバルはここぞとばかりに叫んでいたがそれならまだいい。
体は大人で頭脳は子供。というのがエミリアの大きな悩みだった。
記憶を失ったクルシュもすごーく大変であったけど、それでもエミリアの心配やフォローをしてくれるのはクルシュだった。姉妹みたいでグッドなんてスバルはずっと親指を立ててくれていたが、きっと私が妹扱いだったと思うし実際そうだ。
でも実際にそうだったからといって、ずっとそのままがいいとエミリアは考えない。
私だって頼りになるところを見せたいとずっと頑張ってきた甲斐もあり、戦うことと治癒魔法を使うことに関しては少しずつ人から頼られるようになってきたと思うのだ。
だからこそ強く感じてしまう。エミリアは、もっと人のお世話をしたい。助けたい頼られたいと。
「マデリン!よーくわかったわ。寂しいのはわかるもの、一人でいる辛さも。大切な人を失ったらすごーく悲しいことだって、全部同じようにはわからないけど想像はできる。お姉さんになんでも話してみて!」
そうして叫び、渾身の笑顔で手を拡げる。
スバルが見えればあまりの聖母さに身悶えし、慈母感の過剰摂取で急性エミリアーゼ中毒になっていただろう受容の微笑み。
魂の底からの心配と、愛情。それらが発揮するものといえば。
『っっっっっっ!!!!』
特大で極上の、純粋たる
実際、こういうのが一番効くのだ。
生物として格下に、心からの同情をされて温情を示されるなど拷問に等しい。
それを否定できないほど、自分がうまくやれていないという現実の連続にもどうしようもなく腹が立つのだろう。
当然の帰結として、ブチ切れて暴れ出す龍は他の全てを怒りと恥で忘れている。
そしてその攻撃をいなすエミリアは愛情たっぷりに叱りつけるのだ。めっ!と言いながら氷塊で応え、ダメでしょ!と言いながら致死の攻撃を回避する。
お姉ちゃんモードのエミリアはマデリンにとって無視することが不可能な、大きすぎる雑音だった。
爪が尾が、息吹が腕が。怒りで動かされた、致死の一撃が迫る。
しかし、怒りで我を忘れた雲龍の攻撃では龍との戦いの玄人であるエミリアを倒せない。
心からの慈愛で煽るエミリア。憤激するマデリンという構図が続く。
「なんなんだよ。お前らは…。こんなのおかしい。異常だろ…」
ハインケルの絶望的な一言は否定される。
なぜならこの戦場が異常と呼べる状態になるのはこれからだったから。
そこで、怒れる龍がふと冷静になってしまう出来事が起きた。いや、乱入した。
力の塊が、そこにいる。
ニンゲンには見えない。今にも破裂しそうな巨大な力の塊が、そこで燃えるように悶え苦しんでいるのだ。
そうだ。前に見た、二番目に強いと言われて納得してしまったニンゲン。
他の奴らは勝てそうだったが、あの男とこの女はニンゲンには見えなかった。
今はさらに輪をかけて、人間離れしている。それはマナだけではなく、見た目の変化にもそうだ。
溢れ出すマナは可視化され、彼女を取り巻く帯のように光っている。
体からは角が生えて柔らかな皮膚を突き破っている。あまりに濃度が高まった魔水晶が突き出し、体の一部は溶けるように燃えるように揺らいでいる。
生物としての原型を必死で留めようとしているが、生き物としては常に壊れ続けている。
なんとか忘れぬように、人の形にどうにか執着することができている。
「ひ、めさま…」
それが、ふらりと現れた。
求める何かを探して、しかし見つからなくて。本能的に彷徨い続けている。
強い力に惹かれてここに現れたのは必然だった。
『どいつも、こいつもぉ!!龍を!竜の!』
言葉にならない鬱憤を全てに向ける巨体の龍。
そこに殺到するのはアラキアから放たれる火と土。さらに氷と風すらも後から追いかける。
無意識だろうそれは防御的な反応に過ぎない。しかし、それらの威力はあまりに高く龍であってもこれまた無視できないものだった。
土の魔法は特に、あの時の竜巻と同じくらい嫌な感じがして、実際に
応戦し、破壊が広がっていく。
「ちょっと待って!そんなにしたらダメ!街もいっぱい壊れちゃうわ。マデリンが怪我したらどうするの!」
そして龍は怒り狂い、最悪の三つ巴が展開していく。
体を動かすだけで街並みを吹き飛ばし、その息吹が向けられれば射線のものは消滅する龍。
戦うだけで周囲の温度を奪い、冬を訪れさせる『氷結の魔女』。
必死に生きるだけで周囲を破壊し尽くす。まるで四大精霊と同じようなマナの塊となったアラキア。
放置しておけばきっとそのままに帝都ごと滅んでしまうような戦い。
神話の如き英雄たちの一幕には、どうしてもエミリアは一歩どころではなく及ばない。
それもそうだ。彼女は強いがもとより戦士ではない。
龍の一撃も、アラキアの余波も。どれかひとつ受け流し損ねただけで死んでしまう戦場なのだ。
まさに今、アラキアの放った岩石をエミリアが避けたがしかし、直後岩が背後で炸裂しその破片が背後から迫る。
エミリアはそれに対応できず、そして体の重要な部分が引き裂かれその命を散らせることになった。
それを知ったナツキ・スバルはやり直し、またゼロからやり直す。
そんな状況を打破するために、この頂上にして超常の戦場に一人の男が無数の失敗を重ねながらここに来た。
あまりに非力。あまりに場違いな凡人が乱入する。
「チクショウが…」
やるべきことを成せず。そしてそれを人に預けてここにいるのはどう足掻いても凡夫で道化。
「――領域展開、思考実験開始」
そう事前に呟いておいて、ただ成功するまで死にまくるだけでいい。
アルデバランが、エミリアの死をなかったことにやり直す。この怪物たちの戦いの中でほんの少しの変化を与えて彼女を守る。
こんなことしても、本当に助けたい人を見つけることもできないというのに。
「しかも、よりにもよってここかよ」
スバルに代わってエミリアを守るだなんて、悪夢以外のなにものでもない。
すでにアルデバランは本懐を他人に奪われている。いや、言い方が悪かった。
アルではプリシラを発見することができなかった。だからスバルとケイに頼んで、頼まれたのだ。
人に任せることに葛藤を感じ、不合理な思いに邪魔されながらも言葉にできた。
それでも構わない。プリシラを救えるなら、それでもと血を吐きながら飲み込んだ。
「アル!ありがとう!でも、ここはすごーく危ないから離れないとダメよ!めっ!」
「なんだよ、そのテンション。ほんとにやめてくれ。一番SAN値削れるっての…」
あまりに小さいはずのニンゲンの参加によって、何が変わるわけもない。
そのはずなのに、その小さな命すらどうやっても消すことができない。
マデリンがどれだけ必死に力を振るっても、何ひとつとして現実が変わらない。
今までは全部通用してきた本気の怒りが、癇癪が誰にも相手にされない。
ブチりと何かが切れる音がして、そして一気に冷静になった。
そんなゆっくりとした感覚の中でマデリンは自分の戦いには不要だと思い、記憶の隅に置いておいた言葉を不意に思い出した。
「要・傾聴です。『雲龍』の特性をあなたは活用できていない。元の逸話のいくつかを語りますので聞いてください。あなたになら再現も可能かもしれない」
魔女を名乗ったニンゲンのような何かの不敬には耐え難かったが、メゾレイアの昔話となればそれは聞くしかない。
「そもそも残った龍たちは特殊性を備えているものです。最も強力な龍の長であってもレイド・アストレアに及ばず、竜人という形態をとった新世代は人類に歩み寄ることで生存しました。それでも生き残った龍にはそれなりの能力と理由があるものなのです」
語られたのは、『雲龍』メゾレイアの戦いとその様子だ。
マデリンは知らなかった。そしてこんな風には知りたくなかった。屈辱で最後まで聞かずに目の前の魔女を砕いてバルロイの元へと駆けていく。
曰く、『雲龍』は雲を纏う。その龍鱗は元から強靭だが、しかしその身を覆った雲はそれらをさらに遠く固いものにする。『雲纏い』をしたメゾレイアはレイドであっても適当に切ることはできなかったのだとか。
曰く、『雲龍』は雲に隠れる。雲を地上へとそのままに下ろしてその巨体すらくらませた。追跡をする事はできずまるで消えるようにそこを離れることができるのだとか。
つまるところメゾレイアという龍は、防御と逃走に特に秀でた龍としてその命を現代まで保っていたのだという。
エミリアとアルはそれを見た。
「おいおい兄弟。これは聞いてないぜ」
「なんだかあれ、すごーく強そう。でも『雲龍』だものね。雲を使えるのも不思議じゃないのかも!」
雲が降りてくる。龍へと絡みつきそしてそれが張り付いていく。
比較的に弱い箇所が雲によって防護され、エミリアが放った氷塊がそれに当たって砕け散る。
どこをどう攻撃しても。エミリアほどの火力を以てしてもダメージ一つ通らない。
それはやりようによってどうにかできる範囲ではなかった。
ダメージが1でも入るならそれを積み上げる戦法も取れるが、0ではやれることがない。
「アラキア嬢ちゃんの攻撃も届いてねぇなありゃ。無敵じゃねーか」
防御面での圧倒をまず築き、そして次には攻撃が始まる。
咆哮と共に、その口から大量の雲が放たれる。
広く押し出すよう溢れる白雲は、戦場に横たわって視界を埋めた。
経験者はまるで白鯨の霧のようだったとでも思うだろう。巨体であってもそれを隠し、普通の攻撃が全て奇襲となって襲いくる。
アルが命懸けでギリギリ繋いでいた拮抗が崩れる。戦場が傾いていく。
アルがカバーできていたところから一気に形勢が崩れて、そしてエミリアが死ぬ。それだけはダメだとやり直す。
どうにか繋ぐが、打開にはならない。関係のないところで何度も死んだ。
どうやり直してもこの雲を使った攻撃は必ず起こり、そしてそこからはジリ貧でしかない。
それでも耐え忍ぶのはアルという反則のなせる技だ。
だけど知っている。ナツキ・スバルに聞いていたから無駄ではないと確信している。
ここまで詳しく聞けなかったので驚いたが、もうすぐあれがくるはずで…
そしてようやく、アルにとって待ち望んだ変化が訪れる。
マデリンにとっては、何より会いたくなかったそれがきた。
なぜか、雲の霧ごと。雲の鎧ごと。龍の体が大きく裂けて血が噴き出る。
雷鳴の如き轟音と共に飛んできた青い光が、マデリンの体に直撃した。
痛みと衝撃でのたうち回る龍に満足したように青い光が蹴りを放ってアルの横に着地する。
かつての天剣はなんでも切ったという。だからやろうと思えばできたのかもしれないが、ここまで専用の技ではなかっただろう。
父から教わった無駄の極致。実戦になど何も使えないと思っていた曲芸剣技。
『雲斬り』を学んだセシルス・セグムントが『雲龍』の天敵としてニヤリと笑う。
「やあやあやあ!この主役を差し置いて、何を一体やっているんですかあなたたちは。ですがここまで派手な舞台演出、この僕が使わないわけにはいきませんね。ああ、勘違いしないでくださいね。皆さんの派手な戦いは嫌いじゃないですむしろ好き」
雲龍の雲をスモーク扱いして主役が大きく見得を切る。
光に惹かれる虫。火に入る夏の虫。いや、この例えは適切ではない。
虫は太陽を頭上に位置させるように飛ぶ習性があるからこそ、近い光源に近づいてしまうのだ。
セシルス・セグムントは雷光であり光そのものだ。
むしろ周りが寄ってくるのだ。周囲が常に期待し、それを上回り続けるのがセシルスというもの。
そしてわかりやすい龍に注目していたその目が、横に映る。
そこには初めて見る女っぽい何かがいた。今にも破裂しそうというか、破綻しているのに無理やり塞ぎ続けているような危うさだ。
めっちゃ光っていて格好いいが、どうにも危なっかしい。
自分にはあまり関係ないが、この場所は楽しめそうだと笑顔になる。
吊り上がった口角からは、しかし意図しない言葉が出てきていた。
「察するに何か悪いモノを口にしましたか。――本当にあなたは手のかかる」
「我ながら、凡人すぎて嫌になるぜ……」
熱がこもり、流れる汗が兜の中を浸していくのを感じながらアルは呟いた。
場違いな端役の悪足掻きは続いている。周囲一帯を包み込んだ熱波の影響で大気はぐらぐらと揺れ、明瞭にこの空間は異次元と化した。
刻一刻と、地獄に作り変えられる世界に人の営みは適応できない。
木々や建物は燃え上がり、砂や街路の端材は溶け始める。しかし同時に、エミリアが周囲から熱を奪い、結果的には平常に近い温度に落ち着いていると言えるだろうか。
この場には、溶岩に溢れた火山と極寒の雪山が同時に存在していた。
「たたたたたたたたたたたたた――!!」
猛然と、ボコボコと泡を立てて沸騰するマグマの上を駆け抜けて、極寒の氷の中を突き破り、雷光と見紛う速度の千両役者が大立ち回りを繰り広げる。
深みのある濃い青の乱れ髪を躍らせながら、目にも鮮やかな桃色のキモノをはためかせて走るのは、この世界の花形役者を気取るセシルス・セグムントだ。
大木の幹のように太い石の柱さえ吹き飛ばす雷光の蹴撃が、中空に浮かんだ銀髪の犬人――アラキアへと飛び込んでいく。
「――あ、う」
露出の多い褐色の肌に、宝石のように赤い瞳から血涙を流すアラキア。
その、呻き声を漏らしている彼女の胴体へ、セシルスの靴裏が焦げ付いたゾーリが真っ直ぐに迫り、迫り、迫り――インパクトの瞬間、大音が空を爆ぜさせた。
「~~ッッ!!」
直後、飛び上がったとき以上の速度で叩き落とされ、地上へ突っ込んでいくセシルスが猛然と街路を跳ね、苦鳴を押し殺しながら顔を上げる。
一拍遅れ、その白い額から血が噴いて、幼子の童顔が赤く染まった。
「完璧に合わせてくるようになりましたね」
すでに十数回、セシルスの疾風迅雷の攻撃は対応され、撃ち落とされ続けている。その旗色は急速に、それも深刻に悪くなりつつあるとアルは認識している。
セシルスとアラキアの戦いが放っておいたらどうなるか、見届けるところまで到達したことすらない。
その前に、アルがゴミクズのように死んでいる。龍との戦いだけでも精一杯だったのに、帝国の頂点対決など完全にキャパシティを超えている。
1対1ならばかなり詰めがしやすいが、強者たちの乱戦は一番苦手とする状況だ。将棋とバトロワFPSぐらい勝手がちがう。
それでも諦めなければ、5000を超えるほどの試行を超えればようやく辿り着く。
必死に逃げるだけ逃げて、ようやく悲劇的な結末を見届けることが叶った。
セシルスが死んだ。アラキアが死んだ。エミリアが死んだ。
アルはここから、勝ちの目を探さなくてはいけないのだ。
全部全部をやり直し、なかったことにしてどうにか世界を続けさせる。
どうにか長く、一秒でもその先へ。どこかに通じると信じて命を使い潰して命を繋ぎ続ける。
どうにか突破できるかもしれないと思えたのは、同じ場面を500回も繰り返して突破したからだ。
セシルスからのあり得ない無茶振りに気づくことすらできずに死に続け、それを察して成功させて、どうにかその先を切り開く。
「完璧なタイミングで石剣を作って手元に投げるなんてよ。言ってもらっても難しいってのに…ていうか言えよマジで」
ようやく超えた山場の甲斐はあり状況は好転した…と思いきやまたもアルに負荷をかけてくるのが現実だった。
何かが嘲笑うかのように戦力をここに増やしてくる。
『八つ首』となったバルグレンがこの戦場に乱入した。
「上等だ。やってやる」
孤独な長い長い戦いが始まった。
誰にも気づかれない。アルの努力は無駄だっただろうか。
いいや、そうではない。その努力は無駄じゃなかった。
この凡人が生み出したたったの3分。すでに1万を軽く超えた死を以て稼いだこの時間。
たったの三分の維持に全部をかけて実現したこの時間。
ようやくアルが余計な言葉を発することができた。
それは目の前で止まった龍の一撃を目の前にして、あり得ない余裕だ。
「ウルトラマンじゃねーんだぞおい。いや、逆か?俺がウルトラ怪獣の方かこの場合」
なぜそんな余裕があるのか、それは攻撃を止めた人物がそこにいるからだ。
ひどく違和感を感じるが、まぁいい。それより本当に助かった。
「何を言っているのかわからないけど、それなりに働いたようね。褒めてあげる」
「いや、いいよ。褒められたい相手は決めてんだ」
英雄たちの戦いに、もう一人の英雄が加わった。
ラムが、当たり前のように龍の一撃を防いで語りかける。
「このふざけた戦場をとっとと終わらせるわ。ラムが息をするだけで死ぬ人がいる。死んでも死なないとはいえラムの繊細な心は罪悪感に耐えられないもの」
視線の先には、アラキアとセシルスの頂上対決に『八つ首』邪龍が首を突っ込んで来た風景が展開されていた。
『雲龍』『氷結の魔女』
『八つ首』
『土塊の精霊喰らい』『青き雷光』
そこに『鬼神』が加わり、アルデバランはどうにか息をしている。
ハインケルは戦場の隅で転がって焦げているが、生きていた。気にしてないのに死なないとか頑丈すぎだろあのおっさん。
鬼神が再来し、龍と大精霊と龍と最強と凡人がぶつかる戦場に色を追加する。
最強の戦いに新たな風が吹き込んだ。