つまり 最悪の時間だ
永井圭は今の事態を深刻に受け止めている。
それはナツキ・スバルが断言をするのをやめたからだ。
つまりは彼はこの先に対して確信が持てていないということであり、それは先ほどの鮮やかな空中突破の際には見られない態度である。
これが何を意味するかといえば、かなりの絶望的な情報であるのだがそれでもケイのすることは変わらない。
「ケイ。アベル。悪いけど力、貸してくれ。知恵が欲しい。三人寄って文殊になろう」
限界とまではいかないがスバルは疲弊している。軽口を叩いてはいるが口調に余裕などはもう見当たらない。
唯一の好材料としては、スバルは絶望をしていない。折れていない。ということは、この先がわかっていないだけだ。
アベルとケイが、状況を鑑みて幾つも理にかなった案を出す。
おそらくスバルがすでに聞いたことのある案を出していく。
そのどれも即座にスバルがダメだと言い出す。試しもしないのになぜと普通は感じるだろうが、それを口に出して言うものはここにはいなかった。
「総当たり対策にランダム性を組み込まれた魔法。多分参照している変数は、スバル。お前だ」
スバルがこうすればこうする。という観察からさまざまな決定をするという仕組みさえあればスバルにとって新たな状況が起こり続ける状況は生み出せる。
「いや、それは…」スバルは反論を言いかけてやめる。何がタブーに触れるかわかったものじゃないと、及び腰になっていた。
それは確かにスバルでも考えた。でも同じところに向かおうとしても毎回異なる道になって敵が生まれて、それで全然違う帝都になってしまうのだ。
そんな納得していないスバルに、全てを想像し切ったケイが言う。
「たぶんもっと細かいことだ。誰がどこに向かう、というレベルじゃない。お前が何歩でどこまで歩いたか。瞬きを何度したか。何秒その場に止まったのか。そんな小さなところを見られているとしたら、そうなるんじゃないか?」
スバルはまたしても愕然とさせられた。なんだそれは。
「ふざけんな!乱数調整なんて、動画でやってる人のしか見たことねぇよ!!しかも結構失敗してたし!生身でできるわけがねぇ!!」
『スバルくんをランダム生成のサイコロにしてしまえば、彼にとっては毎回違うものが起こるランダムに見えるわけだ。よくやるね。彼の能力がなかったら本当に無駄な備えなのに』
その通りだ。この準備は実際に効いているのかスピンクスには確認ができない。であればするだけ無駄と考えそうなものだがよほどリソースに余裕があるらしい。
それとも、スバルについての確信があるのだろうか。
「そう仮定してしまおう。その上でどうするのかを話すぞ」
一部を無理やり納得したスバルはどうにか思考を前に進める。やれる限り無限に挑戦してやろうという気概はあるが、正直言って一人でこの事態をうまく変えられる自信はない。
けれどスバルにはこの二人がいる。
死ぬほどの対空砲火を潜り抜けて、誰一人かけていない仲間たちがいるのだ。
スバルがここまで運んだ二人の頭脳は、スバルからの回答を元にさらに別の考えを出していく。
それに対してスバルが結果を答えて続けて、そしてようやくその時が来た。
「それは、どうなるか…わからない。でも、上手くいくかもしれない。やってみよう!それに今回はめちゃくちゃいい感じでもあるんだ…」
ケイはスバルの表情が変わる瞬間を確かにみた。
驚くべき奇策や盲点をつくような気づきにも無反応だったスバルが、明確に驚きそして悩む。
彼にとって初めての提案が出たのだろう。つまりここまでの案は全て試して失敗しているのだ。
ケイは特段その情報に恐怖などしない。自分たちがそうなるかもしれないという予想に意味などない。結果がどうなるかわからない。それでも全力でやるというのが普通なのだ。
だから、自分が『死ぬほど』辛い目に遭うことが確定している作戦であっても躊躇いはない。
ケイはこの戦場でそれほど役に立たないと自分で自分を分析している。ケイのやれる重要なことはすでに終わっておりそれでも自分が役に立つとすれば、これくらいだろうと思っていた。
この戦いはケイが直接できることがなさすぎる。準備と作戦だけで8割の仕事は終わりだ。
すべきことの配置はしているしスバルも全力で当たっている。『怠惰』のような完封ができないにしてもやはりセーブとロードは反則であることに変わりはない。
しかしこの戦場にも、まだやれることはある。
帝都のとある廃墟で、ケイは自分のこれからの仕事を具体的に想像し大きなため息をついた。
必要だからやる。やるのだが、嫌すぎる。ためらいも逡巡もないが、感情だってないわけじゃない。
そんなうんざりしながら椅子に座るケイに、ザーレスティアが上からまたがり、互いに向き合って密着する。
まるで仲睦まじい男女のように、彼らは戦場のどこかで体を重ねていた。
当然服は着ているし、それでも誰かにとっては許し難い蛮行であるが、これが意味することを知っている者は誰一人として羨ましいとは思わない。決して思えない。
これは、最大効率でマナとオドを吸い上げるための最適な姿勢だった。
空気抵抗を意識することで、自転車の上で腹ばいになってスーパーマンのような体勢をとると下り坂が有利になるように、この姿勢には機能美が詰め込まれていた。
身体的な接触からマナを徴収する行為は一般的だが、ここまで効率を求めた体勢は珍しい。というか全く記録にない。
精霊が人型であることも非常に珍しいのも一因だが、これほど貪欲にマナを吸わせる必要がないというのが最大の理由である。
優秀な精霊ほど環境のマナを自在に操るのが得意なのであって、契約している矮小な人間から吸い取る必要というのはないはずだから。
あらゆる常識の当てはまらないこの二名。年頃の男女に見える二人が行き着いたのはこの体勢であった。これはクルシュに対して固く隠されており、その時の剣幕と言ったらティアですらちょっと泣きそうになるほどの迫力があった。
こいつ、案外怒ると怖そう。という感情を隠すために大暴れしたこともティアの中では、良い思い出だ。
実際問題、当人たちは何一つこの体勢に深い意味は見出していないのだが。
いよいよ
ケイはここから、毎秒死に続ける。いや、正確には5秒に一度死に続ける。
そしてザーレスティアは、5秒で死ぬこの男から可能な限り早くマナとオドを奪い取る。
男性側の限界を示す比喩として
これは文字通りの枯れ果てを目指す蛮行だ。マナの枯渇をし続けるという拷問であり、処刑でしかない行いだった。
しかし、ティアはケイを殺さない。というよりマナドレインでそこまで即座に相手を殺すのは不可能だ。それでもゲートが壊れるかもしれないほどありえないほど乱暴に急激にマナを吸い続ける。
ケイを殺すのは全く別のものだ。ちょっと不満ではある。こいつを殺すのはあたしなのにと。
自分のお気に入りのサンドバックを勝手に使われている不機嫌さと表現してもいいかもしれない。
ケイを殺すもの、それは力を解放したラムの負担である。
スバルを通じて負担をラムから受け取ったケイは、ただなす術もなく苦悶と苦痛を受け続ける。
つまりケイは、ザーレスティアに限界までマナを徴収されながら。
白目をむいて何が何だかわからなくなっているケイが暴れないよう、足は頑丈な椅子に風で縛り付けられている。背もたれはなく、ティアがケイを支えていた。
ザーレスティアはここまで潤沢にマナを摂取することなど、長く生きてきて初めてだった。
そもそも帝国に入ってからは暇な時間も長く、その多くをこのようにマナの摂取に充てていた。
もちろんここまで乱暴ではなかったが、勉強を教えてもらいながらマナを吸い続けて、枯れ果てたら殺していいと言う最高の状態で日々を過ごしていた。
このままでは体型すら変わるんじゃと思うくらいには、『暴飲暴食』を続けていた。
だから、すでに結構満たされていたのだ。そこに来てこの大食いである。満腹感なんて感じたのは覚えていないほど遥か昔、自分がもっと脆弱な存在だった頃以来かもしれない。
相手を瀕死にするほどマナとオドをドカ食いして、体内のマナ濃度が一気に上がり少し酩酊感を覚える。ちょっと眠くなって動くのが億劫になるが、それ以上に満足だった。
ティアはご満悦である。このところいっぱい食べれて嬉しい。
おかわりもいいぞと言われたから夢中でケイを頬張るティアは、他の精霊が見れば下品とかいうレベルではなく、精霊にはないはずの血の気が引くほどに大食い早食いを極め始めていた。
「あるのがっ!あるのがいけないでしょ!だいたいあんたがやれって言ったんだし、責任取りなさいよね!」
実際に、マナの過剰摂取で精霊の体の一部が変化しつつあったのだが、そんな鬼畜の所業の成果はもうすぐだ。
鬼の畜生と書くのだから皮肉にも比喩にもならない。ラムの稼働のために、まさにこちらも文字通りである。
ラムにはそんな責任はないし、提案したのはケイなのだが。それでもあのラムが本当に罪悪感を感じるくらいにはケイは辛い苦しみを受けて死に続けている。
ラムがその力の全てではないにしろ、8割程度を発揮することで生まれる負担は全てスバルを通じてケイに押し付けられ耐えられずに死にまくる。これがあるため、プレアデス戦団たちとの接続は今回は切られていた。彼らに少しでも向いて仕舞えば、即座に100人単位で死人が出る。
しかし、それほどの犠牲。いや、たったこれだけの犠牲でこの世界の頂点。
絶対的な力の象徴たる龍と戦い、それどころか
言えてしまうのだ。この場合は、超お得と言って良い。
ラムが、超常の戦いに参戦した。
アルに挨拶をしている間にも、風を仕込んでいたらしい。
空が裂ける。風が哭く。
次の瞬間、雷光に雲を切られ纏うことを維持できなくなっていた龍の巨体が、宙を揺らしながらよろめいた。
「――重たいわね。図体ばかりで」
風をまとった少女――桃色の髪を揺らし、瞳に一切の昂ぶりを見せずに、ラムは足元の空気を踏みしめるように立つ。彼女の周囲では、圧縮された空気が鋭く螺旋を描き、音を伴わずに空間を断ち切っていく。
雲龍の咆哮。天地を揺らすはずの咆哮が、響くより先に霧散する。
流石に龍の息吹を正面から打倒することはラムにもできない。だからこそラムの放った風は、龍の喉奥へと突き刺さり、発する前の音すら殺した。
龍の鱗が貫けないなら、それ以外を抉ればいいだけだ。
「声も無様。次」
彼女が指を弾く。杖を振る。
すると、龍の翼が――裂けた。
何かが切り裂かれた感触が響く。視覚より先に、龍の右翼の皮膜が規則性を持って裂けたことを肌で感じる。
雲龍だけではない、八つ首も同時に裂かれていて、あちらは首がいくつかもげていた。
アラキアには殺傷を目的とした風ではなく、セシルスの補助を目的とした風が送り込まれるが…
「登場の場面だからと、大盤振る舞い感謝しますが、こちらには不要です!」
セシルスはそれらの風を足場に、空中を駆けているが不要らしい。徐々に体が大きくなっているような異常な光景が生まれており流石に理解の外だった。
ラムは嘆息して、そちらへの介入を諦めた。
風が見ている。風が聞いている。風が語ってくる。
それらすべてを、ラムは魔法と知性で組み上げ、戦場そのものを掌握していた。
まるで寸分違わぬ計算の上で舞う舞姫。無駄のない詠唱、呼吸と同期した風の鼓動。
龍が咆哮しようとした刹那、すでにラムは風壁を展開し、爪が振り下ろされるより前に、斜め上から突風で関節を強かに打ち据える。
周囲にある氷の壁を蹴って立体的に機動する。
「ラム!使って!えいえいえ〜い!」
エミリアが膨大なマナで周囲の環境を作り変え、それをラムが天性のセンスで利用する。
周囲に氷の武具が突き立った小山が並び、それらを使い捨てながらラムは龍へと接近戦を繰り広げる。
「消えなさい。時間がないの、子供の駄々に付き合っている時間はないわ」
囁くような呟きのあと、見えぬ刃が龍の鱗を、肉を、骨を、ちょうど弱い部分だけを天の幕のように裂いていく。剣が、槍が、あらゆる武具が使われて龍鱗を穿っていく。
だが、次の瞬間――雲龍の尾が、山脈をなぎ払う勢いで振り抜かれた。
その一撃も、度重なる氷の障壁で妨害される。
ラムはその場で跳躍する。空を飛ぶ龍へと肉薄するため限界まで加速した。
風魔法で加速された身体は音よりも速く、尾の直撃を空中でかわし、そのまま龍の頭上へと躍り出る。
その際のラムは、一人ではなかった。
エミリアが氷で作った偽物のラムがそこら中を走り回って撹乱している。
彼女の戦闘補助の能力は、ラムであっても手放しで褒めて良いほどに高まっているようだった。
「……エミリア様。驚きですね…それに比べて、龍のくせにそれが全力?」
今度はシンプルな暴言煽りが、幼い竜人を襲う。
風を巻き上げて落下する。着地と同時、ラムの足裏が龍の頭蓋に炸裂。ゴン、と鈍い音と共に、龍の首が揺れる。
「頭が高いわよ。お高く止まればそれだけ大きく落ちることもできる。さぁ、落ちなさい」
すかさず前転しながら龍の後頭部を蹴りつけ、魔法と連動して空気を叩きつける。物理と魔法の同時打撃に、雲龍の脳髄が痺れ、動きが止まった。
雲龍が地に伏せる。
圧倒的だった。冷たく、淡々と、まるで風に吹かれた花弁を払うように――
ラムは、雲龍を一方的に、完膚なきまでに叩き伏せていった。
空へと十字の風を見やすく打ち上げて、戦況を知らせる。
エミリアの援護があったとはいえ、ラムは真正面から力によって龍を圧倒できてしまった。
その報告の風をスバルたちは目撃し、ガッツポーズを作っていた。
彼女が100%の全力を出せるならラインハルトを除いた各国の最強とすら一時的に戦うことができるかもしれない。
それほどの圧倒的な戦力が、こんなに身近にいるなんて。改めてロズワールの屋敷は特殊な事情を持つものしかいない魔境だったと笑えてくる。
深くフードを被り込んだスバルは、作戦通りにその身を隠して、笑顔の表情もおさえて帝都を走る。走っている。
スバルは言われて気がついたが。ケイはこのランダム生成の弱点を即座に言い当てたのだった。
「ランダムってことは現状の敵の戦力配置は、ベストには程遠いはずだ。なら普通に攻略するための難易度は下がってる。ここからは最善手の打ち合いになる。スバル、頼んだぞ」
スバルの経験はもう使えない。これから先はどうなるかわからない。
同じような展開は二度とない。
そもそもこの回はあらゆる要素が凄まじく噛み合った大当たりの回だったのだと、もうすぐ気づくことになる。
大体、アラキアとセシルスの決闘が変なところで始まって余波で誰かが死ぬのが常なのだ。
今回はそれが上手くいっている。
だからこそ、スバルはみんなと同じように緊張し、そして息を乱しながら走っていく。
たった一度の状況の中で、混乱しながら一緒に走る。
それは不安で仕方なかったが、孤独ではなかった。
スバルはそれだけで、がんばれていた。
スバルが