知っての通りウビルクは『星詠み』である
彼が授かった天命は、降りかかる『大災』の滅びからヴォラキア帝国を救うこと。
これは悲劇的な話だろうか。それでも、『星詠み』の役割を与えられたものの多くが悲惨な道を歩むと思われている中で、自分は幸運な立場だと言える。
『星詠み』の多くは、天命を授かることでそれまでの人間性を捻じ曲げられ、新しい生き方を強制されることになる。それを不運や不憫と評されることもあるが、ウビルクからすれば前提条件が贅沢で、恵まれたものの見方としか思えない。
曲がる人間性と、変わったと感じてくれる周りの人間――そうしたものを持ち得ていなければ、そもそもそんな認識は抱かれようもない。ウビルクはまさにそんな一人であり、何者でもないまま消費されるはずだった生き方を変えてくれた天命に、深く心から感謝していたのだ。
――それは、『星詠み』としての天命を果たし終えてしまった今も、変わらない。
けれど、彼は思い至らない。
この納得と感謝すら星が授けたものであるかどうかなど、彼は考えてはいない。
セシルス・セグムントは『星詠み』である
――そして『星詠み』の中で、セシルス・セグムントは唯一の、埒外でもある。
彼は星に従わない。強制力が彼を動かすことはない。
星々からの声をただの声援として盛り上げ役として認識している。
喝采こそ自分には相応しいと、常人ならば発狂しているだろうその声を一身に受けてなお自分のやりたい方へ切り進む。
そうあれかしと叫んで斬れば。世界はするりと片付き申す。
セシルスは目の前で苦しむアラキアの望んだ死を拒否した。
そんな役目は御免だと。シノビの魂への術技すら自らの意思だけで超克し、元の体と精神へと勝手に戻る。
剣が必要なら天に手を掲げれば、最初は端役だと思っていた彼が完璧なタイミングで剣をくれる。
『夢剣』をいつの間にか握り、振りかぶってアラキアを斬れば。殺す殺される以外の、意外な展開が開かれていくのが当たり前であるとそう信じて憚らない。
世界の喝采が聞こえる。誘導しようとする引力を感じる。
それらを自分勝手に切り裂いて、自分だけの道を行くのだ。
もしも空そのものが降ってこようと、星が降ってこようとも、そんな苦境は自身の見せ場としか思わない。
どこまでが星の意図通りであるのかなど、彼は微塵も気にしない。
プリシラ・バーリエルは『星詠み』を蔑まず、『星』を軽蔑する。
魔女教徒という存在を知った時、なんとも哀れだと思ったものだ。
次に既視感に駆られたことを覚えている。どのような生き様であっても、それがその者の意思であれば美しさも愛おしさもそこにはある。
しかし、誰かの都合で誰かの意思を植え付け乗っ取るというのは醜悪な冒涜である。
それらを帝国では『星』たちがしていると噂されていた。王国では『福音書』と呼ばれそれらは基本的には同じものだとプリシラは見抜いている。
以前はプリシラでも『星』へ不満を持っていたが、現象としての星々を知るほどにそれらに悪意や意図があるとは思えない。物書きの言っていた『でざいなー』という呼称の方が余程核心に近いと言えるだろう。
星のことは好きになったので、敵のことはデザイナーと呼ぶことに決めた。
スピンクスは『星詠み』ではない。そして『星』を軽蔑している。
そんな隔意とは関係なく、まるで当たり前かのように『陽剣』ヴォラキアの焔は、滅ぼすと決めたものを焼き滅ぼす。
皇帝を初手で殺そうとしたが失敗させられた。その策を模倣し最大の敵を誘い出して手札を消費させたところまでは成功したと思っていたが、まさかさらに奪われたとは。
騙し合いに敗れたスピンクスを焔が焼く。内から焦がしていく。
『魔女』スピンクスへと届いた陽剣の刃は、ヴィンセントたちと対峙するスピンクスを、水晶宮に待機するスピンクスを、帝都で隠れて戦場を観察するスピンクスを、一斉に燃え上がらせた。
「――っっ!?要・対策です」
紅蓮の炎に包まれながら、斬られたスピンクスが静かに呟く。だが、痛みを感じにくい屍人という特性をもってしても、焼け落ちていく自分の肉体を長く保つことはできない。ならば、すでに焼き捨てた幾つもの身体を切り捨て、この『死』を踏み台として、次なるスピンクスを用いて計画を続行するべきか。否、それも叶わぬ。
『陽剣』の炎は、スピンクスの魂そのものを焼いている。新たな屍人のスピンクスを創り出そうにも、その核たる魂が燃え上がっている以上、土からなる身体もまた、炎に呑まれつつ形成される運命から逃れることはできないのだ。
「――――」
対策はない。そんな手詰まりの感覚を伴い、このスピンクスの体が崩壊する。
終わり、終わりだ。長い時間をかけて世界を巡った『強欲の魔女』の出来損ない、スピンクスの探求の旅は、ここで幕を閉じる。
手を尽くし、十全以上に罠も張ったが、及ばなかった。
それはかつて、『亜人戦争』の折に味わった以上の敗北だ。あのときも、スピンクスは手を尽くして及ばず、敗北する他になかったが今思えばやれることは無数にあった。
まだ何もしてない。何もできていない。
前回失敗した時そうならなかったのは、スピンクス自身の行動ではなく、外からの干渉が理由だ。そして今回、それと同じことを望むことはできない。
だって、もう、あのときスピンクスを救った、あの野心の持ち主はいないのだ。
ライプ・バーリエルは死んだ。だから、もう――、
「――要・検討です」
不意に、焼かれるがまま、滅びを迎えるはずだったスピンクスは動いた。
スピンクスは自分の顎下に指を当てて光弾を発射、頭部にいる核虫ごとそれを吹き飛ばし、『死』を引き起こした。
それはまるで、永井圭のように。
そしてそれが、戦場に、帝都に、帝国全土にいるスピンクスが連鎖的に実行する。
あの男のように、死ぬたびに検討を重ねる。
まだ死なない。死ねない。
「「――要・検討です」」
スピンクスは死ぬことで、その記憶を魂へ統合できる。無数のスピンクスが一斉に死に、無数の記憶を統合することで、自分自身という集合知を積み立てる。
無論、その記憶が集まってくる魂は焼かれ、燃え尽きるのも時間の問題だ。
しかし、燃え尽きるまでの間、スピンクスは生まれながらに焼かれる自分を造り続けることで、状況と対策の検討と討議を無数に積み重ねる。
『再誕の遺児』。あの怪物をみて陽剣への短期間の抵抗は可能だと学べていた。
かつては、『死』に何の感慨もなかった。だが、今は、違った。
死ぬたびに前に進む。新たなことを思いつく。
生きるために死に続ける。
絶対に死にたくないから、自殺を続ける。
「「「――要・抵抗です」」」
抗い、抗い、抗いながら、スピンクスはあらゆる可能性を搔き集め、検討する。
――そして、
――牢に繋がれるプリシラは、目の前のスピンクスに起こった一連の出来事の全てを、その紅の双眸でしっかりと目撃していた。
突如として、その全身を赤い焔で燃え上がらせた『魔女』、それがヴォラキア帝国に伝わる『陽剣』のもたらした赫炎と、プリシラには一目でわかった。
その赫炎を『魔女』へ届かせたのが、ヴィンセント・ヴォラキアであることも炎を見ればすぐにわかる。
「届いたか。道化と凡愚も、さぞ無理をしただろうに。それにしても、これらは織り込み済みではなかったのか?」
スバルとアル。そしてケイに対しての警戒は隠そうにも不可能というほどに露骨だった。横から見ていればわかるが、あれらの運命を捻じ曲げる何かにすら対策をしていたのだろう。それほどに不可解な戦場であったから。
ともあれきっとまたアレらが何かで上回り、スピンクスは敗北したのだろう。
いや、物書きは準備をしただけだろう。あれに魔法の才能はない。
あの『青』の猫耳がしでかしたのかもしれない。
「意表をつく演出か。妾をして一瞬でも迷わされたのだ、相応の褒美をとらせねばならんな」
すでに戦いは決した。プリシラは本心からそう思っていた。
『魔女』は焔に滅ぼされる。それが当然で当たり前のはずだったのに。
「しかし貴様、何をした?」
「――要・検討を」
『陽剣』の炎は、焼くと定めたものを焼き、斬ると選んだものを斬る。
その理は覆らない――はずだった。だがプリシラの目の前で赫々と燃え盛っていたはずの『魔女』は、ゆっくりと炎の中から歩み出てきた。
炎が、彼女を燃やすのをやめたのだ。
『陽剣』は選んだ対象にのみ効果を及ぼす。
よって、ヴィンセントが焼き斬ったのが確かに『魔女』スピンクスであるなら、彼女は滅んでいなければならなかった。だが――、
「貴様は、何者じゃ?」
焼かれたはずの存在が、焼け残っている。
プリシラの前に立つその影は、もはや“あの”魔女ではなかった。
青白くひび割れた肌も、黒地に金を沈めた瞳も、幼く小柄な容姿も――全て脱ぎ捨てられ、別の存在がそこにいた。
背に届く長い白髪、澄んだ黒瞳に宿る冷徹な知。
白と黒、ただそれだけで形容されるべき明確な個。
それが、今、赫炎の中から現れた存在だった。
「答えよ。貴様は、何者じゃ?」
「――『強欲の魔女』」
生まれ変わった『強欲の魔女』も当然ながら『星詠み』ではない。
生まれたと同時に『強欲の魔女』は燃え上がるように強烈な感情を二つ明確に自覚した。
一つは、嫌悪だ。
軽蔑などという冷静な感情ではなかった。
当然ながら人を弄ぶということを非難するつもりは一切ない。個人的な都合で他者を操り自由に消費すること自体にはなんの文句を言えるわけもないのだから。
そこに女子供などの違いはなく、必要ならば使うだけだ。もちろん抵抗されることも当たり前であり純粋な闘争がそこにはある。負ければ死ぬことを当然こちらも受け止めている。
しかしこの世界の歴史を合理的に振り返れば、無視できないほどの偏りと不自然な収束を見つけてしまう。
スピンクスとして感情を自覚せずにただ情報を集めていた時には、興味深い情報として以外の価値を見出していなかった。
それを利用して自らの望みを叶えたのだから。感謝こそすれ嫌悪を抱くとは自分でも意外だと素直に思う。しかし、その星のやりようを今の合理的な思考を持つ自分が振り返った時にこう思うのだ。
安全圏から他人にまるで自分の意思であるかのように代行させるのは邪悪であると。
自分の行いを丸ごと棚に上げてそう思ってしまった。この意見について論理的な欠点はいくつも見当たるし自分が似たことをしている以上、適切な感覚ではない。
しかし、この胸中に渦巻く嫌悪感を否定することもまたできない。
ワタシなどとは比べものにならないほどにそれらは邪悪だと感情で確信している。
何を上から他人事のように傍観しているのだろうと。
何が楽しくてそんなことをしているのだろうと。
観覧者たちとは何様なのだろうと。
数百年の苦労を、かの星々のために私が負ってきたとでもいうのだろうか。
そんな存在の一つでしかなく、役割どころか終わりすら決められているのだろうか。
最悪なのは、それを否定する材料もないということ。
ふざけるな。と全ての論理を飛ばしてそう思った。
『星詠み』たちの態度。この災禍に対して予定調和であるという態度も腹立たしい。
しかし、それは彼らのせいではない。『星』とやらに魂へと介入をされた結果だろう。
だから『強欲』となったワタシは、自分の運命さえも欲しい。その未知を自分で味わいたい。
強制された運命などというものがあれば否定してやる。
人を馬鹿にするような星々のことすら知りたい。それに対して自分が何をできるのかも。
きっと、造物主も同じように考えたのではないだろうか。
ここまで攻撃的な笑みであったかどうかは知らないが、初めて造物主と共感する。
それが錯覚かもしれないが、大して重要ではないと今ならわかる。
なぜなら心が踊るようだから。
この感覚を持っているなら多くの人間たちが迷わずに何かをできるわけだと納得できた。
そして『強欲の魔女』にはもう一つ確信した感情がある。
先ほどのが嫌悪だとすれば、これは
「ワタシはプリシラ・バーリエルを憎んでいる」
声に出すことで、驚くほどにその感情に体が馴染む。
スピンクスだった『強欲の魔女』は『星』を嫌悪する。
それは奇しくも、憎しみをぶつける相手であるプリシラと共感できる点だった。
そして『星』に愛されたものたちを同じように嫌悪した。
嫌い。憎い。許せない。ふざけるな。
そんな論理など存在しない訳のわからない激情を基礎にして、その上に合理的な行動を組み上げていく。
実際のところ、永井圭という人物をここまで分析できてはいなかった。しかし、結果として『強欲の魔女』は激情と知識欲と合理性を携えて再誕する。
魔女が戦うことを決意し、先まではできなかったそれを、即座に実行する。
前触れもなく夜空に現れた巨大な輝点が、彗星の尾を引きながらゆっくりと膨張していった。
見る者すべてが本能で理解した。それが届けば終わりであると。
天を覆うほどの赤熱した光はある一点から放たれている。その大きさは、砦一つを飲み込んでなお余りある。
空を割って降り注ぐそれは、すでに魔法の域を超えていた。
奇跡が帝都に落ちてくる。
星が、大地へと降りてくる。
星を嫌った『強欲の魔女』は魂から迸る嫌悪感に従って、星を地面へと叩き落とすのだ。