戦争に備えて人員が慌ただしく動き回る城塞都市ガークラの一角で、持ち場のないウビルクは人々の動きを高所から見下ろしながら歩いている。
彼の内側に常にあった靄のような感覚が、すっと晴れていくのを感じる。
その瞬間、彼ははっきりと理解した。自分は、もう『星詠み』ではないのだと。
彼の使命はヴォラキアを『大災』から救うことだった。
それにもかかわらず、この段階で天命から手を引かれたという事実は、裏を返せば、もはや彼がなすべきことは残されていないという意味にほかならなかった。
理性がそう判断すると同時に、それまで自分を突き動かしていた熱のような何かがすうっと引いていった。
まるで何も纏わず裸になったような、空虚さだけが残る。
「感謝はしてますよ?感謝はしてるんでーすーがー」
彼がすべてをかけて取り組んできた計画は、十年にわたる歳月を要した大勝負だった。
彼の胸には傷がある。
帝国中枢に身を寄せる際、向けられる疑心を減らすため自ら潰した魔眼の痕が痛ましく残っている。
「まぁ、ぼかぁ魔眼の使い手としては無能なのでいいんですけど」
問題なのは、これまで途切れることなく燃やし続けてきた信念の火が消え、ただ燻る煙のように残る空虚さと、それを失った自分がどこに立てばいいのか、ということだった。
天命があるなら自分は死なないと確信し、恐怖など忘れて鉄火場を歩くこともできたがこれからはそうはいかない。そもそも戦う意義を見出せない。
自らの内側に灯る炎の感覚が懐かしい。
ああ、寒い。こんなにも寒いのだ。
「馬鹿正直に閣下にお伝えすべきでーはなかったですかね」
ヴィンセントが帝都ルプガナへ向けて出発する前、彼はウビルクに尋ねた。
『星詠み』として、『大災』の回避に向けてまだできることがあるのか――と。
その時、何かしらの役目が残っていると嘘をついていれば、彼もこの要塞には留まれたかもしれない。
「でーも、ぼかぁ帝国を滅ぼしたいわけじゃないんですよ」
居場所が欲しいという理由だけで偽りを語り、ヴィンセントを迷わせるのは裏切りに等しい。
自分が天命に導かれて生き方を決めたのに対し、チシャは自身の意志で進む道を選んだ。それは尊敬すべきことだ。
しかし一方で――、
「――――」
緊迫した空気が漂う要塞の中で、ウビルクは自分の行き先もわからぬまま歩いていた。
すれ違う者たちは、置かれた状況を理解しながらも、自分にできることを必死に果たそうとしている。力量や立場に関係なく、やるべきことに向き合う彼らを、ウビルクは尊敬していた。そして同時に、羨望もしていた。
少し前までは、自分もあちら側にいたのに、と。
その想いが募る中で、ふと彼は願ってしまう。
「もしも、帝国が危なくなったら……また、ぼかぁ天命を授かれますかーね?」
一度役目を終えた身に、再び天命が降ることなど滅多にあることではない。
けれども、もし今後さらに新たな危機が訪れれば、そこに再び必要とされる可能性が――ほんのわずかでもあるかもしれない。
「一度、天命を授かり、その役目を果たした『星詠み』が新しい天命を授かる可能性なんて、ゼロに近い。――でーも、ゼロじゃない」
そのわずかな望みにすがって、ウビルクの足は自然と要塞の裏手へと向かっていた。
「ほんの、些細な」
その綻びがたった一つでもあればいい。
門を完全に開く必要はなく、閂を少しだけ緩めておくだけでも違う。
他の方法でもいい。ほんのひと押し、屍人の勢いを後押しする方法があれば――。
それが手に入れば、薪の尽きた彼の心に、新たな火種が生まれるのかもしれない。
そんな希望を止める優しい声など存在しない。
もしも星が止めるなら止まってもよかった。誰かに止められたなら気が変わったかもしれない。
どんなに無力な声であってもよかった。きっとウビルクは誰かに必要とされたかっただけなのだから。
誰かに、止めてもらいたかったのかもしれない。
けれど、そうはならなかった。どれだけ力を込めても、閂は一切上がらない。ウビルクが手をかけていたのも半ば無意識だったが、そこでようやく異常に気づく。
それはそうだろう。腕が手首で断たれているのだから。
バタバタと盛大に血が吹き出して、これが鼓動なのかと妙に納得した。
「お前さん。そんなところで何してたんだ?」
それはもはや問いではなかった。独り言に間違いない。
だって聞く相手をすでに殺しているのだから。
それで本気で聞き出せると思っているなら、トッドは間違いなく狂っている。
そして、後ろからかけられた声に反応しようとしてもウビルクはそちらを振り向けない。
すでに首が、断たれているから。
「皇帝閣下お抱えの『星詠み』だからって何でもしていいわけじゃない。当たり前だろうに」
刃にこびりついていた血液を相手の衣服で拭ってため息をついた。
「はぁ。帝都からガークラまで背負って走り通して、休まず点検してたらこれだ。こんな有事だからこそ警備をしなくちゃいけないだろうに」
トッドは皇帝からの直々の命令を達成するために、ガークラまでたどり着いたのだった。
婚約者を帝都から引き離すために、自称皇弟に協力を約束した。それを果たせと言われ皇帝からも重ねて命令を受ければトッドは当然拒否できない。
どこにでもバカは湧くものだ。人々の注目が手薄なところには良くないものが溜まりやすい。
「自滅したいならそう言え。せめて一人で死んでくれよ頼むから」
トッドはそう呟きながら、最後の点検を終えて守るべきものの場所へと急いだ。
それは婚約者、ではなく。一人の少女だった。
「うー?うっう!」
最初に出会ったのはバドハイム密林を囲んでいた野戦陣地の中。ジャマルが拾ってきたそれらを眺めて、大きなため息をついたものだった。
警戒すべき三人の中で飛び抜けて意味がわからない存在がこれだった。乳幼児のような仕草をしているが、こちらの言葉はわかっている。
言葉を聞いて理解できるのに、発音できないとはどういうことだろうか。ジェスチャーで詳細な意思を伝える手段だってあるだろうに、それらを放棄しているようでトッドはこの子供が嫌いだった。
それ以上に、なんだか嫌な予感がして殺すか逃げるかさせてほしいというのが直感な感想なのだが。
以前見つけた時にこの嗅覚が死んでいたのは、皇弟様とナツキ・スバルの嫌な予感が大きすぎて気づけていなかったのかもしれない。
先ほどガークラで再会した時には、嫌な感じはほとんどなくただの子供という印象だった。
「あ、あんたに女の子の世話なんかできるわけないでしょ!?バカなの?あ、あたしが残って手伝うわよ!こんなんでも、あんたの婚約者なんだし…」
そうカチュアは言ってくれたが、それはお断りした。
戦略上、ここを諦めるという選択を皇帝は決して取らないだろうし、ナツキ・スバルにやけに似ている皇太子とやらも認めないだろう。
けどあの皇弟ならなんでもやりかねない。非常に共感できるだけに、油断は決してできない。
「ダメだ。後方への避難をはじめろ。ここは世界で一番の鉄火場になるんだぞ。戦えない奴の居場所はない」
カチュアはそう言われ、泣きそうになって声を押し殺している。
トッドはそんな婚約者の姿を見て、ため息を押し殺す。
「俺のがんばりを、無駄にしてくれるなって言ってるんだ。何のために戦ってると思ってる」
抱きしめて耳元で囁き、割と本心であった言葉を聴かせてやる。
いくらか時間は使ったが、彼女は避難民たちの流れに乗せることができた。
しかし、どれだけ王国のものたちが反対をしてもその流れに乗せることを絶対に許されなかった存在がいる。
それがこのルイという少女だった。ならば私も残りますと強硬に主張したレムという女が残り、それらの世話を皇弟様と皇帝様から直々に拝命したのが今に至るトッドの全てである。
なんでも、先ほど殺した『星詠み』が語った帝国を救う鍵の一つの可能性があるのだとか。
元から疑っていたが、裏切り者を信じることは尚更にできない。とはいえ命令に背く理由もないから守ることはするが。
最前線に出張るよりはここでお守りをしている方がよほどマシだ。
「トッドさん。また誰かを、傷つけたのですか?」
ああ、そうだ。失敗失敗。こいつは鼻がいいんだったな。忘れてた。普通の後処理では気付かれるか。
「裏門を密かに開けようとしていたバカがいてな。処理しただけだ。気にするな」
「なんで、そんなことを…どうして?」
そっちこそ、どうしてそんなことを気にするのだろう。
狂ったやつが狂ったことをすることに、理由なんかない。
そんな考えを聞かせてやる理由もまたないので言わないが。
その後もいくつか今後についての話し合いをする。意見や考え方が相入れないらしいが、それを捕まえて叫ぶほどには子供ではないらしい。
それでルイの安全が守れるならばとレムはそれを了承した。
その時だ。
「ああ、始まったな」
襲撃を知らせる鐘が鳴り響き、いよいよ戦いが始まることを告げている。
そしてレムは、傷ついた誰かを癒すため戦線へと向かっていった。トッドの予想の通りに。これで
状況把握のために物見の塔へと登ると、その光景に流石に言葉を失った。
動揺が最低限で済んだのは、皇弟が語った可能性の中にそれがあったからだった。
ガークラを囲むゾンビの大群が見渡せる。しかし、それらはこちらに向かってきてはいない。
砦の間近にいるのに、こちらに来ないのだ。
一体何をしているのか。それは、
同士討ちだった。
ソンビたちは別に壊してもらう必要などない。自分たちで削りあえばそれでいいのだと、目の前で戦争が起こっている。
そして、その策を取られてしまった場合にやることも指示されていた。
正面の門が開き、将兵たちが叫んで進む。
先鋒を務めるのはゴズ・ラルフォン一将。どう見ても戦える状態ではなかったが、あの『青』と呼ばれた治癒術師に何かされた後に劇的に動けるようになっていた。
あの治癒術のようなものも化け物の類だろうと、理解を諦める。
合理的な魔女は、決して籠城などという有利な戦場を許さない。
滅びが嫌ならば、目の前の戦いを止めてみろとこれみよがしに誘っている。
そうされてしまっては、こちらから出ていくしかない。魔女はガークラを落とさなくていい。ムスペルを枯れさせれば良いのだから。
ゾンビたちと平地戦となれば凄まじい量の死人が出るのは間違いない。しかしこれも非情な想定の中に当然含まれていた。だから、次にはこうなる。
それは、地の底から湧き上がる怒号のようだった。
最初に聞こえたのは、低く重い振動音。次いで、空気を圧縮して押し寄せる風圧。
――そして、複数の要塞の門が一斉に開かれた。
鉄の扉がきしみ、彼らの闘志を可視化したかのように立ち上る土煙の中から、影が這い出してくる。無数。数え切れぬ兵が、各砦から一斉に溢れ出た。
戦列はすぐに乱れず、整然とした隊列を保ちながらも、前進の速度を一気に上げていく。
騎兵が先陣を切り、重装兵が後方から続き、歩兵たちが歩みを進める。
地が揺れる。空気が震える。大地そのものが怒っているような圧力。
いや、大地の力で蘇っているのはあちらであるのだから、大地そのものと殺し合いを望むような迫力と言い換えよう。
戦旗が揺れ、咆哮が響く。
これは想定通りの展開なのだろう。数千、いや数万に及ぶ人間たちを事前の計画なしに動かすことは不可能だ。
足音が重なり合い、まるで大河が奔流を起こして突き進むように――帝国の軍勢が、濁流の如き勢いで全力で前線へと前進する。
そして、戦場が音を失う刹那。
突撃の先端が、陣とも言えぬ敵の群れへと牙を剥いた。
金色の一閃が光り、敵の前衛を吹き飛ばす。
一騎当千とは比喩ではなく、実際の戦力差を表している。
多量の死が約束された最前線。そこで大きな矛を振るのは獅子の如き騎士だった。
個性派が大部分を占める帝国の一将たちの中ではかなりまともな軍人の類であり、ゴズとグルービーとモグロがいなければ、参謀たるチシャと剣狼の頭目であるヴィンセントは早々に気でも狂っていたのではないだろうか。
大群を指揮できる能力を有するのはチシャとゴズの二人だけであり、すでにチシャはいない。
「決して引くな!平地にて陣地を組んで防衛戦を構築するぞ!強者共よ!相手を壊しすぎるなよお!!」
死地への突貫ほど、剣狼たちにとって魅力的な命令はないのだ。
欠片も士気を落とさずに、彼らは不死の軍勢へと突き進む。
その牙が相手に深く刻み込まれていくが、対する敵もまた帝国の強者だった軍勢だ。
似たような怒号と勢いが発生し、これまた一騎当千が敵を薙ぐ。
勢いに乗る兵士たちを散り散りに吹き飛ばしたのは、その両腕に大剣を手にした――否、その両腕を大剣と一体化した、恐ろしく凶悪な風体をした女性の屍人だった。
誰の目から見ても、その女戦士の実力は紛れもなく一級品だ。まさに一将級の猛者である。
そして流れの先端同士が、盛大に衝突した。
大剣二刀流の戦士の下へ、黄金の鎚矛を持ったゴズが突っ込んだのだ。
「相見える機会はなかったが見紛うはずもない! 蘇ったか、『剣奴女帝』!!」
吠えるゴズの鎚矛と、女戦士の大剣がぶつかり合い、衝撃波が戦場を吹き荒れる。
両者共に、常人には持ち上げられない超重量級の武器を打ち合わせ、発生する暴威が周囲の帝国兵を、屍人を、暴風で弄ぶようにして蹴散らしていく。
一歩も引かぬ攻防、だが前進は止まった。あの場はゴズに預けるのが最善だ。
しかしそうなると、軍は不死の軍勢と正面から平地戦をすることになる。
それはあまりにも先のない戦いであり、最初の30分ほどしか保たないだろう。
大地そのものを敵に回した脅威を前に、地面が不確かなものに見えてくる。
足元が震え、覚束なくなるような錯覚を…否。錯覚ではなかった。
地面が隆起し、そしてそこには土の防塁が生まれていく。帝国ではまずあり得ない、土の大規模魔法が行使され一夜城ですらないものが生まれる。
一瞬のうちに野戦築城が成っていく。次々と生み出された凹凸は明確に生きる者たちに味方した形で生み出される。
計画では聞いていたが、これほどとは。
帝国兵たちはこれを成した王国の戦士に畏敬の念を覚えざるを得ない。
「はッ!『瞬けば色づくタルザラム』ってなァ!!」
王国の魔法隊たちが、高台からの援護の形を整えてついに戦端は開始される。
小さいがその秘めた熱量はここにいる誰よりも高いこの虎は、大地を味方にして敵陣へと真っ直ぐに向かった。足場自体が射出装置のようなものだ。彼の体を押し出して、彼がいるべき戦場へと導いてくれる。
大地の力が不自然に集まっている場所に、それはいた。きっと彼も待っていてくれたのだろう。
一切の油断なく、泰然とその獲物を構えてそれはいた。
かつて自身が命をかけて守ろうとして守れなかったガークラという都市。
あろうことかそれを主戦力として攻めるように魂を冒涜されている類稀な強者。
『闘神』クルガンと、ガーフィール・ティンゼルが三度、戦場で激突する。
一度目の勝ちは、まぐれのようなものだった。一人でやったものでもない。
二度目は本格的な闘いにはならず、即座に状況が超越者によって傾いた。分身したハリベルが即座に全てを平らげたのだ。
そして三度目の今は、互いに邪魔をするものはない。
ガーフィールは『天剣』レイド・アストレアとの立ち合いを思い出す。
獣化をしても、何をしてもダメだった。何一つ及ばない。しかし、それでもガーフィールは諦めずその闘志だけで幾度も幾度も喰らい付いた。
ユリウスが最初に倒され、じっくりとエルザがセクハラを受けつつ倒れ。それに我慢ならないと乱入したガーフだけが残ると、レイドは少し態度が変わる。
「バカかオメェ。今更動物ンなってどうすンだオメェ。猫になろうが犬になろうが、龍より強くでもなれンのかよオメェ。俺が最強ってことは人が最強だろうがバカだろオメェ」
諭すような、素朴な疑問。彼は煽ることも悪戯もせずガーフィールには助言をしてくれていた。
それもそうだ。彼は最強の生物である龍を殺している。
人のままにそれをしているのだ。一度棒を振るだけで世界をそれに従わせる傲慢すら通り越した何かである。
それが人の形をしているのだ。獣になって勝てるはずがあるか?
そして叩きのめされるが、エルザとガーフの復活は早い。ヴィルヘルムに流法を学びながら自身にとっての強さと向き合う。
ガーフィールにできることは、一体何だと自問しながら。
そして見つけたかもしれない回答をぶつける前に、かの天剣は消えてしまった。
大将も消えてしまい大慌てでここまできたため、この思いをぶつける先がなかったがここにきてようやく。ようやくだ。
虎は笑う。獰猛に笑う。
答えの一つは、自分の得意なことをするということ。
答えの一つは、迷わないで戦うということ。
答えの一つは、限界を越え続ければいつかは最強へと至れるということ。
そしてガーフィールはそれを全部やることにした。
優先順位は苦手だ。考えるのも。だから決め込んで迷わない。
大地からマナを吸い上げて、血管が切れるほどに体内へとマナを巡らせる。
流法とは、もっと無駄なく洗練させるべきもので、頂点の戦士たちはその鋭さや早さ、硬さや重さを競っている。
けれどガーフはそれがあまり得意ではなかった。マナを内側に留めることと、外に出すのは矛盾する技能だ。魔法を使おうとすると流法の極みからは離れてしまうらしい。
だからこそ、ガーフは自身よりも明確に優れた魔法使い『青』のフェリスに教えを乞うた。
この道中だけだったが、治癒魔法について数年分は学べたと思う。それで体得したのは、自分を徹底的に治し続ける技法だった。
そこであの黒髪の書記官にも言われた。
「ラムに聞いた方がいい。あとロズワールとベアトリスにも。大体、一応は敵対陣営なのだし僕の言うことを鵜呑みにするのは危険だぞ」
確かにと思い仲間たちにも頭を下げた。
これもまた限界を超えるということなのかもしれない。考え方の殻を破って、若き虎は大きく成長する。それをすることで可能になったのは、本来あり得ないほどのマナの過剰な取り込みだ。
体が破裂するほどの圧力が、内側からかかるがそれを無視。
その圧力すら硬度と重さと速度へと変換し、徹底的にマナの密度を上げていく。
体から湯気がたちのぼる。血の中の赤いやつを特に増やして直さないと、空気が足りなくなっていく。細かな血管はちぎれ、体が紅に染まっていく。
最高圧を維持できるのはほんの短時間。
だがそれでいい。ガーフは全霊を込めて限界をいくつも破り、そして『闘神』へと踊りかかる。
相手が八手を繰り出す間に、自分も加速し八手を出す。
本気の闘神と互角に打ち合い、その衝撃を全て互いに打ち消し合う。
超常の戦いにしては、一見非常に地味なのだがそれが互いの力量の高さを窺わせる。
遠くで始まった帝国の猛者同士の戦いの余波はこちらにまで届くが、彼らは非常に静かな戦いを続けている。そしてその短い攻防の中で『闘神』の強さのカラクリをガーフはついに見抜いた。
体幹である。
八つもある腕に目を奪われがちだが、彼の最も強力な武器は足だった。
あの足が大地を掴んでいる限り、決して勝てない。
その気づきとともに、ガーフの限界が訪れた。圧をこれ以上は溜め込めない。
だから…
魔法として外に一気に出してやる。
「おらァァァァァ!!!」
闘神の周辺ごと、大地が空へとぶち上がる。
それ自体がまるで打撃のように、周囲30mごと大地が突き上げた。流石にこれは避けられない。
100mは一気に隆起し、そして一気にそれを下げる。同じくらいの勢いで、上がった大地が下へと戻るということはつまりクルガンは今、空中にいて落ちている。
体の限界を感じるが、ガーフはそれを無視して再び圧を高めた。維持できるのは短時間だが、一度しかできないとは言っていない。
これこそがガーフの得意なこと。圧倒的に頑丈な体といくらでも治せる無尽蔵のスタミナだ。これを活かさない手はない。
地を離れ、回転する体をどうにか制御しようとする闘神が落ちてくる。
ガーフはそこに点を見た。
ハリベルが
セシルスが邪剣で斬る
レイドが箸で無造作に斬る時に捉える
体感の崩れた相手の土手っ腹に、赤い丸のように隙が見えた。
体が勝手に動き、それを何も考えずに殴り抜く。
返す刀で切り刻まれてもおかしくないと思ったが、こちらには傷ひとつなかった。
「…見事」
今度はその目をはっきりと正面から見据えて、自分の勝利を疑わない。
「…感謝する」
そう言って闘神は消えていく。もう二度と会うことはないだろう強者は、口数も少なく消えていった。
「おいおいおい。クルガンを一瞬で!?アイツも化け物だったのか。さっき会った時はそこまでじゃないと思ったが…」
このような見込み違いをトッドは最も強く反省する。凄まじく隠すのが上手いのか、それともあそこで強くなったのかだが…それはどっちでもいい。あいつは強い。関わりたくないというのが重要だ。
その様子を望遠鏡で覗きつつ、状況の把握にトッドは務めていた。
そんな中、屋敷へと訪問する者がいた。見たことのない兵士が3名。荷物を抱えて扉まで来ていた。
「何事だ?物資の補給か?」
「ああ、そうらしい。皇帝陛下直々の荷物だと!とっとと受け取ってくれ!持ち場に戻りたいんだ!!」
「ああ、わかった!今開けるから、少し下がれ」
「おいおい!符号を確認しろよ!設定してるだろ!?」
「そんな時間もないだろうに。剣と炎は?」
「狼の誇り!!」
「ああ、間違いないな。今開けるぞ!!」
そうして扉が開く空間分だけ下がった三人に見えないように、小さく石を握りしめた。
「ドーナ」
帝国兵なら使えないはずの魔法を魔石で起動し、それをやった。
事前に掘られてあった、地面の蓋が崩れ三人はそこへと落ちていく。
そこから、飛び出す人影があった。
「お兄さんってさァ。どうしてこんなことできるわけェ?ちゃんと符号は合ってたんでしょ?そうだよねェ?」
そこにいるのは、肌の浅黒いガキだった。ゾンビとしての特徴は当然あるが、それ以上に目つきは悪い。
濃い茶色の髪を膝下まで伸ばした少年。外見年齢は14,5歳ぐらいだろうか。
病的なほど痩せ細った体型をしており、その容姿もボロ布を身にまとっただけのような粗末なものだ。
ギラつく歯を輝かせて、ガチガチと飢餓感を埋めるように口を動かす。
「なァんか隠し事とか、隠し味とかしそうな感じするよねェ。教えてよ!知ってからこそ俺たちは食べたいからさァ!!」
油断ならないと、即座に襲い掛かろうとする相手をトッドは言葉だけで止めた。
「俺の名前はトッドだ。何の用できたのか、教えてくれないのか?」
名乗る相手に対して、襲うのをやめたらしい相手は嬉しそうにその目的を語り出す。
「単純さ!かわいい大切な妹に会いに来たんだよ。家族なんだからさァ。あったり前だよねェ。心配で心配で仕方ないって訳!死んでも仲良し兄妹なんだよ俺たちはァ!!」
ああ、そっかと。相手の無理解を感じ取り丁寧に自らについて語る。
「自己紹介をしなくちゃだよね?俺たちは魔女教大罪司教、『暴食』担当……ライ・バテンカイト…」
「ああ、そうだろうな。じゃあ、もういいぞ」
手を上げて別の方向を指差す。ライはそちらを見てしまう。
するとその逆方向から、砲撃が撃ち込まれた。
トッドは足元の鉄板を梃子の要領で踏みつけるだけ盾にして、その破壊を免れる。
「まだ、核が無事なのか…嫌だな全く」
そう言いながら、ライの首を切り続ける。
「どうなってようが、頭があるならそこから体を動かしているに決まってる。ならお前らの弱点はずっと変わらず首だろうに」
不死のライは死に続ける。口を動かすだけしかできない。それでも言いたいことは十分にわかった。
なぜここまで準備をしていたのか。符号は合っていたのになぜ。それを聞きたいのだろう。
先ほどレムへと語った言葉を思い出す。
「戦いが落ち着くまで、この屋敷は封鎖しておく。お前が戦場に出て人を治すのは構わないが、戦いの最中に戻ってきても屋敷には入れないからな。出ていくならそう思っておいてくれ」
念を押しておく。きっとこの少女は、戦いが始まれば人を治しに走り出す。
これまでの行動を見て確信できていた。
「そんな。なんで…」
「相手には誰かになりすますことが得意な奴もいるらしい。王国にもそういうのがいるんだろう?なら誰一人通さないのが一番安全だろうが、当たり前だろう?」
符号のあるなしなど関係ない。守るのが大罪司教なら相手が魔女教ということも考えられる。符号を知ったものがいきなり魔女教徒になってもおかしくない。
だから、近づくものを全部殺せばそれで間違いはないのだ。
そんな正解も語ってやることはありえない。だから黙っていた。
無様な大罪司教。その全身に、油をかけられていく。
「ほら、炎にも弱いんだろ。忙しいから、燃えてくれ」
手近にあった松明を雑に投げて、それでライは燃えていく。
まるでこれから燃えるだろう『魔女』のように燃えていく。
ついでにこの屋敷にも火を放っておく。
「大罪司教って言ってもな。権能が空っぽなら、性格の悪いただの子供ってだけだ。あれを殺されたら権能が戻るかもなんて、冗談じゃない」
ため息をつく。これで皇弟様から指示された最初の任務は達成できた。
お次は…また時間がない。けれど、この任務を受けられるからこの密命を受けたのだった。
ルイは仕込んでいた薬で眠っている。
それを背負い、トッドは全力で駆け出した。このルイという少女を皇弟へと届けるために。
それが建前で、このガークラという地獄からいち早く離れるために全力を出している。
「最前線なんて、バカじゃないのか」
いまだ、少しは迷う部分がないではない。今は皇弟として振る舞っているが、実際は偽物だろうし、戦後になればこれは背信行為になるかもしれない。
けれどガークラを出た時に、本当にこの任務について良かったと確信できた。
「化け物どもがっ!人間を巻き込むなよ!」
叫びながら、都市の外に作っていた地下通路へと駆け込む。
その中を全力で走りながら、
なぜならガークラの空に、大きな星が燃えながら落ちてきていたのだから。
それの結末など見なくていい。一瞬すらも体を止めずに最適に動かし続ける。
「戦いなんて、二度とごめんだ」
そのぼやきと同時に、完全にとはいかないが本体はすでに出払った、空っぽのガークラを砕く音がしてトッドはその足をさらに早める。
人狼族のトッド・ファングは、地獄のようなガークラからの脱出に成功した。