亜人:ゼロから始める異世界生活   作:ZAT23

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この辺りからアニメ2期の内容に入ります。
アニメを事前に見るのも読後に見るのも、それぞれ別の楽しみ方ができると思います。

ご照覧あれい!


【FILE:28】リーファウス街道撤退戦

王都へ戻る竜車の本隊が列をなして進む。

 

斥候として幾つかの竜車が街道を先行し、鉄の牙のライガーが街道以外を警戒するため平原を扇状に先行している。

 

全員が全員、最低限の応急処置を施されただけの状態での帰還であり、重傷者の数も少ないとはいえない。ただ、傷の痛みに顔をしかめながらも、その彼らの口元には長年の想いを遂げた達成感が刻まれている。

彼らがずっと抱え続けてきた積年の想い。それが果たされた事実に比べれば、死なないで済んだ負傷など比べるべくもない。

為すべきことを為し遂げた彼らにとり、今の王都への道筋は凱旋のようなものだ。

 

「浮かない顔だな、レム。やはり、心配は尽きないか」

 

「……クルシュ様」

 

声を掛けられて隣を見れば、レムのすぐ脇に腰を下ろすクルシュの姿がある。

包帯を軽装の下に巻き、浅くない負傷を感じさせないその姿勢にはレムも感服するところだが、さすがに体力の消耗は隠し切れていない。竜車に乗っているのも地竜に単独で跨ることを不安視されたのが原因であり、少なくとも王都が見える地点まではレムと同乗する取り決めになっている。

 

レムの気遣いの視線を受け、クルシュは健在を示すように肩をすくめ、「それより」とこちらへ軽く顎をしゃくると、

 

「ヴィルヘルムとフェリス。同行した討伐隊の勇士も精鋭だ。あのアナスタシア・ホーシンの肝煎りであるリカードら傭兵団の手助けもあろうし……なにより、ケイがいる。相手自体が不安要素だが、負ける要素は感じられない」

 

クルシュは続けて、仮に負けるとしてもケイならば皆を生きて返すだろう。などと信頼を覗かせる。

 

「それでも、心配だって思うのは身勝手なのでしょうか」

 

「不安の種はいくら潰しても尽きぬものだ。それが己を起因とするものであるのなら、自らを研鑽するなり開き直るなりでどうとでもなるだろう。だが、相手方あってのこととなるとそれも難しい。――気休めを言うのは得意ではない。許せ」

 

憂い顔を深めるレムの様子に、クルシュは自分の失言を悟って目を伏せる。途端、それまで超然としていた女性から急に格式ばったところが抜けたように思えて、レムは思わず小さく口元を微笑の形にゆるめてしまった。

その微笑みを見て、クルシュは「うむ、それでいい」と満足げに頷き、

 

「ナツキ・スバルも言っていた。レムには笑顔の方が似合う、とな。傍から聞けばとんだ惚気話と思ったものだが、存外馬鹿にしたものでもない」

 

「クルシュ様だって……笑われると印象が変わりますね。普段は凛としていらっしゃるのに、そうして微笑まれているとまるで……」

 

「たまに言われることであるし、気にもしている。だからあまり人前で不用意に笑えないのだな。ますます、無愛想な女が出来上がることになる」

 

冗談と思って笑っていいのか少し迷うが、クルシュの口元がかすかに柔らかなのを見てレムもまた唇を綻ばせる。

常に勇壮で凛とした彼女の姿は、いつも自信がなくておどおどとしているレムにとっては理想の女性像のひとつだ。もちろん、レムにとっての最高の理想は姉であるラムの存在に他ならないのだが。

ともあれ、

 

「向かう先に待つのは魔女教。……エミリアの素姓を知ったときから予想されていたことではあるが、実態の見えない集団が相手となれば警戒は必須だ。ナツキ・スバルもそうだが、メイザース卿もなにがしかの対策はしているはずだろう?」

 

「主の考えの深淵まで、レムも知り得ているわけではありませんので。聞き出そうとしても、口には出せませんよ?」

 

「手厳しいな。今は同盟相手なのだから、少しは口を滑らせてもいいというのに」

 

レムの考えが悪い方へ、暗い方へ向かわないよう気遣ってくれているのだろう。実際、そうしてクルシュが話を振ってくれるおかげで、レムの思考も深みへはまっていくことなく時間を過ごせている。

クルシュの言い分はもっともであり、ロズワールならば此度の一件に対する善後策はなにか用意しているはずに違いない。スバルの行動は主のそれを助ける形になり、不運にも貶められたスバルの名誉もきっと回復する。

否、すでに白鯨討伐への協力により、名誉は回復以前により高く響くはずだ。

 

――英雄ナツキ・スバル。

 

それは彼によって心と未来を救われたレムにとって当然の評価であり、今後も彼が打ち立てていくだろう輝かしい時間の正当な評価に他ならない。

そしてその輝きの傍らに、時々振り向いてもらえる位置に自分の存在があれれば、それ以上のことをレムはなにも求めない。それだけで、満たされる。

 

スバルのことを思うとき、レムの心はいつも複雑な感情に満たされる。

温かくなって、安らいでいくような。それなのに不安でどこか苦しくなって、心配ではらはらさせられてしまうような。

そうして心に一喜一憂を絶えず与えてくれるのも、スバルだけなのだけれど。

 

竜車の車列は進み続ける。

 

はっきり言ってこの撤退の陣形は過剰であると皆が思っていた。これほどの戦力に対して平原で戦いを仕掛けることができるのもはや軍と呼ばれる規模になるだろう。

 

しかしその当然と言える予想は裏切られた。

 

斥候が魔法を一つ上げたのだ。その色は赤。

 

 

 

現実は容易に人の予想を上回るものである。ケイもそれは知っていた。知っていたから過剰に備えた。

 

 

予想外のだが計画内の状況。その色が意味するそれは、『極少数の敵による襲撃』。

撤退時の想定パターンにおける最大の危険として書かれた状況が起きてしまった。

 

ケイは当然ながら撤退時の対応も複数計画している。

少数や個人での襲撃は本来あり得ない。それが為された場合、それは別格の個がそこにいることを意味する。ヴォラキア帝国の城砦を一人で攻め込み、英雄を含めて蹂躙した『強欲』の話は有名だ。それくらいの怪物が来るかもしれないと言うケイは真剣であったし皆も頷いていたが、本当の意味で覚悟していたものなど一人もいなかった。

 

ましてや、その引き合いに出された『強欲』本人が来るなどと思っているわけがなかった。

 

 

 

赤の警告は即時散開し、迂回しつつ一部は王都へ向かうと決まっていた。一部は引き返し、討伐隊へ状況を報告に戻る。

速やかに白鯨の残骸や大きな荷物を放棄し、計画に合わせてそれぞれが平原を駆けていく。

 

そこに動揺はなく、白鯨を落とした一個の群れが淀み無く動き続ける。

 

「決してクルシュ様は陣頭指揮を取ってはいけません。止まってもいけない。顔を出すことも禁止です」

 

これはケイからの厳命であった。

 

この竜車の列を襲う場合、狙いは明らかにクルシュ・カルステン公爵だろう。竜車も普段から使い慣れた貴族用の豪華なものではなく一般のものを使っている。

 

他の竜車も、それぞれがクルシュが乗せていると思って行動するように言われている。

竜車を引かない地竜と騎士が敵の元に向かい、殿を務めて時間を稼ぐ。彼らは死ぬだろう。

だからこれは鉄の牙には任せられてない。カルステン家に近いものたちが、進んで怪物に向かっていく。

 

 

 

白い男が、ただそこにいた。

 

騎竜の勢いを利用して、槍を叩きつけるとその反動で騎士が吹き飛んだ。

 

 

「はあ?この僕を無視する気?ここまで僕がきてるっているのに、すでに使った労力ってものがあるのわからないのかな。それってさぁ。僕という存在を軽視してるよねぇ?」

 

 

散開し、踵を返す竜車の群れを見て心底心外そうに毒づく男は、たった今叩きつけられた槍をまるで認識していないかのように遠くを見ていた。

 

白い男が群がる地竜に向けて手を振るえばそれだけで吹き飛んでいく。

剣士が切り掛かる。魔法を浴びせる。何一つとして通用せずに、次々と戦士たちが倒れていく。

 

遠目にその惨状を視界に収めるクルシュは歯噛みする。前に出ようとする体を理性が止める。自分が死ねば負けだ。そしてレムを生き残らせねばならない。彼女はナツキスバルに特に頼むと託されたのだ。

戦友たちが、カルステン公爵領の騎士たちが死んでいく音が聞こえてくるようだった。

 

「ていうか聞いてないんだけど。ここで待ってりゃいいって話だったはずだよね?僕が何か間違えでもしたかな。してないよね。ならこの責任は取ってもらわなきゃならない。心苦しいけど世の中ってそういうものだからさぁ」

 

 

その文句を聞いているものなどいない。誰に聞かれるでもないそれを語りながら、街道を見据える。

 

すると、街道が一直線に吹き飛んだ。

 

多くは散開し、平原に広がっているため車列が丸ごと全滅したわけでない。しかしそこを走っていた竜車は、全て木っ端微塵にされていた。

 

その破壊を成したのであろう白い男はそこから幾つかの竜車に何かをしたようだった。

そこら中で破壊の跡が咲き誇る。平原に大穴ができ続ける。

 

しかし、奴はクルシュを捕捉はできていないようである。

どれだけ圧倒的でもその攻撃は直線。そして相手は一人である。

 

綿密に組まれた作戦は、無事にこの群れの心臓を逃しつつあった。

 

「クルシュ様。どうか。ここは耐えてください」

 

限界を超えて耐え忍んでいるクルシュに寄り添い、レムは必死に祈る。

 

祈りが通じたのか、暴虐を働く白い男から距離を取ることに成功する。それ相応の血を誰かに流させることで。

 

その事実に罪悪感や衝撃を受ける程度には余裕が出てきたのだろう。悔恨や混乱に頭を抱えてその奇襲に反応が遅れる。

 

 

短剣の一閃が二人の背中と肩を裂く。

 

 

 

「美味しそうな匂いがここからするなぁ〜〜〜?」

 

それは突然、背後から届いた甲高い少年の声だった。

 

それと同時に短剣が刺し込まれ、クルシュとレムの背中を切りつけて離脱しつつ追加の斬撃。

 

それによって引いていた地竜と御者の首が飛び、竜車は横転する。

 

「っクルシュ様!!」

 

レムがクルシュを抱えて飛び出す。竜車の大破に巻き込まれることは回避するが、その元凶は変わらずそこにいた。

 

「魔女教…ッ!」

 

レムは最近嗅ぎ慣れたその悪臭を、本来の意味で嫌悪する。

 

「あァ、まったく……いっくら食べても喰い足りないッ!これだから俺たちは生きることをやめられないんだ。食って、食んで、噛んで、齧って、喰らって、喰らいついて、噛み千切って、噛み砕いて、舐めて、啜って、吸って、舐め尽くして、しゃぶり尽くして、暴飲!暴食!あァ――ゴチソウサマでしたッ!」

 

その表情はうっとりと恍惚に染まっており、幸せそのものと言う様子。

 

「端っこのやつを食べても全体が手にとるようにわかったッ!綺麗な計画書がメインディッシュの案内までしてくれるんだからさァ!本当に最高だよ。コースメニューで楽しませてくれるんてッ!僕らが美食家だって知ってたかと思うくらいの歓迎だよねェ…」

 

悪寒を背に感じ、レムは全身を緊張で固くしたまま振り返る。そして背後、大破した竜車の中心で、背をそらして哄笑する血塗れの人物の存在を捉えた。

 

濃い茶色の髪を膝下まで伸ばした、背丈の低い少年だ。身長はレムと同じか低いぐらいで、年齢も二つか三つ下――屋敷の近くの村の子どもたちより、ほんの少しだけ年上なぐらいに思える。

その長い髪の下、細い体をボロキレのような薄汚れた布でくるんだだけの服装をしており、かすかに覗く肌色は至るところが血で赤く染まっている。

 

もちろん彼自身の血ではなく、どこかに倒れる騎士たちのものに相違ない。

規格外の破壊を撒き散らす敵とはまた別に、音もなく襲うものがいたのだ。いくつかあったであろう戦闘。そしてその結果は、レムにその戦闘の気配を悟らせることすらできずに敗れ去るというものだった――。

 

「お前、は……」

 

声を震わせ、レムは自身の傷を自覚する。自分は軽傷だ。しかしクルシュ様が…

 

クルシュのざっくりと切られた背中から滴る血が街道に朱を刻み、焦る彼女を嘲笑うように空気が冷え込んでいく。

 

その言葉を質問と受け取ったのだろう、相手はひどく親しげで暴力的で悪魔のような笑みを浮かべて名乗った。

 

「魔女教大罪司教『暴食』担当、ライ・バテンカイトス」

 

その名乗りを待たず、クルシュの風刃とレムの氷槍が敵へ飛ぶ。

 

当たらない。あまりにも素早い動き、不規則だが熟達した足運び。遠距離では有効打は出ない。

 

接近してきた暴食に、クルシュが剣戟をレムが打撃を見舞うが、全てをいなされる。子供のような見た目とその武技が見合っていない。

 

「実際問題いい線いってたよッ。来たのが僕らじゃなけりゃ逃げ切れてたッ!」

 

 

直後『暴食』に叩きつけられた暴風はしかし、殺傷力を有してはいなかった。

面で押す風は回避不能の壁となって敵を押し返し、わずかな猶予を生む。

 

クルシュはその隙にレムへ指示を出した。

 

「武器を捨ててこちらへ。走るぞ」

 

その声には迷いも焦りもない。しかし緊迫したそれは余裕もないのだと伝わってくる。

 

困惑を押し殺し、何も考えずその指示を聞く。

 

重傷のクルシュにレムが背負われて駆け出した。

 

 

「後ろに氷壁を。そして止血だけは頼む」

 

治癒魔法には集中がいる。今の少ないマナでは余計に。相手の視界を塞ぐ目的で薄い氷壁を展開し、その後にクルシュの止血に取り掛かった。

 

一拍置いて、氷が砕ける音がする。同時にクルシュが何かを地面に投げた。

 

走り去ると後ろで小さな爆発。多彩な色が混じる粉塵が舞い、煙がそこに現れた。

毒と激辛香辛料を混ぜた、催涙スモークグレネード。それに突っ込んだ相手は足が鈍る。

 

その隙に距離を離していると、2頭の地竜が追いつきすれ違う。

 

一人の騎士は竜に乗ったまま弓矢を放ち敵を牽制。槍を持った大柄な男も言葉すら交わさずに、一瞥だけを向けて頷き地竜をクルシュに渡して敵に向かう。

 

地竜が走り出す。相手には遠距離攻撃の手段がないことは明白だ。

 

「レム。後ろの地竜を、撃て…」

 

苦渋の指示を遅れずに放つ。

 

そうして振り返れば、弓矢を放つ騎士はすでに地竜の足に剣を入れていた。自身と長く共に在った戦友たる竜に傷をつけるのは、流石に堪えたのだろう。しかし震える手で弓を射続ける。

 

「もう、必要は…ないようです…」

 

治療に専念し、逃げの一手を打ち続ける。

 

すると、地竜とレムの背中に矢が突き刺さった。

かなりの距離があったというのに、まるで先ほどの熟練の騎士のような精度で射られてしまう。

 

混乱の中でも、必死にクルシュを守るレム。鬼族の体は頑丈だ。絶対に守らねば。

 

地竜は動かなくなり、そこに『暴食』が迫る。

 

クルシュはすでに限界だった。最後に一つだけ指示を出す。

 

「レム。逃げろ」

 

「お断り、させていただきます」

 

逃げ切れないだろうという計算もあったとは思う。だがそれ以上に、許せなかった。

 

「人は合理では動かない、か。きっと私であっても逃げることなどできまいな」

 

最後にクルシュは笑った。あの男なら逃げるだろうか。そんなことを考えて。

白鯨を落とす時と同じように、無念を認めながらも全力で抗うことを決めた顔。

 

「ならば、レム。やるぞ」

 

「っ…はい!」

 

 

片目から涙を流し、少し肩が上下する『暴食』はそれでも凄絶に笑って獲物に到達した。

 

全力で抵抗するが、拮抗は一瞬だ。

手負いの二人は大罪司教にもはやなす術がない。万全であっても厳しかった。

 

 

「それじゃァ、いただきまぁぁあす!」

 

 

まずクルシュが倒れる。一体何をされた?その剣は届いていなかったように見えた。

返す魔法の一撃を敵は避けて、立ちすくむ。

 

頭を上下に振り、長い長い髪を振り乱しながら唾を飛ばして少年は笑う。その間もかちかちかちかちと、やけに犬歯の長い歯を噛み合わせながら、

 

「愛!義侠心!憎悪!執念!達成感!長々と延々と溜め込んで溜め込んでぐっつぐつに煮込んで煮えたぎったそれが喉を通る満足感ッ!これに勝る美食がこの世に存在するかァ!?ないね、ないな、ないよ、ないさ、ないとも、ないだろうさ、ないだろうとも、ないだろうからこそ!暴飲!暴食!こんなにも!僕たちの心は、俺たちの胃袋は、喜びと満腹感に震えてるんだからッ」

 

言っている意味がわからない。

タガが外れたような様子で、バテンカイトスは甲高い少年の声で笑い続ける。引きつったような声が響く中、レムが無言で視線を移せば、その先にいたレグルスは視線に対して手を振り、

 

「やっぱりいいよなァ、こうして手ずから食べにくるっていうのもさ。特に最近はこういう気骨に満ちた喰いでのある奴らと会う機会がなかったから、久々に僕らの飢餓が満たされるのを感じるッ」

 

「言いたいことはそれで十分ですか、魔女教」

 

首をもたげるレグルスに、レムは毅然とした態度のまま言い放つ。その様子に鼻白むレグルスに対し、鉄球の鎖を鳴らして威嚇しながらレムは、

 

「いずれ、必ずあなたたちを打ち滅ぼしてくれる英雄が現れます。あなたたちがどれほど身勝手で、どれほどの自己満足で不幸を生み出してきたのか、その人がきっと思い知らせてくれるでしょう。レムの愛する、たったひとりの英雄が」

 

「へェ、英雄。そいつぁ、俺たちも楽しみだ。そんだけ信じられてるってことは、さぞやそいつも僕たちにとって美味なんだろうしさッ」

 

手を叩き、上体を屈めるバテンカイトスが舌を伸ばしてレムを品定めする。

それは敵を見る目でも、ましてや女を見る目でもない。その視線に宿る光はまさしく、食材に舌舐めずりする餓鬼のものに他ならなかった。

 

後方に倒れている騎士のような人物たちのことがおぼろげになる。

彼の存在が、彼らの立場がなんだったのか、今のレムには理解できない。彼らはどうしてあそこに倒れているのか、誰だったのか、自分とどういう関係だったのか。

 

白鯨の霧は、浴びた存在を存在ごと消失させる悪夢の顕現だった。ならば、それを従えていたという『暴食』の持つ権能は果たして――、

 

「ロズワール・L・メイザース辺境伯が使用人筆頭、レム」

 

自らの立場のあとに名乗ろうとして、レムは首を横に振った。

今この瞬間だけは、本当に名乗りたいとそう願う名前を――。

 

「今はただのひとりの愛しい人。いずれ英雄となる我が最愛の人、ナツキ・スバルの介添え人、レム」

 

白い角が額から突き出し、大気に満ちるマナをかき集めてレムに活力を与える。

全身に力がみなぎり、氷柱が今か今かと呼び声を待つ。

目を見開き、世界を認識し、大気を感じて、ただただ脳裏に彼を描いた。

 

「覚悟をしろ、大罪司教。レムの英雄が、必ずお前たちを裁きにくる!!」

 

氷柱が打ち出されるのと同時にレムの体が弾けるように飛ぶ。

それを迎え撃つように、バテンカイトスはその牙だらけの口を大きく開き、

 

「あァ、いい気概だァ。じゃァ、イタダキマスッ!」

 

ぶつかる、ぶつかる、そしてその瞬間、思う。

 

願わくば、自分が失われたことを知ったとき、彼の心にさざ波が起きますよう。

 

 

それだけが、レムの最後の瞬間の願いだった。

 

 

 

 

 

 

その戦闘が終わって間も無く。周辺にはクルシュを助けようと散開していた竜車が集まり囲みを作っていた。

騎士や戦士たちが挑み、すでに何人もやられている。

 

中には鉄の牙も混ざっており、離脱するようにとの指示を無視してでも駆けつけているようだった。

 

「こんなに上物をこんなに一番いい時期に食べれるなんて!美味しい役目だなァ。導きがいつもこんな調子なら…ん〜?」

 

それを蹂躙し全て食い尽くそうとしていたが、遠方より無視できない程派手な竜車が向かってくる。

 

赤く赤いその竜車に乗るものを、正確には爆走する竜車の屋根に仁王立ちするその女を『暴食』は知っていた。

 

「あれは…記述になかったなァ?ここで派手にやる予定はないし…『強欲(あいつ)』はもうとっくに帰ってるよなァ。一番美味しいとこは食べれたし」

 

そう呟くと、暴食が逃げる。騎士が、傭兵が。矢も魔法でもなんでも使って必死で追い縋るも、人の足では追いつけない。

平原であるのに、騎竜に並ぶ速度で駆ける。追い縋ると、反撃を喰らう。

 

暴食は地竜を奪い、どこかへ去っていった。

 

 

王選候補者、クルシュ・カルステン公爵。『戦乙女』『百人一太刀』『白鯨落とし』と呼ばれる女傑。

 

彼女にとって初めての敗北は、文字通り致命的な敗北となった。




【リーファウス街道撤退戦リザルトについて】

死者重傷者が多数発生。鉄の牙は多くが逃げ延びるも数名は戦闘を行い被害を被った。

散開せずに『強欲』と相対した場合、最低でも半数以上は殺されていた可能性があるが全体の5分の1程度の被害で済んでいる。
『暴食』には多くのものが襲われ、その後遺症も含めて20名以上が犠牲となる。

その後、王国の騎士団による調査が行われるもこれまで通り魔女教は発見には至っていない。

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