【FILE:30】初陣
応接室は同陣営のものだけで埋められた。
クルシュの横にはフェリスが座り、ヴィルヘルムも珍しく座っている。
皆が自然とケイが話し始めるのを待っている。
「はじめまして、永井圭と言います。なんとお呼びすれば?」
そう言ってクルシュに向き合えば、当然物言いが入る。
「な!なになに。そんな白々しいこと言っちゃってさ。クルシュ様のお気持ちを考えなさいよ。それともさっきのをまだ気にしてるのかにゃ?」
フェリスは一度泣きクルシュに慰められて落ち着いたようだ。しかし実際には余裕はなく、ケイは気遣うつもりがない。その険悪な雰囲気に耐えかねてクルシュが焦りながら口を開く。
「えっと。クルシュで、構いません。むしろ私は皆さんになんと呼ばれていたのかなどをお聞きしているところでして、ケイ様は以前の私にどんな呼ばれ方を?」
「ケイと呼ばれていました。無理に以前の呼び方に合わせる必要はありませんので今改めて決めましょう」
「変わらずにクルシュとお呼びください。その方が皆様は違和感がないでしょう?」
「そうですか。ではクルシュさんと呼ばせていただきますね。これからよろしくお願いします」
その呼び名の変化に、横でフェリスは絶句する。あまりのことに言葉が出てこない様子。
「大変な状況だと思いますが、まずは一点だけ確認したいと思っています。それは今後の陣営を誰が統率するかです。先ほどすでに話はしましたが、期限については話していませんでしたね」
これまではクルシュがその能力とカリスマを遺憾なく発揮しまとめ上げていた。白鯨討伐を成してその結束は最高潮に達したと思ったが、その柱が忽然と無くなってしまった状況である。ケイが一時的に預かるとはいえ予断は許されない。
「クルシュ様の能力回復には時間がかかる。これは事実です。今は僕が代わりにやりますが。本来であれば先代当主のメッカート様が適役です。あの方はまだカルステン領にいてこの内情すら知らない。急ぎお呼び出ししてこちらに到着され次第、全権をお返ししましょう」
誰もが納得する事実を整理した。ここまでは異論ない。
紛糾するであろう話題はここからである。
正直、悩んでいる。まさに苦手な分野だからだ。しかしラインハルトに説教した手前、自分が逃げるわけにはいかない。
だからスバルにすら相談してみた。頼られるというのは人が好む関係性だ。好感度稼ぎである。
「いや、わかんねぇよ。俺はそんなに気を使える方じゃないし。でも、思ったことを隠すよりはまっすぐ話した方がいいと思う。俺もそんなできてねぇけど」
そこまで有効なアドバイスはもらえなかった。まぁ真っ直ぐに話すくらいならできるのだが、失敗するような気がしてならない。ここまでの事情はまだ家令たちには話せない。
まぁ。やるだけやってみるしかないか。
今まさに都合の良い嘘で心の傷を塞ごうとしているフェリス。
自覚なしに危険な方向へ進み出したクルシュ。
心ここにあらずといった様子のヴィルヘルム。
相変わらずのケイ。
クルシュ陣営の中核は酷い有様だ。安心できる要素が見当たらない。
それを少しでも修正してからでないと、ここを一時的に離れることもできない。
「ここからは提案なのですが、それぞれが改めてクルシュさんと契約や忠誠を結び直しませんか?」
「は?さっきからなんなの?その態度。まるでクルシュ様がいないものみたいに」
「実際ここにはクルシュ様はいない。僕にとっては先ほど自己紹介をし合っただけのクルシュさんです。彼女とはまだ、なんの約束も契約もできていないと考えます」
ケイは、自ら地雷を踏みに行った自覚がある。
フェリスは頑なに、クルシュを治療すると言っている。きっと私がなんとかして治すと。まるでクルシュが怪我をしているような表現を使っている。
フェリスはクルシュの死を認めていない。このままでは、どこかで破綻するだろう。そして一の騎士がそのような接し方をすれば、クルシュさんはどうなるだろうか。
破綻するなら今が一番いいのだ。まだ何も積んでいない。早ければ早いほど失われるものは少ない。
「まず僕たちは敗北を認めるべきだ。守るべき人を守れずに失ったという事実を」
「やめて」
「人を定義するのは記憶だろ。それが連続しないならその人ではない。まず認めて、それから取り返すと決意すれば良い。治療ではなく蘇りと…」
「やめてったら!!!」
必死の懇願。ケイに向ける初めての感情だった。
「さっきのことなら謝るから…やめて。お願い。やめてよ」
「本当にそれでいいのか?」
お前もわかってるんだろうと言外に諭す。
「そんな風に、そんなの、だって…許せない。許せるわけない…」
ケイはこの反応を予想していた。その上でこの後の正解がわからない。
これ以上の正論に意味はなさそうだということは流石にわかる。
そして、自信の無い一手を打ってみる。
「今すぐ結論を出す必要もない。本調子でないのは流石にわかる。少し休んでから…」
ケイは合理的に考えて、正論で正面から向き合えば確実に決裂すると判断した。
それゆえに、思いやりや心配という類のものを試してみた。
これはケイにとっての初陣だった。そしてのその結果は…
「っ!お前が…! 私が…っ」
先ほどまで落ち込んでいたフェリスの表情は急変する。
激情に血走った目をケイに向け、その場に立ち上がる。その後は震える体を抑えるようにして、何ごとも言わず、誰のことも一顧だにせず。その部屋から出ていった。
最後の理性を振り絞って、何も言わずに退室できたという様子だった。
「ヴィルヘルムさん一応、確認を」
去ったフェリスをヴィルヘルムに追わせる。
やはり失敗したらしい。下手を打ったが、何が悪かったのかはわからない。優しくすれば余計に傷つけるとは心底面倒臭い。フィードバックが欲しい。
「フェリス…大丈夫でしょうか」
「わかりません。ただ僕たちも話すべきことがあります」
クルシュは後ろ髪を引かれる様子だったが、ケイと話すことに決めたようだ。頷き、真剣にこちらを見ている。
「では改めて、クルシュさん。我々の約束について話し合いましょう」
「約束ですね。それは私の記憶にはありませんが確かにあったと聞いています。その内容も」
「あなたには加護がある。僕が嘘を言っているかはわかるはずですよね」
疑うことなど一切考えにはないようで、続きを促される。
「これまでの約束はなかったことにしましょう。白紙にしようというのがまず第一の提案です」
驚き、狼狽えるクルシュ。スバルを交えた先ほどの威厳は見る影もない。
「それは、それは流石にできません。あなたは対価を求めて白鯨の討伐に向かい、それはもう大きな活躍をされたと聞いています。その貢献は我々でも随一で、並ぶのはスバル様くらいだと。故郷に帰るためだったんですよね」
話しているうちに確信が持てたらしく最後は強く言い切った。
「貢献をしてもらうだけもらっておいて、それをなかったことにしようなどと決して許せません」
カルステン公爵の面影を感じるが、それは感傷というより興味だった。記憶がその人を定義する。その考えに変わりはないが、全てが別物にもならないらしい。この世界にはマナ、オド、魂。そんな風に呼ばれる人を構成する要素があると聞いていた。こうして目の前で事例を見るとその存在を確かに感じた。
「僕の目的は依然変わらず、元の世界に帰ることです。しかし、何も知らない人に他人の約束を履行させるのは自分の主義にも反しますね。はっきり言いますが、僕はカルステン公爵とクルシュさんは似ているが別人だと思っています」
「やはり、今の私では不足でしょうか。ですが、これから思い出せるよう努力をっ!」
「いえ、違います。そうではなくてですね」
こういう会話は下手だと確認したばかりなのに立て続けに起こるものだ。さきほど失敗したばかりであるし、もう想像がつかない。
「僕は無理して以前の人物に似なくても良いと思ってるからです。今のあなたも一人の人格なのだから、他人と比べることは理不尽だ」
「あなたは、私が誰でも気にしないということですか?」
「別にあなたに限りませんけどね。誰にでもそういう見方をしているだけです。あなたが特別ということではありません」
クルシュは驚く。これまで何人かと言葉を交わしたが、そのどれとも違うと感じる。
話をした人たちはみんな、好きではない風を吹かせていた。
その風に込められた感情が、同情、憐憫、悲哀、義憤であることを、クルシュはまだ知らない。
でもあの風は好きじゃなかった。
特別ではない。冷たいはずの言葉が、他の温かい言葉よりも今の自分に染み渡るのはなぜだろう。
冷ややかな言葉を乗せた風は、決して不快な感じはしない。
「私は、私でも良いのでしょうか」
俯き、不安そうに絞り出す。涙を堪えているせいかケイをみることはない。
カイやあのバカならきっと優しい言葉をかけるのだろう。ナツキ・スバルなら笑わせたりできるのだろう。けれど自分にはできそうにない。
だから無責任なことだけは言わない。
「知りません。そんなの。他人が許可できることじゃない。それは自分にしか決められません。あなたが決めてください。好きなように決めればいいじゃないですか」
目が覚めてから、初めて『自分』に声をかけてくれた感じがする。
きっと私は、人と初めて話している。
「私は、私は…!」
涙を流しながらもこちらをまっすぐに見つめる女性がいた。
「私は、クルシュ・カルステンです。それ以外のことはよくわかりません。けれど、あなたとは良い関係を築きたい。周りにいる私を心配してくれる人たち。辛い顔をしている人たちを笑顔にしたい。向けられる期待にも応えたい。そう思っていることは間違いありません」
「あなたがそれを望むなら、それでいいんじゃないですか。僕も仲良くする分には構いません。よろしくお願いします。それと僕のことはケイで構いません」
「ふふ。そうですか。ケイは気が使えるのですね。頼りになります」
人生で初めての評価に、クルシュの人を見る目を疑う。だいぶ曇っていないだろうか?
泣き止むまで少し待ち、問いかける。
「クルシュさん。改めてお願いがあるのですが、聞いていただけますか?」
「ええ、唯一の友人の頼みなら何なりと」
そうなるのか。背負ったことのない類の重さを肩に感じ、少し後悔。努めて平静に言葉を続ける。
まぁ生まれたばかりの雛の刷り込みみたいなものだろう。
「僕は、自分の世界に帰りたい。そして家族のために治療法を持ち帰りたい。そのための協力をしてください。その代わりに」
王選への協力。それが以前の約束であったとそう聞いている。なんの問題もない。
「その代わりに。あなたのやりたいことの達成に協力しますよ。いかがですか?」
「ケイ、あなたは私に王になって欲しいと思わないのですか?聞いていた以前の約束とは違うように思えます」
「繰り返しますが、どうでもいいですね。嘘がわかる王が治める国は見てみたいという個人的な興味はありますが。以前のクルシュ様は王様になりたいと仰っていたのでそれを手伝うことにしました。ただ今のあなたもそうとは限らないでしょう?人は自分のやりたいことをするべきですよ」
脳内で佐藤が良い顔で笑いかけてくる。「そうだよねぇ。人生は楽しまなきゃ」黙ってろ。
その笑顔から得た重要な補足を付け足しておく。
「他の人のやりたいことを理不尽に潰さない限りは。という注釈が入りますがね。あなたは王になりたいんですか?」
「わかりません。何も知らないんです」
「でも今も少しずつだけどわかってきている気がします。だから、私は進んでみたい」
「王になるなら、人の悪意や敵意に触れます。大切な仲間が傷つくこともあります。それでもいいんですか?」
「大切な仲間が傷つくのは恐ろしい。でも悪意や敵意をあまり怖いとは感じません。きっと、何もしないでいる自分の方が許せないと思うから。誰かの言いなりではなく、自分の意思で選びたい。その想いに変わりはありません」
また、らしくないことを言わねばならないのだろうか。これでクルシュも出ていったら金輪際『思いやり』作戦は放棄する。
「一つ助言を。僕を含めて他人の言うことはあまり真に受けない方が良い。皆、混乱しています。多くの人が見ているのは記憶の中のクルシュ・カルステン公爵です。あなたには関係ない」
あまりに鋭利な切り口で切り捨てるものだ。これはフェリスのことを言っていることくらいはわかる。彼らは今後仲良くしてくれるだろうか。
「あなたの心配は心地よい。ありがとうございます。けれど、その返事はいいえです。私はあの真摯な思いを気にしないなどということはできません。せっかくの期待を無碍にはしたくない。けれど、そう思えたのもケイのおかげです」
力強い眼差しはケイを正面から捉えて離さない。
「このままだったら私はきっと知らない私への期待に潰れてしまったかも知れない。捨てても良いと言われないと、捨てたくないものがわからないなんて。本当に危ういところでした。重ねて感謝を伝えさせてください。どうか気を悪くしないでくださいね」
「いい加減に伝わってほしいんですが、好きにしてくださいって。そう言ってます。お好きにどうぞ」
「そうやって無関心を装っているけれど、フェリスのことも心配なさってますよね。そうですか。ケイは優しいんですね。覚えておきます」
うんざりという顔でケイはそそくさと退席する。フェリスは失敗したが、クルシュは成功したようだ。
このあとはヴィルヘルムとも話さなければいけない。
同じように挑んでも、違う結果が返ってくる。本当に、人という変数は面倒臭い。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
数日後。王城の大広間にて『白鯨討伐 戦勝報告会』が開かれた。
これは正式な論功とは別の催しであり、主催はカルステン家とホーシン商会である。
カルステン家のみでの討伐であれば内々に戦後処理を進めれば良いだろうが、この戦いにあたっては相当な数の支援を受けている。それらに対して報いることは必須であった。
ケイは指示を残してくれたが、クルシュはこのような人数を前にすること自体が初めてだ。
戦勝宣言と演説をこなさなくてはいけない。
緊張で震える。声が出るだろうか。寒いのに汗をかく。
それでも、自分で選んだことだから。決して逃げずに、大舞台に立った。
クルシュ・カルステンの初陣が始まる。
本話から新章突入です。
ここから次章までは毎日更新を続けていきますのでよろしくお願いします。
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