こんなにあっさり?と思った方はぜひ原作もご覧ください。本作の裏で起こることとほぼ同じ内容でスバル君の奮闘が描かれています。
エルザが目を覚ますと、そこは知らない山小屋だった。
それはどうでもいい。問題は、目を覚ましたことだ。
考えもせずに喉から出た疑問は、自分のものとは思えないほど掠れていた。
「あら…生きている?」
記憶には、確かに命を失った感覚があった。
あの炎に包まれた激闘。愛したかった男。その逢瀬は敗北で終わったはず。
自分から流れ出る大切なものを止められないとわかって諦めたあたりまでは記憶があったのだが、なぜこうなっているのかはわからない。
こんなに現実的な光景だが、これが死後の世界だったなら拍子抜けだ。
体も全く動かないし、事情を知っていそうな人に聞いてみようか。
「ねえ。私は死んだような記憶があるのだけれど、私が生きているのかどうか、ご存知?」
横にいた年嵩の淑女に問いかける。
育ちの良さと、気品が溢れる佇まいは明らかに貴族といったもの。
しかしそれでも抑えきれないほどのマナと、それに裏付けられる暴力の気配を奥底に感じる。
きっと戦えば素敵なことになるだろう。
特に隠しもしていない殺意と戦意と好意を受けて、その女性が深くため息をついた。
「聞いていた通りの人物らしいですわね。ええ、『腸狩り』のエルザ。あなたは確かに生きていましてよ。わたくしが保証します」
「へえ。あなたが救っていただいたのかしら。私のことを知った上でこの対応なら、お礼を言わせてほしいわ」
「わたくしも関わりはしました。ただ人の懸命な努力を横から奪うようなことは決してしませんわ。手助けはしましたが、あなたを救ったのは別の方の意思です。そのうち顔を出すと思いますので感謝はその時に」
「ええ、一人だけ心当たりもあるから楽しみにしているわ。早く、体を治さなきゃ」
そうしないと、あの包帯男と戦えないから。
剣呑な雰囲気を隠そうともしないエルザにローズは釘を刺しておくことにした。
「あの方への無礼はわたくしが許しません。あれほどの想いを受けて蘇った命、無闇に使い散らすことなど到底許容はできませんわね」
勝手に命を救ったからなんだというのか。今さら説教などと笑わせる。
「それは心外というものよ。私の命だもの。好きに使わせていただくわ。でもそうね。その言葉に背くとすれば、あなたはどうしてくれるのかしら」
このやりとりだけで、ローズは行動方針を変えることに決めた。これに通常の対話や脅しは逆効果だ。
拒否されるのが好きな男に嫌と言ってもつけあがらせるだけである。
「あなたは戦いが好きなようね。ではわたくしはそうなった時、あなたにとっての幸せを全て奪ってあげましょう。自由を奪った上で延々と退屈な毎日を過ごしていただけるように丁重に手配しますわ」
説教が明確な脅迫に変わった。
少しの沈黙。
「そんな残酷なことするなんてひどいわ。でも、あなたにそれができるのかしら?」
好戦的な笑みはローズに向けられたままだ。
「戦闘狂はこれだから。近衛騎士に通報して剣聖様に捕縛してもらった後、お世話は使用人にやらせるに決まっているでしょう。わたくしがそんなに勇敢で強く、甲斐甲斐しく見えて?心外ですわ」
エルザはこの相手との戦意を滾らせていたが、非常に現実的で実現可能な方法を聞かされて避けられてしまった。
あれから少し腕が上がったとはいえ、剣聖ともう一度やりあってもまた同じことが起こるのは自分でわかっている。
「さて、そんな大言を吐いていても体が動かないのはわたくしが把握しています。あなたのその回復能力をもってしても明日までは確実に動けないでしょう。口だけの威勢など滑稽ですわね。そこらの野犬の方がまだ怖くてよ」
ほほほと上品に笑うがその内容は低俗である。
「わたくしはあなたと必要以上に仲良くするつもりも、憎しみ合うつもりもありません。ご飯を流し込んだらお暇しますのでとっととお食べなさいな」
何もできないエルザは、なされるがままにローズの献身を。というより介護を受け続けた。
人の世話になるのは耐え難い苦痛と羞恥であり、暴漢に覆い被さられるよりも拷問を受けるよりも平静を保ち辛かった。
この体験は何事にも代えられない。真に苦手なものがあるのだと初めて知った。
その感性をもローズはすぐに見抜いた。
「ではよく眠りなさいね。エルザ、ちゃん」
動けないことを良い事に、あろうことか額にキス。そう言い残して退出する。まるで聞き分けのない孫娘を寝かしつけるかのように。たっぷりと親愛を込められたそれを、どのように相手が受け取るのかを知った上で。
朝になると、再び山小屋にローズが訪れた。別の人間を伴って。
黒髪の青年。油断なくこちらを見る目つきは鋭いがそれだけだ。ぱっと見で戦えないことがわかり内心で興味を失う。
その不躾な態度にローズは少し頭に来た。よしあとで可愛がってやろう。
お花の冠でもプレゼントしてやれば相応の罰となろう。お花摘み確定である。
「あなたのことは協力者から聞いています。僕が雇い主になりますが、転職の意思は?」
「そうね。私は仕事に失敗してしまったわ。だから今度は仲介者からも逃げなくてはいけなくなったの。失敗と追っ手という厄介ごとを抱えた私でよければぜひ雇ってほしいのだけれど、一つ追加の条件を聞いてくださる?」
「何なりと、聞くだけなら」
「私と襲撃に参加した幼い『魔獣使い』メィリィという子の保護をお願いするわ。生きているならきっと彼らに捕まっているだろうから」
「わかった。その子にも追っ手がかかると考えても?」
「ええ、そうね。私と違ってとても才能に溢れた子だから、消されずに再利用されるかもしれないわ。私たちもある程度は自衛できるけど後ろ盾として期待していいのかしら」
「ええ、その代わりにこれまでのように料金は払いません。最低限は渡しますが、保護と相殺させてもらいます。その上でこちらの指示に従ってもらいます。しっかり働いてください」
ここに、契約は成立した。
エルザの救命を終えたとき、スバルはすでに屋敷にいなかった。即座に聖域へ戻ったらしい。
そのためこちらも王都へ移動することにする。早くフェリスにコイツを診せねば。
帰りの竜車内にはローズとエルザだけ。改めて協力を要請され、ゴドフリーは調査隊を率いて魔獣の残党討伐に協力している。
多くは語らずも、心地よい雰囲気で魔法についてやこの世界の貴族社会についての対話を交わす。
そんな折にローズから全く予想だにしない提案がなされた
この世界に来てから一番の不意打ちと言っていい。
「ケイ様。これは真剣な提案なのですが、当家の末の娘と婚約などいかがでしょうか?」
「…はぁ!?」
竜車の端で眠るエルザを少し起こしてしまったようだが、再度寝入った。本当に限界らしい。
寝返りをうって背中をこちらにみせて雑音を遠ざけようとしている。
落ち着きを取り戻し、理路整然と不要を説く。
「いや、あり得ませんよ。その気はないですしメリットもない。だいたい自分は故郷に帰るために色々と頑張っているのでそんな余裕はありません。そもそも家庭を持つかどうかも決めていないのに、こんな状況でなんてあり得ない」
ローズはこの話を聞いてもうんうんと頷いている。そうだ。これくらいはわかっていると思っていたし事実そうらしい。
ならなぜこんなことを?冗談ではないと前置きしていなければ真面目に取り合うこともバカらしい内容だ。
「いくつか補足をさせていただきますわ。まず一点目。メリットはあります。そしていつかこの国を離れるという話も問題ありません。むしろ連れて行かれると少し困りますので、置き去りにされる想定でこちらはお話ししております」
この時点で耳を疑うが遮ることはしない。
「メリットについてお話ししますわね。ケイ様、あなたは素晴らしく明晰な頭脳をお持ちです。これは身をもって何度も体験し目撃しました。ですがあなたであっても知らないことは考えつかない。そしてあなたには明確に苦手とされる分野があるはず」
「人間関係の機微、特に女性や恋愛、婚姻に関してはほとんどご存知ないのでは?」
スバルなら汗を撒き散らして動揺しながら「どどっどど童貞ちゃうし」と背伸びするだろうがケイの反応は冷ややかだ。
特にその辺りに疎いことが引け目とすら感じない。
「ええ、そんな暇はありませんでしたからね。これからもしばらくはそうでしょう」
「いいえ、これからあなたは、あなたの意思に関わらずこの手の問題に頭を悩ませることになりますわ。そしてもしも誰かと都合の良い条件で婚約でもしていれば、その面倒は一気に減る。誓ってこれは、あなたのための提案なのです」
ローズはバカではない。そんな彼女がここまで言い切るのではあれば何かしらはあるのだろう。
しかしケイはそれを想像できない。少し努力してみるが、あまりにも不毛な大地が広がっている。
佐藤の思考を使うのは論外。
想像してみたが不毛の大地どころか有機物も見当たらない。ここは一体どこの星だ。
ケイには欲求や興味も多少は存在しているが、無視できる程度の優先順位である。
「それは…どういう?」
ようやくケイはその内容に耳を傾ける。
「これから王都に戻ったあなたに訪れるのは、貴族の子女たちによる波状攻撃です。これは間違いないと断言しておきますわ」
いきなり理解から外れた。戦争がすぐそこに迫っているらしい。何も感じないが。
「なぜ?まだ白鯨を討ったことくらいしか広まっていないはず、それに同じことを成した人は多くいるでしょう」
「いいえ、此度の戦であなた様に並ぶほどの功績を個人であげたのはスバル様くらいのこと。そして貴族が反応する要件を持つのはケイ様のみですわね」
理解できていないでいると、ローズは目尻に皺を寄せて微笑み丁寧に説明し始めた。
「まず、白鯨討伐における役割が大きく違います。あなたは全体の指揮と計画。スバル様のミーティアは決定的なものですが、それは彼自身の力ではない。魔女教について出自不明の情報提供と理由不明の魔獣の囮。全てかけがえのない戦功であることはあの場にいたものなら理解できますが、後で話を聞くものにスバル様の実直さをお伝えすることは難しいでしょう。先の王城での印象もありますし…」
「…でも貴族は実績だけじゃなく、家格が重視されるでしょう?どこの誰かも知らない男なんて怪しすぎる」
「ええ。普通ならばそうですわ。しかし時期が悪い。いえ、良いのかしら。この国というよりあらゆる国にとある噂が流れる時期があります。それは、『ヴォラキア皇族が国外へ逃げのびている』という噂。かの剣狼の国は代替わりの際、皇子全員で殺し合う『選帝の儀』が行われます。その前後にはこんな噂が毎回立つのです」
それが、なんだというのだろう。
「10年ほど前、ルグニカにおいても噂は立ちました。それも通例よりも多く、中には陽剣を見たというものまで複数現れる始末。それも複年にわたって、なんと今もです。そんな時に白鯨討伐という偉業をもって注目されたケイ様は、行動も容姿もあまりにも注目を浴びることになるのは自然というもの」
だから、それが何なのだ。これまでを振り返っても、いきなりヴォラキア皇族と見られるのは意味不明である。
今度はローズが驚く番だった。
「そのご様子ではやはりご存知ないのですね。今代のヴォラキア皇帝、ヴィンセント・ヴォラキア様は黒髪黒目の美丈夫。そして神算鬼謀の賢王と畏敬をこめて呼ばれております」
皇帝へのあまりの賛辞が間接的に自分に向けられているようで、反射的に否定しかける。
…検討したが、今後は論理的に否定する。
「黒髪黒目だっていないわけじゃない。だいたい僕は髪を白く染めていた。そうなるのはおかしいでしょう」
「ヴォラキア皇帝をご存知ないにも関わらず髪を染めていた理由こそわかりませんが、ただ今回に限っては全てが噛み合ってしまいました。あの髪色は近くで分かる者が見れば脱色であるとすぐにわかります。それだけなら無視できますが、その人物の行動がおかしいのです」
一体何がおかしいと、必要なことをやっただけ…
「王族のいなくなった我が国における最高の身分である公爵家。その当主であり王に最も近いクルシュ様の横に控え、何やら相談役のような真似をしているかと思えば白鯨討伐計画を立案し、果ては臨時の全権代理まで担っている。多くのものはここまで内情を知りませんが、様子を見れば一目瞭然ですわ。あの若者はカルステン公爵と対等かそれ以上の扱いを受けていると」
反論は特にない。できない。
そしてローズがまとめた。ケイが一切考えもしなかった周囲からの評価。その総評が下される。
「ケイ様の飾らぬ振る舞いは素晴らしいと思いますが、その結果はこうです。あなたはヴォラキアの皇族であると思われており、しかも傍系ではなく現皇帝の弟であると噂されています。家名を語らずに、下手な染髪をして公爵に指示を出し、頭脳明晰な姿を見せ続けている。最後にダメ押しとばかりに白鯨討伐後はその黒髪を隠そうともしていない。そろそろわかっていただけましたか?」
「あなたが皇弟であるという噂を信じるものは非常に多くいます。討伐隊にも、カルステン家の家令にも多いでしょう。でなければ公爵へのあのような振る舞いは決して許されることはありません。わたくしも昨日まではそう信じておりました」
「なる…ほど。まぁ…一理あるのは認めます。納得しました。事実ではないですが。そして昨日までというのは?」
この不本意すぎる状況に煮え切らず。自業自得。因果応報。作用反作用の法則。役立たない様々な熟語が脳内を駆け巡る。
「強きを尊び、弱きを恥じる鉄血の帝国は、戦いに敗れたものに決してあそこまでの救命は致しません。むしろ思いやりをもってトドメを刺すでしょう。あれを見てからわたくしはあなたの出自の噂を信じることをやめたのです」
「よくわかりました。でもだからと言って、娘さんと婚姻というのは流石に話が飛躍している」
ローズは慈愛に満ちた表情で根気強く説明を続ける。
「いいえ、飛躍などしていないのです。あなたには絶大な実績があり、そしてその背景には聞くだけで誰もが高揚するような物語があると思われている。これを噂好きの貴族の女たちが放っておくはずがない。おまけにケイ様は容姿も整っていらっしゃいますわ」
最後には片目を伏せて、イタズラっぽく褒めると、いよいよ居た堪れなくなったのか。うーん。と言いながら腕を組んで不機嫌な思案顔になった。
有能で不器用なこの若者はやはり可愛らしい。
そして最初の提案に戻る。
「だからこそ提案させていただきました。これからの日々を貴族の対応に忙殺されてしまうのは本意ではないでしょう。それを婚約一つで解消できるのは明確すぎるメリットと言えますわ」
最初の反論を潰されて、他の活路を探し続ける。
そしてあまりにも頼りない論理を見つけ、それに縋る。
「それでも、悪いでしょう。その人に。そんな適当な理由で結婚して、帰れるとなったら多分置き去りになる。そこまで冷酷なことは流石に進んでやりたいと思わない」
「それは価値観の違いというものですわ。貴族の女性にとって婚姻とは最大の戦であり仕事です。その時考えるべきは家の繁栄が第一。それを通じて幸せを感じるのが我々貴族というもの。たまに変わり者がはみ出たりしますけれども、それは例外です。娘も心から喜ぶと思います。恋愛感情がなくても、都合の良い関係であっても、それでもケイ様と一時的であっても縁を結ぶことは他のどんな縁談よりも大きな益を我がフローライン男爵家にもたらすと確信しておりますわ」
ですが、とこれまでの熱弁を引っ込めて話を一度保留した。
「まだ実感はないでしょうから、今お返事をいただかなくて構いませんわ。わたくしの宣言通り、城攻めのごとき猛攻に耐えかねた時にでも思い出してくださいませ」
ほほほと笑い、この論戦はローズの圧倒的勝利、そして譲歩によってようやく終わった。
ケイは何も言えない。本当に珍しく、問題を先送りにした。
エルザに倣って横になる。
合理化はできない。なぜなら僕の最終目的は妹の治療だ。帰還は手段に過ぎない。
そのために元の世界に戻り医者になろうとしているが、もし今この瞬間に帰れるとなっても僕は帰らない。
それよりもこちらで魔石と治癒魔法について研究して持ち帰れるようにした方が妹の完治は早く確実だからだ。
つまり帰還方法は探すべきだが、その後は10年単位でこちらにいても恐らく妹を救うという一点のみなら、今すぐに帰還するより総合的に早い可能性が非常に高い。
それほどまでに治癒魔法は反則なのだ。あれがあれば僕が医者になる必要はない。
そして秘蹟とかいう死んでも復活させるものを持って帰れば最上だ。
でもそんなことは一旦いい。ケイは逃げるように寝入った。
降参の意を示し、何をいうこともせずにただ竜車に運ばれていく。
仕事をこなして悠々の帰還のはずが、市場に向かう荷馬車に詰められた家畜のような気分。
それでも竜車は止まらない。
【生存可能領域について】
地球と似た生命が存在できる天文学上の領域。恒星との距離に応じて水が蒸発するでもなく、凍るわけでもない距離にある惑星においてのみ水が液体で存在できるエリアを指す。
太陽系外惑星の探索において移住可能な惑星探査という意味でも重要視される。
ケンタウルス座の方向に4.2光年離れた位置にある赤色矮星であるプロキシマ・ケンタウリは、太陽系に最も近い恒星として知られている。その惑星の一つは生存可能領域を公転しており、水や生命の可能性があると議論さが続けられている。