オリジナルな展開が多めになっております。
ご注意ください!
【FILE:37】戦勝報告会
時は白鯨を落とした翌日まで遡る。
———白鯨討伐。
この報が王都へ届いた時はちょうど太陽が顔をのぞかせる頃合いと同じ。そのざわめきは今まさに朝日が暖める空気のようにじんわりと王都に広がっていく。
このような空前絶後の吉報に口止めなど出来はしない。
商人が走り回り、平民はすぐに祭りの準備。貴族は裏をとるべきか先手を打つべきかと頭を悩ませてそれぞれ動き始めた。
そもそも昨夜の謎の大炎は王都にいた人間であれば皆が目撃していたのだ。多くのものがその報告を信じていた。
誰もが浮かれ、討伐隊の帰りを待つ。
しかし討伐隊に襲撃があったと報告が入り、騎士団が出動する事態となった時には雲行きが怪しくなる。
騎士団はその夜未明に生存者と合流して帰還した。
討伐隊の傷は見るからに深く、出発時よりも数を大きく減らしている。
何よりも彼らは、勝者の顔をしていないかった。
その不穏な空気に、戦勝気分は一時中断される。
誰もが、カルステン公爵ならば気丈に手を振ってくれるだろうと思っていたのだがそれもなく竜車の内幕は降ろされている。
まさか命と引き換えに?そう噂される前に、竜車から背負われたカルステン公爵の姿が見え、皆が安堵する。
討伐隊の帰還から二日間。王都はどっちつかずの落ち着きのない状態であった。
白鯨の討伐は事実らしく祝いたいが、どうやら今は戦勝の祭りをできる雰囲気ではない。
皆が喪に服すように、その熱気をおさめていく。不完全燃焼ではあるが仕方ない。
白鯨が落ちたことを静かに祝おうとそう考えた頃にそれは来た。
カルステン公爵家とホーシン商会の共同で行われる、戦勝報告会の知らせであった。
燻っていた種火に特大の風が送られるように、それは大いに盛り上がりを見せた。
参加の招待枠や観覧の権利までもがやりとりされ、ここに参加することが今後の貴族としての趨勢を決めるというほどの注目度である。
あまりの希望者に、貴族の邸宅ではあっという間にキャパを超え実施するのは王城広間ということになる。
賢人会の中には難色を示すものもいた。不在の王族のための城を、候補に使わせるのはいかがなものかと。
しかしその意見は決して表に出てこない。この白鯨討伐という案件に対して王国の立場はこの上なく弱いものだった。
王族不在の現状で余裕がないことは事実ではあったが、本来白鯨討伐は騎士団が行うべきなのだ。大征伐のように国の主導でなされるべきものを、一領主であるクルシュに任せさらには支援は商人たちや別の貴族が行なっている。
税を集めて軍を維持している以上。危機から国民を守ることが国の果たすべき義務である。
それを放棄するなら存在価値は皆無、税を払う必要がない。
討伐隊が敗北したならそれは正しい判断であったと言われるだろうが、成功した現状において王国騎士団の威信はかつてないほど揺らいでいる。
もしもユリウスを筆頭とする一部の近衛騎士が非公式にでも戦闘に参加して一定の成果を上げていなければ、貴族の中から大規模な王国騎士団の縮小を確実に通されていたであろうほどの失態である。その判断は近衛騎士団独自のものであり、賢人会はその勝手な判断に処罰を与える寸前ですらあった。
賢人会の影響力は今や、クルシュはおろかアナスタシア・ホーシンすら下回っている。
それほど厳しい状況で王城の貸し出しすら断れば、いよいよ現体制の危機となる。
アナスタシアはこのことをよくわかっていた。だからこの時期に王城で報告会を行いたいと討伐前から絵図を描いていたものだ。
しかし現実はそう上手くは行かない。大罪司教によるクルシュの襲撃が全てを狂わせてしまった。
その容体はクルシュ陣営から隠された。けれど悲しいかな。その対応が全てを語ってしまっている。
他にも多くの騎士や戦士が記憶喪失や『眠り姫』の症状が出ている。死んでいないのであれば、どちらかの症状を抱えてしまったと見る他ない。
健在であるなら、その不安を払拭するために一度は無理をしてでも姿を見せるだろうから。
それもあって、実はホーシン商会からは事前の予定にあった戦勝報告会を遅らせて良いと打診をしていた。
この戦いで共に戦い、散っていった鉄の牙の団員たち。彼らの手前、アナスタシアはいつも通りの冷徹な一手は打てない。あまりの激戦であり、その中でのクルシュの奮闘は彼らから確たる尊敬を勝ち得ていた。
撤退戦の際に鉄の牙は撤退しても良いにも関わらず、命を張ってクルシュを助けたものがいたほどだった。
この影響は無視できない。
リカードすら白鯨討伐の最後の勝鬨はやばかったと素直に褒めている。お嬢を知らんかったら、あっちついていっとったかもな!というのは正直な感想だろう。
だからこその配慮だったのだが、意外にもクルシュ側から最短の実施を熱望してきた。
きっとあの書記が何かしら企んでいるのだろう。
「ええやん。面白いわ」
アナスタシアにとって、全力でもどうなるかわからない商売敵というのは実はあまりいなかった。
まだ地力で負けている相手は多いが、それも全部時間の問題だと思っているし事実としてもそうであった。
だからこの王選におけるクルシュとの堂々の戦いを、どこか楽しんでいる自分もいる。
これまではクルシュを貴族としてはあまり警戒していなかったが、あの書記がいるなら油断はできない。
好敵手まで欲しがっとるんか。ほんましゃあないなウチは。
全力で戦うとしよう。
あらゆる準備をして、根回しもしっかり万全。アナスタシアは戦勝報告会へと向かった。
晴れ舞台からそこに集まった人々を見渡す。ちらほらホーシン商会のものたちも見かけるが、鉄の牙の姿はない。傭兵であってもこれほどの功績を上げれば堂々と王城に入れるはずだったが、食べ物がないとわかると一転して飲み屋街に消えていった。
ここで立食会ができればその経費は浮いたのだが、予定していた立食会が中止となった。
単純に、人数が膨れすぎて不可能だった。
王城の大広間は人で埋められ今か今かとその時を待っていた。
そして後から会場に入り、喝采と共に舞台へ上がるのは今日の主役。
『戦乙女』『百人一太刀』『白鯨落とし』
数々の異名を持つ王選候補者。クルシュ・カルステン公爵その人である。
着飾ってほんまお綺麗やね。でも、やっぱ物足りないわぁ。目ざとい連中には気づかれるんとちゃう?
クルシュは恐らく記憶を失っている。『眠り姫』でないのは喜ばしいが、記憶を失うというのはそれだけで致命的だ。
しかしその上であの書記が何を仕掛けてくるのか。それを打ち破るためにも、クルシュの演説の後に自分の番を回してもらった。
というより、不自然なまでにこの戦勝報告会の采配についてはこちらの意見が通った印象がある。
あらゆる場面で有利を取るために手を打ったが、全て通り過ぎていて気持ち悪い。
のれんに腕押し。柳に吐息。ホーシン語録が思い出されて不安になる。
そんな話をすると、リカードは「あんまやりすぎんとけ」とほんのり言い含めてくるほどだ。
もしかすると、鉄の牙との不和が狙いだろうか?だとすればお粗末な策である。
彼女の様子は、端的に言えば緊張している。不安を感じ、それを出さないように全力で取り繕っている。
遠目にはわからないかもしれないが、近くにいる貴族や商人たちは皆が気づいているだろう。
「え〜、皆さま。本日はお集まりいただき感謝したします。報告へと移る前に一つ説明をせねばなりません。ぁ、それは、私の状態についてです」
「私は王都への帰還の際に、ま、魔女教大罪司教に襲撃を受けました。その際に我が騎士たちの奮戦もあり命は拾いましたが、いくつか、いくつかの記憶を奪われてしまっています。これまで私と話したことのある方もここには多くいらっしゃるとは思います。ただ申し訳ありません。私はそれを覚えていないかもしれないのです」
会場が静まり返っている。
「そのような身の上ではありますが、皆様に託された期待や支援、そして彼女、アナスタシア・ホーシンの強力な支援のもとに我々は白鯨を落とすことに成功しました!」
いよいよ報告された本題。すこし唐突ではあったが、待ちに待ったその報告に会場は沸く。
「さらには王選候補者の一人、エミリアの手助けを得て大罪司教の怠惰の討伐に成功しています。彼女の一の騎士は白鯨討伐においても比類なき戦果を出しており、それをここに報告させていただきます。これも皆様の支援のおかげであると聞いています。皆様、本当にありがとうございました」
聴衆は万来の拍手で反応をとる。
さらに怠惰の討伐を初めて知る者もいたのか、会場が活気づき賞賛が飛び交う。
その声が落ち着くまで、クルシュは所在なさげに立っていた。
かつて沈黙を思いのままに操って、盛大な演説をした人間とは思えない。
いや、別人なんやね。
アナスタシアは一切表情を動かさず、どこかに落胆を感じる。
敵が弱くなるのはいいことのはずだが、どうにも調子は出ない。
続くクルシュは白鯨討伐のあらましを伝え、聴衆はそれに驚き興奮し、そして聞き入った。
拙い様子も最後には堂々としており、やはり生来の気質は感じる。
当初は困惑していたものたちも、その片鱗を感じ激戦の詳細を聞いていると気にしなくなっているようだった。
その報告が落ち着いた。
予定なら、次はウチの番やけど…
クルシュは再び緊張をしている。その様子は何かを済ませた者の様子ではない。
彼女は意を決して口を開く。
「私は記憶を失いましたが、これからも皆様の期待を背負って立ちたいと思っております。しかしながら私は皆様のことを知らない。失礼を承知で、私からお願いがございます。この報告会の後、別室にて時間を設けます。私をこれからも支えてくれるという方はぜひそちらにて親睦を深めさせてください」
まずい。アナスタシアは焦る。
これはまずい。王選候補の対抗馬としての焦りと言ってもいいかもしれない。
この一手は全く予想していなかった。
だってこの一手は、
これをすれば、せっかく成した白鯨討伐による利益の多くを失うことすらありうる。
それほどの愚挙を彼女はしている。
会場から熱が失われ、困惑が支配する。
何を言い出すんだ?今ここで?そんな当然の疑問がつい口に出るものすらいる。
これほどの自滅を見逃しては、鉄の牙からの信頼を失うかもしれない。ナツキ・スバルも怒るだろう。
商人にとっての夢を叶えた恩人でもある。手段は選ばないが、勝負の舞台に上がる以前に怪我をしそうなら手ぐらいは差し伸べよう。
しゃあないなぁ。と普段なら絶対にしない助け舟を出してやる。
「クルシュさん?その別室にはウチも参加するもんと思ってええかな?きっと皆さんも色んな人と話したいと思うてはるし」
その助け舟を見て、安心するもの。意外性に驚くもの。そして弱点を見つけたとでも言うように目を細めるものたちがいる。もしこれをウチの通常営業やなんて思って近付いてくるなら儲けもんや。全部いただいたる。
しかし、この意図が丸見えの助け舟を、なんとクルシュは拒絶した。
「いえ、お気遣いありがとうございます。けれどアナスタシア様はこちらにお残りくださいませ。別室には私が参ります。そこでは皆様に、宣誓をいただきたいと思っています。『勇敢で不正をせず王国のために自ら立つ』これを宣誓として受け取ります。その言葉に私も報いましょう」
助け舟を拒否するどころではない。自ら船底に穴を開けるかのようなトドメを自ら…
ああ、これはどうやら事前の調査が正しいのかもしれない。
あの書記は、どうやらカルステン家から離れたメイザース領で先日の後始末をしているらしい。
きっとやることはやっているのだろうと思ったが、今日に至るまでのカルステン陣営の動きの悪さも明らかに演技ではない。
恐らく、フェリスと呼ばれる一の騎士。あれは書記と不仲らしい。弱体化したクルシュの横に彼がいれば陣営の主導権を奪われる。それを恐れて引き離したのだろう。王選においては悪手だが、クルシュだけを思えば理解できなくもない。
書記の彼は生粋の合理主義者で現実主義者と聞いている。この状態のクルシュを王位につけるより、早めに王選から離脱させるためにこの一手を取った可能性もある。
今やこの戦勝報告会という場所は王選におけるアナスタシアの首位独走を見せつける場所になっていた。
もはや遠慮はいらないだろう。全力で利を取りに行く。
演説が始まる。アナスタシアは挨拶もそこそこに場を温めて、本題を切り出した。
「ウチはみんなと仲ようできると思ってます。そのうちことが進めばきっと誰かを選ぶことになる。けどまだまだ始まったばかりで皆さんウチのことなんて知らないでしょう。今日は知ってもらうための最初の一歩になれば嬉しいと思うてます。ウチのとこに話した後でも、クルシュさんのとこ行ってもらってもええからね?」
イタズラっぽく茶化しているが、そのスタンスを明確にする。
そして報告会は次のフェーズに移っていった。
アナスタシアはかつてないほどの人に囲まれ、言葉を交わす。
社交辞令の中にも実益のある話を忍ばせるものが多い。やはりこの場は当たりの戦場だ。
それも大当たりである。誰もケチな交渉をしようとせず、互いに胸襟を開いている。
いつも通り利益の最大化をしながら少しクルシュについて考えた。
クルシュはつまり、今すぐに陣営を決めろと言っていた。焦っているのだろう。誰が敵なのかわからないのだろう。不安なのだろう。そして彼女は嘘を見抜ける。だから信頼できる人を見つけるつもりなのだ。
それはやるべきことだ。けれど、こんなに多くの人の前でやることでは決してない。
クルシュに好意的だったものでも、今すぐ決めろと言われれば当然尻込みする。ましてや今、クルシュは記憶を失っていると宣言したばかり。
そんな弱った姿で決断を迫っても、よほどのもの以外は寄りつかない。静観するものたちは恩知らずでも臆病者でもなく、当然の反応と言える。
さらにこちらには、そんな余地がいっぱいあるよと懐の深さをアピールし、相手の利益に最も適う一言を投げかけてやった。
彼らは周囲を囲んで美辞麗句を並び立てているが、まだアナスタシアを支援するかなど決めていない。
ただ決めたのは、
会場から気づかないほど、まばらに人が消えている。
彼らはきっとこの場でこの大多数に背を向けることの意味を知りながらもクルシュを支えに行ったのだろう。
その数は決して多くない。
何もせずにいれば手に入るはずだったあらゆる機会はこちらが握った。
王選における決定的な一打を決めた感覚がある。
だが、その感触の割にはどうにもスッキリしない。
自分にもまだこんな感情があったのだと驚きつつも、それは瑣末なこととして彼女は淡々と勘定を進めていった。
【アナスタシア・ホーシンについて】
王候補の一人。紫色の髪を腰までのばしたおっとりした雰囲気の女性。近隣国であるカララギにて商会を治めている大商人。関西弁に似た「カララギ弁」という口調で喋る。一見幼く見えるが実年齢は22歳。
商人らしく合理主義者で自身の利益を最優先するが、完全に冷血という訳ではなく、近しい者たちに対する情も持ち合わせている。向上心は非常に強く、王戦への参加もその一環である。
貸し借りはきっちりと守るなど、義理に厚い面もある。