一章と二章は穏やかに駆け抜けます。
【FILE:4】踏み込み
こちらに来てから数日が経った。
家令やメイドと会話をして過ごし、たまにクルシュとも話をしてフェリスに絡まれる穏やかな日々がすぎる。
すでに文字も覚え、屋敷で可能な範囲の情報を収集し尽くした感がある。
異世界の常識に驚くなど一通りこなすことはできた。中でも最大の衝撃はこの世界には海がないことである。そこから連なるあらゆる疑問は解決されないままだが、それをこの家の人々に聞いても仕方ない。
非礼に対する償いとしての魔法の教示。これはあまり進んでいない。
あまりにも魔法に対して無知すぎるため当初はフェリスが行うことを希望し通ったのだが、青と呼ばれる王国最高の魔法使いを子どもに教えるような内容に使うのはあまりにも無駄がすぎるということでフェリスの希望もあり変更となった。
治癒魔法というのは凄まじい。ぜひとも覚えてみたいがこちらに魔法全般を教えること自体をフェリスは嫌がっていそうだ。基礎がないことをいいことに青の魔法も出し惜しみをしておりしっかりと疑われている。これでは本当に聞きたい『秘蹟』とやらを教えてもらうなど夢のまた夢だ。
そろそろアプローチを変えてみようか。もう少し陣営に食い込んで行動して調査の範囲を広げたい。
さて、彼女たち公爵家の欲しいものはなんだろうか。
王選については知らされているが、開始すらしていない。他にも喫緊の仕事があるようだ。
通常ありえないほどの来客だとメイドも執事も疲労しているところを見るにこれは日常の風景ではない。そして何より引退騎士や明らかに戦士のような風体の人物もよく見かける。何かあるとしてどうやら戦闘も起こるらしい。
カルステン公爵家は一体何に対しての戦力を確保しようとしているのだろうか。
これまでの情報収集で知りうる限りの脅威を羅列して検討する。
内乱のため?いや準備が派手すぎる。そも剣聖は比類なき最強らしい。あの男がいる限り内乱は無理。
他国との戦争?違う。ならば王都に老兵を集める意味はない。
他の領地への侵攻?聞き込んでみればそれも違うとわかる。周辺の領地からも人が公に集まっているらしい。
野盗や盗賊狩り?あり得ない。そのレベルの脅威ならクルシュと剣鬼と呼ばれたあの男、元騎士団長らしい老執事で事足りる。それ以前に王国兵が動くはず。
魔獣対策?これも戦力過剰にすぎる。魔獣大国とは聞いたが国だって常に対策を…
そういえばクルシュが公爵家を継いだ美談の内容は何だったか。年嵩のメイドが食事の際に美談として語っていたエピソードを思い出す。
彼らは職務に忠実で今の仕事についての情報は一つも漏らさなかったが、クルシュについてのエピソードなどは聞かずとも語ってくれたものだ。
そうだ、あの話も魔獣だった。しかも有名な魔獣。そして、それは討伐はできないもので撃退したのみではなかったか?
また大兎が来る?残ったものを狩にいく?これなら筋が通りそうだ。
三大魔獣と呼ばれる魔獣は国であっても対処しきれていないと言っていた。しかし、前回は急場での対応で撃退できた大兎をわざわざこんなに時間をかけて討伐準備を進めるものだろうか。
詳しくは判別つかないが王選での実績づくりとしては十分なのかもしれない。
そうだ。
一般常識らしく家人に聞けばすぐにわかった。
一つは黒蛇。病を運ぶ黒い波のような災害であると伝わっている。
もう一つは白鯨。話を聞けば全てがつながった。これだ。
先代剣聖を失った剣鬼の執念。引退した騎士たちが再び剣を取る意味。王国が総力を挙げない理由も。
白鯨か大兎か。流れとしては白鯨に軍配が上がるだろう。
これらの推理を気軽に披露してみた。
「それで。もしその通りだとすれば話の続きがあるのか?ケイ、何を考えている?」
初日に浴びたような鋭い目つきで問われる。
「現状、自分の帰還に協力的な有力者はクルシュ様のみ。治癒魔法を学びたい自分としては青のフェリスも近くにいて最高の環境です。あなたの影響力が増すことは自分の利益にも繋がります」
「道理だな。損得での関係が明快であるのは好ましい。そして?」
「魔獣討伐の計画なら、多少はお手伝いできると思いますよ。すでに考えはあると思いますが異世界という全く別の視点からの意見も役に立つかと」
「ふむ。少し弱いな。もう少しないものか?なぜ客分として安全な状況からわざわざ核心に関わろうとする?」
「動機としてはそうですね。そこまで全幅の信頼をこの世界の誰にもまだおけていないというのが前提です。多少は使えるところを見せることで得られるものもあるかなと」
不敬と取られかねない発言だが、ある程度の性格は把握できている。この程度は問題にもならない。
鷹揚に頷き。続きを促される。
「そして何より、自分は鯨という生き物を知っています。こちらの世界には白鯨の元になった動物がいる。それを故郷では仕留めて食べたり資源にしていましたから。鯨という生き物に何が有効かは新しい情報をお渡しできます」
海がないのになぜ鯨を元にした魔獣がいるのか、この世界ではどうやって風が吹いているのか。雨はどこからくるのかなど当然の疑問たちは後に置いておく。
今必要なのは鯨についての知識だ。白鯨を生み出したとされる魔女は海を知っている人物であるという推測などは後回しで良い。
その告白に、剣鬼の雰囲気が変わる。殺し合いでもしているかのような空気。鋭い刃物でも向けられているかのような緊張感が場を満たす。
「ああ、それでは認めよう。今の推理は概ね正しい。我々は、白鯨を落とそうとしている。そしてケイの持つ情報を我々は欲している」
「それでは作戦計画を教えてください」
「クルシュ様!やっぱり変ですよ。たった数日でこんなことまで知ってるなんて変です!どこかの間者でもないと」
「フェリス。その話はすでに終えている。その推測は難しくはあれど不可能ではないだろう。何より彼の風は変わっていない」
語られる作戦とその根拠。
霧の発生傾向とその地域への哨戒網を敷設。
出現が確認された場合の即応戦力と追加の主戦力を整える手筈。
それらの戦力増強を日々行っている交渉など。
そして白鯨の情報も含めてその全てを伝えてもらう。忘却の霧については衝撃だった。これを喰らえば亜人であっても即死である。
「こんなこといきなり聞いても意味ないんじゃにゃいの〜?ただの学生だったらしいし詳しいことは知らないんでしょ?」
こちらをまだ疑ってるフェリスは皮肉げに聞いてくる。その通り。自分はこの世界については無知だ。けれど、聞くべき質問はある。
「最後に一つ聞かせてください。今回の討伐は、前回よりも有利な条件がどの程度ありますか?」
沈黙。それは本質をついた問いだった。
前回の大征伐と呼ばれる戦いは正規の騎士団をはじめとする戦力と剣聖が揃ってのもの。動員も多くその分生存者も多かった。そこから生き延びたものたちの証言は皆最初は優勢だったと話していた。
しかし剣聖の安否が確認できなくなると以降の証言は全員が違うことを話す始末だ。何が起きたのかわからない。混乱と混沌。それが結果だった。
その謎に対する回答やそのほかの好材料。純粋に上回る戦力を用意できていなければこれまでの失敗を繰り返すだけになる。
「クルシュ様の一太刀は、剣聖ですら届かない間合いまで届かせることが可能です。空から降りない白鯨に対して非常に有効な戦力となります。またこれまでの年月で向上した技術も多少はあるため遠距離の砲撃の精度や威力も上がっているでしょう。正直に申し上げましてこの程度ではあります」
忸怩たる思い。それでもここまで到達したのだという時点で偉業だろうが、それは討伐を切に願う当人にとっては気休めにならない。
「前回の失敗も踏まえて二の足を踏むものも多い。大兎を退けた私や邪竜を討った剣鬼がいても勝ち目は薄いと思われていることも事実だろう。しかし私は不可能ではないと思っている。私の願いのためにも、散っていった彼らの思いのためにもこの戦いと向き合うと決めたのだ」
真っ直ぐな目で覚悟を示す。それを受け止めて続きを聞いた。
「さて、当家は盤石ではないということが伝わってしまったかと思う。先ほどの話も踏まえてケイはまだ協力関係を続ける意思があるだろうか。士気の低い味方ほど厄介なものはないのでな。この点は確認させてくれ」
「ええ、いいですよ。やりましょうか」
あっさりと返事をしすぎたようで微妙な反応が返ってくる。
「いや、僕は真剣ですよ。死なないと言っても白鯨の攻撃は自分にとっても致命的です。そこは皆さんとあまり条件は違わない」
いや、所信表明よりも行動で示すべきだ。言い訳を中断し、思いつく限りの戦術や武器などの準備についてを語った。
その内容は今しがた白鯨の存在を確信したものの話とは思えないほど精緻であり、何より新しかった。
フェリスは憎らしそうな目を。ヴィルヘルムは純粋な驚きを。クルシュは、冷静に笑顔で口を開く。
「一つ、謝罪をしようケイ。実際に聞くまでは話半分にと思っていた。その非礼を謝罪する。そして、驚きだ。その推論能力と分析に敬意を。取り入れることができそうな発想がいくつもあった。感謝を伝えたい。これで勝ち目も増えるだろう。事が済み次第当家として可能な限りの支援をさせてもらおう」
「よかったです。ではどのあたりが使えない案でしたか?」
謝罪にも賛辞にも全く反応せずケイは聞いた。このところ緊張もないのか力を抜いた自然体の表情である。
そんな顔で聞きづらいものを聞くものだ。
少しの沈黙をおいてクルシュが問い直す。
「ケイにはわかっているのではないか?騎士に
「ええ、そうでしょうね。ではその辺りは忘れてください。出過ぎた発言を謝罪します。侮辱の意図はありませんのでご容赦を」
最善を話してはいたが無理筋ではあると思っていた。歴史上の武士や騎士の死に様を知っていれば予想はできる。
自分の提案には概ね剣が必要なく、鎧はただの重りにしかならない。しかし彼らはそれに命をかけている。
そこにどんな想いがあるのかはどうでもいい。興味がない。
美しい戦いをしたいというのも自由だ。言い換えれば、失敗の確率を上げることも自由だ。
それも仕方ない。けれど、それなら自分が手伝えることは限られる。
いや、これは言い方が卑怯だった。自分たちの歴史を見ても彼らはかなり柔軟な方だろう。昔の日本なら武家や公家に平民が講釈を垂れるなど自殺行為だ。
現代日本においても一部にはクズ呼ばわりされていた自分の方法が、この世界の住人に受け入れられるわけがないとすら思う。
というか数十年前の日本ですら、大砲の弾は旋盤加工ではなく手作りの方が良いと本気で言う人間がいたと知っている。戦時下においても、命がかかっていても、そうすれば8倍の生産量になる実利を説かれても、人は旧来のやり方や習慣、伝統を捨てられない。
それも自由だ。
そんな遊びに巻き込まれるのはごめんだが。
クルシュ・カルステンは考える。
ケイの速やかすぎる謝罪にフェリスとヴィルヘルムは少し安心したようだ。
この提案は機能すれば有効であろうが人はそう動かない。
そう、通常の騎士の常識から距離を置くフェリスでさえ、はっきりと否定的だ。
ケイの戦術の有効性は理解できるが、これを討伐隊に提案しては士気が瓦解する。
そもこの討伐は利益のために動いている人間などほとんどいない。
白鯨討伐の栄光は、実際にはリスクに対して全く釣り合っていない。前提からして合理などではないのだ。
これは残されたものたちの誇りをかけた戦いだ。妄執と言っても良い。
それが崩れれば誰もついては来ないだろう。
いくつかは採用して他は却下と裁定すべきだ。
「ケイ。その柔軟で突飛な発想は見事という他ない。しかし…」
否定の言葉を伝えようとしたときに風が吹く。
風が目についた。否、鼻についた。
納得。諦観。そして何より強い風、それが無関心。
その風に当てられて口が勝手に別の言葉を紡ぎ始める。
「何か言いたいことがあるなら、言うがいい」
「いえ、何も。こちらから言いたいことはありません」
「そうか、ではお願いだ。私は聞きたい。今何を考えたのだ?ヴィルヘルムにもフェリスにも一切口出しをさせないと約束しよう」
「それならあなたの…いや、というかわざわざ関係性が悪くなりそうなことを言いたくないので、どうかご勘弁を」
「いいや、私はそれを聞きたいのだ。何を言おうと不敬には当たらない。当家の名誉にかけて誓おう。何を考えたか教えてくれ」
ここまで強く押し問答をしたことはなかった。根負けしケイは話し始める。それなりに言いづらそうに。
「ええ、まぁいいですけど。なんていうか」
これから言うことは反感を買うだろう。それくらいは経験則でわかっている。けれど相手は嘘がわかるらしい。望んでいるなら話すしかない。
「率直に言えば、なんで真剣に本気でやらないんだろうとは思いましたね」
空気に明確な緊張が走る。ピシリと音がしたようにすら感じる。15年の努力を真剣でないと言われたヴィルヘルムは思わずといった様子で剣気を抑えきれていない。しかしそれでも言葉を遮らずに聞き続けている。
「どこが本気でない、真剣でないと?命懸けの戦であり、あらゆる不利を承知でみな剣を捧げている。それは侮辱と捉えられかねない発言だぞ」
「侮辱しているように聞こえますか?」
「言葉だけ聞けばな。吹く風に侮蔑の色はない」
「なんというか、作戦を聞く限り自己満足が多分に入っているように思えます。目的達成のためじゃない。それを本気じゃないと僕は思った。それだけです。思いつかないのは仕方ないですが、知ってなお最善を尽くさないというのは自分としては気持ちが悪いですね」
「目的達成のためなら、手段を選ぶべきではないと?」
「選びたいなら選べばいいと思いますよ。それで目的達成の確率が下がっても良いなら。それが僕から見れば自己満足に見えるんです」
別に無理に変えろとは言わない。命より大事なものかどうかなんてその人の価値観次第だ。でもそれでは白鯨討伐が至上の目的であるとは言えない。
「白鯨の説明は聞きました。不明点が多すぎますが、歴代の英雄や剣聖といった規格外の存在すら倒せなかった存在。その英雄たちの情報はしっかり残っていた。先代の剣聖は付けた傷が癒えない加護があり、そんな戦力でも倒せなかったということはそれなりの理由があるはずです。今の想定を超える何かがあっておかしくない。いや、あると考えるべきだ。そうですね。例えばですが、一番に思いつくのは死んだら無傷で蘇るとかですかね」
普通なら両断すべき意見だ。そんなことはあり得ないと。しかし、不死を自称する男の口は止まらない。
「無限に想定はできます。けれど一番重要なことはたった一つ。最初に聞いたように前回よりも高い戦力を確保できているのか。前回よりも広い対応や戦術があるかということです。それがなければ勝てる見込みは薄いと言わざるを得ないでしょう。僕だって今代の剣聖が動員できるならこんなにうるさく言いませんけどね」
その指摘はあまりにも的確で、どこかで妥協していた内容だった。
「人が新たな可能性を思い付かないのは想像力がないからです。人が習慣や伝統を変えられないのはその意志がないからです。あなたは、そんなこの国の現状を変えるために王になると言っていたように思うので少し残念でした」
先ほどの風。納得。諦観。それは私自身から吹いた風だったのかもしれない。
彼の放つ無関心の風。いや風という表現も変か。無風地帯では、別の風が良く見える。
自分の中の無意識を私はみていたのだろうか。
殿下のことを思い出す。この目の前の男と正反対の男のことを。
「私は、貴公の考え方が好きではない。心からの本心だ」
「ええ、そうでしょうね。クズと言われないだけでもありがたい…」
ため息をついて不毛な話を終わらせようとするが、遮られる。
「ただし、その考え方の正しさは痛いほど理解できる。心ではない。頭でだ。その冷たい思考が人を救い得るとも知っている。当然それだけでは人は動きはしないのだが、それは私の仕事だろうな」
だがそうだ。この程度は出来ないと白鯨討伐など出来ないのではないか。そう思えた。
「私にやれる事は全てやろう。そちらも全力で協力して欲しい。ここに先日の口約束よりも正式な契約を結びたい」
目をまっすぐに見つめて、威厳ある声が響く。フェリスが息をのみ剣鬼も身を正す。
「私が王になる手伝いをしてほしい。私はその時の私ができる限りの全てを持ってケイの目的たる帰還と調査に手を貸そう。これは対等な契約である。合意するならば今後は私をクルシュと呼んでくれ」
ケイはここで初めて笑顔を見せて手を握る。
「ええ、よろしくお願いします。クルシュ様」
手を握り、約束を新たにする。
ここに正式な協力関係が結ばれた。
加護が全てではない。いつだって自分の目で人を見てきた。風を読むことは補助に過ぎない。
クルシュは確信している。彼は嘘をついていない。そして、態度ほど冷たい人間でもない。
【鯨と捕鯨について】
クジラ(鯨、鯢、英: Whale)は、哺乳類のクジラ目に属する水生動物の総称であり、その形態からハクジラとヒゲクジラに大別される。捕鯨の歴史は古く紀元前から捕鯨を行う民族がいたと推察される遺跡が発見されている。日本では縄文時代の遺跡から鯨類の骨が発見されている。