王都での穴場巡り。これはなかなか良い。
昨夜はゴドフリーも帰還しメイザース邸における事件の顛末を聞いて、頼んでいたものも受け取れた。
屋敷でやることも消化して、再び店を巡っている。
すでに貴族たちからケイに向けた打診が出てき始めているので、そういう意味でも屋敷を離れていてよかった。
ちょうどいいからと交渉が始まり、なし崩しでお見合いが始まろうとした時には目を疑ったものだ。
当然断りはしたが。
そんな生活をもう一日続けていると、珍しい訪問があった。
酒も飲まず高級酒場で一人でぼうっとしていると、トゲのある声が刺さる。
「呆れた。本当にこんなとこで何してんの?」
フェリスが肩を怒らせながら、ケイに詰めてくる。
その声と姿に少し懐かしさを感じる自分に驚いた。
「休暇。働き詰めだったんだからこれくらいはね。それに朝にはすべきことを全部終わらせてる。文句を言われる筋合いはない」
「ふん。そんなんでくたびれるような奴じゃないくせに。クルシュ様を放っておいてこれがすること?」
「ああ、そうだな。3日も放っておいてしまって悪かった。それで、4日も放置していたお前はなんでここに?」
最大の急所を突かれて、苦痛に歪むフェリス。
「クルシュ様がお呼びなの。早く戻って。フェリちゃん的にはこのまま帰ってこなくたっていいと思ってたのにとっても残念。ていうかケイきゅんはこんな落ち目の陣営に興味あるの?目的が大事なんでしょ?」
これが本題らしい。
「別に落ち目とも思わないし、アナスタシア様に抜かれてもいまだに影響力は大きい。まだまだやれる。本気でクルシュさんがそう望むなら」
「何を抜けぬけと言っちゃってさ!あの報告会だって基本の方針作ったのはそっちでしょ!?何かあるかと思ってたのに、やっぱりあれは利敵でしかなかった。頭の良さだけは信頼してたのに本当に…」
「待たせているんでしょう。早く行こう。別に話したくない相手とは、長く話すべきじゃない」
白鯨と怠惰討伐を超えて育ってきたフェリスとの信頼関係は、クルシュの記憶喪失と共に揺らいでいる。
しかし、ケイとしては別に隔意はない。
その『青』の技は尊敬しているし。フェリスの性格は苦手で嫌いだと思っているだけだ。
「これは忠告。クルシュ様は、本当に一杯一杯なの。記憶がないのに限界まで頑張ってる。これ以上傷つけたりしたら許さない」
許さないならどうするのだろうか。また詰め寄って謹慎して、クルシュを一人にするつもりだろうか。
そう思ったが、口には出さない。それこそ無駄というものだ。
迎えの竜車に乗り込む。フェリスとしては当然ながら無言で、気まずい雰囲気のまま屋敷まで進むかと思ったが。
ケイは何も気にしていない様子で積極的に治癒魔法について聞いてくる。
血液に対しての効果。心臓や脳に治癒し続けることによる延命について。
その態度にも腹が立つが、それに答えないことは青としてできない。
そして話は、エルザの蘇生について触れる。
2時間以上の心肺停止。1時間以上の魂の不在。それを超えて生き返ったという話を聞いて、フェリスは大声をあげてしまった。
「そんな、あり得ない!何かの間違い!魂が抜ければ肉体はどれだけ治っても蘇ったりしない。それを基準に…だって…それなら今までの人たちは…」
「僕の認識違いもあるかもしれない。相手の体質の可能性もある。ローズさんが立ち会っていたから後で聞いてくれ」
絶句するフェリスは二の句が継げない。
ケイはフェリスの受けている衝撃を把握していた。
自分はまだ経験したことはないが、医療の歴史ではたびたびこれは現れるのだ。
『正しいと思っていた治療方法が、実は間違っていた』こんな残酷な話は、正直珍しくもない。
それは昔よりも減ってはいるが人類がいまだに克服したとは言い難い。
フェリスの気休めにはならないから言わないが、ケイの知る失敗に比べてフェリスのそれは気に病むようなものじゃない。もっと蘇生に時間をかけていれば生き残ったかもしれないという話と、間違って殺してしまっていたという話は次元が違う。
その歴史を少し伝えておこうか。
「もし、治癒魔法がなかったら。人がどんな過ちを犯していたのか。その可能性の話をする」
元の世界の医療。その過ちの歴史をケイは淡々と語った。
水銀という猛毒が、何百年もの間万能薬として利用されてきたことを。気分の落ち込み、便秘、梅毒、流行病、寄生虫など、どんな症状であれ、とりあえず飲ませていた時代があったのだ。
フェリスは歯噛みする。何か近い過ちがこの世界にもあったのかもしれない。
紀元前1550年ごろのエジプトの医学書には「泣きやまない子どもにはケシとスズメバチの糞で静かにさせよ」と書いてある。アヘンと虫の糞を混ぜて赤子に与えるなど狂気の沙汰だが、昔のことだからとバカにはできない。3000年以上経った20世紀の教科書にも、子どもの夜泣きや歯ぐずりにはアヘンとモルヒネの調合薬が効くと記載があったのだから。
最新の狂気にして最悪なのは『ロボトミー手術』だろう。精神疾患患者の頭蓋骨を開き、前頭葉の一部を切り離す手術を治療と呼んでいたことを語ると、フェリスは吐き気を抑えるように口に手を当てて浅く息をし始めた。
そんな行動でも、当時は正しいと信じられ、善意のもとに行われてきたのだ。後から愚かであるということはできるが、彼らが悪であるわけではない。
そしてそんな失敗から学び、世界の寿命は伸び続けている。世界人口や日本の平均寿命を聞くと、フェリスは飛び上がって驚いていた。
治癒魔法なしでそんな人数を、そこまで生かすなんて。意味がわからない。
「で、なんなの?今の話は。まさかまさかフェリちゃんのこと慰めたりしてるわけ?ケイきゅんが?」
「いや、前からこちらの医療の歴史を語ろうとは思ってたし、良い機会だったから話しただけだ。勝手に慰めと受け取るほどに傷ついていたならそれはよかった」
この二人は、相性が悪い。特にクルシュを中心に据えると、どうにも合わない。
しかし、人を癒し治すという一つの共通の目的があれば並ぶ事はできる。
敵対しきらず、仲良くもならない。奇妙な空気のまま、竜車は屋敷に到着した。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
フェリスは同席しないらしい。クルシュは以前よりもやつれたようで、目の下の隈も無視できないほどになっていた。
応接室ではなく、クルシュの執務室で向き合う二人。
しかしクルシュはこちらの目を見ず、伏目がちに視線を揺らしている。
「なぜ、今まで話をしに来なかったのですか」
少し責めるような色を含んだその質問。クルシュは自分の言葉に自分で驚いているようだった。
「具合が悪そうだったので、そちらからの声掛けを待つことにしました。そうお伝えしたはずです」
きっとこんな回答が来ることをわかっていたのだろう。少しの間を置いて、別の質問に移って行く。
「ここ最近の行動を皆様に聞きました。なぜ、そのようなことを?」
「まず、ここに来てから一か月近く休みなく働いて、文字通り一日中寝ずに働いてたので休みたい気持ちがありましたね。それにずっと休んでいたわけじゃない。最低限の仕事はしていました」
再びの沈黙。
「こちらの事は、聞かないのですか?」
「大体は聞いてますが、そうですね。改めて、どうでしたか?」
ふうーと長いため息をついてから話し始める。
「散々な結果です。私は任された事を何一つできませんでした。多くの方に離れられて。支えてくれる人たちに迷惑をかけ続けました」
今でもその光景が焼き付いているようで、まるで傷が痛むように顔を歪めてそう告げる。
そしてその顔は自嘲的な色で笑う。クルシュのそんな表情は初めて見た。
「そんな醜態が面白かったのか、人と会う事は予定よりも多くなりましたよ。失望されるだけの場合がほとんどでしたが」
俯き、涙を拭っている。
「私は皆の期待に応えたい。けれど、私にはそんな能力がなかったようです」
悲痛な叫び。それを受け止める相手はしかし。
「そうですか。お疲れ様でした」
———永井圭であった。
そのあまりにもと言える態度に、温厚なクルシュであっても火がついた。
「なんですか。それは…」
だんだんと大きくなる声と怒気。
「もっとあるでしょう?手酷い失敗を怒らないのですか!?期待を裏切った落胆はっ…!?」
それは膨れ上がり、途端に萎んでいった。
「何もないということは、何一つ期待などされていなかったということですね…」
ぽつりと、絶望を呟く。
「私なりにがんばりました。でも、ダメなんです。以前の私はきっと歩くだけで、話すだけで人を感動させていたのでしょう。まさか歩いて近づいて、口を開いて挨拶をするだけで落胆されるなんて思っていませんでした!」
もう、止まらない。生まれて初めてのストレスが、抑圧していた不安が、無視していた怒りが、その全てが溢れて止まらない。
「わたし、わ、私は。私は何もしてない!なのに!なんで…まだ誰にも何もしていないのに、なんであんな…あのような風を私に向けるのですか…」
肩を震わせながら涙を溢れさせ、嗚咽がこらえきれずに漏れ出ていた。その声は深い悲しみがにじみ、静寂の中に響き渡る。
「誰一人として私なんかを見ていない。みんながみんな、以前のクルシュ・カルステン公爵を見ている」
「頼りにするのは『戦乙女』。聞かせて欲しいのは『百人一太刀』の逸話。会いたいのは『白鯨落とし』なんです」
「誰も私なんかを求めていない。それがしっかりとわかりました」
そしてようやく、こちらの方に目を向ける。
しかし互いの視線は交差しない。相手の何かを見るように、その奥の何かを見るように目は合わない。
「あなたが離れる前に言った言葉もそう。やっと理解できました」
「愚かな私はその真意に気づいていなかった。あなただけは前の私を見ていなかった、だから嬉しかったんです。喜んでしまった」
「でも違うんですね。あなたは等しく誰も見ていない。期待していない。それなのに勝手に舞い上がって…」
「っ本当に、バカみたい…」
もうだめだ。止めることができない。溢れる思いが抑えられない。
「フェリスだってそう!色々な治療法を試してくれました。嬉々として挑戦して、ダメだったら落ち込む。でも、
「だって記憶の治療が成功したら私は?私は消えるかもしれない。それは
記憶が戻っても今のクルシュは消えないかもしれない。けど消えるかもしれない。誰にもそんなことはわからない。
だから怖いのだ。
「私が生きて戻ってほっとしていると、フェリスは落ち込むのです。それを私が慰めるとき、どんな気持ちかわかりますか?」
「でもそんなフェリスとの会話が私の最近の楽しみだったのです。恐怖はあれど、寄り添ってくれる姿にどこか救われていました。おかしいですよね」
はぁはぁと。彼女は生まれて初めての癇癪を破裂させて、その顔は紅潮し、しかし同時に血の気も引いているように見える。
ようやく、こちらの目を見た。激情に彩られたその目がどんな意味を持つのかケイには読み取る能力はない。
クルシュはケイの目を見据えた。その目はここまでの醜態を晒してもなお、揺らいでいない。
「いいえ、気持ちはわかりません。何一つ。僕は人に期待しない。誰にでもです。それはその通りだ」
そして宣告される言葉。もう聞きたくない。
もういいと、その場を立とうとしたが足に力が入らない。その隙に言葉にも止められた。
「一つ、勘違いを訂正させてください」
「僕は期待はしません。けど想像はする。その人物なら出来うるだろう事は事実を元に想像します。そして、それを任せることもある。ヴィルヘルムさんに敵を斬ってもらうように、フェリスに怪我人を診せるように。だから、今回も僕はあなたができるであろう事を託しました」
「そしてこれが勘違いの本題ですが、別にクルシュさんは、僕の想像通りに仕事をしてくれました。話した貴族の記録は見ましたが、想像を超えた人数です。つまりあなたは仕事を十二分に果たしている」
「失敗というのは、あなたの個人的な意見です。僕の意見じゃない。僕の考えを勝手に決めるのはやめてください」
クルシュは困惑する。無様に喚きながらも頭はどこか冷静だった。恥ずかしいと思ったが、止まらなかったし、止めたくなかった。失態に気を病み部屋に閉じこもれば、きっとここまで言えば、さすがに優しくしてくれるのでは。
そんな思いが心の内にあったように今さら気づき、本当に消えたくなる。
しかし、ケイは今なんと言った?
前提を全て無に返すような言葉に理解が全く追いつかない。
「この、無様な失敗が想像通りということですか?」
「ええ、そうですね。無様な失敗と感じているのは僕ではありませんが」
続く言葉を見つけられない。彼が一体何を言っているのかわからない。
「それで、どうしますか?続けますか?」
「一体、何を…」
「僕はここを離れる前に言いました。王を目指す道は険しいものになると。あなたは答えた。恐れなどないと、皆の期待に応えたいのだと。今でもまだそう思っていますか?現実として悪意や敵意や嘲笑や失望を浴びて、それでも王になることがやりたいことですか?」
その問いかけは揺るがぬものだった。以前もその時の全力で真面目に答えたが、やはり今とは全く言葉の捉え方が違う。
だって、あれは本当に辛いものだと知った。前は知らなかったのだ。
「僕は責めているわけじゃない。わかるでしょう。個人的には国のトップに立つなんて正気じゃないと思ってます。僕ならそんな苦労は死んでもごめんですね。理解不能です。自分を優先して守ることが合理的な選択です」
この必死の努力と挫折を指差して、理解不能と言っているこの男は一体なんだ?それを一切、嘲笑の風を吹かさずに言い切るこの男は一体なんなのだ?
「僕とあなたの契約は、あなたのやりたい事を手助けする、です。もう一度聞かせてください。あなたのやりたい事はなんですか?」
数分の間、対話が止まった。長い長い沈黙。しかし引きこもった三日よりは短い。
それを破るのは、いつだってクルシュの方だった。
流石にここまでされればわかる。彼はただ救うことはしない。彼はそう決めている。
だから自分で歩かねばならない。最初に自分で言った通りに、自分で決めなくてはいけない。
少し前の私の言葉はなんて軽かったんだろう。そこに中身はなかった。でも言葉だけは今も私の中に残っている。
「私は何もわかっていませんでした。実際に触れても敵意や悪意は怖くない。体は震えますが、私の芯には届かなかった」
あれに立ち向かうくらいならいくらでもやれる。ただ…
「本当に辛いのは、失望のあの風。あれは耐え難い。そして、私を支えてくれる人たちに苦労をかけること、これも本当に嫌です」
本心だ。あれから逃げられるならなんでもできると思った。
「ではやめますか?それがいいと思いますよ。これまでは前の自分に迷惑をかけられたでしょうし、前の功績を存分に使ってゆっくりと自分を見つけるのも良いでしょう。やることなんていくらでもある。わかりますよね。これは本心から言ってます」
こちらを思いやるつもりなどないのに、優しい合理の風。
できないものは仕方ないだろう。心地よいそれに乗ってしまおう。
何も考えたくない。
そうしようと思った時に、鼻につく風が。否、目障りな風が吹いた。
納得。諦観。そして何より強い風。それが無関心。
それは私から起こる風だった。
『これ』が私のやりたいことなのか?この風が?
———違う。
それだけは違うとわかる。これに身を預けるのだけは嫌だ。
ケイは知らない。そのような風の存在を。
クルシュは覚えていない。この風が二人の間に生まれるのが二度目であることを。
今は全てが前回と違ってしまっている。だがそれでも、以前と同じくこの風はクルシュの風向きを変える。
唇をかみしめて目を伏せた。胸の奥でくすぶる感情が波のように押し寄せてくるが、それを力強く押し返すと、静かに顔を上げた。
涙を流しながらも前を見る。
「もう、もう怖くないなどとは言いません。皆の期待に応えたいとも。本当に王になりたいのかはわかりません。でも、前に進みたい。今のままでいるのは嫌。もしかしたら途中で変わってしまうかもしれない。けれどまずは、自分が目指した道を私も歩いてみたいと、まだ性懲りも無くそう思っているのです」
話しながら、言葉を自分の確信に変えていく。
「この国を、みんなをもっと知りたい。そのお手伝いをしてくれますか?」
「ええ。いいですよ」
本当に、どんな問いにも同じように答えてくるのだ。この男は。
「励ますこと、慰めることなどは業務の範囲外。というか僕にその能力はないですが、あなたを王にするくらいならできると思います。途中で目的が変わるようなら事前に適宜相談ください」
なんともないように最低と最高のことを言う。
なんでそんな簡単なことができなくて、そんなに困難なことができると言えるのだろうか。
「一切嘘をつかずにそんなことが言えるのはあなただけでしょうね」
ふふっと少しだけ笑って気を持ち直す。
そして少し対話をして落ち着くと、問うべき質問があることに気づいた。
「ところで、なぜあんな事をしなければいけなかったのですか?ちゃんとした理由を教えてください。それに納得できなかったら怒ります。本当に大変でつらかったのですよ?」
「もう充分怒ったでしょう。それはですね…」
クルシュはケイの話を聞いていく。
その語り口調は変わらない。契約も少し前にした内容と変わりはしない。
けれど、確かに変わったものがあった。
真っ直ぐに自然体で、この不可解な男を見据えて、クルシュは心から笑えていた。
2話もスッキリしないオリジナル展開でしたが、ここまで読んでいただき嬉しいです。
今後ともよろしくお願いします!