近頃の王都は噂に事欠かない。
尊き王族の連続死。王選と竜の巫女。白鯨と魔女教大罪司教の討伐。
それらは次の刺激を求めていとも容易く移り変わり続けていく。
最新の話題は、正体不明の黒い影だ。
噂が止めどなく流れている
悪を裁く何かがいると。
しかしそれは正義などではないと。
不正に手を染めたものには黒い影が悪夢の如く襲うのだ。
その噂は今までの何より得体のしれない小さなもの。けれどなぜか他の大事件と同じような速さで回っていく。
まるで誰かが煽っているかのように。
商人は情報を集め続ける。
息をするように情報を集めて選別し、自らの利益に変えていく。
アナスタシアは当然その噂を聞きつけるが、内容自体にはあまり興味を払っていなかった。
物事というのは色々な側面が語られるものだ。噂から批判。イタズラから陰謀まで全てが耳に入ってくるなら、真実を見分ける方法を身につけなくては仕事にならない。
それはズバリ。最終的に誰が儲けを得たのかだ。
風が吹けば、桶屋が儲かる。
なら風を吹かせたのは桶屋である可能性が高い。風属性の魔法使いであるならさらに疑惑は濃厚だ。
今話題の噂で、いったい誰が儲けているのだろうか。それは明白だ。何一つ隠すところはないというほど堂々としている。
クルシュ・カルステン公爵。
白鯨を落とし、怠惰を退けた英雄。
しかし、記憶をなくし今では精彩さを失った姿を見せてしまった。
それは致命的な隙だった。
失敗を隠そうともせず、先代当主すら王都に呼び寄せて必死な姿を見せ続けている。
見栄を張れなくなれば死ぬのが貴族という生き物だ。商人にはない不自由さが彼らにはある。
貴族としては、あの報告会で死んだと言ってもいい。
あの書記と離れていよいよ敵にならなくなったと思ったが、彼が戻った途端にこれである。
彼女はすでに眼中にないが、やはりあの男は面白い。
早速会って確かめてみようか。
商人とは早さが命。
そう決心した翌日にはクルシュとアナスタシアは向かい合っていた。
わざわざこちらが相手方に出向くことはしない。中間にあったちょうど良い店で会合を開く。
それは少し前まではそれは大変な不敬に当たる、不可能な提案だった。
同じ候補といえど、こちらはカララギ出身の一商人。そんなことをすればルグニカの貴族から反発は必至。
しかし今では、対等であることを示さねばならないほど期待を背負っている。
多少の敵を作っても通さねばならないものが今のアナスタシアにはあった。
「えらい申し訳ないわぁ。足を運ばせてしもうて、忙しいやろに」
「いえ、構いません。屋敷を出るのも久々でしたから良い気分転換になります」
「へえ。なんや前と違って調子よさそうやね。もしかして、あの書記君の仕事なん?」
そう問いかけて反応を見る。今の彼女であれば表情から心の内を読み取れるだろう。
嘘がつけないのはお互い様だ。
「ええ、ええ。そうです。ケイのおかげですね。全部、あの男のせいにしても良いですよね!」
その感情は、読み取りにくいことこの上ない。
後悔。怒り。そして覚悟と高揚と親愛?
さぞ複雑な出来事があったらしい。落ち込んでいたところを励まされただけであればこうはならないだろう。
本気で参っている様子でもあった。しかし、それでも折れていない。少し意外だ。
やはり根は以前と一緒ということだろうか。
「まぁこんなんは本題の前の雑談。そう気ぃを張らずにいてもらえれば助かるわ」
「王都の噂、聞いとるよね?あれについてはどこまでご存知なん?」
クルシュは首肯し、真剣な眼差しを向ける。
「あの、黒い影についての噂ですよね。あれについてはこちらも無関係とは言えません。私たちなりに調べているところです」
黒幕であろう目の前の人物はしかし、本気で言っているようだった。
「へえ。何かわかったことでもあるん?」
「いえ、それが全くと言っていいほどわからないのです。手口も、動機も。仮に犯人の目星はついたとしてもこれではなんの意味もない」
これは面白い。ここに来てよかった。クルシュは黒幕ではないとわかったのだから。
彼女もまた犯人を本気で問い詰めようとしている。しかし、尻尾を掴ませていないらしい。
犯人はわかっているのに、その方法がわからない。そんな憤りなのだろう。
「これからウチらも調査しようと思うてるんよ。何かしらわかったら、お互いに共有するなんてどう?」
協力の申し出。さぁどう反応するのだろうか。
「いえこれは私がなさねばならないこと。協力いただくことも、することもできかねます。申し訳ありません」
迷いなき姿勢で拒否される。
これは仕方ないか。しかし犯人の目星はついた。これなら結果は上々である。
相手が退室し、クルシュは考える。アナスタシアの疑惑は正しい。
明らかにこちらの陣営が何かをしている。ここまで露骨に味方が増えているのだ。
それも単純に味方が増えるのではない。
相手の駒をとって自分の駒とするような。横暴とすら言える方法。
なぜなら相手は心の底から望んでいるわけではない。
いや本心で宣誓はしているのだが、それに至る経緯、そこには明らかに暴力や脅迫が介在している。
こんな方法は間違っている。
だからケイをもう一度問い詰めた。
すると彼はやはりあっけらかんと言い放った。
「その曖昧な噂とやらについて。僕が言いたいことは特にないです」
雑な言い逃れ、流石に許さない。
「いえ、逃しませんよ。あれは明らかに異常です。あなたがやったことであることはわかっています」
「じゃあ一つだけ。僕はその黒い影の噂について、指示を口にしたことも何かをしたこともありません」
嘘を吹かせずに言い切るケイ。絶対にこの男であるはずなのだが…
恐らくケイは意図的に穴を作って私に加護の扱いを練習させてくれている。
よく考えて、穴を見つけた。
「それは文字で指示をしているというわけではありませんね?」
「ええ。もちろん筆談や手紙なんかも使っていません」
もう少し考える。そうだ。もっと大きなところを確認しなくては。
「手段を問わず、あなたが指示を出していないと言えますか?」
よくなったとケイは少し相好を崩す。
「はい。僕はどんな指示も出していません」
嘘ではない。これでいよいよわからなくなってしまった。
そして宣言される。
「疑うのは自由ですが、何をしているのか証拠を掴むなどしない限りは、疑いだけで僕の行動に制限をつけることはやめてくださいね。言質だけでは人の行動は縛れませんよ」
むむむと、頭をひねるが特に反論を思いつけない。
ケチをつけるような文句だけしか思いつかなかった。
「もし、そうすればどうなりますか?」
「さぁ別の陣営に転職でもしましょうかね」
それは絶対に嫌だ。有能なものは一つの場所に縛られないそれは当然だが、怖くもある。
「わかりました。誓いましょう。確たる証拠がなければ行動を制限することはしません。ただし、こちらが証拠を突きつけたなら、こちらの指示に従ってもらいますよ。あなたを衛兵に突き出させることなどさせません」
外部の者に露見するくらいならこちらで見つけよう。
クルシュはフェリスとともに調査を本格化させる。
先のアナスタシアとの対話。それはこの決心の数日後のことだった。
「最後に、風見の加護は万能じゃない。あるとわかっていれば対策が可能だ。それを自分でも考えておいてください。あなたと会って会話する貴族は、それこそ前の晩は寝れないほど考え尽くしているのですから」
衝撃の事実。余裕綽々に見えた貴族たちは皆寝不足で緊張していたらしい。
そんなこと少しもわからなかった。
やっぱり私は…いや、これから学べばいい。
ケイも行動で示してくれている。
「これからも、頼りにしていますよ。ケイ」
こんな風に語りかけると、決まって言葉で返さず肩をすくめてどこかに行ってしまう。
その横顔を見たいから、ついこんな風に言ってしまうのだった。
拠点に戻った商人は、その伝手を駆使して動き始めた。
ユリウスや先の討伐時に貸しを作ったものたちに働きかける。
近衛騎士団から正式にユリウスへ捜査権を与えさせるためだ。
これは恐らく通るだろう。
この不穏な噂を止めたいと騎士団だって思っているはずである。
「噂の調査。その担当をユリウスに、ですか」
「せやね。いっつも騎士団の仕事よりウチのこと優先してもろてるし、たまには恩返しせなあかんかなって」
政治に疎いマーコスであっても流石にわかっている。あの一連の事件は、カルステン家に連なるものの仕業だろう。
彼女はそれに大手を振って対抗したいのだ。
貴族の不正が暴かれるか、改心する、それは良いことではあるが、この手段を許せば法とそれを重んじる騎士は揺らいでしまう。
「構いません。ユリウスに任せるとしましょう。この件についてお前の手で犯人を捕えてこい。任せたぞ」
「確かに拝命いたしました。この身を賭して真実を明らかにして見せましょう」
優雅に命令を受け取り、久々に近衛騎士としての本分に戻る。
三人の推定被害者に調査を実施し、手掛かりを掴む。
彼らは当初、調査に奔走していた。その時の混乱は少し目立っており、彼らがカルステン家に駆け込むところは情報網に引っかかっている。
そう意気込むが、まず最初のコイル伯爵で躓いた。
本人すら出てくることはなく、執事が淡々と門前払いを実施する。
「当家において一切の事件や異変などございません。ご足労いただき申し訳ありませんが、お引き取り願います」
「この度の噂は承知しております、何があったかの解明は騎士団としての義務です。ご協力いただけませんか?」
「何か事件や問題があったのならすぐに相談させていただきます。しかし何もないのです。どうかお引き取りくださいませ」
そう。彼らはすでに宣誓を行なっている。ここからクルシュ陣営を裏切るとなればいよいよ行き場を失うのだ。
決して協力はしない。さながら敵の如き扱いを受けてユリウスは引き下がる。
しかし、彼は『最優』である。ラインハルトがいなければダントツでこの国における最も万能で強い騎士なのだ。
その力の一つである精霊術。誰にも気づかれず行使していたそれは、やはり手がかりを発見した。
風の準精霊であるアロが微かな痕跡を見つけたようだった。それは普段なら気にも留めないマナの残滓。
しかし、その後巡った場所でも同じ残滓が見つかった。三箇所全てで同じ反応があるとなれば見過ごせない。
風を使った何かの魔法や仕掛けがある。
まずはその収穫だけを持ち帰り、主へと報告するのだった。
「へえ。面白いやん。どんなタネがあるのか知らんけど、それにはやっぱり被害状況を知らなあかんね」
「はい。流石に現状の材料だけでは如何とも判断ができません」
現場検証や被害の証言。それらと合わせることでこの材料はきっと多くのヒントをもたらすのだろうが、現状では現場に近づくこともできていない。
しかしアナスタシアはしっかりと道筋を見つけていたのだった。
「コイル伯爵以外の二人はあの時、確か同じ治癒術師を呼び込んどるね。そっちを当たれば何かわかるはずや」
確かに糸口にはなるかもしれない。ただ当然の懸念が浮かび上がる。
「しかし彼らも信用が重要な仕事です。情報をおいそれとは外部に漏らすことはしないでしょう。いかがしますか?」
「当たり前やね。ただそれでもこっちは、捜査権に加えてそれなり以上の箔を持っとる。無視はできないはずや。せやね、当日の診療名簿。名前を伏せたものだけ見せてもらうくらいなら協力してもらえるんと違う?」
そう。事実としてそれくらいならまぁと、その日の診療数と時間を渡してもらうことができた。彼は二人を深夜に見ているが、それまでも診療所で多くの患者を見ているようだった。
そして2件の時間は間をおかずに行われている。
準精霊とユリウスの見たてでは治癒術師のマナの量は並。これだけ連続で使った日の夜に、大怪我であればこんなに早く連続で治癒は難しいだろう。
きっと彼らは軽傷を負っただけだ。
傷口を塞いだり、止血をするぐらいで済んだのではないだろうか。
つまりは脅しのための傷をつけられたのだろう。
徐々に事件の状態がユリウスの脳内に描かれていく。
しかし、ありきたりな脅迫であれば彼らは断固として相手に従うようなことはないだろう。
それだけの力が貴族にはある。財力も権力も、それらに裏打ちされた暴力も当然備えているのだ。
伯爵であれば魔法的な防御や呪術に対する備えも少しはしているはずだ。
何か通常の方法では抗えないような、未知の何か。致命的な脅しがなされたとしか思えない。
気になるのは診療時刻。どうやら事件はほとんど同時刻に起こっているとみてよさそうだった。
彼らの慌ただしくした時間も同時刻であり、その裏付けはとれた。
ということは犯人は複数、組織立った犯行だろうか。
突如現れたカルステン家の若き参謀、ケイ。
あの理知的な瞳を思い出す。彼が直接何かをしているよりは、誰かを使っているという方がしっくりくる。
周辺を洗ってくるか。
その次の日には、アナスタシアが追加の情報を集めてきていた。
曰く、片方の傷口は強引にちぎったような傷口であり。片方の傷口はこれまでの人生で見たことのない断面だったという。ベテランの治癒術師が見たことのない傷とは一体なんだ?
「しかし、どうやってこのような情報を?」
「あの治癒術師も男やったってことやね。魅力的な若い女の子にお酒注がれてしなだれかかられて、深酒したらポロッと情報こぼし始めたわ。わかったのは二つ以上の方法で人を傷つけることができるいうこと」
「やはり、犯行は複数の者によるものでしょうか…」
辣腕の商人と最優の騎士は流れるように動き続ける。
騎士は表から。主は裏から。
王道と邪道を攻める主従は、少しずつ事件の状況を明らかにしていく。