ユリウスは王都における変化を如実に感じていた。
この黒い影の事件が起きてから、貴族たちの動きは慎重になっている。これまで慣習として行なってきた不正ですら控え始めているのだ。
そしてさらに剣聖を伏せるという作戦が始まり、王都の闇組織は痛打を被り続けている。
賢いものは王都からすでに撤退し、諦めの悪いものたちは捕まっていく。
不正を犯していた貴族たちはこの風向きに怯えている。本当に改心したいと願うものすらいるようだ。
まだ被害もないうちに風見教会を訪れるものが増えている。
そんな王都の状況が前提にある上で、この事件の困難な点はいくつかある。
噂よりも被害者が極端に少ないことがまず一つ。不正を行なったものを脅迫することで被害届がなされない。通報すらされないのである。
現場検証がまともにできたことはない。
被害者たちは一様に警告を受け取ってから、体のどこかしらに怪我を負っているようだった。
治癒術師が動かされていることからそれはわかった。しかし凶器が不明なこと。どのようにして犯行を成り立たせているのかがわからないことだ。
特に、彼らが動揺している最大の原因。不正の証拠や情報についてなぜ犯人が知り得たのかがわからない。
しかし、ここにきてようやく尻尾を出したようだった。
襲われたのは商人として一角の人物。
元から貧血気味だった貴族の男は、耳を失った出血で気絶してしまった。
意識がない間にメイドの一人が、衛兵に届け出てしまったのだった。
その通報によってこの件は事件化され、情報の提供と協力が義務付けられた。
有力な商人とはいえ貴族ほどの権力はない。
アナスタシアはそこで、商人同士らしい交渉を行う。
不正を見逃してやるし、守ってやるから正直に話せというもの。
本来衛兵にも言ってはいけないのだろうが、こうなってしまっては保護を求めるしかない。
彼は白状し、裏で行っていた奴隷労働の如き労働搾取について打ち明けるのだった。
関係者は全て人質を取り合っており、裏切ることはありえないはず。
その眩暈がするような暗部の澱みに当てられて、ユリウスはしばし立ちすくむ。
なぜ私はこの悪人を見逃して、こいつの不正を正した者を処断しようとしているのだろうか。
押し黙る最優の騎士。
その明晰な思考に、暗雲が立ち込めつつあった。
それでも取引は成った。これから一週間ほどは鉄の牙がその屋敷に詰めて守る。
未知の敵が狙っていようが、鉄の牙の鼻と最優によって警戒がなされているのだ。
商人はようやく安堵し、食べ物が喉を通るようになったところで晩餐をとる。
その晩彼は泡を吹いて目が覚める。
毒を盛られていたのだった。
まだ死んではいないが重篤な症状を訴えて、駆けつけた治癒術師は自身では不足すると判断。
『青』に頼むべきだというと、商人は何も考えずに頷いた。
深夜のカルステン家に急患が運ばれ迅速に処置される。
やけに手際がいいのだが、そんなことに違和感を感じるものなどいない。流石の青であるとして賞賛される。
毒は本人の酒盃からも見つかったが、これはおかしい。
直前に使役していた使い捨ての労働者に同じものを同じ盃で飲ませるほどの警戒をしていたのだ。
誰一人部屋に侵入した形跡はなく、もはや自ら毒を呷ったかと誰かが言うがそれもありえない。
何かを風の魔法で運んで毒を混入させたのか?
どさくさに紛れて部屋に入れば、やはり風のマナの残滓がある。
これまでで一番新しく量も多い。これで覚えさせる事ができた。きっとマナを込めた者や術者がいればアロが反応するだろう。
さらに一歩。材料が増える。しかし今回はこちらの失態である。
鉄の牙と最優は、彼を守れなかった。
そんな噂が巡るのも、これまた異常に早かった。
守った貴族の不正など知らなかったと言い訳するのに少しの間、アナスタシアに手間をとらせてしまったのは痛恨である。
これはきっと剣によっては解決できる問題ではない。
諦めるつもりもないが、これは騎士の領分ではない。形勢の不利を認める。
だが決して逃しはしない。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
クルシュとフェリスの作戦会議が開かれた。
議題はケイの悪事をどのように暴くのかだ。
「ふふ。クルシュ様。フェリちゃんてば犯人探しが一発で終わるとっておきの方法を考えてきました!褒めてください〜」
「ありがとう。フェリス。ただ、褒めるのはその内容を聞いてからです。どんな方法でしょうか?」
「じゃあまず!ケイきゅんを遠隔でマナ操作して動けなくします。そして丁寧にマナをいじって自白させれば一発ですヨ!」
めちゃくちゃに叱った。
しかしどうにもフェリスから反省の風は感じない。
慣れないのに叱りつけてるクルシュ様もしゅてき…などと蕩けている。
「ふぅ。ならいいでしょう。あなたには罰として一人で動いていただきます。いいですね?」
に゛ゃ゛!と耳と尻尾をピンと立てて焦り始めるが、すでに遅い。
「クルシュ様ぁ〜それだけはご勘弁を〜これはフェリちゃん的にも考えがあってのことでして!」
今度は必死に許しを乞う。
「いいえ、これは罰です。一人で調査を進めつつ反省してください」
以前ならある程度のワガママはそういうものか…と信じてくれたのに最近はこうだ。
やはりケイの影響であろう。どんどん以前のクルシュと離れていくようで、フェリスは心の穴を自覚する。
でもこの負の感情をクルシュ様に向けることだけはしちゃいけない。ケイはムカつくが、その意見は一理ある。認めたくないし認めはしないが。
よし。この感情はケイきゅんにぶつけて発散しよう。そう決めて体を動かしていく。
それをケイなら逃避であると突きつけるのだろうが、今ここに彼はいない。
「ていう訳だから、いい加減に吐いちゃってネ。白状しないってことならフェリちゃんと一緒にいたいのかにゃ?ずーっと付きまとうからね」
王都を巡り、貴族に訪問する仕事をこなしていたケイは最悪の足枷をはめられた。
ケイはこれまでで一番に悩んだ。こいつが付き纏ってくることに比べたら全てが些事ではないか?
こんな苦痛を味わうなら計画を投げ捨てようかと何度も思ったが、必死で堪える。
しかも向かう貴族によっては露骨な色仕掛けやまるでお見合いかと思うような会議をセットしているところもある。
それをこいつに見られるなど拷問だ。さらに言えば、こいつは見た目だけは少女である。
同行すれば先方の機嫌を損ねることにもなり得る。
そうは思うが互いに譲らず、時間が経つごとに二人して憔悴していった。
その日の最後にはフェリスの方に限界が来たようで「もうだめ。クルシュ様成分を吸わないともう死ぬ。もう無理」そういって去っていった。
調査は一切進まなかったが、フェリスにはしっかりと罰になっていた。ついでにケイにも深いダメージを与えている。
だがここにもう一人、大きな精神的負荷を背負ったものがいた。
クルシュである。
彼女はそんな二人を、変装して一日追っていた。
メイドの格好をすることも、それで外を出歩くのも初めてだったが、その全部が新鮮な体験として心を彩っていく。
風を読むことで二人の意識を把握し、尾行に気づかれないようにする。そんな器用なこともできた。
遠くから会話はわからなくとも雰囲気はわかる。
外の店ならさりげなく観察し、貴族の邸宅なら高台から覗き込む。
そこでケイに言いよる貴族令嬢を複数目撃し、ピキりとこめかみに青筋が光る。
ケイが嫌そうにしていると少し心も軽くなったが、社交辞令であるとわかってはいても普段見れないケイの笑顔が人に向けられるのは気持ちが良いものではない。
ほとんど同時に三人が屋敷に帰宅する。
全員が満身創痍という有様。なぜ仲間内で削りあっているのかわからないが、カルステン陣営は平和であった。
皆、夜ご飯を黙々と食べて寝室に粛々と進んでいった。
今日だけでも支援者は増えたのだから上々のはずなのにどこかモヤモヤを抱えて眠りにつく。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
そしてその三人の様子を尾行していた鉄の牙の偵察要員が詳細をアナスタシアに報告する。
「なんやそれ。茶番にしてもお粗末やね。ほんまにわからんわぁ」
いい加減にこの件における損得の天秤が傾き始めている。調査はあれから進まないし、これ以上は損失の方が大きいかもしれない。
なので本丸であるケイにアポを取って質問させてもらうことにする。
日時を指定され快諾。勝負の日がやってきた。
「気の済むまでどうぞ。でも今日でダメならもうお断りしますからね」
まずはアロによる精査を行うが、このマナは一致しなかった。
本命が空振るもそこからアナスタシアは持てる話術の全てを駆使してケイを揺さぶった。
直接尋問。鎌掛け、ミスリード。飴と鞭での交渉。
全てをかわして根気強く付き合うケイ。
その弁舌や話法は、クルシュにとって未知の戦いであり学びであった。
激戦を固唾を飲んで見守っている。
ちなみにだがケイとしてはクルシュの同席が一番のプレッシャー。というより邪魔と思っている。
明確な嘘も使えず頭を余分に使わされている。味方がいない。
膠着した頃、アナスタシアの頭に一つの違和感がよぎる。
その言語化できない違和感を探るため、時間を使っていく。
そうだ。時間だ。
当初の予定時刻が過ぎても、ケイは一切動じるどころか切り上げる素振りさえ見せない。
あれだけ早く動こうとしていた人物が、こんなに時間を無駄にすることなどあり得るか?
自分からずっと無駄に口を開いて喋り続けるこの書記は、不自然だ。
これだ!時間にうるさいこの子がこんなに悠長にしてるってことは…
時間稼ぎ。不在証明。いくつかの単語が頭を巡る。
「ユリウス。ここは引き上げや。目星つけてた貴族のとこにすぐ向かい!」
ユリウスは飛ぶように駆け出し、目星をつけていた貴族邸宅へ向かっていった。
これまで風見教会に取り込まれた貴族たちと近い条件のものをあらかじめ見繕っていたのだった。
道なき道を駆け抜けて、ものの10分で目的地に到着したのはさすが最優の騎士だった。
そこには見るからに怪しい風体の男が一人。
ユリウスを見ると、そこから逃げ出して男は姿をくらませていた。
その逃げ足は周到な用意を感じるもので、普通の追跡者であれば取り逃していたであろう。
ここにも残っていた風のマナの残滓を追わせると、相手はいよいよ焦って逃げ始める。
あっという間に追い詰められると男は最後の行動にでる。謎の金属片、道具のようなものを魔石らしきものと一緒に踏みつけて壊したのだった。
周囲に広がる例の風のマナ。証拠を隠滅されたか。
「待て!今何をした。答えろ!」
その男は途端に抵抗もせず、何も語らずに捕まった。
数日の間に、他に二人ほど同じように捕縛されることになる。
彼らは皆が、金属片を壊して不気味な沈黙を守っている。
一切を語らず、ただ大人しく捕まっている。
そして彼らに襲われたはずの貴族たちが、この件を終わらせろと圧力をかけてくる。
被害者のはずが、犯人を庇うという異常事態。
とはいえ彼らは、邸宅の付近で怪しい何かをしていただけだ。直接の被害が確認できたわけではない。
未知のミーティアによる不法侵入未遂と脅迫を罪として事件を片付けるよう命令が下る。
うち一人は通報してしまった貴族の襲撃を、あれは自分の仕業だと自白した。
聞いてもいないのになぜ?
犯人があの三人だけだと?そんな訳があるまい。
呼び出したフェリスが騎士として役割を果たす。
しかし、彼はクルシュの陣営である。正直に白状させるものだろうか。
マナを操作されてでてきた情報は3つ
あの道具の効果は「あれを使えば近くの悪い奴に黒い幽霊をけしかけられる」ものと聞いていたようだった。犯行の前にはこの道具で風の魔石を砕くことを指示されていた。
指示は誰から?と問えばこの仕事を斡旋した男と答える。もし捕まってもそこまで大事にはならないからと前金を渡されて仕事をしたらしい。
実際に仕事も貴族邸内への落書きや噂を流すだけ。そして邸宅の近くで魔石を砕くのみだ。彼らの普段の仕事を思えばよほど安全である。しかも捕まっても黙っていればすぐに出れると言われている。
彼らは、その指示をした男のことを何も知らなかった。
それしか出てこない。末端も末端である。
とはいえこれは明確な手がかりを入手したのは『最優』だ。
アナスタシアの人脈と頭脳も加われば大きく前進するだろう。
そう。ユリウスであればこの少ない情報からでも男を辿り、真実に肉薄することはできただろう。
しかしそれは捜査を進められればの話だ。
翌日にその目論見は頓挫することになる。
王都の目立つ場所に、告発文が書き出されていた。
貴族を名指しに、奴は不正をしていると。
誇示するかのようなその文字は、これまでの事件のものとは全く違う印象を持った。何かがおかしくなっている。
その翌日に、犯人は捕まった。
というより自首してきたのだった。
それは14歳ほどの商人の子ども。その貴族に親友が物取りと間違えられ殴られ、間違いだとわかっても唾を吐かれたことを恨んでいたらしい。
母親が絵の具を持ち出すところを目撃し、どうにか穏便にと懇願してきた。
恥をかかされた貴族は強硬に厳罰を求めるが、賢人会の反応は悪い。
貴族に調査の矛先が向きかけた時、事態は加速する。
その貴族はどうやら素行がよろしくなかったらしく、次々と告発がなされていく。
民衆は貴族の邸宅に詰めかけて、口々に不満を叫ぶ。
そしてついには、黒いマントを羽織った誰かが邸宅に石を投げた。
衛兵に保護されたという状況がどうやら親子ごと捕まったように見えたらしい。
不正には罰を。
そう口々に叫んだ人々は次々と夜の闇の中集まってくる。
いつの間にか投げられるものは、小さな松明や火魔法に変わり明確に暴動へと発展した。
何人も逮捕者が出て、暴動を起こしたものたちは処罰される。
見せしめも行われた。
貴族たちは力によって民衆に沈黙を求めた。
当然ながら返答は怒りである。次々に他の告発がなされていく。
あいつは嘘つきだ。
あれは儲けを独占している。
あのクズは不倫をして女を捨てた。
それはもはや暴動にはつながらないが、標的にされた者たちは怒りや恐怖に震える。
槍玉に上げられれば、もはや事実以上の汚名を被せられる。
そうして恐怖したものたちは、潔白の証明のため風見協会を訪れる。
もはや誰かが隠れて脅迫を行う必要もなくなっている。
動き始めた大衆の流れが、有力者たちに迫っていた。
騎士団はその対応に追われることとなる。
当然貴族たちへ捜査も行われるため、やはり被害は申告しないものが多い。
そんな彼らの必死の圧力がついに騎士団まで届いたようだった。
先の捕縛したものたちを犯人として捜査を打ち切るようにとのこと。
これ以上貴族の懐を暴くなとのお達しである。
だって彼らは改心しているのだ。結果が良ければそれでいいじゃないか。
そんな思いが透けて見える。
何が正義であるのだろうか。
一体誰が正しきことを為しているのだろうか。
混沌とした王都において、ユリウスは自身の限界を知り深く考える。
彼の騎士道は揺らがない。
しかし剣を捧げた王国。その貴族たちへの不信感。そればかりには疑念が残った。
やはり、アナスタシア様を王にする。
そう決意した『最優』は自らの主の元へと戻っていった。
手応えがないが、それでも確かな敗北を噛み締めて。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
ケイがため息をつきながらある場所に向かう準備をしていると、覚悟を決めた表情のクルシュに捕まった。
「参りました。あの件についてはすでに調査も打ち切られるそうです。もう隠す必要はないのではないですか?」
「ええ、そうですね。仮にこれからの話を誰に聞かれたところで、もう問題ないでしょう。じゃあ何を聞きたいですか?」
「なぜこんなことをというのはわかりました。これだけ敵だった方々が陣営に加わっているのです。気付けない方がおかしい。問題はどうやってこんなことを起こせたのかです」
そう。その上でケイはクルシュに何もしていないと言っていた。これでは全く説明がつかない。
「まず、深刻な不正を行っている貴族を探しました。ちょうどラッセルさんにそんな怪しげな客が多く使う喫茶店や酒場を教えてもらったのでそこを巡って目星をつけてましたね」
明らかに言葉が足りてない。どうやってそんなことができるのかと聞かれるがその回答はしない。彼女は降参したのだ。情報の開示はこちらの裁量に任せてもらう。
まぁ悪人御用達の喫茶店でお茶を飲みながらIBMを個室に仕込んでいただけであるが。
扉や壁に顔を当てれば中の声が聞こえることもある。この世界における防音など完璧からは程遠い。
そんな輩を排除するために用心棒が目を光らせていたが、見えないものは仕方ない。
今回の犯行は、全てタブスの行動によるものだ。断じて僕ではない。タブスは僕の意のままに操作できるが、僕は指示など出してはいない。
風見の加護を意識して、IBMに名付けまで行っておいたのだった。
ちなみにIBMの自走については、非常時や戦闘時以外は極力行わないことにしている。
もしIBMの自走中に自分が意識を失ったらどうなるのだろうか。
自走期間が伸びて暴走するようになったら?
僕は特大の地雷を抱えている。これは絶対に暴発させてはいけない。
「その後は可能な限り不正の証拠を掴んで、なかったとしても脅しました。だって実際やっているし、この脅迫者は何をするかわからない。耳を飛ばして脅せば大体の人は一発でしたね」
もはや聞く気力も失ってきた。どうやって証拠を集めて耳を飛ばしたというのだ。
「あの、エルザさんにやらせたのですか?」
「ええ、そうです彼女がやりました」
これも言葉足らずである。しかし一旦は彼女に押し付けさせてもらおう。
最初の犯行は入念に準備して、ほぼ同時に王都の三箇所で実行した。
手の込んだ準備をしたのは遠隔でIBMを操って行ったところで、異世界の道具を使ってこの世界では見れない傷を作ったのだった。使ったのは持ち込んでいた鉄線。ピアノ線と呼ばれるそれをIBMで耳に引っ掛けて、思いっきり引かせる。
血痕が少し残るため、それを隙間から回収すると、まるで誰かがそこにいたように見えるだろうと思っていたがそこまで誰一人気づいてくれなかった。
ピアノ線を隠し終えた直後にIBMを解除、僕がもう一つの屋敷付近に待機して新たなIBMを作り、堂々と耳をちぎって脅迫。
コイル伯爵はエルザに持ち込んだ麻酔薬を打たせることで意識を奪った。これもこの世界の者にとっては謎だろう。精神操作に対しては対策をしているはずなのに、なぜ気を失ったのかわからないはずだ。
開封していなければ麻酔薬は1~3年は持つ。可能な限り残しておきたかったが、これは輸血の際に開封し雑に保存していたものである。とっとと使うべきと判断し使用した。
やけに気合いを入れてアレンジしたようで、猟奇度合いが段違いだったようだ。言いつけ通りに腹は裂かずにいて褒めそうになり自らの正気を疑うことになったが。
三箇所で犯行を行う際には付近で雇ったものたちが周囲で小さな風の魔石を砕くようにしておく。まるで未知のミーティアが使われたかのようなカモフラージュだったが、これも必要があったかわからない。
この仕掛けには時間を使ったというのに、調査の手がそもそも検証にまで伸びなかったのは予想外だった。
調査をここまで拒否するとは、貴族の保身は凄まじい。
「そのあとは噂を流したり、煽動したりとかそれくらいですよ。あとはもう勝手に貴族が追い詰められて、勝手にここに足を運んでくる。彼らは決して信じられるような人間性をしていませんが、それでも状況的にこちらに協力する以外はもうありません。ある程度信じられる仲間になりましたね」
実のところこの作戦はケイの想像を大きく逸脱していた。
都合の良い方向にだ。おかげで用意していた策の大部分は無駄となり、ユリウス対策や分析は活かす機会を失った。
だが今思い返せば納得できる。民衆は真実などどうでもいいのだ。それは最近自身へ向けられる噂で知ったはずだったのに、見落としていた。
語られる話が真実でなくとも、語りたければ人は語る。
刺激的であればなおいい。
でっちあげのヒトラーの日記が大人気に。ノストラダムスの予言と呼ばれる何にでも当てはまる言葉が解釈されていまだに信じるものが増えている。予言に至っては本人がやったことですらない。周囲が盛り上がっているだけ。
人は見たいものだけを見て語るということらしい。
はぁ〜。とクルシュの心労が口から出る。
「もういいです。わかりました。必要になれば必ず話してくださいね。この件において救われた人が多いのは事実です。不正を働く貴族が減るのは良いことですし、こうなったらその手段には目を瞑りましょう」
「手段に見当がついていないのだから、目を瞑るも何もないでしょう」
…ギギギと音がするように首をこちらに向けて、悔しそうなクルシュはケイを睨む。
「ええ、ええ!その通りです!私は解明できませんでした。ですがそんな私でも、一つ確かに見たものはありましたよ」
「貴族のご令嬢と随分仲良くされていましたね。あれもお仕事ですか?」
ケイはそこで自意識をシャットダウンして面倒ごとに向き合うことをやめた。