貧民街のボロ小屋でエルザと男が話している。
「これでこの件は終わり。また何かあればよろしくお願いするわ」
「ああ、チンピラどもを貴族の邸宅に押し入らせてミーティアを使うだけ。そんでメインは噂流しと落書きだもんな。その斡旋だけでも美味い仕事だったぜ」
その男は裏社会において多少顔の利く存在だった。普段の彼は金に困ったものを尖兵に仕立て上げ、即席の盗賊や強盗を作っていたが、それに比べて非常に楽な仕事だった。
この女は今は不規則に動く剣聖の網も見事にかわして仕事を整えてくる。
その余裕のせいか、軽口も回る。
「なぁ、そっちの代わりに俺は体張ってんだ。そっちも多少なり体を張るべきじゃねーのか」
男の視線は、エルザの肢体に向いている。
露出は多くないが上等な白のドレスである。扇情的な体のラインを男は視線でなぞる。
「あら、お金のことでごねられるのではないかと思っていたのだけれど、そちらがお望みなのね」
そう言って妖艶に笑うと男を手招きした。
上等な上着を脱いで、続いて下着も脱ぎ投げて捨てた。
一糸まとわぬ姿になる。
「この服は汚すなと言われているの。ごめんなさいね」
女も恍惚の表情で声を返す。その声には熱がこもっていて、元々そのつもりであったことが男にもわかった。
「マジかよ。はっは。言ってみるもんだぜ」
男はてっきり断られるものと思っていた。向こうもやる気であれば幸運だ。無理やりも悪くはないが趣味じゃない。
「じゃあ、しましょうか」
振り返り、腹を切り裂いてから優しく抱きしめる。
?????
彼は腹から全ての中身を出して、美女の腕に抱かれ果てていた。
やっぱり、肌で感じる血と臓物の温かさ。これが最高だ。
情欲に目が眩んで何も考えられなくなっている男の臓物は、最初の熱を思い出す。
たまらなく、良い。
その熱が冷めるまで全身で感じていると、情緒を無視する声がかかる。
「いつまでやってる。片付けてとっとと移動しろ」
いつの間にか入口に包帯男が立っている。
「とことん無粋なのね。包帯男さん。この火照りをどうしてくれるのかしら」
「タブスと呼べ。そう名乗ることにした。悪いが要求ははっきり言ってもらえるか?俺はお前に臓物をくれてやることはできないが」
「わかっているのでしょう?戦いたいのよ。契約したわ。その支払いをして欲しいの」
「…明日でいいか?」
「いいえ、今夜よ。そうでないと私。どうにかなってしまいそう」
こいつは本当に誰かと戦いに行きそうである。
「…わかった。深夜、指定した場所に行け。お前が勝てない相手と、殺しても問題ない相手がいる」
「ゾクゾクしちゃう」
体に纏った血を撫でて、この後の逢瀬に期待する。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「血の匂いがしますな」
「ええ、あれが最近雇った部下みたいなものです」
「斬っても問題ないのですね。手加減などはできかねますが」
「ええ、構いません。首飛ばされたくらいじゃ死なないらしいですよ。もう不死は大して珍しくないですね」
「ええ、北方の騎士はそのような祝福を身に宿すそうです。王国において死人が蘇ることもその昔にはありましたので」
「はーい。ヴィル爺そこまでねーケイきゅんにその話はダメ〜。何しでかすかわかったもんじゃない。明日には王国法の禁忌に全部触っちゃうんだからこの子は」
そんなやり取りを待ってはいたが、我慢の限界といった様子でエルザが口火を切った。
「では、踊ってくださる?」
エルザが声をかけた先、すでにそこにいるのは人ではない。
鋭い剣はただそこにあり、敵を切るだけだ。
ケイが目配せをしてフェリスが合図を出した。
「じゃあ、始めちゃって〜」
ヴィルヘルムがエルザへと進む。
その歩みは戦闘中の歩法ではなく、何気ない歩行。
「何を…」
一切の戦意を出さぬまま、女を袈裟に切り捨てた。
「戦意を、敵意を捨てれば先の先を取れる。これもケイ殿の教えの賜物ですな」
いやそんなことを教えた覚えはないが。
それよりも今の斬撃はおかしかった。構えも雰囲気も剣閃も見えなかった、
エルザも反応できていなかった。
傷を治したエルザが呆然と見やる。それほどの差がそこにはあった。
なんだか以前より強くなっていないか?
「これから何度かやり合うことになるでしょうし、助言をお願いします。もっと強くなって欲しいので」
「彼女は戦士ではなく暗殺者ですかな。才能は感じますが、自身より強いものと戦う経験が薄い。その割には血に慣れているようだ。ケイ殿の元で働く以上これからは、さまざまな強敵と対峙することもあるでしょう。今のままでは足手纏いですな。壁くらいにはなりましょうが」
「肉壁ならもう2枚もある。これ以上はいらないですね。もっと強くなるには?」
「ちょっと。それ誰のことかにゃ?」
肉壁その1が遺憾の意を表明し、肉壁その2が定員を締め切る。カルステン家の剣はヴィルヘルムだが、こいつには懐刀くらいになってほしい。
指南の要請を受けた剣鬼は目を伏せてから意識を切り替える。
ヴィルヘルムは初めてエルザを真芯から捉え、全ての感情をむき出しにして、剣気を叩きつける。
「その遊びのような態度をやめろ。一太刀受けてみたいなどと甘えるな。戦いの果てに死にたいとでも?剣を舐めるなよ小娘が」
「その贅肉だらけの剣に斬れるものなどない。無様な愉悦を捨て、真剣にて立ち会え」
エルザは何もいえない。
これまで恐怖を刻み込まれることはあった。敗北だって数えきれないほど。
しかし、剣を振る前に負けることなど初めてだった。
彼女は、自身がこだわりを持つ戦闘という分野において先達に教えられることはなかった。
暗殺は全く違う技能体系であり、戦闘は我流である。
まして自身より明確に強い達人に叱られることなど初めてだった。
この敗北感。自身への失望。望んだものとはかけ離れたこの現状を、否定したい。
「———戦え。 戦うと、己にそう定めたのであれば、全身全霊で戦え。一瞬も、一秒も、刹那すらも諦めず、見据えた勝利という一点に貪欲に喰らいつけ。妥協などしてはならない、あってはならない。まだ立てるのならば、まだ指が動くのならば、まだ牙が折れていないのであれば、立て、立て、立て!立って!戦え」
「———戦え!!!」
エルザはいつもの軽口を叩かない。代わりに剣を握って立ち上がる。
あれだけ戦いたがっていた女が、戦えと言われて怒っている。
目はギラついており、ヴィルヘルムを睨みつけて離さない。
すでに互いに刃を取っており、もう少しで間合いである。
無造作なヴィルヘルムの一撃。またケイは認識できなかった。
しかしエルザはそれを防いでいる。
今度はエルザから踏み込んだ。
打ち合いが起こる。ヴィルヘルムが本気かどうかはわからない。自分が見定められるレベルではない。
しかし打ち合えている。
ぶつかり合い、そして散る火花。きっと言葉よりも多くを語り合っているのだろう。
思った矢先に、鋭い打ち合いから一転。ふわりとエルザの片方の大型ナイフが柔らかに巻き上げられた。
そのまま唐竹割りを上から落とされ、必死で残ったナイフを盾に防御をする。
これまでと異なる水気を伴う重い音。防御の上からヴィルヘルムの剣が押し切って、エルザのナイフの峰の部分が頭に食い込んでいる。
勝負あり。倒れ伏すエルザ。
素敵だとも。ゾクゾクするとも言わず。戦いのことだけを考えている相貌で呆然と空を仰いでいる。
「多少ましにはなりましたが、まだ軽い」
ヴィルヘルムは剣を納めて下がっている。今日はこれで終わりということだろう。
起き上がったエルザが呟く。
「今、せっかく楽しくなってきたところでしょう?ここでやめるなんて、つれないわ」
その言葉ほどに口調は軽くない。決して諦めない執念の目をしている。
ヴィルヘルムは黙して返さず。その目をケイに向けて指示を仰ぐ。
「今日のヴィルヘルムさんとの戦いは終わりです。これは報酬ですよ。いきなり全部寄越せだなんて通るわけがない。今後の働きようをみてまた支払いますから頑張ってください」
今宵の楽しみを二度も取り上げられた。その殺意がケイに突き刺さった。
「それで?殺していい相手というのがここに来ると聞いていたけど。今の言葉を聞く限り、あなたということで良さそうね?」
露骨に態度が変わる。高揚から失望へ。そして暗い期待が滲み出る。
「そんな気分でもないのだけれど、ここからは私の趣味に少し付き合ってもらおうかしら」
「お互いに致命傷が入ったらそこまででいいですね」
そう言いながら、手をエルザへ差し伸べる。
「ええ、構わないわ」
手を掴んで起き上がるエルザ。
「フェリス、合図を…」
その言葉を聞いてナイフを握った時、エルザは死んだ。
目を開けると、何かが焦げたような匂いがする。
何をされた?何かが強烈に光ったかと思ったら死角から致命傷を受けていた。
周りには肉が焦げたような煙と匂いが残っている。
「先の言葉の何がわからないというのか。相手を侮り、不意に殺されるなどと。この未熟さは教えがいがありますな」
ヴィルヘルムはため息をついている。
エルザは強い。本腰を入れればヴィルヘルムと打ち合えるのだ。ラインハルトから生きて逃げ延びた時点で生存能力も非常に高い。
まともにやれば、僕などは相手にならないだろう。まともにやり合うならば、だが。
精神性が隙だらけである。その気にならないと弱い。
つまりは不意打ちに弱いということだ。死に辛かろうと、普通の人間と一緒だ。
手助けを受けている最中にその死角から撃てば反応が遅れる。
「今のは一体、何?」
油断していたとはいえエルザは納得できなかった。魔法ではあるのだろうが、特有の溜めや起こりが感じられなかったのだ。
「いやだからこれは報酬と言ったでしょう。幸い同じ内容で次回も支払えそうだから、次回も同じことをしますよ。大人しく待ってろ」
その場を後にする、ケイとフェリスとヴィルヘルム。
エルザはそこで立ちすくみ、何かを考えている様子であった。
複雑な感情が渦巻いているが、決して退屈ではない。その未知の余韻を味わっているとまたぶち壊しにされた。
「ああ、そうだ。『魔獣使い』についてどうするか相談して提案をしてください。では、ローズさん。あとはよろしく」
「かしこまりました。では無様に負けたエルザちゃん。わたくしとお話してくださるかしら?」
ずっと控えていたローズが歩み出る。
環境としては契約通りの条件で、最高のはず。けれどなんだこの感情は。
エルザ・グランヒルテは、ケイとこの女が嫌いである。
無表情で天敵たるこの女を見据える。
「そんな幼子のような表情をしないでいただけますか?抱きしめて差し上げたくなってしまいますわ」
憮然とした表情などだしていなかったはず。だがしかし、こいつは心の機微を読み取る能力に長けているようだった。
取り合わず、平静で声を返す。
「それで、メィリィのことはどうなるの?今日は疲れてしまったから早く退散させて欲しいのだけれど」
「ええそうでしょうね。夜風は老体に響きます。早く要件を済ませることは賛成ですわ」
こほん。と区切って本題がはじまる。
「はっきり言って、『魔獣使い』をどうしたいんですの?」
「質問の意図が読めないわ。保護をお願いしたのだけれど、忘れてしまったの?」
「保護はしますとも。当然ですわ。あなたたち二人が好き勝手にしないよう、お互いが楔となることにはお気づきでしょう?しかしそれでは教育によろしくないですからね。ケイ様に進言して、少し柔軟な対応にしていただきました」
「あら、メィリィに教育まで?立派な淑女にしていただけるのかしら」
「何をいってるんですの。あなたもですよ。体だけは立派に育ったお嬢さん。どちらかというとゼロから教えるより矯正する方が大変なので、あなたの方が手がかかるというものです」
冷徹な戦意をローズに向ける。
「嫌だわ。あまり挑発をされてしまうと、思わず楽しんでしまいそう。よければここで踊ってくださる?今夜はあまり我慢できる気がしないのよ」
はぁ。とため息をついた淑女はやれやれと頭を振って大袈裟に反応。その反感を煽っていく。
「出来もしないことを語るのは無様だからやめなさいと以前に伝えたというのに。そちらこそ忘れっぽいようですわ」
そう。できない。今しがた言われたようにメィリィの保護が外れるだけならまだしも、人質のように扱うこともできるのだ。今更大して大事ではないといっても信じられることはあるまい。
「先の戦いで、ヴィルヘルム様から叩きつけて頂いたでしょう。甘えるのをやめろと。そしてケイ様からは油断をするなと雑に処理されましたわね。本当に爆笑でした」
おほほ。と笑う彼女のペースにのってはいけない。グッと堪える。
しかし何かを我慢するだなんて、慣れないことをやらされている自覚はある。
「そして私からの忠告です。虚栄によって自分を大きく見せるのをやめなさい。虚飾によって背伸びはできるでしょう。しかしその中身はスカスカ。あまりに脆く醜い生き様ですわ」
指摘をただ聞く。反応はしない。
「まぁまだ理解できないでしょう。具体的かつ端的に言うならば、その適当な軽口ですぐに戦おうとするのはみっともないのでやめなさい。これだけ覚えてくだされば結構ですわ」
諭すような口調は煽りよりも明確にエルザの心を波立たせる。
反論を言おうとする。しかしまさにその通りの口調になっていそうで一瞬、躊躇った。
「あら、できるじゃありませんの。今後は人から逃げずに正面から戦えるように教育してあげます。あなたたち姉妹をまともな戦力に仕上げるのがケイ様からの命令です。命令系統はわたくしが上ですので拒否できませんからね」
上司を敬いなさい。と言いながら最初の本題に戻る。
「それで、エルザお姉ちゃんはメィリィちゃんをどうしたいのです?」
深く息を吐いて、冷静に思考する。
「好きに生きて欲しいのだけれど、これでも不十分かしら」
「ええ、足りませんわね。二人は一緒に暮らしたいのでは?ずっと一緒だったのでしょう?」
エルザは迷った。処遇については相手に任せるつもりであったし、どうせ二人は離されて互いの保険、人質として保護されると思っていたから。二人一緒であれば逃げ出すことはできるだろう。
一体どんな意図でこんなことを…?
「はぁ。まさに傷ついた野犬といった様相ですわね。不安そうなので教えてあげますが、余裕のある人間は人に親切にすることもあるんですのよ。素直に受け取っておきなさいな」
そこからエルザが自分の考えを言葉にするまで、少し時間がかかった。今までしなかった思考というのはここまで疲れるものなのだ。
そして出てきた言葉は、まるで自分ではないかのような一言だった。
「一緒にいるのが当たり前になっていたけれど、でも…ずっと私と一緒というのが良いことなのか、わからない」
この言葉を聞いて、ローズは笑顔を出すのを必死に堪えていた。
子どもの成長というのはやはり見ていて気持ちが良い。正直言って抱きしめてあげたい。
しかし態度に出してしまっては、反抗期には劇薬となってしまう。過剰に褒めてもいけない。
「そうですか。それならば一度は互いに離れて自立できるようにしてみましょうか。お手紙などで対話をしつつ、たまに顔を合わせてご飯でもお食べなさいな」
ある程度方針が決まって、ようやく一日が終わりそうだった。
戦いとその先にある臓物というものは、エルザにとって自身の根幹である。
それを否定することは死んでもしない。
けれど、このままでは戦いにならない。臓物が見れない。
あり方を変えたくないのなら、やり方を変えなくてはいけないのだろうか。
最後の説教ですわ。と歩きながらローズが語る。その語りはまるで心を読んでいるようだった。
「あなた、戦いと血が好きなのでしょう?人の好みはそれぞれ、節度さえ守ればそこに文句はありません。しかしそのためにも変化が必要というのなら、その好きを利用して立ち回りを変えなさいな。あなたは直情的にすぎる」
どういうことかと理解できないでいると、それもすぐに見抜かれる。
「良いこと?好きなことほど我慢する。その後が、いっちばん気持ち良いのです。これは淑女の常識ですわ!」
それだけ言い残すと、おーほっほっほとという高笑いと共に消えていくローズ。
貴族女性にあるまじき内容と声量で王都に溶け込んでいった老淑女はもう見えない。
一人きりになってから、歩き出す。
エルザは気づかない。その口角が意図せず上がっていることに。
嘲笑でも、恍惚でも、挑発でも、普段通りの仮面としての微笑でもない。
心からの笑みをこぼしたことに、まだ気づけていなかった。