懇親会から一夜明け、エミリア陣営は帰路につく。
そこに帯同するのはまたしてもケイとゴドフリーとローズの三人。実はエルザも別口にて向かっているが、流石にそれは伏せている。
屋敷に着くと、以前のようにフレデリカが出迎える。
「では、ご案内いたします。足を滑らせませんよう、気を付けてくださいまし」
そう言って、フレデリカが屋敷の地下へ向かう階段を先導して下っていく。長身の彼女の背中に続いてスバルたちも地下へ向かうと、石造りの階段に、靴音がやけに大きく響いて聞こえる。地下から冷たい風が吹き上げてきて、微かに前髪を揺らすのが不可解なほど神経に障った。
「開けますわ」
地下へ下ると、すぐ目の前に鉄扉が立ち塞がる。扉には頑丈な鍵がいくつも取り付けられており、複数の鍵をフレデリカが一つずつ解除する形だ。
音を立てて扉の鍵、錠前などが外されて、軋む音を立てながら鉄扉が開かれる。すると扉の向こう、石造りの通路が広がり、最奥にまたしても扉が見えた。
「その向こう側に、件の人物がおります」
扉の脇へ下がると、道を譲るフレデリカが頭を下げた。彼女の会釈に顎を引き、スバルを先頭として同行者は真っ直ぐにその扉へ向かう。
地下最奥の扉に、鍵はかかっていない。
扉を開けば、急場でこしらえたような寝具と最低限の家具。
そこに一人の少女がいた。
座敷牢、そんな様相の檻に入ってゾロゾロと並ぶ大人たちをメィリィは怪訝な表情で眺めている。
「へえ〜。わたしは結局引き渡しい?騎士団とかはやめてよねえ。そんなところで目立つくらいならここで死んじゃった方がマシって言わなかったあ?」
大人たちの視線に一歩も引くつもりのない様子。
あまりにも軽い死への言及。
そんな子どもの威嚇に、良心を痛ませるものが数名。
一切怯まぬケイは淡々と質問を行う。
「君を狙っているであろう『お母様』は恐らく魔女教大罪司教だ。接触する時に魔獣の反応はどうだった?抑えなければ狂ったようにそいつを狙っていたんじゃないか?」
「なによお。それ。なんでそれを知ってるのお?」
エルザと同様。大罪司教だとは知らなかった様子。しかし魔獣はしっかり反応していたらしい。
必要なことは知れた。あとは世話好きの大人たちに任せよう。
その後、細々とした準備を終えて屋敷を出る。
その前にペトラが声をかけた。
「メィリィちゃん!また…また、話そうね…」
ペトラは複雑な表情。何を言っていいのかわからない。そんな様子だった。
でもこれで終わりにはしたくない。そこがこの少女の根っからの善性ということだろうか。
自分を騙し、殺しかけた相手をそれでも恨み切ることもできない。
そんな気持ちを、メィリィは理解できない。
殺意には殺意で、善意にも殺意で返してきた。
「許せないのはわかるけどお。そんな目で見られても困るわあ。殺そうとしてごめんね?って言っても無駄よねえ」
「っ違うの!そうじゃなくて…」
言葉は続かない。
ペトラも自分の気持ちにまだ整理はついていない。村ではただ子どものフリをしていたメィリィに騙され殺されかけ、続いて忠誠を誓った領主に騙されて殺されかけた直後だ。
人間不信になってもおかしくないが、それでも対話をしようとしている。
スバルはそれを眩しく思う。
少女たちのわだかまりは解けない。誤解ではないのだ。厳然たる事実がそこに横たわる限り、二人の距離が縮まることはない。
いつかその横たわるわだかまりを軽く越えるほどに手足が伸びたなら、話せるようになるだろうか。
ついにメィリィの引き渡しの時が来た。
この後少女は、一仕事したのちに移動してカルステン領での生活が始まる。
メィリィの受け渡しにはスバルとベアトリスだけが付き添っている。
ケイ様の本日の営業は終了しているらしい。遠くを眺めた隠居モードだ。
こうなればほとんど話を聞いていないことを知っているローズは、仕事の時間だと腹を括った。
「あなたがメィリィですわね。これからどうぞよろしく。わたくしはローズ。おばあちゃんでもお姉さんでもお好きに呼んでくださいな」
ローズはしっかりと膝をつき、子供の目線に合わせて話す。ドレスに土がつくがそんなこともお構いなしだ。
「当方はゴドフリーと申す者!好きなものは魔獣だ!仲良くできるであろうと確信しているぞ。幼き魔獣使いよ!」
「ええ…?なあにこの人。それとお…その呼び方、やめてくれるう?」
「そうか。当方は『魔獣狂い』と呼ばれたときは嬉しいのだが…いや失礼した!メィリィ。どうか許してくれ!」
その全ての身振りが大袈裟でやかましい。エルザと対極である。絶対に仲良くはできないだろう。
「あなたたちはこれから長く一緒ですからね。ゆっくり親交を深めてくださいな。わたくしは多く会えないと思いますので、聞くべきことを今のうちに聞いておかねばなりません」
目の前の少女を見据えて問う。その言葉には覚悟が滲んでいた。
「あなたとずっと一緒にいた女性。エルザが死んだと聞かされていますね。そのことについて聞かせていただきますわ。辛くとも向き合ってください。これはあなたのためなのです」
あまりにも真っ直ぐに見つめられて、動揺する。
これまでこんな目で語りかけてくる大人はいなかった。本当にやり辛い。
そんな心の内を自覚せぬまま話し出す。
「だって、今のわたしに拒否権なんてないんでしょお?なんでも答えるわよお」
「それでも構いませんわ。では、聞かせてください。エルザが死んだと聞いて、あなたはどう思いましたか?」
それはメィリィが思考することを避けていたこと。
当然ながら全てをすでに飲み込んで、その上で平静を保っていたわけではない。
「それは、なんでそんなこと聞くのお?なんて答えて欲しいのかしらあ?」
まるでエルザのように冗談めかしたその回答に、ローズは反応をしない。
メィリィが自分の言葉で答えるまで決してこの場を動かない。そんな決意が目にみえる。
「どうって。なによお。わかんないわよお…そんなの…」
この目から逃げることはできない。そう理解できた。
「もう会えない。話すことができない。触れることができないということ。それが死ですわ。それを踏まえて、あなたはなにを感じますの?」
「なぁ!それは、流石に子どもに…」
少女を責めているようで、スバルは居ても立っても居られず、声を挟む。
「スバル様。どうかここはお任せください。そして彼女は子供ではなくメィリィという一人の人間です。あなたに得意なことがあるように、老人にも得意な戦場というものがありますのよ」
そんな若者の義憤を、老練な淑女はウインクで黙らせる。
それでも納得しないスバルを、手を繋いだベアトリスが引き留めた。
人にとって真に重要な瞬間。ベアトリスがこれまで見てきたそれと同じ空気があったのだ。
これは下手に触ってはいけない。
周囲は静まり、ローズとメィリィだけの時間に戻る。
「なにを、感じていますの?話してご覧なさい」
何を?
一体何を聞いているのよ。
だって殺したのはそっちじゃない。
それで何を感じるかなんて。そんなこと…
そんな困惑も反抗的な目線にも、ローズは動じずに言葉を待つ。
苦しい。やめてほしい。もう考えたくない。
そんな時間を終わらせたいという一心で答えを探す。
少し間をおいて、つぶやくように語り出す。
「いやよお…」
そして語り出せば止まらない。
「いや、いやよお。そんなの嫌!嫌に決まってるじゃない。だってエルザは今までどんな怪我したって死ななくて、だから…強くて…絶対いなくならないと思ったのに…一人にするなら、そんななら!連れ出してなんて欲しくなかったわよお…」
途中から思わず泣き出す。これまでは涙を流すことはしていなかった。というよりは実感がなかったのだ。
死というものを説明されて、それを体験して初めてその衝撃に気づいてしまった。
そしてその想像は止まらない。
もう会えない。エルザにおぶってもらえない。同じ髪型にできない。料理を食べてもらえないし、食べた後に何にも言わないエルザに文句を言うこともできない。
嗚咽し泣きじゃくるメィリィを、ローズは抱きしめたりしない。
落ち着くまでひたすらに待つ。そして、ようやくこちらの声が聞こえるようになった頃。
「それが悲しみですわ。死というものが周りに与える不幸。だから皆、大切な人を守ろうとしたり。自分が死なないように頑張ったりするんですのよ」
泣きながら、けれど確かに頷くメィリィ。
この子は悲しみを今知った。今からなのだ。彼女が人というものを知るのは。
彼女は知らなかっただけ。その壮絶な人生にも愛と呼べるものはあった。
そんな環境に恵まれなかった幼子にはゆっくり時間をかけて優しくしてあげたい。
ローズは本当にここから先を言うのが嫌だった。でも今やらねばならない。
だから、やるべきことをやろうじゃないか。
「そしてそれが、
ローズの目がメィリィを捉えて離さない。その目は非難をしていない。ただただ事実を述べている。
でも、でも。そんなの。知らない。知らなかった。
教えてもらってない。知らずにいたかった。
「殺人は新たな死を生みます。その連鎖は途切れることを知らない。あなたが生み出した憎悪は、いつか返ってくるかもしれない。良いですか。辛い人生を歩んできた者に、ただ他人を大切にしろなどと説きません。あなた自身や大切なものがあるのなら考えなさい。殺すことの意味を。その結果を」
何を言っている。何を言っているのだこいつは!
いやもういい。わかった。ならその言葉に乗ってやる。
「うるさい。うるさいうるさい!だって、もう。もういない!エルザはいないんだからもう。私は私のことなんてどうだっていい!そうね。その通り、いつか私もきっと、お兄さんやお姉さんたちを殺しに行くかもしれないわあ。だってそうでしょう?そういうものって今言ったじゃない!」
悲嘆に暮れた目は今、怒りと殺意に染まっている。
これまで自覚できなかった悲しみと怒り。気づいた憎悪が殺意となって彼女に激情を引き起こす。
きっと今殺せるだけの手段が、力があれば誰かを殺しているだろう。幼子だからといって人を殺せぬわけはない。
誰かを高所から落とすことに、武力はいらない。
ましてや彼女は加護を持っている。とびきり危険な加護を。
ふー。とため息を吐いて、ローズは立ち上がる。
「何よお。そうならないように今私を殺す?それがいいわあ。だって私が死んでも悲しむかもしれない人はもういないもの!ならそんな人なら死んだって…」
「今はそれでいいですわ。その考え方で構いません。でもわたくしはあなたを殺したりしません。だってあなたが死ねば酷く悲しむ人がいるんですもの」
本当になにを言っているのか。きっとスバルやエミリア、お人好しなあの屋敷の人間は他人事でも悲しめるのだろう。
そんな涙など自分には関係ない。いらない。わたしで勝手に泣くなんて許せない。勝手に巻き込むな。気持ちが悪い。
「もう出ていらっしゃい。聞いていたでしょう。あなたたちはこれから、死と向き合って生きていくのです。姉であるあなたからその姿勢を示しなさい」
…え?
顔を上げると、そこにいた。
エルザがいる。
エルザが生きている。
エルザが…
足の力が抜けて、その場で座り込む。
涙がはらはらと落ちていく。
もう訳がわからない。
エルザはその場から動こうとしない。声も出せない。
感動の再会。普通なら駆け寄って抱き合い泣くのだろう。
けれどこの姉妹には、そんな当たり前がわからない。
そうしていると、見かねたローズが素早く動いた。
パァン!という快音をエルザの頭と自身の掌で生み出すと一言。
「何をしているんですの。あなたは自分の欲望に忠実に動くのでしょう?そうしたいと思っているなら自由になさいな」
ローズを睨むだけでまだ動けずフラフラと揺れるだけのエルザを見て、ローズがやれやれと文字通りに背中を押す。
「とっとと近づいて、抱きしめなさい。さもないとわたくしがあなたを抱きしめますわよ」
押されるがまま、言われるがままに、心ここにあらずといった様相であるがしかし、姉妹はようやく近づき互いの存在を体で確かめ合った。
メィリィは声を上げて泣き。エルザは辛そうに顔をしかめている。
まだ泣くこともできませんのね。
ローズはエルザの心の闇。その根深さを見て、今後のことを考える。
姉妹は気づいていないが完全に置物になっていた男性陣は、一人を除いてボロ泣きである。
ゴドフリーは滂沱の如く涙を流し、髭が濡れて垂れ下がっている。
スバルは腕で顔を隠し、ベアトリスに宥められる。
ケイは、ぼーっと空を飛ぶ鳥でも見ているようだった。当然涙などあり得ない。
おい嘘だろう?
今のこれを、今のやりとりを風景として処理しているというのか。闇深いというより空虚さすら感じる若者はここにもいた。
戦慄を隠せず、白目をむいて衝撃を受ける。
ケイ様、恐ろしいお方…
というかなんでここまで他人に興味がない人が、あそこまで必死に命を救えるのだろう。
普段からの全力も含めてこの恩人はやはり意味がわからない。
しばらくして泣き止むと、メィリィは気恥ずかしそうにしている。
これまではこんな形で触れ合ったことなどないのだろう。お互いに少し居づらそうだ。
「それでえ?どういう状況なのお?お兄さんたちはエルザは死んだって言ってたのに、あれは嘘ぉ?殺されそうになったくせにお兄さんたちが泣きそうで反応に困ったんだからあ」
その質問で久々に再起動したケイは回答する。
死にかけているところを発見して保護した。その後はエミリア様たちにも話を通して二人の身柄はこちらで預かることになってる。その旨を伝えた。
「へえ、それでえ?私たちが素直に従うと思ってるんだあ。エルザなら私がいても自由にするわよお」
どうやら大切にされている自覚はないらしい。エルザへの楔はメィリィそのものだ。
そしてメィリィへの楔だが…これなのか?
「ああ、だからエルザの要望は聞いたし対応している。君も何かあればローズに言ってくれ。その上で行動を縛るものだが………あの、本当にこれでいいんですか?」
ケイはそう言ってローズを疑う。なぜこんなものが真面目な交渉のテーブルに上がるのか意味不明なのだ。
淑女らしい全力のサムズアップに押されて、その切り札を公開する。
「昔メィリィが隠れて書いていたポエム。それを覗き見たエルザからタイトルと内容は聞いてる」
メィリィの顔色が一瞬で失われる。そして綺麗に青ざめた。白から青への変色は見事だった。
すでにその反応が致命的であると示しているが、彼女だって裏稼業の人間。
弱みを握られてはいけない。そんなものは大したことはないと思わせないと。
それはそれとして後でエルザは殺す。そう決めた。
「そ、そんな遊びをしたこともあったかしらぁ。ぉ、覚えてないわねえ。好きにすれば良いんじゃない?」
「こちらの指示を無視した場合、このポエムを世に発表してカルステン家の権力で毎年恒例の『子どもポエム賞』で大賞を取らせる。そして一年間は王都の広場と王城に掲示され、永劫王城の図書館に飾られることになる」
あまりに悪逆非道な一手に、メィリィは爆散し、舞い散って降参した。
『母』の躾とは全く違う種類の苦痛に、耐性は一切なかった。無条件降伏である。
「ひ、酷すぎる。人間性ってもんが見当たらねえ!ケイ、お前それでも人間かよ…」
スバルは自身の黒い歴史をフラッシュバックし、それが大々的に張り出される悪夢を想像して悲鳴を上げる。
「全部考えたわけじゃない。元の発案はそっちだ。僕にはその反応が今だって理解できない」
恥ずかしいからという理由で行動を縛るなど可能なのか?いまだに懐疑的である。
発案者の淑女は両手でサムズアップしウインクする。もう淑女であることをやめたようだった。
「そっちのお兄さんには絶対に逆らったりしないからあ!やめて。やめてよね!あれは絶対のぜえったい。絶対にダメなんだからあ!」
想像の10倍は従順になったメィリィをゴドフリーが連れて、明日にはカルステン領へと向かう。
その前に姉妹でご飯を食べて一緒に一晩寝れたようだが、その姉妹水入らずのひと時に何を語ったのかは誰も知らない。
朝の光が、やわらかく地平線の向こうから昇り始める。
夜の冷たさがほんの少しだけ残る空気は、清々しく、胸いっぱいに吸い込むと新たな一日の始まりを感じさせる。
草原には、朝露がきらきらと輝き、小さな水滴がまるで無数の宝石のように葉先を飾っている。
光が差し込むたびに、それらは七色に輝き、まるで小さな虹が無数に広がっているかのようだ。
そんな何気ない日常を二人は歩く。
ぎこちなく、それでも互いの存在を確かめるように。
姉妹は初めて手を繋いで歩いた。
活動報告にてアンケートしております。
よければぜひ