大胆な決断の後には、細々とした仕事という名の現実が襲ってくる。
クルシュは以前に増して忙殺されていた。
物語の果断な英雄たちも現実にはこのように忙しくしていたのだろうか。夢のない部分は物語で語られぬはずである。
ケイの提案を実行するにはいくつものもハードルが存在し幾重にも準備が必要だ。
最大の困難は間違いなく騎士たちの説得であったが、他にも難題が山積みだ。
あの時に、ケイは言った。
「騎竜による接近を行って攻撃。これを基本戦術とするのはやめましょう。これだけで大半が死ぬ。さらに鯨の皮下脂肪を超えて致命傷を与えるというのは、対人用の武器では不足する可能性が高い。リスクに対してリターンが少なすぎる。ああ、伝わらないか、損得の天秤が釣り合っていないと言いたいんです」
「致命傷を与えるのはヴィルヘルムさんなどに任せて、他の人員はとにかく白鯨の体力を削って地に落とすことを念頭に戦闘計画を立てるべきです」
最優先として取り組むべきとされたのが竜車へのバリスタ搭載。つまり戦車化である。
大砲はいくつも用意していたが、防衛兵器であるバリスタを竜車に載せようなどとは思いもつかなかった。
伝手を全力で活用し10基ほど目処がついたが、それでは不足であろうと物言いが入る。当然ケイからだ。
こちらの苦労を知らないでと恨み言すら出そうになるが、十分ということはないだろう。ここで手をぬけば全てを失うかもしれないのだ。
「しかしそうは言うがな。現実的に集められるものは全てかき集めている。無理なものは無理だろう」
「そーよ!そーよ!クルシュ様が無茶して集められたのをフェリちゃんは知ってますからね」
クルシュ様最高!クルシュ様万歳!と叫ぶフェリスを一顧だにせずケイは提案を続ける。
「眺めていて気づきましたが、王城にバリスタがありますよね。あれを拝借できないですか?」
クルシュは思わず白目を剥きそうになる。とんでもない暴挙だ。
「それは無理というものだ。あれは国の資産であり近衛が管理する備品だ。公爵家とはいえ一領主の私闘に駆り出せるものではない」
「そうですか。なら近衛に圧力をかけてみてはどうですか?確か白鯨討伐の協力ができないことを気にしている賢人会の方もいたらしいですし、そちらにも強めに要望を出してみるという手もあるのではないでしょうか」
「いや、しかしそれが通ることはあるまい。そのような規則破りは彼らはできぬし、させたいとも思わない」
「規則に則ってですか、では王家への寄進の制度を活用するのはいかがでしょう?過去の文献に国や王家に有力貴族が自ら財を投じて装備を献上し忠誠を示すというエピソードがありました。先例はあるようですが。今回はバリスタの一斉改良ということで一度外して持ち帰り、それを勝手に使うのはどうでしょう」
「それは…確かに寄進として武具を献上することはあったが、よくそんなことを知っているな。というよりついこの前まで文字が読めないのではなかったか?まさかもう覚えたというのか」
「ええまぁ、勉強は得意ですし、ここの文字って自分の故郷の文字と文法が近いんですよね。文字自体をほぼ暗記すれば変換は難しくないですよ」
常識はずれをここまで連発されるといささか感情が追いつかないが、先ほどの献策について考える。これは一点を除けば無理筋とはいえない策だ。
「一つ、問題を示そう。その策を行った場合、当家は近衛騎士団に対し虚偽を働いたことになる。これは不正であり私はそのようなことはするつもりがない」
「嘘をつく必要もないでしょう。改良のために預かっていたが、その間に白鯨が来たため急遽駆り出した。その討伐ができなければ王国に被害が出る可能性を鑑みて全力でことに当たったと言えばいい。そして全てが終わった後に本当にバリスタを再設置すれば良いのです。そもそもあのバリスタの使用は亜人戦争以降一度もないのでしょう。もったいない」
「それは、私がこれまで踏み越えてこなかった一線だ。当家への信頼を損ねる一手でもある。この判断は重いぞ」
ケイの常識に囚われない献策には助けられているが、越えてはいけない領分というものがある。そこを越えては自分ではなくなってしまう。
「そうですか。でも失敗して全滅するよりマシじゃないですか?」
…極論だ。そんなことを言えば何でもありになる。
しかし、一理ある。ゆえに無視できない。
自分を曲げず、突き通した結果成功するなら何よりよいが、その結果大切な者たちを失い自分自身すらこの世から掻き消える。そんな最悪を想定すると、これまでの自分の矜持というものがわがままのように思えてくるから不思議だ。
「これまでは可能な限り内密にことを進めてきた。それは当家を疎ましく思い、失墜を願うものたちに妨害をさせないためでもあった。大々的に動くことで集められる戦力もあろう。しかし差し引きで損をしてしまっては元も子もない。この懸念は私だけの杞憂だろうか?」
「まだこの世界の政治について不勉強なので確信はありません。しかし今の現状よりはマシだと思いますよ。カルステン家が何かしようとしていると警戒している人たちも、その矛先が自分やその勢力ではなく白鯨に向いていると分かれば態度を変える人もいるはず。一応これは自分だけの推測じゃあないです。先代当主のメッカート様にもお伺いはしました」
いつの間に父と相談をする仲にまでなっているのだこいつは。王都には基本留まらないため、先日登城のために一時立ち寄った程度だろうに。
「別の動きも期待できると思いますよ。この策は。案外仲の悪い人ほど支援してくれたりして」
ふーと息を吐いてから、決断する。
ケイと手を結んでからというもの、自分の中で大切にしていたものの順序が変わることが多い。意図が汲みきれない発言も多々あり不安を感じないと言えば嘘になる。それでも対応しているこの状況は、堕落だろうかそれとも成長なのだろうか。
殿下は今の自分を見て、なんと言ってくれるだろう。
いや、これはあまりにも弱気になってしまっている。そんな姿を見せたいなどと思わない。
私は恥ずべきことはしない。やれることを全力でやるだけだ。
凛とした声には葛藤など微塵ものせない。
「ヴィルヘルム。ボルドー殿へ連絡を。フェリスはマーコス騎士団長へこの件の打診を行い、後援が見込める貴族へも回診してくれ。私はマイクロトフ殿を当たろう」
公爵であるクルシュは王選候補者でもあり、最も王に近いとされる立場である。
近衛のフェリスは王国一の治癒魔法の使い手である『青』の称号持ちであり、彼に頼る貴族は多い。
ヴィルヘルムは元王国騎士団長であり、過去救われたものも重臣の中に多く、戦友が重役となっていることもある。
クルシュ陣営が動き出す。地位も人脈も実績も豊富であり、これまではそういった貴族的な絡め手を積極的には使ってこなかった公爵家。その変化による影響は劇的だった。
すでにカルステン公爵家が何かをしでかそうとしていることは王都の話題になっていた。それが白鯨討伐であるという噂まで流れ始めると事態は少し変わってくる。
カルステン家がかつてないほどなりふり構わずに準備を進める状況に、貴族たちは浮き足立つ。王選への準備かと勘繰るものは警戒していたが、白鯨討伐の意図を知ると一転して支援を申し出る者が出てきた。
懸念していた敵対勢力についてはなぜかケイの予想通り、妨害どころか支援表明をする者があらわれた。親派と同じかそれ以上の支援を表明するものもいる。当初は理解できず罠かと困惑したが、ケイは何でもないという風に答える。
「罠ではありますが、気にしなくていいかと。白鯨には勝てっこないと思っているんでしょう。単純に」
そう。この支援は白鯨から決して逃げぬようにという意図であった。逃げるなら支援を口実に攻撃し、戦うなら当主もろとも壊滅の憂き目に遭う。決して白鯨には勝てないという前提に立つ者にとっては打ち得の一手が支援となっていた。
血眼の剣鬼がそこにいるというのに妨害するなど、そんなリスクを取る必要はないのだ。
元より逃げるつもりもないクルシュは吹っ切れたように敵から送られた塩である財貨を存分に使い込んでいく。
方針の変更をしてしばらく経ち、討伐隊の予算規模は前回の大征伐に迫る勢いだ。
騎士たちへの説得も、一悶着あったがどうにか成功した。
たった一つの不安。先代剣聖のような圧倒的な個による戦力の確保はできぬままであっても準備は整っていく。
クルシュは、そんな状況に何かしらの因縁を感じる。
個人や龍に頼っての解決ではない、凡人たる人の力を結集しての白鯨討伐。
「王選における私の主張を、まず現実のものとしよう。言葉だけでは人は動かない。それが道理か」
自分に言い聞かせるようにつぶやき、無意識に宝剣に刻まれた家紋をなぞる。
月明かりに照らされる王都の眺め、その先のどこかを見て一人笑う。
白鯨よ、いつでも来るがいい。
かの災害を心待ちにする少女。歴史に残る英雄の誰もが持たなかったその心境を知るものはいない。
【マキャベリと君主論について】
『君主論』は、1532年に刊行されたニッコロ・マキャヴェッリによる政治学の著作である。
歴史上の様々な君主および君主国を分析し、君主とはどうあるものか、君主として権力を獲得し、また保持し続けるにはどのような力量が必要かなどを論じている。その政治思想から現実主義の古典として位置づけられる。
「目的のためには手段を選ぶべきでない」といった言葉が特に有名。現代でも合理主義や功利主義の引き合いに出されビジネス書でもよく使われる。