素敵な呪縛さ、にげられない
結婚式までの数時間、主役たちと準備をするもの以外はいたって暇である。
そんな時間の浪費を許さないプリシラの命令で、急遽開催されることになった勉強会。
「じゃあ今日は人体についてやりましょうか」
まずは進化論から伝えると。そこでまずは躓いた。
「物書きよ。貴様、この完璧たる妾がかつて猿であったと、この玉の如き肌を見てもそうのたまうか?」
この世界にも猿はいる。猿型の魔獣の方がルグニカにおいては一般的だが、ヴォラキアの密林には類人猿が生息している。猿はこの世界でも人を貶す蔑称的な扱いを受けており、お前は猿だったと言うのは普通に非礼に当たる。
「いや、肌は毛もなくて綺麗かもしれませんがあなたも完璧じゃな…」
「どこを見ておる。不快であるその目を潰して詫びるがいい」
「ケイ?どこを見ているんでしょうか?どこが好きなのですか!?」
うるせえよ。褒めてない。毛が生えてないと言っただけだ。
プリシラはクルシュとセットになるとこういう嫌がらせをしてくる。
どちらかといえばクルシュの反応を見て楽しんでいるようだが、僕への嫌がらせもかなり好物であると知っている。
単品なら割合大人しいのだが。
くつくつと笑う女と。ぷりぷりと怒る女をそれぞれ無視して話を続ける。
「いいから進めますよ。人体の不完全性については簡単に証明することができます」
そうして取り出したのは紙と筆。
中心にエジプト十字を描いて、この辺りかなと言うところに点を打つ。
そして自分で確かめれば、一定の距離でしっかりと狙い通りになっている。
「視線を紋章に合わせつつ、この点を視界の端で見てみてください」
言われるがままにやってみる二人。
「む…!」
「ええ!?」
点が消えた。
顔を前後すれば現れるが、一定の間隔において点が見えなくなっている。
「これは人体の目の構造上の欠陥です。盲点と呼ばれる死角が常に存在している。脳は見ているものを勝手に補正して我々に知覚させるので、こうでもしなければ自覚はできませんが」
プリシラはその事実を見て、いや見失ってその考えを改める。
「妾が完璧であるという言葉は撤回せねばなるまいな。よくぞ教えた。欠けた点こそ美点となる芸術の如く、これで妾はまた一歩完璧に近づいたというものよ」
「まだいくつもありますよ。哺乳類全般の欠陥ですが、呼吸と飲食の経路が同じと言うのも実はおかしい。食べ物を気管に詰まらせて死ぬなんて、鳥はほとんどしないらしいですよ」
それも全ては進化における変化が、ある意味で行き当たりばったりであるという事実から生まれている。
つまり、我々が今こうあるのはたまたまである。
これはあくまで最も有力な仮説であり、科学において確実というものはない。
創造主説も完全な否定はできない。
しかしながら、我々をデザインをした何かがいるのであれば、その存在は普通にミスをするような存在であるとは言えそうだ。
神がいるとすれば、全知全能の完璧な唯一神ではなく。日本神話や北欧神話のような人間のごとき失敗をする神であろう。ケイは体の欠陥を見てそう考える。
「進化論についてはまた今度ということで、これは前置きです。本題は人体の構造についてですから」
そこから語るのは人体という構造と構成。そしてその強さと脆さについてだ。
投擲という武器で生き抜いた人類の祖先が、言葉を獲得して霊長となったこと。
その際の進化によって歪な部分がありつつも、今に至るまで栄えていること。
これは親知らずや、出産時の危険性などから説明を補足した。
そして話題は実用的な人体の弱点にも移っていく。
「脳は頭蓋の中で水に浮いていますが、急激に揺らされたり。衝撃を受けるとそこにぶつかります。その結果脳機能が一時的に停止して気を失ったり、起き上がれなくなったり、その他障害が発生します。そしてそれを起きやすくするのは、顎への打撃ですね。脳震盪を起こしやすい」
「ほう。そこまで体系的な説明ではなかったが、顎を揺らせば相手が昏倒することは一部の暗殺を担うものどもが使っていたはずじゃ。その術理を公開すれば、不要な殺意を買うであろうな」
「あと近いところで言えば、心臓への打撃でしょうかね。心臓震盪と呼ばれる症状を引き起こし、心臓が正常な動きができないまま心停止に陥る場合がある。気絶だけで済むこともあるらしいですが、多くは死亡事故につながります」
「顎を揺らせば脳を、胸を押せば心の臓が暴れるか…」
その後も毒や神経系の説明をしているのだが、どうにも不穏な空気を感じる。
キリのいいところまで聞いたら、待っていたとばかりに立ち上がる。
「よし。講義はそこまでとする。やはり知識は実践と合わせてこそ活きるもの。喜べ、物書きよ。貴様で試してやろう」
これまで教えたことを、プリシラは勤勉に実践する。
「何、貴様の苦労には報いてやろう。これは貸しというものじゃ。妾に何か貸し付けることができるなど本来あり得ぬことである。光栄に思え」
少し待てという言葉を聞かず、プリシラにはゴングが聞こえていたらしい。
1分もせずにケイは3度の脳震盪を起こされ、不屈の闘志で立ち上がったところを心室細動で殺された。
復活し起き上がったらまたしても会心の脳震盪。ほとんど扇子がかするだけの小さな衝撃で、立てなくなる。
「クルシュよ。貴様はやらぬのか?」
その一瞬の暴虐に呆然としていたクルシュが我を取り戻す。
「やりませんよ!というかこれ以上はケイを叩かないでください!プリシラ様でも、もうダメです」
そう言って倒れたケイを抱え込み。可愛らしく威嚇した。
「やはり貴様らは悪くない。この実験は妾の非として覚えておくが良い。多少の願いなら叶えてやろう。また知識の披露に励め、物書きよ」
「じゃあ、この後のお酌から解放してくださいよ」
回復しつつあったので、願いを早速使ってみる。
「それは断る。願いと罰は別よ。相殺などとつまらぬことはせず、存分に利息を増やしておくが良い」
そう言い残して去っていく。
取引としては悪くない。無理矢理に貸し付けられた感は拭えないが。
まぁ、いいか。その表情を気取られた。
「よくありません!もう大丈夫ですね?ちょっとプリシラ様を叱ってきます」
覇気を纏ったクルシュがプリシラの後を追う。プリシラは結構この状態のクルシュに弱いらしく、ある程度意見を聞くこともあるのだとか。
ケイは結婚式まではゆっくり休むことにした。魔法の練習がてらリセットでもしようかなどと考えつつ。
この後の結婚式という厄介ごとについて悩む。
気づけばビーバーの魔獣に触れていた。油を纏うことはやめさせているので毛並みは良い。
青蓮の証を常に背負い、そこには識別番号や情報も書かれている。
すでに飼育する魔獣も増えた。何体かは弱ったり処分したりもしたが重要な異常個体たちには思い入れも出てきた頃だ。
この四番目の獣の毛並みを整えてやっていると、騎竜が抗議をするように頭を擦り寄せてくる。
まぁ、いいか。
動物との触れ合いで雑事を忘れる。ケイは自分でも意外であったが賢い動物が好きであるらしかった。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
結婚式はつつがなく進行していく。
花嫁よりよほど目立つ衣装のプリシラが演説し、喝采を浴びて満足そうにしていた。
ケイの隣に戻ると、ふんすとふんぞり返って酒を要求する。
「お見事でした。プリシラ様は演説がお上手ですよね。やはり練習されているのですか?」
「そのようなことはしたことがないが…クルシュよ、勘違いするでない。鍛錬は恥ずべきことではない。工夫や努力によって天稟に並ぶこともある。そこな剣鬼もそう思っているであろうよ」
プリシラは人をあまり覚えはしないが、読書家である。剣鬼恋歌は流石に知っている。
無言で頷くヴィルヘルム。このところ、寡黙さに磨きがかかっている。
何を考えているのか聞けば当然剣についてと返ってきた。
あっという間に披露宴へと進行する。
誓いの言葉や乾杯。
小さな鐘の音を司会が響かせるたびに豪勢な食事が運ばれてくる。
兄が仕留めた獲物を振る舞い、宴は盛り上がっていく。
特別に上等な酒が振る舞われ皆も楽しく酔い、腹も膨れた。
宴も
父がすでに亡くなっているらしく兄からの演説となった。
言葉は拙く、口調はどこか不自然だ。
しかし、誰もがプリシラと比べることなどせずに、その言葉に聞き入った。
妹は涙を流して、伴侶と手を繋ぎ。兄に自分の着飾った晴れ姿を見せている。
狩人である兄は言葉を扱うのが苦手なのだろう。それでもやり切った。
拍手が送られるなか、あのプリシラですら手を叩いていた異常にケイは気づく。
普段なら聞きはしないだろう。
だがもうすでに酒をそこそこ飲まされている。軽くなった口が開く。
「そんなに良かったですか?今の話」
そう言って注がれた酒を飲む。
かなり高級な捧げ物らしく、度数が高いのに水のように飲めてしまう。
ケイは初めて酒を美味いと思った。
「やはり貴様はこれを解さぬか。もはや驚かぬが、クルシュに要らぬ荷を負わせるでない。貴様も自身にとっての未知を学ぶべきであろう」
そう言って視線を戻すプリシラの横顔に、酔ったクルシュはいくつかの風を見る。
感心と満足。そして郷愁と…あまりにもか細いが、これは『後悔』と『寂しさ』?
プリシラにしては郷愁の時点で珍しい。後悔など見たこともなかった。
衝撃を受けつつ、触れてはいけないかと逡巡する。
しかし酒に緩められた頭と口からは疑問はすでにはみ出ていた。呼び方すら心の内で呼んでいた秘密の呼び方で。
「プリシラ姉様には、お兄様がいらっしゃるのですか?」
その瞳は抱き合う兄妹の姿を捉えて、周囲のことを忘れていたようだった。
姉様と呼ばれ、驚きクルシュを見据える。
「ふむ。妾としたことが、少し隙を見せたな。やはり祝いと美酒は回るものよ。そうさな、酔狂な妹よ。先の貸しでも使って聞き出すか?」
「ええ!聞かせてください」
即断のクルシュ。まぁまぁ飲んでいるためクルシュもそろそろ限界である。
「は!このようなことに願いを使うとはつくづく無垢で愛いやつよ」
まるでシュルトを抱きしめるように、クルシュの頭を傾けて抱きしめる。そうしているとクルシュはプリシラの膝の上に沈んでいき、まるで魔法のように寝息を立て始めた。
プリシラはそうして場を整える。
約束したなら願いは叶えなければいけない。しかしこのような感傷は人に伝えないと決めたものが含まれる。
クルシュには語るがそれを聞いているかは相手次第だ。
物書きはこの話に興味がないし、どうせ理解もできない。
だからこれは、ただの独り言と変わらない。
「妾には兄がいてな。もう会えぬが、結婚をするたびに少し思い出したものじゃ。妾の晴れ姿を一度も兄上に見せることはできなかった。これは妾の数少ない、後悔とも呼べぬほどの心残りよ」
そんな一抹の寂しさとも言える表情をケイは読み取れない。
しかし表情は一瞬で切り替わる。この表情はわかる。戦意と愉悦。敵意の混じった猛獣の笑みだ。
「まぁ、兄上にとびきり平易で平和な愛についての演説をさせたい、というのが実際ではあるがな。兄上の苦虫を噛み潰したような不本意な表情を見ることはほとんどなかったが、あれは至上の悦楽であった。貴様の嫌そうな顔もそこそこであるぞ。褒めて遣わす」
じゃあなんとか見せればいいのに。そう思うが、きっとできない事情があるのだろう。
兄と妹の仲を取り持ったのもそんな思いからか。ケイにはよくわからない。
居心地の悪くない沈黙がその空間を満たしていた。
周囲の喧騒と、クルシュの寝息。
そしてちびちびと酒を飲むのは、悪くないな。
どうせ、この後すぐに覚ますことになるんだし、今は味わってしまえばいいや。
まぁいいやと自分を騙しながら、酒を飲む。
これぞ大人の飲酒である。
そうして過ごしていると、その時は来た。
柄の悪い男たちが、バーリエル邸の中庭に入り込む。
ざわめきを掻き分けて、頭目であろう神経質そうな男が声を出す。
警備はどうなっている?
プリシラ様が入れたのか?
あれをどうする?
そんな疑問が浮かぶが、ここにいるのは王国でも屈指の戦力だ。
皆の顔に浮かぶのは不安よりも、領主たるプリシラへの信頼である。
太陽姫に照らされたその民たちの顔は明るい。
「じゃあ、まぁこれを食らえよ。酒呑どもが」
拾うのはテーブルにあった小さな鐘、いやこれは鈴だろうか?
先ほどから聞き慣れていたそれがチリンとなるやいなや、世界がぐるりと回転した。
「はっ!ようやくだ!あの酒をあれだけ用意するだけで破産寸前だが、これでようやくお前を排除できるなぁバーリエル」
勝利の美酒に酔うように、演説台の上に登った男の口は回り続ける。
「これはなぁ!飲んだ酒の酒気を爆発的に高めるミーティアさ!酒によって相性はあるが、ほらみろ。カララギ伝統のこの酒は特に効き目がいい。これを女を持ち帰ることにしか使ってなかったバカを殺して奪った後に気づいたのさ。見ろよ!あの剣鬼が立てやしねえ!一杯でああなるんだ普通はな?」
そう言って見据えるのは、未だに椅子に座り狼藉者たちを見据える。プリシラだった。
「くだらぬ…な。しかし、その演者ぶりに…は少しばかり感心…した。貴様らをこれより、この式の…余興としてやろう」
何を言っているのだか。まだ話せるのは驚異的だがこの苛烈な女が動けるならば即座に切り捨てられているだろう。
それをやらないなら、やれないのだ。
そう思っていると、プリシラが炎上した。
「…は?」
そして、燃えながら立ち上がる太陽姫は会場を照らす。
その手にはいつの間にか、剣が握られておりその切先にはすでに血がついている。
隣で倒れていた男。確かカルステン家の重要人物。それを切った?
愕然として動けないでいると、殺された男が起き上がる。
「はぁ…じゃあ、あれは排除でいいんですね?」
「ここは宴席である。流血は無用。貴様の講義の成果を見せてやろうではないか」
「…いまさっき僕のこと斬りませんでした?」
そこからは蹂躙が始まった。
プリシラが近づき腕を振るえば、男たちは膝が笑って立てなくなる。
頭目は慌てながらも倒れていた花嫁に剣を向ける。
「おい!主役が死んでもいいってのかよ!」
そしてその脅しに、プリシラは動きを落とさなかった。
「貴様がもし傷ひとつでもつけるなら、拷問ののちその魂まで焼いてやろう。選ばせてやろうというのだ妾の寛大さにひれ伏すがいい」
そうして手下の最後の一人が平伏した。
「ちっくしょうが!!」
そう言ってやぶれかぶれに剣を振るってしまおうか。考えるが、やはりやめる。死にたくない。
そう思った時、手から力が抜けてしまった。
あ…だめ…
そう思うが手から剣が離れて花嫁に向かって落ち始め…ない。
剣は空中で静止した。
「…は?」
そう溢した男の心臓にプリシラの蹴りが炸裂し、そこに倒れ伏した。
ミーティアの使用者が意識を失ったことで効果が消えたのか、会場に自由が戻り始める。
そうすると、ざわめきも起こっていく。ここは安全なのか?
でも太陽姫さまが守ってくれたし。そんな困惑が会場に広がっていく。
「さて、これは妾からの余興じゃ。披露宴を最後まで行え。この邪魔者どもはどかしてやろう」
パンパンと手を叩けば、テッテレ〜という効果音を自ら放ちつつ、アルが舞台袖から現れる。
その手には巨大な看板。そこに描かれた文字はこうだった。
『襲撃者ドッキリ大成功』
そして丁寧に襲撃者の似顔絵まで描かれている。これは事前に知っていないと無理な芸当だろう。
「酒を飲まずに控えてろって言われてたから俺がどうにかすんのかと思ってたんだけどよ。俺の役割これってマジ?」
「ふん。最も驚かせてやろうかと思った者もどうやら気づいていた様子。もっと精進するがいい。我が道化よ」
ケイは襲撃があることを事前に知っていた。
そしてそれをプリシラが把握しつつ誘っているのも知っていたため放置していた。
エルザと他数名を事前に移動先に配置して安全を確保、脅威の調査をすることはこれまでどこでもやっていたことだった。
魔獣討伐で訪れる街や村。その道中の全てで襲撃があると想定して動く。
これがケイの当たり前である。
「それより、さっきの炎はなんですか?先ほど説明した毒物。アルコールだけを飛ばしたように見えますけど」
「ふむ。それは正しい。妾の剣は、焼きたいものを焼き、斬りたいものだけを斬る。先に聞いた酒気だけを燃やすこともまた、容易い」
彼女の認識にはこれまで、酔っ払いと酒気は同一のものだった。
それが血中アルコールとそれに伴う体内の物質について語れば、それをピンポイントで燃やせたというのだろうか。
彼女はおそらく、毒を知ればそれを燃やせる。選び取れるその力は強大だ。
そしてその権能は彼女自身に宿っていない。それはあまりにも有名なものである。
陽剣ヴォラキア。
世界に轟く10の魔剣の一振り。
ヴォラキアの皇族だけが宙空より引き抜くことのできる赤き宝剣。
その逸話は世界に知れ渡っている。
ヴォラキア皇族がルグニカにいたという噂は事実だった。
「さて、まさか貴様、妾と姉弟であるなどと戯言を言うわけはあるまいな?」
本物からの質問はケイにだけ聞こえている。
「まさかですよ。兄妹のわけがない。それより僕ってそんなに似てるものですかね?」
「兄上には似ても似つかぬ…と言いたいが。そうであるな。確かにそのあり様には似通ったところもあると認めてやろう」
「妾が手ずから『はらすめんと』をしたいと思えるという点において、その噂を肯定してやろう」
笑ってそう言うプリシラ。確かに昨日からパワハラ、アルハラなど枚挙にいとまが無い。殺されることは何ハラスメントに該当するのだろうか。
それと、意味深なセリフで誤魔化されたりはしない。
「ていうかなんで僕は殺されたんですか、アルコールだけ燃やせたでしょう」
この追及をケイがしても意味がないことくらいは知っている。
なのでクルシュに密告し後で叱ってもらうこととする。