「ようこそおいでくださいました。カルステン公爵様のご到着をボーモント家を代表して歓迎させていただきます」
ここはとある地方領主の館。
質素な応接室は、必要最低限の家具だけが並べられ、飾り気のない空間が広がっている。
窓は小さく、薄手の白いカーテンがかかっているため、外の光が柔らかく差し込んでいるが、部屋全体に落ちる影は淡く静かだ。
壁は淡いクリーム色で特に絵や装飾はなく、少し年月を感じさせるが清潔感がある。
そんな応接室で首を垂れるのは、凛々しい女性だった。
濃紺の長髪をまとめ、姿勢正しく最大の礼を全身で発している。
付近の魔獣調査の折、とある噂を拾ってきたのだった。
迷い森と呼ばれる禁足地があるらしい。
呪い森と呼ばれる禁忌の領域があるらしい。
誘い森と呼ばれ恐れられる伝承があるらしい。
そこで共通して語られることは、恐ろしい魔獣が出るということ。
これだけ語られていれば人が近寄ることはなかったのだろう。むしろこの噂を聞きつけて接触を図った際には驚かれた。
現在領主は不在ということで、その妹のエリノア・ボーモントが代表して対応している。
「ええ、その通りです。領地の一部には禁足地がございます。この数十年は誰一人としてそこを訪れてはいないはずです。当主にだけは口伝されていることがあるようですが、私は何も聞いておらず申し訳ありません」
クルシュは踏み込んで質問を行う。
「その間、何か問題は起きてはいないのですか?迷い森、誘い森などの噂があるということは犠牲者が出ているのではと思ったのですが」
「それが、あまりそう言ったことはないのです。その噂がしっかりと浸透しているからか、他領よりも森での遭難や事故は少ないはずです。人攫いなども付近の領と大差ないかと…」
少しだけ言い訳のように聞こえるその意見は事実なのだろう。事前の調査によればむしろこの家は人攫いの被害に遭っていたはずだ。
「その森については特に調べるつもりもないということですね。特に当主不在であれば尚更勝手には動けないと」
「はい。噂に名高い『青蓮獅子団』の方々にご足労いただいたにも関わらず、大変に申し訳ないのですがおっしゃる通りです。あの地を許可なく踏むことは、私の独断では許可できないのです」
クルシュはケイと目で頷きあう。
「わかりました。ではここから数日の逗留の間にご当主が戻るように祈っておきます。お帰りはわからないのですよね?」
「はい。どうやら他領まで足を伸ばしているかもしれず、連絡は送りましたがさらに遠くへ行っている場合は間に合わせることができないかも知れません」
そう言って一行を歓迎し、魔獣調査は行われないことが決まった。
しかしわざわざここまで来て彼らが大人しくしているわけがない。
特にケイが探しごとをするとなれば、本当に恐ろしいほどの力を発揮する。
「見つけましたよ。おそらくここで間違い無いでしょう」
そう言って見せるのは絹糸のような滑らかな糸束だった。
キラキラと月光に煌めくその糸は、一目で高級品とわかるもの。
この地は絹糸や織物の一大産である。
それなら高級な糸が領主の館にあることはなんの不自然もないはずだが、ケイはそれを握っている。
しかも普段つけない手袋をして。
これはこの世界で最も高価な糸である。
その価格は二番目に高価な糸と、桁が二つほど違う。
なぜそんな異常な価格なのか、理由はシンプルである。
用途と機能が違うのだ。
「『宿りの毒糸』やはりここが産地でしょうか」
「ええ、そのようですね。厳重に隠されていた工房もすでに発見しています」
そう。この糸は暗殺用の毒である。糸自体に猛毒があり、それを編み込まれた織物を身に纏えば、だんだんと毒が浸透していく。
使う糸の量にもよるが、その死に方は緩やかでまるで自然に病気になって死んでいくような死に方になるため暗殺がバレにくい。
一時期、貴族がこぞって使い倒し対策がされるようになってその生産元が厳しく排斥された過去があるのだった。
禁忌とされるには理由がある。この糸を出すのは魔獣なのだ。
王国では根絶宣言がなされて久しいが、いまだに散発的な目撃例はあり王国外でも生息している。
『宿蜘蛛』アラクネと呼ばれる魔獣である。
アラクネの吐き出す『宿りの毒糸』の取り扱いは重罪とされている。
白鯨討伐の折に、王都にあるあらゆる毒物を表と裏からラッセルにかき集めさせた中に、これが1束入っていたのだった。
当然クルシュには報告せずにラッセルはケイに直接売りつけた。その情報とともに。
外国から持ち込まれるものはあるらしいが、規制の厳しい王国内で見つかるのは非常に珍しいのだとか。その1束もカララギの違法商人からの借金のかたで奪ったものらしい。
白鯨討伐が落ち着いてから、魔獣由来の毒物を調べているときにそれを詳しく調べてみた。
すると浮かび上がるのは、なぜか極端に王国での流通も使用も被害も少ないという結果。いったいなぜだろうか。世界中で発生が散発するなら、同じだけ王国でも起こるはずなのに。
不自然な空白には意味がある。
ラッセルに調べてもらい二月が経った頃、一つの仮説を彼が話し始めた。
「まだ物証はありませんが、この毒糸の産地はルグニカかもしれません。産地周辺での使用や流通を極端に隠した結果があの不自然な偏りであると、そう結論をつけさせてもらいます。これは結構自信がありますよ。そしてその産地の情報もご入用でしょうか」
ラッセルにはたっぷりと金を積む。こいつは使える。そして向こうも僕を優良顧客として特別扱いをしてから少し経つ。
様々な方面からの調査の結果、浮かび上がったのがこのボーモント家が治める領地である。明らかに収支が合わないところがあり、現地では怪しげな森の噂が立ち込めているとあれば決まりだろう。
当主はクルシュの来訪にさぞ肝を冷やして逃走しただろう。『風読みの聖女』の来訪はいまだ悪人にとっての悪夢であり続けている。
おそらく、今代表として立てているエリノアは何も知らされていない。
クルシュの質問に清廉潔白で通せる人間を用意して、悪事を知るものはクルシュとは会わない。ルグニカ貴族のクルシュ対策の一つだ。
「しかしまぁ、本人がいないならそれでやりようもある。明日朝一番に問い詰めて強制的に調査をしましょう。すでに不法侵入で物証は掴んでいますし」
「本当に、その協力者というのは反則ではないですか?前も聞いたと思いますがしっかり休ませてあげているのでしょうか。昼夜問わず使っているでしょう。ずっと酷使していつか反感を買ったりなどしないか心配ですよ」
多くの味方にも、IBMのことは謎の協力者タブスとして存在を仄めかす程度にしている。
実際にそれをみたのはヴィルヘルムとローズ、ゴドフリー。そしてエルザくらいのものか。
IBMが僕から発生する何かであると知っているのはヴィルヘルムしかいないが、ローズは勘づいていそうな気はする。
心配は無用と言うとなぜかクルシュは余計に不安になったようで、その目はじっとりとケイを捉えている。
「いつか直接お礼を言わせてください。相当にお世話になっているようですから」
ちょくちょくエルザやタブスに会わせろと言ってくるから困る。まぁ会わせないが。
今回は調査はおまけというか名目であり、なんなら人との殺し合いになる可能性が高い。
ちょうどメィリィの力が必要な案件もあったので、今回は別で動いてもらっている。
さて、しばらく自由になったので騎竜のケアと魔獣の躾に向かう。
最近は『木樵鼠』ジャスティへの躾がケイの趣味になりつつあった。スポンジのように吸収するこの魔獣は本当に賢かった。手先も器用で簡単な武器なら扱える。
そして重要なことは人間の盾になるように躾けることだ。
どのような状態になったら、クルシュをどんな風に庇い、助けるように動くか様々なパターンを仕込んである。
しばらくクルシュの視線がやけに刺さっているように思えたが、一緒にやりたいのだろうか。
翌日の詰問は、想像よりよほどスムーズに進んだ。
クルシュが本で読んでいた物語であれば、追い詰められた悪者たちは最後は剣を取り出して抵抗するものだが拍子抜けだ。
そんな疑惑があるならと、森への侵入はすぐに許可された。
恐ろしい疑惑に狼狽するエリノアはやはり、何も知らないようだった。
「いえ、しかし気になることはあったのです。当家の裏帳簿、貴族家ならどこにでもあるでしょうがそれの秘匿はあまりにも堅いものでした。お兄様もきっと理由があってのこと。どうか話を聞いてからお裁きください」
そう言って今にも伏して懇願しそうな勢いである。
え、裏帳簿が普通なんですか?そう言うのはカルステン公爵家という大家の一人娘であり当主。
当然あるはずのそれをケイも探したが、どこにも存在してなかった。
カルステン家は馬鹿みたいに潔白で潔癖であった。
例の森へと獅子団を進めて強制捜査が開始された。
文献の情報が正確なら、アラクネという魔獣自体の脅威はそれほど高くない。
単体の性能であれば『木樵鼠』ジャスティの異常個体の方が遥かに強力であろうし。
新種として登録されたカモノハシ型の魔獣『混成獣』プラタとは比べ物にならない。
しかし、それ以上に危険な要素がアラクネにはある。それを知って対策を取れる時点で脅威度は低いのだが、知らない場合はヴィルヘルムであっても負けるだろう。
深い森の奥へと一歩踏み入れて歩いていくと、冷たい霧の冷気が足元の熱を奪うのを感じる。
視界は薄暗く、木々の天蓋が光を遮り、太陽の存在すら忘れさせるほどだ。
木々は異様なほどに高く、ねじれた幹が無数に重なり合い、まるで無言の巨人たちが寄り集まってこちらを睨んでいるかのよう。
樹皮は苔とカビで覆われ、湿った腐葉土の臭いが重く漂う。
足を踏み出すたびに、下草がかさつく音が響くが、それすらも森の静寂に吸い込まれていく。
迷い森へと進む調査隊。
嫌な感覚に、皆が顔を歪ませている。
何かがおかしい。
そんな感覚を自覚できた頃には、体がすっかり疲れ切ってしまっていた。
「よし。やっぱりいるみたいだ。予定通りいくぞ」
そうするとヴィルヘルムはケイの首を半ばまで断ち切る。
これはケイのために編み出した新たな技であり、鮮やかな剣技によって頸椎を一瞬で切ることによって一切の痛みを与えずに絶命をさせる技だ。
本職の処刑人であってもここまで綺麗にはいかないだろうという切り口で命を絶たれたケイは、即座に復帰する。
「よし。調子は戻った。やはり毒です」
そう確認を取れば、フェリスが治癒を始める。
事前に入手していた毒糸によって、その解毒方法は十分に練習済みだ。
まるで背中を叩くかのような気軽さ、最小の接触で治していく。
その治療が終える前に、茂みからガサガサと音がして何かが飛び出してきた。
何も考えずにヴィルヘルムが切り捨てて、ケイも指銃によって一つを撃ち抜いた。
それは蜘蛛のような何かだった。
一つは子犬に50cm以上の蜘蛛が覆い被さるような形で一体化しており、別の個体は鳥の足から先が蜘蛛だった。
一際大きな個体が、突進する。一見地竜であるように見えるが、その背中には1mを超える大蜘蛛が張り付くように足を蠢かせている。
他にも大きな個体が三体ほど地を跳ねるように迫ってくる。
その全てを青蓮獅子団は一撃で片付ける。鎧袖一触とはこのことか。
魔獣退治においてこの国で最も経験のある猛者が並ぶのは伊達ではない。
蜘蛛と牛の体を切り離されて絶命したアラクネを見てケイはその魔獣についての知識を思い返す。
『宿蜘蛛』アラクネとは、他の生物に寄生し融合する魔獣である。
蜘蛛が魔獣の本体であり、ヤドカリが貝を探すように他の生物を宿り先として探し襲う。
寄生され魔獣の一部になった生き物は、元の生き物の仲間を誘うような声や見た目行動をするようになり、罠として張った蜘蛛の巣におびき寄せるようにして生き物を殺していく。
ケイは魔獣を調べ始めてから、その一貫性があるようでない不思議な生態に頭を悩ませている。
基本的には哺乳類や爬虫類、鳥類などが多く虫などはほとんどいない。
けれど例外もあるようで、砂蚯蚓と呼ばれる魔獣がいるため絶対の法則ではないようだった。
この宿蜘蛛もその例外なのだろう。
「2時方向、何かがゆっくりと近づいてきます!」
周囲を警戒していたものが、声を張り上げる。
視線を集める方角からは一際大きな推定群れのボス。
それは、人を乗せた蜘蛛、いや人と繋がった蜘蛛だった。
蜘蛛の上で裸体を晒すその姿は異様の一言。
しかしその妖艶な雰囲気に、皆が目を離せなくなっている。
これが同種を誘うという仕掛けか。
太ももより下が蜘蛛と一体となっている人間は女性であった。
女の髪は長く、濃紺である。
誰もが思った。エリノアに似ていると。
その場に止まり、互いに観察をして。ピンと張ったような警戒が空気を軋ませていた。
張り詰めるその緊張の糸を何が切るのかと、全員が固唾を飲んで見守っている。
異様な魔獣は調査隊の意識の外から一撃を放った。
「降参である」
「は?」
魔獣が、喋った…?しかも降参?
よく見れば
他にも後ろには角が折れた人と繋がったアラクネが何匹か。
「吾輩は群れの王。それらと別だ。殺さないでくれたまえ」
先ほど切られたものたちをそれ呼ばわりして助命を願う。
一体なんだこれは。
魔獣から命乞いを受ける前代未聞の事態にケイも言葉が出なかった。