亜人:ゼロから始める異世界生活   作:ZAT23

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【FILE:67】劇場型殺意

 

 

『要点だけ話せ。何をしてほしい?』

 

その問いに対しての明確な答えをスバルは持ち合わせていない。

無力感と焦燥感。それらが相互に高まり続けて悪循環を生み出している。

 

そんな様子を一瞬で読み取り、ケイは問いを変える。

 

『場所はどこで、時間は後どれくらいだ?』

 

「時間は、あと5分後っ!場所は、中央東の刻限塔のある広場だよ。その塔にいやがる」

 

『能力は?』

 

「多分…洗脳とかだと思う。あいつを見てると別の気持ちが湧いてきて、今までの思考ができなくなるような…」

 

言い淀むスバルだが、これでも全力で言語化をしている。走りながら、焦りながら、先ほど死んだショックを抱えながらである。

 

正直何が起こったのかわかっていなかったのだ。

 

ケイはその発言を聞いて、息をのんだ。

深刻そうな表情が刻まれるが急ぎ移動しているスバルは気づかない。

 

 

『ラインハルトは?』

 

そうだ。ラインハルト。あの剣聖がこの街にはいる。どこまでも自分の思考が遅れていることに歯噛みしつつもその名案に飛びついた。

 

「まだ、試してねえ!」

 

『もう時間がない。周囲に人はいるか?大声で子どもが重症だと訴えろ。今すぐにやれ。空中に魔法を打ち出せば都市の衛兵と剣聖が反応する。対話鏡でも話しかけるがそっちの方が早いはず。一度切るぞ』

 

対話鏡は一度に複数を同時に使うことができない。やれなくもないが、使用者があまりに近いと混線し結果的にどちらも使えなくなったりするのだ。

 

 

やることを心の中で決めながら、人混みをかき分けてひたすらに目的地まで走り続けた。

スバルは広場にたどり着く。そこで大声を張り上げた。全力で走ってからの発声はキツイが、この一年の基礎体力づくりによってそれを可能にしたのだった。

 

 

「緊急だ!こども、子どもが大怪我をしてる!誰か合図の魔法を上げられないか!!?」

 

 

注目を一身に集め少しだけたじろぐ。しかし、こちらは必死である。演技など必要ないその態度には説得力がある。

 

ざわめく、人混みの中から剣を下げる獣人と眼帯の女性。冒険者らしい数名。それにラチンスが近づいてきた。

 

「ラチンス!今すぐラインハルトを呼んでくれ!緊急だっ!」

 

その必死な叫びにラチンスは一瞬の逡巡をするが、すぐにその要請に取り掛かった。

 

「っ!よくわかんねえけど。責任はそっちもちだかんな!」

 

 

ラインハルトがこの場にくる。

そうなれば、『憤怒』への対処は容易だ。いかに実力者であろうと、剣聖の前ではその実力も大いに霞む。『憤怒』の権能自体も、ラインハルトには通用しないに違いないという謎の信頼感がスバルにはあった。

 

「ゴーア!」

 

ラチンスが言霊を紡ぎ、突き上げた腕の先から赤い炎が打ち上げられる。

 

空中へ炸裂する赤の魔法。威力でなく光に力を偏らせたゴーア系統の信号弾が広場上空へ舞い上がった。

 

 

花火というにも、魔法というにもしょぼくさい効果と言わざるを得ないが、その程度の効果であってもかの英雄には十分だろう。

 

そんな、漠然とした安心感があったからだろうか。

当たり前と言えば当たり前すぎる、こんなことに頭が回らなかったのは。

ラインハルトを呼べば、それで全ての状況が好転すると、周りが見えなくなっていたからだろうか。

早く安心したくて、ケイの「今すぐに」という言葉が抜けていたのだろうか。

 

「――あら。空の彼方に火の玉が一つ。とても綺麗な輝きでしたね」

 

刻限塔の外で騒ぎが起きれば、当然のように敵もそれを察知することぐらい。

時間まであと2分ほどはあったはずだ。しかし、誤差のようなものである。

 

塔に潜む怪人は、その合図で出てきてしまった。

 

【悪意】が笑い。【殺意】に変わる。

 

 

 

 

 

しかし数分後、望んだ通りに剣聖が駆けつけ、その殺意は切り捨てられた。

 

 

 

そしてスバルはまた死んだ。

 

 

 

 

 

 

 

「このところ読んだ書物に関節破壊というものがあってな。今度貴様で試してやるとしよう。喜べ朴念仁よ。妾とここまで接触できる機会を持つものは少ない。その命を対価に触れ合わせてやろう」

 

ケイが無言で通話を切る。

 

 

 

 

「――――ッ!」

 

「いたたっ! いたたたっ! 痛い! 痛いのよ、スバル!!」

 

瞬きの直後、聞こえた声にスバルは肩を跳ねさせて驚く。

同時に思い切りに意識が切り替わる直前、強く手を握り返そうとしたことが引き継がれて、リンガを握り潰せる無駄な握力が小さなベアトリスの手をギュッとした。

突然のスバルの凶行に、ベアトリスが涙目になってスバルの脛を蹴る。その痛みに我に返り、スバルはベアトリスの手を離して後ろに後ずさった。

 

「ど、ど、ど、どうされたんです? いきなりベアトリス様の手を破壊しようとして……こんな可愛いお手々が可哀想に。わ、私が、私が舐めてしゃぶって癒して差し上げても、ハァハァ」

 

「結構かしら! なんか急に嫌な雰囲気だから近寄るんじゃないのよ!」

 

ベアトリスの手を取り、頬を赤らめて息を荒らげるリリアナ。ベアトリスはその手を振りほどくと、怯えた顔でスバルの後ろへ隠れる。手を握り潰されかけても、パートナーへの信頼を損なわないベアトリスの優しさが身に沁みる。

だが、今はそれどころではない。

 

「スバル、大丈夫? 今、急に顔が真っ青になったわよ」

 

「え、エミリアたん……」

 

すぐ傍らに寄り添い、エミリアが気遣わしげな顔でスバルの頬に手を当てる。彼女の長い睫毛に縁取られた紫紺の瞳、そこに映る自分の姿に息をついた。

 

戻ってきた、らしい。

ペタペタと自分の肩と脇、バッサリと両断された場所を確かめる。腹を裂かれたり、頭を潰されたり、ひどい死に方をしてきた自信はあるが、本格的な斬殺は初めての経験だ。痛みよりも驚きと喪失感が勝り、『死』という事実に肉体と魂が一気に引き落とされる感覚。被殺害ソムリエのスバルも、納得の死に様である。

 

「とかなんとか、割り切れるわけもねぇ……」

 

引き継いだ記憶に理解が追いつけば、スバルを襲うのは後追いで認知を迫ってくる『死』の実感だ。

斬殺の事実は痛みを引き継がなかったが、喪失感と衝撃がスバルに畳みかけてくる。そうしてひとしきり理解が及べば、残るのは理解のさらに先の事象。

 

即ち、今回の死因だが、

 

「反則だろ……」

 

言うまでもなく、理解している。

スバルの今回の斬殺は、直前のシリウスの死に方とそっくりそのまま同じだ。つまり端的に言えば、スバルはシリウスが死んだのと同じ死に方をした。振り返って前回の死因、スバルは歓喜の中でルスベルの死を見届けた直後に死んだわけだが、あのときはわからなかった死因が今回のことで判明する。

 

———シリウスはどういう原理か、自身の『死』を目撃したものに対しても同じ『死』を与えることができるのだ。

 

感情の変動、共有といった洗脳だけではない。肉体に起こる変化まで共有させたと考えるべきだろう。洗脳ならぬ、洗命あるいは洗魂とでもいおうか。

つまり奴を殺すということは、あの場にいる全員を害することを意味する。

 

「どうすりゃ、いいんだ……?」

 

 

シリウスの暴挙を止める目的は、ラインハルトを呼び出すことで防げた。

ただし、代償はあの場にいた全員の命だ。それではシリウスが行動を起こした場合と、生み出される結果が何も変わっていない。

ラインハルトを呼び出すことは、一見、わかりやすく正解に見える間違った回答に他ならない。ならば、どうすればいいのか。

 

「ラインハルトを呼び出して、生け捕りにしてもらう……?」

 

可能だろうか。可能か不可能かでいえば、できないことはないだろう。

殺害できるラインハルトならば、意識を奪うだけに留めることも可能なはずだ。問題は生け捕りにしたところで、あの精神支配が断ち切られる確信がないこと。

 

殺せば、殺した側もまとめて死ぬ。

生かしておけば、抗い難い狂気が伝染する可能性を否定できない。

存在するだけで他者を脅かす、爆弾のような存在だ。さすがは大罪司教。

 

「どうにか、できるのか……?」

 

打開の糸口が思いつかず、スバルの思考は進退窮まった。

ラインハルトを呼び出せば、シリウスを倒して生捕ることはきっとできる。それだけで良しとすべきだろうか。あの狂気の可能性に目をつぶって。

 

いや、また良くない時間の使い方をしている。

スバルは冷静ではない。当たり前だ。この20分ちょっとですでに2回発狂して死んでいる。

 

だからここは最高に冷静な頭脳に頼るべき場面だろう。

前回は本当に時間がなさすぎた。今ならば少しは余裕がある。

 

 

「ああ、なんでもない。ちょっとその……そう、朝のダイスキヤキが急にうえってきちまって。胸が悪くなってたとこ」

 

スバルはエミリアに笑いかける。その微笑みに、エミリアはわずかに視線を落としたが、

 

「スバルがそう言うんなら、信じてあげる。……特別よ?」

 

「うん、あんがと。……それじゃ、俺はリリアナの提案通りに甘いものでも買ってくるとするよ。エミリアたんは歌を楽しんでてちょーだい」

 

エミリアの気遣いに甘えて、スバルは軽く手を掲げるとそう宣言。それから、すぐ傍らでこちらを見上げるベアトリスの手を取り、

 

「ベア子。お前も俺と一緒に買い物な。仲良く、いちゃつきながら行こうぜ」

 

「何を急に――ううん。わかったのよ」

 

とっさに顔を赤くしてツンしかけたベアトリスが、スバルの表情を見てデレの方を発揮する。というより、懇願の視線に気付いてそれを受け入れたのだ。

ベアトリスにだけ寄り掛かる顔を見せ、スバルは彼女の手を引きながら公園を飛び出す。

 

そしてすぐに対話鏡を起動した。

 

「今から事情を話す。ケイにも伝えるから、それを一緒に聞いてくれ」

 

たっぷりと7コールは過ぎてから仏頂面のケイが出る。その時間の長さは抗議の表れだろう。彼はたった今いたずら電話を切ったばかりなのだ。

 

『…なんだよ。こっちは暇じゃないんだが…』

 

「魔女教だ。大罪司教が7分後くらいには中央東の刻限塔のある広場に出る」

 

億劫そうだったケイの表情が瞬時に切り替わる。

 

ベアトリスの動揺も置き去りに、ケイは同じように問う。

 

『要点だけ話せ。何をしてほしい?』

 

「まだ、対策がない。知恵貸してくれ、二人とも」

 

『っ…その前に一つ。ラインハルトは?』

 

「相性は良くねえ。倒せるけど、犠牲がでかい。そこを相談したくて…」

 

『能力などを教えろ』

 

シリウス、『憤怒』、感覚共有、洗魂、伝えられる情報と可能性を吟味し、認識を共有する。

 

「まず、現れる魔女教は大罪司教の『憤怒』で、ええっと、変態だ」

 

「それが何はなくとも伝えなきゃならない情報だと思っているなら、スバルはダメダメだとベティーは思うかしら」

 

「どこまでセーフか手探りなんだよ。とりあえず、変態ペナルティはなしと。次はそいつの能力だが……感情とか感覚の、共有って感じか?」

 

「感情と感覚の、共有?」

 

ベアトリスが首をひねる。

イマイチ、具体的な想像がつかなかったのだろう。それも仕方ない。スバルの方もはっきりと、あの権能の効果を把握しているわけではないのだ。

 

「説明が難しいんだが……大罪司教本人が大喜びしてると、周りにいる奴はどんなに怒ってても、大罪司教と同じように大喜びしてるみたいな」

 

「……それがどうして脅威になるのか、よくわからないのよ」

 

「危険を危険と認識できなくなるってのが大きい。どんなに危ない真似されても、危機感が抱けない。大喜びでそれを受け入れちまう。正しい状況把握能力ができなくなるっていえば、わかりやすいか?」

 

泣き喚き、死にたくないと懇願する少年を、諸手を挙げて大歓迎する群衆。

目の前で起きるあらゆる物事に対して、喜びしか感じられないというのは恐怖だ。きっとあの状態のスバルたちは、自分の首が刃で刎ねられたとしても、刃の当たる直前までそれを大喜びで待ち望んだことだろう。

 

「感情の共有は、わかったかしら。感覚の共有はどういう効果なのよ?」

 

「そのままだ。相手が痛がれば、こっちも痛い。大罪司教の首を刎ねたら、それを見てる連中の首も吹っ飛ぶ。……お手上げすぎるだろ」

 

自分で改めて口にして、その厄介さにげんなりしてしまう。

首を刎ねればこちらの首が飛ぶ――端的に言って、これほど殺すことを躊躇わせる能力はなかなかあるまい。『死に戻り』があったから事前に方策も考えられるが、苦労して倒したらこちらが全滅ではまったくもって浮かばれない。

 

「魔法で呼べばラインハルトは来るし、生け捕りもいけるかもしれないけど、あいつの精神汚染が止まるかは正直わからねえ」

 

『その場で指示をしようにも、精神が乗っ取られている可能性があるな。なら僕が呼ぶ。時間はかかるかもしれないがこの通話を切ったらすぐにかける。他には?』

 

「ちょっと待つかしら。もし、ラインハルトを戦力として当てにしてるなら、アレと同じ戦場ではベティーは役立たずになってしまうのよ。ただの可愛い女の子になるかしら」

 

「は?」

 

突然のベアトリスの発言に、スバルは呆気にとられて目を丸くする。

 

『周囲のマナは剣聖に従う。ラインハルトの体質だな。なら、どうする?』

 

ケイは問う。剣聖を呼んでもいいのかと。対話鏡を使ってどれだけ早く駆けつけてくれるかわからない。

しかしそれでも、今無策でベアトリスと二人向かうよりはマシのように思えた。

 

「一つ考えはあるのよ。剣聖よりも確実とは言えないかしら。でも間に合わないならベティーたち二人でやるしかない。聞く分には高等魔法『ネクト』のような術法かと思うかしら。端的に言えば、『シャマク』でその繋がりを切れる可能性があるのよ」

 

 

「シャマクさんきた! 相変わらず万能すぎるだろ!」

 

ベアトリスの提案に、スバルは思わず声を上げてしまう。

シャマクはそれほど、スバルにとって馴染み深い魔法だ。苦しいとき、辛いとき、危ないとき、困ったとき、シャマクは常にスバルと共にあった。

ベアトリスと契約を交わす前、無力なスバルの力になってくれたのは、レムとパトラッシュとシャマクさんと言っても過言ではない。

 

スバル自身のゲートの壊滅によって、その繋がりは断たれたものと思っていたが、契約を介してベアトリス経由であっても、シャマクはスバルを助けてくれる。

 

「そうか、シャマクか……シャマクなら、きっと全部なんとか……っ」

 

「スバルがシャマクに並々ならない信用を抱いてるのはわかったかしら。本当ならシャマクなんて、陰魔法の初歩の初歩で使い道がほとんどない魔法のはずなのよ」

 

「いくらベア子でも、シャマクの悪口は許さねぇぞ……!」

 

「本気で何がスバルにそこまで言わせているのよ?」

 

納得いっていない顔のベアトリスは、鼻息の荒いスバルにため息をついた。

 

『感覚共有への対策はシャマクを試すんだな?ならラインハルトは呼べない。実際に無力化する人手はいるか?すでに僕の協力者を広場に向かわせているが、不意打ちが精々だぞ』

 

「いや、助かる。それで行こう。もうすぐ時間だし広場に着く、もう切るぞ!」

 

『最後に一つ。『シャマク』は失敗する可能性がある。権能は魔法や加護よりも優先されるはずだ。その時に備えて遅れて到着するようにラインハルトも呼んでおく。先制できるなら奇襲しろ。いいな?』

 

それはスバルの失敗。つまりは広場のものたちとベアトリスの死を意味していた。

しかし、ここでそれを否定する意味はなく。むしろ感謝をすべきだった。

 

「ああ、頼む」

 

 

そうして通話を切って、急ぎ広場へ向かう。

 

「よし、いいぞ。能力が届かなくなればこっちのもんだ。あとは……あとは?」

 

「ラインハルト抜きで、その大罪司教をブッ飛ばす戦力なのよ」

 

「…………」

 

「言っておくけど、ベティーはシャマクにかかりきりになるし、倒す瞬間に合わせて戦ってる奴にもシャマクをかける必要があるのよ。戦えないかしら」

 

「だよな。……ケイの協力者頼みってことか。他に戦力は…」

 

ベアトリスのバックアップなしでは、発狂攻撃に目をつぶってもスバルがシリウスに勝てる目はおそらくない。いまだ見せていない切り札を切っても、まともにやり合えるかどうか。

 

「あのとき、広場にいて他に戦えそうだったのは……」

 

最初、初回の広場を思い出す。

刻限塔の上に現れたシリウスに対して、とっさに動こうとした顔ぶれ。確か、獣人の男と、眼帯をした女。それに厳つい顔の男性とラチンスの四人だ。

ラチンスが戦力に数えられないとしても、残りの三人はどうか。そこにスバルを加えて四人ならば、多少なりとも勝てる目は見えてくるか。

 

「馬鹿言えよ。実力未知数の相手に、どこまで信頼ができんだ。現状、まだ話もしたことねぇってのに……」

 

 

「———それなら、実力もわかってるし話も通じる私の出番じゃない?」

 

 

すぐ後ろに、馴染み深い気配がずっといたことに焦るスバルは気づいていなかった。

 

 

「え、エミリアたん? どうしてここに……」

 

「様子がおかしいから追いかけてきたら、やっぱり大変なこと抱え込んでるんだから。そうやって私を蚊帳の外にしようとするの、スバルの悪いところだと思うの」

 

悪さをした子どもを叱るような言い方に、スバルは口をパクパクとさせる。

いるはずがない、いてほしくなかったエミリアの登場に愕然。二の句が継げなくなってしまうスバルに代わり、ベアトリスがエミリアを見上げ、

 

「公園で待っているよう、言っておいたはずなのよ。どうしてついてきたのかしら」

 

「……ホントは私も待ってようと思ったわ。スバル、私についてきてほしくなさそうだったから。でも、プリシラが」

 

「あの赤い娘が?」

 

「今、スバルを追いかけないと後悔することになるかもって言うから。何事もなかったなら、黙って戻ろうって思ってたんだけど、二人とも深刻そうにケイとずっと話してるんだもの。引き返すなんてできない」

 

エミリアの決断を後押しし、ここまで追いやった元凶の顔が頭に浮かぶ。

スバルは奥歯を噛みしめて、この状況を作り出したプリシラの高笑いを頭の中で殴りつけた。どこまでも、状況を掻き回してくれる少女だ。

その悪辣さと、見計らったとしか思えない致命的な間の悪さが、スバルにとって作り出したくなかった状況を見事に演出せしめている。

 

「エミリアたん、気持ちは嬉しい。嬉しいけど、その、ここは今から」

 

「魔女教が現れるんでしょう? ちゃんと聞こえてたんだから。……スバルが戻れって言っても戻らない。私にとっても他人事じゃないんだもの」

 

「エミリア!」

 

何の根拠もなく、エミリアを危険から遠ざけようとしているわけではない。

声を荒らげ、スバルは頑ななエミリアをどうにか追い返そうとする。

 

彼女と魔女教は、会わせてはならない。

理由はわからない。確固たる理屈はない。だが、理屈も理由も不要なものがある。

エミリアと魔女教は、決して出会わせてはならないのだ。エミリアにとって魔女教という連中は、出くわしてはならない劇物に等しい。

この世界を生きる多くの人間にとってそうであるが、エミリアにとってはとびきりそうなのだ。だから、

 

「俺たちがどうにかする。エミリアは関わらなくていい。関わらないでくれ」

 

「そうやってまた、私を守ろうとしてスバルたちが傷付くのに目をつむるの? 絶対に嫌よ。スバルが戦うとき、私も戦う。スバルが誰かを守ろうとするとき、私もそれを手伝いたい。スバルが私を守ってくれるみたいに……」

 

「――――」

 

「私も、スバルを守ってあげたいの。だってスバル、今にも泣きそうじゃない」

 

折れてはいけない心が、エミリアの訴えに折れてしまいそうになる。

なのにスバルは今、恐がっている。恐怖している。戦いを恐れている。

 

 

『死』はいつだって恐ろしい。慣れることなどありえないし、あってはならない。

命を奪われるということは、道筋を絶たれるということだ。生き方を否定され、存在を踏みにじられ、魂を凌辱される。それが命を奪うということだ。

 

軽薄さで誤魔化そうとしても、抗い切れないものがスバルを苛む。

守りたいと強く心を保とうとしても、死にたくないという弱い気持ちが顔を出す。

ナツキ・スバルはいつまで経っても、その弱さを克服できない。

 

「……スバル。もう諦めた方がいいのよ」

 

「ベアトリス……」

 

「エミリアは頑固かしら。知られた以上、きっともうどうにもならないのよ。それにベティーもエミリアの気持ちがわかるかしら。スバルを守りたい気持ちはベティーも同じだし……それを否定するのは、ベティーには無理なのよ」

 

作戦の要であり、スバルの意思決定機関でもあるベアトリス。彼女が白旗を上げてしまえば、スバルの方が抵抗し切るのは難しい。

エミリアが真摯に、ベアトリスが慈しむように、二人してスバルを見ている。

 

その二人の注視に、ついにスバルも心が折れた。

 

「……魔女教の奴らはきっと君を狙ってくる。何かあったらまず、自分の身を第一に考えて行動してくれよ」

 

「ん、わかった。捕まってもスバルが助けにきてくれるもんね。それを信じて、頑張ってみる」

 

スバルが受け入れたことに、エミリアが安堵の微笑みを浮かべる。

エミリアは大体の状況を把握していた。

 

 

そして合意が取れた時に、刻限が訪れた。

 

刻限塔の窓から身を乗り出し、一人の怪人が姿を見せる。

細身の体にコートをまとい、その顔を包帯でぐるぐる巻きにした異形。両腕から垂らした鎖の先端を床に擦らせ、耳障りな音を立てながら眼下を見下ろす怪人だ。

 

 

「――――」

 

固唾を呑んで、その瞬間の訪れをスバルは目の当たりにする。

勢いを増す両腕が、シリウスの胸の前で激しい音を立てて合わさり――、

 

「ウル・ヒューマ!!」

 

直前に塔の真上に出現した巨大な氷柱が、外縁に立つシリウスを直撃した。

スバルを五人束ねたような太さの氷の塊は、凄まじい音と衝撃を伴って刻限塔の白い壁を豪快に削り取る。決して脆いわけではない壁が崩壊し、氷柱の先端が塔の中に突き刺さっている光景を見て、スバルは顎を落としそうになった。

 

ケイからの助言をエミリアに伝えるのは忘れていた。つまりこの常識はずれの奇襲はエミリアの素である。

 

「え、エミリアたん?」

 

「スバルが先制攻撃って言うから、先制攻撃してみたけど……ダメだった?」

 

「いや、GJ。だけどまさか、名乗る前にぶち込むと思わなかったから驚いて。…け、ケイに影響とかされてないよね!?やめてよね!」

 

スバルは初めてフェリスの感じるものと同じ恐怖を味わった。自分の大切な人がケイに染まっていくのだけは嫌すぎる。

 

 

 

 

 

 

周囲の群衆が、突然の蛮行に驚きスバルたちに注目する。

 

しかしその目は、正気ではない。

 

つまり奇襲は失敗だ。

 

激怒する『憤怒』が氷を砕いて広場に降り立つ。怒りを向けられたエミリアとの戦闘が始まる。

 

波のように迫る狂気の群衆をいなし、人質を救うスバル。

そして憤怒に負けず、あと一歩のところまで追い詰めたエミリア。

 

その全てが、魔女教の悪辣さによって打ち砕かれる。

 

人質は一人ではなかった。少女を盾にエミリアの自由を奪うと、間髪入れずに憤怒はその炎で石畳ごと焼き焦がした。

 

 

 

エミリアは無事だった。それは、そこに乱入した白髪の男。手配書にそっくりのそいつはおそらく『強欲』の大罪司教だろう。

 

スバルが飛びかかり一撃を見舞うも、足を削られ重傷を負わされた。

 

 

憤怒と強欲の仲間割れ。そして強欲に連れ去られるエミリア。

 

その光景の全てを、離れた建物の壁から眺める人影が。黒い幽霊のような影がいた。

 

 

遅れて近くの屋上に降り立つのは燃えるような赤髪をもつ剣聖。

彼は必死で治癒魔法を使うベアトリスの姿を認めると、忸怩たる思いを表情に抱えつつその場を離れた。

 

 

ナツキ・スバルは()()した。

 

 

この光景にどんな意味があるのか。それをIBM越しに見ながらケイは冷静に考え続けている。

 

IBMによる奇襲も可能ではあった。

それもせずに、ただただ、離れた位置から敗北を見ていた。

 

 




飛ばした描写が気になる方や、もしスバルが一人で向かったならどうなるかはぜひアニメをご覧ください!
すげえんだこれがまた
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