亜人:ゼロから始める異世界生活   作:ZAT23

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作者のxでは、次回のサブタイも予告として呟いてます。
ネタバレにならない範囲でやりますのでよければぜひご覧ください!

https://x.com/ZAT23_A0



【FILE:70】魔炎の音

 

黒竜は現れる時も唐突で、消える時もまた一瞬だった。

建物の影に隠れたと思えばその地響きや身じろぎの音も聞こえなくなる。

 

色欲の権能は、生物を自在に作り変える『変異・変貌』である。

 

メィリィとエルザからのお母様の情報。各国に散らばる色欲についての曖昧な被害報告。それらを繋ぎ合わせてケイが出した答えは、おそらく正しい。

 

それは絶望的な情報にも思えるが、準備が無駄ではなかったということでもある。

 

重ねた爆撃や斬撃は意味がないかもしれないが用意していたものはそれだけではない。

無駄なことなどしない。その方針は頭脳となったケイの意思を反映するようにクルシュ陣営を磨き上げている。

 

本人たちの気性から忘れがちになるが王選候補者たちの勢力の中で唯一。この一年間、戦力増強を続けた武闘派の陣営である。

その戦力はもはや王国の中でも随一であり、ケイの入れ知恵の集大成とも言えるクルシュの力は一般常識とは隔絶している。純粋な戦闘能力で言えば英雄たちには及ばないが戦力という意味で言えば無二の厄介さを持っている。

 

空中からの爆撃とは、英雄が守っても守り切れるものではない。

戦わずに一方的に遠距離から攻撃する。クルシュ・カルステンは現代戦の真髄をこの世界で体現できる数少ない戦力である。

 

 

広場に傾れ込む亜獣たち。その一際大きい巨体の異形を刻み、群れを爆破していく。

 

知性もなく、当然遠距離攻撃も持ち合わせていない亜獣たちはなすすべなく屠られていく。

 

故に、戦士たちの戦場は変わらない。

 

これほどの戦士たちの戦いが5分以上も続いていること自体が異常なのだが、その奇跡はいくつもの要因によって成り立っていた。

 

 

ヴィルヘルムは、すでに眼前の敵に何度か致命傷を与えている。

 

しかし、その体は再構築され体力の低下はない。

今はまだ余裕があるが、10分も経てば次第に体力の衰えによって逆転するだろう。

 

どうにか打開しなくてはいけない状況。

しかしケイからの指示は現状の維持であった。

 

テレシアは巧みに剣を操り、袈裟に切り掛かるがその剣筋は過去に見たことがある。

ギリギリまで添えるように剣を置いて、そして大きくずらして返しで手首を切り落とす。

 

再びの致命傷を負わせる。

相手はしかし、何事もなかったかのように体が再構成されるのだ。

 

 

これでいい。

 

 

この屍兵と可能な限り長く戦線を維持すること。内々に下された命令である。

当然、切り倒せるなら構わないがと言われれば矜持に関わる。

 

渾身を放ち、その胴を切るが再び体は元に戻る。

 

現状は相手を打倒できないと判断し、指示に従う。

 

 

 

闘神クルガン。その八つ腕と渡り合うのは猛虎の腕である。戦士たちの技の競い合いはすでに巨躯同士の力のぶつけ合いへと移行している。

 

的確にサポートするのは大柄なリカードであるが、怪力の彼であっても一歩下がらざるを得ないほどの暴威。

 

獣化によって金色の虎と化したガーフィールはしかし、その理性を飛ばしていない。これはこの一年での成長だった。

 

現状はまさに互角。最初に奪い取った有利はそのままに腕の再生を許さない猛攻を続けている。

腕が揃えば、時たま空から斬撃が降ってくることもあり依然優位をとっている。

 

しかし、決めきれない。

 

『地霊の加護』によってマナを地面から吸い上げ、自身を治癒することのできるガーフィールは継戦能力は抜群である。

それゆえにこの戦場もまた長引いている。

 

このままではどこかで致命傷を喰らうかもしれない。焦るガーフィールの心中を察したのか、年長者でもあり歴戦の傭兵は口を挟んでカバーする。それは戦場に出る前とは違い、非常に冷静なものだった。

 

「焦らんでええ!ワイらの仕事は今できとる。ミミのこともある、ぶち飛ばしたいのは痛いほどわかるけどなぁ」

 

そう声をかけられれば若いガーフィールはその若さによる敗北を回避できた。

しかしそれは、状況の膠着を意味している。

 

そしてもう一つの戦い。ここがこの戦場における正念場。天王山であった。

 

『暴食』と『最優』の戦いは膠着していない。

 

拮抗はしているが、次の瞬間には矮躯を虹が消しとばすこともあり得る。

同じくらいに、暴食の短剣がその騎士服を貫く可能性もあるのだが。

 

 

それでも、勝負の時は訪れた。

 

手数の多彩さ。純粋な手数においては王国で随一の騎士である。単純に強い騎士は他にもいるが引き出しの多さは他の剣士は決して真似できない。

 

その一つが、敵の意表をついた。

 

 

騎士剣を正面に構えて、ユリウスは暴食へ吶喊。しかし、その踏み込む速度が先ほどのそれとは明らかに異なる。

鋭い踏み込みと斬撃に、右肩へ初太刀を受けたロイが軽く眉を上げた。

 

「これって……」

 

「『陽』の準精霊、インの力だ。そして同時に」

 

「う?」

 

応じる声に、暴食の戸惑いが重なった。

頬の強張る冒涜者を鍔迫り合いで押し切り、ユリウスの長い足が跳ね上がり、アルファルドの側頭部に叩きつけられる。今度の防御は間に合わない。上がるのが遅れた腕が垂れ下がり、目を回すアルファルドが転がるようにして必死に逃れる。

 

「うわっきゃ! 今のって、ええ?」

 

追加の一太刀。それが相手の左足にも入り込む。

 

「私には『陽』の準精霊。剣を合わせたそちらには『陰』の準精霊。相互に身体能力の向上と低下をもたらす連携だ。これは、初見だろう?」

 

勝負あり。一手の違いが勝敗を分ける。それほどのレベルの戦いだった。

その肩では以前のように剣を振ることはできず、その足では素早く動くことはできない。

 

当然ながら、ユリウスは油断をしない。以前に戦った怠惰の大罪司教は純粋な戦闘能力以外の脅威度が大きかった。

 

相手の全身。マナの動き。その全ての予兆を感知するように極限の集中をして、そして最後の大技を放つ。

 

「蕾たちよ。この戦いを終わらせよう」

 

六属性の準精霊。六体の蕾たちがロイを囲む。

 

一切の逃げ場を失い、回避はできない暴食。余裕だったその顔が恐ろしい絶望に歪む。

 

「おい、それはダメだって!そんなのっ!」

 

ユリウスはそれに取り合わない。

彼は人の善性を信じているが、彼らは人の道から外れすぎた。

 

そして黒竜が再びその姿を見せたことを視界の端に認めて、いよいよ決心する。

 

その暴食の目線を見ることなく、騎士剣を敵の胸へ。

 

それが自身の致命的な失敗であるとも気づかずに…

 

 

「イタダキマス!!」

 

 

その歓喜の絶叫と共に、背後からの一撃によってユリウスは吹き飛ばされた。

 

「あんまりだ!やめろ!待った。待って。待つだろ。待っていて!待つからこそ…!!」

 

重なるのは絶望の叫び。ロイがユリウスを無視して、何かに向けて叫んでいる。

その顔は怒りと恐怖と飢餓に歪んでいて…

 

「ユリウス・ユークリウス」

 

もう一人の『暴食』が、その手を舐めた。

 

 

 

 

 

スバルは都市庁舎を進む。

 

その目的は、放送を行うミーティアの確保、または破壊である。

あれは良くない。憤怒の権能と合わせればこの都市を丸ごと狂気に落とすこともできるかもしれない。

 

きっと魔女の遺骨とやらが手に入るまではやらないだろうが、ことが終わればどうなるか分かったものではない。

スバル個人としては人質たちを諦めきれてないのもある。

 

様々な思いを胸に探索を進める。

 

 

同時にスバルは情報を集める。逃げ遅れている人はいないか、他に敵はいないのか。

ケイの報告はあったが、敵は大罪司教である。それも複数がこの街にいるとなれば何がどこから出てくるのかなどわからない。

 

都市庁舎、その最重要区画の前にスバルはたどり着く。

 

そこに至るまでの廊下や部屋には、何かが暴れた戦闘の痕跡や血痕が残されていたが人の気配は少しもなかった。

不気味なまでに静かな建物を、外の戦闘音を聞きながら進む。

 

「なぁ、ケイ。ここの人たちが手遅れって言ってたよな。それってどういう意味なんだ?詳しく聞けなかったけど、その…死体とか…そういうのを確認したってことでいいんだよな?」

 

 

対話鏡からはノイズが聞こえるだけである。

 

先まで聞こえていたはずの頼もしい声が聞こえない。切れているというよりもなんというか圏外になっているような。そんなノイズ。

 

不安は高まれど、それは足を止める理由にはならない。

むしろ足を早めて、放送室へと入っていった。

 

スバルは部屋の奥に目をやり、壁際に設置された巨大な存在感に意識を奪われる。

それこそが、この都市において最も重要性の高いー、

 

「これが、『ミーティア』?」

 

それは、これまでスバルが見てきたものの中で最も特殊な『ミーティア』だった。

使用者の声を拡大し、広範囲に音声を届ける装置ーパイプオルガンのような形をしたそれは、動力源を魔石に頼っただけの『機械』のようにスバルには見えた。

 

部屋には「ミーティア」だけでなく、会議用の長机と椅子、備品棚などが壁際に並べられており普段の様子が伺えた。

 

 

奥にも部屋はある。

 

これだけの騒ぎがあって何の変化もないこの部屋が、むしろ嫌な想像を加速させた。

先程までカペラがいたであろう場所。そこに血痕の一つもない方が不安になる。それはスバルの望むものではないが、しかし違和感は拭えない。

 

スバルはゆっくりと奥の部屋へ向かう。

自然、手足が重く冷たくなり、スバルはじっとりとした汗を背中に感じていた。

 

スバルは深呼吸しながら扉の前に立った。そして、ドアノブに手を伸ばす。

この扉の奥にも、まだ魔女教徒が潜んでいる可能性がある。それを思えば、スバルがこうして部屋を検めるのもベターな選択肢ではない。

 

しかし、その心配はいらないと、何故か確信があった。そして実際、この考えは間違っていなかった。室内に、見張りの魔女教徒はいない。

 

何故なら、その部屋に見張りなど必要なかったのだから。

 

「ー」「ー」「ー」「ー」「ー」「ー」「ー」「ー」ー」ー」ー」

「ー」「ー」「ー」ー」ー」ー」ー」ー」ー」ー」ー」

 

「ー」「ー」「ー」「ー」「ー」「ー」「ー」ー」ー」ー」ー」

 

「ー」「ー」「ー」「ー」「ー」「ー」「ー」「ー」「ー」ー」「ー」

「ー」「ー」「ー」「ー」「ー」「ー」「ー」「ー」ー」ー」ー」

 

視線。視線だ。視線、視線、視線、視線、視線視線視線視線視線視線視線視線視線視線

視線視線視線視線視線視線視線視線視線視線視線視線視線視線視線視線視線視線視線視線

視線視線視線視線視線視線視線視線視線視線視線視線視線視線視線視線視線視線視線視線。

 

絶句するスバルを、無言の、無数の、視線が見ている。

 

否、見られていると、スバルがそう感じているだけに過ぎない。

それが、どんな風に世界を観測しているのか、スバルにはわからない。理解しようとしたこともない。

 

ただ、絶句した。声が出なかった。言葉を失うとはこういうことだ。

 

思考が凍り付き、何も考えられなくなった。しかし、わかったこともある。

 

『色欲』の迫放送のときに聞こえていた、耳障りな背景音の正体だ。

 

「…んだ、これ」

 

やっとのことで、声にならない声が漏れた途端、部屋中で一斉にその音が鳴る。

 

それはスバルを歓迎し、恐れ、喜び、拒み、数多の感情を孕んだ無数の「羽音」だ。

 

薄暗い部屋の中、赤く光る大量の複眼が蠢いて、立ち尽くすスバルをぎょろぎょろと見つめている。それは、蠅だった。紛れもなく、蝿だった。

 

部屋の中を埋め尽くす、人間大の、蝿が、大量に、いるのだ。

 

 

理解できない。いや、したくない。

 

ケイは嘘をつかない。手遅れと言っていた。色欲の権能は、他者を変異させ変貌させることができると言っていた。

 

だからこの光景も、想像の中にあるはずだった。多少は覚悟があるつもりだった、

 

 

しかし、そんな生半可な想像はこの光景に対して無力にすぎた。

 

理解したくない。認めたくない。絶対に許してはいけない。

 

 

だってこんなのは…

 

 

「どぉーでいやがりますかぁ?クズ肉たちが可愛いハエちゃんになってるのくらいは、流石に理解してくれてねーと、これだけ用意した意味もないってもんですが」

 

 

背後から、声がして、それで振り返った。

振り返ることができた。

 

 

そこにいるのは、先ほどの黒竜だった。

 

「カペラちゃん様どぇーす!きゃははははっ!」

 

自己紹介と、スバルの表情を見ての爆笑。

 

間違いなく、この敵は大罪司教だ。それだけは強く確信できた。

 

 

「まぁでも時間もあんまねーんで。とっととどいてもらえますかね。こちとらあの淫売の聖女様を撃墜しなきゃなんねーんで多忙なんですよ」

 

そう言ってスバルを漆黒の尾で払いのける。反応はできなかった。

 

精神的な余裕があっても難しかっただろう。それほどに、人と竜の体格差というのは隔絶したものがある。

 

大人と大きめのトカゲ。それくらいの差が人と竜の間にはある。

何をしようが、無駄だった。

 

まさに人が視界に入った羽虫を手で払うような、そんな気軽い一撃。殺意すら感じないそんな動作。

 

それだけで、スバルは壁まで吹き飛ばされて死にかけている。

 

「あらら、ここまで入ってきてるならもうちょっと戦えると思ってましたが、ほんとに見た通りの雑魚肉じゃねーですか、だいじょぶそーですかぁ?」

 

倒れ伏したスバルの全身は傷だらけだ。

しかしその中でも足が一番ひどかった。折れ曲がって明後日の方向を向いている。骨も露出して、今にもちぎれるところである。

 

スバルはただ茫然と、目の前の光景を見ていた。

 

黒竜は、その手を長い長い人の手に変化させて奥の部屋の扉を開く。

その行動を行いつつも、独り言のような、愚痴のような。不満を口に上げさせている。

 

「あの目障りな鳥肉。ここんとこ舐めてくれやがってますからねぇ。一回わからせてやらねーと。うちの子も誑かしてくれちまってるみたいじゃねーですか。魔獣なんか連れて街歩くとか常識ねーんですかね、ほんと」

 

そしてハエの一体を掴んでこちらに引き入れると、にっこりと笑ってそれを捏ねはじめた。

 

ハエの形がグニグニと変わっていく。

 

色が、形が、全てが変わって増えていく。

 

「おかげさまでこちとらしなくていい苦労とか、仕事が増えたりとかでアタクシ様の愛の布教活動に支障出てるんですよ。その上さっきの最低な暴力行為!あの可愛い竜を殺してましたからね。この都市で平和に暮らしてるだけの一般人を殺すなんて野蛮なこと。信じられねーですよ」

 

体が大きくなっていく。途中、様々な生物になっているように見えた。

そのどれもが人と同じような表情などできないが、共通してわかることがある。

 

その苦痛の表情だけは伝わった。

そして、そのナニカに色欲は語りかける。

 

「アタクシ様のこと、殺したいんでしょう?しゃぶりつきたいんでしょう?いいですよ。アタクシはその劣情を受け止めます。その立派な毒牙にかかってやろうじゃねーですか。まぁ、やらないんならそこの死にかけを改造して娘と息子と嫁を襲わせますがどっちがお好みで?」

 

選択肢は最初からない。それでも相手に選ばせて自らの意思で自分に従ったという過程をこの怪物は重視していた。

 

出血が視界を覆って、スバルは一度瞬きをした。

 

目を開けると、光景が切り替わっていた。

 

そこにいるのは黒龍と、小さな少女だった。記憶でも飛んでいるのだろうか。曖昧な意識では思考ができない…

 

黒龍が少女を握り、そしてスバルも持ち上げる。

 

 

 

 

 

そこからは全てが一瞬のうちに起こったのだった。

 

 

姿を現した黒竜はその手に少女と傷だらけのスバルを持っており、何が起きたかはそれだけで皆が察していた。

 

その光景に押されたのだろう、勝負を決めに行った王国騎士がもう一人の誰かに吹き飛ばされたのだった。

 

乱入者に喰ってかかるロイ。しかしそれは喧嘩のようであって、彼らが同種の存在であることは疑いようがなかった。

 

そんな戦士たちの認識は追いつかない。

 

状況はそして加速する。

 

 

黒竜がスバルと少女を空へ放り投げ、それを噛み殺さんとする。

 

 

 

その姿を見た時から、無意識ですでに降下は始めていた。

 

クルシュは反射的にそれに向かう。敵ではない。救うべきものへ目掛けて風となる。

 

理性は警鐘を鳴らしていた。色欲が変身することは知っている。竜が脅されていそうなこともどこかで理解していたと思う。スバルのことを助ける必要はないとケイに何度も言われていた。

 

だから冷静に、もしかしたら守るべき無辜の民かもしれない獣たちを、竜たちを。立て続けに刻んで爆散させたのではないか。

 

そんな論理的で理性的な行動指針はしかし。

 

本気の殺意を目に滾らせた竜を見た瞬間に忘れられ。

少女と友人が食いちぎられようとする姿を見れば、合理の全てが無に帰した。

 

何かを判断したわけではなかった。

考えるまでもなく体は動いていた。

 

唯一考えることといえば、スバルと少女の両方を拾えるか。それくらいだっただろう。

 

二人を空中で掴み、黒竜の牙から遠ざける。

上昇はできない。滑空しながら庁舎前の池に落とす。

 

ただひたすらに無事を祈って。

 

着水したのはスバルのみ。

 

 

 

そして悪意が狂喜する。

 

 

 

「つ・か・ま・え・た」

 

少女は、その手をクルシュの腕に絡めて笑う。

 

本能とも言える高潔な行動は、皮肉すぎる結果を生んだ

その少女は見た目より遥かに重く、そして四肢が蛇となって絡みつく。

 

 

戦乙女は地に落ちた。 

 

 

「そもそもてめーらっておかしいとか思わねーんですか? ここ、都市機能の中枢の都市庁舎。そんな場所になんでチビ肉がうろついてるとか考えられんですか? 疑いもせずに『あ、困ってる子だ、助けなきゃー』って馬鹿丸出しで生きられる精神が、アタクシ的にはむしろ謎!」

 

スバルはどうにか池から顔を出してそれを見る。

 

やめろ。それはダメだ。やめろ。

 

勝利に酔いしれて、色欲はその足で聖女を踏み躙る。

 

胸を優しく撫でたかと思えば、次の瞬間にはつま先が肋骨に刺さる。

蹴りを入れれば何かが破れる音がする。

 

左手を踏み潰し、何度もそこを踏みつけながら叫び続ける。

 

「ほらぁ!こんっ!なにっ!愛してっ!やってんのに!無視するとか!酷すぎませんか?こんなにアタクシが尽くしてやってるってのに」

 

意識がないのが幸いだろうか。その暴虐にクルシュは一切の反応を示さない。

側から見れば死に体そのもの、一刻の猶予も感じられない。

 

誰もがそこに向かおうとする。しかし、すでに対峙した戦力と自由になった二人の暴食たちが立ちはだかり、死なないのがやっとの劣勢に追い込まれている。

 

さらにそこにダメ押しとばかりに、獣人の影としか表現できない何かも参戦し、咆哮を放とうとしていたリカードの動きを止めた。

 

「んなぁ!!?なんで、お前がここにおるんや!?」

 

因縁があるのだろう。その影に応戦しリカードは動けない。

 

 

 

剣鬼は全てをかけて、全てを捨てて主の元へ駆け出す。

 

その剣戟は、もはやテレシアだったものには止められない。

暴食が加勢するも、下手に踏み込めば切り飛ばされることが肌で分かった。

 

腰の刀はまだ抜いていない。しかし、暴食が近づけばそれを使う素振りを見せる。

あれは、ダメだ。喰らい尽くした武芸者たちの勘がそう言っている。

 

そんな『個』に対して隔絶した実力を示した剣鬼を、圧倒的な『数』が襲った。

 

虫である。

 

拳大の虫が羽ばたき、その針を牙を差し込もうと黒い雲のように迫る。

 

剣鬼はそれを切り捨てる。

 

しかし、相手は面で当たってくる。どうしても切りきれない。無数の虫には流石に手が足りない。

 

明らかに不利な相手と戦わされている感覚があった。

 

「クルシュ様っ…!」

 

忸怩たる声を出すことしかできなかった。

 

 

 

フェリスは身に纏っていた迷彩の外套を脱ぎ捨てて主の元に駆け出した。

全ての指示は頭から消えて、目に映るのはたった一人だけ。

 

けれど、その歩みは遅い。あまりに遅すぎる。そして多くの障害を乗り越えるほどの力も、なかった。

一言も発せずに、ただただ近づこうと足掻く。

 

 

 

「さぁ〜てさて。ちょうど水も滴る良いオス肉もいますし、二人揃って仲睦まじいハエにでもなって番ってもらいましょうかぁ!!夫婦でアタクシを愛するまで、ずっと手足をちぎって交換してっ!どっちがどっちかわからなく…」

 

人を変えてその気持ちを踏み躙る。最終的に自分を愛するならなんでもして良い。

カペラは考え尽くされた完璧な論理に酔いしれて、それを実際に行おうとする。

 

脅しでもなんでもなく、本当にやるのだ。

 

しかし、その濁り切った卓越した観察眼はとあるものを見過ごすことができなかった。

 

「…ああ?この『誓約』は?…やっけに古いっていうか。一体いまの人間で、誰がこんなみみっちいことできんですかね。ここまで馬鹿みてえに隠されてねぇのはアタクシ様でも初めてお目にかかりますが、中身見せつけて興奮する救えね〜カス肉の仕業…」

 

しかし隠匿どころか喧伝するような魔法の誓約。その内容をカペラは読み取ってしまった。

 

「っ!…『肉体が変化させられた場合には死ぬ』?なんですかこれ。こんな馬鹿みてえな誓約が…」

 

内容に顔を顰める色欲は、自身の願いが叶わないと理解してしまった。

 

同時に体内の福音書が胎動し、新たな記述が自身を呼ぶことを理解する。

どうやら追いかけっこをしすぎたようだ。

 

そして良い発想を思いつき、笑顔を取り戻した。

 

「そろそろ時間もありやがらねーですし、制約にも触れないとっておきの贈り物といきますか」

 

カペラは伸ばした自らの手首を、反対の手を刃のように変質させて抉り、出血させる。

 

その一瞬の隙をついて、クルシュの体が動いた。

同時に何かが爆発し、不自然なほど大量の煙が視界を奪う。

 

見れば周辺の建物や物陰からも何かが投げ込まれ、爆発や煙を撒き散らしている。

 

何かがクルシュを引っ張っていたが、色欲の一部。蛇が絡んで離れない。

 

「なぁにしてくれやがってんですかぁ!?いきなりお触りとは救えねーな!どうせオス肉かなんかでしょう」

 

周囲を覆うほどに手足が、獣の首が。竜の四肢が、周辺を雑に払い除ける。

 

何かが弾かれてどこかに吹き飛んだ。

 

邪魔な横槍が蹴散らされ、蛮行は継続される。

 

流れる血がクルシュの左手にぼたぼたとかかり、どす黒い血と新鮮な赤い血が入り交じり、背徳的な光景が生み出されて…

 

「てめーらがどんな見苦しい肉の塊になるか、試してやろうじゃねーですか」

 

 

その直後だ。

 

 

「――ッ!? ぉ、あぁぁああああああ!?」

 

「アタクシの血は、そんじょそこらの血とは違いやがりますよ。なにせ、龍の血が混じってやがりますからね。血の呪いに負けるとすげーことになります。てめーらはもちますかね?」

 

 

クルシュには執拗に、一度ならず二度も血をかけるカペラ。

踏み潰した左手に何かが入っていく。

 

「ほーらほら。いつもよりいっぱい濃いの出しますから、喰らいやがってくださいね〜。流石に狂っちまうと思いますが、自殺する前に愛しのカペラ様を呼んでくださいよ。頭おかしくして苦しみから解放してやりますから、むしろ気持ちよくなれるかもお?」

 

そう言って血を垂らしながら、次はスバルの方へと歩みを進める。

 

片足を失ったスバルの元にちょこんと座り込み。

 

「アタクシのこと、愛して?」

 

耳元に甘く呟いて、スバルにも血と狂笑を降らせた。

 

絶叫ののち、スバルの意識も失いその場にはカペラが嗤う声だけが残る。

 

スバルの意識はここで途切れた。

 

 

 

 

 

そして響くのは轟音。

 

「ああ?どの役立たずが水門開けやがったんですかぁ?何もせずに水門守るだけもできねーとか、いよいよ無能どころの騒ぎじゃねーですか。どいつもこいつも使いもんになりやがらねーですね」

 

 

そのつぶやきを聞いているものはいないはずだった。

 

カペラの認識から外れていた。人質に縛られて怯えた黒竜だけがそれを聞いていた。

 

 

その口腔が開かれて、先ほどまで敵にぶつけていたそれを今度は自分が一身に浴びる。

 

スバルとクルシュを炎の射線から蹴り出し、自らは炙られることも厭わない。

その救命を、周りは理解ができない。しかし本人としては当然といった表情で水門の方を見て、さらに別の方角も確認する。

 

 

「そろそろ退散しますか、面白くねーのも来てるみたいですし。おーい可愛いドラゴンちゃーん。そこの二人、拾わねーとせっかく生きてんのに死にやがりますよー」

 

カペラはそれだけ言って、羽を生やして飛び去っていく。

 

濁流が迫るまでの短い間に竜は二人に歩み寄る。

 

燃える黒炎は彼女を護るかのように周囲で燃え続けている。

そしてその肌には黒い何かが蠢き、まるで体を内から焼くような苦痛を与えるべく広がり始めている。

 

幸いにも炎に囲まれた聖女は、今はただ深い眠りにある。

 

願わくば、もう目覚めなければいい。

 

 

次の目覚めはきっと、死すら生ぬるい地獄の始まりになるのだから。

 

 

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