亜人:ゼロから始める異世界生活   作:ZAT23

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歴史を刻む星々 反撃編
【FILE:75】有言実行


 

時は色欲と未知からの脅迫が行われる少し前に遡る。

 

各地で開かれた戦端は甚大な被害を生み、魔女教という存在の脅威を都市に刻み込む。

 

だが、その上で抗う者たちは悪意を退け、限られた戦力での防衛戦、その目的を果たさんとしていた。

そうして、からくも水門都市の窮地を乗り越えんとする中、最も旗色の悪い戦場があるとすればどこか。それは、おそらくこの戦場のことであろう。

 

 

 

———そう。突発的に勃発した、魔女教大罪司教『暴食』担当、ライ・バテンカイトスとの遭遇戦である。

 

歌姫の歌が響く中で、その音には決して調和しない狂笑が響く。

 

「はっはァ!そォんなんじゃ、ダメダメダメダメダメダメダーぁメーぇ!どうなの、どうしたの、どうしたいの、どうしちゃうの、どうしちゃったの!?」

 

細く、入り組んだ水路に囲まれる通称『水路街』。

その水路街の中央にある大広場で、哄笑を上げる小柄な影が俊敏に跳ね回る。

 

「相手はたった一人のガキだ!囲んで逃がすな!仕留めろ!」

 

「そォそォ、たった一人のガキだよ!捕まえて、八つ裂きにしてごらんよォ!」

 

 

 

ミューズ商会の戦力。『白竜の鱗』その戦闘員である男達の野太い号令に、けらけらと笑う少年の声が重なる。

『暴食』のライ・バテンカイトスは、自らに迫る男たちを睥睨しながら、下がるどころかむしろ気軽に踏み込んで距離を縮めていく。

 

「ほつれがあるよ、ダメだなァ」

 

小柄な体躯を活かし、その身を滑り込ませ四つの刃を最低限の動きで回避する。

身をかわして刃を避け、右腕に括り付けた短剣で一刀を流し、一人の胴体を蹴りつけて囲みを突破する。その正面、両腕を交差する巨躯が立ちはだかった。

 

「う、おおお!こうなりゃ自棄だ、おらぁ!」

 

フェルトの従者であるガストンだ。彼はその体格でバテンカイトスに突っ込み、そのままぶつかろうとする。

その姿に目を丸くしたバテンカイトスは、直後ににっこりと微笑んだ。歳相応の笑みだが、その口にはやや鋭すぎる犬歯が覗いており、一抹の不安を過らせる。

 

「元気だね、オジサン。嫌いじゃァないよ!」

 

「オレはまだオジサンなんて呼ばれる歳じゃね……ぼぁ!?」

 

突っ込むガストンの横っ面に、跳ね上がるバテンカイトスの右足が突き刺さる。足刀の一撃を頬に浴びるガストン、だが彼は怯まずバテンカイトスを見下ろした。

 

短剣の一撃同様、ガストンに今の一撃は通っていない。原理は不明だが、ガストンの体は打撃、斬撃の威力を完全に殺していた。

そのまま、ガストンの腕が伸び、ちょこまかと動く『暴食』を掴んで———、

 

「拳王の掌———」

 

足を上げたまま、バテンカイトスが何事か囁いた。その掌がガストンの胴体に接触する。蹴りに比べれば何の威力も速度もない、触れただけの一動作。

しかし、軽く掌が押し込まれた直後、ガストンの体がくの字に折れる。

 

「お、ごぇ!?」

 

膝をつき、ガストンが溢れ返る胃液をこぼして苦鳴を上げた。前のめりに倒れ込む体の横を抜けて、囲みを突破したバテンカイトスは振り返って首を傾げる。

 

こんなものか?とでも言いたげなその仕草に、『白竜の鱗』は自尊心を傷付けられる一方、戦慄と驚嘆を隠しきれない。

 

「化け物め……!」

 

誰かがこぼしたその言葉が、バテンカイトスの能力の端的な証明だ。

その苦しげな声に、かすかに羨望が混ざっていたのは、あるいは聞き間違いであったのかもしれないが。

 

「……予想以上に、決定打に欠けますね」

 

拮抗、などとはひいき目に見ても言えない戦況を眺めやりながら、オットーは乾いた唇を舐めて必死に頭を回転させていた。

『暴食』との接近遭遇戦において、相対するこちらの戦力はどこまでも頼りない———無論、全員が懸命なのは事実だが、それでも足りないのが現実だ。

 

キリタカの残した『白竜の鱗』が七人、フェルトがガストンを連れた二人で、オットーが単独戦力、これで合計が十人。

ここにたまたまの偶然、他の戦いを早々に片付けた誰かが合流してくれて、一気に形勢がひっくり返って大逆転———理想といえば理想だが、

 

「そんな幸運が訪れると期待するほど、僕は僕の運を信用しちゃいませんのでね」

 

「冗談キツイな。あの歌姫狂いを逃がすだけでも、うちの切り札一枚切ってんだぜ。二枚目切るにゃぁ、それこそ準備がいんだよ」

 

言いながらフェルトが見るのは、その小さな体で抱きしめる細長い包みだ。

白い布に包まれたそれは、彼女が従者に持たされていたという『切り札』のミーティアであるらしい。ラインハルトにすら通用するというお墨付きらしいが、使用には少しばかり厄介な手順が必要であり、それを満たすまでは使えない。

 

「それに歌姫狂いはともかく、兄ちゃんやアタシは逃げようとしても逃がしてもらえねーだろうよ。あの野郎の標的に、きっかり入っちまったみてーだかんな」

 

 

鼻を鳴らすフェルトの言葉に、オットーはげんなりと肩を落とす。

ただ、その言葉を否定することができないのは、激しい戦いの合間にもこちらへ投げかけられる、熱を帯びた瞳の力を確かに感じるからだ。

 

まったく光栄ではないが、バテンカイトスの審美眼に適ったのはこの場で三人。

 

オットーとフェルト、それに『白竜の鱗』を指揮する無精ヒゲの男だ。彼もまた部下に指示を出し、バテンカイトスとぶつけながらこちらへ駆け寄ってくる。

頷きかけてきた精悍な顔つきの男は、戦況を気にしながら早口で、

 

「ダイナスだ。さっきはうちの若様を逃がすのに協力してもらって助かった」

 

「それに関してはフェルト様方の功績ですよ。それにキリタカさんを逃がすことは、僕らの勝ち筋を残すためにも意味があることでした。これで……」

 

この場を離脱したキリタカが、オットーの指示通りに動いてくれていれば、あるいは別の可能性も見えてくるが。

 

そんな期待も無駄と思わされるほど、相手の戦力が異常だ。

この『暴食』の技量はあまりに高すぎる。

 

 

「ひょっとすると、武術の天才なんて呼ばれる奴はそれもできるのかもしれないが……あのガキにその才能が振る舞われたとは思いたくないところだ」

 

「こちらの仮説だと、『暴食』は食らった相手の記憶や技を盗むかもしれません。それこそ、数十年の鍛錬を横から奪うことだって…」

 

その予想を裏付けるように、新手が飛んでくる。

 

「…っ魔法がきます!!」

 

「ガストン!」

 

「———エル・ヒューマ」

 

電撃的に衝撃が走り、オットーが叫んだのとバテンカイトスの詠唱は同時だ。

大気が音を立てて凍り付き、生み出される氷の塊が、その魔法攻撃を予想していなかった『白竜の鱗』の面々を横殴りにする。

 

しかし、その氷塊の雨に両手を広げてガストンが立ちはだかった。大男は相変わらずの防御力で、叩きつけられる氷の塊を全身に浴びる。その背後に『白竜の鱗』が飛び込み、被害を軽減する形だ。だが、それでもダメージは防ぎきれない。

 

「お兄さんの判断がよかった。思ったより、不意打ちにならなかったね」

 

魔法を行使したバテンカイトスが、その惨状を見ながら口の端をつり上げる。

壁役に立ったガストンは荒い息をつき、その背中に隠れた『白竜の鱗』の六人、こちらは負傷者が出ている。

 

「今の言葉が出るってことは、僕たちの種は割れちゃったのかなァ?」

 

否、消えたと思うほど、素早く自然な動きで踏み込んだのだ。その小柄な体躯がガストンの横をすり抜け、動けなくなった『白竜の鱗』の傍らへ。

 

とっさに、動ける三人はそこから飛び退くが、負傷した三人は引っ張れない。

 

「アスタ。ルックフェルト。ヒックス」

 

囁くように漏らして、バテンカイトスはその三人の肩をそっと撫でた。

何事か、と目を剥く全員の前で、バテンカイトスに触れられた三者の体が跳ねる。そしてバテンカイトスは振り返ると、彼らに触れた左手を掲げ、

 

「ぺろり」

 

と、その何もない左の掌を舐めた。途端に、オットーは違和感に呑まれる。

何が起きたのか、何かが起きたことは違いない。だが、それが何かわからない。そして、わからないのはそれだけではない。

 

「彼の足下に倒れているのは……誰ですか?」

 

オットーが指差すのは、舌を長く伸ばしてみせるバテンカイトスの足下だ。

 

その少年の形をした悪意の足下に、三人の白い服の人物が倒れている。倒れているのだが、その素性がわからない。おそらく、背格好から『白竜の鱗』の構成員であると予想はつくのだが、彼らはいつ現れ、いつやられてしまったのか。

 

「悲しい、悲しいね、悲しいよ、悲しいさ、悲しいとも、悲しいからこそ。俺たちは一方的な再会だったとしても、満たされずにはいられないのさァ」

 

「ダイナスさん!あの三人は!?」

 

「わからん!見たこともない顔だ!だが———!」

 

同じ揃いの服装で、知らない相手だなどといわれても説得力はない。ないが、ダイナスの声に誤魔化す意図も余裕もない。飛ぶように駆け出し、彼は二刀を両手に振りかざしてバテンカイトスへ切りかかった。

 

「やめなよ、ダイナス。古い付き合いだ。故郷の浄化もあと一歩だってのに、こんな風に仲間で切り合うなんて馬鹿らしい」

 

「———!?お前、どこでそのことを!」

 

ダイナスの事情を不用意に踏みつけ、バテンカイトスは右の刃を振り上げる。小刀の二撃を一本の短剣で軽やかに受け流し、『暴食』は突き上げた膝でダイナスの胸を打つと、そのままの勢いで一気に後方へ飛びずさった。

 

胸を押さえるダイナスは咳き込むが、倒れる見知らぬ三人は確保する。そんなダイナスの姿に、バテンカイトスはこれ見よがしにため息をついた。

 

「器に固執するなよ。大切なのは心と中身だろ?その人をその人たらしめるのは外側じゃない、中身さ。僕たちはお前の努力を知ってるよ、ダイナス。ミリアンもメィリィも、守れなかったのはお前のせいじゃない。運が悪かったのさ」

 

「黙れ黙れ黙れ黙れぇ!お前が俺の何を!何を知っている!勝手なことを口にするな!この腐れ外道がぁ!」

 

怒声を張り上げ、ダイナスが打撃の痛みも忘れて再び吶喊する。二刀が翻ってバテンカイトスを狙うが、それは見知った一撃を振る舞われたような顔のバテンカイトスに容易く避けられた。そのまま、ダイナスの背にバテンカイトスの手が伸びる。

 

「っと?」

 

「いつまでも人を無視すんじゃ」

 

「ねーってんだよ、バーカ!」

 

バテンカイトスの細い腰に、真後ろからガストンが組み付いた。その鼻面にバテンカイトスの肘が叩き込まれるが、打撃の威力にガストンは下がらない。

そこへ駆け込むフェルトが躍りかかる。彼女は両手に抱えていた細長い包みを、その無防備な後頭部へ叩きつけた。

 

「馬鹿だなんて傷付くなァ。たぶん僕たち、君よりは色々知ってるはずだぜ?」

 

「ぬが!」

 

が、そのフェルトの一撃を、バテンカイトスは前屈みになり、さらに掲げた右腕の短剣で受け流す。勢いの乗った打撃は軋る音を立てながら、しかし狙いを大きく外してかえってフェルトの姿勢が無防備になった。

ダイナスとフェルトが揃って隙を見せ、ガストンにも手が届く状況———バテンカイトスの魔の手が、そのまま三人に、

 

「やらせませんけどねえ!」

 

届く寸前、投げ込まれた魔石が赤熱しながらバテンカイトスの足下へ。それを見取った瞬間、バテンカイトスの動きが止まり、フェルトとダイナスが緊急離脱。

 

「離すな、ガストン!」

 

「覚えてろ、この悪魔娘……!」

 

組み付いたままのガストンが、魔石の効果範囲からバテンカイトスを逃がさない。赤熱する魔石の光が増し、直後の石畳が剥げるほどの威力で爆発が上がった。

赤と白の光が上り、爆風にフェルトがこっちへ転がってくる。それをオットーはどうにか受け止め、爆発の範囲を見た。

 

オットーが常に持ち歩いている、『念のため』の魔石だ。『聖域』でのガーフィールとの戦い以降、身の安全を守るためにある程度の常備は欠かしていない。

財布には痛い手段だが、それでも効果は馬鹿にできたものではない。

 

「お連れの方は大丈夫なんですか!?」

 

「へっ、うちの大男を舐めてくれんなよ。アタシの鎧役なんだ。ちょっとやそっとの攻撃じゃ突き通せねーよ」

 

 

「ベネット。カルシフス。アウグスト」

 

また、見知らぬ三人がそこに倒れる。

 

オットーの横で、フェルトが乱暴に美しい金髪を掻き毟る。彼女もまた、自分の見ているものの意味がわからなくなっている。

 

「これが、『名前』を食べられるってことの意味———!」

 

誰の記憶からも姿が消えて、スバルの中にしか残っていない『レム』という少女。それと同じ現象が、今まさに目の前で起きているのだ。

おそらく、倒れている『白竜の鱗』と思しき男たちは、バテンカイトスに名前を食われたのだ。その結果、オットーたちの頭から『いた』という記憶が消えた。

だから突然現れたように見えるし、誰なのかもわからない。

 

「——————」

 

怖気が立った。改めて、目の前にいる規格外の化け物の悪辣さを理解する。

 

自分がいなくなり、それを思い返す人すらも消える可能性———それはあるいはこの世のあらゆる恐怖に勝る恐怖ではないのか。

 

しかしフェルトは一歩も引かない。ならばとオットーも折れはしない。

 

その姿に、ダイナスとガストンまでも覚悟を決めた顔で立ち上がった。そして四人の戦意が折れないと見ると、バテンカイトスは満足げに頷いて、

 

「いいね、いいよ、いいさ、いいとも、いいかも、いいじゃない、いいじゃないか、いいだろうからこそ!暴飲ッ!暴食ッ!君らは食卓に相応しい!前菜の中でも上等な部類に格上げするよォ、ガストン。それにフェルトとダイナスは、ちゃァんと味わってやるさァ」

 

手を叩きながら、バテンカイトスが嬉しくない評価を三人に下した。それから『暴食』はゆっくりと、その目でオットーの方を眺める。首を傾げる冒涜者は、そのままの流れでオットーの品評を始めるかと思いきや、不満げな顔だ。

 

「賢そうで、諦めが悪くて、芳醇そうなお兄さん……なのになァ」

 

「何を……いや」

 

そこまで言って、オットーはバテンカイトスの不満の理由に勘付いた。

フェルトたちの名前を、愛でるように優しく呼んだバテンカイトス。彼の『名前』を食らうという特性と、その発言の内容がそれを知らしめる。

 

バテンカイトスは、『名前』を知らない相手の『名前』は食らえないのだ。

 

「お三方にお願いです。絶対に今後、僕の名前を呼ばないでください」

 

名前が呼ばれなければ、少なくともバテンカイトスの目的は達せない。

あるいはここまでのバテンカイトスの、手抜きとも思えるぬるい攻撃の数々すら、実はこちらの名前を知るための手段だったのではないだろうか。

互いに名前で呼び合うことを待ち、食事の準備を整えるための策———。

 

「悪ぃ、兄ちゃん」

 

そのオットーの推論から飛び出す発言に、フェルトが申し訳なさそうに呟く。

 

「アタシ、そもそも兄ちゃんの名前とか知らねーし……」

 

「すまんな、筆頭内政官殿。俺も役職はともかく、名前は失念して……」

 

「はいはいそうですよねえ!別に僕、そんな皆さんと親しくないですし、重要人物でもないですもんねえ!やったぁ、チクショウ」

 

もちろん、ガストンも知らない顔で肩をすくめている。

 

「ダイナスはともかく、そっちの二人はお兄さんを庇ってるんじゃァないかな。そうでないならまァ……聞き出すのが厄介になるんだよなァ」

 

それだけ言うと、バテンカイトスはかしこまった仕草で一礼する。

気取ったようにも見えるそれは、やけに慣れ親しんだ仕草にも見えた。

 

「じゃァ、改めて。魔女教大罪司教、『暴食』担当のライ・バテンカイトス」

 

「…………」

 

「名乗られたら名乗り返すのって、礼儀じゃァない?」

 

「ここまでの会話で、てめーに名乗り返す馬鹿なんかいねーってんだよ」

 

「そりゃそうだ。———じゃァ、いよいよ配膳完了ってことで、イタダキマス!」

 

被っていたボロ切れを捨て、身軽になって宣言を行う。

 

「随分マナーがなっていない子供かしら。親の顔が見たいのよ」

 

ふいに、大広場にこれまでいなかったはずの人物の声が響いた。

とっさに顔を上げたのは、バテンカイトスも含めた全員だ。そしてその台詞に、バテンカイトスは顔を顰める。

 

五人の視線が向いたのは、大広場を囲った水路の一本———そこから軽やかに宙を舞い、一人の少女が降り立つ。

 

ふわりと広がるフリル付きのドレスに、くるりと巻かれたクリーム色の髪。つんと澄ました顔は見慣れたもので、丸く大きな瞳で彼女は状況を眺める。

そしてオットーに目を留めると、仕方なさそうに嘆息した。

 

「性根と詰めが甘いのはスバルだけで十分なのよ。ベティーが手助けしてあげるのもスバルだけ……今回は、あくまで特別措置かしら」

 

「ええ、すみません、お手数おかけします。けど、ありがとうございます」

 

少女の厳しく聞こえる発言に、しかしオットーは脱力してへたり込みたいぐらいの安堵感を味わう。

その少女の存在こそ、オットーが張った『勝ち筋』の中の一つ。

 

「さて、こんな騒ぎとっとと片付けて、スバルに抱っこしてもらいにいくのよ」

 

けだるげな顔で言いながら、持ち上げた手を振って見せる少女。

否、精霊。それも、精霊の中の大精霊。

 

ナツキ・スバルの契約精霊、ベアトリス———援軍としてついに参戦。

 

 

ライは笑みを深くする。

 

これは戦闘ではない。ただの食事だ。

問題は、どんな風に、どんな順番で食べるかだけ。

 

 

このすぐ後にその笑みは致命的な驚愕に染められることなど、彼は微塵も考えていない。

 

 

 

 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 

 

 

 

こちらも色欲からの放送と謎の脅迫者の宣言より少し前。

 

リリアナの歌を背景に二人は対峙する。

 

憤怒とプリシラは、悠然と向き合っていた。

 

 

「妾は嘘をつかぬ。凡愚共に宣言してきた。貴様の首を斬るとな。故にそれを行うは天意である。天に抗うなどと無駄なことをせず、粗末なそっ首を献上するが良い」

 

「あぁ、あぁ、あーぁ!まったくまったく、まったく!どうしてこうもどいつもこいつも皆さんまとめて一緒くたになって!私とあの人との逢瀬を邪魔しようとなさるのか!悲しい、悲しい、私は悲しい!悲しさで胸が張り裂けてしまいそうです!心震わす激しい情動!その悲しみが止まらないぃ!」

 

そう言って咽び泣く憤怒。周囲の人々はそれに呼応して泣いている。そこかしこに泣いていないものもいるのは、リリアナの歌の影響だろう。

しかし彼らも、悲しそうにしており。その影響のせめぎ合いは不利に見える。

 

 

「皆さん、私の愛に賛同をいただけている方々です。たまにあなたのように頑なな方もいらっしゃいますが、『雨水も水路に注げば区別なし』と申します。一度、心を委ねてみると見え方も変わってきますよ?」

 

 

「くだらぬ語りは必要ない。貴様らはただ、妾の『陽剣』その眩さに慄くがいい。これは原初の炎にして、帝王の座を最初に照らした灯火ぞ。――その赤の輝き、貴様らの知るそれと同じと思うな」

 

「――――」

 

プリシラは一歩下がり、足元の水路へ剣を向ける。剣先を水面へ向けて水面を一振りに切り裂くと。

 

目の前で、バッと浮上する紅の壁――それは炎、火炎の壁。

立ち上る業火は赤を通り越し、いっそ白くすら見えるほど。揺らめくなんて表現を拒むかのように光は凄然と突き立ち、その熱の凄まじさを証明する。

 

燃えているのは水路、その水面そのもの。火を打ち消すものは水、水は火の対極にして天敵、そんな認識を覆す光景。

陽剣の炎は、水すら燃やす。

 

それも――広場を囲む四方の水路、その全てを一度に。

 

「これは……」

 

そのこの世のものとは思えない光景を前に『憤怒』も声を失う。

燃え上がるなんて言葉では言い表せない、ただそこにある炎。それは水路を渡ろうとした群衆の足を止め、その場に釘付けにしている。

 

当然でしょう。焚き火に羽虫が飛び込むことは自然の摂理ですが、その終わりを拒む知恵と本能を持つものが人間なのですから。

 

「愛だなんだと、形だけでも支配ではないと言い訳したのが仇になったな。いっそ本能すら凌駕するほどに服従させる力なら、この程度で足止めになぞなるまい」

 

陽剣を構え直し、黙り込んだ『憤怒』を(あざけ)る。

嘲り、嘲弄、侮辱、侮蔑、そんな邪悪な表情で笑う。

 

 

「誰も炎に身を焼かれてまで、貴様の口にする愛を証明するつもりはないらしい」

 

「――――」

 

「貴様が安っぽく、連呼してきた愛の結果がこれよ。ちゃんちゃら可笑しいとはこのことじゃな、大罪司教。大層な肩書きが聞いて呆れる」

 

嘲笑を浮かべたまま、プリシラ様は延々と黙る『憤怒』を責め続ける。

 

「そもそも、愛は一つになることなどという言葉が浅はかであるぞ。妾は唯一無二にして最上、その時点でどう足掻こうと貴様ら凡俗が妾をどうにかできると?ましてや一つになれるはずもない。妾に迫ることはできても、追いつくことなどそも不可能じゃ。ならば貴様の語る愛はすでに破綻しておろうが」

 

 

「同じになるなどと勘違いも甚だしい。違うもの同士、一つになりたいなどと己の否定よ。己のないものに何故に歩み寄る価値がある。違うのは大前提、違った上でどうこうするのが世の常である。そもこのような違いがあることこそ生物が生き残るための緻密な戦略である。人類全てが妾となれば、誰が侍る?異なるからこそこの世は美しい」

 

 

「この、大ボラ吹きが。妾の貴重な時間を妄言で奪うな、その命を以て贖罪せよ」

 

 

押し黙る怪人は、俯いていた顔をあげてこう言った。

 

「――面白い、です」

 

「面白い、とても快いです。愉快というべきでしょう。いえ、この心に押し寄せる昂ぶりに名前を付ける、そんなことは無粋なのかもしれません」

 

包帯で隠された顔の中で、そこだけ主張の強い瞳がぎょろぎょろと動き回る。

 

「ごめんね、取り乱しました。でも、ありがと。目が覚めました。そうですよね、分かり合うのに手間を惜しむだなんて、そんな身勝手を」

 

にっこりと、笑う。

親しげに、友人や家族を歓迎するみたいに、口が横に裂けて、いやに白い歯が見える笑みを見せて、怪人が微笑む。

 

 

「改めて、名乗ります。私は魔女教大罪司教、『憤怒』担当シリウス・ロマネコンティです。どうぞ、お見知りおきを」

 

ぺこりと、丁寧にお辞儀。

腕の鎖をじゃらつかせ、くるくると手を回して、拘束を解いて、鎖の射程が伸びて、グルグルと鎖が回って、風を切り、重なり合う金属音が、凶悪そのものになって空間を切り刻む。

 

怪人は笑顔だ。

 

「これは『試練』!そう、『試練』に違いありません!夫との再会を果たしたこの都市で、再びあの人と巡り合い、愛を言葉を交わすために、私の身に降りかかる『試練』に違いありません!私の愛の正しさは、私とあの人とを再会させた運命が証明しています!あなたたちは、その私に立ち塞がる『試練』!!」

 

晴れやかな声で、恋する乙女みたいに華やぎながら、怪人が鎖を振り回し、こちらと一気に距離を詰めてくる。

 

 

陽剣と鎖が打ち合い始める。その一合で互いの力量を察知する。それほどの達人同士の対話とも言える衝突であった。

 

 

「ごめんね?ありがと。もしかして、まさかまさかなのですが、この歌声を信じているのですか。歌如きが、私の憤怒を塗り替えるとでも?安く見られたものですね」

 

『憤怒』が赫炎を投げつければ、『太陽姫』が灼炎をぶつけて相殺する。

 

シリウスは武芸の達人でもある。その剣に殺気がこもっていないことは看破していた。歌が憤怒の権能に打ち勝つとでも?

あの人からの贈り物を軽んじられたようで腹が立つ。髪が天を衝く。

 

そんな怒りも愛しいあの人がくれたもの。そう。あの人を思えば全てを包み込む愛に気づける。

 

「踏み込み鋭く、素晴らしい太刀筋!でも怒りも何も込められていないその剣では…」

 

相手の剣は鋭い。しかし、殺す気のない剣などあまりに軽い。

せっかくだが、これでは敵にはならない。容易な試練にしてしまったかもしれない。

 

 

??おかしい。

 

 

続けて愛を叫ぼうと思ったが、声が出ない。

理由は後から理解できた。しかしそれが信じられない。

 

この女の剣が、こちらの鎖を通過して首を捉えた。

 

全ての感覚を失い、重力に従い落下。視界が地面でいっぱいになる。

 

愛について、怒りについて、何も話せず。その機能を失った。

 

 

 

怪人は水門都市に沈んだ。

 

 

 

「やはり無粋な幕引きよ。あやつの情緒を解さぬ筋書きはつまらぬな」

 

嘆息し何事もなかったかのように歩き出す。

 

「こんな演目などすぐに幕引きじゃ。シュルトの無事さえわかっておればな。歌女を侍らせ燃え盛る塔の中、渾身で歌わせたものを…」

 

 

プリシラは周囲の人々を気にしない。彼ら彼女らもまた大罪司教と同じく糸が切れた人形のようにそこら中に倒れている。

何割かが無事のようだが、多くが権能の影響を受けて『憤怒』と命運を共にしたらしい。

 

うめき声ひとつなく、誰一人として声も上げない。静寂が一帯を支配する。

その戦いの余燼の炎が周囲で瞬くだけだった。

 

「後処理が面倒じゃな。共を連れて対話鏡でも持たせるべきだったか?」

 

水門都市の一角。憤怒との戦いは、あまりにも呆気なく非情な終わり方になった。

 

プリシラは水門都市を自由に歩く。その歩みを縛れるものは何ひとつない。

 

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