亜人:ゼロから始める異世界生活   作:ZAT23

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【FILE:78】八つ腕の喝采

———闘神クルガンの伝説は、ヴォラキア帝国に広く伝わっている。

 

実力主義のヴォラキア帝国にあっては、能力さえあれば出自は問われない。

亜人に対する差別意識が残るルグニカ王国や、外来の人間を排斥するグステコ聖王国などと比べれば、ヴォラキアは血や見た目を考慮しないカララギ都市国家に近い方針をとっている。

 

そのため、四大国の中でもヴォラキアは純血の人間種以外にとって生きやすい国家である。

 

しかし一方、その過酷な実力主義は、知恵も力もないものに対する苛烈な弾圧と風当たりを意味する。当然、個人への評価と種族への評価は異なる。

特に多腕族は長年にわたり、一定の土地に留まらない流浪の種族として各地を放浪してきた種族だ。多腕族はその曰くありげな見た目と、亜人種にしては魔法を扱う適性が著しく低いことから、種族単位で劣等と考えられてきた。

種族の母数も多いとはいえず、争いになれば土地を守ろうために戦うよりも移住を選択する。

 

そんな種族であったが故に、各地で疎んじられた彼らがヴォラキア帝国に行き着き、そこで鉄血の帝国主義に呑まれて潰えそうになったのも必定といえた。

 

———その実力主義の世界で、『否』と声を上げたのがクルガンその人だ。

 

多腕族は人類種と違って二本以上の腕を持つのが特徴だが、その腕の数には個体差がある。多くの場合、四本から五本に留まる多腕族の中でも、八本もの腕を生やしたクルガンは異色の存在であった。

 

数々の戦役にて武功を立て、『八つ腕のクルガン』の名はヴォラキア帝国の伝説として長く伝わっていくのである。

 

弾かれる勢いを強引に制動、前を向く。眼前、鬼包丁の切っ先が迫る。

 

判断は一瞬、行動は刹那、結果は直後だ。

 

「るるるるるアァァッ!!」

 

石畳に刺した両腕を振り上げ、地面を引っぺがして叩き付ける。鬼包丁の先端が壁をぶち壊し、一切の停滞もなくガーフィールの顔面を捉えた。

 

激しい音が軋り、直撃を受けたガーフィールが引き下がる。致命の傷の代わりに折れた牙が二本、石畳を跳ねた。

 

「なめッてんら、ねェぞオラァ!!」

 

吠えるガーフィールの牙が、鬼包丁の刺突を文字通り食い止める。

犬歯が折れ、裂けた口の端が大量出血。だが、ガーフィールは躊躇わない。

首の筋力と顎の力が爆発し、クルガンの力に全身で拮抗する。

 

ガーフィールの上半身が膨れ上がり、再び半獣化が進み、伝説の刀剣を噛み砕く。

鬼包丁の崩壊に、クルガンの巨体が大きく揺らいだ。本当の、好機。

 

判断は一瞬、行動は刹那、結果はいつだって直後だ。

 

振り抜く獣爪がクルガンを捉え、巨躯の足裏を『地霊の加護』が弾く。大虎と化したガーフィールの質量が闘神にぶつかり、背後、揃って水路へもつれ合いながら落ちる。

 

 

激しい水音を立て、水路を流血で赤く染めながら水中で二人、殴り合い続ける。

水の抵抗、真っ暗な水中、互いの存在を直感頼りに引き寄せ、殴る、殴る、殴る。

 

巨大な拳骨に内臓が潰され、微痛に叩く肺から酸素が絞られる。痛みはより強く、苦しみはより苦しく、悪化の一途を辿る水中戦闘がなおも続く。

 

「ー」

 

ひと呼吸、足りない。息苦しく、酸素の不足した脳が機能不全を起こす。

 

生者には酸素がいる。屍人にはそれがない。その有利と不利が反映され、明暗がはっきりと分かれる。水面に顔を上げられない。水の流れが強い。押し流される。

 

このまま、勝敗がー、

 

音の伝達の悪い水の中、重々しい音が鼓膜を叩いた。

遠ざかりかける意識を引き戻し、黒く濁った水中にガーフィールは見る。鬼包丁が水路の壁面を、底面を削り、闘神の一撃が都市の生命線を致命的に断裂させるのを。

 

その行動の真意を、確かめる時間も酸素もない。

 

次の瞬間、凄まじい勢いに体を呑まれ、ガーフィールは為す術なく揉まれる。体は勢いに乗り、流れ、流れ、不意に水中から解放された。

 

「…ゴージャス・タイガー?」

地下に水の流れ込む音に紛れて、弱々しい声が自分を呼ぶのを聞いた。

 

 

その声が聞こえた瞬間、ガーフィールの意識は大きく揺さぶられた。

咳き込み、大量に呑み込んだ水を吐き出して、酸素不足でガタつく頭を働かせる。

 

薄暗く、空気の冷たい地下空間だ。

硬い石造りの味を、今は大量に流れ込む水が浸している。背後の壁の大穴から湖流が部屋に入り込み、澱んだ空気に反響しているのがわかった。

 

視線を感じる。不安、警戒、恐怖、反骨心、様々な感情が入り混じる視線を。

それらの情報から、ガーフィールはここが都市の避難所の一つだと理解した。落ちた水路がこの避難所に隣接していて、砕かれた壁からここへ流れ込んできたのだと。

 

そこまで考えて、ガーフィールは朦朧としていた意識を殴りつける。

周囲、激しく揉み合い、自分と命を削り合った巨駆の姿を探して、

 

「ーあ」

 

瞬間、翠の瞳を潤ませた、幼い金色の髪をした少年と視線が絡んだ。

 

見覚えのある顔。胸が締め付けられ、心が軋む記憶と隣り合わせの顔。一方的な再会を果たした、ガーフィールの母と繋がる少年。

 

自分がいたかった場所に収まり、母の無償の愛を受け取る、弟、

 

「ーッ!」

 

再び、余計な感傷に心を囚われた直後、すぐ真横で激しい水飛沫が上がった。

浅い水面を爆発させて、八本腕の異形が立ち上がる。そして棒立ちのガーフィールへ、巨駆は振りかぶった拳を容赦なく叩き付けてきた。

 

刹那の反応の遅れが致命的だ。一瞬の油断が、一合の好機を相手へ譲る。

その一合で、『八つ腕』のクルガンは八の打撃をガーフィールへと叩き込んできた。

 

一つ、二つは防げても、残る六つの打撃を防げない。

横の面を弾かれ、二発の打撃に足が浮いて、重ねた拳打がその体を打ち落とし、水面に落ちた頭部が真上から殴り潰される。水中に没した顔面が床に激突し、鼻と牙に甚大な被害を受け、噴き出す鼻血と吐血が水を真っ赤に染めた。

 

「ぷがっ・・・・うらアアアア!!」

 

立ち上がり、吠える。

 

血の糸を引いたガーフィールが裂帛の気合いで地下の空気を打ち壊し、正面の闘神へと拳を振り上げ、飛び込んだ。

互いの拳が交錯する。首を傾け、顔の横を抜ける拳に牙を滑らせた。相手の手首から肘までを一気に引き裂いて、ガーフィールは続く右の獣爪で巨駆の胸板を切り裂く。

 

鋭利な切り口が血を噴いて、闘神の肉体に浅からぬ傷が刻まれた。

だが、『八つ腕』の攻撃はここから七度続く。その全てに対して、ガーフィールは全身を駆使して回避行動を取らなければならない。

 

一合ぶつかるたび、こちらの一手に対して八手の攻繋が襲いくる。

圧倒的不利、圧倒的物量差、圧倒的戦力差、それが心に火を点けるー、

 

「お、オオオォーーッ!!」

 

追る、迫る、迫る、迫る、迫る、迫る、迫るー。

 

受け、捌き、避け、流し、潜り、弾き、相打っー。

 

拳と拳が衝突し、生じる衝撃波が足下を浸した水を吹き飛ばす。肉と肉のぶつかり合いと思えぬ轟音が鳴り響き、直後に両者の体が背後へ弾き飛ばされた。

 

水飛沫を盛大に散らしながら、猛虎と闘神がもんどりうって転がる。

だが、互いに視線は切らない。壁に背中を預けたクルガンも、水面を踏み砕いては構えを解かないガーフィールも、戦いの中に全霊を傾けていた。

 

水の中、足裏に「地霊の加護」の力を発動し、ガーフィールの踏んだ床が凹く切り取られ、浮上する。途端、地下に流れ込んだ水がその大穴へ吸い込まれていく。

ぐんぐんと水位が下がる。しかし、今もなお、壁の穴からは大水が流れ込んでいる。

 

「———」

 

その大穴が、鬼包丁を抜いたクルガンの一撃によって塞がれる。砕かれた天井の破片が壁の穴を埋め立て、流入する水を乱暴にせき止めた。

穴が塞がり、排水が行われ、足首まで浸していた水の障害が取り払われる。

 

無言のまま足場を確保して、二人の戦士は最初の立ち位置へ戻り、向かい合った。

 

銀色の盾を装着した拳と、引き抜かれる三本の鬼包丁が構えられる。

互いに示し合わせたわけではない。だが、これは決闘だった。

 

ヴォラキアの英雄、『八つ腕』のクルガンと、一人の戦士であるガーフィールの決闘。

 

場違いな感傷だが、この状況がガーフィールには快かった。

 

ラインハルトの前で後ろに下がり、再会した母との時間は記憶と共に封じられ、自分を庇った心優しい少女の仇を他人に譲り、敵の思惑に乗せられて味方を危険に晒した。

 

無力感と喪失感が、多くのモノが奪い去られていくのをただ見ていた。

 

この二日間、ガーフィールは自分の心を裸にされ、幾度も弱さに苦汁を呑んだ。

その摩耗して縮み上がる魂に、熱を入れてくれたのがクルガンだった。

 

 

ヴォラキアの英雄、闘神、『八つ腕』。数多くの異名が彼を指し示す。

その最強の敵が鬼包丁を構え、今、ガーフィールと対峙していた。

 

それがガーフィールにとって、どれほど大きな意味を持つことか。

『八つ腕』のクルガンが鬼包丁を構えることが、戦士にとってどれほど光栄なことか。

 

戦士と戦士の戦いは、互いの一撃によって決する以外にないのだと語っている。

 

 

「よオ、てめェら……いつまでジッと見てツやがんだア?」

 

相対する戦士ではなく、

逃げ込んだ避難所で、ガーフィールたちの乱入を受けた避難民たちだ。

この戦いを遠巻きにしている人々にガーフィールが問う形で逃げろと伝える。

 

「ゴージャス・タイガー!」

 

「あァ…?」

 

———ゴージャス・タイガー。

 

それは、黄金の虎の名前だ。ガーフィール・ティンゼルの憧れる、最強の虎の名前だ。

何故、今、その名を叫ぶ。いったい、自分に何が言いたいのか。

 

赤い顔をした少年の頬を、熱い涙が伝っている。

叫ぶ少年の声を、地下にいる全員が耳にしていた。だから、その声に込められた、言葉にできない激情は全員に伝わる。伝播する。

 

「いいから、逃げろって言ってんだろオが……」

 

「ゴージャス・タイガー!」

 

ガーフィールの吐息が、黄金の虎を呼ぶ声に塗り潰された。

叫ぶ少年を背後から、同じ金色の髪の少女が抱きしめる。少年の姉だ。弟を守るように抱きしめて、展える翠の瞳がガーフィールを見つめていた。

唇が震える。声にならない声が、黄金の虎を呼んでいた。

 

「勝ってくれ!」

 

少年でも、少女でも、もちろんガーフィールでもない。

 

地下にいた男の一人が、拳を握りしめて声を上げていた。

 

「いや、いいから逃げろって……」

 

「戦って、勝って!」

 

 

「負けないで!」

 

「み、見てるしかできない……けど!」

 

 

 

唖然とした。

 

ガーフィールの退避を促す声は、そのことごとくが別の声に上書きされる。

気付けば、少年の一声を始まりとした熱気は地下にいた全ての人に伝播し、ガーフィールとクルガンの決闘を囲んだ人々は誰一人逃げない。

 

全員、熱に浮かされている。常識的に考えて、この場に残ることの何が正解なのか。

何の意味もない意地や念が、自分を犠牲にしかねない結論に彼らを導いていた。

 

「大将…やっぱり、演説が効きッすぎちまってんだよォ」

 

思わず、渇いた声でガーフィールは呟いていた。

ナツキ・スバルの、都市全域へ伝えた言葉が思い出され、肩の力が抜ける。

 

スバルの弱さという強さが、都市の人々へと確かな熱を灯した、その結実が見える。

 

無ぶる種火が胸の内で熱となり、機会を得れば燃え上がるのだと。

彼らにとってのその機会が、今この瞬間であったように。

 

ガーフィールにとってのその瞬間が、今この時であったように。

「ーゴージャス・タイガー!」声援が、やまない。

率先して黄金の虎を呼ぶ、知らない間に生まれていたガーフィールの弟。

 

 

その弟を後ろから抱くのが、やはり知らない間に生まれていたガーフィールの妹だ。

記憶をなくした母を受け入れてくれた都市、その住人がガーフィールを見ている。

 

「決闘の場面…果たし合いにしちゃア、騒がしすぎるッだろオが」

 

固めた拳を引き寄せ、装着した盾を強く打ち合わせ、ガーフィールは牙を剥いて笑う。

 

「『超最強の盾』.....いィや」

 

「『ゴージャス・タイガー』、ガーフィール・ティンゼル」

 

戦士同士の決闘、その開幕を告げる名乗り合い。

クルガンはただ無言で、鬼包丁を擦り合わせ、最大限の戦意を表明した。

 

それだけで、十分だった。

 

 

 

戦士たちの神聖な決闘。

 

その最後の一合が始まる。その筈だった。

 

 

しかしその誉れを意にも解さぬ悪意こそがこの都市を襲った主犯であり、死者を利用した魔女を連れ込んだ冒涜者だ。

 

その悪意が遊び半分であればよかった。きっとこの決闘は最後まで遂げることができただろう。

 

 

しかし今この都市は、悪辣な大罪司教と奸雄たる永井圭が真剣にて指し合う混沌の盤面だ。

 

 

油断なく準備をした大罪司教。その邪悪な伏せ札が牙を剥く。

逃げられる時に逃げなかった。そんな非合理を責めるように、敵は詰めてくる。

 

 

避難所の入り口から入ってきたのはごく普通の夫婦に見えた。そんな容貌に、誰も警戒をしていない。

 

しかし、ガーフィールの鼻と勘は気づく。そして暗い喜びに歪んだ目を見れば確信に変わる。あれが色欲が用意した煽動者であり暗殺者であると。

 

 

今は色欲の指示を無視して自らの欲求を満たすために暴走していた。

以前から抜け出す機会を伺っていたのだろう。あの放送をきっかけに、自由にやることにしたのだ。

 

その絶技は笛の演奏技術である。そして持っているのは『導の笛』というミーティア。

これらが合わさると、人はまるで自我を失い夢遊病のように歩き出す。

 

 

笛を吹く者についていく。自分がどうなるかも知らないままに。

その効果は抵抗力の少ないものから順に及ぼされていく。つまり子供たちだ。

 

彼女はメルン。『笛吹き』と呼ばれた犯罪者であり、倒錯者であった。

 

 

 

ガーフィールはクルガンから目を背けることはできない。ただその笛の音を聞いている。

 

動かなくては。

笛を吹けば、子供たちがそちらに向かってフラフラと歩み出す気配がする。

 

足りない。手が足が頭が時間が。全てが足りない。

 

このままでは妹と弟、市民たちが…

 

 

すぐに奴を叩き伏せれば良い。しかし、それはできない。

目の前の異常が、それをさせない。クルガンの強さもそうだが、それ以上の異常が起こっている。

 

クルガンの腕や胴に刻まれていた傷。これまでに積み重ねたそれが目の前で治っていく。

いや、まるで物のように直っていく

 

闘神の片目が光を失い、白目は黒に。黒目は金に。

 

 

 

ガーフィールが止まってしまったその一瞬で、動いた人間がいた。

 

今避難所に入ってきたのだろう冒険者の装いの女は、『笛吹き』に向かっていく。

負傷しているようで、動きは鈍い。

 

この匂いは、まさか…?

 

『笛吹き』が、持っていた笛をしまうその手には剣が握られている。その目は狂気に染まり。腕と手には過剰な力が入っている。

自らを壊しかねないその力のままに、無謀な挑戦者を叩き伏せるために。咆哮を上げた。

 

彼女、メルンこそが『笛吹き』であった。 人を操り、自らも操り、虐げ、好きに殺す。根っからの闇の住人だった。

素人臭い冒険者を叩き潰すため、自身を音で操って限界を超えた力を発揮する。

 

 

ガーフィールには、冒険者が無謀にも突っ込んだように見えた。その鼻が嗅ぎつけた事実に頭が追いつかない。

 

「おいぃ!待っ…」

 

判断は一瞬、行動は刹那、結果は無情にも直後だ。

 

 

 

 

結果は全ての想像を超えていた。

 

それでも鼻はあの匂いを捉えていた。悪夢にまで見たあの女の匂いが。

 

それは先の都市庁舎でも嗅いだはずの匂い。しかし、そこに血の匂いが混ざっておらず一切気づけなかった。

 

 

あの女の体臭とは、血に(まみ)れて初めて彼女の匂いになるのだ。

 

 

 

また一つ人間が潰れるところを見れると喜ぶ倒錯者。そんな喜悦の余裕は、次の瞬間には内臓と一緒に流れ出していた。

 

「久しぶりね。メルン。ほとんど変装は戻っているのに、気づかないなんて悲しいわ」

 

相手に興味がなければ、疑っていなければ。髪型と服装を変えるだけで人は騙せる。

そして何よりその動きはつい先ほどまで、まるで素人だったのだ。

 

油断は全ての人間が持つ共通の弱点だ。反則的な道具や能力を持ち、優位に立っていると錯覚している者のなんと脆いことか。

 

 

 

クルガンは新手を敵と認めて警戒し、剣を構えている。

 

 

ガーフィールは状況に置き去りにされて、さらに体が止まってしまう。

一体、どうすべきだ?

 

エルザはガーフィールに一瞥もくれずに飛びかかり。闘神にナイフを振りかぶる。

 

その目は、クルガンの後ろをチラリと見ていた。

一流以上の武芸者ならわかるその隙を、闘神は決して見逃さない。

 

後ろを見やれば、迫る影がある。

咄嗟に切り払う。その動きに無駄はない。これは外套が引き寄せられただけのブラフ。

 

それでも問題はない。十分に手は足りている。一つを動かしてなお、七つもあるのだ。

 

余裕を持って振るった一刀が女を浅く切り裂く。これでまだ六手余っている。

 

 

 

 

しかし、その目はたった二つしかなかった。

 

 

目線を女に戻した時には、目の前で何か浮いている。投げられた何か。

 

一体なんだそれは。意味深な紋様と文字が書かれたそれに注視する。注目してしまう。

 

 

次の瞬間。謎の物体は炸裂した。

 

 

爆発だけでないそれは長い時間を人々から奪う。陰魔法の前後不覚とは異なる、光によって意識を塗りつぶされた意識の隙間。

 

反射的に耳を覆ったガーフィールが手を離す頃には視力が戻ってきた。

爆音と閃光の暴虐が収まると、先ほどとは異なる光景が見える。

 

クルガンの手には先程まではなかった一つの手錠がはめられており、その体には複数のナイフが刺さっている。

 

 

 

頭ではなにも考えられない。そう錯覚するほどに多くを考えすぎていた。

 

それでも戦士の本能に従い、ガーフィールは戦場へと歩みを進める。

 

おずおずと近づいたときに、援護しようと思っていた女から後ろ蹴りを顔面に喰らった。

ガツンと背後の壁に後頭部を打ちつけて、何が起こったのか理解が遅れる。

 

「ってめえ。なにしやっがる!」

 

 

「あら、ごめんなさい。避難民だと思って後ろに避難させようかと思ったの、ここは戦場。戦うものだけの聖域よ。邪魔はしないでいただける?」

 

はっきり言って、エルザはキレていた。

かつて愛しかけた男が、無様に腑抜けているところを見ることになるなんて、そんな思いにガーフィールが気づくはずもない。

 

「あの時より弱くなっているのはどういうことかしら?私はさっき、大罪司教を殺してきたところなのだけど」

 

普段なら絶対にしない、戦果の自慢のような言葉すら我慢できない。

 

 

「なァ!?お前が…?」

 

 

「そこでずっと考え込んで、悩んでいるといいわ。それで、勝てるのなら」

 

 

本物と幻覚がそこに揃ってガーフィールを嘲笑う。

 

そして、自分へのご褒美のようにエルザはクルガンと笑顔で切り結ぶ。

 

闘神の太刀筋に甘えは一切なく、相手を斬るための卓越した殺意が乗せられている。

 

それにエルザは熱い息を吐いて応戦する。だんだんとキレが増す。速度が上がる。

今まさに、闘神との戦闘によってさらなる高みへと戦士が昇っていく。

 

エルザはこの一年で強くなっていた。それは闘神相手であっても一歩も引かないほどに。

 

しかし、それでも一年だ。工夫で不意をつくことはできる。

それでも実力で闘神を超えることはできない。正面から構えれば一手ごとに不利を背負う。

 

暗殺とは違う。()()()()()()()()()()

 

だからいいのだ。エルザは戦うことが好きだった。

そもそもこれは、仕事を終えた後の趣味でもある。

 

 

八つの腕を受け流し、反撃をしようとしたところにクルガンの蹴りが刺さった。

 

彼が九つ目を出すのは、最大の賛辞でもある。

 

普通の人間ならあれで死んでいるだろう。

エルザが吹き飛び、後ろの壁に消える。

 

 

ガーフィールの時間はようやく動き出す。

 

虎よ。お前は何をやっている。

 

虎よ。これが最強なのか?こんなところで戦いを眺める弱虫の何が最強か。

 

 

スバルからの信頼の目線を思い出す。

 

ラムの言葉が脳裏によぎる。

 

『ガーフ。その全ての考えを捨てるために獣化するのはやめなさい。でもそうね、やるなら早く、徹底的に考えを捨てること。それならまだマシだわ』

 

ミミの温かさと笑顔を思い出す。

 

いい加減に、虎が吠えた。

 

 

踏み切りで床に穴が開くほどの加速。ガーフィールとクルガンの距離が利那で消失する。

迫撃の瞬間、鬼包丁に薙がれる空間が殺され、迫る刃の致命の感覚が直感を突き刺す。

 

一手に対して八手、八手に対して一手。

 

ガーフィールとクルガンの手数の違い、それははるか遠い頂を目指すに等しい。

 

だがしかし、手を伸ばさねば届かない。故に挑む、全霊を賭して。

 

 

一対八の応酬。その一瞬で攻防は為された。

 

極限の世界でも、声が聞こえている。弟と妹と大勢が声を上げている。

 

判断は一瞬、行動は刹那、結果は直後だ。

 

最後の一撃。そこまで肉薄し鬼包丁が放たれた瞬間、ガーフィールは世界から完全に切り離された。

音が消え、色がなくなり、視界から余計なものの一切が消し飛ぶ。

 

極限の集中、ガーフィールの意識に残るのは、クルガンの存在のみだ。

 

異常に緩慢な動きで、鬼包丁がガーフィールへと振り下ろされる。

 

それを受け止めんとする自分の動作も緩慢だ。

もどかしく停帯した世界で、ガーフィールにできることは奥歯を噛みしめるだけ。

否、思い出に浸る時間はあった。

 

「———」

 

またスバルが見えた。ラムが見えた。ミミが見えて、フレデリカが見えて、リューズが浮んで、エミリアがいて、オットーが出てきて、ロズワールの野郎が現れ、ベアトリスやペトラや『聖域』のみんなが、そして、母であるリーシアと弟と妹が見えた。

 

最後に現れたのはあの女。エルザ・グランヒルテ。かつてその姿は呪いだった。

しかし今はその姿と匂いすら自らを奮い立たせる血肉にしていく。

 

『聖域』の戦いで、ガーフィールは自分の弱さを自覚した。

 

かつてより多くを抱えた結果、かつてより自分は弱くなったのではないかと。殺してしまったと思った影と、死んでいないと知った光の両方がガーフィールを責め立てているようだった。

 

エルザの光と影に怯えていた。

 

全てを抱えて溺れるような心地だった。

 

全てを捨てた剣鬼の強さに憧れた。

全てを超えた剣聖の強さに憧れた。

 

けれど違った。

 

全てを拾うと決めたスバルの強さにこそ憧れたのだ自分は。

抱えたものの数だけ弱くなるなら、何のために生きるのだ。

 

抱えたものを守れるだけ、強く在ろうと、そう望めば、いい。

 

「———あァ、スッキリした」

 

すとんと、悩みの種が胸を落ちた。

 

瞬間、鬼包丁の一撃が掲げた左腕の盾を直撃し、稲妻が全身をつんざいた。

 

「ーッッ!」

 

 

 

左腕の防御は、鬼包丁の迫撃の前に一瞬で砕けた。

右腕の破壊と同じように、手首、肘、視界を真っ赤に、思考を真っ白に焼く。

肩まで一気にねじくれ、拉げて砕け散る。激痛が口が開いて、絶叫が上がった。

断末魔と錯覚する絶叫、鬼包丁の勢いは止まらない。

 

左腕を砕き、残りの勢いがガーフィールの首に迫る。そのままガーフィールを叩き潰して、全身を余さず肉片に変えるのに威力は十分だった。

その瞬間、闘神は何を思うのか。命を散らす戦士に慈悲を、憐れみを感じたか。

断じて、否。息の根を止めるその瞬間まで、戦士が戦士を憐れむ道理などない。

 

故に、

不意に、眼前で血の花が咲いた。ガーフィールの出血、ではない。

クルガンの右腕、最後の鬼包丁を握った腕から、大量の鮮血が弾け、散っていた。

その腕には、一つ前の激突でガーフィールの与えた傷があった。手首から肘まで、骨が見えるほど引き裂かれた裂傷、その傷が今の一撃で完全に開く。

 

クルガンの顔に驚きはない。痛みに怯む素振りも見せない。

当然だ。彼は死体なのだ。痛覚は生者のために用意された、命の危険を知らせるための生命線であり、死者にその機能は必要ない。

だから、クルガンは不完全な右腕の影響を見逃した。

 

先程からクルガンの体の再生は止まっている。きっとあの手錠かナイフの効果だろう。

 

真に万全を期すのであれば、最後の一撃は健在な左腕こそを使うべきだったのだ。

それが勝敗を分けた、などと断ずることはできないが。

 

「———あ」

 

ガーフィールは血塗れの顔で息を吐いた。

両腕がひしゃげ、血を吐くような絶叫に喉も潰れた。正面、八本の腕を全て振り切った姿勢のクルガン。何がある。何ができる。腕は動かず、思考も爆ぜて。

腕も、爪も使えない。

 

ならば、残されているのはあの時と同じだ。

 

「あ、あぁ、があぁアアアァーッ!!」

 

 

大口を開け、棒立ちの闘神の首へと喰らいついた。

固く、分厚い肌を牙が貫通し、生命維持に必要な重要器官を根こそぎ噛み千切る。喰らいついたまま身を捩り、牙で筋肉を巻き込み、獣の顎が首の半分を摂り取った。

 

「が、あっ」

 

無防備に床の上で弾んで、ガーフィールは喰い千切った肉を吐き出した。えずきながら振り返り、その首から大量の血を流すクルガンの後ろ姿を見る。

両腕を潰され、牙が何本も欠けて、大量出血に半死半生となったガーフィール。

 

その首に致命傷を受け、堂々と仁王立ちするクルガンの勇壮さよ。それは身震いするほどに気高く強い、英雄英傑の在り方だった。

 

 

そしてクルガンの瞳が黒と金から元に戻る。そこには理性が、感情が、魂のようなものの輝きがあった。

 

地べたに横倒しになり、自分を見上げる戦士を前にして闘神は静かに最後の動作を行う。

 

「———見事」

 

そう言って一つの手が自身の胸に手を突き入れて、何かを取り出す。

 

 

それを残った掌を合わせて潰す。

 

パン!!

 

という喝采にも思える音が響く。

 

「あ…・・・・・」

 

何か、応じる暇もない。

 

目を見開いたガーフィールの前で、クルガンの体は一瞬で崩れ落ちた。

巨躯は砂のように崩壊し、異形の英雄は灰の塊へと変ずる。それはあまりに呆気ない終幕、死者を再び死者へ。そんな、無慈悲な終幕そのものだった。

 

 

八つ腕の喝采は、非常に短く静かなものだった。

 

 

 

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