亜人:ゼロから始める異世界生活   作:ZAT23

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一段落ついたところでメリークリスマス!


歴史を刻む星々 間隙編
【FILE:82】プリステラ攻防戦リザルト


 

時は遡り、フェリスが屍人に接触した直後に舞い戻る。

水門都市の隠れ家にて『魔女』と呼ばれた少女、スピンクスが立ち上がる。

 

 

「要・撤退です」

 

都市での戦いの終盤、まさか『不死王の秘蹟』を調べるものがいるとは思わなかった。

これは独学や初見で干渉できるようなものではない。王国の『青』なんて称号にはなんの価値も見出していたなかったが、それを成したのであれば脅威だ。

 

もしくは、秘蹟をすでに知っている?それなら尚、脅威である。

 

魔女教に協力し『叡智の書』を得る。そして新たな秘蹟の実地での検証のためにこの水門都市へ赴いた。

 

途中で他にも『強欲の魔女』の遺物を見つけて喜んでいた時にこれだ。

 

今は、撤退を迅速に進めている。本体の撤退なら手段は豊富に用意してはいるが、この街の各所に設置して隠蔽していた魔法陣の処理をしなくてはいけない。

 

探知されてから多くの時間は経っていない。なのに証拠隠滅が終わった頃には全ての戦闘が止まったかのように都市から戦闘音が聞こえなくなっていた。

 

色欲に用意させた自身と同じ容姿のものたち。素材も出自も知らないが、従順に命令に従うそれらを各地の水門や壁から逃げさせつつ、自身は最も安全なルートから逃走を行う。

 

 

空中を逃げることも考えたが、あの空を飛ぶ装置は脅威だ。魔法が効かない点だけでも自分にとっては天敵と言えるだろう。対空の意識も高そうであり、スピンクスは水中からの逃走を選択した。

 

 

囮であり探知網でもある身代わりたちが次々に捕まっていく、想像以上に多くの人手が割かれているようだった。

 

自ら生み出した警戒の隙間を潜り抜ける。水中でも呼吸を持たせる魔法をかけて、水中を進む。

 

想定外は多かったが、非常に良い知見は得ることができた。そんな振り返りをする余裕さえあった。

 

この時までは。

 

そんな時、進行方向に障害物を発見。この都市には多くいる水竜だ。

特に何もしなければ、襲ってくることはないはずだがなぜか追いかけて噛みつこうとしてきている。

 

要・排除です。

 

陽魔法の熱線は水中ではほとんど使えない。他の魔法を使えば良いのだが、高度な隠密性を維持しているのは陽魔法だけだ。

 

水竜に接近して、手のひらを当ててゼロ距離で発動。内部を丁寧に焼き焦がして障害を排除した。

 

出血も最小限。これで問題はないはずだった。

 

次々と現れては噛みつこうとしてくる水竜たち。その出現が止まらない。

これ以上は、まずい。対処すれば位置が敵に判明してしまうだろう。

 

何かを失わずに、リスクを背負わずにこの場を切り抜ける手段はない。

 

ならば、仕方ない。代償を支払おう。

 

「要・検証です」

 

 

隠蔽を一切捨てて大魔法を構築。当然気付かれるだろうが、それでも意味のない程の状況にしてしまえばいい。

 

スピンクスが干渉するのはこの都市の根幹であり基盤の力。

『魔女の遺骨』からマナを取り出して自分の好きに運用する。

 

その莫大なマナに振り回されそうになる。これは、一度試しておいて良かったかもしれない。

本番はこれ以上の負荷になるだろうから。

 

 

人が扱える量を超えた莫大なマナを用いて、都市の水を持ち上げる。

 

必要な水は次々に流れ込んでくる。スピンクスがするのはそれを持ち上げて維持するだけ。

それだけで都市の壁を越えるほどの逃走経路が確保される。誰もが水中には干渉できない。

 

そしてこの水の塊を放置してこちらを追うことはできないだろう。これほどの水の塊が形を失えば先の水門解放よりも大きな被害を生むのだから。

 

都市の壁を越えて外に出る。そのまま水路を進んで都市からの撤退を成功させた。

 

 

そこで性格の悪い誰かが張った罠が襲ってきた。

ここに配置していたのは運も絡む。それでも最も撤退に適した運河に最高戦力を配置していたのはケイの采配である。

 

最高戦力とはつまり、水中における最高という意味だ。

 

 

スピンクスに襲いかかる超巨大カモノハシ。

『混成獣』プラタは魔女ですら断片的な知識でしか知らない魔獣であった。

 

その奇襲に驚きつつもやることは水竜への対処と変わらない。接近して攻撃を躱しゼロ距離で熱線を浴びせる。

 

すると、マナが解けて消えた。

 

驚愕に身を固めてしまう。魔獣が魔法を抵抗どころか中和した?あり得ない。

よく見ればその魔獣は何か毛皮のようなものを着込んでいる。体毛と同じ色に染色されており気づけなかった。

 

その隙にカモノハシがさらにあり得ない行動をとった。魔法を放ってきたのだ。

 

周囲の水を凍らせて、スピンクスの自由を奪う。急激な体温の低下にさらに行動が阻害される。

 

極寒の水中を魚のように泳いで接近し、硬直した『魔女』へと後ろ爪を叩き込んだ。

 

防御の術式が反応し、物理的なダメージを防ぐ。

 

 

しかし、次に襲ったのは耐え難い激痛だった。

 

「っ!要・鎮痛…です…」

 

治癒魔法を試みるも、効果がない。これは呪いの類らしい。

カモノハシは遠距離からの魔法攻撃に切り替えている。

 

 

スピンクスはその機械的とも言える合理的な思考で、さらに代償を支払うことを許容した。

今回魔女教に協力するに当たって、事前の相談よりも多くを求められていた。それの対価として色欲から受け取った『強欲の魔女』の遺産。呪いを中和する魔法薬を惜しげも無く使い潰す。

 

 

リスクを承知で空へと浮かび、そのまま逃走する。

あの飛行装置とその使い手がいれば確実に捕捉されていたであろう賭け。

 

それにようやく勝った魔女は今度こそ撤退を成功させたのだった。

 

 

「要・熟考です」

 

 

その表情は晴れない。あまりに想定外が多すぎた。しかしそれは、これから予定している大仕事に向けて良い学びになっただろう。

 

 

スピンクスはまだ知らない。

 

魔女の使った術式をつぶさに観察し続けていた『青』の目線を。

潰したはずの魔法陣の痕跡に触れて、それを理解しようとする王国最高の治癒術師の才能を。

 

 

一瞬の隙間に行われたこの邂逅はスピンクスには教訓を与えた。そしてフェリスには一体何をもたらしたのか。

それがわかるのはもう少し先の話であった。

 

 

 

※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 

 

戦闘が終わったかと思いきや、次に起きたのは水門都市の一角で異常に膨れ上がる謎の水だった。

 

エミリアが何かを察知してすぐに向かっていたのが幸いし、魔女教の最後っ屁と見えるその嫌がらせのような水を完全に凍らせたのであった。

 

徐々に溶け出すようにしておいたらしく、これで洪水が起こることはないだろう。

これも間一髪だったようで、エミリアも珍しく焦っていた。

 

その後は特に異常も起きず、中央へ向けてスバルとエミリアは歩き出す。

 

『四方の制御搭を占拠し、都市を脅迫していた卑劣な魔女教は全て撃退されました。これにより、都市の安全は確保――水門都市プリステラの、勝利です!』

 

都市中に響き渡るその放送をスバルが聞いたのは、エミリアと二人、都市庁舎を目指して急いでいた道中だった。

 

喜色ばんだ訴えは、都市中に声を届ける魔法器による放送だ。

いくらか音の割れる部分があったものの、それは放送をする人物の声が裏返る以上のものではない。その歓迎すべき内容には、何ら疑う余地はないだろう。

 

 

「全員、うまくやってくれたってことか……」

 

大罪司教に占拠された四つの制御搭、その全てが奪還されたという放送だ。

 

「レグルスには奇跡的に被害者が出ずに済んだけど」

 

こちらもかなり強力な布陣だったとはいえ、相手は一癖も二癖もある大罪司教たちだ。レグルスとの戦いを死者ゼロで切り抜けられたのは、あくまで強欲が戦下手だったからに他ならない。

 

狡猾な『色欲』や、攻略の見えない『憤怒』。そして因縁深い『暴食』など、連中の難敵ぶりと脅威は語るに及ばない。

勝てていたとしても、その被害はという怖さがある。

 

「スバルの話だと、他の制御搭にも魔女教の大罪司教がいたのよね。他のみんな、大丈夫だったかしら……」

 

今回の敵の強大さを思えば、味方に被害が出る可能性は避けられなかった。それでも、都市を救うために甚大な被害が出ることは望んだ結果とはいえない。

 

故に状況次第ではあるが、選択肢の一つとして『死に戻り』を考慮に入れるのは、この作戦が始まった当初からスバルの抱く覚悟であった。

 

基本的に、スバルは自身の『死に戻り』を組み込む戦略を良しとしていない。

それは自死を選ぶことへの抵抗はもちろん、『聖域』の試練で見た、スバルが死を迎えた以降の世界のことも無関係ではない。

 

事実として、スバルの死後も世界が続いていくかはわからないが、そうした可能性もあることを『試練』に教えられた。だからスバルは、試行回数を増やす目的で『死に戻り』することだけは断固としてしない。

それでもスバルが自発的に『死に戻り』を選ぶことがあるとすれば、それは失ったまま進むことを許容できない結果が待ち受けていたときだ。

 

そして今回、致命的なまでに遅れてしまったがスバルはそれを実践している。

 

大罪司教に挑み、都市奪還を誓った王選候補者やその騎士、関係者たち。

失いたくない人たちを失わないために、痛みと苦しみを伴って繰り返す覚悟を。

 

 

「さっきの、キリタカの放送は信じていいんだよな?」

 

仲間たちの元へ戻っての一声はこれだった。

 

「制御搭の奪還は成功。あとは、挑んだ全員の状況だ。それは、どうなった?」

 

そして、スバルの質問にアナスタシアは、

 

「安心してええよ。ナツキくんらが、戻ってきた最後やから」

 

「俺らが最後……で、みんなは?」

 

「安心し」

 

かすかに焦るスバルと、不安げに見守っていたエミリアやベアトリス。そんな三者に対して、アナスタシアは微笑みながら頷くと、

 

「全員、無事に戻ってきとるよ。欠員なし。ウチらの勝ちや」

 

と、そう応じたのだった。

 

 

都市の現状を聞けば、ようやく一息がつけた。

クルシュやユリウスの状態は無事とは言えないが、それでも悪化はしていなかった。

 

「早く、ケイとちゃんと話さねぇと」

 

決戦の前には、少し気まずい状態で話が終わった。

約束を果たすためにも早く話をしたい。クルシュを救わなくては。

 

 

オットーとも話をする。足のケガや「叡智の書」の話が一段落するが、オットーはまだ別の気掛かりがあるような態度である。

 

「なんだ?まだ何か言い足りないことがあるのか?」

 

「ええ、相当に難しい問題が。ナツキさん、隣の避難所にご注意を」

 

「隣の避難所…」

 

首を傾げるスバルの隣で、エミリアとベアトリスも同じく首を傾げる。そのスバルたちを見上げ、オットーは小さく顎を引いた。

 

 

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「よう。誰がきたのかと思ったら兄弟じゃねえか」

そう言って、問題の避難所を訪れたスバルたちを出迎えたのは、通路に背中を預けていた鉄兜の男ープリシラの従者、アルだった。

 

協力してもらったとはいえ、今回の騒動でのアルの言行には色々と思うところが多い。不明瞭な行動の数々と、スバルへの助言。正直、不信感は募る一方だ。

 

「それで、アルはここで何をしてるの?」

 

「見張りっつーか、畑の案山子役みてえなもんだ。誰も見なくても問題ないなんて姫さんに言われたがよ、そうはいかんだろ」

 

その奥からはアルの言葉を肯定するように嫌な雰囲気が立ち込めている。

 

「大罪司教は奥だ。悪さはできねぇが、その上で、一個だけ忠告しとく」

 

「忠告?」

 

「奴らと関わってもいいことねぇよ。話なんかしねぇで、放置して帰んな」

 

「…そんなわけに、いくかよ」

 

声の調子を落として、真剣な響きの込められたアルからの忠告。

 

「こんだけやってくれた連中なんだ。それに、こっちが嫌がっても魔女教との縁は切れない。だから、たまにはこっちからも攻め込んでやる」

 

「…そうかい。そこまで覚悟があんなら、オレはもう何も言わねえよ」

 

スバルの決意の程を知り、アルが諦めた様子でその場にどっかりと腰を下ろした。

 

スバルたちはアルに見送られて通路の奥へ。閉め切られた鉄扉へ近付くほどに、不可解な圧迫感がこちらの全身に絡みついてくる。

それはまるで、スバルの本能が、魂が扉の向こうの存在を拒んでいるかのようで。

 

「…スバル」

 

足を止め、扉を睨みつけるスバルを心配そうにエミリアが呼んだ。

無言のベアトリスも、スバルの空いた手をそっと握ってくれている。

 

「悪い、大丈夫だ。いくぞ」

二人の存在に気をもらい、スバルは錯覚を振り払うと、ドアノブを強く握りしめる。そして、鉄扉が軋む音を立てて開き。

 

 

 

異様な光景に、理解が追いつかなかった。

 

仰向けにされた首が。隙間一つない箱から突き出している。そしてその目が、ギョロリとスバルたちを捉えた。

 

その顔は初めて見る。というより、顔が溶けている。重度の火傷によって顔面の皮膚が爛れて原型がない。

 

シリウス・ロマネコンティ。

 

憤怒の大罪司教が何かに拘束されている。棺のように見えるそれは、スバルの知識にはないものだった。

 

その奥には青蓮獅子の団員がいて、何かを絶えずに動かしている。

 

シリウスは、スバルを見て涙を流して何かを言おうとしている。しかし、口を動かすばかりで声が出ていない。

 

 

 

なんだ、これは。

 

何も言えない。動けない。何がどうなって…

 

だって、棺の大きさがおかしいじゃないか。あれでは到底、大人の手足を収めることなどできないはずで…

 

 

 

混乱のピークで、後ろから声がかかる。

 

「お待たせ、フェリちゃんがいないとお話にならにゃいよ」

 

絶句している一同に、この光景の説明をする。

 

「それはね。ケイきゅん曰く『鉄の肺』だって。実際は『魔獣の肺』ってとこだけど。世界初の人工呼吸装置だってネ」

 

それは、ケイが設計したものだった。巨大な魔獣の腸をベースに、それらを伸縮させる構造で箱のように囲む、

減圧したそれを外部からさらに広げることで圧力差を生み出す機械。

 

それは呼吸のための装置だ。

 

ほんと悪趣味。そう呟くフェリスの感性は、この世界において一般的なものだった。

怪我でも病気でも、自発呼吸ができないままにはならないのだから。

 

多くが治り、治癒が間に合わなければ死ぬ。どちらかに振れるこの世界では、人工呼吸器という概念も発想もなかった。

 

スバルだって、そんな患者を見慣れているわけではない。

これが命を繋いでいるのだと知っても、どうしても慣れることはできない。

 

「スバルきゅんでもその反応なんだ。そっちじゃ、これで60年以上も生きた人もいるんだって聞いたよ」

 

エミリアたちに異世界の話はしていない。その話題を断ち切るように、話題を変える。

まぁ、あまりの衝撃に、彼女達の耳はあまり機能していないようだった。

 

「その話は後でいい。それより、これは何がどうなって…」

 

「ケイきゅんの入れ知恵で、太陽姫さまがバッサリ。スバルきゅんなら分かるかな『神経系』だけをうまいこと切断したの。他の住民たちも同じ症状になったけど、そっちはもう全員治して問題なし。自発呼吸がたまに止まることもあるから、この鉄の肺は保険だって。そいつは自分の状況分かってないから、変に情報与えたりしないでよネ」

 

プリシラが指示に従うことも驚きで、相手の命をとらなかったことも驚きだった。でも確かに、彼女は高慢な態度を崩さないが無辜の民の首を一気に落とすほどのことはしないだろう。きっと。

 

しかし、どう見ても手足を切断されている。大罪司教といえどこれほどの状態に人というものをして良いのか?

いや、ダメだろう。これはダメだ。でも、その有効性を否定できない。これのためにやり直すこともスバルにはできない。

 

なら、否定は…否定の言葉は口にできない。心では決して認めはしないが、この光景をどうにかスバルは否定しないで済んだ。

 

「今、この大罪司教は一人じゃ何もできない。権能も上手く使えない。仮にここが襲われて連れ出されても、鉄の肺なしじゃ三日と持たない。ま、色欲がいれば関係ないカモだけど…」

 

陽剣の力と色欲の権能。そのどちらに軍配が上がるのかはわからない。

今回プリシラは回復もできるように焼かずに切ったようだった。

 

これも事前に神経系の勉強をした後にしっかり実践し、どれほどの切り方や深さであれば回復ができるのかを試したのだった。燃やすと魂まで燃えるので、切るだけだ。切るだけならどれだけミスをしてもケイなら問題ない。

 

 

「話したいんでしょ。一時的に話せるようにしてあげる。これまでは一言も話さなかったけどネ」

 

 

フェリスが手をかざすと、憤怒は体を実感したらしい。

感極まった様子で、スバルに話しかけてくる。

 

 

「あなた。あなたあなたあなた!わざわざごめんね?ありがと」

 

 

そう言って、シリウス・ロマネコンティがスバルを涙を流しながら笑顔で歓迎した。

 

その血腥い笑みに、スバルは胸の内を掻き毟られる感覚を味わう。

 

「きてくれて嬉しいです。ありがと、ごめんね?......ただ、邪魔者もいるみたいですけど」

 

スバルの姿に声を弾ませ、一方でエミリアたちへどす黒い敵意を向けるシリウス。それは想い人を奪われまいとする女の情念そのもので、どうやらシリウスの中では、スバルがペテルギウスの依り代であるという勘違いが続行中らしい。

 

「この状況で、まだ二人に噛みつけるなんてずいぶん余裕だな。言っとくが、捕まったからには解放なんてされねえぞ」

 

「でも、安易に始末もできない、でしょう?ありがと。あなたが私を心配してくれているのはわかります。でもごめんね?その心配は無意味なんです」

 

 

強気に出るスパルの脅し文句を、シリウスは思いやりだと独自に解釈する。

そして、「わかるでしょう?」と怪人はひび割れた声で嗤った。

 

「誰の心にも他者を想い、他者を求める『愛』がある。そうである限り、誰にも私を否定することなんてできない。それは、あの傲慢な娘であっても同じことです」

 

言外に、相対したプリシラのことを語り、シリウスは愛おしむ瞳でスバルを見つめる。

 

ベアトリスが制止してシリウスとやり合う、二人の険悪な雰囲気にエミリアが割って入った。

一触即発の空気、それはシリウスの権能の影響なのか。感情を掻き乱し、容易く自分を見失わせる魔性の力、その危険性は長く接するほど増大していく。

 

「スバル、やっぱり危ないと思うの。この人と話すのは……」

 

「それでも、頼む。降って湧いた、魔女教から話が聞けるチャンスなんだ」

 

こんな状況でもなければ、魔女教と腰を据えて話す機会など得られない。それも、相手は大罪司教。他の大罪司教の権能を、聞き出せるかもしれないのだ。

 

「お望み通り、俺が話し相手だ。先に言っとくが、外のお仲間連中は全員やられるか撤退した。助けはこないぞ。お望みの魔女様復活は遠のいたな」

 

「助けなんて期待していませんよ。そんなわかりきった話をして照れ隠しだなんて、ホントに可愛い人ですね、あなたは」

 

「———勘違いしないでください」

 

「勘違い?」

 

「私が愛しているのはあなただけ。あなた一人だけです。『魔女』も私にとってはどうでもいい。全部、あなたに辿り着くために必要なだけのモノ」

 

スバルの質問への回答、そこから不意に喜悦の感情が掻き消える。

 

代わりに湧いた感情は、どろどろと煮詰めた暗い暗い負の想念。

 

「他の連中も似たようなモノ。誰も彼も、おぞましい欲望を抱いて自分の権能に縋り付いているだけ。『愛』だけが目的の私とあなたとは違う。何もかもが、違う」

 

魔女教の目的は、『嫉妬の魔女』の復活である。

 

ペテルギウス・ロマネコンティの言動と、伝え聞く魔女教の教義や盗行から、スバルは疑わずにそうであると信じてきた。その、根本の理由が揺らぐ。

 

「他の、大罪司教の目的はどうだ?魔女教は最終的に、何が狙いなんだ?」

 

「さあ?ごめんね。あなた以外のことには興味がなくて、わかりません」

 

「魔女教が普段から使ってる根城は?誰か、まとめ役とか指導者がいるはずだ!」

 

「いいえ、特にそうした決まり事は。あなたもご存知の通りですよ」

 

シリウスはスバルの質問をのらりくらりと躱す。いや、おそらく、本当にシリウスは何も知らないのだ。

何一つ知らずに、自分の目的のために他者を、世界を踏み躙れる。

 

そうした資質があるから、奴らは大罪司教と呼ばれるのだ。先程同情したのが愚かに思えるほど、これは人から外れている。

 

 

無為な時間が過ぎていった…

 

 

「これ以上、話すだけ無駄かしら、スバル。この女は危険なだけなのよ」

 

リターンより、リスクが大きく上回る。ましてやこの怪人の権能は、相手の心に毒を植え付けるのに特化しすぎている。

あまりに惜しいが、これ以上の接触はリスクが勝ちすぎる。

 

「…待て」

 

そう考え、ベアトリスの意見に従おうとしたスバルが息を詰めた。

それは、鼻歌だ。シリウスが鼻歌を口ずさんでいた。

 

「その歌をやめろ。何のつもりだ」

 

「———」

 

「やめろって言ってんだろ!その歌、キンキン頭に響くんだよ!」

 

「———。ああ、ごめんね?でも、歌はいいですよね。そう教わったばかりなんです。歌は本当に素晴らしいって。だからつい、歌ってみたくて」

 

「リリアナか…!」

 

 

歌が素晴らしいと、その意見に異存はない。

だが、どんな歌でも手放しに褒められるなんてわけでもない。そもそも、シリウスとリリアナとでは歌への思い入れが根本から違っている。

今も避難所の外、大勢の人々の心に寄り添い、優しく救済している『歌姫』。

その尊く美しいものと、歪でおどろおどろしいモノとは、同じにはなれないのだ。

 

「お前の歌とあいつの歌を一緒にするなよ。お前のは違う、別物だ」

 

「———それはあなたにも言えること。あなたは、違います。違っている。私の愛するあの人とは、決定的に違う。同じなのに、違う」

 

「なに?」

 

「ペテルギウスはあなたの中にいる。魂と魂が溶け合い、肉体と肉体が混ざり合い、そうして愛しいあの人が表出するのに時間がかかる。私のすべきことはそれを手伝うこと。あの人の目覚めを、一番傍で見届けること」

 

床に倒れたまま、首を曲げてシリウスがスバルを見上げる。

その狂的な瞳に浮かぶのは、渦巻き続ける激情の嵐だ。怒りが、喜びが、悲しみが、そして隠しようのない慕情が、シリウスの瞳を渦巻いている。

 

「あなたの中から、あの人を引きずり出す。ありがと、ごめんね?その日まできっと、体と心を大事にしていてくださいね」

 

言葉には、本気でスバルを慮る慈愛があった。

スバルとペテルギウスは違うものだと、シリウスはそう理解した。理解してなお、怪人は自分に都合のいい妄想で現実を上書きする。

 

いつか、スバルの内側に眠るペテルギウスを迎えにいくと、妄言を重ね続ける。

 

「一つだけ忠告を。『暴食』に気を付けて。『美食家』も『悪食』も『飽食』さえも、あなたを奪おうとするでしょう」

 

「『飽食』だと?」

 

「もし、奴らに食まれることがあったら、誰もあなたを覚えていられなくなる。そんなのは嫌です。機会があればぜひ、『暴食』は殺しておいてください。邪魔ですから」

シリウスは邪悪な慕情を孕んだ微笑でスバルを見送る。

 

それきり、フェリスの魔法が切れるまで、シリウスは歪な鼻歌を歌い続けた。

音律が狂い、音楽という概念を踏み踊って弄ぶような、聴覚を掻き毟る悪辣な旋律。

 

四肢を奪われ全身不随になった怪人にできることは、今は歌うことだけ。それだけで満足そうだった

 

人の心の隙間に入り込む、全く新しく呪わしい『怨楽』を怪人は歌い続けている。

 




【鉄の肺について】
鉄の肺とは、呼吸が困難な患者を支援するために開発された人工呼吸器である。
構造は円筒形の機械であり、患者は首だけを外に出して横たわる。機械内部の空気圧を調整することで胸郭を動かし、肺への空気の出し入れを行う仕組みである。これにより、呼吸筋麻痺により自主呼吸が困難な患者でも酸素供給が可能となる。

当時としては画期的な装置であり、多くの命を救った。現在ではより小型で効率的な人工呼吸器が開発され、鉄の肺は歴史的遺産となっている。
6歳でポリオに感染し、70年以上(1952‐2024)を鉄の肺につながれたまま生存した人物もいた。
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