事態が落ち着き始めて数時間。
現在の水門都市における有力者が一度に集まる会議が間も無く始まる。
その前に、ケイはスバルを呼び出した。
『話がある。約束の場所に一人で来てくれ』
他の全てを後回しに、治療に向けての重要な話をしに向かう。
ナツキ・スバルを頼りきりにしてはいけないと学んだ直後ではある。
けれど彼の能力を欠いては恐らく不可能なことをしようとしている。
なら限界まで丁寧に頼るしかない。
ナツキ・スバルの説得を始めよう。
この説得と相談はきっと非常に簡単で、最も難しいものになる。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
少し遅れてスバルも合流し、会議が始まる。
「スバル…?」
手を握るベアトリスと、姿を見たエミリアが彼の心配をするが、スバルは笑顔でなんでもないと場を進めた。
「まずは皆様にお礼を。このたびは都市の防衛のために尽力していただき、本当に感謝の念に堪えません」
都市を代表して、キリタカ・ミューズが深々と腰を折り、会議が始まった。
「感謝の気持ちは受け取るとして、キリタカはよく無事だったな。十人会の最後の一人、魔女教も無闇に手は出せないってとこか」
スバルらしからぬと言ってしまっては本人は抗議するかもしれないが、それほどにその推測と実直な物言いは珍しく映る。
少しの驚きを広めつつ、議題は前へと進んでいった。
「ええ、おっしゃる通りです。私自身、死を覚悟しましたよ。実際、襲ってきた大罪司教に殺意があったなら、私は今頃はここにはいないでしょう」
「ナツキ様もプリシラ様と同じ結論に至るとは!不詳リリアナ…大体同じくらい仲間としては複雑な気分。プリシラ様?そうですよね?」
「たわけ、妾を担ぎ出すな。そもそも、それとて推測に過ぎん。愚かな上に、狂乱をきたした輩の考えなど妾の知ったことか」
扇で自分を仰ぐプリシラが、ぞんざいにリリアナの視線を振り払う。そのまま、プリシラは紅の瞳で室内を見渡し、気だるげに吐息する。
「あの手の輩の思考など追うだけ無駄よ。無意味な思惟に時間を割く暇があるなら、当人から聞き出す術でも考えるがいい」
「お姫さんの言うこともわからんくはないんやけど…」
過激なプリシラの意見を聞いて、アナスタシアが自分の腰に手を当てながら、
「本音を言うたら、うちはあの大罪司教を生かしておくのは反対や。まぁでも…あの状態ならもうほぼ死んでるようなもんやね」
大罪司教の悪辣さは誰もが血の滲む犠牲を支払って痛感した直後である。
しかし、それでもシリウスに対して行われた処置は賛否が分かれるほどの光景だった。
切断した手足も氷点下の氷室に保管してあり、フェリスならば復元可能であると説得して今の処置が通った経緯がある。
「街の代表として、キリタカさんはそれで構わん?」
「ええ、構いません。都市の代表といえど、大罪司教のことは私の手に余ります。候補者の皆様や騎士団の方々が対処してくださるなら、その方がずっといい」
頷くキリタカが、都市の代表としてプリステラの総意を表明する。それでシリウスの処遇については決着、その上でキリタカは「ですが」と言葉を継いで、
「頭を悩ます問題は他にもあります。都市の各所で、魔女教がもたらした被害」
「蝿の人らと『名無し』の人ら。『色欲』と、『暴食』の被害者のことやね。暴食の一人が死んで一部の人たちは目を覚ましたり、記憶は戻ったりしとるけど全員やない」
キリタカの沈鬱な言葉をアナスタシアが引き取り、その場の全員が口を噤んだ。
蝿と『名無し』それが目下、この水門都市プリステラで発生した攻防戦、その戦後処理において最も問題となっている事情だ。
「厳密には蠅だけではなく、他の生物へ姿を変えられたものも多くいます。挙げればキリがありませんが…」
「おぞましき虫けらに姿を変えられたモノ共は、死を望んでおるじゃろうよ。元の姿に戻す見通しが立たぬのならば、そうしてやるのも慈悲であろう」
「———」
「ほう、凡愚も弁えるようになったか。わかっておるようじゃな。口先だけの理想論など何の価値もない。必要なのは状況を変える手立てである。それが叶わぬならば、妾がこの手で慈悲をかけてやるだけよ」
プリシラが苛烈な意見を場に投げる。だが、プリシラの強い論調に、反論の言葉が出てこなかった。
それは図らずも、彼女が突き付ける言葉が真実だからだ。
口先だけでは何も変えられない。あるいは、この場で最も『色欲』の権能の被害者たちに真摯であったのは、自分の手を汚す覚悟のあるプリシラなのかもしれない。
「待って。その問題、私に任せてもらえない?」
「エミリア様?」
手を上げ、話に割って入ったエミリアへと全員の視線が集中する。その対案の気配に、プリシラが「は」と挑発的に己の豊満な胸を抱いた。
「面白い。半端者風情が何を言える?妾を納得させられるのか?」
「プリシラを納得させられるかはわからないわ。それに、今すぐ問題を解決してあげられる方法があるわけじゃないの」
「ふん、ならばどうする?お得意の泣き言か?その言葉で、今この瞬間を嘆くモノ共を救えると思うか?時間をかければ、奴らの心は到底もつまいよ」
エミリアの態度を見て笑い、プリシラが時間の問題だと断言する。
人が人ならざるモノへ変えられたとき、その心が受ける傷はどれほどのものなのか。
正直その恐怖と絶望は幾度も『死』を経験したスバルにすら想像もつかない。
だが、その時間が長ければ長いほど、心が死んでいくという理屈は理解できる。
「故に、妾はその前に慈悲をかける。なれば、貴様の対策はどうなる?」
「元に戻るための方法を探す時間、その時間を作れると思うの」
「なに?」
「私が、別の姿に変えられた人たちをみんな、氷の中で眠らせておくの。できると思う。…ううん、できる!やらせて」
「———」
立ち上がったエミリアが、プリシラではなく全員を見渡して、力強く言い切った。
その意見に驚く顔ぶれの中、スバルは指を鳴らして、
「それなら時間稼ぎができるって訳だな。エミリアたんは自分にも使ってたんだ。その点は安心できるぜ」
そう言い切るスバルは確信があるようで、説得力を増していく。
ケイも黙った。まぁ損傷も治癒魔法を同時に行使すればなんとかなるのかなと想像している。
ちなみにだが、この現場にケイは出席していない。対話鏡によるリモートワークが板につき始めている。
もはや誰も突っ込まないが、スバルだって違和感は感じていない。あれだけの仕事をこなしたのだ。ケイは状況に合わせて最善の動きをしているだけだ。
しかし、エミリアの提案は目から鱗だった。それに、エミリアが自分の力を肯定的に活用する手段を模索してくれた、それ自体もスバルにとっては嬉しい出来事だ。
確かに問題の根本的な解決とは言えないが、解決法を探すための時間は作り出せる。少なくとも、目先の時間制限がなくなるだけで、打てる手立ては格段に増えるはずだ。
くつくつと喉を鳴らし、プリシラが笑う。
「やってみせるがいい。それを以て、貴様を妾の敵と認めてやる」
そう、プリシラらしい苛烈な言葉で、話を締め括ったのだった。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「みんなに、うちから提案があるんやけど、ええかな」
ユリウスの視線を横顔に浴びたまま、アナスタシアが再び議論を全体へと戻した。
「大まかな問題はみんなで共有できたやろ?『色欲』に姿を変えられた人たちと、『暴食』に『名無し』にされてしもた人たちと。せやけど、下手人たちは行方も知れずで、そもそも素直に答えを教えてくれる連中とは到底思えへん。手詰まり状態や」
「わざわざ、そんなこと確認しなくても…」
「でも、その話をしたってことは、何か思いついたってことなんでしょ?」
つらつらと、袋小路の事実確認をするアナスタシアにフェリスが渋い顔をする。
そこへ割って入ったエミリアが、アナスタシアに「ね?」と首を傾げた。
それを受け、アナスタシアは細い肩をすくめながら、
「エミリアさんの言う通りや。性格の悪い大罪司教から直接聞くんは無理。だったら、他の知ってそうな人から聞いたったらええんよ」
「他の知ってそうな人…すごーく物知りさん?」
「そそ。ーおるやろ。この国には、そのすごーく物知りさんが」
「…まさか」
「『賢者』シャウラ」
「あん?」
「親竜王国ルグニカで、偉業を成し遂げた三者の英雄がいた。『剣聖』と『神龍』、そして『賢者』の三者を指して、三英傑と呼ばれている」
「三英傑…」
「そ。その三英傑の一人が『賢者』シャウラ、この世の全てを見通す知識の番人」
ユリウスの説明を引き取り、アナスタシアが柔らかく唇を緩める。
スバル以外にはわからない、主従だった二人の一方通行的なやり取りを経て、アナスタシアは浅葱色の瞳で集会場の顔ぶれを見渡した。
「ルグニカ王国の東の果て、アウグリア砂丘に立つプレアデス監視塔。そこで隠遁する伝説の『賢者』なら、うちらの知りたい答えを知っててくれるかもしれんやん?」
「———」
「ラインハルトでも越えられなかったアウグリア砂丘、だもんな」
ルグニカの東にあるアウグリア砂丘、そこは獰猛な魔獣の巣窟であると同時に、かつてラインハルトが挑み、踏破できなかった本物の魔境。
そして、万能の知識を有するとされる『賢者』、シャウラが住まう最果ての地———。
「二年前、国王陛下を始めとした王家の方々が病に倒れた際、僕は賢人会の命を受け、治療法を求めてプレアデス監視塔を目指した....でも、辿り着けなかった」
忸怩たる思いを滲ませ、ラインハルトが己の失敗談を語る。
「向かっても向かっても、遠くに見える塔に近付けなかったって?」
「おそらく、何らかの結界だ。僕は、それを越えることができなかった」
結果、王家を襲った病の治療法は見つからず王選によって王位を争奪する現在のルグニカ王国の状況が出来上がったわけだ。
「それが今になって、砂丘を越えるための方法が見つかったと」
あまりにも都合の良すぎる提案でもあるが、八方塞がりに唯一見つけた道筋とも言える。
『その方法と信憑性は後でゆっくり聞かせてもらい判断しましょう。先を見るのは良いですが、まずは後始末からです。どのみちクルシュさんをこのままに我々は動けない。すでに準備を始めていますが、皆さんもご協力をお願いします。スバルに計画を説明してあるので彼から指示を受けてください』
全員が頷き、話題は治療についてそれぞれが請け負う仕事についてのものとなる。
スバルが各人を最適に配置していく。それぞれにとって未知の挑戦になる事柄が多く緊張感が高まる。
「安心してくれ。絶対に成功させてみせる」
スバルは強い覚悟を目に宿して宣言する。
もう
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
すでに太陽は沈みきり、月が淡く世界を照らしている。
ここは水門都市が浮かぶ湖のほとりにある村の外れ。
すでに住むものがいなくなった城塞跡がカルステン陣営の隠された拠点であった。
「失礼いたします」
メイドの一人が、ヴィルヘルムに声をかける。
「キリタカ様よりケイ様へのご連絡が入りました。どちらにいらっしゃるかご存知でしょうか?」
「今なら書斎にいるでしょうな。こちらへ。ご案内いたします」
一階の奥まった場所。そこが臨時の執務室になっていた。
さらに奥にはクルシュの寝室だったが現在は治療室となっている。
この若者は簡潔なやりとりを好んでいる。結論から端的に話すことが肝要であると最近学んだばかりであった。
荒事に関わるメイドたちは厳選されており、その立ち居振る舞いにはしっかりと指摘が行われるようだ。
持ち込んだ家具や位置にもこだわりがあるようで、それは厳格にルールが設定されている。
高級な絨毯を進み、質素な机に向かう書記は後ろ姿を向けている。顔をこちらに向けることは稀らしい。
「キリタカ様より事後処理についての報告です」
そしてケイの返答はといえば、世の女性を敵に回すような一言だけで応答する。
「太りました?」
「…は?」
そしてメイドの視界が暗転する。いや、五感の全てが失われ無の中に囚われる。
このところ何度も無効化した陰魔法に対応し意識を取り戻した時には、体はバラバラに切り裂かれて落下していた。
おしゃれなブーツも。欠損を隠した綺麗な手袋もそのままに落ちていく。
「こっの…変態やろーが…せっかく来てやったんだから死ねよ!!」
妄執に駆られた叫びが、あまりに切実な呪詛が、小さくも深い縦穴に木霊する。
魔女教大罪司教色欲担当。カペラ・エメラダ・ルグニカは
半日も経たぬうちの再会。普通ならば最も油断する心の間隙。
その隙間に伸ばした手を見事に読まれて落下する。
まるで襲撃自体を知っていたかのように迷いのない迎撃。
色欲の再襲撃は、永井圭の痛烈な反撃から始まった。
本気で恨みを抱いた大罪司教は何をしでかすかわかりません。
だいぶ記述とズレてきましたので、叡智の書(原作)をご覧の皆様も未知をお楽しみください。
未読の方は読んでみると違いにもお楽しみいただけるかと思います。