初詣ということで太陽姫さまを拝んで礼拝としましょう。
お正月騒動も終わり、王都を出るまでの間に恒例となった勉強会が開かれた。
クルシュもワクワクで参加したこの勉強会はしかし、来たのを後悔するような張り詰めた空気があった。
いや冷え切った空間には、空気がないようにすら思える。まるで真空の宇宙のようだった。
むしろ宇宙であればよかった。
それなら、このあからさまな舌打ちの音も伝わらなかっただろうから。
ちっ!
盛大な舌打ち。舌鼓とはこのことなのではないのか。
音の発生源は、ご機嫌斜めというか壊滅中のプリシラからだった。
誰もが命は惜しい。まるで体が蝋になったかのように、熱を発する太陽姫から一定距離を置いて様子を伺う。
プリシラが読書中にこうなる事は珍しい。よほど腹が立っているのだろう。
彼女は読書家だが、積読はしない。読む価値がないと分かればその本は積まれずに、灰にされている。
ケイはそんな姿に気を遣うことはしない。
「どうしたんですか。そんなに聞こえやすく舌打ちなんかして」
お前を蝋人形にしてやろうかと言わんばかりの苛烈な目線が向けられるが、それも気にしない。
「ふん。貴様は何も変わらぬな。妾に対して物怖じしないということであればその胆力を認めもするが、貴様は等しく興味がないだけと知っておる。義務感を滲ませて話しかけるな、不快であるぞ」
「姫さん姫さん。舌打ちした方が不快になったなんて因縁の付け方。流石に場末のヤンキーでもやらねえよ。ってこわ!ごめんって!どしたん?話聞こk…」
メイドがとっさに開け放った。大窓からアルが大空へ飛び立った。
しかし目にも止まらぬその速度であっても、第一宇宙速度には及ばない。
重力に囚われ、失速し次の瞬間には大地に叩きつけられている。
2階から落下するアル。そして平静のメイドを見るにこれは日常なのだろう。
なぜ、普段は優雅さを崩さないこの太陽姫がここまで荒れているのか。
プリシラが読んでいるのは、この世界の天文に関する書物であった。
それらを複数用意したとプリシラは非常に期待した様子だったらしく、ケイとクルシュを招いて満を持しての読書会を企画した。
ケイとしては、この歪な世界の真面目な天文観測のデータは非常に面白いものだった。
しかし、プリシラにとっては面白くなかったようだ。
それでこのお冠である。子どもかな?
クルシュは事前に風を読んで、部屋に入る前に飛び去った。危険予測が成長していて良い傾向だ。それはそれとして、あとでなぜ置いていったのかは詰めるが。
「やはり美しくない。そして論理が破綻しておる。どこかで精神論や思い込みが必ず入っているこれは、真理とはいえぬ。これは小説じゃ。そして小説としてみたときにここまでの駄作はそうそうない」
そう。この世界は天動説宇宙として成立するようになっている。
しかし、ここは太陽系第三惑星の地球である。こうなれば当然いくつか問題が発生する。
「これは惑星の逆行を称賛すらしておる。このような複雑怪奇な紋様を描く軌道をじゃ」
そう言い捨てて、手元の本を燃やして灰にするプリシラ。
問題の一つが、今プリシラが指摘した明確な矛盾とまでは言わないが複雑怪奇な惑星の進み方だ。
地動説は中心に円が重なるシンプルなものだが、天動説になると惑星の逆行を描かなくてはいけないため、まるで曼荼羅模様というか雑然としたものになる。
こういうものであるとそこで思考停止してしまえば受け入れられなくもない問題だが、その先を考えないのならそれは科学とは言えないだろう。
「こっちは明星と辰星の位置について明確に説明を避けておる。かの二つの星は常に太陽の側に侍り続けている。理由は、『忠実』であるなどと、全く戯言よ。日食についての記述も粗末なものである」
これほどまで問題点がわかっていれば元の世界と同じく地動説に辿り着きそうなものだが、ここからが問題だ。
時たま、観測事実が変わるのだ。天動説をまるで援護するかのように問題点を解決した星空が姿を現す。
そのため論理的なものたちは途中で考察を諦める。この世界の星空はどうあがいても整合性が取れない。こちらの空には一貫性がない。そういう風にしか観測できないものだと。
それでも星空の真理を探究し、観測し続けたものたちは発狂する。その数は異常に多いと言わざるを得ない。
最も賢く、次代の賢者と呼ばれたとある学者は、一言だけをメモに書いて自ら命を絶った。
『観測者たちは観測されることを嫌がる』
合理的で知的で過去の歴史を知るものほど、天文学から身を引くのだ。
その諦めの姿勢や保身、思考を停止して、中途半端な結論を描く著者の在り様にプリシラは憤っているのだろう。
だからケイの世界の天文学を伝えると非常に喜ぶのだ。
この世界の霧に包まれ、誰かに隠されたような星空ではなく。美しく、合理的で、それでもまだまだ謎の多い宇宙の話をプリシラ・バーリエルという人間は好んでいた。
いくつか話せば、その機嫌は次第に改善されていった。
「ほう。星の軌道は真円を描かぬのか。それはそれは、完璧な宇宙を望む信奉者たちには認めづらそうなことであるな。その事実が周知されるまでどれだけの時間が無為に流れ、血が流れたのであろうか」
くつくつと笑い。宇宙にとっての当たり前と、人間の勝手な理想の差異に笑うプリシラ。
「これを明らかにしたのは膨大な観測とその記録。そして緻密な計算。数学の力です。そこから導かれたのが以前にお伝えした『万有引力』の法則でありここまで至ってようやく惑星の動きについては十分に理解するに至りました」
これ以外にも多くを語り、他にも計算も見せているとクルシュの理解の範疇からは大きく外れてしまったようだ。
頭から煙を出すようにして机に突っ伏している。よくよく脱落者が出る読書会だ。それにしても、プリシラの機嫌が良くなった頃合いで戻ってきたのはどういう理屈だろう。加護ってすごい。
「なので、そのように本を燃やすというのは良くないですよ。この世界ではまだまだ貴重品です。そこに書かれた結論が間違っていてもその記録は正しいこともある。その集積こそが重要なんです。あなたのそれは冒涜的な暴挙ですよ」
そのケイの物言いに、目を大きく見開いて驚くプリシラ。
「はっ。貴様、珍しく憤っておるのか。妾の持ち物をどうしようと指図を受けぬと言いたいところであるが、こと知識に関しては貴様と敵対することは明確な損害を被る。これは何にも揺らがぬ妾にとって非常に稀有なことであるぞ。光栄に思え」
「それで、栄光を与えられれば救える本があるんですか?ないなら、そんなのいらないんですが」
「ふん。業腹ではあるが、貴様の嘆願を受け入れてやろう。我が図書館としてこれからも励め、物書きよ」
まぁ、やめてくれるならいいか。
「これ物書きよ。貴様の言う『万有引力』によって日輪が他の全てを振り回しているとすれば、それはどれほどの重さになると言うのか。さらに見かけ上は月と太陽は同じ大きさでもある。この一致は偶然だとでも?」
質問は止まらない。太陽の知識は、何かで見た程度だが可能な限りを伝える。
そして日食と月食の説明を行なっていく頃には、日が落ち始めていた。
読書会が終わるまで、プリシラは煌々と目を輝かせて貪欲に知識を取り込み続けていた。
その姿はまさに『太陽姫』に相応しい。
この世の全ては妾のものよと言って憚らないこの女は、太陽の如く様々なものを吸収して、繋ぎ止め、振り回している。
「本当に太陽の如くと言うのなら約 99.87% がこの太陽系にある太陽そのものの重さ、正確に言えば質量です。全部は太陽ですら無理なので、謙虚に『ほとんど妾の』とでも言ってはどうですか?」
%の概念はすでに教えてある。確率論は彼女の前で動作不良を起こすので、なかなか納得するまで時間がかかったが。
「0.13%の欠片がこの地球であると言うのか貴様は。いや、待て太陽系と言いおったな。他の惑星も含めるともっと少ないのがこの地であると?」
「太陽は地球の33万3千倍とか聞いたことがあるので、全体から見れば、0.0003%以下ですね。太陽に比べれば塵みたいなものですよ」
そう言って。プリシラを見れば、夕焼けがその横顔を照らしている。
赤い女が赤く染まって、その目は好奇心と様々な思考によって彩られている。
その学ぶ姿勢は素晴らしいと素直に思う。自分は、知識そのものを得て喜びを感じたことはない。
これは目的達成のためのただの手段に過ぎない。勉強そのものを楽しめる感性が、少し羨ましい。
「この世の男たちはこのあまりにも絵になる妾の横顔を見て、垂涎し、懸想し、情熱に狂うであろうに。貴様のそれはなんじゃ。訳のわからぬ感情を向けるでない。妾ですら言葉が見つからぬわ」
日が落ちて、それを見届けるとプリシラはようやく勉強会を終わらせた。
「晩餐を済ませれば夜は生物について語るが良い。貴様という『もるもっと』を存分に活用してやろうではないか。無論、対価は与えてやるゆえ狂喜乱舞の用意もしておくが良い」
…まぁ、いいか。教えたいと思っていたこともあるし。
そうして宴のような夜ご飯タイムとなる。
クルシュを中心にプリシラとフェリスが奪い合う構図。その争いから離れて食事を進めていると、近くにアルがやってきた。
「ようケイくんよぉ。あれ、酒飲んでんのね。珍しい?のか」
「嫌なことがあったり、嫌な予定があるなら飲みますね割と。高い酒しか美味しくないですけど」
散々語らされて、この後死ぬ予定であるため、別に今はどうなってもいい。
「へえ〜。なんか意外だなおい。この前は付き合ってくれてありがとよ。なんつーかよ。あれからよーく考えてもやっぱケイ君とことは仲良くしとこうと思ったわけよ。お互い、協力しようってな」
「ええ、構いませんよ。プリシラ様とは根本的には敵対する必要はない。協力できるなら素晴らしいことですね」
謎だらけの問答。その結果は積極的な協力関係という訳だ。何かあったときにプリシラの能力と陽剣はあまりに強力である。ぜひ味方にしておきたい。
「それで、どうなんよ。あんだけ他人に興味持ってる姫さんは本っ当に珍しいんだぜ?その上、それが続くなんてマジでないんだからよ」
ここからはふざけた様子で、語りかけつつ指でツンツンと突いてくる。
「すみません。何を言いたいのかよくわかんないですね」
顔を少し赤らめた程度のほろ酔いであると自分では思っている。この状態で理解できないならシラフでも同じだろう。
「ケイ君もお年頃だろ?誰が好きなのかとか、酒の勢いでおじさんに言ってみ?姫さんのこと好きでも、ケイ君なら死なないし止めないぜ?」
他の人間ならプリシラに言い寄るのは善意で止める。誰が死体を片付けると思っているのかという話である。
「ああ、そういう話ですか。ならないですね。興味ないですよ。それにあの剣なら僕も死ぬんじゃないですかね。試してないですけど」
それは心からどうでも良いという表情であって、決して照れ隠しであるとは思えない。
「さいですか。そういうところがまた、興味を引いてんのかもねぇ」
プリシラの方を見やれば、どうやらフェリスと休戦を結び、酔っ払いクルシュを特殊召喚しようとしているらしい。
見事な連携で酒が進んでいるようで、甘えん坊の女公爵が降臨間近という様子だった。
宴は大いに盛り上がり、クルシュはまた寝かしつけられてフェリスがハンカチを噛みちぎる。
平和そのものだ。
その後、人体の神経系について講義しフェリスとプリシラは大いに学び、そしてケイの体で実践を行った。
神経を切り、それをつなぐという新たな治癒を確立させることができたのだった。
もしプリシラと一緒に戦うことがあれば、敵の生け取りが非常に楽になる。
敵の武装を無視して神経だけを切る陽剣。あまりにも凶悪な魔剣がこの世界に爆誕した瞬間である。
舌打ちから始まった一連の勉強は、最後は血を見てお開きとなった。
これは平和と言えるのか?
そんな一幕から数ヶ月後。水門都市において存分に学びを活かし、深めた協力関係を互いに果たした両陣営は都市を離れる前に一度話し合うこととなった。
水門都市での襲撃事件を終えて、クルシュとプリシラの両陣営は向かい合う。
「クルシュ。よく戻った。妾にあれだけの仕事をさせたのだ。当然ではあるが大義であった。血の呪いを抑え、死を乗り越えて魂が舞い戻るなど、神話の如き逸話ができたな」
その赤い瞳はクルシュを労い、称賛してくれていた。失った左手。その原因も知っているだろうに、叱責されるのではと少し怖かった部分もあったのだ。
心に決めた覚悟は揺るがない。しかし、それでも少し目頭が熱くなってしまう。
「プリシラ、様…」
プリシラのことが好きだった。姉のように優しく。母のように厳しく導いてくれる彼女の存在はかけがえの無いものだ。
だけど、頼るのはもうここまでにする。守るべき子供ではいられない。そういう甘さが自分を殺すのだ。
誰かに寄りかかって思考を止めたりしない。それが今のクルシュの覚悟だった。
「プリシラ様。私もあなたの敵としていつか認めていただきたいと思っています。エミリアのように、私もあなたと対等でありたい。私のやりたいことは、あなたも超える必要がある。きっと超えてみせます」
プリシラがケイとアルを使った上で奇襲で殺しきれなかった『色欲』。大罪司教を殺してみせる。
それが、この宣言だった。
「その目に映るのは鮮やかな怒り。それも義憤の炎であるな…どこまでもそう在ると決めたか」
クルシュの覚悟を認め、それが一時の怒りでもないと確かめた。
渦巻く赫炎は、その敵を燃やし尽くすために決して消えることのない熱を放っている。
「良い。その心意気ほめて遣わす。この都市にて狂人どもに付き合ったのは無駄ではなかったと確かめることができたわ。クルシュよ。其方を敵と認めてやろうではないか」
そう言って、敵対の宣言をしつつ。プリシラはクルシュを抱きしめた。
豊満な胸に押し潰されながら、敵であることを宣言されるという意味のわからない光景が広がった。
「こ、これで本当に敵と言えるのですか!?…ね、っプリシラ様!離してください!」
まだ妹扱い。しかし、それも嫌いじゃない。そんなことまで見抜かれている気がする。
「この温もりを忘れるな。我が敵よ。それにこれは、堂々たる懐柔戦略である。こうすればきっと妾には刃を向けることなどできまいて」
そう言われて、体を預けてしまうのはやはりまだ甘いのだろうか。でも体術でも抜けられないし、政治的に言っても仲良くしておいた方が戦略上有効だし、色欲を殺す方法は今のところプリシラ姉様の陽剣が有効だし…
そんなことを考えながら、逃れられぬ抱擁を受け入れ続けたのだった。
終わり際、ケイがプリシラに声をかける。
「『賢者』に興味はありませんか?」
「勘違いするな。妾が欲するのは都合の良い答えなどではない。企ては自由じゃが、妾が都合良く使われてやる事などありえぬ」
誘導が露骨過ぎたらしい。気軽に互いを助け合うという関係性になる事は無理そうだ。やるならしっかりとシュルトを誘導するなど準備がいる。
面倒だな…
「貴様を一度でも知恵者と呼んだことがあるか?妾が求めるのは思索のための知識であり、安易な答えなどでは断じてない。それに、『賢者』などそう都合の良いものがあるものか。それこそ眉唾であろう」
「あなたにそう言われると、実際そうなりそうなので形式だけでも一応期待しておいてもらって良いですか?」
クルシュの腕の治療法が見つかれば良いとは確実に思っているだろうに、すげない答えであった。
「ケイ。それなら、あの話には参加するのですか?私であってもあまりに危険とわかるのですが…」
エキドナから案内される。嫉妬の魔女のお膝元。
そんな最悪の盛り合わせに行くなど正気ではない。そんなことは十分にわかっている。
「ええ、僕の予想を伝えます。結論としてはあの怪しすぎる『賢者探し』に協力すべきというものですが、その検討の過程を二人にも話せる範囲で聞いていただきたい。この『世界』についての話です」
ケイは観測したこの『世界』について語り始めた。
この場にいる王選候補の二人と
『Do not go gentle into that good night』
ディラン・トマス (1951年)
穏やかな夜に身を任せるな。
老いたならば、暮れゆく日に燃え上がり、怒るべきだ。
消えゆく光に向かって、怒れ、怒れ。
最期を迎える賢者たちは、暗闇こそが正しいと知っている。彼らの言葉はまだ稲妻を発していないから、彼らは穏やかな夜に身を任せたりはしない。
善人たちは、最後の波と共に、彼らの儚き偉業が緑なす湾でどれほど明るく躍動したかを嘆く。消えゆく光に向かって、怒れ、怒れ。
荒ぶる者たちは、逃げ行く太陽を捕まえ歌う。そして学ぶ、遅すぎたと、逃げ行く太陽に悲観するのだ。穏やかな夜に身を任せるな。
死に瀕した者たちは、目が見えずとも、その盲目の目は流星のように輝き、朗らかでいられる。消えゆく光に向かって、怒れ、怒れ。
そしてあなた、悲しみの絶頂にいる私の父よ。私は祈る。あなたの激しい涙で、呪え、祝福しろ、と。
穏やかな夜に身を任せるな。
消えゆく光に向かって、怒れ、怒れ。