この異世界において、権力とは何を指すのか。
現代日本においては司法権。行政権。立法権。の三権分立が有名であり最高権力者がコロコロと変わる仕組みになっている。
独裁を避ける民主主義の結果がこれとも言えるだろうか。ベストではないがベターな方法と言われているのは、これが最善を求める積極的な仕組みではないからだ。
これはどうにか最悪を避けようとする仕組みである。
王の乱心によって消えた国は数えきれないほど存在した。権力の集中とはそれだけで人を狂わせる。
いや、その表現は適切ではないとケイは考える。
権力が集まると、人は『加速』させるだけだ。別に悪の心に覚醒するわけではない。
より良く、より早く、より多く、より広く、より強く。生物としての当たり前の本能が加速して止まらない。
個人としての努力であれば素晴らしいものでも、一人の枠を超えた国家と一体となった怪物がそれをするとどうなるのか。場合によるが、共通するのはどうあれ歴史書に載るということだ。
権力の話に戻る。実際のところ上記の三権以外にも実効性を伴う権力とみなされるものがある。
文化的な社会を目指すと言っても決して外すことのできない要素。
それは『暴力』。それを支配する実質的な『軍権』こそが一つの権力であろう。
人類の歴史の大半は現在においても軍権がイコールで権力であった。力がなければ何もできない。非文明的で不都合な真実である。
警察は武力を行使して平和を守る。軍隊は武力を行使または示威することで平和を守る。
自国が飢えているなら、他国に侵略し国民の腹を満たすのもまた平和維持の一環と言えるだろう。スバルのような善人はきっと反論する。でも事実だ。
世界の片隅では子どもが餓死して、もう一方では良い年の大人が肥満で死んでいる。
そしてこの異世界においては、軍権の下に他すべての権力が付随している。
唯一その原則から外れつつあるのは、財力が最大の権力となっているカララギ都市国家かもしれないが、そちらは財力によって戦力を用意するため実質的には変わらない。
しかしながら、明確に異なる点がある。
この世界における戦力というものの在り方だ。この世界では戦力と個人が切り離せないのだ。
軍における数が強さになるのは変わらないが、元の世界でも1万人兵隊を集めたところで爆弾一つで消し飛ぶ。
こちらでは、それが圧倒的な個人の武によってなされてしまうのだ。
爆弾の長所であり短所は、誰でも運用可能という点だろう。
各国の超越者たちは戦略核兵器の如き扱いを受けているが、それぞれに人格があり権力者の言葉を時に無視する。
『青き雷光』は放任をいいことに他国に勝手出入りする。
『狂皇子』は自国の王族を殺しまくった。
『礼賛者』は勝手に帰るし。
『剣聖』は人質を見捨てない。
つまりそう考えると、彼ら超越者こそがこの異世界の最高権力者であるとも言える。
いや、グステコにおいては四大精霊の一角であるオドグラスが権力者であるためそこは一致しているかもしれない。
『狂皇子』と『霊獣』のどちらが強いかなど誰も知らないが、『狂皇子』が幽閉されているらしいのできっとオドグラスが強いのだろう。
そして新たな強者が生まれれば、権力は簡単に移動する。個人に力が集中し切っているというのが明確な差異であった。
これまで安定していた王たちの武力は、ここ十年くらいで出現した若者たちに脅かされているとも言える。
『龍との盟約』や『陽剣』など王族は基本的に暴力を携えているのだが、それを超えられた時には気が気ではないだろう。
グステコの『霊獣』だけは国民の生存の全てを頼っているため揺るぎないようだが。
大きく思考が逸れた。
何が言いたいのか。それは王となるには武力が必要だということだ。
そして、王国における最高の暴力とはどこまでいっても『剣聖』ラインハルト・ヴァン・アストレアだ。
排除は不可能だと思っていい。ならば味方にするか間接的に行動を縛るしかないだろう。
フェルトは王選に前向きではないため、離脱させることは工夫次第でできそうではあるが失敗が敵対に繋がる状況で、一度の賭けに全てを賭けるつもりはない。
『偏在する剣聖』作戦においては行動をこちらで指定することができた。
それは、彼が王国の近衛騎士であると自認しているためだ。近衛騎士団を動かせるなら彼も動かせる。
フェルトに付きっきりの現在は主である彼女の意思も重要ではあるが、基本的に彼は王国の命令に逆らわない。
では王国の命令とは誰が出すのか?それは賢人会である。
では賢人会を支配しているのは誰か?それは全貴族である。
では貴族を支配しているのは誰か?それは全国民だ。
この帰結に異を唱える貴族は多いだろう。しかし、貴族が国民や領民を虐げ抑圧することが困難なのがこの世界である。
そもそも、そこらの寒村や僻地から超越者や英雄の卵が生まれてくる世界である。
広く恨みを集めた権力者なんてものは容易に個人によって殺されるのだ。
個人の力があまりに強いこの世界において、武力を伴わない貴族の力は強くない。
王選がどのように決定されるのか、その手法まで謎ではあるが、大多数の国民と貴族と賢人会が認めるならそれはすなわち王と言えるだろう。
すでに多くの貴族と賢人会においては十分な影響力を保持しているのがカルステン家の現状だ。これ以上圧力を強めれば反発される程度にはわがままを飲ませている。
白鯨を落として一段落つき、この後の予定が白紙の場合にすべきことは何か。
王選候補者がすべきことは『王国民への宣伝』すなわちある種の『プロパガンダ』である。
青蓮獅子団も当然その一翼を担っているが、これは地道な行動すぎるため全体に広げるという意味では効率は良くない。その地の有力者を取り込むことはできるが、広く周知をさせるには別の手段が必要だった。
そこまで思考をして、ケイは目的地に到着した。そこは王都においてもあまり大きくも新しくも綺麗でもない建物。
『親竜報文』この国における数少ない報道機関の一つの拠点だった。新聞というよりは数ヶ月に一度出る雑誌という方が適切だろう。メディアと呼べそうな商売はいくつかあれど、その規模はどれも大きくない。
製紙技術も印刷技術もそこまで発展していない状況ではおいそれと作れもしないし、識字率の低いこの国においてはなかなか売れもしないのだ。その対象は貴族や商人たちがメインである。
この『親竜報文』の方針は明確だった。
「心を震わせない記事は載せない。それは我が社の社訓であります。書記官様のご提案は非常にありがたいものですが、こちらにも揺るがすことの出来ないことがあることはどうかご理解くださいませ」
『親竜報文』の代表は、緊張し冷や汗をかきながらも自らの矜持を語り切る。
王都の噂の全てを掻っ攫った目の前の人物を前にしても、全霊を尽くすことでどうにか社員たちに失望されるようなことはしないで済んだ。
「ええ、構いません。王選において多くの人に知ってもらおうとすることは自然な努力でしょう。内容もそちらが精査するのは当たり前です。それなら、他に問題はありませんか?」
あまりに呆気なく懸念を認められると、どうしても疑ってしまう。それは記者としての本能とも言えるものだ。
「我々は心震わせる話題に事欠きません。それは先の白鯨のことからしてもそうですね。その話や、これから行うクルシュ様の偉業を詳細に聞きたいとは思いませんか?」
そう言って側にいた荷物持ちが取り出したのは、何かの本。いや、絵本か。
「従業員の方々にも見てもらいましょう」
『竜巫女戦記』と題された絵本が親竜報文のものたちに与えた衝撃は、計り知れないものだった。
簡潔な文章はまるで歴史を語る詩のようで、歌であった。そして大きな版画によって絵が大きく描かれている。
それだけではない。荷物持ちは吟遊詩人でもあったのだ。彼は絵本を見せながら歌い始めた。
演奏と歌。そして絵。それらが合わさった初めての総合芸術。
代表も、編集長も、記者も絵描きも皆が夢中でそれに見入った。
「絵本と歌を合わせることで文字の教育も行えます。彼のような吟遊詩人をまとめる組織を立ち上げて、各地で作品を語ることもやりますよ。速達の郵便も兼ねさせれば事業としても採算がとれる。面白そうでしょう」
「あなた方には選択をしていただきます。買うか、買われるかです」
そう言って取り出したのは複数の紙。そこには何かしらの設計図のようだったが詳細が隠されている。
「この新型の印刷機の設計図を売っています。有力な商人やあなた方のような報道機関に優先的にです。この性能は記載の通り、文字通りの革命が起きますよ。これまでのように高単価で貴族向けにする必要もなくなっていく」
「す、すごい。これは、こんなことが可能なのか…」
まるで神器のように見える。あらゆるものが変わる確信があった。これは本当にすごいことになる。
しかし、そんな感動も横に書かれた数字の羅列を見て一気に現実へと引き戻された。
高い。値段が高すぎる。こんなものは大貴族や大商人でしか手が出ない。不可能だった。
「この値段も情報の一つです。こちらからの贈り物だと思ってください。この技術は正しく扱えば王国の経済や世界の経済を変えることすら可能かもしれない。カララギが必死で求める内容ですよこれは。さて、しかし多くの人たちにはこれを買うことも扱うことも難しい。なら、こちらに買われませんか?」
ようやく合点がいく。相手の思惑がようやく読めた。
「カルステン家お抱えになる。そうすればその新型印刷機を使わせてもらえるということですな…」
願ってもない話だ。こちらから伏して懇願すべき内容を先方からいただけるなど、代表は人生が変わる音を今まさに聞いた心地だった。
「あ、あの僕たち記者の取材は、中立などこかに肩入れしないものであるべきとは思いませんか?」
声を発したのはまだ成人もしていない記者の少年だった。
いますぐこのバカを黙らせなくては。そう決心して動く前に、書記官様から手で制される。
「あなた方の理念は、人を感動させるというものではなかったのですか?中立がお望みとは知りませんでしたが」
「こ、これも感動のために必要なものではないかと思ったのです。何かに偏ったりすると、その、気持ちが悪いというか。邪魔になりませんか?」
ケイは初めてその発言者をまともに視界に収めた。
頭をすっぽりと覆う大きな丸い帽子を被り、伸びた前髪でその両目は隠れている。
着古した作業服と古い靴は、公爵家の重要人物を前にするとなれば前に立つだけで不敬となる可能性すらある。
ジャーナリズムを自分で考えついたのか?この少年が?少しだけ興味が湧くが、邪魔をされるわけにはいかない。
「ええ、わかりますよ。別にこちらの指示通りに記事を書けというわけではありません。こちらが情報提供と技術を提供する以上こちらに偏るのはある程度避けられないでしょうが、それが嫌ならばより感動する記事を書くことこそがあなたの仕事では?ところであなたのお名前は?」
「失礼しました!僕は、ショーティと申します。それに、そうですね。編集長が僕の仕事を公平に見てくれるなら頑張ればいいんだ!」
まだ自分でもわかっていなかった違和感。それに向き合ってくれただけでも嬉しかったのだろう。下手な展開にならず、大人たちは安堵する。
「一つ聞かせてください。あなたの言う平等には興味はありますが、どれだけこの『親竜報文』が平等を目指してもそれは叶わないですよね。それでいいのですか?」
「え、一体…それはどういう」
「『親竜報文』は明らかにルグニカに偏っているでしょう。真に偏りをなくすというなら各国も平等に扱うべきでは?そしてそれをしたいなら、『親竜報文』ではできないでしょう。名前と存在を否定することになる。もしそれがしたいというならよく考えて提案でもしてみてください。他国への影響力を得ることは重要ですからね」
それきり、慌てた代表の一声で、編集長共々ショーティは部屋から締め出されたがそれでも。
書記官様には、一人の人間として扱ってもらえた感覚があった。未熟な論理を指摘もされたが、そこには見下すような色も、嘲笑の温度もなかったのだ。
彼の中に、何かの熱が灯った。